2019年01月17日

B.B.キング ライヴ・アット・サン・クエンティ

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B.B.キング/ライヴ・アット・サン・クエンティ
(MCA/ユニバーサル)


ジョニー・キャッシュ兄貴の素晴らしいサン・クエンティン刑務所ライヴを紹介したら、無性に聴きたくなってきたのがコチラ、B.B.キング御大の同じくサン・クエンティン刑務所のライヴ・アルバムであります。

いやぁしかし凄いですね、ジョニー・キャッシュ兄貴にB.B.キングといえば、それぞれアメリカのカントリーとブルースを代表する東西の横綱ぐらいの人達でありますよ。

そんなビッグネーム中のビッグネームが揃ってライヴに訪れてそれをレコーディングするサン・クエンティン刑務所ってのはどんなとこなんだろうと思ってアメリカの刑務所に詳しい知人に訊いたら

「サン・クエンティンだって!?あそこはやべぇ、囚人のほとんどが死刑とか仮釈なしの終身刑とか、そんなヤツらばっかりの大変なところさ。悪いことは言わねぇ、あんな所に興味持つのはやめときな。何かの間違いで入っちまったら最後と思った方がいいような、刑務所の中でも飛び抜けて恐ろしいところさ・・・」

と、頬の肉を恐怖でヒクヒクさせながら若干引き気味に語るようなところなんだそうですね。

えぇ、アタシにアメリカの刑務所事情に詳しい知人なんている訳がございません、ちょいと想像を豊かにするために適当なこと言ってしまってごめんなさいなんですが、調べてみる限り凶悪犯が多い、日本で言えば府中刑務所のような”犯罪傾向が著しく進んだ被告”を収監する刑務所だという事は間違いなさそうで、とにかくジョニー・キャッシュ兄貴やB.B.キングは、そういう刑期を務め上げて出てこられる囚人が少ない刑務所で敢えてコンサートを行った訳です。


B.B.キングが刑務所で行った最初のコンサートは、1970年にクック・カウンティ刑務所という所で行ったものであります。

当時黒人だけじゃなく、白人からも人気を集めていたB.B.は「ちょいと変わった所でコンサートがしたい」と思っており、それにジャズ・クラブ”ミスター・ケリーズ”のオーナーが「それなら刑務所でやってみるってのはどうだい?」と提案したことが始まりです。

最初こそファンがにこやかに集まるようないつものコンサートと違った、ある種独特の緊張感漂う雰囲気に押され気味になったB.B.でしたが、演奏を始めた途端に熱狂し、好意的な反応を見せる囚人を見て「あぁ、オレの音楽を普段から聴きに来て楽しんでくれている連中と全然変わらないな」と安心し、特設ステージが設けられた刑務所の中庭でのコンサートは大成功。

この時のアルバムは『ライヴ・アット・ザ・クック・カウンティ・ジャイル』として作品化もされており、B.B.の代表的なライヴアルバムのひとつとして、ファンにも長年愛されております。

このライヴを行う前のB.B.には、自分の音楽で本当に囚人の心を開かせて更生に向かわせる事が出来るんだろうかというかなりの葛藤があったと言います。

ライヴはもちろん素晴らしいものでしたが、彼らにとってはそれは無限に続くかのように思われる刑務所生活の中ではほんの一瞬のこと。特に自分は長年ブルースの世界の中で生きて来て、犯罪に巻き込まれた仲間や友人もたくさん見て来た。と、この人はとってもピュアで真面目な人ですから、ずっと考えておったんです。

元よりB.B.は、レコーディングも凄まじい数をこなしておりますが、自分の活動の場はライヴだという信念で、ツアーに出かけてはその何倍もの数のステージをこなし、その間に刑務所慰問へも出ておりました。

B.B.の葛藤は恐らくは何度刑務所のステージをこなしても、それなりに湧いてきた類のものだとは思いますが、そんなB.B.の葛藤とは別に、彼なりの一流のショウマンシップは”刑務所でのB.B.キングのステージング”というひとつの大きな芸を大成させます。







