ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年08月19日

スウィート・インスピレイションズ

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スウィート・インスピレイションズ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

ここ1ヶ月の間、コルトレーンを中心にハードなジャズばかりを集中的に聴いておりましたので、気が付いたらふと音楽にポップさを求めてしまいます。

こういう時は60年代のソウル・ミュージックだよなぁ〜、と、しみじみ思いながら聴きまくっておりましたのがコチラ、ジャケットからしていかにも60年代後半の、ポップでキッチュでサイケな衣装もカワイイ女の子3人組”スウィート・インスピレイションズ”でありますよ。

中身は至福な楽曲と、まるで極楽のような見事なハーモニーが重なり合う、もう本当にこの時代の

「かっこいいソウル・ミュージック?」

「そうこれ!」

で決まりの、とにかく歌が上手い女性ヴォーカルものをお探しの方になら、目をつぶってもオススメできるぐらいのやつなんです。

そう、スウィート・インスピレイションズ、このグループは単純に心地よく聴くだけでも最高ですが、実はこの時代のガールズ・ソウルを語るには欠かせない、とても重要なグループです。

何で重要なのかというと、彼女達は教会でゴスペルを歌ってた、そのグループがそのまんまソウルのグループとしてデビューし、認められたんですね。

それのどこが重要なのかというと、今でこそゴスペルは、プロのシンガーになるための登竜門的な音楽になっておりますが、その流れを作ったのが、このスウィート・インスピレイションズなんです。

もちろん、彼女以前にも「教会でゴスペルを歌ってたのが、プロになってソウルシンガーになった」

という歌手はおりました。

代表的なのはサム・クックとアレサ・フランクリンです。

この人達は、ゴスペルのスタイル、培った歌唱法を全面に押し出して大成功しましたが、言うまでもなくゴスペルという音楽は、神様を讃える宗教音楽であります。

それこそ戦前なんかは「ブルースなんぞ悪魔の音楽、あんなもの歌う人間は地獄に落ちる」と、徹底して世俗の歌や、そういった娯楽に溺れる人間に対しては、教会音楽の世界は結構容赦なかったんです。

そういった考え方は戦後も根強く残っておりまして、50年代以降ゴスペル出身のシンガーがR&Bの歌手になるなんて言うと「教会で歌ってた人間が、R&Bなんていう世俗のイヤラシい音楽を歌うなんてとんでもない」と、非難されていた。そういう意識がまだまだあったんですね。

だからサムもアレサも、ゴスペルの世界を離れて、自分は俗世の音楽をやりますと、キッチリ”転向”した上でR&Bやソウルで、男と女の愛の歌などを歌ってた、またはその必要があったんです(アレサはその罪悪感に苛まれて、純粋なゴスペルアルバムをリリースしたりしております)。

この流れが徐々に緩和されていったのが1960年代半ば、10年以上にも及ぶ運動の末に、人種差別を禁止する公民権法が制定され、アメリカ黒人の社会的権利がようやく認められるようになってからであります。

この運動によって芽生えたのが「ブラザー、シスターみんなで手を取り合って世の中を変えて行こう」という意識であります。

こういった意識を持つんだぞと、音楽の世界からずっとメッセージを発し続けていたのがサム・クックを中心としたソウル・シンガー達であり、彼らのメッセージは「ソウルもゴスペルと同じく、人類愛を歌っているね」と、信仰に篤い人々からも一定の評価を得ました。

そしてアレサ・フランクリンもこの時期アトランティック・レコードと契約を交わし、それまでずっと抑えていたゴスペル・フィーリングを全面に打ち出した”ソウル”を歌い、これで大ブレイク。「アレサが歌うとちょっとした男女の恋愛の歌もまるで人類愛を歌ってるように聞こえる」といった世間の評価は、これもまた世俗と信仰の壁を薄くすることに大きく貢献しました。


ちょいと長ったらしくなりましたが、ブラック・ミュージックを深く楽しむために、教会音楽と世俗音楽の関係と、公民権運動ってのは絶対に避けて通れないお話なんで、まぁよくわからんでも「あぁそうか」と思って心の片隅に留めておいてくださいね。

で、スウィート・インスピレイションズであります。

彼女達は、元々がニューヨークのお隣のニュージャージー州の教会でゴスペルを歌ってた聖歌隊であります。

この中で透き通る力強い高音のヴォーカルを自在に操り、天才少女と呼ばれていたのが、リード・シンガーのシシー・ヒューストン(当時の名前は”シシー・ドリンカード”)。

彼女の活躍は凄まじく、十代の頃にはもう”ドリンカード・シンガーズ”という自分の名前を冠にしたグループを率いております。そして、1950年代の末には一流が集うニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、ライヴ・アルバムも作っております。

ついでに言うとシシーはホイットニー・ヒューストンの母親であり、80代になった今でも現役のゴスペルシンガーとして活躍中です(2017年現在)。



【収録曲】
1.オー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン
2.ブルース・ステイ・アウェイ・フロム・ミー
3.ドント・レット・ミー・ルーズ・ディス・ドリーム
4.ノック・オン・ウッド
5.ドゥ・ライト・ウーマン、ドゥ・ライト・マン
6.ドント・ファイト・イット
7.スウィート・インスピレイション
8.レット・イット・ビー・ミー
9.アイム・ブルー
10.リーチ・アウト・フォー・ミー
11.ヒア・アイ・アム
12.ホワイ(アム・アイ・トリーテッド・ソー・バッド)

この”ドリンカード・シンガーズ”が前身となって、えりすぐりの実力派シンガーばかりを集めて結成されたのがスウィート・インスピレーションズ”です。

男女の甘い恋愛を想起させる”スウィート”という単語と、霊感を意味するそのまんまゴスペル用語である”インスピレーション”を掛け合わせたグループ名は、ソウルの世界において彼女達が「ゴスペルの背景を持っている」という堂々たる宣言であり、実に画期的なことだったんです(元々は”インスピレイションズ”という名前でソウルを歌いたかったけど、その名前は既に使われていたので”スウィート”を付けたということが結果的にインパクトを与えました)。

で、この当時のメンバーであるシシーと、双璧を成すパンチの効いたリードのエステル・ブラウン、バックで絶妙なコーラス・ワークの屋台骨を支えるマーナ・スミス、シルヴィアシェムイルの4人が奏でるハーモニーは、完全にゴスペルのそれであります。

シシーが伸びやかな声で主旋律を歌えば、そこに全く声質が違うのに何の違和感もなく掛け合い、ヴィブラートを見事に絡め合いながらリードを交代するエステル、このコンビネーションがとにかくもう見事で、バラードもファンキーなナンバーも、とにかく「あぁ、美しい」と、素直に浸れる感動的なものに仕上がっていて、それでいて敷居の高さは全く感じさせないんですね。最初に聴いた時それこそソウルとしてのキャッチ―さ、ゴスペル(の歌唱法、コーラスワーク)としての上質さの両方に、それこそ撃ち抜かれました。こんだけポップなのに、何かこう心洗われた気分になるのは一体どういうことだろう、凄い!あぁもう言葉もないと、もうそんな感じです。

楽曲はオリジナルに加え、ウィルソン・ピケット(この人もゴスペル出身)、アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックの素晴らしいカヴァーがいずれも美しいハーモニーで時に繊細に、時に力強く綴られております。

特にアレサの名バラード「ドゥ・ライト・ウーマン・ドゥーライト・マン」は絶品であります。



彼女達は、実はグループとしての活躍よりも、アレサ・フランクリン、エルヴィス・プレスリーのバック・コーラス隊として有名だったりするんですが(上の動画のコーラスが”スウィート・インプレッションズ”です)、既にバックを務めていたアレサの、本家にも迫るクオリティを聴くと、本当に凄い実力を持った人達なんだなぁと、しみじみ感じ入りますね。

この後はさっきも言ったように主にアレサやエルヴィスのバックとして活躍していたスウィート・インプレッションズ、グループとしては大々的なヒットを飛ばすというよりは、細く長い活動で今に至り、ブラック・ミュージック界の屋台骨を支えております。

で、60年代後半の洗練を見事パッケージしたこのアルバムの次にリリースされたのが、実に味わい深いゴスペル・アルバムで、コレがまた最高なんですが、そのお話はまた次の機会に。。。





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2017年08月15日

ニューシング・アット・ニューポート

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ジョン・コルトレーン&アーチー・シェップ/ニューシング・アット・ニューポート
(Impuslse!/ユニバーサル)


さてさて、昨日はコルトレーンの関係者の一人としてアーチー・シェップという兄さんがとても重要なんだよということをお話ししました。

1960年代は、コルトレーンの影響を受けたサックス奏者が次々出てくる中で、実にシェップという人は、自らの持つ、前衛と伝統の深い部分を掛け合わせた個性でもって、コルトレーンのスタイルに真っ向から挑んだ。

と、同時に持ち前の頭の良さと売り込み能力で、コルトレーンとも、所属するインパルスレーベルとも密接な関係を築き上げることに成功した人であり、アタシはこの人のプレイヤーとしての激烈で猪突猛進なスタイルと、冷静で分析力のあるプロの音楽家としての顔とのギャップが非常に面白いと思いつつ、そのどこまで人間臭いキャラクターにぞっこん惚れております。

はい、今日も大コルトレーン祭の一環で、コルトレーンのアルバムを紹介するんですけどね、今日ご紹介するのは、そんなシェップ兄さんとコルトレーンとが連名でリリースしたアルバム『ニューシング・アット・ニューポート』であります。



【パーソネル】
(AB)
ジョン・コルトレーン (ts,ss)
マッコイ・タイナー (p)
ジミー・ギャリソン (b)
エルヴィン・ジョーンズ (ds)

(D〜H)
アーチー・シェップ (ts)
ボビー・ハッチャーソン (vib)
パール・フィリップス (b)
ジョー・チェンバース(ds)


【収録曲】
1.ノーマン・オコナー神父による紹介
2.ワン・ダウン、ワン・アップ
3.マイ・フェイヴァリット・シングス
4.ビリー・テイラーによる紹介
5.ジンジャーブレッド・ボーイ
6.コール・ミー・バイ・マイ・ライトフル・ネーム
7.スキャッグ
8.ルーファス
9.ル・マタン・デ・ノワール

