ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年11月23日

ソル・ホオピイ Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34

6.jpg
Sol Hoopii/Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34
(OJC)

こんな季節に何事かと思われるかも知れませんが、今日はハワイアンです。

ハワイの音楽といえばハワイアンですね。今、フラダンスをやっている人がかつてなく多くなってたり、また、昭和の昔からハワイアンのテイストを取り入れた「憧れのハワイ航路」のヒットを皮切りに、夏のビアホールの定番といえば生バンドが演奏するハワイアンがBGMの定番だったり、我が国では昔からハワイ人気、ハワイアン人気というものがあって衰えを知りません。

やっぱりアレですね、ハワイには戦前から日系移民が多くおりますし、王国だった頃は当時のカメハメハ大王が、アメリカやヨーロッパに対抗するために日本の皇室と縁組をして仲良くなろうとしたとか、そういう歴史もありまして、更に気候や風土は違えど、やっぱり島国ということで、お互いに本能的な親近感みたいなものが湧くんじゃなかろうかと思うんですがどうなんでしょう。

日本から行く観光客が多いのも、気候が穏やかとか治安がいいとか、そういうことだけじゃないと思うんですよね。「何となく安心する」のその「何となく」の部分はもっと掘り下げて考えてみたい。という訳でアタシはよく、戦前とかの古い時代のハワイアンを聴いてるんです。


さてこの「ハワイアン」なる音楽、ほとんどの人はハワイの伝統音楽だと思っておりますが、実は少々歴史が複雑であります。

元々ハワイにはフラという重要な文化があります。

これは元々は王宮のみで披露される芸能であり、神事でありました。

原初のフラを伴奏する音楽というのは、歌と打楽器だけの非常にシンプルなものだったそうですが、19世紀という割と早い段階で、西洋音楽の要素を取り入れてモダン化したんですね。

ハワイというところは1700年代に発見されてから、事あるごとに植民地化したい欧米列強の標的にされておりましたが、歴代の王様が非常に聡明な人が多く「ヨーロッパ人の平和的な移住は認めるけれども武力侵攻は認めない」という政策を貫き、実にしたたかにそれを実行したんです。

だから西洋の文明や文化は、ハワイにはしっかりと根付いております。で、19世紀以降のモダン・ハワイアンが更にモダンなポピュラー音楽になるのは1900年、アメリカによる完全な併合が成ってからのことであります。一気に移住してきたアメリカ人によってジャズやカントリーなどが持ち込まれ、ハワイの音楽家達もこぞってこれらの音楽の要素をハワイアンに取り込んで演奏するようになりました。

そのひとつの象徴がスティールギターであります。

ハワイアンバンドには必ずといっていいぐらいに使われる、あの横に寝かした状態でバーをスライドさせ、キュイ〜ンと独特のトロピカルな風情を醸してくれるあの楽器は、元々はギターを膝に置いてナイフをスライドさせる、ブルースのスライドギターから影響を受けて誕生した楽器なんです。

はい、かなーり前置きが長くなってしまいましたが、本日ご紹介する人はソル・ホオピイ。戦前の1920年代から30年代にかけて大活躍し、ハワイアンの歴史の中でスティールギターの演奏を最初に確立した人であります。

ソル・ホオピイは1902年ホノルル生まれのネイティヴ・ハワイアンです。

音楽一家(何と21人兄弟!)に生まれ、生計のために3歳からウクレレを手にして十代の頃にはもうギターを弾いていて、その頃には彼の弾くギターは膝に置いてナイフをスライドさせるスタイルだったと言います。

その頃の仕事は、豪華客船の専属バンドでギターを弾くことであり、それが評判になって何とそのままサンフランシスコに渡り、現地のカントリーバンドのメンバーになりました。

アメリカでみっちりカントリーの技法を覚え、ハワイに帰ったソルは、仲間とトリオ編成のバンドを結成。このトリオがまた、ジャズにカントリーに何でもござれ。しかもハワイの伝統的な古典歌謡などもしっかりとレパートリーの中に入れて、ハワイにいるどの人種、どの界隈の人のリクエストにも間違いなく応えられる驚異的な演奏技術とアレンジセンス、そして音楽的に底無しの懐の広さを持っており、地元ハワイはもちろん、アメリカでも大人気になったんです。



(フラとブルースの融合、その名も「フラ・ブルース」)





【収録曲】
1.I Like You
2.Drifting and Dreaming
3.I Want Someone to Love Me
4.King's Serenade
5.King Kamehameha (take A)
6.Kolo Pa
7.Don't Stop Loving Me
8.Akaka Falls
9.My Little Grass Shack in Kealakekua Hawaii
10.Weave a Lei - Flower Lei
11.An Orange Grove in California
12.Aloha Beloved
13.The Lei Vendor
14.On Our Parting Day
15.There's Nothing Else to Do In Ma-La-Ka-Mo-Ka-Lu
16.My Hawaiian Queen
17.Midnight's Near
18.Hula Girl
19.Hula Blues
20.Under the Tropical Moon
21.Ten Tiny Toes - One Baby Nose
22.Oh! Lady be Good!
23.King Kamehameha (take B)
24.It's Hard to Say Good-Bye


このCDは、ホオピイが1933年から34年、つまり全盛期に残した音源集であります。

聴いてびっくりなのが、まずそのスティール・ギターのテクニックです。

アンプもない時代でしたから、ギターでソロを取るというのは大変なことだったんですが、ホオピイのギターは単音で弾くメロディも、弾きながらのバッキングも、このまんま一流のジャズ・オーケストラのソロイストになれるんじゃなかろうかと思うぐらいに完璧です。この時代で彼のテクニックに対抗できる人といえば、ブルースではロニー・ジョンソンブラインド・ブレイク。ジャズでは白人ギタリストのエディ・ラングにフランスのジャンゴ・ラインハルトぐらいではないでしょうか。

ハワイアンとして、もちろん楽しくまったりも聴けますが、アタシのよーに戦前のブルースやジャズ、カントリーとか、そういうアコースティックなルーツ・ミュージックがたまらなく好きな人間の探究欲みたいなのも、楽しく聴きながら幸せに満たしてくれる素晴らしい演奏です。つまりハワイアンに興味がないけど、アンプラグドな音楽が好きな人にはぜひ聴いて欲しい人がソル・ホオピイですし、フラやハワイアンが好きな人にとっては「これが原点なんだ!」と新鮮な感動に浸りながら、一生穏やかに付き合っていける音楽だと思いますので、超絶オススメしておきますね♪

それにしてもソル・ホオピイのスライド奏法、1920年代に入る前には既に確立されてたと言います。シルヴェスター・ウィーヴァーによってブルースのスライドギターがレコーディングされたのが1923年だから、もしかしたらホオピイはアメリカでブルースマンに直にスライド奏法を学んだことになりませんかい?そうなってくるとブルースの誕生近辺にもこの人は深く関わってるということになりそうですが、そこら辺を示す資料は今のところありません(逆に彼の演奏がブルースマン達のスライド奏法に影響を与えたという話はわんさか出てきました、ワォ!)。ふむぅ・・・。



(シルヴェスター・ウィーバーによる”スライドギター最初の録音”についてはここに書いております)





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 18:20| Comment(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ

1.jpg
ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ
(Delmark/Pヴァイン)

ブルースはパンクだ!!

という衝動を、ギャンギャンに歪んだギターの音と、ギター+ギター+ドラムスという変則トリオの絶妙なコンビネーションで、ブギまたブギのノリノリサウンドで最高に爆発させてくれるの唯一無二のバンドがハウンドドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズであります。

ブルースがそろそろ渋い大人の音楽と言われるようになり初めるようになった1970年代、ようやく出てきたおっさん達が、渋くない、良い意味でのチンピラ魂を全開にしてあひゃひゃと暴れ回るそのサウンドは、今もってブルース云々を通り越して「これはガレージ・ロックだ!」と狂喜する若者やおっさんを量産してると言いますから恐ろしい話であります。

で、そのハウスロッカーズ、ギター+ギター+ドラムスの変則トリオと書きましたが、ぎゅいんぎゅいんに歪ませたスライドで暴れるリーダーのハウンドドッグ・テイラーの隣で、大人しくコード・カッティングとかせず、ゴワゴワに歪んだ音でベースとほぼ同じフレーズをボコボコ弾きまくっているイカレたギタリストがおりまして、この人が本日の主役、ブリューワー・フィリップス!!!!

