2021年05月26日

セロニアス・モンク パロ・アルト


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セロニアス・モンク/パロ・アルト
(Impulse!/ユニバーサル)


「モンクの未発表凄くいいよ!」

という評判がネット上で流れたのはいつだったか、とにかく大好きなセロニアス・モンクの未発表ライヴ音源がリリースされると聞いて興奮しないアタシではありません。

ともあれジャズの世界では「未発表」ってのはちょくちょく出ますね。特にジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスなんかは、もう時候の挨拶ぐらいの勢いで、数年置きに未発表音源がどこかかからか発掘されたり、或いは昔海賊盤で出ていたものがややこしいいくつもの手続きを経て、ようやっとメジャーレーベルからジャケットとか音質とかが改善されてリリースされたりしております。


内容はスタジオセッションの残り音源だったり、ほとんど隠し録りに近い音質でのプライベート録音のブツであったりして、”質”でいえばアーティストの生前にリリースされた公式盤と比べたら確かにこれは未発表音源だよなぁと、納得する訳です。好きなアーティストの聴いたことがない演奏ってだけでそりゃあ嬉しいので、ちょいとばかり音質が悪くても脳内補正をしながら何度も何度も聴き込んだり、えぇ、よくやりました。

それでも一流の演奏家による、気合いの入った熱演である事には変わりなく、時に「うはぁぁぁあ!このアレンジは他のどのアルバムのよりカッコイイ!!」というクオリティに到達するものがあって、密やかなお気に入り盤となったアルバムも結構あるので「未発表」という言葉を聴けば熱い期待を抱かずにはおれませんね。

セロニアス・モンクの話に戻ります。実はモンクって人は、これだけのビッグネームでありながら、死後リリースされた未発表音源というものが比較的少ない人であります。

ちょっとどういうのが出てたっけ・・・?と思い返しても大体数枚ぐらいですね。だから

「セロニアス・モンクの未発表ライヴ。しかも、どっかの高校で行われたコンサートの音源」

と聞いて、一体全体どんな演奏で、しかもそれがどんな録音状態で録音されているのもか、全く想像もつかず、それだけに色々と聴く前から想像を巡らせて楽しく過ごしておりました。


ちょいとセロニアス・モンクという人の経歴についてサラッとまとめると

・1940年代...バリバリのテクニックを持つ凄腕のピアニストとしてニューヨークで名を知られるようになる。40年代後半にはビ・バップ・ムーヴメントの立役者の一人となり、それまでにない独自のスタイルを築き上げる。BLUENOTEからデビュー作となる2枚のアルバムをリリース。

・1950年代...1952年にPrestigeからアルバム2枚をリリースするも余りにも個性的過ぎて一般にはあまり理解されず、挙句冤罪逮捕されアメリカ国内での演奏活動が出来なくなってしまう。Prestigeからソニー・ロリンズをゲストに招いたセッション(1953〜54年録音)がアルバムとしてリリースされる。1954年フランスのVogueにてソロ・ピアノ・レコーディング。

・1950年代半ば〜後半...ようやく表舞台に復帰し、Riversideと契約。まだまだ一般の認知度は低かったものの、その斬新な音楽性と独特なピアノ・スタイルは徐々に評判となる。彼を敬愛するジョン・コルトレーンなどの後輩ミュージシャン達の助力も認知の後押しとなる。

・1950年代末〜60年代初頭...Riversideでは、後に代表作と呼ばれる作品が次々とリリースされる。60年代にはテナー・サックスのチャーリー・ラウズをはじめとする固定メンバーからなるカルテットを結成。大手Columbiaレーベルと契約。安定した活動期を迎える。

1960年代後半〜70年代初頭...孤高のピアニストとして世界中で確かな個性と実力が評価されるもモンクの健康状態が悪化。68年にColumbiaとの契約終了。71年のレコーディングを最後に表舞台には全く出なくなってしまう。

という感じであります。

で、この『パロ・アルト』と名付けられた未発表音源は、モンクの安定期と言える1960年代半ばのものです。

メンバーはチャーリー・ラウズがテナーにラリー・ゲイルズのベース、ベン・ライリーのドラムといえば、ライヴ映像でかなり良い感じだった『オスロ66』のメンバーと同じ。いや〜、あの映像は今ではYoutubeなんかで検索したら出てくるはずですが、モンクのピアノはもちろん小さいバスドラとスネアとハイハット、そしてシンバル1点しかないドラムセットで淡々とリズム刻んでるベン・ライリーに、牛乳瓶の底みたいなブ厚い眼鏡かけて黙々と横に向けてベース弾いてるラリー・ゲイルズとかの見た目の異様なインパクトもあって、凄い映像でした。おほっ、これは期待が高まります。




パロ・アルト ~ザ・ロスト・コンサート



【パーソネル】
セロニアス・モンク(p)
チャーリー・ラウズ(ts,@AC〜E)
ラリー・ゲイルズ(b,@AC〜E)
ベン・ライリー(ds,@AC〜E)

【収録曲】
1.ルビー・マイ・ディア
2.ウェル・ルー・ニードント
3.ドント・ブレイム・ミー
4.ブルー・モンク
5.エピストロフィー
6.アイ・ラヴ・ユー・スウィートハート・オブ・オール・マイ・ドリームス
(録音:1968年10月27日)



いや〜、正直これはぶったまげました。つうか、今もこのアルバムを「期待以上に素晴らしいものだった」と、通り一遍の言葉でまず綺麗にまとめていいもんかと思うぐらいに凄いライヴでした。

まずですね、アタシが「これは良い」と思うモンクの作品って、とにかくモンクが弾くピアノが異次元までぶっ飛んでいて、それに触発されたメンバーのプレイが尋常じゃないテンションにまで引き上げられて、ぐわぁ〜とこう摩訶不思議世界が構築されてゆくみたいな作品でした。

ほんで、ラウズ参加後の60年代の安定感のある作品は「なかなかにいいんだよね〜♪」と、頻繁に愛聴する。みたいな位置付けであったんですが、それがこのアルバム聴いてから根底から揺らぎそうなんですよ。


演奏内容について触れる前に、音質です。

一言「バカなんじゃないの!?」ってぐらいクリアかつ臨場感あります。

大体この時代のプライベート音源って関係者が持ち運び式の簡易録音装置にマイク繋いで、それで周りのザワザワした音とかもハッキリ入ってて、どころかマイクの位置によってはそのザワザワの遥か向こうで演奏が鳴ってるようなものが多かった。で、大体管楽器とドラムのバシャバシャした音以外の、ピアノとかベースはほとんど聞こえない。

それが何ですかこれは。ピアノもベースもドラムも”ちゃんと聞こえる”どころのレベルじゃなくて、音のバランスが最高で、どの音も引っ込んでない。

演奏内容では、前評判で「チャーリー・ラウズが凄くいい」の通り、凄くいいです。

ラウズといえば、彼以前のモンクとの共演者が、ソニー・ロリンズとかジョン・コルトレーンとかジョニー・グリフィンとか、超パワフルな個性派だったこともあって、何かと比較されて地味だの何だの言われておりますが、いやいやいや、全然そんな事はなくて、むしろモンクの特異な音楽を最も良い感じに消化して、複雑な展開の中で絶妙な”押しと引き”を唯一体現出来たテナーマンだと思うのです。

とはいえ、ただモンクに合わせていただけではなくて、特にライヴではモンクに代わって演奏をグイグイ引っ張って方向性を決定付けるなんてこともサラッとやっていて、このライヴはそのリードぶりが際立っております。

それと、このクリアな音質でガンガン前に出ているラリー・ゲイルズとベン・ライリーの見事なリズムのコンビネーション。

モンクのコンセプト自体がそうというのもあって、この2人はド派手に大見栄を切るようなことは決してやりません。決してやりませんが、全く無駄のない、絞りに絞った音数の中で強靭なグルーヴを積み上げてゆく。たとえばスネアが「スタッ!」と鳴るだけで、ベースの弦がちょっと空白を置いてから「ブボン」と鳴るだけで不思議なゆらぎとうねりが生まれており、その上でピアノを弾くモンク、テナーを吹くラウズがですね、実に気持ち良さそうなんですよ。

特にモンクの演奏には、モンクがいきなりバッキングから抜けたり、無音になったりする瞬間があったりするんですが、それはバンド全体の息がよほど合ってないと「あれ?何か間違ったかな?」ぐらいにしか思えないところを、この時期のモンクはその”音がないところ”を全部カッコ良く決めてます。

ここでふっと思いました。「これはセロニアス・モンクのライヴっつうより”セロニアス・モンク・バンドのライヴ”として最高なやつなんじゃないか」と。

はい、さっきも言いましたがセロニアス・モンクって人は、余りにも独創性が高過ぎて世間に理解されるまでに時間がかかった人であります。が、初期から50年代までのアルバムを聴いていると、そんなモンクと周囲の噛み合わなさや、モンク一人がぶっ飛んでいて、共演者が悪戦苦闘しているところに独特のスリルや緊張感が生まれ、それがカッコ良さになっていました。いわば単独のカッコ良さです。

が、60年代。特に60年代半ば以降は、長く活動してきたレギュラー・メンバー達がモンクと共演を繰り返すうちに鍛えられ、ある意味において”孤高”と呼ばれたモンクと同じ領域に達した演奏が出来るようになってきた。で、バンドとしてのカッコ良さが、この時期最高に練り上げられていたんじゃないかと。

確かに60年代半ば以降、モンクは精神状態が悪化して気力の衰えみたいなものがあったかも知れませんが、メンバー達の洗練を極めたプレイに、その分はしっかりとカバーされ、ウィークポイントにはなっておりません。むしろメンバー達の隙の無い好演を受けたモンクのピアノは、鍵盤の上で嬉しそうに踊っているようにも聞こえるのですがどうでしょう。


とにかくこのライヴ、通して聴く前にあっという間にアタシの中でお気に入りだらけのモンクの作品群の中の更に好きな”特別”の仲間入りをしました。いやぁ、本当にすげぇやモンク・バンド!と、しばらくは狂喜の歓声しか出てきません。
















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2021年03月27日

アストル・ピアソラ タンゴの歴史第1集・第2集

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アストル・ピアソラ/タンゴの歴史第1集〜グァルディア・ビエハ
アストル・ピアソラ/タンゴの歴史第2集〜ロマンティック時代
(Polydor/ユニバーサル)


ピアソラといえば今でこそモダン・タンゴの生みの親、アルゼンチンの国民的英雄、20世紀最高の作曲家などなど、その名前が賛辞と共に形容され、実際に彼の楽曲はタンゴを超えてクラシックやジャズ、ポップスなど様々なジャンルの音楽家によってカヴァーされ、世界中多くの人の耳にそのメロディが刻まれるほどにポピュラーな存在として知られておりますが、その50年に及ぶ音楽活動の半分以上は、広くその真価を認められず苦悩していた時代を抱えておりました。


ザッと語りますればピアソラは最初からタンゴのローカルさ、つまりは「酒場での喧噪の中で人を踊らせるためだけに存在する娯楽音楽」としての部分を、何とか「コンサートホールでの鑑賞に耐え得る芸術音楽」の域にまで高めたかった。そのために好きで聴いていたジャズや留学で学んだクラシックのあれこれをタンゴにまぜこぜして、タンゴ本来のダイナミズムを損ねることなく、研ぎ澄まされた洗練と高い芸術性をプラスするような真面目な活動に専念しておったのです。

ピアソラのそんな活動は、アルゼンチンの文化省や芸術家達からは「お、何か意識が高いことやってるねぇ」と、ぼちぼち認められてはおりました。

が「やっぱりタンゴはええで、踊れるしのぉ♪」と楽しんでいたそれまでのタンゴ好きの大部分からは

「な!?このピアソラっつうヤツのタンゴは何じゃい、踊れんやんけこんなもん!」

「おい、クラシックやないんぞ!何お上品に気取っとるんじゃい!」

と、おおむね否定的な評価を投げつけられておりました。

特にピアソラが故国アルゼンチンに戻ってきて、意欲に燃えていた1960年代は、創作の意欲と世間での悪評との板挟みになって、ピアソラは大いに苦しんだと思います。

古典ファンにも比較的掴みやすく、編成もシンプルだった五重奏団で演奏したと思ったら、今度はその五重奏団にオーケストラを模した様々な楽器を加えた大編成バンドでもって、複雑な編曲の作品をリリースしたり、この時期のピアソラの作品には聴衆も戸惑ったとは思いますが、ピアソラ自身が苦悩と迷いを抱え、かなり参っていたのではないかと思います(作品1枚1枚のクオリティは、それ故に息を呑むほどの緊張感に満ち溢れたものがズラッと並んでおりますが)。

それでも1965年、アルゼンチンの文化交流事業の一旦としてニューヨークのフィルハーモニックホールでの公演を大成功を収め、その勢いをそのままスタジオで再現した『ニューヨークのアストル・ピアソラ』という生涯屈指の名作を作る事が出来たピアソラの快進撃は、これをきっかけに始まるものと一部ではかなり期待されておりました。



ところがこの時期のピアソラには、音楽的な苦悩とは別に、プライベートでの深刻なトラブルがありました。

1942年に結婚していたピアソラ、実は女性には結構だらしなかったらしく、加えて前から奥さんとは政治的な考え方がどうにも合わず、60年代はずっと別居生活を送っていたんですが、何とか弁護士を間に立てて和解しようとしていたのですが、そこに新たな女性が現れて、何とピアソラはその女性と同棲生活を始めてしまいました。おい、和解のための調停の最中に何てことするんだ。

この一件でピアソラは、音楽的な非難以上の非難にさらされ、ますます苦悩に打ちひしがれることとなり、その反動で「曲が全く書けない」という深刻な事態に陥る事になってしまったのであります。

う、うん...。そりゃあアナタそうなりますよとは思うのですが、話はこのまま続けます。

そんな、全く曲が書けなくなってしまったピアソラを見かねたレコード会社は提案します。

「なぁ、曲が書けないんならどうだい?ここでひとつ伝統的な古典タンゴの作品集でも作ってみないかい?」

ところがピアソラは

「いやぁ、俺は自分の曲以外やる気がしないんだよ。大体自分は古典タンゴのマンネリを打ち破るために音楽をやってるんであってゴネゴネゴネ...」

と、やる気を出しません。


ごねるピアソラにプロデューサーは

「いや、おめぇのくだらねぇ女絡みのスキャンダルのせいで今こんな事態になってんだろうが!このまんま契約打ち切られて消えたくなければとっとと古典タンゴの作品集作りやがれ!!」

とキレたのか

「何を言いますかマエストロ。あなたの斬新な感覚でもってこれまでと全く違うあなたにしか出来ないアレンジを施して、埃にまみれた古臭いタンゴを生まれ変わらせるのです!マエストロ、あなたは天才だ。きっとこんな事ぐらい訳もなく簡単にこなせてしまうでしょう」

と持ち上げたのかは分かりませんが、とにかく何となく乗り気でなかったピアソラは、気合いを入れた古典タンゴの作品集
をレコーディングすることになります。

それが『タンゴの歴史』と名付けられた2枚のアルバムです。


タンゴの歴史 第1集/グアルディア・ビエハ


【収録曲】
1.エル・チョクロ
2.オホス・ネグロス(黒い瞳)
3.ラ・クンパルシータ
4.ラ・カチーラ
5.ラ・マレーバ
6.わが悲しみの夜
7.ガウチョの嘆き
8.恋人もなく
9.夢の中で
10.バンドネオンの嘆き
11.ボヘミアンの魂
12.淡き光に


タンゴの歴史 第2集/ロマンティック時代+7

【収録曲】 
1.タコネアンド(靴音高く)
2.グリセータ
3.酔いどれたち
4.ロカ・ボエミア
5.レクエルド(想い出)
6.ボエド
7.影の中で
8.パンペーロ
9.ラ・レバンチャ
10.愛の夜
11.ウノ*
12.スール(南)*
13.マレーナ*
14.ペルカル *
15.私自身の肖像*
16.闇の女グラシエラ*
17.バラとツバメたち*

(*ボーナストラック)



『グアルディア・ビエハ』と名付けられた第1集は、タンゴ創世記と呼ばれる1900年代初頭から1920年代までに作曲された、これはもうアルゼンチン・タンゴのスタンダードと呼ばれ、現代にいたるまでありとあらゆるアーティスト達によって演奏され続けてきた名曲のオンパレード。

アレンジは意外にも奇をてらわずに、シンプルに美しく、原曲の素朴なメロディの良さを隅々まで緊張感がピンと張りつめたピアソラならではの美的感覚でもって最大に引き出したものが多く、非常に深みのあるタンゴ名曲集として、最初から最後までじっくりと聴いて楽しむことが出来ます。

「これなら保守的なタンゴ好きも納得して大人しく聴けるだろう」と、プロデューサーもレコード会社もホッとしたことと思いますが、基本に忠実な演奏をしながらも、ちょっとしたところで独自性を仕掛けとしてぶち込んでくるのがピアソラの恐ろしいところ。

まずは楽器編成ですが、通常の五重奏団に、12本のバイオリンに4本のづつ配されたチェロとヴィオラ、そしてヴィブラフォンにシロフォン、小さいパーカッション類。とどめにコーラスとしてのソプラノ歌手を加えたかなり変則的なオーケストラ編成なんです。この編成の中でピアソラのバンドネオンやアントニオ・アグリのヴァイオリンが際立って美しいソロを奏で、その効果を倍増させるためのオーケストラによるリフがむせるような香気を炸裂させるという、1枚の中でいくつもの時限爆弾が間髪を入れずに炸裂するという中毒性の高い構成にヤラレます。

そして、基本的に原曲に忠実な解釈の中、誰もが知る中の誰もが知るタンゴ名曲『ラ・クンパルシータ』での、原曲の解体ぶりが異様なカッコ良さを放っております。いや、最初聴いた時、これがあの曲だとは、アタシは全然気づきませんでしたが、コードやスケールは全くいじらず、これがこんな風な演奏になるんですねぇ・・・。


そして『ロマンティック時代』と名付けられた第2集は、アルゼンチン・タンゴが音楽としてひとつのピークに達した1920年代から30年代の曲を中心に選曲。

コチラも編成は第1集とほぼ変わらない、研ぎ澄まされた弦楽オーケストラ・サウンドですが、この時代のタンゴは正にピアソラが幼少期から青春時代に影響を受けた作曲家や楽曲がたくさんいるために、ピアソラ自身が「かなり思い入れがある曲を選んだ」と語るぐらいに気合いが入っております。ピアソラが「克服すべきもの」として対峙していた”踊らせるたけのタンゴ”と魂で理解し合い、それへのリスペクトを燃やしながら、徐々に古典タンゴを自らの音楽として構築してゆく生々しいドキュメントを、第1集より更に激しい温度で感じられるような、そんな真剣さがみなぎっております。

この「ピアソラが古典タンゴを演奏するプロジェクト」は、続いて1940年代から50年代、そして60年代へと至る第3集と第4集の4部作としてリリースされる予定ではありましたが、途中でピアソラが「あ、もういいわ。俺、新曲出来そうだわ」となって第3集のレコーディング途中で放棄。

第2集のボーナストラックには、その第3集になるはずだった音源と、スランプ期に書かれたオリジナルが収録されているEP音源が入っておりますが、このEP音源の『私自身の肖像』が、後に『ルナ』として晩年に至るまでの重要なレパートリーなので、ピアソラ好きはお聴き逃しなく。そうでなくともこの独特の沈鬱さが哀愁として昇華してゆくこの曲、たまらなく良いよなぁ。。。
















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2021年03月17日

ニューヨークのアストル・ピアソラ

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ニューヨークのアストル・ピアソラ
(Polydor/ユニバーサル)


今年2021年は、アストル・ピアソラ生誕100周年記念という事で、何かあるんじゃないかと思っていましたが、何とユニバーサル・ミュージックから、ピアソラのポリドール時代の名作や、これまでCD化された事がなかったレア・アルバムが一挙7タイトル再発になりました。

メーカーからのインフォメーションを見てる段階で「おぉ〜、ずっと欲しかったやつだ!」とか「えぇえ!?これはタイトルしか知らなかったぞ!」とかいうものが目白押しで、アタシはもう入手して聴く前から非常に興奮しておりました。

この再発シリーズの中で、アタシも一番欲しかったものは『ニューヨークのアストル・ピアソラ』です。

このアルバムはですね、数あるピアソラの名盤と呼ばれるものの中でも、初期1960年代屈指の素晴らしい出来であると、あちこちで絶賛されているアルバムで、しかしかなり前に国内で一回だけリリースされたっきり、ずっと廃盤だったやつなんですね。確か1990年代の初め頃(今調べたら1992年でした)にピアソラが亡くなって、その少し後に追悼盤として初CD化されたとか何とかで、90年代の終わり頃、といえばアタシがピアソラを「カッコイイ!!」と思い始めていた丁度その時ぐらいまでは、何となく大きなCDショップの店頭には並んでいたと思います。

が、やっぱりその頃は一連のキップ・ハンラハン・プロデュースのやつやら、その辺のリリースされたばかりのアルバムを必死で集めようと思っていた時期で、ほんでもって『ニューヨークのアストル・ピアソラ』が凄くいい(らしい)という事も知らずにスルーしておったんですね。

という訳で、欲しいと思った頃にはもう流通しておらず、随分と長い間淋しい思いをしておりました。

さてさて、そんなアタシの与太はともかくとして、何故このアルバムが名盤なのか?それはやはりピアソラにとって、ニューヨークという街が特別であったからというのが、まず大きな理由として挙げられるでしょう。

ピアソラはアルゼンチンで生まれましたが、4歳の頃に家族でニューヨークに移住。そこで15歳まで過ごしております。

多感な少年時代を過ごした大都会。そこでピアソラは母国の文化よりも先に、ジャズやミュージカルなどの、最先端のアメリカ文化に夢中になります。

ピアソラはアルゼンチンの音楽であるタンゴに、ジャズやクラシックといった外部の音楽から受けた影響を大胆に取り入れ、独自の芸術性の高い音楽へと昇華させてゆくのですが、その原点である原体験が、この幼少から少年期に培われたものであったのです。

その後ピアソラ一家は故国アルゼンチンに戻り、若き青年アストル・ピアソラはこの頃にはもういっぱしのミュージシャンとして、地元のタンゴ・グループにバンドネオン奏者として参加して演奏活動を行っております。当初からピアソラは「タンゴで何か革新的なものをやろう」という志に燃えており、自身が率いるグループで先鋭的な演奏をしていたのですが、これが全く受け入れられずバンドも解散。ピアソラは裏方として古典単語の編曲の仕事などをやりながら、再びの活動の機会を待っておりした。

が、アーティストとして認められない現状に悶々としているうちにタンゴそのものに失望したピアソラは、クラシックの音楽家になるためパリへ留学。

んで、↓に書いてあるいきさつを経て、ピアソラは再びアルゼンチンに帰国して、タンゴの世界へ戻ります。



アルゼンチンに戻ってきたピアソラは、以前にも増して「他の誰にも出来ない革命的タンゴ」の創造に燃えており、早速エレキギターを入れたグループを結成し、クラシックの対位法やジャズから強く影響を受けた即興的要素を大胆に演奏の中に取り入れますが、今度は受け入れられないどころか「タンゴの破壊者」という罵倒や「お前の家に火をつけてやる!」といった脅迫なども浴びせられ、今度は逃げるようにアルゼンチンを離れ、ニューヨークへと舞い戻ります。

世界の文化の中心地ニューヨークで、私はきっとタンゴの革命を成し遂げる!と意気込んだピアソラでありましたが、結局思うように仕事は得られず、更に故郷の父親の訃報がツアー中に届くなど、ピアソラにとってショックな事が立て続けに起きてしまい。結局1960年には再びアルゼンチンに帰国することとなります。

アルゼンチンに戻ったピアソラは、バンドの編成も『バンドネオン、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、コントラバス』というシンプルで基本的な編成に立ち返り、この編成で、あくまでタンゴというフォーマットの中で出来る最大限の実験に集中し、ピアソラの評価は徐々に一部の進歩的な音楽好き達によって「みんな彼のタンゴは踊れないなんて言うけど、よく聴いてみたらアレはなかなか大した事をやっとるぞ」というものへとなっていきました。

それでもピアソラは、70年代にヨーロッパで正当な評価を手にするまでは、アルゼンチン周辺の「知る人ぞ知る」音楽家、或いは保守的なタンゴの愛好家からは「前衛かぶれのいけすかないヤツ」として知られるのみでありました。



ニューヨークのアストル・ピアソラ +6

【収録曲】
1.悪魔のタンゴ
2.悪魔のロマンス
3.悪魔をやっつけろ
4.10月の歌
5.マルデルプラタ70
6.トード・ブエノスアイレス
7.天使のミロンガ
8.天使の復活
9.ラ・ムーファ
10.ブエノスアイレスの夏*
11.ゲートルのリズムで*
12.セ・ラムール*
13.トレス・サルヘントス*
14.革命家*
15.アルフレド・ゴビの肖像*

(*ボーナストラック)


それでもピアソラはめげません。元より古典タンゴを心から愛し、表現の技法は完璧にマスターし、その上で真剣に学んだクラシックやジャズのエッセンスを、大胆で緻密なアレンジに、究極に真剣を尖らせて練り込んでいった彼の音楽は、当初からその完成度やダイナミズムにおいては、やはり(単純にタンゴ以外のジャンルを全部ひっくるめても)世界でも群を抜いたものでありました。

『ニューヨークのアストル・ピアソラ』は、正にそんな時期のピアソラと彼の作る”新しいタンゴ”の特異性と、バンドの研ぎ澄まされたチームワークと個々の凄まじいテクニックが最初のピークに達した瞬間を収めた作品であります。

このアルバムは1965年、ピアソラ五重奏団によってレコーディングされたスタジオ・アルバムであります。タイトルは『ニューヨークのアストル・ピアソラ』だし、オリジナルのジャケットにはスペイン語で「ニューヨーク・フィルハーモニック・ホールにて」と書いてありますが、実は録音はアルゼンチンのスタジオの中で行われたという、少々紛らわしい仕様なのですが、どうやらこれはプロデューサーによる「ピアソラはアメリカでこんなに評価されて凄いんだぞ!」と、アルゼンチンの人々に宣伝したいという思惑によって成されたものであるそうです。

が、実際にピアソラはこのアルバムを録音する前に実際ニューヨークのフィルハーモニック・ホールでコンサートを行っており、そのコンサートは”最先端”を求めるアメリカの音楽ファンからは賞賛を以て話題になったものでありました。

少年時代に大きなインスピレーションを受ける原体験をしたことと、大人になって果敢に挑んでも思うような成功に繋がらなかった、そんな両極端な経験をしたピアソラにとって、ニューヨークでのコンサートの成功は、言い表せないぐらい嬉しく興奮する出来事であったのでしょう。その興奮は、アルバムでも十分に表れております。

五重奏団のメンバーは、ピアソラ(バンドネオン)、アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)ハイメ・ゴーシス(ピアノ)、オルカル・ロペス・ルイス(ギター)、キチョ・ディアス(コントラバス)です。

ピアソラの片腕として、時にピアソラ以上に鋭くロマンチックなリードで演奏を一気に華やかなものにする、”ピアソラの相棒”と称されたアントニオ・アグリと、激しく唸るベースラインでピアソラがこだわった”リズム”の核となるキチョ・ディアスのコントラバス、演奏の中ではバックを支える屋台骨でありますが、実はそのエレキギター奏法には、ジャズのバッキングやアドリブによるオブリガードなど、物凄く斬新なテクニックをさりげなく散りばめたオスカル・ロペス・ルイス、クラシックを極め、初期ピアソラのコンセプトを完璧に理解し、演奏に深みとドラマ性を持たせたハイメ・ゴーシスのピアノ、このキャリアも出身ジャンルも微妙に違うメンバー達が、それぞれの個性を発揮しながら、演奏がぶっ壊れるギリギリを瞬時に見極めて、尋常ならざる煌めきの瞬間を、いくつもいくつも炸裂させていて、もう冒頭の『悪魔のタンゴ』のオープニングから心臓がドキドキしてしまう程。

アルバムのコンセプトも『天使と悪魔』をモチーフに、清浄と妖艶が際どいコントラストで歌詞のない物語を壮大なスケールで描いております。しかも、どの曲どの演奏も溶けそうなほど官能的。


ピアソラが初期60年代に残した作品の数々は、今の時代の私達にとっては本当に素晴らしい魂の結晶である芸術作品でありますが、その時のピアソラといえば、狭い世間からの黙殺や悪評にじっと耐えながらひたすら未知の音楽を信じて作り続けていたんですね。そんな事を考えながらこの時期の作品を聴くと、やはり胸にグッと熱いものがこみ上げてくるのです。












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