Live at San Quentin

【収録曲】
1.B.B.キング・イントロ
2.レット・ザ・グッド・タイムス・ロール
3.エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース
4.ホール・ロッタ・ラヴィン
5.スウィート・リトル・エンジェル
6.ネヴァー・メイク・ア・ムーヴ・トゥー・スーン
7.イントゥ・ザ・ナイト
8.エイント・ノーバディズ・ビズネス
9.スリル・イズ・ゴーン
10.ピース・トゥ・ザ・ワールド
11.ノーバディ・ラヴズ・ミー・バット・マイ・マザー
12.スウィート・シックスティーン
13.ロック・ミー・ベイビー


始めての刑務所ライヴからおよそ20年、B.B.の姿は『全米でも有数の凶悪犯が集う刑務所』と恐れられたサン・クエンティン刑務所のステージの上にありました。

専属の司会者による派手なMCから始まる勢いに溢れたパワフルなバンド・サウンド、そしていつものセッティングより出力を上げて歪ませたギターをガンガンに弾き鳴らし、張り上げた声を荒々しく張り上げる。

野郎共いいか、客席に女のコがいない今日のオレは若干荒れている。

だから今日のステージは特別だ。

お前らにささやく甘い言葉なんざ持っちゃいねぇ、だがお前らも特別だ。

何十年も待ってたヤツいつか?オーケー。

最後までゴキゲンにノセてやるし、どうしようもねぇお前らの人生にヒリヒリと染みまくるブルースをたっぷり歌ってやる。

準備はいいか?オレはミスターB.B.キング!

どの曲のどの瞬間からも、B.B.のこんな心の声が聞こえてきそうな、パワフルで粗削りな演奏。

このアルバムがリリースされたのは1990年。えぇぇこの時期のB.B.といえばもうブルースの大御所で、彼を慕うブルースの後輩やロック・ミュージシャン達と和やかなセッションアルバムとか作ったり、甘さと程良い哀愁を醸しながら、安定してかっこいいギタープレイを聴かせる円熟の境地に達していたはずでは(!)というのがアタシがこのアルバムを聴いた最初の正直な感想です。

囚人だろうが何だろうが、コイツらはオレの客。そう、客であるからには全身全霊で歌ってギター弾いて、一人残さず満足させてやる。B.B.のそんな意地とそれに煽られまくって熱狂し、「エッブリディ!エッブリディ!」「グッタイムロール!」と歓声を上げまくり、完全にコンサートのオーディエンスと化した囚人達の姿以外のものはここにありません。


B.B.キングのライヴ名盤といえば、演奏はもちろん凄いけど最初から最後まで女性客の黄色い歓声が凄い『ライヴ・アット・ザ・リーガル』という名盤中の名盤がありますが



このアルバムは全てにおいて対照的な、言ってみれば「B.B.の男の中の男が炸裂したライヴ名盤」でありましょう。








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2019年01月15日

ジョニー・キャッシュ アット・サン・クエンティン

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ジョニー・キャッシュ/アット・サン・クエンティン
(Columbia/ソニー・ミュージック)


1月13日は、われらがジョニー・キャッシュ兄貴がフォルサム刑務所で記念すべきライヴを収録した日でありました。


と、言われても「何だそれは、誰だそのジョニー・キャッシュってのは?」とお思いの方もきっと多くいらっしゃると思いますのでザックリと説明します。

アメリカ南部の失業者救済農場で家族と共に5歳の頃から働き、世界恐慌による貧困や水害での被災を経験するという過酷な幼少期を生きたジョニー・キャッシュ。彼の人生は最初から苦難の連続でしたが、追い打ちをかけるように、最愛の兄を12歳の頃に労働事故(農作業用機械に一緒に巻き込まれての事故死)によって失います。

この事故は、兄とジョニーが一緒に巻き込まれ、結果として兄だけが亡くなってしまうという不幸な出来事で、この事は彼の生涯に深く影響を与え、また、この事をきっかけに彼を音楽の道へと誘うこととなります。

ジョニーはカントリー・シンガーで、後にフォークやロカビリーのシンガー・ソングライターとして活躍しますが、最初に熱心に聴き込んだのは、救済をテーマとしたゴスペル・ソングでありました。

そう、彼は自身の過酷な体験と、ゴスペルや古いカントリーソングで歌われる、貧しい人々の悲哀を自分の事として敏感に感じ、早くからその不条理から何とか人々を救済しようと、音楽を始めた当初から考えておりました。

レジェンドとしてフォークやカントリーだけでなく、パンクの連中などからも兄貴と尊敬されるジョニー・キャッシュは、アウトローエピソードや破天荒エピソードもいっぱいあって面白い人ではあるんですが、それもこれも、人間としての繊細さと、強い正義感からくる世の中への義憤によって起こされていたものなんです。

差別や貧困を憎み、そんな気持ちから湧き起こる激しい感情を、見事な悲哀のストーリーを持つ歌に昇華させること、それが彼が生涯貫き通した「たった一人での戦い」でありました。

デビュー当時から、粋なリーゼントをカチッと決めて、黒い衣装を纏い不敵な笑みを浮かべながら社会を痛烈に皮肉った歌や、貧しさや、それによって引き起こされる不運にあえぐ人々の気持ちを時に切々と、時にユーモラスに歌うジョニーは、同じ時代に同じレコード会社(サン・レコーズ)からデビューしたエルヴィス・プレスリーとは盟友でありライバルの関係でありましたが、当時の若者のカッコ良さを有り余るカリスマ性とエネルギッシュなパフォーマンスで具現化したようなヒーローであったエルヴィスとは違う、もっともっと人々の心の奥底のヘヴィな部分にも声を届けるシンガーとして独自の人気を集めておりました。

また、本人は死ぬほど苦しんで悩まされておりました重度の薬物中毒も、刺激を求める若者からはアウトロー的なカッコ良さとして映ったようで、キャッシュのファン層は意図した所と意図せぬ所の二重のベクトルが作用して「社会の底辺で運命を不運に操られいるかのような人々」の心を強烈に掴んで離さなかったのであります。

ジョニー・キャッシュのデビューは1955年でしたが、デビューしてすぐに彼の元には多くのファンレターが届くようになりました。

人気シンガーのファンレターとくれば、大体は若い異性からのものと相場が決まっておりましたが、程なく彼へ来るファンレターに、ちょっと意外な所から来る同性からの手紙が混ざるようになってきました。

差出人は男性、そして彼らの住所は全国の刑務所。

そう、刑務所に服役中の囚人達が、彼の歌を聴いて共感し、熱心なファンとなっていたのです。

手紙にはキャッシュの歌への賞賛と共に「ぜひ貴方のコンサートを見たい、だが残念ながら私は償いの身の上です」というような文面も多くあり、キャッシュの心は激しく動きました。

「オレの歌を心待ちにしている人達がいる。そして彼らが罪を犯して刑務所で償いの日々を送っている囚人達だっていうのなら、それこそオレが言って歌うべきなんじゃないか」

と。

いくつかの要請があった刑務所と交渉した結果、カリフォルニア州で特に凶悪犯が多く収監されているサン・クエンティン刑務所で初めての慰問コンサートを開催することを決定しました。

この第1回目のコンサートが1958年のこと。

この後も刑務所への慰問は続き、遂にデビューから14年目の1968年に、記念すべき刑務所ライヴレコーディングを、初期のヒット曲のタイトルともなったフォルサム・プリズンで行い、これがレコードでも大ヒット。ポップチャートでは100週以上もランクインするという異例のロング瀬ラーとなりました。




【収録曲】
1.ビッグ・リヴァー
2.アイ・スティル・ミス・サムワン
3.97年型の大破
4.アイ・ウォーク・ザ・ライン
5.ダーリン・コンパニオン
6.どこに流れて行くかわからない
7.スタークヴィル市監獄
8.サン・クエンティン
9.サン・クエンティン
10.おたずね者
11.スーという名の少年
12.谷間の平和
13.フォルサム・プリズン・ブルース
14.リング・オブ・ファイアー
15.彼は水をワインに変えた
16.ダディ・サング・ベース
17.オールド・アカウント
18.クロージング・メドレー:フォルサム・プリズン・ブルース/アイ・ウォーク・ザ・ライン



その勢いに乗って、翌年の1969年、今度は彼が刑務所への慰問コンサートを始めるきっかけとなった宿縁の地、サン・クエンティンに機材を持ち込んでレコーディングしたライヴ・アルバムがコチラ『ライヴ・アット・サン。クエンティン』であります。

会場は囚人達の熱気に溢れ、オープニングから万雷の拍手が響き渡ります。

軽快なシャッフルビートに乗って歌われるブルース『ビッグ・リヴァー』からもう野郎どもの茶色い歓声が凄い凄い。ジョニー自身もハイテンションで間奏では思わず「イエェェ!」と野太い雄叫びを挙げるほど。

例えば日本の刑務所では、受刑者が衝動に駆られないように、犯罪を連想させる曲などは厳しく制限させられていると思うんですが、アメリカはどうなんでしょうと思うぐらいに、ジョニーは前作に続いて”これでもか!”というぐらい刑務所や犯罪をテーマにした曲をブチ込んできます。

タイトルもまんまの『フォルサム・プリズン・ブルース』は、銃で人を殺してフォルサム刑務所にブチ込まれる歌だし、『サン・クエンティン』も監獄の分厚い壁を呪うような主題が重々しい刑務所モノ。更に『スタークヴィル市監獄』に至っては無断で私有地に立ち入って逮捕された自身の経験が下敷きになっている歌であります。


ただ、彼のいわゆる刑務所モノの歌は、歌詞をよく読めば分かりますが、いたずらに犯罪を美化したり正当化するようなものではなく、どの曲も間違いを犯す過程と犯した結果に苦悩する人物の悲痛な心の叫びとしてストーリーが描かれており、ノリノリであったり不穏であったりするその曲調に響く彼の低く深い声が、恐らくは聴いている囚人、いや、囚人に限らず聴いている人々へ根源的な問いを突き付けるようなものであると思います。

会場の異常なテンションの高さも、制限の多い刑務所という環境というだけでなく、生身の”演奏する側”と”受ける側”との大きな共感がそこで炸裂して・・・。そんな瞬間の連続という感じがします。実際に最初は「刑務所ライヴか、凄いな・・・」と、その状況の特殊性に気持ちが行くのですが、途中から「最高のライヴだ!これは最高だ!」と、心の中でサン・クエンティン刑務所の分厚い壁がぶっ飛んでしまって夢中になれるんです。

最後にジョニー・キャッシュは確かにジャンルで括ればカントリーシンガーということになるんでしょうが、そのダークなバリトンヴォイスゆえに、どうしても他のカラッとしたカントリー歌手とは一線を画すたまんない魅力があります。特に90年代のオルタナティヴ・ロックのヴォーカル(ベックとかサウンドガーデンのクリス・コーネルとか)と共通する何かダークな磁場があって、実際に90年代以降はむしろ古くからのカントリーやフォークのファンよりも、”ロウファイなロック”を愛する若者からの人気を獲得しました。

音楽性と生きざまが凝縮されたその声の深みと内側のトンガッた力強さ、確かに他の何者にも代え難いものであります。









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2019年01月13日

キャリー・ベルズ・ブルース・ハープ

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Carey Bell's Blues harp
(Delmark)


前回の更新からちょいと日が経ってしまいましたが、本日もブルース界を代表するハーモニカ名手の一人でありますキャリー・ベルをご紹介します。

さてさて、この人は同じくシカゴを根城に活躍したジュニア・ウェルズやジェイムス・コットンといった、これはもうブルース好きなら誰もが知るビッグネーム達とは同年代であり、しかもプロとして活動を始めた年齢は、もしかしたらこの3人の中では最も早い。何しろ故郷ミシシッピに居た8歳の頃にハープを手にし、10歳になる頃にはもう大人達に交ざって演奏していたというから、天才肌というだけでなく、ステージ・パフォーマンスなんかにも並みならぬものを発揮しておったんでしょう。

それだけでなく、1940年代から50年代という、ブルースがアコースティックからエレクトリックに変わる丁度その過渡期に、しかも南部のカントリー・ブルースからシカゴのシティ・ブルースへと自らのスタイルを進化させながら、グッとモダンになるブルースハープの奏法の革命にも大きく関わった、いわば戦後ブルースの立役者の一人でもあるんです。

シカゴには、キャリーが移住した頃には既にリトル・ウォルターやビッグ・ウォルターといった先輩格のハープ奏者達が最新のバンド・サウンドに見事対応した、粋でモダンな演奏で人気を炸裂させており、キャリーはすぐに彼らに認められてハープの手ほどきを受けたり、彼らが出演するクラブで演奏しながら、徐々に「次世代を担うハープの実力者」として認知されていきました。

ところが、目まぐるしく進化して流行もあっという間に過ぎ去る当時のブラック・ミュージックの流れの中で、50年代後半にはブルースは既に若者の間では少し前の時代の音楽とされ、そんな厳しい状況でも人気を保っていたのは、大音量のエレキギターでド派手なソロを弾くB.Bキングやフレディ・キング、バディ・ガイ、マジック・サムといった面々で、ハープ奏者であるキャリーはその中でいわば取り残されるような形でレコーディングのチャンスも逃し、ブレイクへの道も限りなく閉ざされた苦境に立たされてしまいました。

才能も実力もあるのに仕事がない。ミュージシャンとしてはバリバリに働けるしアイディアもひらめきまくりの20代から30代前半の時期をほとんど不遇のうちに過ごしました。

不幸中の幸いだったのは、ハープの他にベースも弾けたこと。

仕事がなくて困っている時期に、師匠のビッグ・ウォルターやハニー・ボーイ・エドワーズ、アール・フッカーといった仲間達が「今度セッションするからベーシスト探してんだ、誰かいないかな〜・・・おお、いた!」と声をかけ、何とか試練の60年代を乗り越える事が出来ました。


ベースという楽器は一見地味ではありますが、バンド・サウンドでは全体のノリやグルーヴを決定付ける、とても重要な楽器です。

ソロ・デビュー後のキャリー・ベルのヴォーカルとハープのカッコ良さは、すなわち最高にグルーヴするバンド・サウンドと絶妙に会話しているかのような”タメ”と”間”と”勢い”のカッコ良さだなぁと、つくづく思うんですが、そのバンドと一体になったカッコ良さは、実はこの不遇時代にずっとベースをやっていたからこそ体に染み付いたもんだと思います。

もちろん優れたブルースマンは誰もが自分のグルーヴというものを持っていて、それを活かす事が出来るバンド・サウンドとピッタリと息の合った演奏で数々の名演や名盤を作り上げております。キャリーとは同年代のライバルだったジュニア・ウェルズもジェイムス・コットンも、本人達の個性はもちろん「くー!このアルバム本当に凄い!」というアルバムは、もれなくバックがカッコイイ。しかし、キャリーの場合は更にそこから一歩踏み込んだ一体感を巧みに操っている感じがするんですよね。あぁ、これはもう聴いていただかなくてはなりますまい。





Blues Harp

【収録曲】
1.I'm Ready
2.I Got To Find Somebody
3.I Wanna Will My Love To You
4.Blue Monday At Kansas City Red
5.I'm Gonna Buy Me A Train Ticket
6.Come On Over Here
7.I Cry So Much
8.Sad Dreams
9.Everything's Up Tight
10.You Know It Ain't Right
11.Last Night
12.Rocking With A Chromatic
13.I'm Gonna Buy Me A Train Ticket
14.Walking In The Park
15.Carey Bell's Blues Harp



この『キャリー・ベルズ・ブルース・ハープ』は、1969年にキャリーがようやくデビュー作として録音したアルバムです。

当時シカゴには、黒人専門のいくつかのレーベルがありました。有名なところでマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフ、ボ・ディドリーにチャック・ベリーといったブルース、R&B、ロックンロールの大スターを擁するチェス・レコードがありますね。

チェスも大手という訳ではなく「成功したインディーズ・レーベル」ぐらいの規模でした。とりあえず若いブルースマン達はチェスでレコードを出して人気者になりたい訳ですが、ここは有名なのでパッと出の新人にはなかなか難しい。という訳でVeeJayとかCobraとかCheefとか、そういったちっちゃいレーベルに売り込みに行って、運が良ければそういった小さな会社からシングル盤を出してラジオやジュークボックスでのスマッシュヒットが出るか出ないかに賭けておったんです。

しかし、60年代になってくると時代はロックンロールからロック、R&Bから徐々にソウル・ミュージックとなりまして、ブルースやR&Bを録音するレーベルというのは大分減っておりました。

ところがそんなブルース不況にあっても、良質なホンモノのブルースのレコーディングを頑張って、細く長く続いている会社がありまして、それがデルマークだったんです。

元々はミズーリ州のセントルイスでジャズのレコードを中心に売っていたレコード屋のあんちゃんだったボブ・ケスターという人が「よぉぉし!ブルースの都のシカゴに行くぞー!そしてそこでいい感じにやってるブルースとか何か新しくて面白い事をやってるジャズの連中のレコードを作るんだい!」と、何故かブルースが下火になりだした1958年にドカドカとシカゴに進出してきたんですね。


他のレーベルは、とにかく何でもいいからシングルヒットしそうな曲やミュージシャンを引っ張って来て「売れるための」レコーディングをやっていたその時、デルマークは「いや、レコードってのは作品だからな。これからはLP盤をアルバムで聴く時代になるんだよ!」と、正にレコード屋とジャズ好きの思考そのもので、他のレーベルみたいな儲け主義とはまるで逆の発想でもって、良いと感じたミュージシャン達のアルバムを制作するためにスタジオに呼んでレコーディングを行っておりました。

デルマークの事務所は、経営するレコード屋の2階。1階で普通のレコード屋で稼いだカネをレコーディングやLPの制作につぎ込むスタイルなので、当然金回りはそんなによろしくはありません。

でも、オーナーのボブはジャズやブルースが本当に大好きで、ミュージシャンの話は真摯に聞いた。カネがないブルースマンには小銭なら貸した。そして何よりレコーディングはシングルじゃなくてアルバム用のものなので、他のレーベルよりもちょっといい感じのギャラが貰えた(印税をキチンと払える余裕なんてないのですが、それでも当時のミュージシャンにしてみたらすこぶる良心的だった)。

根っからの放浪のブルースマンだったビッグ・ジョー・ウィリアムスなんかは、ボブの好意に甘えて、デルマークの事務所脇で寝泊りしてたといった具合に、とにかくここはブルースマンを単なる商品として扱わず、ミュージシャンとしてそれなりの敬意を払って接していたということなんでしょう。

ずっとハープを吹きたかった、でもハープ吹きとしての仕事はないから何とかベースを弾きながら食い繋いでいたキャリーのソロをレコーディングしたのは、デルマークの心意気でありましょう。

スタジオにはパイントップ・パーキンス、エディ・テイラーら名うてのセッションマン、そして華麗なギターソロで注目を集めていた若手のジミー・ドーキンスらが集められて行われました。

ところがまーこの2回のセッションというのは実にドサクサな感じで、キャリー自身も後に「あのアルバムをレコーディングした時は、何が何だかわかんないぐらいドタバタだったね、内容?う〜んあんまり納得はしてないなー」と語っていて、本人にしてみれば初めてのリーダー作をキチンと練り上げたバンド・サウンドで録音したかったという、気持ちの上での不満をありありと語ったりなんかしております。

つまりその、デルマークにはキチンと時間を取ってスタジオを借り切るカネがなかったんでしょう。しかし、そんなドタバタの中、ほとんど(つうか多分全編)「せーの」の一発録りでレコーディングされたこのアルバム、本人が言うように「ダメ」ではないです。

本人のディープなハーモニカ・プレイに若さ炸裂のやけっぱちヴォーカル、これがまずたまんないし、50年代シカゴのダウンホームな濃い出汁の出まくったバンド・サウンドは、間違いなくディープ・ブルースの豊かなフィーリングを醸しております。いい感じの鋭さで切り込んでくるジミー・ドーキンスのリードに最初は興奮しましたが、たっぷりの間を活かした寡黙なリズムをひたすら刻むエディ・テイラーのサイドギターと、音数を抑えてバシャバシャしてるウィリー・ウィリアムスの泥臭いドラムが格別なんですよ。

完成度でいえば確かに90年代以降のアルバムが輝きまくっているキャリー・ベルですが、このアルバムでしか聴けない粗削りな魅力ってあります。純粋に戦後シカゴのダウンホームな雰囲気がたっぷり味わえる作品としてアタシは推したいですね〜。












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