アメリカの名物ジャズフェスとして、古くから”ニューポート・ジャズ・フェスティバル”というのがございます。

1950年代に制作された映画『真夏の夜』のジャズでもおなじみの、この一大フェスティバルは、とにかくジャズからブルースから一流のミュージシャン達を集め、毎年大いに盛り上がったフェスの花形でありますが、1960年代も半ばになってくると、それまでのスウィングやモダン・ジャズ勢に加えて、前衛とかフリーとか言われていた、どちらかというと避暑地での優雅な野外コンサートにはそぐわないコワモテの新しい表現の担い手達もこのステージに出てくるようになってきます。

つまりそれまでアンダーグラウンドな、一部のミュージシャンや芸術愛好家しか評価しなかった前衛的なジャズが、ようやく社会的な評価を(それでもまだまだ賛否両論ではありましたが)得て注目されてきたんですね。

で、この流れの中心にいたのはやっぱりコルトレーンです。

コルトレーン本人は「とにかく新しい音楽を創造するんだ」という、まっすぐに内側を向いた気持ちでただ音楽的な実験や冒険をあれこれやっていただけに過ぎなかったんですが、やはり

「あのマイルス・デイヴィスのバンド(つまりモダン・ジャズの本流)にいたコルトレーンが、自分のバンドを組んでからどんどん聴いたこともないような音楽を作ってくる」

と、ジャズファンの間で話題になっておったんです。



「コルトレーンのやってるような、あんな激しくてどこか根源的な衝動に溢れた音楽を一体何と言えばいいのだろう」

「そりゃあお前さん、聴いたこともないようなジャズだからニュー・ジャズって言うんだよ」

「なるほどそうか、ニュージャズか。そういやちょいと前からオーネット・コールマンとかセシル・テイラーとかも、何だかよくわかんない実験的なジャズをやってたね」

「あぁ、アイツらの音楽もニュージャズだろうな」

「お前さん方ちょっと待ってくれ、コルトレーンとかテイラーとか、コルトレーンのやってるジャズは音楽理論の約束事から解放された自由な音楽だぜ。俺は彼らのやっているジャズはそういう意味で”フリー・ジャズ”って呼びたいね」

「なるほどフリージャズか、そいつはいいね。でも最初っから何かハズレてる感じのするオーネットやセシル・テイラーと違って、コルトレーンのはどこか違うんじゃないか?アドリブで盛り上がっていくうちにスケールアウトしたりはするけど、演奏そのものはアブストラクトじゃない、リズムもエルヴィン・ジョーンズがしっかりした4ビート叩いてるしマッコイ・タイナーのピアノだって激しいがメロディアスだ。だからフリージャズとまではいかないんじゃないか?」

「確かにそれは言えてる、でも最近はコルトレーンのいるインパルス・レコードから、彼と親しい若手のレコードがガンガンリリースされてんだよ。彼らはコルトレーンの影響を受けたとか言われてるんだけどもっと過激だ。トレーンをニュージャズって言うんなら連中の音楽はもっとハチャメチャなフリージャズだよなぁ」


さぁさぁこのアルバムはそんな”ニュージャズだ!””フリーだ!”と盛り上がる世間の声も大きくなっていた1966年のニューポートでのライヴ・アルバムでございます。

タイトルの「ニューシング」といえば、インパルスレコードの旗印であり「こんなに新しいジャズをニューポートのステージでやってんだぞ、どうだ!」という、並みならぬ勢いが伺えますな。

当然ながら”ニューシング”の筆頭であるコルトレーンのグループと、最注目の若手として、自分のグループを率いて暴れていたアーチー・シェップが、このレコードの主役として選ばれ、それぞれの演奏が収録されております。つまりカップリング盤。

余談ですが最初にこのレコードを見た時は「おぉぉ、コルトレーンとシェップの共演ライヴがあるんだ、すげぇ、ウホ!あのアセンションのライヴ盤みたいな感じかぁ!?」と、ウホウホ興奮したのですが、解散寸前とはいえマッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットと、アーチー・シェップのグループはキッチリと別々でありまして、しかも収録曲のほとんどはシェップ・グループのもの。


オリジナルのレコード盤は、コルトレーンの演奏は「ワン・ダウン・ワン・アップ」一曲のみ、残り4曲はシェップで「えぇぇ!?」と思いましたが、実にこの「ワン・ダウン・ワン・アップ」がほとばしる熱演で実にエグいエグい(!)。ミディアム・テンポに非常にシンプルなリフが繰り返されるオープニングから、まるで怒気を孕んだかのようなエルヴィンのシンバルが炸裂して、そこからなだれ込むマッコイの鍵盤ガキンガッキンの打撃ソロ、これが6分50秒ですよ、6分50秒!で、コルトレーンがぐわぁぁーっと登場して吹きまくる、それはもうまるで絶叫のような凄まじいソロ。これで後半およそ6分間を一気に蹂躙して、あっという間の12分40秒がおわり。

この日のステージそのものが、コルトレーン・カルテットは2曲30分しかやっていないと本には書いてありましたが、このエネルギー、この緊張感、現場は物凄い密度の30分だったと思います。

続くシェップは、ボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォンを加えた、ピアノなしの変則カルテットで、コチラも狂暴。遠慮というものを知らないシェップの「バギャ!ボギョ!」と雄叫びを上げるテナーの強烈な破壊力とむせかえるようなブルージーさと、やけにクールでひんやりした質感のボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォンという正反対のサウンド・キャラクターが、激烈な演奏の中に不思議な緊張感と浮遊感がないまぜになった独特の空気を作り出し、コルトレーンのグループとは全く違う磁場のカオスでありますね。

コルトレーン単独の作品ではありませんが、それでもどちらのグループも熱演中の熱演で、とにかく余計なことを考えさせずに楽しませてくれる素晴らしいライヴ・アルバムです。特にスタジオ盤ではあれこれ趣向を凝らすシェップが、やっぱりライヴだと考えていたことすべてをかなぐり捨てて演奏の鬼と化すテナー・プレイはカッコイイですね。”ニューシング”の旗のもと、この時代の若手が、いかにコルトレーンを意識して、それを越えようと必死になっていたかが迫力と共に伝わってきます。





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2017年08月14日

アーチー・シェップ フォア・フォー・トレーン

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アーチー・シェップ/フォア・フォー・トレーン
(Impulse!/ユニバーサル)

只今ブログで「大コルトレーン祭」と題しまして、ジョン・コルトレーンの特集をやっております。

もちろんこの特集は「ジャズの巨人にして音楽の偉人、ジョン・コルトレーンを多くの方に知ってもらい、聴いてもらおう!」という気持ちでやっておりますが、コルトレーンという、とりあえずジャズの中でも超有名の部類に入るコルトレーンを知って、共演者とか関係するミュージシャンのプレイを聴いて

「お、これは知らんかったなぁ、この人の演奏をもっと聴いてみたいぞ」

と、どんどんジャズの脇道に逸れていっても全然OK、むしろ音楽の聴き方としては、どんどん脇道に逸れながら知らない音楽を知っていくってのが本当に楽しいし、実りのある聴き方だと思いますんで、このブログをお読みのピースな音楽好きの皆さん、もしブログ中で知らないアーティストとかのことが書いてあったら(ジャズに限らず)、試聴でも何でもいいんで、ぜひとも聴いてみてくださいね。

というわけで本日は「コルトレーンの関係者」として、バンドメンバーでこそなかったけれども、とても重要な人として、アーチ−・シェップ兄さんでございます。

コルトレーンが活躍した1960年代は、彼を中心にした”新しいジャズの人脈”がシーンに大きく形成された時代でもありました。

特にコルトレーンは、セシル・テイラー、オーネット・コールマンらと共に、それまでの「心地良く聴くジャズ」の概念からちょいと逸脱した、いわゆる”ニュー・ジャズ”(後にフリージャズと呼ばれるよ)の有力な親分として、若いモンにも慕われてましたし、また、彼の所属するレーベル”Impulse!”も、ニューシングを合言葉に、コルトレーンの周囲に集まる個性的で前衛的な音楽性を持っておる若いのを常に探しておりましたので、彼らはコルトレーンの知己を得て、Inpulse!からレコード・デビューというのが、ジャズの世界のひとつの流れとして形成されておりました。

そうやって梁山泊のようなImpulse!に集まってきた若手フリージャズ・ミュージシャンといえば、アルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン、そしてアーチー・シェップであります。

で、アタシはこのアーチー・シェップという人、個人的に”シェップ兄さん”とつい呼んでしまうぐらい好きです。

何でかっつうと、コノ人は非常に人間臭い。

や、アイラーもファラオもマリオンも、とても魂のたぎったヒューマンな音楽をやっていて、人間臭いという意味では他のジャズマンよりも頭3つ分ぐらい飛び抜けた人達ではあるんですが、コノ人達はミュージシャンというよりは修行僧とかそんな感じの人達です。

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(左からアルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン)

何というか、彼らは非常にピュアで素朴な人達で、演奏を聴いてもキャリアを見ても、もう生粋の、根っからの音楽バカというか、音楽や表現の事に対して、余計なことは一切考えずにまっしぐらに突き進むタイプなんですね。個性は違えど、コルトレーンとは”同種”でありましょう。


で、そんな中一人異彩を放つシェップ兄さんはどうか

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うん、写真で見ても、ミュージシャン、運動家、活動家、頭の切れるヤクザの若頭、不動産屋、カネ持ってる寺の住職の普段着・・・。見ようによっては何にでも見えてしまう、でもキャラだけは強烈に濃い。そんな風情がありますねぇ。

実際にシェップ兄さんは、音楽的にも時代時代で様々な変換を経ております。

ザックリと

・(60年代)フリージャズの闘士としてバリバリに激烈な演奏をしてた。アフリカ音楽の要素もちゃっかり取り入れてた

・(70年代)”ブラック”をキーワードに、ソウルやファンク寄りの演奏を繰り広げる。アフリカ音楽に接近した演奏もちゃっかりやってる

・(80年代〜今)フリーやブラックな感じを上手に残しつつ、スタンダードやバラードを、オーソドックスなスタイルで吹いている

な感じで、割とその時代その時代の”注目されるもの””受け入れられそうな感じ”に敏感な嗅覚を活かしてスタイルを変えて対応していった感がしないでもないです。


そして、デビューからコルトレーンが亡くなる前後、兄さんは影響力のあったコルトレーンに必死で近付いて、そのネームバリューを自分のためにガンガン活用していったフシもあるんですよ。

節目節目で「○○フォー・トレーン」というアルバムを出しているし、コルトレーンの『アセンション』『至上の愛』ではスタジオに入ってるし(呼び集められた『アセンション』はともかく『至上の愛』はカルテットの録音なのに何故?という気がします)、多分何かコルトレーンの動向を掴んで「やぁやぁ、遊びに来ましたよ」といった具合に押しかけていったんでしょうな。

悪くいえばあざとい、抜け目ない。思いっきり計算に基づいた俗っぽい感覚で、ピュアでまっすぐな人の多いコルトレーン一家の中で”ワシがワシが”のズカズカ丸出しでその地位とスタイルを確立したシェップ兄さん。

こう書くとディスってるとか思われそうですが、アタシはそんな俗っぽいところこそがコノ人の魅力であり、シェップ兄さんの抜け目のなさが、ともすれば閉鎖的なものになりがちな前衛ジャズのシーンの実際に起爆剤になり、色んな層の人達に、そういう音楽も聴くきっかけを与えたと信じております。

それに、無節操にやるのも、コルトレーンみたいな音楽に対してストイックな人に、自分をズカズカで売り込んでその成果をモノにするのも、長いキャリアを音楽家として生きていくのも、並外れた実力がないと出来んことだと思うのですよ。

何よりシェップ兄さんは時代毎にスタイルは変えましたが、プレイそのもの、特にテナーの音色自体は一貫して火傷しそうなぐらいアツくて八方破れでずーーっと一貫してます。そしてどんなスタイルの音楽をやろうが、根っこのところに濃厚な”ブルース”を感じさせてくれます。だから皆さん、シェップ兄さんを聴きましょう♪






【パーソネル】
アーチー・シェップ(ts)
アラン・ショーター(flh)
ラズウェル・ラッド(tb)
ジョン・チカイ(as)
レジー・ワークマン(b)
チャールズ・モフェット(ds)

【収録曲】
1.シーダズ・ソング・フルート
2.ミスター・シムズ
3.カズン・メアリー
4.ナイーマ
5.ルーファス


さて「コルトレーンとの重要な関係」という意味で本日皆さんにご紹介するのは、兄さんがコルトレーンの推薦でImpulse!とめでたく契約を交わしてリリースした最初のアルバム「フォア・フォー・トレーン」であります。

「オレはコルトレーンとこんなに親しいんだぜ!」と言わんばかりのタイトルにジャケットで、あぁ最高とウットリしますね。で、中身もオリジナル曲の「ルーファス」を除いて全部コルトレーン・ナンバーで固めた、戦略仕様で、「で、どうなんだ?」と思うんですが、これが実にオリジナルな、シェップ兄さんの個性/俺節が炸裂しておるんです。

この人の個性は一言で言うと

「トラディショナルなアレンジに破天荒なアドリブ」

です。

テナー、アルト・サックス、フリューゲル・ホルン、トロンボーンの4管をフロントに配した重厚なアレンジで、リズムや展開そのものは、モダン・ジャズ以前のスウィングっぽいというか、実に地に足の付いた安定感があります。

で、しっかりしたリズム、しっかりしたホーン・アンサンブルをバックにシェップのソロがアドリブでブルージーな「ゴリゴリギャリギャリ〜!」という金属音をけたたましく響かせながら徐々に、そして瞬間的にぶっ壊れてゆく、その壊れ方が快感のツボにビシバシはまってくるんですね。

しかも、それぞれの曲をオリジナルのコルトレーンの演奏で聴くと、とってもシャープで都会的な感じがしますが、それらをまるで昔からジャズのスタンダードとして当たり前にある曲であるかのように、土着のブルース・フィーリングをドロドロに絡めて「さぁ喰らえ!」とガンガン叩き付けてくるからもうたまらんのです。

アーチー・シェップという人は「コルトレーンに影響を受けて自分もそうなろうと思った人」ではなくて、コルトレーンという色んな意味で大きな影響力を持っていた人に、野心ギラギラで自分自身の個性を遠慮なくぶつけていきながら、ミュージシャンとして成長を重ねた人なんだろうなぁと思います。やっぱりとても人間臭いですね。



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BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
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2017年08月12日

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

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デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン
(Impulse!/ユニバーサル)


2000年年代以降「リスペクト」という言葉を若い人達が使うようになって、アタシは凄く嬉しく思っております。

リスペクトっていえば、尊敬とか敬意を払うということですね。はい、尊敬とか敬意とかいうのは、人間関係の根幹であり、最も深い部分に美しく根ざすものだと思うんです。

家族や友達など、近しい間柄での信頼に根差したリスペクトも素晴らしいですが、やっぱりアタシは、年齢とか趣味とかものの考え方とかが違っても、どこか尊敬できるものを他人に感じる「いや、あの人とは考え方違うけど、正直凄い人だと思う」とかいうのこそ、大いなる敬意、つまりリスペクトだと思いますね。

さてここに、そんな”リスペクト”に満ち溢れた素晴らしい一枚のアルバムがあります。

タイトルは『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』。

はい、戦前からジャズの代表的なビッグバンド・リーダー、ピアニストと呼ばれ、ずっと人気と尊敬を一身に集めてきたデューク・エリントンと、戦後60年代以降の”新しいジャズ”のリーダー格として売り出し中だったコルトレーンとが、年齢やスタイルの違いを越えて、美しい音楽を魂と魂の大いなる交感で作り上げた素晴らしい作品です。

録音年月日の1962年9月26日といえば、コルトレーンが丁度『バラード』を録音していた時期ですね。つまりこのアルバムはレーベル側の

「ジョン、アグレッシブないい感じのアルバムは結構出したから、そろそろ落ち着いて聴けるバラードか何かでも作ろうか。古くからのジャズファンにも”お、アイツはちゃんとしとる”って思われるようなジャズアルバムをさ」

といった意向に沿ったものと思われます。

レコーディングはたった一日だけ、しかしあのエリントン(当たり前ですが当時どのミュージシャンからも尊敬されていました)が来るとなれば、コルトレーンのテンションはかなり上がったでしょう。

エリントンにしてみれば

「あぁ、そういえばインパルスのボブ・シールがスタジオに来てくれって言ってたな。誰のレコーディングだったか・・・。あぁそうそう、ジョン・コルトレーンとかいう子だよ。私はよく知らないが、ジョニー(ホッジス)のバンドに一時いた若い子らしいね」

ぐらいのもんだったと思いますが、エリントンの偉いところは、相手が若造だろうがよく知らない相手であろうが、「あ、コイツの音楽は本気だな」と分かればスッと懐に入って行って、一人のミュージシャンとしてそれに応えるところであります。




【パーソネル】
デューク・エリントン(p)
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
アーロン・ベル(b)
ジミー・ギャリソン(b)
サム・ウッドヤード(ds)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.イン・ア・センチメンタル・ムード
2.テイク・ザ・コルトレーン
3.ビッグ・ニック
4.スティーヴィー
5.マイ・リトル・ブラウン・ブック
6.アンジェリカ
7.ザ・フィーリング・オブ・ジャズ


実際に、このアルバムのセッションも、ジャケットが表すように緊張しているコルトレーンのところにェリントンがスッと寄って行って

「大丈夫だよ、君は君のスタイルでやればよい。君はサックス奏者だろう?なら私は君のプレイが映えるような伴奏をしよう」

と、優しくささやきながら行っているかのようであります。

アルバムにはのっけから名演が入っておりまして、美しいピアノが心地良い静かな時間の流れを導き、それに呼応するテナーが上質な歌を紡いでゆく「イン・ア・センチメンタル・ムード」。もうこのアルバムがどんなアルバム?って問いには「これをお聴きなさい」で全て答えられるぐらいの美しいバラードです。

この曲はエリントンが、看板ソロイストであったジョニー・ホッジスの、甘くとろけるようなアルトをフィーチャーした演奏を多く残した、いわばエリントン版「サックスのための協奏曲」とでも言える曲です。

しかも、そのアルト奏者のジョニー・ホッジスというのは、サックスを始めたばかりの頃のコルトレーンにとってはもう神様みたいな憧れのアイドル。で、目の前にいるのはホッジス通り越してデューク・エリントン。

そのデュークが「イン・ア・センチメンタル・ムードをやろうか。君、吹いてごらん」とニコニコして言ってる。普通に考えて何この神シュチュエーション!という事態でしょう。

で、ここからが”リスペクト”です。

コルトレーン、恐らくはエリントンやホッジスに対する、もうほぼ万感に近い思いをテナーに込めて吹いてます。当たり前ですがいくらホッジスに憧れてて、エリントンに並ならぬ敬愛の念を持っているからといって、まんまホッジスのようなスタイルではやらない。それやるとかえって失礼だということを心得ているコルトレーン。彼のテナーから芳香と共に放たれるのは、繊細でシャープな輪郭の、まぎれもなくコルトレーンのトーンとメロディです。

2曲目以降も、終始リラックスした極上の雰囲気の中、両者互いに敬意を払いながら、絶妙に自分のスタイルを織り交ぜながら演奏をしております。

コルトレーンがソロを吹いている間はバッキングに徹して、しかも絶妙な”間”と”空間”をそこに敷いてゆくエリントンのピアノ、本当に素晴らしいですね。そのエリントンの”間”を察知したコルトレーンも、どの曲でも吹き過ぎず、得意の”シーツ・オブ・サウンド”奏法の核の部分だけを抽出したような、中身の濃い演奏で聴かせてくれます。