あのですねぇ、もうハウスロッカーズでのブリューワー・フィリップス、最高なんですよ。

ベースと同じフレーズ弾いてるんだったら、ベース弾いた方がバンド・サウンドに重みが出ていいんじゃないかと普通は思うし、実際その通りなところを、あえてギターで通してる理由とかそういうのはまーーーったくわかんないんですが、多分本人達に訊くと

「あぁ?そんなの決まってんじゃねぇか、やかましいからよ。ヒャッヒャッヒャ!」

としか返って来なさそうなので、そこんとこ、深く突っ込むのはやめときます。

とにかくもうハチャメチャなコンビネーションで、音楽やっているというより、一緒に悪いことやってるのを楽しんでいるような、ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスです。

二人は共に戦前の南部生まれ(テイラー1915年生、フィリップス1924年か1930年生)、戦後にシカゴに出てきて70年代にハウスロッカーズを組むんですが、実は戦前に南部のあちこちでたまたま偶然会っていたようです。

「あぁ、オレが南部でチンピラやってた頃だな。ブリューワーはトラックの運転手だったみたいなんだよね。で、何故かアイツとは偶然会うことが多かったよ。歩いてたらトラックの運転席から”アンタよく会うけど何なんだ!”って。何なんだもクソもねぇよヒャッヒャッヒャッ!音楽?いんや、アイツがギター弾くなんてのを知ったのは、シカゴに来た後だ。1959年にヤツと一緒にやるようになってからだな。」

(ハウンドドッグさん、ブリューワーはメンフィス・ミニーにギターを習ってたらしいんですが・・・)

「メンフィス・ミニーかぁ、ありゃあイイ女だよなヒャッヒャッヒャ!何だって?アイツがメンフィス・ミニーにギターだって!?馬鹿言っちゃいけねぇよ、ミニーはその頃大人気でオレですらなかなかお近付きになれなかったんだ。アイツみてぇなチンピラ相手にされるかよ!」

(むしろブリューワーのギター・スタイルは、ジミー・リードのバックでウォーキングを刻んでいたエディ・テイラーに通じるものがあるように思えるんですがどうなんでしょう?)

「(機嫌がコロッとなおる)あぁそうだなぁ。エディとヤツはミシシッピにいた頃からよくツルんでたらしい。釣り仲間だってよ、ヒャッヒャッヒャ!お前さん真に受けちゃいけねぇぜ、アイツらの釣りは酒場でおねーちゃん釣るやつだからな」

(はぁそうですか・汗、で、エルモア・ジェイムスの破天荒なスタイルに影響を受けたアナタとジミー・リードのダウンホームなロッキン・スタイルをお手本にしたブリューワーが組んで・・・)

「おぅ、そうよ。オレが知る限りエルモアとジミー・リードってのは50年代シカゴの花形よォ。だからそのスタイルを掛け合わせたオレらのハウスロッカーズってのは結局イカしたバンドよ。ヒャッヒャッヒャッ!!」

はい、ハウンドドッグ・テイラーさん、ありがとうございました。

どうでしょう?このオッサンほとんどアテになりませんが、ブリューワー・フィリップスの前半生というものを少しは喋ってくれたでしょうか。話を続けます。

ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスは、1959年から1975年まで仲良くハウスロッカーズの活動を続けました。

ブリューワーはハウンドドッグより10歳ぐらい年下でありますが、お互い”兄弟”と呼び合うフラットな関係で、冗談を言い合い、時に喧嘩もしながら日々のギグをこなしていたんですが、ある日のことブリューワーが

「よぉ兄弟、オレはゆうべお前の不細工な嫁さんとよろしくやってたぜぇ」

という、タチの悪い冗談を言ってしまい、それに激怒したハウンドドッグが持っていた銃で足を撃つという事件が起きてしまいました。

誤解のないように言っておきますが、ブルースの昔からヒップホップの現在まで、ブラックミュージックのコミュニティでは、このテのキツい冗談というのは、仲良しの証として言い合うというコミュニケーションが存在しております。

恐らく普段からこの二人にとって、このテの冗談は挨拶代わりの当たり前のことではあったんでしょうが、この日はハウンドドッグ、虫の居所が悪かったのか、つい発砲してしまいました(”つい発砲”ってところが何ともですが・・・)。

ブリューワーもこれにはアタマに来て「絶縁だバカヤロウ!」と。

ついでに刑事告訴して、ハウンドドッグは逮捕収監となるはずだったんですが、実はこの時ハウンドドッグは癌の末期で、後日警察ではなく病院に担ぎ込まれました。

銃をぶっ放たれて絶縁を突き付けたとはいえ、長年の相棒です。その相棒が明日をも知れぬ命で、病院で最期の時を待っていると知ったブリューワー、とにかく見舞って和解しようと病院へ駆け付け、いや、ハウンドドッグ、あの時はお前の機嫌も考えねぇでヒドいこと言っちまった。んなこたぁねぇよ、オレの方こそいくら虫の居所が悪かったとはいえ、相棒を撃っちまうなんてヤキが回ったな。お陰でこのザマだ、本当にすまねぇ。と、二人はめでたく和解。

俺達もう還暦のいいジジイなのに何やってんだろうな、おいおいハウンドドッグ、お前はそうかも知んねぇが、オレはまだ50だぜ?いや、55か。まぁどっちでもいいや。元気になったらまたブギしようぜ。あぁそうだな、なんて会話を交わしたその2日後に、ハウンドドッグ・テイラーはあの世へと旅立ってしまいました。

ハウンドドッグ・テイラーの偉いところは、世に本格的に認められたのが1970年代で、いわゆるロック世代の連中からは大御所扱いされなかったところなんです。世代的にはB.B.キングよりもちょい上で、マディ・ウォーターズは2コ上。

でも、そういう風にあがめられているブルースマン達のことなどどこ吹く風で、一貫して変えなかったダーティーなブギーを、相変わらず下町の狭く汚い(失礼!)クラブで演奏することで日銭を稼いでおった。もちろん彼をリスペクトする若いロック・ミュージシャンはたくさんいたでしょうが、そういうところにやあやあと出て行って、物分りのいい大人な演奏など絶対しなかった。カッコイイですよね、や、それしか出来なかっただけかも知れませんが。。。





【収録曲】
1.You Don't Have To Go
2.For You My Love
3.You're So Cold
4.Hen House Boogie
5.Lunchbucket Blues
6.Don't You Want To Go Home With Me
7.Blue Shadows
8.My Baby Don't Love Me No More
9.Laundromat Blues
10.Looking For A Woman
11.Cross Examination
12.Homebrew
13.Right Now
14.Tore Down
15.Let The Good Times Roll
16.Do What You Will Or May


ハウンドドッグが亡くなってからのブリューワーは、相変わらずゲットーの仲間達とツルみ、派手ではないものの、しっかりとブルースに根を生やした活動をしており、ギターを持ってゴキゲンにブギーする彼の姿はやはり小さなクラブハウスにありました。

で、1996年にいきなり「ハウンドドッグに捧ぐ」なるタイトルで、新作としてこのアルバムがリリースされた訳です。

とりあえずその事実だけでも事件なのに、このアルバム何が最高かって、ちょいとスクロールしてもう一度ジャケットを見てください。明らかに目つきのヤバいおっさんが、シャツのボタンほとんど外して、手に持ってるのはギターじゃなくて何故かハンマー(!)こんなもんアーティスト写真じゃなくてリアル事件現場の防犯カメラじゃないですか。

内容は、そんなちょっとアレな感じのジャケットに負けず劣らずの、実にタフで1950年代とか60年代の”ヤバかったころのシカゴ・ブルースそのまんま”の濃厚な香りのする、見事なダウンホーム・ブルース。

ハウスロッカーズのあのプレイしか知らなかったから、どんな演奏するんだろうと、少しハラハラしましたが、1曲目ジミー・リードの「You Don't Have To Go」のゴキゲンなウォーキングと、程よいドスが効いて実に味のあるヴォーカル、そしてルーズだけれどもキメるところはバシッとキメるバンド・サウンドを聴いて「あ、これは間違いない」と思いました。

必殺のブギーは、もちろんいい感じのがたくさん入ってますが、それだけじゃなくて、スロー・ブルースでメロディアスなチョーキング(抑え目だけどこれがまたいい!)を披露してくれるギター・ソロも実は上手い、いや、旨いんですよ。

とにかく全く”作り物”な感じのしない、往年のシカゴ・サウンド(しかもかなりやさぐれて渇いた質感のある)ですよ。1995年の録音!?ウソでしょ、何このリアリティ!!と、100回聴いて100回思えるダーティーな雰囲気、実にヤクザで最高です。

大物のスーパープレイを聴く醍醐味はもちろん素敵ですが、ブリューワー・フィリップスみたいな、現場第一主義でずっとやさぐれてきた人のサウンドを聴いて「くーーーー!!」ってなる素晴らしさがブルースにはありますね、えぇ、あるんです。くーー!





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:32| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

INU メシ食うな

1.jpg
INU/メシ食うな
(徳間ジャパン)


みなさんこんばんは、気温も寒くなって機嫌が良いので、今日は”そもそも”についてお話しようと思います。

考えてみればそもそもアタシが音楽にハマッたきっかけは、小学校6年の頃に聴いたブルーハーツです。

音がどうとかスタイルがどうとか、アタマの悪い小学生にはそもそもそんなことは分かりません。

ただ、歌詞が良かったんですね。

そもそも思春期だったんです。

思春期といえば、友達関係とか異性のこととか、そういう事に思考がのめり込む時期で、アタシも一丁前にそういうことで悩み始めておりました。

そもそもアタシのいけないところは、手前のクダラナイ悩みにも、すーぐ世の中という、手前には手に負えないスケールのことを持ち出して、必要以上に深刻になってしまうことでありまして、ええ、最初にそういったことを具体的に思考に絡めて、よせばいいのに悩み苦しんでおったのが実に小学校から中学校に上がるか上がらないか、そのぐらいの時期だったんじゃないですかね。

その時に聴いたブルーハーツの歌詞というのが、アタシにとっては救いであり天啓であり、キリスト教徒にとっての聖書とか、中国共産党員にとっての毛沢東語録とか、アントニオ猪木ファンにとっての赤いバスタオルとか、猫にとってのマタタビとか、そういうものだったんですね。

で、親父に

「この音楽は一体何ていう音楽だ?」

と訊いたら、親父は

「パンクだ」

と言うのです。

そもそもパンクというのは、世の中の体制みたいなものにノーを唱えるメッセージみたいなもんが必要なんだ、と。

アタマの悪い小学生ながら、ほほぉと思いまして、アタシはパンクにのめりこんで行く訳です。

パンクロックというのは、1970年代のイギリスで誕生したんだと言われ、イギリスのパンクも聴きたかった訳なんですが、そもそもブルーハーツの歌詞に感動したお子様なので、英語の歌詞は分からないからとりあえず日本語のパンクを聴かせてくれやと、オススメされるままにアナーキーとかスタークラブとか、ラフィンノーズとかもよぉ聴いとりました。

その頃丁度バンドブームというのがあって、ラフィンノーズは2コ上とかの先輩達が「ゲット!ゲット!ゲットグローリー!」とか言って盛り上がってました。

アタシもその中に恐る恐る混ざってみたりしたこともありましたが、いやちょっと待て、そもそもこの”パンクロック”というのは、みんなで仲良く一緒にをーをー言う種類のパンクロックだ。そもそもアタシが好きなのは、何かこうもっと個人的なアレのヒリヒリしたところにチクッとくるようなものが欲しいんだ。と思いまして、田舎ということもあり「パンクロックは家で一人で聴く音楽」に、早々と認定してしまい、それについて学校とかではっちゃけることはあんまなかったです。

そもそもアタシは暗い人間です。

学校を適当に切り上げて、ウキウキで家に帰ってきたら自転車で街に出てCDとジュースとお菓子を買って、家で聴く。たまに友達と街で会えば、そりゃ遅くなるまで適当なことで盛り上がったりもしましたが、そもそも心はいつも我が家の自室のCDラジカセと共にあるよーなクソガキでした。

例えば夜の10時とかに帰ってきても、サッとメシ喰って、ジャッと風呂浴びて、部屋に籠って爆音で音楽を聴くと。

それを面白がって見ていたのが母親で「これを聴きなさい」とオススメしてくれたカセットテープには、スターリン、レピッシュ、PINK、BUCK-TICK、筋肉少女帯、そして町田町蔵のバンド”INU”なんかが入っておりました。

そもそも母親は、そういうカセットにしれっと遊佐未森なんかを入れるヒドい人なんでありますが、この人の「これ、パンクよ」と言うバンドやアーティストの曲は、大体どれも「仲間ををーをー言わない歌詞/音楽」だったりして、非常に好感が持てたのですが、特に「これがいいの!」と熱を上げていたのがスターリンと町田町蔵です。

今は作家の町田康として、素晴らしい小説や随筆をたくさん書いておられる人なんですが、そもそもこの人はパンクロッカーで、高校時代からもうバンド組んで関西では名の売れた人だったんですよ。



【収録曲】
1.フェイド アウト
2.つるつるの壷
3.おっさんとおばはん
4.ダムダム弾
5.夢の中へ
6.メシ喰うな!
7.ライト サイダーB(スカッと地獄)
8.インロウタキン
9.305
10.メリーゴーラウンド
11.気い狂て


INUですねぇ。

このアルバムは町蔵が”INU”としてリリースした唯一のアルバムです。はい『日本のパンクロックの黎明期の名盤』と呼ばれております。

名前がそもそも『町田町蔵』なんていうイカツい名前でパンクロッカーと言うんですから、アタシはてっきり何か物凄いゴツい声の、坊主頭で人相も凶悪で、上半身裸のプロレスラーみたいな人を想像していたんですが、ご本人のルックスは非常に端正なお兄さんで、ヴォーカル・スタイルも思ってたより全然ゴツくない、ついでに言えば音楽的にも拳振り上げて全力疾走する、いわゆるパンクロックというよりも、その後のニューウェーブの、物凄い硬派なヤツみたいな感じで、音楽的な完成度みたいなものが、あ、これは高いなと、そもそも音楽的な完成度とかそういう高度なことは分からなかったくせにそう思ったんです。

メンバーはとても流動的だったようですが、北田昌宏の緊張感溢れるギターが凄くて、町蔵の内へ内へと沈み込んで爆発する狂気のヴォーカルがギットギトに描く世界観と異常な親和性でリンクして、もう怖いぐらいなんですよ。

そう、このアルバムの「凄いなこれ」と思わせるところには、特有の”怖さ”というものがあります。

町蔵の歌詞は、この時代から(確かこれ書いた時はまだ十代だったと思う)実に文学的でやぶれかぶれで、内から湧き出るむき出しの言葉を、音程とか共感すらもどうでもいい、そんな潔さで聴き手の意識にぶつけてきます。

そもそも一人称が”俺達”になりがちな(言葉としてではなく態度として)ロックにあって、終始一貫して一人称”俺”なんですよ。


沢山の人間が居て 俺はその中の一人
定まらぬ視線の中で みんなお互い窒息寸前
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ



大衆、世の中、世間・・・まぁ何でもいいんですが、そういった実に曖昧でやたら大きなものに、ガリガリの上半身を曝して包丁握って自爆しに行く。仲間なんぞいらん、勝手にやらかして勝手に死んだるわい!どの歌詞からも、そういったヒリヒリしたメッセージがガンガン飛んできて、あぁ、これはパンクだなと、納得なんか出来なくても、叫び、振り絞り、呻き、呟く町蔵のヴォーカルには、安直な”みんなでがんばろう”みたいなものを、吹き飛ばして切り裂いて、足で踏みつけてグチャグチャにする、凄まじい呪詛として、アタシの脳裏には写りました。

そもそも凄まじいネガティヴの力です。でもこのINUのサウンドと町蔵の怨念ヴォーカルには、クールでスタイリッシュなUKパンクから、そのまんま影響を受けた”パンク”にはない”パンク”を感じてしょうがないんですよ。

そもそも音楽に必要なものって、こういう正当な怒りなんじゃないかと、大人になってどうでもいい物分りの良さを身に付けたつもりのアタシは、今冷静に思っています。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:55| Comment(0) | 日本のロック・ポップス・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

O.V.ライト イントゥ・サムシン

1.jpg
O.V.ライト/イントゥ・サムシン
(Hi/SOLID)

しとしとと冷たい雨の降る11月です。

何となく”歌”が聴きたくて、我が家のCDをあれこれ物色してますが、今日は「やっぱり歌といえばソウルでしょう」な気分。そうです、ソウルです。

え〜、ソウルにも色々ありまして・・・と言うと長い上にややこしい話になりますので割愛。名だたるシンガー”しか”いないソウルの世界でアタシがこよなく愛するのが、ディープなフィーリングとパワフルな歌唱で聴き手の魂までも強引に浄化してしまう”親方”ことO.V.ライト。

もうね、この人の声はスピーカーから出てきた瞬間に、聴いてる方の意識が別次元に飛ばされるんですよね。

十代の頃から南部のゴスペル・グループ(サンセット・トラベラーズ)で活躍し「天才リードシンガー」と呼ばれていたけれど、それこそリードともなれば”凄い”は当たり前の連中がゴロゴロしている中で頭ひとつ抜きん出た存在だったというのは、つまりもう形容する言葉もないぐらい、その歌声は素晴らしかったということです。

喉から腹からつま先まで、体全体を大きく震わせて放たれるその渾身のシャウトは、強いだけでなく、聴き手の心を激しくゆさぶった後に、えもいえぬ優しさが、じんわりじんわり沁みてくる。

えぇ、アタシは無学な日本人だ。英語の歌を聴いてパッとどんなことを歌ってんだかわからない。それでもねぇ、歌ってのはそんなじゃないんだよ、頭で聴くんじゃなくて魂(ソウル)で聴いてグッときたら、それが言葉以上の真実なんだよ。と親方はいいます。

イエス、ブラザー。おぉイエス、あぁいいねぇ・・・。と、聴いているうちに心の洗濯と漂白までも終わり(つまりCDやレコードが全部再生し終わったということ)さぁ俺も強く生きるべと、そんな力を与えてくれる親方の歌唱。あぁイエス・・・。

バイオグラフィーを辿れば、そのパワフルを極めた聖なる歌声とは裏腹に、服、車、酒、麻薬などであっという間にカネを消費して、ギャラはその場で使い果たす。特にヘロインに関しては何度も逮捕され投獄され、晩年には薬代欲しさで窃盗をしてしまって逮捕されてしまう。41歳で亡くなったのも結局は長年の不摂生に麻薬の常習がたたって血管がボロボロになったことが原因の心臓発作。

その歌声で多くの人を救いながらも、自らは何ひとつ救われなかった悲しい人生を見るに何ともしのびない気持ちになりますが、歌を聴いてると、何かもう人生全てを投げ打って”うた”に特化した人だったのかな、本人は多分それに気付いてなかったんだろうけどと思ってしまいます。

さてさて、そんなO.V.ライト親方が、麻薬中毒や度重なる逮捕投獄のトラブルにまみれながらも最後の魂を振り絞って名唱を聴かせてくれるのが、1977年から亡くなる1981年まで在籍していた南部メンフィスのハイ・レコード時代。

よく「O.V.ライトの全盛期は、ハイの前のバックビート時代だ」という声も聞きます。

確かにバックビート時代は素晴らしいという意見に異論はありませんが、この時代の音源がようやくCDで普通に出回って聴けるようになったのは、実はつい最近の事で、個人的にはそれ以前から十分な「凄さ」を教えてくれたハイ・レコード時代のアルバムに並みならぬ愛着を感じております。や、親方がシャウトしてスクリームすれば、それがいつの時代の音源であろうが、バックが何だろうがそりゃもう最高なんですが。

で、そんなバックビートにはデビュー後の1965年から1974年まで所属しておりましたが、なかなか大ヒットを出せず、しかもそのプライベートに様々な問題を抱えていたO.V.は、バックビートが倒産し、大手ABCに会社を売却した1975年に2枚のシングルを出した後に契約を解除されております。

実は73年から75年まで、例によって麻薬で逮捕されて刑務所に居たんですね。

逮捕され、レコード会社からの契約も解除され、身体には未だ麻薬中毒から抜け出せないという三重苦を抱えていて、ほとんど”もうダメな状態”にあった1976年、メンフィスにあるハイ・レコードがO.V.を拾う形で契約を取り付けております。

肉体的にも精神的にも、恐らくこの人は最期まで立ち直ることは出来なかったと思うんですが、マイクに向かった時は別人だったと、多くの関係者が証言しております。

ハイというレーベルは、南部メンフィスにありながら、独特のメロウな洗練されたサウンドが売りのレーベル。

ゴスペル上がりのR&Bシンガー特有のワイルドネスを持った、O.V.親方のヴォーカル・スタイルというのは、実はこの洗練された70年代型のサウンドとは水と油だったんです。

しかし、久々のレコーディングで意欲に燃えていた親方の気迫がそうさせたのか、移籍第一弾の「イントゥ・サムシン」は並々ならぬ完成度の高さと、メロウネス溢れるハイ・サウンドと魂のヴォーカルが奇跡の融合をこれでもかと聴かせてくれます。



【収録曲】
1.イントゥ・サムシング(キャント・シェイク・ルース) 
2.アイ・フィール・ラヴ・グロウイン 
3.プレシャス・プレシャス 
4.ザ・タイム・ウィ・ハヴ 
5.ユー・ガッタ・ハヴ・ラヴ 
6.トライング・トゥ・リヴ・マイ・ライフ 
7.メドレー:ゴッド・ブレスト・アワ・ラヴ〜男が女を愛する時〜ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ


ピアノだけをバックに、切々たるほぼアカペラのヴォーカルから、ファンキーなバンド・サウンドが入った瞬間にゴキゲンなミドル・アップのテンポでグイグイ攻めるオープニングの「イントゥ・サムシング(キャント・シェイク・ルース)」で、もう”決まり”であります。

本人曰く『ディスコ・サウンドを取り入れた』と語るアルバムですが、どんなにテンポアップしても、どんなにバックが華やかでも、声の切実度が常にメーター振り切っている親方の歌唱に、ディスコの(良い意味でも悪い意味でも)あの軽薄さはありません。

この一曲でガッツリ聴き手の心を沸点に高めて「ア・フィール・ラヴ・グロウィン」「プレシャス・プレシャス」「ザ・タイム・ウィ・ハヴ」と、たたみかけるバラードで、一気に天国の階段の最上段まで持って行く。そしてラストのソウル史上に残る名唱「ゴッド・ブレスト・アワ・ラヴ〜男が女を愛する時〜ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」の12分にも及ぶ感動の嵐。

このメドレーはですね、アル・グリーン、パーシー・スレッジと、彼が目標としたシンガーの代表曲を歌って最後に、自分自身のデビュー曲をかますんですよね。曲と曲、それぞれのクライマックスからサビの凄さ、そりゃもちろんですが、この時親方の心に去来した想いは一体どんなだったろうと思うと胸の熱が止まりません。

とりあえず親方の作品に”これはハズレ”というのはございませんが、これ以降恐らく体調の悪化により、歌い方をメロウなものにシフトしてゆくO.V.の、これは最後の絶頂を記録したものであると共に「ソウルと呼ばれた音楽」その輝きの一番最後の方の、儚く美しい瞬間を刻んだものであると思います。

いや、もう何か泣けちゃって、このレビュー多分文章になってないです。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:32| Comment(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

ザ・ビートルズ・クリスマス・レコード(7inch)

1.jpg
The Beatles Christmas Record(7inch Box)

(Apple)


いやもうアレですよ、もんすごーーーーく長い夏が終わって、やれやれ秋だねぇなんて言ってる間もなく、すっかり11月も後半です。

これはもうアレですよ、アレの準備をしなければいけません。都会など、早いところではもうすっかりアレを前面に打ち出して派手にやってると言いますからね。

そう”アレ”です。何がアレかというとクリスマスです。

そう、もうそんな季節なんですよーー!(汗)

えぇとですね、毎年この時期になると追われてしまいますね。

そう、このブログの”クリスマス特集”では、世にあんまり知られてない面白くて音楽的にも充実したクリスマス作品を、ジャンルを問わず紹介しよう!

と、気合いを入れてますが、今年の一発目はビートルズです。





ビートルズみたいな超有名バンドのクリスマスだと?そんなのメジャー過ぎて面白くねぇぞ!

と、お思いの方もいらっしゃるでしょうが、実はビートルズは物凄く有名なバンドでありながらクリスマス・アルバムを出しておりません。

しかし、そこはやっぱりビートルズでありまして、ファンクラブ向け”だけ”に、クリスマスレコード(7インチ盤)を出しておったんですね。

アタシはレコード屋で働いていて、そのファンクラブ向け7インチの現物は見たことないんですが、もし出回っていたら恐らく凄まじい高値になるだろうというオソロシイ話は聞いたことあります。

それが何と、今年は当時の仕様そのままの7インチアナログレコードで初めて販売されるというんです。

ビートルズは1962年にシングル『ラヴ・ミー・ドゥー』でデビュー。翌1963年にアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』をリリースしております。

で、デビューしたその年の1963年から、解散直前の1969年まで、毎年ファンクラブ向けの「クリスマス特別レコード」を配布しておった。

内訳は以下の通りです↓


1963:The Beatles'Christmas Record
(Recorded:17 October 1963 - Studio Two, EMI Studios, Abbey Road, London)

1964: Another Beatles Christmas Record
(Recorded:26 October 1964 - Studio Two, EMI Studios, Abbey Road, London)

1965: The Beatles' Third Christmas Record
(Recorded:8 November 1965 - Studio Two, EMI Studios, Abbey Road, London)

1966:Pantomime - Everywhere It's Christmas: The Beatles' Fourth Christmas Record
(Recorded:25 November 1966 - Dick James Music, New Oxford Street, London)

1967:Christmas Time (Is Here Again): The Beatles’ Fifth Christmas Record
(Recorded:28 November 1967 - Studio Three, EMI Studios, Abbey Road, London)

1968: The Beatles' Sixth Christmas Record
(Recorded:1968, various locations)

1969:The Beatles' Seventh Christmas Record
(Recorded: 1969, various locations)


内容はどれも「ファンクラブ通信」みたいな、思いっきり砕けたやつで、あぁ本当にアイドル的人気だったんだなぁと、お祭り気分と共に楽しめる感じであります。クリスマスのために気合い入れて歌を作りました!とかそういうのではとりあえずないですが、こういうのファンはたまらんですな。

で、今回は7枚のシングル全てが復刻した上に、専用ボックスケースとブックレットが付きます。

こういうのはもう「祭り」なのでとことん楽しんじゃいましょう♪

発売は12月15日ですが、予約は早めがいいと思います。例の如く絶対早く売り切れます。




あ『ビートルズでクリスマス』といえばコノ人達↓



ビートルズの有名曲を全て完璧にクリスマス・ソング化する、というオソロシイ完コピバンドの名盤ですので、ビートルズ好きな方はぜひともこっちも聴かれてみてくださいな♪

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:06| Comment(0) | クリスマス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする