ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年06月27日

アート・ペッパー モダン・アート

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アート・ペッパー/モダン・アート
(Intro/ユニバーサル)


「サーフ・ライド」で若さ炸裂の爽快なペッパーのアルト・サックスを聴いていたら、ついあれも聴きたいこれも聴きたいと、この3日ぐらいすっかりアート・ペッパー祭状態でした。

サックスといえば突き抜けた過激なスタイルも大好物なんですが、そういう激しいヤツをガーッと聴いた後に、メロウなトーンで優しく切なく吹いているサックスを聴くと「おぉ、かっこいい・・・」と、クラッとなってしまいます。

でも、そこはジャズですがら、単純に”綺麗”とか”上手い”とかいうのではダメで、一見端正で破綻のない演奏の内側に、どこかやりきれない哀しさとか、もっといえば背後にうっすら感じる破滅の気配みたいなものがないと満足できません。

いかにも真夜中のバーなんかが似合う、ニューヨークの黒人ジャズに比べ、軽妙でオシャレ、カラッとした昼間の空気が似合って健康的だね、なんて言われる1950年代のウエスト・コーストの白人ジャズではありますが、実はアタシは、この一見健康的で何の屈託もなさそうな明るいジャズの中にこそ、そういった”どうしようもなさ”の類の気配をとても感じて、胸がギューッとなってしまうのです。

で、アート・ペッパーです。

50年代にジャズという枠組みを超えて、ハリウッド俳優並の人気を誇ったジャズ界の二大色男といえばチェット・ベイカーとこのペッパーですが、彼らの演奏は、正に切なさと狂おしさと、マイルドな表現の奥底に秘められた破滅の匂いそのものでした。

デビューしたその頃から、いわゆる重度の麻薬中毒患者だったんですね。

ペッパーの方は懸命な断薬治療をして中毒を克服しており、ベイカーの方は晩年までヘロインにドップリで、最後はホテルの部屋から落下するという、事故なのか自殺なのか他殺なのかよく分からない不幸な最期を迎えております。

最期に関してはともかく、50年代から60年代に活躍したジャズマンのほとんどは、麻薬や酒、ギャンブルに溺れ、異性関係でのトラブルをいくつも抱えるなんてことは珍しくないことでありました。物理的には黒人であれ白人であれ、来るか来ないか分からない仕事で一攫千金を狙い、レコード会社からは印税を搾取され、マフィアが経営するクラブで日銭を稼ぎ、少しカネが入ったら彼らの”ビジネス”の顧客にされて、色んなところから骨の髄まで搾り取られる生活の中におり、一方で華やかなステージで脚光を浴びてモテまくる。

こんな中にいたら、マトモな感覚なんか来るってしまいます。繊細で感性が敏感な人ほど、何が信じられることで何が信じられないことかの判断が崩壊し、唯一信じられるもの=「確実に現実から逃避させてくれるもの」としての麻薬に手を出すことに、さほど抵抗はなかったのかも知れません。

悲しいかなこれが当時のミュージシャンを取り巻く環境でありました。

才能に溢れながらも表現のことや生活のことで多くの苦悩を抱えていた若き日のペッパーも、苦悩の果てにやぶれかぶれになってヘロインに手を出したであろうことは想像に難しくありません。

デビュー作「サーフ・ライド」のセッションをすべてレコーディングした後に彼は麻薬の不法所持で最初の逮捕。最初は微罪だったので、療養施設でリハビリをして社会復帰した後に西海岸で最も売り出し中のジャズ・レーベル”コンテンポラリー”と契約を交わすのですが、実はこの間に小遣い稼ぎ(実際は麻薬を買うカネ欲しさ)にイントロという小さなレーベルでの仕事を一個だけ引き受けます。

スタジオに集められたのは”サーフ・ライド”でも素晴らしいコンビネーションをキメた、この時期の西海岸サウンドにはなくてはならないピアニストのラス・フリーマンに、ベースのベン・タッカーにドラムのチャック・フローレスという一流どころの面々でありましたが、ペッパーにとってはそんなことよりも日銭が欲しい、早くしようぜ、何やるの?うぅ〜ん、まず適当にブルースやって、後はスタンダードでもやるか。はい、じゃあはじめよう、ワン、ツー・・・。





【パーソネル】
アート・ペッパー(as)
ラス・フリーマン(p)
ベン・タッカー(b)
チャック・フローレス(ds)

【収録曲】
1.ブルース・イン
2.魅せられて
3.君微笑めば
4.クール・バニー
5.ダイアンのジレンマ
6.サヴォイでストンプ
7.恋とは何でしょう
8.ブルース・アウト


ぐらいの感じだったと云います。

実はこのペッパー、最初の逮捕と治療もどこ吹く風で、シャバに出たらもうとっととヘロインを仕入れて打ってたんですね。

初期ペッパーの名盤といえばもうひとつ「ミーツ・ザ・リズム・セクション」というアルバムがありますが、コレもレコーディングのときはもうクスリでヘロヘロになって、スタジオに遅刻してきて、吹いてる時も意識朦朧で大変だったそうなんですが、この時期のペッパーのコレが”平常運転”なのです。

でも、そんなヘロッヘロでまるでダメな状態のペッパー

「本当はチャーリー・パーカーみたいにエキサイティングなトーンでバリバリに速い曲を吹きまくりたいんだー!」

という思いとは裏腹に、麻薬の悪影響で思うように気合いが入りません。

でもね皆さん、ここからがあり得ない話なんですが、そんな”気合いが入ってないはずのペッパーの音”が、レコーディングされた演奏からは何とも甘く艶やかなトーンで、独特の憂いを帯びた美しい旋律を奏でているんです。

麻薬中毒のことを知らなければ、全く破綻のない「こういうスウィートな演奏をする人なんだ」で当たり前に通用する音です。

(恐らくは)ペッパーの演奏前の状態を見て「あぁ、コレはオレらが必死で盛り上げないとダメだぞ」と思ったであろうメンバー達の、すこぶる爽快な”カチッ”とした綺麗にスウィングするビートは全編に渡って見事で、特にバンドの中心となっているラス・フリーマンの決して主役を押しのけない、でもソロの中では全力で歌世界を築き上げる知性と品性に満ちたピアノは素晴らしいのですが、冒頭の「ブルース・イン」エンディングの「ブルース・アウト」で、ペッパーとピッタリ呼吸の合ったベースを聴かせるベン・タッカー、もう最高です。

そんなバックのキッチリしたグルーヴに、ペッパーの情緒てんめりで妖しく美しく鳴り響くアルト・サックスの音、えぇいもう麻薬中毒とかそういう色眼鏡ナシで聴きましょうや。

・・・でも、やっぱりどこか危険な香りがするよぉ!

この独特な危険なカッコ良さは、マイナー・レーベルでのちょっとしたレコーディングのつもりだった、ヘタをすれば録音したペッパー本人の記憶にもあんまり残ってないぐらいのレコードを、奇跡の大名盤に育て上げます。

くれぐれもペッパーは本調子ではないのです。で、どんなに素晴らしい才能を持っていても、麻薬がそれを終わらせることはあるけれど、開花させることは絶対にないのです。でも、このアルバム全編を覆いながらペッパーのプレイのあちこちから胸の内を破って出てくるかのような切ない切ないエモーションは、ちょっと何事でしょうという感じであります。やっぱりどうしようもなくジャズなアルバムなんです。

この音と出会ってしまったばかりにアタシの人生どこか変わってしまったかもなぁ・・・。

でも、まぁいいか。







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2017年06月26日

アート・ペッパー サーフ・ライド

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アート・ペッパー/サーフ・ライド
(Savoy/日本コロムビア)

笑顔でサーフィンに興じる派手なビキニ姿の女性のイラスト。

いくら目を引くとはいえアナタ、これが1950年代に出されたジャズのアルバムのジャケットだと信じられますか?

そうなんです、ジャケットだけを見る限りではまーったくそんな雰囲気は致しません。

でもこれ、正真正銘の立派な50年代ジャズなんです。

中で演奏している方はもちろんビキニ姿の女性ではなくてこの人

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はい、アート・ペッパーです。

1950年代にはチェット・ベイカーと並んで「ジャズ界を代表するイイ男」として抜群な人気があった人で、でも顔だけじゃなくてその軽やかさと芯の強さを併せ持つアルト・サックスのプレイにおいても、間違いなく時代を代表する実力者の一人でありましょう。

この時代のジャズ・シーンは、主にニューヨークのナイトクラブでの興行を中心とした東海岸ジャズと、ハリウッド等の映画産業と密接な関わりを持つ西海岸ジャズとに大きく分かれておりました。

ニューヨークでは40年代の後半にチャーリー・パーカーらによって、非常にスピーディーで迫力に満ちたジャズ、つまりビ・バップが生み出され、とにかく現場でのアドリブ合戦に強いプレイヤーが次々とそれまでの常識を覆すような演奏でシーンを沸かせておりました。

それに対する西海岸のジャズは、夜はクラブで演奏するミュージシャン達も、ちょくちょいく映画や舞台の音楽の仕事に呼ばれ、スタジオでしっかりと譜面を見ながら、アンサンブルを重視した知的かつ軽妙な演奏を得意としておりました。

とはいえ、東と西、それぞれの地域のジャズマン達が、互いのことなど全く眼中になく、それぞれのスタイルの範疇でジャズをやっていたのかといえばそうではなく、西海岸のミュージシャン達はビ・バップのスピーディーでエキサイティングな演奏をセッションではこぞってやっておりましたし、東海岸のミュージシャンの中でも、マイルス・デイヴィスのような、若く探究心に溢れたミュージシャン達は西海岸のバンドのアレンジを熱心に研究し、またツアーで互いに行き来をしながら親しくセッションをしたりレコーディングの話なんかも持ち掛け合ったりしながら、1950年代は東と西で競合しながら互いの良いところを取り込んで、両方の個性がグングン確立されていった時代、と言えましょう。

さて、本日の主役のアート・ペッパーですが、この人は西海岸にこのバンドありと言われたスタン・ケントンのビッグバンドに若き白人アルト奏者として籍を置くことでミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせました。

ケントンのオーケストラは、クラシックの技法なども積極的に取り入れ「ホールでダンスするためだけのジャズではなくて、コンサートでキチンとした鑑賞に耐えうるジャズを作ろうよ」と、緻密でドラマチックなスコアを練り上げて楽曲を完成させ、また「コイツはできる」と思ったメンバーには、そのアレンジの中で出来るだけ本人の感性に任せたソロを取らせる人でもありました。

ペッパーはそんなケントンのバンドで、才能をグングン発揮して1952年、27歳の時に満を持してソロ・デビューのレコーディングを行います。

その後彼はソロ・アーティストとして知らない人はいないぐらいの存在になり、その端正なルックスに劣らない詩的な叙情に溢れたサックス・プレイで多くの人の心を捉え、また、麻薬中毒による長い社会不在と奇跡の復活を繰り返した正にジャズマンを地で行くような劇的な人生などなど、まぁとにかく話題には事欠きませんが、本日はペッパーの記念すべき1952年の初リーダーセッションと翌年翌々年のセッションを集めたデビュー・アルバム、冒頭でジャケットのお話をした「サーフ・ライド」をご紹介いたしましょう。




【パーソネル】
アート・ペッパー(as)

(@〜B)
ラス・フリーマン(p)
ボブ・ウィトロック(b)
ボビー・ホワイト(ds)

(C〜E)
ハンプトン・ホーズ(p)
ジョー・モンドラゴン(b)
ラリー・バンカー(ds)

(F〜K)
ジャック・モンテローズ
クロード・ウィリアムソン
モンティ・バドウィック
ラリー・バンカー

【収録曲】
1.ティックル・トゥ
2.チリ・ペッパー
3.スージー・ザ・プードル
4.ブラウン・ゴールド
5.ホリデイ・フライト
6.サーフ・ライド
7.ストレート・ライフ
8.ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト
9.シナモン
10.ナツメグ
11.タイム・タイム
12.アーツ・オレガーノ



さてさてアタクシ、冒頭で「このサーフィンのジャケットがジャズのアルバムなんて信じられないわ」と申し上げまして、読者の皆さんもにわかにそのようにお思いになっておるとは思いますが、実は1950年代はまだロックやポップスもない時代、ブルースからロックンロールが生まれチャートではR&Bが破竹の快進撃を続けていたことは確かに事実ではありますが、この時代ポピュラー音楽といえばやっぱりジャズだったんです。

で、最新のトレンドだった西海岸のクールなジャズを売り出すために、ジャケットに持ってきたレジャー界の最新トレンドがサーフィン。

元々はハワイやポリネシアの極めて民族的な意味合いが強かったこの海での遊びがアメリカに渡ったのは、1900年のアメリカによるハワイ併合がきっかけであります。ハワイに入植した若い軍人達が兵役を終えてこの遊びを本国に持って帰ったのですが、アメリカで温暖かつサーフィンが出来る広い海岸があるという条件を満たしていたのが西海岸のカリフォルニア。

で、第二次世界大戦も終わってアメリカが豊かになり、レジャーとかリゾートとかいう考えがぼちぼち定着し始めた1950年代初頭、アメリカの西海岸に住む、裕福な白人の若者達の間で「サーフィンっていうクールな遊びがあるんだぜ」と流行りました。日本で言うところの太陽族みたいなもんですな。

つまりこの、オシャレ最先端のジャケットの中に入っているのは、サーフィンのメッカ西海岸の最高にカッコイイ音楽なんだぜ。ということを、実に当時の若者に分かりやすく説明しているのでありますよ。

ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が世界中でヒットしてブームが巻き起こる10年以上前に、こんなところで音楽とサーフィンのコラボは既に始まってたんですなぁ。

SP用に録音していた音源がLPになって、ジャケはその時に作られたとはいえ、これは物凄く歴史的なことかも知れません。

おっと、ジャケットの"サーフィン"の話はこれに終わりません。実は内容とも密接にリンクしておりまして、それまでの西海岸ジャズといえば、先に申し上げたように、綿密なアンサンブルが生み出す心地よいグルーヴにノレるものと相場が決まっていたのですが、ここでペッパーは、東海岸のホットでスピーディーなビ・バップのやり方を大胆に取り入れたスリリンなプレイを繰り広げて、新しい西海岸ジャズの「速いけどクールなスタイル」を確立しております。

初期のペッパーといえば、繊細で軽やかなフレージング。そいつにたっぷりの情緒や哀感を乗っけて吹く50年代後半のスタイルがすぐに思い浮かびますが、もっと初期のコチラでは、意外やスパッと芯の強い音で勢いに任せてひたすら吹きまくる、若さと勢いのあるスタイルです。

ハンプトン・ホーズやラス・フリーマンなど、西海岸一流のバックによるスマートな伴奏を得てかっ飛ばすワン・ホーンの前半に、ジャック・モントローズのテナーとハイテクなやり取りを聴かせつつ、ソロになるとやっぱりたまらなくなって疾走するかのような後半、どちらもかなりパワフルで勢いありすぎてもう笑いしか出ないぐらいの快演で、このスリル、疾走感はたとえるならばやはり波乗りでしょう。









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2017年06月24日

ジュニア・ウェルズ サウス・サイド・ブルース・ジャム

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ジュニア・ウェルズ/サウス・サイド・ブルース・ジャム
(Delmark/Pヴァイン)

季節は夏、湿った重たい夜の空気にからみ付きブルースが歌う。

ベランダから真っ黒な空を眺めると、雲の向こうにある月がぼんやりと鈍い光を放つ。背中からは「ドン、ドドッ・・・」と、まるで砂袋を殴りながら引きずっているかのようなビートを刻むドラムが、この夜に果てなどないことを訥々と語っている。

突如、狂ったように鋭利なギターが宙を切り裂く。剥き身の刃のようなストラトキャスターの音はバディ・ガイだ。1960年代から70年代のシカゴで、全米各地からの移住者を受け容れて急激に人口が増えていた”最も治安の悪い地区”サウスサイドで、今や知らぬ者はいない若きギタリスト。

夜な夜な盛り場に繰り出す不良達の間では今、この街の若いヤツらの中で、誰が一番ヤバいブルースができるか?ということが話題になっている。

テキサスからやってきて、B.B.キングばりの巨体とよく歌う豪快なスクィーズ・ギターでみんなの心をかっさらったフレディ・キング。気分にムラがあってノらない時はさほどでもないが、一旦ハイになると誰も寄せ付けない凄まじいプレイをするサウスポーのオーティス・ラッシュ。

あるいは隣のウエスト・サイドで急激に名を売り出していた、イカシたギター・テクニックとサム・クックのようなエモーショナルなヴォーカルで、どんなクラブだろうと独断場にしてしまうマジック・サム。または他の連中とはちょっと違った、ジャジーでスカした感覚が最高にヒップなフェントン・ロビンソン・・・。

ブルース、R&B、そしてジャズ。あらゆる黒人音楽の猛者がひしめくシカゴで、ノリにノッている連中の名前を出せば、コイツらの名前は必ず挙がり、そこに集まった大体のヤツらはひとつひとつの”ヤバさ”をハイになって語りながら、互いに「あぁそうだ」と深く頷き合うのだ。

そして”シカゴ1キレたギターとヴォーカル”のバディ・ガイと、重くヒリヒリとした緊張感を孕んだブルース・フィーリングと、ジェイムス・ブラウンから大きく影響を受けた斬新なR&Bのノリを自在に操るヴォーカル&ハープのジュニア・ウェルズが最近コンビでツルんでいるらしいということも、他聞に漏れずサウスサイドの不良達の間ではハイな話題の中心だった。

このコンビのことは、クラブでのステージ以前に1965年に地元サウスサイドにあるレコード・レーベル”デルマーク”で録音された「フードゥーマン・ブルース」というアルバムで広く知られていた。

イギリスから海を渡ってきたロックが、親と慕うブルースを模倣して、また実際に往年のヒットチャートを賑わせていたマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、ボ・ディドリー、そしてチャック・ベリーといったブルースの伝説たちを再び世に引っ張り出して脚光を浴びさせていた頃、彼らより若い世代のウェルズやバディは、そんな流れに真っ向から対抗するように、よりブラックなノリと勢いに溢れたR&Bから多くを取り入れ

「オレたちにしか出せない新しいブルースの音」

を、それぞれ必死で模索していた。

故に「フードゥーマン・ブルース」は、当時のロックにはないスカスカな音で、ブルースを極限まで研いで研いで、その重い切れ味で元々のブルースファンは元より、多くのロックファンに耳に斬り込んでそして虜にした名盤だ。

それからおよそ5年

ウェルズとバディはサウスサイドにあるデルマーク・スタジオにいた。もちろん久々のこのレーベルでのレコーディングをするために。

集まったのは2人の他に、シカゴでは最強のリズム・セクションとして知られていた”ジ・エイシズ”のギタリスト、ルイス・マイヤーズとドラマーのフレッド・ビロウ。当時バディのバンドでベースを弾いていたアーネスト・ジョンソン。

そしてマディ・ウォーターズの左腕として、素晴らしいピアノ・プレイと温厚な人柄で、マディのバンドにも、我の強い暴れん坊揃いのシカゴ・ブルース・シーンにもなくてはならない存在だったオーティス・スパン。

「オーティス、久しぶりだなぁ。ヨーロッパはどうだった?」

「悪くなかったね、まぁあんなもんだ」

「顔色が悪いぜ大丈夫か?」

「あぁ、ちょっとここんとこ調子が悪いんだがすぐによくなるさ。・・・はじめようか。今日はどうすんだい?」

「今日はセッションだ。普段やってるありのままの、オレ達のサウスサイドのタフなブルースだな」

「そいつはいいな」

録音マイクがオンになり、テープが周り続けているスタジオの中、男たちの談笑の声が響く。やがて誰かが楽器を鳴らし始めると、その空間には一気に緊張が走る。楽曲のほとんどはスローテンポの典型的なブルース。

しかし、異様な粘度で絡み付くリズム、重く叩き付けられるピアノ、それらに絡み付くウェルズの声とハープに緊張を溜めに溜めて一気に切り裂くバディのギター、それらの音の濃厚な存在感は、単純にスタジオでのお気楽なジャム・セッションの枠を大きくはみ出して時間と空間の中を黒々と塗りつぶしてゆく。

オーティスはこの直後に死んだ。レコーディングの時は既に肝臓をヤラレていて深刻な病状だったそうだが、あんな凄まじいプレイを目の当たりにしたメンバー達も、レコードを聴いたリスナー達も、誰もがそれを信じなかった。


真夏のベランダから夜空へ、鈍い月の光以外には何もない暗闇に、タバコの煙と追想が流れては消える。

今から45年以上前の音楽から狂おしいまでに漏れてくる異様な空気感の何とリアルなことか。









【収録曲】
1.Stop Breaking Dwon
2.I Could Have Had A Religion
3.I Just Want To Make Love To You
4.Baby, Please Lend Me Your Love
5.You Say You Love Me
6.Blues For Mayor Daley
7.I Wish I Knew What I Know Now
8.Trouble Don't Last Always


今日はちょっと趣向を変えて、文体をハードボイルド風にしてみました。

色々書いては消しましたが、このラフで凄まじくヘヴィなブルース・ジャムセッションを一言で形容する言葉は未だ見付かりません。








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2017年06月22日

アタウアルパ・ユパンキ 1936-1950

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アタウアルパ・ユパンキ/1936-1950 En Sus Primeros Anos
(Take off)

先週からタンゴについて考えたり感動したりしております。

その絡みで「アルゼンチンの音楽」を集中的に聴く時間を設けておりますが、アルェンチンといえばタンゴともうひとつ、忘れてはならない音楽としてフォルクローレでありますね。

フォルクローレというのは、読んで字の如く、英語の”フォーク(Folk)”と同じで、この言葉は「民謡」を意味しておりまして、ザックリといえばフォルクローレというのはアルゼンチンに限らず、ペルーとかチリとかメキシコとか、中南米の広い範囲で古くから歌われてきた先住民のインディオ達の民謡や、それらを元にした音楽のことでございます。

はい、南米という地域は、元々住んでいた先住民と、途中からスペインやポルトガルから入植してきた白人、そして彼らが奴隷として連れてきたアフリカ系住民。この3つの民族の系統の文化が複雑に入り乱れて、それぞれの民族の文化風習を色濃く残す音楽が次々と生まれてきたという歴史があります。

そういうことを少しでも頭に入れて中南米の音楽を聴けば、たとえばブラジルのボサ・ノヴァやサンバ、キューバ音楽とかも「なるほどそういうことか!」と理解が深まってなかなか楽しめたりしますが、今日はとりあえず南米を代表する民族音楽のフォルクローレですね、そちらをご紹介しましょう。

アルゼンチンには、タンゴの神様としてカルロス・ガルデル、その革命家としてアストル・ピアソラという世界的な巨人がおりますが、実はフォルクローレの神様と呼ばれる人も出ておりまして、その人がアタウアルパ・ユパンキという人です。

深みのある優しい声で、アンデスの大自然、人々の暮らし、それにまつわる悲喜こもごもを、何とも切なく時に軽妙な語り口のギターを爪弾きながら唄うその表現は、何と言うか”うたの根源”を、自然と心に印象付ける、詩的な叙情に溢れたものであります。

「フォルクローレ」といえば小学校の頃学校で習った「コンドルは飛んでゆく」あのどこか遠くへ連れ去られそうな切ないメロディーをアタシは覚えてて、で、大人になって上京してからは、インディオの民族衣装を着て木製の笛や太鼓などを4,5人で演奏するストリート・ミュージシャンの人らがよく駅前にいたりして「あぁ、こんな感じなんだろうな」と、何となくしか意識していなかったのではありますが、ある日アルゼンチン出身のジャズマン、ガトー・バルビエリが「トゥクマンの月」という、何とも切ない曲をエモーショナルにサックスで吹いてカヴァーしているのを聴いて、胸を打ち抜かれたんですね。

「この切ないメロディーは一体何だ!?」

と。

すっかりこの曲に心を鷲づかみにされて、これはてっきりガトーのオリジナル曲だろうと思っていたら、いや、これはユパンキという人の曲なんだと知って、あちこち探すまでもなくその曲が入ってるベスト・アルバムを買ったら、ガトーの激しく切ないジャズ・ヴァージョンと違って、歌とギターで優しく語りかけながら物語を紡いでゆくようなユパンキのヴァージョンに、全く別種の衝撃を受けたわけです。

元々先住民の家(母親はスペインのバスク系移民)で育ちながら、古い民謡を弾き語ることが好きだったユパンキは、アルゼンチン全土を放浪しながら唄い歩くことを若い頃に思い立ち、その放浪の旅の中でインディオのリアルな生活、その中に息付く古謡の数々をレパートリーとして体に染み込ませていった彼の歌とギターには、ブルースマン達のブルース・フィーリングに近い独特の奥深さが乗っていて、その優しく哀しげな声や音の精妙な”震え”が、インパクトをすり抜けて人の心の根っこの部分にそっと触れる度に、アタシは今でも切ないような懐かしいような、そんな特別な感情で穏やかに満たされた気持ちになります。



【収録曲】
1.インディオの道
2.マングルジャンド
3.夜が明けそめる
4.風よ、風よ
5.石と道
6.オニナベナの花
7.さすらい人
8.牛追い
9.広野
10.わたしは鉱夫
11.年経たサンバ
12.ポルテスエロの想いで
13.貧しいサンバ
14.パンピーノの歌
15.ビダーラ
16.インディオの牧歌
17.バグアーラ
18.マランボ
19.おやすみネグリート
20.熟れたトウモロコシの踊り(ウアフラ)


さて、フォルクローレの神様としては実は日本でも熱狂的な人気があったユパンキ、国内盤のベストも色々出てますが、今回のオススメは、素直にアタシが実際聴いて「これは本当に素晴らしい!!」と感動しまくった、初期音源集です。

1936年に28歳でデビューしたユパンキの、声とギターによる純粋な弾き語りを中心とした、フォルクローレの”うた”の部分の真髄がギュッと詰まった一枚です。

アンデスの人や風景、月の光、太陽の陽射し、冬の厳しさ、春の穏やかさ、果てしない山道をひたすら歩く馬車、牧場に木霊する牛追いの歌・・・そんな大自然と一体化した生活のあれこれが詩的に、もちろんスペイン語が分からなくても声と音を聴けば脳裏に広がる。美しい、本当に美しい。

ユパンキのフォルクローレは本当に、人間の根本にある大事な何かを思い出させてくれる音楽であります。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年06月18日

ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン

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ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン
(DREAM/ユニバーサル)


音楽を聴いて「いいなぁ」と思う理由は、もちろんそこで鳴っている音がカッコイイとか歌詞がいいとか、そういうのもありますが、もっと大事なのはその音楽を演奏している人達の音楽に対する深い愛を感じるから、というのがあります。

ロックという音楽は、1950年代のロックンロールに夢中になった白人青少年達が、更にそのルーツを掘り下げて、ブルースやR&B、カントリーにロカビリーなどから”ノレる要素”を取り出して作り出した新しい音楽。

そのロック誕生の背景には、イギリスの若きロッカー達の(本国アメリカの都会ではほとんど見向きもされなかった)ブルースに対する深い愛がありました。

2010年代の今でもローリング・ストーンズが最高にイカすブルース・アルバムをリリースしましたし、ジェフ・ベックもエリック・クラプトンも、これはもう”ブルース伝道師”といっていい活動を精力的にやっております。彼らを動かしているのはブルースへの限りない愛です。

何故、60年代のイギリスのロッカー達は、そこまでアメリカのブルースに惹かれたんでしょう。「いや、それは今まで彼らが聴いたこともないような刺激的な音楽だったからだよ」と言われればその通りそこまでの話なんですが、その他に実は、60年代にバンドやり始めた若者達にブルースのカッコ良さを広めた一人の重要人物がおります。

その人の名はジョン・メイオール、クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、それからストーンズの面々らの10歳ぐらい年上で、1950年代からブルースに傾倒してヴォーカリスト&ハーモニカ奏者として演奏を重ねながら、よき兄貴としてイギリスの若者にブルースという音楽の素晴らしさを広め続けてきた人です。

コノ人がホントすごいんですよ”ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ”といえば、ピーター・グリーン、ミック・テイラー、ジャック・ブルース、それからジョン・マクヴィーにミック・フリートウッド、エインズレー・ダンバー、そして言うまでもなくエリック・クラプトンなどなど、とにかくブリティッシュ・ロックの名立たるミュージシャンを次々と世に送り出したバンドのリーダーで、ロックの誕生には大きく関わっておるんですが、自分が育てたミュージシャン達が次々売れっ子になっても一切スタイルを変えることなく、謙虚にブルースを追究しつづけていて、何と83歳の現在も現役でブルースやっております。

ジョン・メイオールが、またはジョン・メイオールの影響を受けた教え子たちが、ブルースという素晴らしい音楽を世に広めるのにどれだけの愛情とリスペクトを注いだか、それはもうひとつの記事では語りきれません。

実際アタシがここでグダグダ言うよりも、60年代のロックが好き、もしくはロックが好きでブルースにも興味あるよという人は、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズのアルバムをぜひ聴いてみてください。どの作品も素晴らしく愛ですよ、愛。





【収録曲】
1.オール・ユア・ラヴ
2.ハイダウェイ
3.リトル・ガール
4.アナザー・マン
5.ダブル・クロッシン・タイム
6.ホワッド・アイ・セイ
7.愛の鍵
8.パーチマン・ファーム
9.ハヴ・ユー・ハード
10.さすらいの心
11.ステッピン・アウト
12.イット・エイント・ライト


はい、そんな訳で今日は「じゃあそのジョン・メイオールの何を聴けばいいの?」という真摯な方へオススメの、彼の初期代表作にして、60年代ブリティッシュ・ブルースロックの金字塔的名盤『ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』これですね。

まず、エリック・クラプトンが参加して、しかも最高に活き活きとしたブルース・ギターを聴かせてくれることでクラプトンの名盤にも数えられます。

先にクラプトンのことをお話すると、最初にブルースやR&Bを軸にしながらもアイドル的な人気が出てしまい、ポップ路線へと転向したヤードバーズに参加していたクラプトン「えぇえ?ポップな曲なんかオレやらねぇよ、オレはブルースが弾きたいんだぜ」と、このバンドを脱退して「どこかブルース弾かせてくれるバンドねぇかな」とさまよっているうちにジョン・メイオールが「ブルース弾いてくれや、むしろ弾きまくっちゃれ」と声を掛けて二つ返事で加入。

その頃のやんちゃ盛りだったクラプトンンは、当時イギリスで開発されて発売されたばかりの”マーシャル”というメーカーのアンプをレコーディングに使いました。

はい、皆さんご存知の今やロックを代表するブランドのマーシャルです。

このマーシャルのアンプというのがとっても画期的だったんですね。この時代ギターアンプといえば「エレキギターの音を出すもの、音量を稼ぐもの」という基本理念しかなかったのですが、ドラム教室と楽器屋を開きながら細々とアンプを作っていたジム・マーシャルおじさんの店に通っていたピート・タウンゼントとかリッチー・ブラックモアとかいう悪ガキが

「おじちゃん、もっとこうガコーンと歪むギターアンプ作ってくれや」

と無茶を言って、音をデカくするついでに、それなりの音量でも「割れて歪んだ音」が出せるアンプを作らせたのが全ての始まりでありますが、コレに「いひひ、オレが真っ先にコイツでレコーディングしたら目立つぜぇ」と、更にワルい魂胆でレコーディングスタジオにマーシャルアンプを真っ先に持ち込んだのがクラプトン。

さあ、そんなこんなで早速大出力のマーシャルアンプとパワフルに鳴るギブソンのレスポールをスタジオに持ち込んで

「オレはブルース弾くんだぜ、弾いて弾いて弾きまくるんだぜちくしょう!誰にも文句ぁ言わせねぇぜちくしょう!」

と、ヤル気に燃えていたクラプトンは、血気にはやった素晴らしいギターを聴かせてくれます。

のっけからオーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」立て続けにクラプトンが最も敬愛するギター・ヒーロー、フレディ・キングの代表曲「ハイダウェウイ」で、ナチュラル・ディストーションの効いた、艶のある痛快な音で、遠慮なしに弾きまくっております。

「クラプトンのベスト・プレイは?」と訊かれると、年代ごとに素晴らしいプレイがありますのでひとつには絞れませんが、このアルバムでのプレイはその中でも間違いなく候補に挙がるものでありましょう。

と、クラプトンのことばかり書いてしまいましたが、それはしょうがないですね(汗)ジョン・メイオールが「コイツのプレイは凄いから聴いてくれ」とばかりにいい兄貴ぶりを発揮してフロントに置いて、わざわざアルバムのタイトルにまで「ウィズ・エリック・クラプトン」と書いてありますから、まずはクラプトンのギター目当てで聴いてもいいし、そういう期待には十分過ぎるほどに応えてくれるアルバムです。

ジョン・メイオールのヴォーカルとハープに関しては、これはもう燻し銀の魅力ですよね。

プレイに関してはハープと手拍子だけをバックに聴かせる「アナザー・マン」が、非常に深いブルース・フィーリングを醸しながらも、黒人のそれとは違う、どこかサラッと洗練されているフィーリングで実に聴きやすいし、オーティス・ラッシュ、フレディ・キング以外にも、レイ・チャールズ、ブッカ・ホワイトにロバート・ジョンソンなど、ブルースやR&Bの巨人達の、それぞれ異なった幅広いスタイルの楽曲を見事斬新なブルース・ロックに仕上げたそのセンス、特にギターを全面に出しながらもリズム隊に積極的に変拍子を繰り出させるその実験精神は流石としか言いようがありません。

とにもかくにも自分が目立つことよりも、みんなに聴いて欲しいブルースの曲と、イチオシの若いギタリストのプレイにスポットを当てて、でもアレンジに手抜きせずオリジナルな”俺たちの味”をギッシリ詰め込んだジョン・メイオールの心意気、これを感じて頂きたいと思います。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ロック/ポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする