2018年06月20日

フガジ 13Songs

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FUGAZI/13 Songs
(Dischod)


時は1994年のグランジ/オルタナティヴ・ブームの頃、18歳のアタシは埼玉県川越市におりました。

まぁその、川越といっても小江戸情緒の漂う中都会、川越駅周辺のことではなく、延々と拡がる国道沿いの畑の中にある、諏訪町のアパートがアタシの家でございまして、そこからの最寄り駅は上福岡駅でありました。

奄美の田舎から上京してきた小僧が住むには、まぁあまり息苦しくない、都会都会していない環境で良かったなぁと思っておりますが、今日お話ししたいのは、そんなことではありません。

都会に上るまでは電車なんぞ使ったことなかったので、電車での移動とか切符を買って改札を通過するとか、東武東上線から別の路線へ乗り換えるとか、そういうのは非常に緊張を強いる作業であり、友達が出来るまでの最初の頃はもう、ただ最寄り駅周辺をウロウロするだけの生活だったんです。

幸い上福岡の駅前はちょっとした街で、本屋さんもありましたし、CD屋さんも3件はありました。

そのうちの1件が、駅から一番遠くて、一番小さなお店だったんですが、オルタナやヘヴィメタルの在庫が結構充実してたんですよね。

アタシといえば、高校時代には全く知らなかった”オルタナティヴ・ロック”なる音楽を、意味も分からんまま「パンクとメタルの中間みたいなヤツだろう」と思うがままに、主に音楽雑誌で探してはCDを買うという生活をしておりました。

知らない土地で遊ぶ友達もいないので、学校終わったらフラフラと20分ぐらいかけて駅前に行き、フラフラと本屋で音楽雑誌を買い、そこでオルタナティヴと呼ばれてるバンドの情報をチェックしては、そのままCD屋でチェックしたバンドのCDをとりあえず買ってみるという生活をしてました。

その、オルタナやヘヴィメタの在庫が充実したお店で初めて買ったのがフガジです。

で、実はイアン・マッケイのバンドでありますマイナー・スレットよりも先に知ったのはフガジだったんです。

そして、アタシがマイナー・スレットという素晴らしいハードコアバンドに興味を持ったのもフガシがきっかけでした。

1988年結成のフガシは、フロントマンであるイアン・マッケイのそれまでの活動から、オルタナティヴ・ロックのシーンでは既に大御所というか「この分野の草分け」みたいに書かれておりました。

アタシはとにかく何事も”源流”が好きであります。

ニルヴァーナが流行って、当然ニルヴァーナを好きになったら、その瞬間に

「ニルヴァーナが影響を受けたバンドって何だろう」

と考える訳です。

そんな思考でしたから、その当時のグランジに影響を与えたバンド達、つまりフガジやバッドホール・サーファーズ、バッド・ブレインズというのは、音を聴く前から何か特別な存在ではありましたが、雑誌などでフガジの事はことごとく

「硬派」

「ハードコアのスピリッツ」

「インディーズの重鎮」

とか、そういう十代のアタシがワクワクするような言葉で紹介されていたから、こりゃ当然CDも買って聴かなきゃだろうと思っていたんです。


加えて、雑誌で「オススメ」と紹介されていたアルバムのジャケットのカッコ良さも、アタシの購買意欲に火を点けました。

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これですねぇ。何でそうなってるのかわからんが、とにかくライヴ中にヴォーカリスト(イアン)が逆さまになるぐらいの激しいパフォーマンスをするバンドなんですよ。こういうのって大事ですよ。

で、フガジは何枚か買いました。

残念ながら、というか不思議な事に、このジャケットのCDとは出会えず、あれこれ「うん、このジャケじゃないけどまぁいいか・・・」と思いつつ、お店の人に訊く事も出来ぬまま購入してたんです。

フガジのサウンドは、思ったよりもあの時代の「グランジ系オルタナティヴ・ロック」という感じではなく、ジャケットからイメージしていた、ズンダンドタドタの高速ハードコアでもなく、どっちかというと70年代のパンクロックに近い、粗削りなサウンドながら曲の輪郭がしっかりしているもので、アタシは「あ、これはパンクでカッコイイなぁ」と思いながら聴いてましたし、今もフガジはそういうバンドだと思って聴いております。





13 Songs

【収録曲】
1.Waiting Room
2.Bulldog Front
3.Bad Mouth
4.Burning
5.Give Me The Cure
6.Suggestion
7.Glue Man
8.Margin Walker
9.And The Same
10.Burning Too
11.Provisional
12.Lockdown
13.Promises


「これは何枚目のアルバム」とか、よく知りもせんままにボチボチ購入したアルバムの中で、最初にグッときたのは真っ赤なジャケットの『13 Songs』でした。

や、基本的にフガジのアルバムはどれも脇目を振らない一本気な音作りで、軒並みカッコイイんですが、とにかくこの1曲目『Waiting Room』です。

コリコリと硬めの音で鳴り響く落ち着いたベースのイントロから、疾走しないしっかりとしたビート、そして大好きなクラッシュのセカンド辺りに入っていそうな、ポップなコーラスが効いた握り拳系パンクなこの曲。

フガジの音楽は、サウンドはとってもソリッドでパワフルなのに、スピードや勢いに流されない。何というか、揺るぎない信念でもってそこに立っているという感じがします。そして、その信念ゆえの優しさが溢れてるんですよね。

後になって、フガジ時代のイアン・マッケイは、未成年がライヴを楽しめるようにチケット代をなるべく安く設定し、アルコールを提供しない会場で、モッシュやダイヴで暴れることを厳しく禁止する(オーディエンスの安全のために)事をライヴでは徹底していた事を知り、その音楽の芯のある優しさの背景を知ってフガジとイアン・マッケイがますます好きになりました。

それからしばらくしてマイナー・スレットを知って、今度はこっちの勢いガンガンの、飾りのないハードコア・サウンドにすっかりヤラレてしまったという訳です。

ちなみに、この『13 songs』、1993年にリリースされた彼らの初期音源集で、内容は1988年にレコードでリリースされた7曲入りEP盤『7 songs』と、翌1989年の6曲入りEP盤『Margin Walker』をプラスしてCD化されたもの。

アタシがどうしても欲しかったけど結局見付けきれずに買えなかったあの”逆立ちジャケ”のタイトルが実は『7 songs』という事はつまり、あの”逆立ちジャケ”の音源は、最初の頃に買っていたこのCDに全部入っていたということなんです。いゃっほう♪






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2018年06月18日

マイナー・スレット Complete Dicography

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MINOR THREAT/COMPLETE DISCOGRAPHY
(Dischord)


皆さんこんばんは、アメリカンハードコアについて語ると、どうしても長くなってしまいますことを反省して、ちょいちょいと小分けにすることを思い立ちましたので、本日もアメリカンハードコアについて語りたいと思います。

よく「パンクとハードコアの違いって何?」と訊かれます。

ふむ、パンクもハードコアも、音楽として括るために作られたジャンル分けでありますが、元々はイギリスやアメリカの、閉塞した社会に不満を持つ若者達の思想や物の考え方がこう呼ばれていたものなので、頭で考えても結論めいたものは未来永劫出ないだろうとは思います。

考え方としては

・世の中の既存のルールに従わないこと=パンク

・世の中の既存のルールに徹底的に従わないこと=ハードコア

という風にアタシは解釈しておりますが、ハードコアはパンクを更に先鋭化させた思想であり、かつ、元々のパンクのオリジナルな考え方にもハードコアな姿勢というものがございます。

例えば「ぶっ壊しちまえ!世の中はインチキ、オレらもお前らもインチキさ」と全てにおいてアナーキーな突っ張り方をしたのがセックス・ピストルズならば、「いや、お前たち、破壊するのはもちろん結構だしどんどんやれだが、壊す事にも美学がなきゃいかん、それとリスペクトな。これ大事だぞ」と言ったのが、ジョー・ストラマー先輩率いるザ・クラッシュであります。

どちらもパンクであり、どちらもハードコア思想に大きな影響を与えておりますね。

さて、アメリカの80年代ハードコアはどうだったかというと、彼らの音楽は既存の音楽からの影響を一切無視したかのような『高速ビート+3コードの乱暴なコードカッティング+生身の言葉をひたすら暴力的にぶつけるヴォーカル』というアナーキー極まりない無秩序なスタイルではありましたが、「既存に屈しない」「業界の力を極力借りず、自分達の力で演奏し、場所も確保し、レコードも制作する(DIY)」などの姿勢的な面では、英国のパンクロックどころかアメリカのそれまでの音楽よりも、強烈なポリシーと自分達なりの秩序というものを持っていたんじゃないかと思うのです。

で、このハードコアの”秩序”というものを考えた時、必ず出て来る大きな存在の人間が二人おります。

ヘンリー・ロリンズとイアン・マッケイです。


共にロックのお約束である『セックス、ドラッグ、アルコール』とは頑として距離を置き、その激しい音楽性とは裏腹に、クリーンなハードコア/クリーンなロックというものを提唱し、今もその求道的な姿勢をリスペクトして実践するハードコアやヘヴィロックのアーティストがいっぱいいるカリスマですが、本日ご紹介するのは、そんな求道的な姿勢を”ストレート・エッジ”という思想へと昇華させたイアン・マッケイと、彼が率いたマイナー・スレットについてお話します。

1980年から83年と、実質3年間という短い活動期間でありましたが、マイナー・スレットは80年代アメリカン・ハードコアの伝説として語り継がれております。

その発端は、ホワイトハウスなど、アメリカの政治の中枢があるワシントンD.C.で、1979年にイアン・マッケイ(ヴォーカル)とジェフ・ネルソン(ドラムス)という十代のパンクロック好きな少年が中心となって、ティーン・アイドルズというバンドを結成した事から始まります。

彼らは最初セックス・ピストルズのようなロックンロール色の強いバンドであったと云われておりますが、同じくワシントンD.C.で暴れまわっていた黒人ハードコアバンド、バッド・ブレインズから強く影響を受けて、ビートの速いハードコアサウンドをすぐに轟かせるようになります。

当時、シーンとして全国に先駆けてハードコアが最も盛んだったのは西海岸です。

ティーン・アイドルズのメンバー達は、憧れだったデッド・ケネディーズやブラック・フラッグ、サークル・ジャークスのライヴを観に、わざわざロサンゼルスやサンフランシスコまで出かけますが、この時十代だったため、ライヴハウスでは「コイツらにアルコールを提供したらダメだよ」という印として、手の甲にバツ印を書かれました。

この”手の甲のバツ印”が、後にストレート・エッジ思想を持つ人達のシンボルのようになります。

ハードコアの連中といえば、世の中への不平不満をストレートな言葉でとにかく絶叫するスタイルを取り、イアンのヴォーカル・スタイルも確かに単語絶叫系ではあるのですが、歌詞は皮肉や挑発、そしてかなり具体的な”社会システムへの不満”という分析と攻撃が一体となった知的で力強い構成で、実際に彼の思想と行動は「具体的に体制を壊す」ということに照準が定められておりました。

ティーン・アイドルズはライヴで稼いだ金(といっても、十代の彼らは大人のバンドがやってるような高い料金設定のライヴが出来なかったので、低く設定されたチケット代の利益)をコツコツと溜めて、自主製作のEP盤をリリースするという、それまでどのバンドもやってこなかった快挙を成し遂げます。

ロックバンドの連中といえば、ブルースの昔から「カネは日銭、稼いだら派手に遊んで使う」というのがミュージシャンの常識だったのですが、彼らはこの常識をもブチ壊し、やがてティーン・アイドルズは1年で解散しますが、イアンとジェフはEP盤の評判が良かった事に手ごたえを感じ、今も続くディスコード・レコードというレーベルを立ち上げ、新バンド、マイナー・スレットを結成します。





Complete Discography

【収録曲】
1.Filler
2.I Don't Wanna Hear It
3.Seeing Red
4.Straight Edge
5.Small Man, Big Mouth
6.Screaming At A Wall
7.Bottled Violence
8.Minor Threat
9.Stand Up
10.12XU
11.In My Eyes
12.Out Of Step (With The World)
13.Guilty Of Being White
14.Steppin' Stone
15.Betray
16.It Follows
17.Think Again
18.Look Back And Laugh
19.Sob Story
20.No Reason
21.Little Friend
22.Out Of Step
23.Cashing In
24.Stumped
25.Good Guys (Don't Wear White)
26.Salad Days


最初のメンバーはイアン・マッケイ(ヴォーカル)、ジェフ・ネルソン(ドラム)、ライル・プレスラー (ギター) 、ブライアン・ベイカー (ベース) です。

81年に2枚のEP盤をリリースした直後に一旦解散して翌82年に新たなメンバーとしてスティーヴ・ハンセンを加入させ、バンドは復活。元々ベーシストだったブライアン・ベイカーがギターに転向し、ツインギター編成になります。

マイナー・スレットはそのエッジの効いたヘヴィな演奏と、やはり自主製作のEPがツアー先で評判となり、全国に知られるようになりましたが、新メンバーでリリースした2枚のEPをレコーディングした後、元々ギクシャクしていた人間関係が限界に達して解散。


イアンはその後、オルタナティヴロックの元祖と言われる”フガジ”の中心となり、ブライアンはバッド・ブレインズ、スティーヴはセカンド・ウィンドと、それぞれ重要バンドのメンバーとして活躍します。

イアンの唱えた”ストレート・エッジ”は、その後も多くのバンドやアーティスト、ハードコアが好きなキッズ達に引き継がれていきますが、その思想は徐々にイアンが唱えていた頃の「ハードコアを健全に楽しもうぜ」という純粋なものから、排他的なものになってしまいました。

それに対してイアンは今でもディスコード・レコードで硬派なパンク/ハードコアのリリースを続け、若者向けにチケット代¥1000以下で楽しめるコンサートを主催し、やっぱり酒もドラッグもタバコもしない、筋を通した生き方を貫いております。

マイナー・スレットのアルバムとしては、前期4枚のEPとデモ音源をまとめたこの『13 Songs』が、彼らの音源がほぼ全部入ってる唯一のアルバムです。

攻撃的で、ガリガリにとんがった、インパクト最高スクエア上等の王道ハードコア・サウンドな曲がほとんどでありますが、後半のややポップな曲が、後のイアンのオルタナティヴ・ロックな展開を思わせたり、楽曲のバリエーションは驚くほど豊かで、この時代のハードコアバンドとして、驚くほどの柔軟性が感じられます。






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2018年06月17日

アメリカンハードコア(DVD)


アメリカン・ハードコア [DVD]


はいィ、皆さんこんばんば。

台風6号も奄美市は直撃を免れてホッと一息でありますよ。で、えぇと、今日は父の日ですね、という訳で本日は偉大なる現代ロックの父、アメリカン・ハードコアのことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

「え?ハードコアって80年代に出て来たどっちかっていうと新しい音楽じゃん?その前にイギリスのパンクがあって、60年代のロックがあって、50年代のロックンロールがあるから、ロックの父な訳ないんじゃないの?頭イカレてるの?」

というお言葉もチラホラ聞こえておりますが、気にしない。気のせいです。

何でアメリカンハードコアが今のロックのお父ちゃんかと言いますと、それにはちゃんと理由があります。

えぇと、アタシはまどろっこしい話は嫌いなんで、まずサクッと言い切ってしまいますと「業界を経由しないで生まれ出て、シーンを構成した初めてのロック」がアメリカンハードコアであるからなんです。

はい、終わり。

え、終わらない。


大事なのは社会背景です。

パンクロックが”パンクロック”として誕生したのは1970年代のイギリスです。

当時イギリスは社会保障財源の不足や植民地の相次ぐ独立などで経済が失速し、その結果若者や労働者の生活が大変な事になっておりました。

こういった状況に対するフラストレーションから生まれた思想が、70年代のアメリカン・アンダーグラウンドのガレージ・シーンから音楽的影響を受け、パンクロックという音楽が生まれました。

えぇと、本当はもっと複雑な事情ですが、分かりやすくするためにはしょってます。

「パンク」という言葉は元々アナーキーな思想や生き方を指す言葉だったのですが、この流行に目を付けた音楽業界やファッション業界が、やはりカテゴリを作って行くんですね。

80年代になってパンクロックの衝動的なエネルギーは、もっと”チャート映え”するようなポップな音楽になったり、或いは地下に潜ったりして、その鳴りを潜めていきますが、「体制への不満を爆発させる」「既存の価値観の全てを攻撃する」「このイギリスパンクのアティテュードに刺激を受けたのが、アメリカのアンダーグラウンドに居た若者達です。

ここでアメリカの状況を説明しておきましょう。

70年代から80年代にかけてのアメリカはイケイケです。

第二次世界大戦後に現れた資本主義陣営と社会主義陣営の対立、いわゆる冷戦という構造は、一方で軍事や科学産業を活性化させ、特に1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンによって”強いアメリカ”が提唱されて、国は更に豊かになる・・・。

はずであり、確かに表面的にはその政策は成功していたかのように見えたのですが、レーガン大統領の政策というのは、産業に巨額の投資をする一方で社会保障費を削減するという、とことん弱肉強食の自由主義政策であった為、貧困によって社会に希望を見出せず、ドロップアウトする人達の層も固定化されてしまいました。

その頃の音楽はどうだったかというと、これはもう一言でいえば「バブリー」です。

流行といえば派手で軽薄なディスコ・ミュージックに、ギンギラギンの衣装に身を包んだロックスターがもてはやされ、それはまるで「世の中に暗いものなどないんだ、深刻なことなんかないんだから踊ったり騒いだりしながら熱狂しよう」といった、とことん享楽的な、完全に”産業”が主導したものでありました。

「いや、世の中はそれでいいかもわからんが、俺たちはそーじゃねぇ、不満もいっぱいあるし、叫びたい衝動もある」

と、思っていたのはドロップアウトした若者達。

でも、音楽をやろうにも何をするにも、カネがないと出来ない。音楽だってお勉強して理論を身に付けないと何かダメみたいな雰囲気、あぁしゃらくせぇ、カネなんかねぇよ!理論とか知るか!イギリスのパンクの連中だってお前やかましくコード弾いてるだけじゃねぇか!だっただオレらだって勝手にやるわい!!

と、彼らはちょっと広い場所があるならどこでもと、ガレージや空き店舗、教会、友人の家、屋外、その他もろもろの”カネのかからない場所”に勝手に機材を持って行って、爆音で社会への不満をひたすら絶叫することから始めました。


そうやって誕生したのがハードコアです。


心の中で、生活の周辺で渦巻くありとあらゆる不満や憎悪を、詩的表現などかなぐり捨てて叫ぶヴォーカル、構成も余韻も全て排除し、ただスピードと破壊力に特化した演奏は、期せずしてそれまでの

「ブルースやカントリー、ロックンロールなどのルーツからの影響を全く受けない音楽」

として、それまでの人種やローカルコミュニティの背景とは全く違う階層から出て来た最初の音楽こそがハードコアだったのです。


それまでの”ノリの良い音楽”の必須条件だったダンスを拒絶したハードコアのライヴからは、オーディエンス同士が激しく揉み合う”モッシュ”や、距離のないステージに飛び込んで乱入する”ダイブ”が生み出されたことも、ハードコアが今の音楽に残した大きな影響のひとつでしょう。


80年代アメリカの一見豊かな社会がもたらした、かつてない閉塞。これを打ち破る暴力的なエネルギーそのものがハードコアだったと言えるでしょう。ライヴ会場では暴動や乱闘は当たり前、”常識”ではステージの上でスターとして扱われるはずのバンドメンバーですら、ステージに上がって来た客と殴り合いを始める。それは新しい音楽の革命というよりも、鬱屈とした社会のフラストレーションを破壊し尽くすための、ある種の社会運動としの側面を持つようになりました。


こう書くとハードコアは無秩序でどうしようもないと思う方もいらっしゃるでしょうが、ドラッグやアルコールを否定する”ストレート・エッジ”という思想や、健全でストイックな考え方を提唱したのもハードコアです。

色んな意味で”全く新しかったハードコアという音楽(現象)”は、その後各地のアンダーグラウンドにシーンを作り、そこで土着して現在に至ります。メジャーには一切ならなかった音楽でありますが、そのシーンを通過してメジャーになり、90年代以降の音楽を牽引した人も多く、その影響はヒップホップやテクノなど、ジャンルを超えて今も拡がっております。

ふう

このDVDは、そんなハードコアがどんなものだったか、当時活躍したバンド(ブラック・フラッグ、マイナー・スレット、バッド・ブレインズ、フガジ、ミスフィッツ等)メンバーのリアルな証言に加え、ライヴ映像も(全曲通してはないものの)凄まじく貴重なものばかりで、とんもない臨場感で理解できる、このテのものでは究極と言っていいドキュメントです。音楽の原点、いや単純に生きる事に迷った時、アタシは繰り返し観ております。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月16日

風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン

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風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan

(Ace/MSIレコード)



音楽を聴くという作業は、どこか家を建てる作業と似ております。


まず最初に衝撃を受けた”原点の音楽”があるとすれば、それは家の最も大切な部分を支える柱となり、そこを軸に色んな音楽を聴いて、知って、集めて行く上でまた新しいのを知って、聴いて・・・と、徐々に屋根とか内装とか、窓とかそういったものが出来て行くのです。

アタシにとっての音楽の”柱”は、パンクロックとアメリカン・フォーク・ソングであります。

スピード感があって刺激的なパンクロックと、アコースティック・ギターの伴奏で歌われる素朴なフォークソング、その聴いた印象は全くと言っていいほど違う音楽ではありましたが、何か深い所で通じるものがある。カッコイイ言い方をすれば音楽的な手法は違うかもわからんが、奥底に持っているスピリッツという意味ではこれらの音楽は一緒だと、アタマの悪い中学生ながら、アタシは感じておった訳です。

そもそものきっかけは、パンクロックのどっぷりハマッていた頃に、たまたまテレビで観たカントリー・フェスティバルの演奏でした。

バンジョーとかマンドリンとか、当時見たこともない楽器の物珍しさとか、バンドが全員生楽器でドラムもいないのに、何でこんなに迫力があってウキウキした音を出せるんだろうとか(その時ステージで演奏していたのはブルーグラス界のレジェンド、ビル・モンローでした)、とにかく言葉にならない衝撃を受けて、その夜帰って来た親父に

「あの、アメリカ人がギターとかヴァイオリンとか使ってやる・・・えぇと、あのアメリカの田舎とかでよく流れていそうな音楽ってアレ何だ!?」

と興奮して訊いたら

「そりゃお前カントリーだ、何観たんだ?え?白髪のもみあげの長いじーさんが、ちっちゃいギターみたいなのを持って、見た目とは全然違う高くて若い声で歌ってたって?んで、何か凄い大物みたいな扱いを受けてた?そりゃお前ビル・モンローだろう」


と、教えてもらい、そうだカントリーを聴こう!と思い立ち、じゃあビル・モンロー以外でどのカントリーを聴けばいいのかと更に訪ねたんですね。

そしたら親父、ちょいと考えて

「そりゃお前ボブ・ディランだな」

と。

その時親父が考えておったのは多分

「え〜、カントリーかよ〜、勘弁してくれよ国内盤少ないんだよ〜」

というのと

「ボブ・ディランを知る事でカントリーももっと深く知る事が出来るしブルースも聴くようになるぞしめしめ」

という事だったと思いますが、結果として親父のこの策は大当たりでした。

(詳しくは過去にコラムで書いたコチラを読んでくださればと思います↓)




最初は、何だか鼻つまんだような声で歌う変わったオッサンぐらいに思ってたボブ・ディランでしたが、その時リアルタイムでリリースされた弾き語りアルバム『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や、雑誌で読んだ記事の「ボブ・ディランはフォークシンガーのウディ・ガスリーに影響を受けた。彼のギターには”This Guitar Kills Fascists”と書いてあった」とかいう文章を読んで、この人の表現姿勢や音楽からの影響の受け方にパンクを感て衝撃を受けたと同時に、ボブ・ディランの楽曲経由でブルースやカントリー、ゴスペルなど、広大なアメリカン・ルーツ・ミュージックの世界にアタシは漕ぎ出す事ができました。

ボブ・ディランの曲って不思議なんですよね。

10代20代の頃、昔(60年代〜70年代)のアルバムを聴いて、その時「ほぉ〜いいねぇ」と思ったら、誰か他の人のカヴァーを聴いて「は!?すげぇいい曲!!」となって、感心してオリジナルを聴くと相乗効果で更に「凄いいい曲だったんだ・・・」と感じる。最初に極め付けだったのがジミ・ヘンドリックスがカヴァーした『見張り塔からずっと』で、それからガンズ・アンド・ローゼスの『天国の扉』バーズの『ミスター・タンブリン・マン』と王道を辿って、それがまたどれもカッコ良かったもんだから、ますますボブ・ディランにハマり、今度は「ボブ・ディランってソウルとかR&Bの人達によくカヴァーされているよね』という話。

サム・クックが『風に吹かれて』を聴いて「この曲は僕達黒人の気持ちを歌ってる、よし、ではこの曲のアンサーソングを作ろう!」と、彼を代表する名曲『ザ・チェンジ・ゴナ・カム』を作り上げたという話と、同じく『風に吹かれて』をカヴァーして大ヒットさせたスティーヴィー・ワンダーが、10代の頃からボブ・ディランの大ファンで、楽曲をカヴァーしまくっていたという事実を知り、アタシの興味はボブ・ディランという一人のアーティストよりも、何故彼の歌うフォークソングが、同時代のコミュニティの違う黒人ミュージシャン達を虜にしたのか?という壮大なテーマに向かっておりました。







風に吹かれて~ブラック・アメリカが歌うボブ・ディラン



【収録曲(アーティスト)】

1.風に吹かれて(O.V. ライト)
2.北国の少女 (ハワード・テイト)
3.あわれな移民 (マリオン・ウィリアムズ)
4.マギーズ・ファーム (ソロモン・バーク)
5.くよくよするなよ (ブルック・ベントン)
6.ビュイック6型の想い出 (ゲイリー US ボンズ)
7.ザ・マン・イン・ミー (ザ・パースエーションズ)
8.ライク・ア・ローリング・ストーン (メジャー・ハリス)
9.神が味方 (ザ・ネヴィル・ブラザーズ)
10.ミスター・タンブリン・マン (コン・ファンク・シャン)
11.戦争の親玉 (ザ・ステイプル・シンガーズ)
12.アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(ビル・ブランドン)
13.我が道を行く (パティ・ラベル)
14.天国への扉 (ブッカー T ジョーンズ)
15.見張塔からずっと (ボビー・ウォーマック)
16.女の如く (ニーナ・シモン)
17.アイ・シャル・ビー・リリースト (フレディ・スコット)
18.レイ・レディ・レイ (アイズレー・ブラザーズ)
19.今宵はきみと (エスター・フィリップス)
20.エモーショナリィ・ユアーズ (オージェイズ)


言うまでもなくボブ・ディランの音楽には、アメリカン・ミュージックの根っこにある深い部分、つまりカントリーやブルースはもちろん、それより前の時代のヒルビリー(カントリーのご先祖)から、黒人も白人も歌っていたトラッド・ソングやスピリチュアル(ゴスペルのルーツ)などのルーツが最大の滋養となっております。

ディランがこれらの音楽、そして当時それらの楽曲を歌っていた人々への深いリスペクトを作品に反映させていただけではなく”その頃”の感覚、つまり大恐慌時代の貧しい環境に置かれた労働者達や、奴隷時代に報われない強いられていた人々の感情などを、リアルタイムで様々な形で湧き上がっていた社会問題と重ね合わせて「何故?どうして?」というメッセージを常に激しく発していた事は、60年代アメリカの黒人公民権運動そのものに強い刺激を与え、意識を共有する多くのソウルやR&B、ジャズなどのミュージシャン達のインスピレーションの源にもなりました。

だからディランの曲は、ソウルやR&Bのカヴァーが多く存在するんですね。そして、どんな人がどんなアレンジで歌っても演奏しても、あたかもそれが遠い昔から存在するブルースのソウル・アレンジとかに思えてしまうほど、ブラック・ミュージックとしての確かな骨格を持っているんです。

アタシの中では、少年時代にイコールで繋がった『ボブ・ディランとブラック・ミュージック』ですが、それにどういった深い意味があり、カヴァーしている人達がどんな感情を重ね合わせてその曲を採り上げているのかはまだまだおぼろげでありますので、優れたソウル・シンガー達が残した極上のボブ・ディラン・カヴァー曲を、少しでも多く聴きまくって、心の栄養にしたいと思います。

『ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン』と名付けられたこのアルバムは、編集盤やリイシューを作らせたら本当に素晴らしいものを作る英ACEレーベルの愛がひしひしと感じさせる、極上のボブ・ディラン・カヴァー・アルバムです。

それぞれの曲とアーティストについては思い入れがありすぎて、解説すると文字数がとんでもないことになりそうなので、これはぜひ皆さんで「この曲いい!」という曲をぜひ見付けて堪能してください。そして「ボブ・ディランを歌うこと」で、ソウル/R&Bの人達がどのようなメッセージを世の中に放っていたか(いずれも深く、そして優しくてファンキーな名カヴァーです)を感じてください。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月14日

ギロッポン あ

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ギロッポン/あ
(呑福盤印)


え、いや、マジで!?(泣)

という具合に、先日ご紹介したサウスブロウ10年ぶりの復活アルバム『STAIN』の記事への反響がとても大きくて暖かくて、アタシはこの数日涙もろくなっております。

今日もちょっと前半に思い出話をしますんで、すいませんが悪しからずお付き合いくださいね。

まずアタシは、今このパソコンをカタカタやってる場所の近くで、親父とサウンズパルというお店をやっておりました。

2006年頃からの急激な売り上げの落ち込みと、道路拡張による立ち退きが決定的となって一旦閉じてしまったんですが、幸いな事に島の本当に音楽が好きなお客さんに支えられて、お店が無くなってもCDやレコードの注文を頂きますし、ブログもこうやって書き続けることが出来ております。

若いお客さんには「いやぁ、色々教えてもらったよ」と言われたりするんですが、よくよく思い返してみれば、アタシはどっちかというと人にものを教えるのは苦手で「あ、この人とは音楽の話が出来そうだな」という人を見付けては声をかけ「これ、いいよ。一緒に聴こう♪」と、ただ遊んでいただけのような気がします。いや、多分きっとそうです。

そんなアタシと遊んでくれたみんなというのは、1999年から2011年までの中学生高校生、そして20代の若い人達だったんですけど、まぁ素晴らしかった。

何が素晴らしかったかというと、特にバンドとか音楽やってる人達は、アタシが「いいよ!」というのはもちろん聴いてくれて「いいね!」と言ってくれたりくれなかったり、それぞれグッとくる反応を貰ってたんですが、アタシが「いいよ!」という前に、この人達の中でしっかりと「自分はこれが好き!」というのが、確固としてある人達ばかりだったんです。

皆さんご存知のように奄美は田舎です。

でも、その田舎な街で、J-POPが好きな人もいれば海外のロックが好きな人もいる、レゲエ、ヒップホップ、テクノ、プログレ、ブルース、ジャズ・・・。音楽好きそれぞれが、全員「みんなが好きなもの」の方向を向く訳でなく、良い意味で好き勝手自分好みの音楽を探して、それととことん向き合っている、お店では毎日そんな素敵な光景を目にすることが出来ました。

そんな素敵な感性を持っている若い人達は、やっぱり人間としても非常に魅力的で、その言葉や所作、ファッションのちょっとした所に至るまで、確実に「自分なり」のポリシーが滲み出て、そういうところも「おぉ、カッコイイな」と思って見ておりました。

カッコイイ人は、やっぱり高校を卒業して都会に行ってもカッコ良くて、更にそのカッコ良さを磨いてるんです。

で”あの時”の高校生で最高にインパクトがあった人として、現ギロッポンのチンギス君がおります。

第一印象を一言で言えば

「もう本当に顔が怖かった」

と、言うことに尽きるでしょう。

や、イカツい若者は、それまでもいっぱいいたし、その頃もいっぱいいたんですよ。

でも、この人の顔は他の人とは何かが違う、奥行きのあるイカツさだった。

実際喋ってみると、好きな音楽も、言葉のひとつひとつもピシャッと筋が通っていて(高校生です)、年上にはとても礼儀正しく、後輩や女子供お年寄り、小動物には常に優しい笑みとソフトな対応を忘れずに、とっても優しかった。それが余計に”ホンモノ”っぽくて(高校生です)、この人がお店に現れるようになってから、アタシの日常には最高に心地良い緊張感が漂うようになりました。

音楽の話、もちろんたくさんしました。特に印象深いのは、当時若い人に人気だったいくつかのバンドのことについて語った時、「音」「歌詞」ということにしっかりとした軸を置いて、鋭く分析した的確な評をしていたことです。

アタシがちょいとピンとこないバンドでも、この人の言葉を思い出しながら聴くと結構納得してツボにハマれる事がよくあって、そこでアタシの音楽の幅も拡げてもらったこと、今でも感謝しかありません。

バンド活動もこの頃からやっていて、それは今ギロッポンでやっていることと、基本姿勢はほとんどというか全く変わっておりません。

ヘヴィな音を突き詰め、その突き詰めたサウンドをどう響かせるのか、突き詰めた先にどのような言葉を放てばいいのか、イカツい顔をますますイカツくしながらピュアに語る表情は、ミュージシャンというよりも修行僧、もっとわかりやすく言えば鎌倉時代とかの荒法師のそのストイックさをヒリヒリと感じさせる、実に哲学的な表情でありました(高校生です)。







【収録曲】
1.明けの鴎
2.或いは、赤く
3.歩けども-take2-
4.虚-take2-


チンギス君は、そんな鎌倉時代の荒法師フィロソフィーなオーラを纏いながら上京し、共に島から上ったドラマーのトム君と”ギロッポン”を結成。

えぇと、確かあれは2006年だったから、今年は結成12年目ですね。

メンバーチェンジを経て、現在は

チンギス(Vo,g)
マエカワラクニオ(b)
シゲちゃん!!!(ds)

の3ピースで、八王子を拠点に暴れております。

ちょくちょく「今、こんな感じでやってます!」と、デモ音源を送ってくれたり、帰省した時はその度に耳や顔に穴が増えてたり辮髪とかモヒカンになってたり、第一印象の「もう本当に顔が怖かった」を「もう本当に顔が怖い」の見事な現在進行形に進化した雄姿を見せてくれたんですが、アタシは分かりました。会う毎にサウンドをゴンゴンヘヴィなものにして、その歌詞をギリギリまで尖らせて優しく光らせてきたであろうことが。

去年音源を聴かせてもらって、そのヘヴィ極まりない音と、嘘みたいな調和で満たされた美しい言葉が凄まじい圧力で炸裂しているその曲に、もうアタシの胸はドキドキが止まらなかったんですが、その時「あぁ、ギロッポンは10年だよ。10年ずっとずっとひとつのアツいものと壊れそうなものを磨いて叩いて燃やして練って、ここまで音楽美しくしたんだな」と、これは何て言えばいいんでしょう、もちろん個人的にすごく知っている人の、これまでも昔の音源から最近のライヴ映像とかでずっと聴いてきて、その音楽のコアな部分はまったく変わってない、安直な「ハードコア」とか「ヘヴィネス」という言葉では決して語れない硬派なバンドということは十分に知っていたはずなんですが、ここへきていきなりギロッポンが「今まで知らなかったけど聴いたらヤバイぐらいに衝撃を受けた未知のバンド」みたいに感じられて、それはもう言葉では言えない高まりが、ヴォーカルの絶叫や耳をつんざくギターの轟音や、腹にクるベースの爆音や、重厚なドラムのリズムと共鳴して激しく踊り出して、で、今、彼らの初の全国流通となった4曲入りミニアルバム『あ』を聴きながら、そんな高まりを確信へと昇華させています。


今日もちょっと奄美のこととか、一人の友人としてのチンギス君のアツい話とか、クドクドしましたが、アタシが究極的に素晴らしいと思ったのは、音楽というのは徹底的に”個”に帰属するもので、アタシが知っているはずの”チンギス”という人と”ギロッポン”というバンドが、その音楽を10年かけて未知の領域まで来た事で、アタシは完全に個としてギロッポンの音楽に興奮したり感動したりすることが出来てそれが嬉しいです。


この『あ』の音源でPVが公開されている『歩けどもtake2』という曲があります(youtubeでも試聴できますのでぜひ聴いてください)。

行き場のない気持ちを抱えながら途方に暮れる訳ではなく”行き場がないことそのもののエネルギー”みたいなものが、思考しながら生きている人間には常にあって、そういった重たいといえばすごく重たいテーマを、小細工とか理屈とか一切こねくり回さずに、もがいたりのたうち回ったりしながら”音”として吐き出してるギロッポンはカッコイイんです。ギロッポンはカッコイイバンドなんです。


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月12日

サウスブロウ STAIN

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SOUTH BLOW/STAIN
(BLACK JACK RECODS)


生きていると嬉しいことがありまして、あの、今日はもう何かいきなり個人的なこと全開で、多分最後まで個人的バリバリで行くと思いますんで、そこだけご了承くださいね。

えぇ、生きてると嬉しいことがあるんですよ。

サウンズパルは名瀬市(現奄美市)の街の真ん中、末広町という所でやっていたお店です。

1988年に、アタシの親父が勤め人を辞めて一念発起して始めた小さなCDショップだったんです。

時代はレコードからCDに移り変わる時で、これが良かったんですね、元々の親父のキャラもあって人気のお店になって、で、99年にアタシが東京から帰って来て一緒にやっておりまして、そこでまぁ色んな人達と心を通わせながら音楽というものの素晴らしさを発信出来るお店になれたらなぁ、なんて思いながらお店に来る、主に中学生や高校生の子達と「あれが面白い」「コレがカッコイイ!」という話に毎日花を咲かせながら、90年代から2000年代までを楽しくやっていました。

それがおかしくなったのは、2006年頃ぐらいからでしたね。大体学年に5人ぐらいは「みんながまだ注目してないアーティストを先に聴いてやるぞ!」と意欲に燃える子が居て、その子の影響で1週間後ぐらいからその子が買っていったCDの問い合わせがたくさん来るというのがあったんですが、ある年代から若い子達が急に「島の外の事に興味ない」感じになってきまして、徐々にロックバンドやる人は少数派、洋楽とか昔の音楽とか聴く人はもっと少数派みたいになってきて、そこから文化に関してはなかなか素晴らしいものがあるなぁと誇りに思っていた奄美がどんどん精神的な田舎になって行って、CDも売れなくなってお店も閉じて今に至ります。

私は今でも正直状況に落ち込んでいる訳ですが、そんな状況下でも「音楽って素晴らしいんだよ」と発信して行くためにこのブログをやっているようなもんであります。

嬉しいのは、やっぱりサウンズパルを好きでいてくれる音楽好きの人達が今も居てくれて、アタシ個人にCDやレコードを注文してくれたり「ブログ読んでるよ、アレの記事面白かった」と、ばったり会った時に声をかけてくれる事があることです。

それで、もっと嬉しい事といえば、昔アタシが点頭に立っていた時に正に高校生とか中学生とかで、お店でたくさん色んな音楽に出会ってバンドを組んで、そして卒業して島を離れてからも好きな音楽をずっと愛しつづけていたり、バンドや表現活動を続けてるよという話を聞く事です。

ちょうどアタシが島に帰って来た時高校生だったのが、碩真也(せきしん)君と長村創(はじめ)君。

せきしん君はとっても明るくて素直な人で、聴いてる音楽もその性格にピッタリ合った元気が出るようなロックや、ポップスでもなかなかセンスのいいバラードを歌うシンガーのCDなんかをサッと見付けて「これいいっすよね」と好んでおり、はじめ君に至ってはその頃から同世代では「ズバ抜けてギターが上手いヤツ」と評判で、その上聴いている音楽の幅広さといったらもうアタシが「ほぉぉ、凄い」と思うほど幅広く、かつ一貫したセンスを感じさせてくれました。

卒業する前には「で、卒業したらどうすんの?バンドやるの?」みたいな話はもうこの時毎年恒例みたいになってて、アタシはバンドやってる人にはほぼ全員に訊いてました。

その時迷いなく「やるっす!」と即答してた人達は、東京や大阪に上ってすぐに活動を始めて、インディーズの雑誌なんかにすぐ載って、有名ライヴハウスなんかであっという間にワンマンとか張れたり、全国区で人気のバンドのオープニングとか務めたり、そういうのを見てアタシはそりゃあもう自分の事のように嬉しかったですね。

それから時が経ち、バンドやってた若い人達も30を超える年齢になり、それぞれ仕事をしたり家庭を持ったりで音楽から離れていった人もおります。そして、好きな音楽をひたすら頑張って続けてる人ももちろんおります。

そういった人達の「頑張ってるよ!」の便りが来ると、アタシも「うぉぉ!俺も頑張るからね!!」と、なれるんです。

せきしん君とはじめ君は、もちろん「やるっす!」の即答組で、大阪ですぐメンバーを見付け、サウスブロウというバンドを結成しました。

卒業から2年ぐらいで自主製作盤をひっさげて関西各地のライヴハウスで精力的な活動を展開し「ライヴがめっちゃいいバンド」みたいな感じで紹介されるようになったらすぐにインディーズデビュー、ラジオ各でのタイアップ決定。奄美サウンズパル限定で出した¥500シングルも全国から問い合わせが殺到して、おぉぉ凄い凄い言ってるうちにビクター(SpeedStar)からメジャー・デビュー。

彼らの音楽は常に純粋で真っ直ぐで、気持ちがいいほどストレートなロックでした。


インディーズからメジャーになっても、音楽性が全く変わらない、ただガンガンに疾走するコードカッティングに、吐くべき言葉を何の装飾もなくポジティヴに発声するヴォーカルは、その当時の日本のロックには”ありそうでない”という奇跡のバランスでキリッと爽やかに屹立していた訳です。

丁度この時期が、先程言った2005年から2006年。

音楽人口(って言い方はどうも不自然であんまり使いたくはないですが)が一気に下降線を下るその時期に、彼らのメジャーでの奮闘は、アタシが思ってるよりきっと大変なことだったと思います。

2007年にセカンド・フルアルバムをリリースして、活動はスローペースで”それぞれ”になって行きました。

せきしん君はアコースティック・ユニット”あおみどり”で、そしてはじめ君は音楽と演劇が融合した不思議なバンド”モーレン(mollen)”での活動を始め、それまでサウスブロウで熱く発散していたエネルギーを、共に内側でじっと温めながら熟成させていくような、それはそんな音楽活動に思えました。


その間、アタシは彼らのブログも読んでいて、上手く言葉には出来ない、どうにも”ひしひしとした気持ち”で音楽を懸命に模索している様子を、切実に感じ取っておりました。






STAIN

【収録曲】
1.月の向こう
2.その自画像
3.願い
4.都会
5.おやすみ
6.長い夜
7.最後の言葉
8.人間交差点
9.LIFE
10.THE SUN



そんな彼らからの嬉しい便りが、およそ10年ぶりのサウスブロウ完全復活(!)

いやもう嬉しかったですよ、そして復活したサウスブロウの音を聴いてもっと嬉しかった。


まずサウンド面から言えば、そのストレートでまっっっったく装飾やあざとさのないストレートなロックサウンドがまっっっったく変わってなかったんです。

あおみどりとモーレンで、音楽的には全く違う事をやっていて、そこで培った”幅”は相当なものだったと思いますが、この人達は得たものを表面にベタベタコーティングするような、そんなチャラいことはしません。「関係ないよ、サウスブロウの音楽やろ」とでも言わんばかりのふっ切れたサウンド。

でも、はじめ君のギターの音は、クリーントーンでもディストーションかましたトーンでも、何というか奥行きが出ていて、それは単に技術的な事ではきっとなくて、もっと根本的な情感の部分での凄い成長なんだろうなと(むしろレコーディング機材は以前よりシンプルになっているはず)、深く感じ入りました。

そしてせきしん君のヴォーカルも、これもう爽快さと声の整った太さは全く変わってなくて、思わず嬉しくて笑ってしまったんですが、歌詞に乗っているそのメッセージ性が凄く心に響く力を増していて、アタシは引き込まれました。

本当に、音楽やめようと思ったことも、アタシにも何度もあったし、報われないこと全部を誰かのせいにしたい事もあったし、一人の部屋で悶々と悩んだ事もこの10年ありました。でも、そういったネガティヴも全部一旦引き受けて力強い言葉にして、吐くべき声で吐いている真っ直ぐで表裏の全くない歌いっぷりにアタシは勇気付けられましたし、このバンドのこの歌を聴いて歌詞を心に入れたらきっとちょいとばかりは救われる人は多いんじゃないかと正直思います。

あと、ずっとサポートメンバーとしてリズムを支え、遂に正式メンバーになったヨコタダイスケさんの、このアルバムでのベースの存在感素晴らしいですね。やっぱりロックバンドには、こういう太い音でブイブイ言うベースですよ。

さて、余りにも個人的な感情を絡めて色々と褒めちぎってきましたが、アタシは最初からサウスブロウは奄美出身だからとか、お店の常連だったからとか、実際イイ奴だからとか、そういう気持ちで褒めているのではありません。彼らの正直過ぎてハラハラするぐらい正直なロック、これは日本のロックシーンには絶対必要・・・違う!ロックシーンなんかいらん!俺個人的にぶっちゃけ救われたから!以上!!


・・・あ、乱暴に終わるのはちょっとアレですので彼らのホームページへのリンク貼っておきます。

アタシが感動した復活作の『月の向こう』のPVも試聴できますんでぜひ観て聴いてくださいね。良いよ。






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2018年06月10日

ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー

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ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー
(Riverside/オールディーズ・レコード)


さて皆さん、夏でございます。

夏といえば「暑苦しくて夏には聴けないジョン・リー・フッカー」でございますよ。えぇ、今年も空気なんか読まずにこのクソ暑い時期にオススメのジョン・リー・フッカーをご紹介しましょうね♪


ジョン・リーといえば何と言っても、低音のヘヴィな唸りを効かせるそのデヴィルズ・ヴォイスと、情念が重苦しくとぐろを巻くドロッドロのスロー・ブルースに、コードチェンジの極端に少ないまるで呪術のような繰り返し繰り返しのビートに腰砕けになってしまうブギであります。

ミシシッピに生まれデトロイトに移り住み、この地を拠点に1940年代の後半から亡くなる2001年まで、基本的なスタイルを一切変えることなくブルースを唸り続けてきました。

その声とギターと、ワン・アンド・オンリーの特異なビート感でもってたった一人で”ジョン・リー・フッカー・スタイル”とも言うべき孤高のスタイルを築き上げたジョン・リーでありますが、弾き語りからバンド・サウンド、様々なアレンジの演奏の中で己の表現を進化させ、深めていったことはもちろん、彼を敬愛する多くのロックミュージシャン達とのコラボで、ブルースとはまた違った音楽への挑戦も、相手に妥協することなく自己のスタイルをありのままぶつけて続けていたという、そのストイックな姿勢からも”ホンモノ”というものを感じさせてくれる人なのです。


なのでジョン・リーのアルバムは、アレンジがピッタリ合ったものでも、かなり冒険してて「おぉう!?」と思うようなものでも気合いが抜けた演奏をしているものは一枚もありません。たとえばヘヴィな余韻が持ち味のジョン・リーの音楽性とはまるで違った明るいアレンジが施されたものでも、ジョン・リーの歌とギターは常に演奏の真ん中にドカッと存在し、逆にアレンジが彼本来の持ち味とかけ離れたものであればあるほど異彩を放つ、その異物としてのカッコ良さに聴く人を引きずり込んでしまう。いやぁこんな人って後にも先にもジョン・リーしかおりませ
ん。

実際にジョン・リーは、その長いキャリアの中で、プロデュース側から要請された、世の流行に合ったアレンジを嫌がらずにこなすことで、人気と実績を築いていった人です。

こう書くと何でも器用に出来る天才肌のミュージシャンかなと思われるかも知れませんが全く逆で、特にバックでバンドなんかが付いたアレンジでは、本人全く合わせないんです。というよりもほとんど合わせる気がない。

ところがこれが”何だかんだジョン・リーのブルースになっている”ということで、熱心なファンを引き付けてきた人です。かく言うアタシも最初にエレキギター弾き語りのドロドロなジョン・リーのカッコ良さにシビれ、その後50年代の何だかソウルなアレンジのVeeJay盤でちょいとずっこけるも、その明るくムーディーなバックの中で孤軍奮闘するジョン・リーのカッコ良さになおさらシビレて大ファンになったという経緯がございます。

今日ご紹介するのは、1950年代後半、ジョン・リーがアコースティック・ギターで超絶ディープな弾き語りを収録したアルバムです。



ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー

【収録曲】
1.BLACK SNAKE
2.HOW LONG BLUES
3.WOBBLIN' BABY
4.SHE'S LONG, SHE'S TALL, SHE WEEPS LIKE A WILLOW TREE
5.PEA VINE SPECIAL
6.TUPELO BLUES
7.I'M PRISON BOUND
8.I ROWED A LITTLE BOAT
9.WATER BOY
10.CHURCH BELL TONE
11.BUNDLE UP AND GO
12.GOOD MORNIN', LIL' SCHOOL GIRL
13.BEHIND THE PLOW
14.I NEED SOME MONEY
15.NO MORE DOGGIN

まずは何よりジャケットが素晴らしいですよね。

草に埋もれた車が物語る「南部」の風景、ジョン・リーはデトロイトで活躍しておりましたが、生まれは南部ミシシッピで、正にそのブルースは南部直送と言って良いほど濃厚なフィーリングに溢れるものであります。

このアルバム、レコード時代には日本盤もあり、ジョン・リー好きの間ではすっかりおなじみの定番だったみたいなんですが、どういう訳かCDではなかなか再発されず、アタシも東京時代にはあちこちで中古を探すも見付らず、再発をかれこれ20年は待っていた幻の一枚だったんです。それがこの度(注:2016年)国内屈指の再発レーベルとなりつつある”オールディーズ・レコード”から紙ジャケで復刻、しかも税抜きで¥1500というメチャクチャ良心的な価格なわけで、こりゃあ買わなきゃいかんでしょうとソッコー買いました。


録音は1959年、この時期といえば黒人の間ではブルースよりももっと踊れるリズム・アンド・ブルースの人気が最高潮に達し、ロックンロールの衰退と引き換えに白人の若者の間でフォークが流行りだした時期で、ジョン・リーはVeeJayというレーベルと契約して、R&Bなバックバンドを付けたかなーりポップでファンキーな(でもジョン・リー自身はドロッドロです)アルバムをリリースし、クラブではギトギトのバンドブルースで唸りまくる一方で、白人の若者が集まるコーヒーハウスでは、アコースティック・ギターを一本持って、南部スタイルの伝統的なブルースを、フットワークも軽くこなしておりました。

このアルバムは、そんな時期にジャズの名門レーベル”リヴァーサイド”に招かれたジョン・リーが、白人市場向けにリリースされるLP盤用にレコーディングした音源なんですね。

おいおい、アンタVeeJayと契約してて他のレコード会社でもレコーディングするとか大丈夫なのか?とお思いの方もいらっしゃるでしょうし、アタシも思ってますが、ジョン・リーといえば”レコーディング・テロリスト”とも言っていいぐらい、初期は掛け持ち掛け持ちでいろんな所にレコーディングしています。

流石に堂々と本名でやっちゃあマズいだろうということで、器用に芸名を変えておりますが、その偽名というのが”ジョン・リー・ブッカー”とかもうソッコーばれそうな名前でやっちゃってたりするんで面白いです。つってもどんなに名前変えようがジョン・リーの歌やギターは独特過ぎるので多分ソッコーでバレてたんでしょう。まぁそれでも大した騒ぎにならなかったから大丈夫です、大丈夫なんです。ジョン・リーはそういう人です。

さて皆さん、ここまで書いて既にお気付きかと思いますが、このアルバムもまた、レコード会社側からジョン・リーに「ちょっとこういう感じにやってくれ」という要請がなされて行われたレコーディングです。

ジョン・リーといえばデビュー時からエレキをギャンギャンに掻き鳴らし、その圧倒的なサウンドの迫力で名を轟かせてきた人ですから、自らその持ち味を捨ててまでわざわざアコースティック・ギターで渋い弾き語りをするはずがない。そうか、白人向けにちょっと肩の力を抜いて聴き易いフォーキーなブルースでもやってるのかと思って聴いたら・・・。

何これ!アコギから繰り出されるフレーズは無駄がない分やたら生々しいし、スローだろうがブギだろうが、どんな曲調だろうがそのデヴィルズ・ヴォイスはいつも以上にヘヴィに鳴り響き、艶っぽくすらある。

『ハウ・ロング・ブルース』とか『Pヴァイン・スペシャル』とか、いかにも戦前ブルースファンが喜びそうなスタンダード曲もやっておりますが、アレンジは完全にジョン・リー印で、何というかこのアルバムには「アコースティックだから」とか「白人の若いヤツら向けだから」とかいう遠慮や気遣いといったものが一切ない、正に”生のエグさがスピーカーを破って、耳にドロドロ侵食してくるブルース”です。










”ジョン・リー・フッカー”関連記事


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”





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2018年06月08日

キッド・トーマス Here's My Story

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Kid Thomas / Here's My Story
(Wolf)


世に一発屋と呼ばれる人がおりますね。

全く無名ながら大ヒットロングセラーをひとつ出して、その曲のブームが去るとサッと世の中に忘れ去られる歌手や、お笑いの芸人さんとかです。

しかし、世の中には一発も当てることなく、何となく「ちょっと目立つか目立たないかぐらいの微妙なところ」に居たと思ったら、いつの間にかそこから消えてしまっている人もいます。

や、音楽やお笑いといった、特種な才能を武器とする世界では、むしろ一発でも当たればそれは成功で、むしろこの世界にはそういった”一発も当てられなかった屋”の方が遥かに多いんじゃないかと思うんですが、全国の歌手やお笑い芸人のみなさん、どんなもんでございましょう。


たとえば1960年代以前のブラック・ミュージックには、そういう”一発も当てなかった人”という人が多くて、もう名前を見てるだけでもワクワクしてきます。

考えてみればアレなんですよ、この時代のブルースやR&Bなどは”レース(人種)レコード”と呼ばれ、音楽業界全般ではポピュラーより格下に扱われ、アーティストはアルバムなんてもんは作ってもらえない、ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる方式で、ちっちゃいちゃいちいレコード会社から、とにかく色んな人の色んなミュージシャンのシングル盤が山のように”一回のレコーディングいくら”の契約で出されておりました。

そんな中でたまたま運良くヒットを連発し、50年代を生き残った人は60年代になってからシングル曲をまとまったLP盤などにすることが出来ておりますが、まぁシングルだけ出してその後シーンから消えて行ったり、レコーディングから遠ざかって行ってしまい、埋もれてしまった人達の何と多いことか。

しかし、ブルースやR&Bを聴く楽しみというのは、実にこういった”一発も当てなかった人達”を聴く楽しみなんですね。

これは別にマニアックな指向とかでも何でもなくて、ブルースという音楽には、どうも”それオンリーの芸の強み”というにがあるんです。

「この人はこのパターンしかないけど最高」

というアレで、ヒットを連発してビッグネームになった人とか、ロック世代の人達に後年支持されてレジェンドになった人とかいっぱいいる音楽です。

ジミー・リードやジョン・リー・フッカーなんか正にそうですよね。

でも、かつてシングル盤のみをリリースして、そんまま消えていった人達や、オムニバス盤にしか収録されていないような、ほとんど”詠み人知らず”に近いような存在の人達にも、”これしかないけどこの一瞬の輝きは強烈”というのが凄くブルースにはあって、いや、むしろこの人達とビッグネームやレジェンド達を隔てているものは、たまたま偶然の”運”ぐらいのものだったんじゃないかなと、その味わいとインパクトに満ち溢れた無名ミュージシャン達の音源を聴いて思います。


ブルースの有名どころを一通り知った後、アタシはオムニバス盤をとりあえずえいっ!と買ってみて、名も知らぬブルースマン達の渾身の”一発”にうち震えるということをやっておりましたが、その中でも「うはぁ、コイツはすげぇ!」と思ったのが、シンガー&ハーモニカ奏者のキッド・トーマスであります。


ジャケットにも写っておりますが、まぁ何と言ってもこのルックスですよルックス(!)

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ガッチガチにアイロンで固めた(であろう)鬼のリーゼントに、絶対にカタギじゃないやけに据わったオットロシイ目付き。

いやぁ「ブルースって渋い大人の音楽ですよね」とか言っている良い子のみんなは絶対にこんなヤツの音源なんか聴いちゃダメだよとアタシでも正直思ってしまうんです。






Here's My Story

【収録曲】
1.Beaulah Come Back
2.The Wolf Pack
3.The Spell
4.Come Here Woman
5.Jivin Mess
6.She's Fine
7.The Spell
8.The Wolf Pack
9.The Wolf Pack
10.The Wolf Pack
11.Beaulah Come Back
12.Beaulah Come Back
13.Come In This House
14.Beaulah Come Back
15.Here's My Story



そう、この見た目のアホみたいなインパクトに全く負けることなく、この人のブルースはとにかくアクの塊&強烈無比なんです。


きったない音でガチャガチャ鳴り響くバンド・サウンドをバックにしたロッキンブルースで、声帯をどっかに千切って捨てるようなシャウト、シャウト、とにかくシャウト。その声ときたらロックンロールヒーローだったリトル・リチャードにも負けないパワーで、いや、リトル・リチャードのシャウトよりも自分を全然大事にしてないヤケクソのボロボロ感がたまんないんです。

そして、そんな声のインパクトに負けないぐらいに力強いハープ。

同年代で、共にシカゴでツルんでたこともあったというリトル・ウォルターみたいに技巧があって、情感溢れるハープではありませんが、そんなのしゃらくせぇとばかりに下品な音でバフバフ吹きまくるハープはやっぱり他の人にはないキョーレツに野卑た魅力があるんですよ。

そんな感じで音楽的な説明をすると、あっという間に多分3行とかで終わってしまう人です。

どの曲も同じノリ、ほぼ同じテンションで、小技とかそういう事は全く出来ない、しようとしないキッド・トーマス。

だけれども、これこそがブルースのカッコ良さなんです。

ブルースマンってのは大体が不器用な人達だし、ブルースマンが不器用だからこそ、彼らが歌う人生のいろいろが説得力を持ってこちらのソウルにも直接訴えてくる。


キッド・トーマスのガラガラ声のぶん投げるようなシャウトと乱暴なトーンのハーモニカ聴いてると、もうヤケクソなんだけど、このあんちゃんはコレしか出来ないんだけど、だからこそ聴く人の心に何か強烈なもんを投げつけてくれる。何だか泣けてくる。

50年代までシカゴで暴れて、60年代には何を思ったか西海岸に引っ越し、そこでヒットは出ずともしぶとくブルースやってたキッド。しかし運命というものは残酷で、彼が世間の注目を一瞬浴びたのは1970年、殺人事件の被害者としてでした。

このアルバムは、主に彼が50年代にフェデラル・レコードで録音したシングル盤やその別テイクを集めて、死後大分経ってから発売された数少ないアルバムのうちの1枚です。とにかく見た目のインパクトに騙されたと思って聴いてもおつりは十分きますぜ旦那。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月05日

ブラインド・ブレイク Bahamian Songs

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Blind blake/Bahamian Songs


戦前ブルースが好きで、数少ない音盤を熱心に集めたことがある人なら、一度は『ブラインド・ブレイク問題』にブチ当たった事があるのではないかと思います。

ブラインド・ブレイクといえば、戦前アメリカで大活躍したブルースマン。





この人が戦前アメリカでどれだけズバ抜けたギター・テクニックの持ち主で、どれほどのオリジナリティのバケモノだったかという話は、以前から当ブログには書いておりますので、知らない方は上のリンク、もしくは右のサイドバーでブラインド・ブレイクを検索して読んでみてください。

そんな訳でブラインド・ブレイクの音楽をたくさん聴きたくて、とりあえず目に付いたCDは買うという事をやってましたが、ある日「大体ジャケットが一枚しかない写真(上記参照)のバリエーション」なこの人のアルバムには珍しい、バンジョーを持った人物の、割とオシャレな絵のジャケがあったんですね。

「おや?」と思いましたが「BLIND BLAKE」と買いてあるので、まぁ間違いなかろうと思って購入して聴いてみたら、あれ?何か、確かに戦前ブルースっぽいけど、何かこの人にしては珍しくジャグバンドっぽい感じにトロピカルな何かが加わったような音楽性だし、必殺超絶技巧ラグタイムが出て来ない、歌も独特のくぐもった甘めのヴォイスじゃなくて、もっと張りのある、まろやかな表情が豊かな感じ。

ん?ん?俺はブラインド・ブレイクを買ったつもりで、メンフィスかどこかのブルースマンのCDを間違えて買ってしまったのかな?でもこれいいなぁ、陽気なコーラスとかラテン・パーカッションとか入ってて、いやぁブラインド・ブレイクって、今まで聴いてきた音源ひゃもちろんゴキゲンだったけど、これは全く違うベクトルの、ハッキリと”陽”なゴキゲンさじゃないの。こういうラテン風味って、40年代にルイ・ジョーダンとかが大々的に取り入れて流行らせたんだけど、ブラインド・ブレイク凄いなぁ、その10年以上前に既にこんな感じで流行を先取りしてたんだ。つうかこのバンジョー上手いなぁ、パパ・チャーリー・ジャクソンかなぁ・・・。

とか何とか、まぁ”あのブラインド・ブレイク”とは全く違う音楽性でありながら、これはこれで凄くカッコイイから「あのブラインド・ブレイクの超初期か後期の、とにかく”いつもと違うことをやってる音源集”だ」と思ってたんです。まぁジャケットも何かいつもと様子が違いますから。


ほどなくして


「あのブラインド・ブレイクは、戦前ブルースのブラインド・ブレイクではない」

と、気付いたのは、レコード・コレクターズか何かの記事に


「バハマの伝説のシンガーでバンジョー奏者のブラインド・ブレイク」

という記述を見付けたからです。


おおぅ、ニセモノ・・・。

と、一瞬グラッとしましたが、音楽的にはこっちもホンモノです。加えて戦前アメリカ南部の”ブルース以前”を濃厚に感じさせるポップな音楽性に色を添えるラテンのリズムや各種ラテン楽器、バンド・サウンドの重要な”華”になっている見事なコーラス・ワーク、そして何よりも、ブラインド・ブレイク自身の、ルイ・アームストロングからガラガラの成分を少し抜いて、重ねられた年齢の渋さに裏付けされた力強さをプラスしたような声からジワリと滲む人生の悲喜こもごもは、決してニセモノではありません。

一瞬で気を取り直し、アタシは

「バハマにもこんなホンモノのブルースマンがいたんだなぁ」

と深く感動しました。


バハマはアメリカの南端、フロリダ半島のすぐ下にある島国です。

古くからこの地はアメリカ南部や東海岸の人々が気軽に遊びに来たり商売をしたり、他のカリブ諸国よりもアメリカとの付き合いは深く、その過程でこの地の元々の古謡のようなカリプソと、アメリカのブルースやバラッド、宗教音楽であるスピリチュアルなんかが自然と混ざり合って、独自のミクスチャー文化が早くから緩やかに花開いていたと。

アメリカとの交流がグッと深まったのは、1920年代の禁酒法の時代であります。

本国で製造や取引を禁止された酒類の取引はこの島で行われ、アメリカのマフィア達が作った一大アルコール・マーケットが出来上がり、人々の交流はいよいよ盛んなものになります。

当然盛り場も発展し、娯楽が求められるようになると、ここで現地のミュージシャン達が、当然の流れとして関わるようになってくるんですね。

ブラインド・ブレイクもそんなミュージシャンの一人で、本名はアルフォンス・ヒッグス(1915年生まれ)。

れつき盲目だった彼は若い頃からバンジョーを手にバハマ各地を巡業するミンストレル・ショウの一員として日銭を稼ぐ日々を送っておりましたが、やがて首都ナッソーで、アメリカ人がたくさん来る酒場やホテルのロビーなどで歌い、元々歌っていた古謡のカリプソを、徐々に彼ら好みの聴きやすくノリが掴みやすいものへとアレンジしながら芸を鍛えた結果、戦後50年代にはバハマを代表するシンガーとなっていったそうであります。

で、バハマにはトリニダードやジャマイカ産のカリプソとアメリカのR&Bを融合させた「グーンベイ」という独自の音楽がありますが、どうもその音楽の創始者はこのブラインド・ブレイクなんじゃないかと言われてもおります。






【収録曲】
1.Love, Love Alone
2.John B. Sail
3.Jones (Oh Jones)
4.JP Morgan
5.Consumptive Sara Jane
6.Yes, Yes, Yes
7.Never Interfere With Man and Wife
8.Gin and Coconut Water
9.The Cigar Song
10.Come See Jerusalem
11.Bahama Lullaby
12.My Pigeon Got Wild
13.Delia Gone
14.Tanneray
15.Loose Goat
16.Lord Got Tomatoes
17.Bellamena
18.Hold 'Im Joe
19.Go Down Emmanuel Road
20.Watermelon Spoilin' On the Vine
21.Oh Look Misery
22.Foolish Frog
23.Peas and Rice
24.Eighteen Hundred and Ninety One
25.Monkey Song
26.On a Tropical Isle
27.Goombay Drum
28.Better Be Safe Than Sorry



彼のスタイルは先にも言ったように、アメリカのバラッドと呼ばれるブルース以前のスタイルを軸にしたポップスがあると思ったら、キューバっぽいマイナー・チューンのラテン・ナンバーがあったり、ツッタカツッタカとリズムの激しいトリニダードのカリプソとはまた違ったのんびりした味わいのカリプソもあったり、実に多種多彩。

しかし、どんな音楽性であろうとも、その張りとユーモアとちょっとした悲哀が入り混じったフィーリング豊かな声と、どんなリズムでも巧みに表現するバンジョーの腕前でもって不思議な一貫性のあるサウンドとして聴かせてしまうんですね。この辺りがストリートや酒場なんかでずっと鍛えまくった、日本風にいえばプロの流しみたいな芯の強さを感じさせ、ますますのめりこんでしまう魅力に溢れています。

そんな彼の人気は50年代、バハマ本国にとどまらず、遠く(いや、近いけど)アメリカのピート・シーガーやジョニー・キャッシュ兄貴、ジョッシュ・ホワイトらに絶賛され、何と人気絶頂だった世界的なアイドル・バンド、ビーチボーイズにも楽曲がカヴァーされるなど、ブルースマンのブラインド・ブレイクに劣らぬ人気を獲得するに至りました(その後はやはりライ・クーダーが高く評価して、今もラテンやアメリカン・ルーツ・ミュージック好きの間での人気は衰えません)。

本日オススメで挙げたアルバムは、絶頂期だった1950年代初頭に率いていたバンド付きの音源集。

この後どんどんジャズ系のサウンドにも接近して、亡くなる1980年代までひたすら音楽性を拡げながら真摯に芸を磨いてきたホンモノのシンガーによる、基本中の基本とも言うべきスタイルで、ゴキゲンなバハマ・サウンドが楽しめます。

ちなみに戦前ブルースのブラインド・ブレイクはバハマにほど近いフロリダの生まれです。

もしかして戦前に交流があったか、アメリカで人気だったブレイクの名前をしれっと拝借したのかは永遠の謎ですが、もしかして交流があったのかなぁなんて考えながら古い時代に思いを馳せてみるのものなかなかに楽しいものでございます。













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2018年06月03日

カリプソ・ローズ ファー・フロム・ホーム

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カリプソ・ローズ/ファー・フロム・ホーム
(Because/Pヴァイン)


はい、気温も順調に真夏日の軌道に乗ってきましたので、今日は皆さんが大好きなカリプソでございます。

カリプソってなぁに?

と、よく訊かれますね。えぇ、アタシも2ビートのスッタンスッタンのビートに乗って、ゴキゲンなパーカッションやらが鳴り響いてトロピカルな旋律とメロディが聞こえたら「あ、カリプソ♪」と、よく意味もわからんまま言っておりました。

カリプソってのはアレですね、一言でいうと「カリブ海の島々の音楽」です。

南北のアメリカ大陸があって、その丁度真ん中付近の右側のところがカリブ海ですね。

そこにはいろんな島がありまして、ざっと有名な所だけ挙げてもキューバやジャマイカ、ドミニカ、バハマ、トリニダード、トバゴとか、ひとつの島とかいくつかの島も合わせて独立国となっているのも多いです。

ここはコロンブスがアメリカ大陸を発見してから「ヨーロッパからの船団が最初に立ち寄る停泊地」として開発され、入植がなされました。

そして、この島々は奴隷貿易の拠点でもあったんですね。

大陸各地に送られる奴隷達もたくさんおりましたが、ここで形成された大規模なサトウキビ畑(植民地政策に砂糖は欠かせないものでした)で働く労働力として、たくさんの黒人奴隷が働かされておった訳です。

元々住んでいる人達が少ないものですから、カリブの島々は人口に対する黒人の割合というものがとても多くなります。

そこで彼らの故郷であるアフリカの音楽的な特色が色濃く残ったまま発展していったのが徐々にカリプソという音楽になりました。

アフリカの音楽的特色というのは、色々ありますが一番大きなのが様々なパーカッションを使って繰り出される独特のリズムです。

アメリカでは黒人奴隷に対してパーカッションやアフリカの宗教などはとにかく危険と見なされて、徹底的に禁止されておりました。

が、カリブはそこのところが比較的ユルかった。一説によるとカリブの島々はフランス植民地だった所が多く、フランスはイギリスと比べて色んな意味でユルかったようで、奴隷達が太鼓でコミュニケーションを取ることも「まぁよかろう」と禁止しなかったから、カリプソにはアフリカ音楽の伝統が色濃く残っているとも言われております。

確かに、アメリカのブルースがああいったどこかやるせない感じの音楽なのに対し、カリブの音楽は陽気で横揺れの心地良いグルーヴなのには、その昔の政治的な事情もろもろが影響しているだろうとは思います。


さてさて、一口に「カリプソ」と言っても、その中身は実に多種多様、一言で「これがカリプソだ!」と即答するのは実に難しいんですが、今日はカリプソを代表するシンガーとして、1950年代から活躍する女王、カリプソ・ローズをご紹介して、カリプソをまだよく知らない方への参考にして頂きたいと思います。

カリプソ・ローズはトリニダード・トバゴに1940年に生まれ、60年代にはもう既に同地の国民的シンガーになりましたが、その人気は周辺諸国だけにとどまらず、アメリカやフランス、イギリスなどの国でもヒットを飛ばし、世界中に「カリプソ」という音楽を広めた人でもあります。


トリニダード・ドバゴといえば、ちょいと詳しい人なら「あ、あのスティール・パンの国だ」とすぐ反応してくださることでありましょう。そう、スティール・パン、またはスティール・ドラムと呼ばれるあのドラム缶で出来た、独特の涼しげな音を出す不思議な楽器の本場です。

トリニダードは、他の南米諸国と同じようにカーニバルが盛んな土地で、スティール・パンもズラッと並んでトラックの荷台の上でパレードしながら演奏するという、何とも賑やかな使い方をされておりますね。

カリプソという音楽そのものも、実はこのトリニダードのカーニバルから発展して拡がっていったんだという話があるように、ここはカリプソの本場も本場。

「チャカスッチャカ、チャカスッチャカ」という駆けるようなテンポのリズムが忙しなく鳴らされる、カリプソならではの独特のリズムが、後にソウルや他のラテン諸国のメロディーなども絡めて「ソカ」と呼ばれる音楽へと進化して行きます。カリプソ・ローズがデビューして人気を博していった時代は、正にトリニダード・トバゴの、カーニバルの時に演奏される”お祭り騒ぎの音楽”であったカリプソが、ホールでの演奏にも対応出来るように、どんどんポップス化していった正にその過渡期であります。




【収録曲】

1.Abatina
2.I Am African
3.Leave Me Alone (Feat. Manu Chao)
4.Far from Home
5.Calypso Queen
6.Zoom Zoom Zoom
7.Trouble
8.Love Me or Leave Me
9.No Madame
10.Woman Smarter
11.Human Race
12.Wah Fu Dance!



実はカリプソという音楽は、アメリカのジャズやR&Bにも多大な影響を与えていて、たとえばルイ・ジョーダンやボ・ディドリー、ソニー・ロリンズなんか聴いておりますと、特にリズム面において「あ、これはカリプソ!」とバッチリ分かる曲や演奏があったりして、どっちも知るととても楽しいのです。

カリプソ・ローズの昔の演奏を聴いていると、アメリカのポピュラー音楽やジャズなんかを、陽気で激しいカリプソにアレンジし直してカヴァーしています。

その背景には「アメリカのミュージシャンがアタシ達の音楽やってるのを、逆にこっちが歌ったら面白いかもね♪」という、ちょっとキュートないたずら心がチラッと見えたりしてカッコイイんです。そう、このカリプソ・ローズという人は、レジェンドでありながら、そしてカリプソの根っこにあるソウルを常に熱くたぎらせながら、今風のアレンジにも全然ひるむことなくチャレンジし続け、そして世界でのカリプソ人気をどんどん不動のものにしていってる、本当にカッコイイおばちゃんなんですよ。

2016年にリリースされた『ファー・フロム・ホーム』は、正にそんなローズおばちゃんの根っからのパワフルさと、骨太さを保ちながら美しく進化してきたカリプソの集大成です。

何と、このアルバムでは元マノ・ネグラ、現在はミクシチャー・ロックのカリスマとして多くの世代から支持を集めるスペイン系フランス人ミュージシャン、マヌ・チャオとガッツリ組んで、極上のラテン〜カリプソの、楽園のような音楽を聴かせてくれます。

いやもうこれ、凄いですよ。カリプソの「チャカスッチャカ」の強靭なビートに、ラテンの哀愁のメロディーも乗れば、サンプリングされたコーラスも実に渋くキマッてるし、何よりローズ自身の声が、とても御年70ン歳の妙齢のご婦人の声とは思えないほど明るく張りがあって、聴くだけで元気が出てくる、ジャンルなんざ関係ねぇ!ってなるぐらい突き抜けたアルバムです。いやほんと、凄いよなぁ、スカまでやってるんですけど、それが全然取って付けたような不自然さはなくて、むしろ「あぁ、スカのルーツってやっぱりカリプソだよ」と思わせてくれるこの説得力。

よくある「ワールド・ミュージックの現代版アレンジで聴きやすい」とか、そういう作為は全く感じません。むしろ素直に楽しく聴いてるうちにローズの声のパワーにすっかりノックアウトされて、カリプソという音楽を、気付けばより深く楽しめる一枚。つうかもうカリプソ入門用として、持っておいても全然良いです。色々と音楽的に特色ある部分を挙げればもっともっと魅力を語れそうな気もしますが、こういうのは理屈より先に楽しむことが大事だよ、ということで。










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