ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年09月24日

ミリアム・マケバ 1955-1962

6.jpgミリアム・マケバ/1955-1962
(オルターポップ)


「クイーン・オブ・アフリカン・ソウル」「アフリカン・ポップスの女王」として、広く知られるミリアム・マケバ。

「いや、そんなこと言われても誰?」という方でも、この人の最大のヒット曲となった『パタパタ』を聴けば「あー、流行ったね」「そういえば学校の創作ダンスとかで流れてたわ」と、なることうけあいです。

アタシも「パタパタ」は知っていて、というよりも何か聴いたことあるぐらいにずっと思っていて、この歌を歌ってる人が誰かということにさほど興味もなく過ごしていたんですが、2000年代の始め頃に、畠山美由紀さんがヴォーカルをやっているユニットでダブル・フェイマスというのがあって、このグループの音楽がとってもトロピカルで、アフリカやカリブの空気感満載でとっても良いなぁと感動していた時、たまたまこんな音楽をある場所で耳にしたんです。




「わ、これなんかすごいダブルフェイマスっぽいぞ!でもこれ、ジャズのようでもあるし、50年代のR&Bのコーラスグループっぽいよなぁ。でもすごく惹かれる、とっても気になる・・・」

と思ってたら、これこそアフリカン・ポップスの女王、ミリアム・マケバの初期音源なんだよ。彼女の音楽は当初洗練されたアメリカン・ミュージックの影響をすごく受けていた、極上のアフリカン・ジャズなんだよということを知って、それから一気に彼女の声、その伸びやかで極楽気分に溢れた歌と音楽の虜になってしまいました。

「アフリカ」といえばいろんな部族がいて、パーカッションや民俗楽器を使った非常にプリミティヴなものももちろんカッコ良くて、周囲のアフリカ好きの人達も、どっちかというとそういうものを好む人が多いのですが、50年代から70年代にかけてのアフリカ都市部の音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックと深いところで共鳴しているポップスの素晴らしさといえば、もう一言では語り尽くせぬほどの魅力があるんです。

歴史的な事をちょいと説明すると、アフリカという地域は、長いことそのほとんどが欧米の植民地でありました。

この流れに変化が起きるのが第二次世界大戦が終わった後で、イギリスやフランスの植民地だった地域は、様々な問題を抱えつつも次々と独立して行きます。

人々は抑圧された体制から解放され、その自由を謳歌するために、或いは謳歌そのものとして自分達の音楽を高らかに歌い上げます。

ここらへんはジャマイカにおけるレゲエの誕生とも少々リンクしている話ですが、これらの国々では、元から合った部族の音楽に、西欧諸国で流行したポップスが絶妙に混ざり合って、また、ラジオやレコードを通して入ってきたアメリカの音楽、特に何となくお同胞意識を抱いていたアメリカ黒人達の音楽、つまるところのR&Bやジャズなんかを自分達なりの解釈でもって演奏したり歌ったりして、更に洗練させたり、独自性を加えてみたりして「アフリカのポップス」というものが、徐々に形作られていく訳でございます。

ミリアム・マケバは、南アフリカの生まれであります。

南アフリカといえば、アフリカの国々の中でも割と早い段階(1931年)に正式な独立を果たした国でありますが、一方で少数の白人が黒人を物心両面で支配下に置く、悪名高いアパルトヘイト政策をずっと続けてきた国で、彼女の音楽人生もまた、この国の不条理な事情とは無関係ではありませんでした。

貧しい家に生まれ、貧しさ故に親が犯した犯罪(密造酒販売)によって生後すぐに刑務所に収監されるという波乱万丈な人生のスタートを切る彼女ですが、そんな逆境にもめげず、人気ジャズ・バンドのヴォーカルとしてデビュー、その後突き抜けるようなポジティヴな歌声がすぐに人気を博して、1950年代の半ばには、彼女を中心といたヴォーカル・グループ”ザ・スカイラークス”が結成され、この時にレコーディングした曲の中に、彼女の生涯の代表曲となる”パタパタ”も入っております。

デビュー後のミリアムの人気は、この頃アフリカのみならず、アメリカにまで及んでおりました。

類まれまるその歌唱力は、ブロードウェイの耳に留まり、何とミリアムは1959年にアメリカに招かれて、ミュージカル「キングコング」に、主演のシンガー役で大抜擢を受けます。

そのまま世界ツアーに出た彼女は、ロンドンで名優であり大人気シンガーのハリー・ベラフォンテと親しくなり、この大物から

「どうだい、アメリカでデビューしないか?」

と、誘いを受け、成功への更なる大飛躍へと踏み出すのですが、彼女にはここで悲劇が起こります。

1960年、ミリアム28歳の時にお母さんが亡くなり、その葬儀に出るために帰国をしようとするのですが、南アフリカの政府は彼女のパスポートを失効とし、帰国を拒否してしまうのです。

これの理由は分かりませんが、恐らくは歌手として世界の舞台で活躍しようとしているミリアムの動向に不安を覚えた政府が、差別的な理由でもって彼女のパスポートを取り上げたんだろうと言われております。

それから2年後、やむなくアメリカにいたミリアムですが、国連に招かれて、そこで母国のアパルトヘイト政策に関して批判的な証言を行い、これに激怒した南アフリカ政府は、彼女の市民権と帰国する権利を永久に剥奪し、ミリアムは二度と母国へ帰れなくなってしまいまが、この悪意ある対応に激怒したアフリカやヨーロッパ諸国の国々が、次々と「世界市民として受け入れる」と、彼女にパスポートを発行。

彼女の名前は一気に「差別と闘う勇敢なシンガー」として、世界から称賛の的となります。

でも、彼女の偉いところは「自分はあくまでシンガー」と芸に真剣に取り組み、人々を嬉しく楽しくさせるような音楽を真摯にやっておったところです。

ジャズやソウルなど、アメリカのブラック・ミュージックの伝統から流行までも広く呑み込んで、それをアフリカのエッセンスで無理なく鮮やかに彩った彼女の音楽は、実にオリジナリティの塊であり、大好きだったエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらからの影響を感じさせつつも、他の誰とも似ていない、伸びやかでその声の余韻の中に深い慈愛を感じさせる歌声は、世界中の人々の心を掴みました。

ポピュラー音楽の頂点とされるグラミー賞を受賞し、リメイクした「パタパタ」の大ヒットで、押しも押されぬ世界のトップシンガーとなってもなお、彼女はその芸を深めることへの努力を惜しまず、60年代、70年代、80年代とその歌声に更なる深みを刻んでゆくのです。

アメリカやベルギー、ギニアなどを活動拠点にしていた彼女は、南アフリカのある活動家の支援に本格的に乗り出します。そう、後に南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラの支援です。

1988年、ロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにおいて行われた「投獄中のマンデラの70歳を祝うコンサート」が行われ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ホイットニー・ヒューストン、ブルース・スプリングスティーン、ボノ(U2)、ピーター・ガブリエル、ランDMCなどなど・・・ありとあらゆるジャンルの大物ミュージシャン達が集結したこのコンサートでミリアムも歌い、こういった世界的な動きの中で南アフリカのアパルトヘイト政策は終わりを迎えるのでありました。

ちなみにこのコンサートの司会を務めたのは、ミリアムを世界に知らしめるきっかけを作ったハリー・ベラフォンテであります。

さて、ようやく30年近い漂白の身から晴れて南アフリカへ帰国したミリアムは、歌手活動を続けながら、差別や貧困、またはアフリカ社会で深刻な問題となっているHIVの問題など、あらゆる事柄に関係するチャリティーに本腰を入れました。

彼女が亡くなったのは2008年、76歳の時でしたが、この最期となったのがイタリアで行われたマフィア追放キャンペーンのステージで「パタパタ」を歌い終わった直後に心臓麻痺を起して帰らぬ人となっております。

信念の人だったのでしょうね。








【Disc-1:APARTHEID IN JOHANNESBURG】
(THE MANHATTAN BROTHERS)
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.TULA NDIVILE (SADUVA)
3.BABY NTSOARE
(THE SKYLARKS)
4.ORLANDO
5.OWAKHO
6.OLILILI
7.INTANDANE
8.PULA KGOSI SERETSE
9.KUTHENI SITHANDWA (DAY O)
10.NDIYA NXILA APHA E-BHAYI
11.BAYA NDI MEMEZA
12.VULU AMASANGO
13.UMBHAQANGA
14.NOMALUNGELO
15.TABLE MOUNTAIN
16.HUSH
17.MTSHAKASI
18.UTHANDO LUYAPHELA
19.PHANSI KWALOMHLABA
20.LIVE HUMBLE
21.SINDIZA NGECADILLACS
22.NDIMBONE DLUCA
23.NDAMCENGA
24.UNYANA WOLAHLEKO

【Disc-2:AFRICA’S QUEEN OF SOUL】
1.ROCKIN’ IN RHYTHM
2.INKOMO ZODWA
3.EKONENI
4.DARLIE KEA LEMANG
5.SOPHIATOWN IS GONE
6.MAKE US ONE
7.BACK OF THE MOON
8.QUICKLY IN LOVE
9.MAKOTI
10.THEMBA LAMI
11.UYADELA
12.YINI MADODA
13.NDIDIWE ZINTABA
14.UILE NGOAN’ A BATHO
15.SIYAVUYA
16.PHATA PHATA
17.MIRIAM’S GOODBYE TO AFRICA
(EXILE IN NEW YORK CITY)
18.JIKELE MAWENI (THE RETREAT SONG)
19.SULIRAM
20.QONQONTHWANE (THE CLICK SONG)
21.UMHOME
22.OLILIL

【Disc-3:NEW YORK】
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.MBUBE (THE LION SLEEPS TONIGHT/ WIMOWEH)
3.THE NAUGHTY LITTLE FLEA
4.WHERE DOES IT LEAD?
5.NOMEVA
6.HOUSE OF THE RISING SUN
7.SADUVA (TULA NDIVILE)
8.ONE MORE DANCE
9.IYA GUDUZA
10.KILIMANDJARO
11.ZENIZENABO
12.NTJILO NTJILO
13.UMQOKOZO
14.NGOLA KURILA
15.THANAYI THANAYI
16.LIWA WECHI
17.NAGULA
18.CARNIVAL (“ORFEO NEGRO” THEME)
19.NIGHT MUST FALL
20.LOVE TASTES LIKE STRAWBERRIES
21.CAN’T CROSS OVER


さらっと解説するつもりではありましたが、やはりミリアム・マケバという人の歌は、その波乱万丈の人生に裏付けられていると思いましたので、彼女の人生をざっと振り返って書かざるを得なくなりました。

このアルバムは、彼女が南アフリカでデビューした直後から、ニューヨークに拠点を置いた60年代初頭までの音源を選りすぐった素晴らしい初期ベストであります。

スコーンと明るい、アフリカン・ジャズ/R&Bのディスク1から、独自のジャズ・アレンジでスタンダードやアフリカン・ポップスを唄ったDisc-2,3どれも最高に聴き応えのある、本当にグッとくる、何だか聴いてるだけで心を自然と豊かにしてくれそうな、イカした音楽が目一杯詰まっております。

彼女の声の魅力は本当に奥深く、特に初期の声は大ファンだったというエラ・フィッツジェラルドからの影響が大きく、伸びやかで雑味のない声ですが、結構ドスの聴いた低音や、パンチの効いたシャウトも自在にこなすそのテクニシャンぶりには思わずうなってしまいます。

あと、この人の声はどこまでも優しくて、時にポロッと哀しみが漏れる瞬間が(特にフレーズの最後の、声が伸びて消え入る辺り)あって、アタシは毎回それにヤラレてます。

ミリアム・マケバはアフリカからやってきて、多くのジャズやソウルやR&Bのシンガーに影響お与えた人でもあります。特にニーナ・シモンとエリカ・バドゥは彼女から多くの表現の糧を得たんじゃないかなと思いますが、そこはお聴きになる皆さんの耳で直に確かめてみてください。

3枚組で聴き応え最高で、しかも国内盤なのでライナノーツもあります。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月23日

ザ・フー ライヴ・アット・リーズ

6.jpg
ザ・フ/ライヴ・アット・リーズ
(ユニバーサル)

「ライヴバンド」という言葉を最近よく聞きます。

読んで字の如く「スタジオ音源もいいけど、ライヴだと更に信じられないぐらいカッコイイ!もう死ぬ!」というバンドのことです。

いやぁ、世の中には実にカッコいいライヴバンドはいっぱいいるし、素晴らしいライヴ盤、それこそたんまりあります。

え〜・・・

で、今から全くミもフタもないことを言います。

それはですね

「ロックバンドは、大体ライヴ・アルバムがカッコイイ」

ということです。

だってほれ、ロックはやっぱりライヴですよ。

ビートルズだってストーンズだって、今どんなに大御所になって、スタジオで超大作を作ってるバンドやミュージシャンでも、レコードデビューする前は、ライヴハウスで一生懸命演奏して、そこから人気が出て段々ビッグネームになっていったんです。

だから「ライヴアルバムがよくない」ってこたぁないじゃないですか。みーんな最初はライヴバンドだったんです。

その中で

「じゃあ最強のライヴバンドは?」

と訊かれたら、最強かどうかはわからんけれども、とにかくスタジオ盤のファーストを聴いてカッコイイと思った時以上の衝撃をライヴ盤で聴かせてくれたザ・フーを皆さんにはオススメいたしましょう。






1.ヘヴン・アンド・ヘル*
2.アイ・キャント・エクスプレイン*
3.フォーチュン・テラー*
4.いれずみ*
5.ヤング・マン・ブルース
6.恋のピンチ・ヒッター
7.ハッピー・ジャック*
8.アイム・ア・ボーイ*
9.クィック・ワン*
10.すてきな旅行|スパークス*
11.サマータイム・ブルース
12.シェイキン・オール・オーヴァー
13.マイ・ジェネレイション
14.マジック・バス

*ボーナストラック


何てったってキャリアも長いし、作品毎に凄まじく進化していったザ・フーです。

しかし、つい最近になっても積極的にライヴ・パフォーマンスを行って、ライヴアルバムやライヴの映像作品なんかをガンガン出しているザ・フー。そう、どんなに進化しようが、どんだけ大御所だベテランだと世間からもてはやされようが、コノ人達の軸足は「気合い一発でみんなを沸かせるライヴ」そこにずーーーっとあって、その信念がブレたことは、今まで一度たりともありません。

そんなフーの、最初にリリースされたライヴ・アルバムが「ライヴ・アット・リーズ」。1970年に行われた大学でのステージであります。

常日頃フーの魅力というのは

「ポップな曲にド汚いサウンド」

だと思っておりますが、このアルバムはもー凄い!

スタジオでも爆音セッティングのピート・タウンゼントのギターは何の遠慮もなく派手に歪ませて、いかにもアンプ直フルテンの、ギャンギャンゴワゴワのファズ・サウンドだし、元から単なるリズムキープじゃなくてギターのコード弾きの裏でブイブイにリードを弾いているジョン・エントウィッスルのベースもギターに負けない音量で動き回ってるし、キース・ムーンのドラムに至ってはほとんど暴走のレベルでバカボコバカボコ景気よくやっております。

で、ロジャー・ダルトリーのヴォーカルも「え?ツェッペリンのロバート・プラントなんじゃない??」と思わせる高音振り絞り系のシャウトをガンガン炸裂させ、ファーストで感じていた「音のやんちゃな正統ブリティッシュバンド」という最初にイメージは、またしてもここで気持ち良く覆されました。

この時期のフーといえば、スタジオ盤ではアレンジの凝った大作の「ロックオペラ・トミー」なんかも作って、アルバム・アーティスト集団として急成長していた時期なんです。すなわち耳の肥えた音楽好きの鑑賞にも十分耐えられるような深い作品を作ってやろうと、そういう時期に

「はーいみんなー、ギターをアンプにつなげたぞー。おまえらどっかーん!!」

な演奏を、ライヴでは相変わらずやってたってのがもうね、カッコ良い。カッコ良すぎるんです。。。

もちろんこのアルバムにも、彼らの”進化”はしっかりと見て取れます。

それはつまり「それまでのロックンロール路線から、新しいハードロック路線を宣言した」とか、そういうことで、実際このアルバム聴いてると、当時彗星の如く表れて爆風を巻き起こしていたレッド・ツェッペリンのサウンドと似通ってるんですが、そういうことすら、何かもうこの爆音一発なサウンドと、ひたすらアツいパフォーマンスの前ではどーでもよくなってきます。

あと、このアルバムのジャケット、これ凄くカッコイイよなぁと思っていたら

「当時よく出回ってるブート盤の真似をしただけ」

という話をある日聞いて、フーのことますます好きになりました。











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2017年09月22日

ライトニン・スリム ルースター・ブルース

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ライトニン・スリム/ルースター・ブルース
(EXCELLO/ユニバーサル)

ブルースといえばシカゴにテキサス、ミシシッピ。ちょいとツウなら「メンフィスはどうだ?」「いやいや、デトロイトも捨てがたい」といった感じで、楽しく語ったてるうちに地名が出てくるもんでございます。

そう、皆さんにはぜひお手元にあるなら(今ならネットがある)ぜひ、ブルースを聴きながら、そのブルースマンがどこの人かを地図で確認しながら聴いてみてほしいんです。

今からおよそ100年昔、ディープ・サウスと呼ばれるミシシッピやテキサスで生まれ、徐々に南部全体、そして色んな街を経由して北部のシカゴや西海岸に運ばれていったブルースは、行った先々で独自の進化を遂げて、まったくその土地特有の風味を纏うようになりました。

後の時代のロックやソウルなんかでも、土地の名前を頭に付けた(フィラデルフィア・ソウル、リバプール・サウンド、めんたいロックなど)ものがあって、それぞれ聴くだけで「あ、この音はこれだね♪」と分かるものが多くありましたね。そんな感じでブルースも、人の個性と土地の空気感みたいなのが、最高にいい感じの味わいとなってギッシリと詰まって外側にむわんと漂っておるんです。

で、そういった「土地の風味」という意味で、シカゴやテキサスにも負けていない、独自の味わいを持った土地が南部にあります。

そこはルイジアナ!

テキサスとミシシッピに挟まれたこの州は、南の先っぽにジャズが生まれ育ったニューオーリンズがあって、更に歴史をたどってみれば、ほとんどがイギリスの植民地だったところからアメリカは始まってるんですが、ここだけ何と、フランスが入植して独自の風習文化を育んでいたという、他のアメリカの州と比べてかなり特殊な事情があります。

更に外海に開けた港町で、アメリカ全土はおろかカリブ海の島々や南米大陸からも色んな文化が入ってくるニューオーリンズのハイカラと、北部のバイユ―と呼ばれる広大な湿地帯近辺の街で生まれたブルースとでは、また味わいが全く違うって言うんですから、これはバイユ―のブルース達を聴かねば収まりません。

この地のブルースの特徴といえば、高温多湿な環境ゆえか、とにかくユルいんです。

代表的なブルースマンに、前にもご紹介したスリム・ハーポという人がおりますが、この人は”ユルユルの大将”なんですが、ルイジアナ・バイユー地域はこの人だけじゃない、まーユルくてトッポい連中の巣窟でございます。

「あっついしジメジメしてるし、なーんかやる気おこんねー。どーせ外から人も来ないしー、ダラダラブルースでもやるべぇかー」

という姿勢においては、みんな一致団結してブレが全くありません。大体この地のブルースマンの芸名の付け方なんかも

・スリム・ハーポ → ハーモニカのカッコイイ男

・ライトニン・スリム → 稲妻のカッコイイ男

・レイジー・レスター → ダラケたレスター

・ロンサム・サンダウン → 何かせつねー夕暮れ

とか、軒並み脳みその回っていない感じのシンプルで分かりやすい命名で、カッコイイんです。多分名前考えてる途中で、暑いから嫌になっちゃったんでしょう。

で、本日皆様にご紹介するのは、上から二番目(俺も大概やる気がない)のライトニン・スリムです。

ね「稲妻のカッコイイ男」なんたる名前かと思いますが、話聞いたらもっとなんたるごとで、この「ライトニン」の部分、実は


1.jpg


はぁい、ブルースでライトニンといえばこの人、のライトニン・ホプキンスです。

実はライトニン・スリム、芸名を付けるに辺り、お隣テキサスにいる人気者ライトニン・ホプキンスを前から

「カッコイイなぁ〜、俺もあんな風になりたいべ」

と、リスペクトしており

「じゃあ、俺も名前をライトニンにするべ」

と、まんまな芸名にしちゃった。

「じゃあ」

って・・・。

お、おぅ。多分ムシ暑くて名前考えるのが途中から嫌になったんだ・・・。

そんでもって堂々”ライトニン・スリム”を名乗ったこの男、何だよパクリかよ、と思うなかれ。単純に名前を考えるのが嫌だった(?)だけで、実力はすこぶる付きのホンモノであります。

1915年生まれといいますから、実はライトニン・ホプキンス(1912年生)や、マディ・ウォーターズ(1913年)ら、戦後ブルース第一世代と言っていい人達と、トシはあんま変わらんです。どころかロバート・ジョンソンですら、たったの4歳年上ですから、若い頃からさぞ活躍していた、或いはギター一本持って地元ではそこそこ名の通った存在だったのかと思いきや、何とこの人がギターを持ってブルースを本格的に歌い始めたのが、1940年、年齢でいえばとっくに中年の35歳になった頃。

それまで何やってたんだ!と突っ込みつつ、色々と経歴を調べても、実際何をやっとったかよーわからん。まぁ多分暑いしダルいので、テキトーに仕事しながらウダウダやっておったんでしょうな。

レコード・デビューしたのは更に14年後の1954年で、もうやがて40代の後半になろうとかいう時でありますから、人生というのは何が起こるかわかんない。

この時ライトニン・スリムやスリム・ハーポ、それから先に名前を挙げたバイユ―の「いい加減な名前の凄腕ブルースマン達」をまとめてレコードデビューさせたのが、ケンタッキー州にあったエクセロというレコード会社であります。

ルイジアナのブルースを、何でカントリー王国ケンタッキーのレコード会社が?と思うところですが、まぁそこは深く考えない。とにかくエクセロ・レコードが他のどの地域のサウンドとも似ていない、ルイジアナ・バイユ―地域のユルく独自のレイジーさに溢れたブルースを世にたくさん出してくれたお陰で、アタシ達もこの個性的なブルースを聴くことが出来るんです。






【収録曲】
1.ルースター・ブルース
2.ロング・リーニー・ママ
3.マイ・スターター・ウォント・ワーク
4.G.I.スリム
5.ライトニンズ・トラブルス
6.ベッド・バグ・ブルース
7.フードゥー・ブルース
8.イッツ・マイティ・クレイジー
9.スウィート・リトル・ウーマン
10.トム・キャット・ブルース
11.フィーリン・オウフル・ブルース
12.アイム・リーヴィン・ユー・ベイビー
13.ライトニンズ・ブルース
14.ジャスト・メイド・トゥエンティ・ワン
15.シュガー・プラム

ライトニン・スリムのブルースは、一言でいえばユルさは強烈にありつつも、やや筋ばった男らしい濁った声と武骨なギターのインパクトで、かなり泥臭いものであります。

いや、濁った声と武骨なギターが、バイユ―独特のユルいアレンジの毒気にあてられて”沼”と化してると言うべきか。そんなユルいけど薄くない硬派な味わいがこの人の魅力であり、また、この地のブルースに共通する味であると思っていただけると幸いであります。

「まずはこの一枚!」

として、エクセロ時代の代表作といってもいい、オシャレなニワトリジャケットが最高の「ルースター・ブルース」を聴きましょう。

実はスリムは、その歌い方やギター・プレイの部分はライトニン・ホプキンスに影響を受けておりますが、楽曲のほとんどは、マディ・ウォーターズに影響を受けております。

聴いてると「お、この曲はアレだね」と思える曲がいくつもあって楽しくなりますが、どうやらスリムはへヴィでギラついたシカゴ・ブルースの音を、ルイジアナで再現したかったと思えるフシがあります。

ピアノこそ入っていないけど(きっと湿気ですぐ調律がダメになるんだ)やさぐれたエレキギター、ひなびたハープ、ベースにドラムという鉄壁のバンド・サウンドは、ほとんど当時大人気だったシカゴ・ブルースのそれでありますが、ハープはどこか洗練とは程遠い、ほんわかしたトーンだし、ドラムはもっと何かべっちゃりしてるし、結果として「南部の、しかもかなり湿度が高い場所のサウンド」になっているところがいいんですよ。

自己をどんどん変化させていってオリジナリティを確立していくというミュージシャンは多いですが、影響を受けた大物(ライトニン・ホプキンスやマディ)の路線をやろうと思っても、やっぱりどうしてもオリジナルなレイジーさがどわっと前に出たものになってしまう。もっといえば、無意識でブルースというよりも、この辺のサウンドにすっごく影響を受けた、タフでルーズなアメリカン・ロックンロールのエスプリを、どうしようもなく感じてしまいます。

実際このアルバムは、ロックンロール全盛の1959年から60年にかけて「新しいサウンド!」と、ロックンロール好きの若者にウケました。そして、南部の小さなレコード会社、エクセロのサウンドは、シカゴブルースから入ったイギリスの若者の耳に「や、これはすげーかっこいい」と響き、後の英国発ブルース・ロックを構成するサウンドに欠かせない要素となってゆくのです。

とにかくまぁまだ残暑も厳しいこの季節、できればやっすいオーディオで、ライトニン・スリムを適当なボリュームで流しながらダラダラ聴いてみてください。このレイジーでダウンホームな「あ〜、えぇなぁ〜感」は、やっぱりこの人、そしてエクセロ近辺のルイジアナ・ブルースでなきゃ味わえませんです、はい。




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2017年09月20日

バッハ:無伴奏チェロ組曲(マイスキー)


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バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲(マイスキー)
(ユニバーサル)


あのー、よくロックとかブルースで

「ギターは顔で弾く」

というのがありますね。

つまり、ギタリストというのは、ソロを弾いてる時にどんだけ顔に感情を込めるかが命なんだ。キュイーンとチョーキングをかましたら、そん時ゃ顔でも「キュイーン」と言ってなきゃいけない。そういうやつです。

あ、今日は久々にクラシックの紹介なのに、いきなりそんな話をしてすいませんねぇ。でも、この話しないと今回は先に進まないんですよ。

で、本日ご紹介するミッシャ・マイスキーです。

現代クラシックにおいては、もうチェロの凄い人ですよね。

その凄い人なんですが、アタシはテレビで最初にこの人の演奏を観て聴いた時に、凄まじい衝撃を受けましたというお話であります。

まぁ顔ですよ、見て下さい。

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顔全体に生やした見事なお髭と、万遍なくフサフサしている天然カーリーヘア、そして胸元が大胆に開いたルネッサンスかロココ調かというオッシャレーなシャツという出で立ちのこの人を観て、アタシは

「あ、コレはカッコイイ。そんじょのマジメーなクラシックの人と違って、何かロックを感じる。きっと凄い演奏をしてくれるはずだ」

と、期待してテレビの前で何故か正座してました。

演奏が始まると、やはり期待通り、いや、期待以上にこの人は、大きなアクションで、ロマンスのオーバードーズとも言いたくなるぐらいに情熱のこもった素晴らしい音色とフレーズをチェロから放ち、もうアタシのハートはまっすぐに貫かれた訳なんですが、それ以上に顔です。

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彫の深〜い、実に男らしい見事な髭をたくわえた、まるでどこかの王様のような威厳のある顔が、演奏中はもう何か目一杯ウットリしてて、とろけるような顔で弾いてるんですよ。

ちょっと今、googleの画像検索で「ミッシャ・マイスキー 顔」で検索したんですけど、やっぱりリアルタイムの演奏中の顔には敵いません。アレはそれぐらい衝撃がデカかった。

アタシはもう感動やら楽しいやらで「顔!顔!あぁああーー!!」と、テレビの前で笑い転げながら歓喜の声を上げておったんですが、これ、バカにしてるんじゃないですよ。友川かずきを最初に聴いた時もそうだったんですけど、人間というのは、自分の理解を遥かに超えたカッコイイものに出会った時は、あらゆる感情を突き破った”笑い”が出てくるんですよ。

いや、ホント、こん時のマイスキーは最高にカッコ良かった「クラシックにもこんなぶっ飛んだ人いるんだ」と、生まれて初めて思いました。






(Disc-1)
1.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第1曲:Prelude
2.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第2曲:Allemande
3.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第3曲:Courante
4.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第4曲:Sarabande
5.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第5曲:Menuet I/II
6.無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 第6曲:Gigue
7.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第1曲:Prelude
8.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第2曲:Allemande
9.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第3曲:Courante
10.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第4曲:Sarabande
11.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第5曲:Bourree I/II
12.無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010 第6曲:Gigue
13.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第1曲:Prelude
14.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第2曲:Allemande
15.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第3曲:Courante
16.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第4曲:Sarabande
17.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第5曲:Gavotte I/II
18.無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011 第6曲:Gigue

(Disc-2)
1.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第1曲:Prelude
2.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第2曲:Allemande
3.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第3曲:Courante
4.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第4曲:Sarabande
5.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第5曲:Bourree I/II
6.無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 第6曲:Gigue
7.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第1曲:Prelude
8.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第2曲:Allemande
9.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第3曲:Courante
10.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第4曲:Sarabande
11.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第5曲:Menuet I/II
12.無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008 第6曲:Gigue
13.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第1曲:Prelude
14.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第2曲:Allemande
15.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第3曲:Courante
16.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第4曲:Sarabande
17.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第5曲:Gavotte I/II
18.無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 第6曲:Gigue


この人すっかり気に入って、これはぜひCDを買わんといかんと思ったアタシ、早速名前をメモして色々と調べましたら、やっぱり凄い人だったんですね。

ソビエト連邦のラトビア共和国に生まれ、10代でソビエト連邦の音楽賞とかチャイコフスキーコンクールとか、とにかく有名な賞で次々と良い成績を獲得して、その時チェロの神様と言われていたロストポーヴィッチに「君、私の弟子になりなさい」と誘われて、才能をメキメキ伸ばすんですが、マイスキー家はユダヤ人の家系。自由のないソ連でのキツい生活に耐えかねたお姉さんがイスラエルに亡命してしまい、そのとばっちりを喰らってミッシャも逮捕され、強制収容所に送られることになります。

22歳の青年マイスキーに課せられたのは18ヶ月の強制労働でした。

これが終わってさぁ音楽の世界へ戻ってチェロが弾けるぞと思っていましたが、当局から「出所したら兵役だ」と言われます。

「これは二度とチェロを弾かせないつもりだ、この国にいる限りは俺は音楽の世界に戻れない」

と悟ったマイスキーは、同じユダヤ系のお医者さんに相談。「この人は精神病です」という診断書をまんまと書いてもらって兵役を回避できます。

ここら辺り、タダモノではないですね。その後、あらゆるコネやツテを使って、何と海外移住の正式な許可を獲得して、まずはアメリカへ、そしてイスラエルへと脱出。タダモノでないぶりを存分に発揮して、音楽の世界に復帰するどころか、師匠のロストボーヴィッチも「あの人は凄いよ」と認める伝説的なチェロ奏者グレゴール・ピアティゴルスキーに弟子入りし、更に若手で最も注目されていた天才ピアニスト、マルタ・アルゲリッチとコンビを組んで、一気に世界的な人気を獲得しております。

アルゲリッチといえば、この人も凄まじい情念を、そのピアノ演奏に叩き付けることが出来る稀有の才能であります。この人の演奏と対等に渡り合えて、かつ高度な技術で共に最高のハーモニーを奏でることが出来るのは、やはりマイスキーしかおらんかったのでしょう。

この話を知って

「あ、この人はますます間違いない」

と思ったアタシ、とりあえずこの人は色々やってるけど、バッハの演奏においては特にすげぇよ、個性的だよという情報を入手して、バッハといえばの「無伴奏チェロ組曲」を最初に買いました。

結論からいえば、もうホント凄かったです。

バッハの無伴奏チェロ組曲といえば、定番中の定番であるパブロ・カザルスとか、重厚な雰囲気でこの曲の作品としての価値を決定付けたヤーノシュ・シュタルケルとか、名盤がたくさんあります。

その中で「どれが一番」というのはとても決められないぐらい、どの人の演奏も気合いが入っててカッコイイのですが、その中でも”個性的”という意味でマイスキーの演奏は、最初に映像を観た時のインパクトが全く削がれないぐらいの、見事な際立ちっぷりを見せて(聴かせて)くれました。


「バッハの音楽には人間のあらゆる感情が詰まってる」

というマイスキー、その言葉通りにシンプルなだけに底無しの奥深さを持つバッハのチェロ組曲の中に、本当にあらゆる感情を見出して引き出しているんじゃないかというぐらい、豊かな情感に満ち溢れた演奏です。

とにかくその、キリッとした鳴りの音色で、速いところは速く、緩やかなところはそれ以上遅くしたら演奏がダレてしまうギリギリを見極めた絶妙な間合いで、激しく緩急を付けて弾いていますが、この独特の緩急が、聴いているこっちの意識も大きく揺らして回してしまうぐらいの、ヤバいグルーヴを生み出しております。

アタシは常日頃

「バッハはグルーヴ」

と思っています。

バッハの完璧な構造の楽曲から、優れた演奏家は聴く人の意識をどこか高い次元に連れ去ってくれるグルーヴを生み出してくれるんですが、マイスキーの感情のオーバードーズなチェロ組曲は、まずバッハとかクラシックとかそんなよく分からん人にも、聴いて「これやっべぇ!」という陶酔が満ち溢れてます。

ちなみにこの「バッハ:無伴奏チェロ組曲」は、彼が移住後の初期の頃(1984年と85年)の録音で、99年には更に進化した2度目の録音を残していて、どっちもカッコイイです。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月19日

リー・コニッツ ディープ・リー

1.jpg
リー・コニッツ&トリオ・ミンサラー/ディープ・リー
(ENJA/SOLID)

夏の間は大コルトレーン祭をやっておりましたので、もうそれこそ耳に入れるサックスの音といったら、煮えたぎるような情熱で出来た硬質な音。

「お前、何で夏のクソ暑い時にそんなコルトレーンみたいな爽やか要素がひとつもないもんばっか聴いてるんだ」

と、心ある方々から結構マジなツッコミを頂くこともありますが、や、これはウチの宗派(大コルトレーン教)の教義でありまして・・・、と笑いながら返すと向こうも「そうか、それならしょうがないな」と笑って答えるのであります。

こういうのが平和って言うんですよね。えぇ、平和です。平和がいちばんよろしい。

そうやって、夏の間に目一杯カッカさせたりクラクラさせたりしておりますので、秋になると今度はクールな音楽で、良い感じに心身共に冷却です。

という訳で、アタシはコルトレーンの季節の後に、必ずリー・コニッツを集中して聴くようにしております。

この人が吹くアルト・サックスの音やフレーズ、ややふやけた脳みそをキリッと引き締めてくれる効果もあるし、同時にこわばった気持ちの部分を程よく溶かしてくれる、優しい効果も持っております。えぇ、独特といえば独特、ジャズの世界にこの人と似たような個性を持った人はいない、本当に不思議なカッコ良さを持っている人なんです。

リー・コニッツという人は、1940年代の末にデビューして、恐るべきことに89歳になった今も現役で活動しておりますが、彼の凄いのは「デビュー当時沸きに沸いていたビ・バップと、唯一そのクオリティと革新性で対抗出来ていたクール・ジャズ(詳しくはレニー・トリスターノの頁参照)、その中でアルト・サックス奏者として、当時のチャーリー・パーカーとライバル関係にあった」ということや、まだぺーぺーだった頃のマイルス・デイヴィスが彼のアドリブに惹かれ「どうやってんだ、教えてくれよ」と言ってきて、彼が教えたことのほとんどが、初期マイルスのあのクールで都会的なムードを生み出すのに役に立ったとか、その初期の活躍もなんですが、長い現役生活を続けるうちに、スタイルをどんどん進化させ、21世紀の今も

「あ、このサックスはとても新しい響きがある」

と、聴く人に思わせるところにあると思います。

もっといえば

「流行には一切迎合せず、ただ淡々と己の内側に進化を求めた結果、キャリアの中で一瞬も時代遅れになる音楽をすることがなかった」

ということになるでしょうか。

どんなに優れたミュージシャンでも時代の流れには勝てず、往年の輝きを失って失速したり、或いはロックやファンクなどの最新のサウンドを取り入れて、ある意味で華麗な転身を遂げて成功したり、そうやって「時代」というものに翻弄されて苦悩するものでありますが、コニッツはどの時代の演奏を聴いていても、そういった苦悩や変節とは全く無縁に思えます。

もちろん最初期の、トリスターノの愛弟子だった頃の、カミソリのような鋭いアルト・サックスの音色は、50年代半ばから徐々に丸みを帯びたウォームなものになっていきますし、60年代以降は作品によってフリージャズみたいなこともやったし、ちょいと座興で電気サックス(サックスにピックアップ付けてアンプに繋げたもの)を手にしたこともあるし軽めのボサ・ノヴァを吹いてるアルバムだってあります。

でも、そういうあれやこれやをやってみても、軸足はしっかりとアコースティックなジャズに置いてぶれないし、演奏スタイルも「即興」というものにストイックなまでの強い想いと「感情の高ぶりに流されない知性」というものを、一瞬たりともコニッツは失っておりません。

だからアタシはコニッツさんのアルバム、それこそ色んな年代のものを無節操に集めて聴いていますが、どのアルバムからも無駄のない芯の強さに彩られた美と、思考をジワジワと刺激し、別世界へと自然と誘ってくれる引力を感じます。




【パーソネル】
リー・コニッツ(as)
フローリアン・ウェーバー(p)
ジェフ・デンソン(b)
ジヴ・ラヴィッツ(ds)


【収録曲】
1.スリー・パート・スィート~インヴェンション
2.スリー・パート・スィート~コーラル
3.スリー・パート・スィート~カノン
4.ディープ・リー
5.星影のステラ
6.カクタス
7.アズ・ザ・スモーク・クリアーズ
8.W86th
9.シー・ザ・ワールド・フォー・ザ・ファースト・タイム
10.カラー
11.スパイダース


で、アタシはここ数日引き込まれるままに聴いているのが、2007年に録音されたこのアルバム。

「リー・コニッツと、ドイツの若手ピアノ・トリオが共演する」

という、発売前の宣伝文を見て何故か

「これは絶対に買わなきゃいけないやつだ」

と思いました。

1927年生まれのコニッツは、この時80歳。一方のミンサラーの3人は1976年と77年の生まれだから、この時30歳と31歳。

普通に考えて「大ベテランと彼をリスペクトする若手との、和やかなくつろぎに満ちた作品」に仕上がりそうなもんですが、こういうシチュエーションで絶対に、絶対にそんなぬるいことをやってくれないのがコニッツです。

果たしてその予感は当たり以上の大当たりでした。

コニッツの、厳しさを内に秘めた優しさとしなやかさ、そしてそれらに美しくまぶされた憂いの成分が薫り漂う、美しい音色のアルト。そこに恐らくはクラシックの基礎と、それに収まらない狂おしい衝動を持ったトリオ・ミンサラーの、完全に対等な、持てる全ての実力とリリシズムを遠慮なくぶつけてくる演奏。

どの曲も「コニッツのアルトとサポートするピアノトリオの好演」どころではありません。

コニッツが徹底して無駄を省いて厳しく再構築したアドリブの、幽玄の闇を漂うメロディーに、時に絡みつき、時にリードを丁寧に奪い、えも言えぬ静謐なハーモニーを、同じ歩調で生み出してゆくフローリアン・ウェーバーのピアノと、的確なリズムを付けていくだけじゃなくて、アルトとピアノの見事な即興同士の真剣勝負に自然と入り込み、どんどん”うた”を拡散させてゆくベースとドラム。

演奏はどの曲も切ない余韻をきらめかせながら、内へ内へと沈み込んでゆくような”クール”でありますが、だからこそやっぱり、コニッツを聴いた時にかならず胸に迫ってくる引き込みのヤバさが渦巻いております。これ、本当に素晴らしいです。






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