レコーディングの最中、緊張でうまく表現できないと悩んだコルトレーンは「もう一度録音していいですか」と、切羽詰まった感じで言ったそうですが、エリントンは「どうしてもう一度録るんだい?一度やって素晴らしい演奏が録れた。それで十分じゃないか」と答え、コルトレーンは自分の一番痛いところを突かれた上で、ジャズの極意を諭されたような気持になったといいます。

たった一回のセッション、全曲ワン・テイク。そしてコルトレーンのことをよく知らないエリントン。もし、何度かレコーディングを重ねたら、コルトレーンにも”激情スイッチ”が入ってガンガンに吹きまくる展開があったでしょうし、それに応えたエリントンが「マネー・ジャングル」で見せたような本気を出して、コルトレーンをねじ伏せる瞬間もあったかも分かりません。

でも、アタシはこのアルバムに関しては、この距離感、このお互いに敬意を払い合いながら音楽的な”優しさ”の部分を絶妙な間合いで溶け合わせた演奏こそが至福だと思います。









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2017年08月09日

マリオン・ブラウン ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ

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マリオン・ブラウン・カルテット/ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ
(Timeless/Solid)

1960年代に”フリー・ジャズの闘士”としてデビューし、世に紹介されながら、その実全然闘士じゃない。

たとえばコルトレーン史上最大の過激な問題作とされる『アセンション』に名を連ねる11人衆の一人として参加しながらも、激烈だったり先鋭的だったり猛烈だったりする他のホーン奏者達の中で、一人「ぱら〜ひゃら〜」と、何ともいえないユルさを醸すアルト・サックスを吹いていたのがマリオン・ブラウン。

アタシは『アセンション』や、アーチー・シェップの『ファイヤー・ミュージック』という、これまたImpulse!レーベルに録音された60年代の過激派ジャズの名盤と言われるアルバムなんかでこの人を知って、そのアブストラクトな音楽解釈と、別の次元のユルさやのどかさを感じさせるちょっと変わった音楽性と、繊細で澄み切ったアルトの音に惚れて、大好きになったアーティストです。

1930年代にアメリカ南部のジョージアで生まれ、ミュージシャンを目指してニューヨークへ出てくるも、どうやら仕事がなかったようで、古本屋の店員として働いてたら、その古本屋に常連として来ていたのがコルトレーンやアーチー・シェップ、ファラオ・サンダースとかいう人達で、文学や哲学、絵画や演劇など、彼らが欲する芸術関連の事柄に博識な店員さんのマリオンと親しく話すうちに、彼が実はミュージシャン志望で、アルト・サックスを吹くという事が判明し、コルトレーンが

「マリオン、君アルト吹くんだって?」

「うん、ちょっとね。一応学校で音楽理論とかの勉強もしたよ」

「そっかぁ、君は芸術全般に深い知識を持っているから、きっと個性的な演奏も出来るんだろう」

「いやぁ、勉強して理論は得意なんだけど、下手くそだからそっちの仕事にはなかなかありつけないんだ」

「(聞いてない)俺ね、今度新しい感性持った連中と一緒にアルバム作ろうかと思ってるんだ(メンバーにはまだ言ってないけど)。よかったら君参加してくれよ」

「え?いやいや、ボクは本当に下手だよ。君と一緒になんてそんな・・・」

「大丈夫、ホーン奏者は俺も入れて全部でえーっと・・・結構な人数いるから、好きに吹いてくれればいいから」

「え?いや・・・あの・・・その・・・」

といった具合に、半ば強制的に誘われて参加した『アセンション』のセッションが、マリオンのレコードデビューだったんですね。

で、マリオンはやっぱり演奏は下手です。

や、こんなこと言うと語弊があるかも知れませんが、この時期はみんなが基本として習得していたビ・バップの複雑で速いスケール展開を、もしかしたらちゃんと習得してなかったんじゃなかろうかと思えるフシがあります。

ただ、音色はそんじょのサックス吹きに負けないぐらい透明で美しく、何より「ぷわー」と吹くフレーズそのもので情景を描くセンスみたいなのは、ちょっと他の誰とも似ていないぐらい個性的で、磨かれたセンスがあるのです。

マリオンは、そういう意味で単なるアルト・サックスの演奏家というよりは、トータルな音世界を描く芸術家と言った方が良いでしょう。

『アセンション』の後はESPレーベルから実験的なソロ・アルバムを出し、そこで形式的には”フリー・ジャズ”とカテゴライズされてもいいような自由な即興演奏を聴かせてくれますが、やっぱりどんなに力んで過激なフレーズを吹こうとしても、どんなにアブストラクトにメロディーを解体しようとしても、この人の演奏からは、どこかのどかで大らかで、そしてすごくすごく繊細な、絵画のような心象風景が淡く浮かびあがってくる。

これに感動したアタシは、いつしかマリオン・ブラウンを”癒し系フリー・ジャズ”と呼ぶことになりました。

アメリカ南部のジョージアで生まれ育ったマリオンは、小さい頃から教会の土着的なゴスペルや、街にやってくるブルースマンやストリング・バンド、或いはまだ南部では消えていなかったメディスン・ショウやボードヴィル・ショウ(行商隊が大道で客寄せのために行う音楽とか演劇とかそういうやつ)なんかもちっちゃい頃に見ておったでしょう。

そういうアメリカ南部という土地で吸収したものを、持ち前の知識と感性で、幻想的に吐き出すことを、彼は最初から”ジャズ”というジャンルを通り越して表現したかったのかも知れません。

70年代になると

「よし、俺はこれでいいんだ」

という清々しい開き直りが出てきて、トータル・コンセプトに優れた、まるで映画のサウンドトラックのような、ジャズありポエトリー・リーディングあり、アフリカンテイストあり、クロスオーバーありの、美しい美しいアルバム達を、世に送り出すようになるんです。

そして70年代後半、自分が作曲した過去の曲やジャズのスタンダード・ナンバーを、今度は自分のアルト・サックスを中心に、シンプルなバンド編成で演奏することに目覚めて、ライヴやレコーディングに精を出すんですが、今日ご紹介するのはその中でも「あれはいいよね〜♪」と、何となく聴く人みんなを幸せな気分にさせてくれる素敵なライヴ・アルバム。





【パーソネル】
マリオン・ブラウン(as)
ブランドン・ロス(g)
ジャック・グレッグ(b)
スティーヴ・マクラヴァン(ds)

【収録曲】
1.ラ・プラシータ
2.フォーチュナート
3.ソニームーン・フォー・トゥー
4.ポスコ
5.アイム・ソーリー
6.ソフト・ウインズ

1977年に、スイスのヴィリサウというところで行われたライヴを収録したアルバムですね。

77年といえば、モダン・ジャズのブームはとっくに過ぎて、マリオンらが盛り上げていた前衛ジャズも昔の話。

世の中は空前のディスコ・ブームで、ジャズの人達も、若手の連中はマイルスやハービー・ハンコックに続けとばかりに電気化したポップな音楽をこぞってやっていた頃でありました。

が、マイペースなマリオンは

「それならそれで別にいい」

とばかりにアコースティックな編成(ギターはアンプ通してますが)で、別にロックやファンク要素を強調もしないバンドを引き連れて、世界中の小さなライヴハウスやコンサート会場をドサ回りしたマリオンは、気骨の人といえば気骨の人なんですが、60年代の後半からずっとフランスに住んでマイペースな活動をしていたので、特に世の中の動きとか流行とか、あんま関係ないし別にどうでもいいという気持ちの方が強かったんだと思います。根っからのアーティストであります。

実際の演奏も、そんなマリオンのスタンスがサウンドにもいい感じに表れている、実に自然で肩の凝らないものです。

元々ニューヨークのアンダーグラウンド界隈の住民であった頃も、レコードには「あれ?今のよく聴くとすごくポップじゃない?」という瞬間がちらほらあったどころか、アドリブこそフリーク・アウトするけれども、曲自体はまったり系のカリプソとかだったり、バラードも得意(といってもジャズの人達の”むせび泣く哀愁の”とかそんな感じじゃない、どちらかというと自然界の精霊と交信しているような感じのやつ)だったから、このライヴで再演しているオリジナル曲のカドが取れて、たとえば「ラ・プラシータ」とか、まんま爽やかなトロピカル・チューンになってるの全然違和感ないし、スタンダードのヨレた感じのソウル・ジャズ風味(B)も「いいね、ゴキゲンだね」と自然に聴けます。

で、バックを固めるメンバーの演奏がまた素晴らしいですね、特にギターのブランドン・ロス。

この人は後に80年代のロフト・ジャズ・シーン(というフリー系の流れを組む硬派なジャズですぜ)の中心人物の一人となって、シーンを牽引し、後にプロデューサー/シンガーソングライターとしても才能を発揮する、今の時代のジャズの超大物なんですが、この頃はバークリー音楽院を中退してブラブラしているうちにアーチー・シェップに誘われてプロデビューしたばかりで、そのギター・プレイも若さと、狭い意味での”ジャズ”にも、狭い意味での”前衛”にも囚われない、明るい自由さを感じさせるプレイであります。

特に音色がトロンとしたトロピカルな雰囲気を醸しておりまして、この音色と、ソロフレーズもバッキング・フレーズも常にゆるやかにアウトしているんで、その辺の間隔も演奏中の呼吸もマリオンとはぴったりなんです。

ベースのジャック・グレッグも、ドラムのスティーヴ・マクラヴァンのプレイも、リーダーのマリオンのコンセプト、というかそのユルい性格を熟知しているかのように変幻自在で、ビートの定型はきっちりしっかり守っていながらも、いわゆる紋切型の4ビートは一切やりません。

だからアルバム全体通して聴いても、全く個人的な感想ながら、どこかアフリカとかハイチとかドミニカとか、そういうところの現地バンドの人達が、ジャズをベースにした自分達のオリジナルな音楽を楽しみながら演奏しているようで窮屈さはゼロ。

ものっすごく気合いの入った名盤!という訳でもないし、息を呑むような超絶ウルトラプレイが聴けるアルバムはないです。

でも、聴いている人の気持ちを何となく「いいなぁこれ」と幸せにしてくれるアルバムであることは確かです。

あ、そんなこと言ったらマリオンのアルバムって全部そんな感じなんですよ。そこがいいんだよなぁ・・・♪



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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:15| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする