ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2015年08月31日

コルトレーンのバラード

さて、早いもので明日から9月。

2015年の「大コルトレーン祭」は。サウンズパルがseesaaブログに越してきて初でありましたが、皆さんどうだったでしょうか?お楽しみいただけましたでしょうか?

毎年コルトレーンの命日の7月17日から、夏が終わるまでをひとつの区切りとして大好きなコルトレーンの作品を、1枚でも多く、なるべく分かりやすく、コルトレーンを知らない人にも読んで頂けたらとの想いで今年も書かせて頂きました。

正直「あぁあアレも紹介したい!」「しまった、コレを出すの忘れてた!」という気持ちや「あのアルバムはもっとこういう言い方も出来たのになぁ・・・」「この作品はまだまだ言葉に出来ない良さがあるんだよー!」という想いもありましたが、いや、まだまだ、来年も再来年も、アタシの寿命が尽きるまで「大コルトレーン祭」はライフワークとしてやり続けていきたいと思いますので、皆さんどうか来年も、懲りずにお付き合いくださいますよう、伏してお願い申し上げまする。


さてさて「大コルトレーン祭」の最終日の本日でありますが「今日はどのコルトレーンでシメようかなぁ・・・」と思っておりましたが、折からの低血圧で頭がボヘーっとしていて、無意識に掴んだのが「バラード」でした。

やっぱりね、コルトレーンの神髄って「うた」だと思うの。

アタシはコルトレーンなら何でもOKで、それはもう後期のブリバリにフリーなやつから、それこそ超初期の、まだ自己のスタイルを確立していない時代の(50年代マイルス・クインテットとか、ソニー・ロリンズの「テナー・マドネス」で、もう剣もほろろに打ち負かさちゃってるのね)コルトレーンも、どの時期どの演奏も好きなんですが、それは何て言いますかね〜、やっぱりコルトレーンという人がとっても人間臭いからなんだ。

コルトレーンって人は、これはツイッターである方と盛り上がったんですが「一言でいえば「カッコよくない」

普通は「カッコよくない」っていう言葉は、相手をsageる言葉なんだろうけど、それはちょっと違う意味で、あのね、コルトレーンって人は「格好付けない人」だったと思うんですよ。

ジャズなんて今では何か高尚で、演奏する人らも、音楽学校出てるようなエリートな人たちばっかりで、アッキリ言ってオシャレでしょう。昔は昔で「すっごいオシャレなワルがモテるためにやる音楽」だったんですよ。

これはジャズに限らず、ブルースもR&Bも、ソウルもヒップホップもそうで、やっぱりアメリカ黒人のどうしようもない性(さが)って言うんですかね、ギンギラギンにオシャレして、最先端の服なんかをパリッと着込んで、トッポい不良用語(スラング)で会話したり、ソイツを曲名にしちゃったり、で、結果としてモテちゃう。

例えば「ジャズの帝王」って呼ばれたマイルス・デイヴィス。

彼は60年代中頃まで、黒や灰色のスーツをカッコ良く着こなしていて、60年代後半の「エレクトリック時代」になると、タンクトップに黒パンに、デッカいサングラスかけて、晩年はギラギラのラメ入りの衣装とオーダーメイドの赤いトランペットで、とにかくオシャレっていうか「見た目」にもこだわって、実際「帝王マイルス」っていうイメージは、音楽性とかラッパの実力とかもそうなんだけど、彼の流行に対する鋭い嗅覚と、徹底した「オレ演出」の巧みさが創り上げたって言っても過言ではないと思うんですよ。

でも、コルトレーンはそういう「自分をどう見せるか」ということにはほとんど頓着しないで、とりあえずステージではかなり着古した黒のスーツに黒ネクタイ、というスタイルをずーっと変えずに、流行のことなんかもインタビューでは言及することなく、ただ淡々と、自己の内面を見つめるような言葉と音楽をやっておった。つまり不器用だったんですね、この人の頭の中にはきっと「自分を凄いと思わせよう」ということなんか、ほとんどなくって、ただもう純粋に、弱いところもカッコ悪いところも演奏に「ホロッ」と出てるのに、そういうことにすら気付かないぐらいピュアな人だったんじゃなかろうか、と思うから、アタシはコルトレーンの全部を肯定したくなるんです。ええ、熱烈に。

ちょうどコルトレーンの「うた(バラード)」について考えていたら、動画で高野雲さんのラジオ番組「快楽ジャズ通信」の、素晴らしい解説を拾いましたんで、皆さんにご紹介します。アタシのへたくそな文章よりもずっとずっと詳しく分かりやすく、コルトレーンの「バラード」について教えてくれますんで、ぜひ聴いてみてください↓




そうそう、コルトレーンのいいところは「ダメな俺の肯定」なんですよね〜・・・。


今日車でずっと聴いてたはコレ。あの「バラード」にボーナストラックがたくさん入った2枚組のデラックス・
エディションです。

これのボーナス・ディスクの方には「グリーン・スリーヴス」の別テイクが何トラックも入ってるんだけど、これがグッと沁みるんですよね・・・。


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2015年08月30日

ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン

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ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン
(PRESTIGE/ユニバーサル)

八月ももうすぐ終わりだというのに、相変わらず暑い奄美です。

昨日の”ムトゥ・ガレージin笠利”でのIricoライヴの熱気が未だ覚めやらぬ状態ですので、本日はコルトレーンのアルバムの中でも屈指の「大人が香る一枚」をご紹介します。

はい、コルトレーンとモダン・ジャズを代表するギタリスト、ケニー・バレルとの共演作「ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン」でございます♪

私にとってコルトレーンという人の音楽は、何かこう、特別な気持ちで、ある意味「襟を正して聴く音楽」なんですが、この作品は、そういう気負いなく聴けるからイイんですよね。

聴きながら出てくる言葉も

「あぁ、いいわ〜」

「素敵〜」

ばかりでございます。

バレル兄さんもコルトレーンも、何といいますか、このアルバムではひたすら「イイ男」うん、コレに尽きますね。

最初はあのコルトレーンと、ジャズ・ギタリストといえば、これはもう神様みたいな存在である大物ケニー・バレルとの共演盤だから、さぞかし強烈な個性と個性が、高次元で激突するようなスリリングなサウンドを期待していたら、案外こざっぱりまとまった内容だったんで、最初は戸惑いましたが、それはコルトレーンを主役と思い込んで聴いていたからで、バレルを主役とするハードバップ・セッションにコルトレーンがゲストとして参加したもんだと思えば、これがなかなかによろしい。


先程バレルを「モダン・ジャズを代表するギタリスト」と書きましたが、これは称号じゃなくて、音や演奏そのものがそうなんです。

だから「ジャズのギターものが聴きたいな」と思ったら、まずバレルを聴いてみて下さい。

好不調の波が演奏にでることもなく、作品によってスタイルが違う、なんてことも、まぁない人なんで、どれから聴いてもよろしいかと…。

さて、そんなバレルの「モダン・ジャズ看板男ぶり」は、本作でも十二分に発揮されております。
伝統的なブルースの技法とフィーリングを核に持ちつつ、そこにジャズならではの洗練を加えた彼の演奏は、上質な大人の雰囲気であります。

このアルバムは、全体的にミディアム/ファストな曲が主軸ですが、バレルは良い意味で大人。ノリノリにはなっても決して突っ走らずにフレーズを唄わせます。

コルトレーン一人だけ、ハードバップから一歩踏み出した独自のアドリブで、バレルとは全く違うアプローチで演奏に入ってくるのですが、バレルの音世界に無理なく溶け込んでますね。

そこらへんの“雰囲気の妙”は、トミー・フラナガン率いるリズム・セクションの活躍によるところも多いでしょう。

バレル&コルトレーンの穏やかで紳士的なやりとりの極みが、デュオによる見事なバラードCです。
トレーンのテナーが奏でる美しい主旋律にバレルがコードバッキングとオブリガードで寄り添う、3分12秒の美しい演奏。

これだけで聴く価値アリなんですけど、やっぱりアルバム全編通して聴いて

「いいわ〜」

「素敵〜」

と、多くの方にウットリして頂きたいなと思うとります。






【パーソネル】
ケニー・バレル(g)
ジョン・コルトレーン(ts)
トミー・フラナガン(p,@B〜D)
ポール・チェンバース(b,@B〜D)
ジミー・コブ(ds,@B〜D)

【収録曲】
1.フライト・トレーン
2.アイ・ネヴァー・ニュー
3.リレスト
4.ホワイ・アイ・ワズ・ボーン?
5.ビッグ・ポール


ちなみにこのアルバムの録音年月日は1958年3月7日、あの名盤「ソウルトレーン」録音の1958年2月7日からちょうど一ヶ月後の録音で、本作でのコルトレーンの絶好調ぶりは「ソウルトレーン・セッション」で勢いを掴んだからかな?なんて考えながら聴くのも楽しいもんでございます。




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2015年08月26日

特攻の拓〜Early Days〜

えぇと、奄美は本日からお盆です。

こちらのお盆は一部の地域を除いて旧暦に合わせて行われますので、本日からなのです。

奄美のお盆はとにかく「忙しい!!」(汗)

ウチは特に忙しいので本日からウルトラハードモード突入、ブログの更新もちょいとお休み・・・せざるを得ないかも知れませんので今日は小ネタで。



皆さんはこの漫画、知ってますでしょうか?

10045094807_s.jpg

はい、1990年から週間少年マガジンで連載されていた伝説のヤンキー漫画

『疾風伝説 特攻の拓』

でございます。

ちなみに読み方は

「しっぷうでんせつとっこうのたく」

ではなく

「かぜでんせつ ぶっこみのたく」

です。

あのね、アタシは元々少年誌、あんま読まない子だったの。

理由は、小遣い貰ってもつい甘いもの買っちゃうんで、漫画とか買うお金が残らなかったというのと、男の子の漫画って「力こそ正義」的なそういうガチムチなヤツが多くて、何か淡さとか儚さとか切なさとかを求めていた自分には「何かー、ちょっと世界違うかなー」とか思って、敬遠してたってのはあるかもです。

「強い男」

うん、憧れてはいたんですけどね、少年漫画に出てくる主人公や周辺人物には、強いが故の孤独とか、優れているが故の苦悩とか、そういういわばペーソスが感じられなくて、それだったら例えばガンダムとかボトムズとか、子供向けアニメの世界の方がいいかなーと、中学高校の頃は思ってました。

そんな時、持病の蓄膿症の治療するために病院通っておりました。

病院の待合には漫画、ありますね。

んで、ヒマなもんでジャンプとかマガジンパラパラ読んでたら、

あるヤンキー漫画に信じられないフレーズが出てきました



わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です


これですね「特攻の拓」に出てくる、主人公拓ちゃんのお友達の天羽時貞という、ハーフだかクオーターだかの、バケモノみたいに強い人物が、確か敵対する族を一人で全滅させた後につぶやいていた言葉なんですけど、分かる人には分かりますよね?そう、宮沢賢治の「春と修羅」の序文です。


5歳の時に出会って以来「これはもう一生モノだ」と思った、大好きな大好きな宮沢賢治ですよ。

それをヤンキー漫画の中で「バケモノ」と言われている凶悪な登場人物が、何かある毎につぶやいている。

しかもこの天羽クンという人は凄腕のギタリストでもあり、ヤンキー漫画なのに「ジミ・ヘンドリックス」とか、ジョー・サトリアーニとか、ロバート・ジョンソンの「ラヴ・イン・ヴェイン」とか、そういった音楽用語がバンバン出てくる。

主人公浅川拓ちゃんの所属する(というか、不良でも何でもないのに仲間に気に入られて無理矢理参加させられてた)暴走族の「爆音小僧」のメンバー達も、チャック・ベリーだとか、エフェクターのこととかに、どういうわけかやたら詳しくてマニアックなんです(そんなヤンキー集団絶対いねぇ・笑)。


もう「コレだ!」と思ってハマりましたね。

そして一巻から順に集めて、18・・・巻ぐらいまで読んだかなー

主人公、浅川拓ちゃんも、元々はイジメられっ子だし、よくある他のヤンキー漫画の主人公みたいに強い訳でも何でもないんです。だけど、特別な魅力(”やさしさ”なんだろう、きっと)があるから、さっき言った「爆音小僧」の仲間達とか、横浜や横須賀、湘南の暴走族の「バケモノ」と呼ばれる総長クラスの連中とかと”マブダチ”になったり、奇妙な縁で一目置かれるようになるんです。

読んではおりませんが、最終回は確か漫画に登場する全ての暴走族の大乱闘を、拓ちゃんが”ミラクル”で治めるっていう結末だと聞いております。

そんな根底にやさしさがある異色のヤンキー漫画「特攻の拓」のことは、今もふと懐かしく思い出したりしてるんですが、何と「5年ぐらい前に”アーリー・デイズ”っていうサイドストーリーが連載されてたよ」という話を小耳に挟みました。

しかも、その主人公が”天羽セロニアス時貞”らしいんです。

いやこれは読まねばいかんでしょう。

というわけで、早速1巻を購入しました。

ストーリーは「特攻の拓」本編の1年前のおはなしです。

いきなり天羽の生まれ故郷、ニューヨークのハーレムからストーリーが始まるのですが


いきなりコレです

887.jpg


うぉう!!!ブルースマン!!!!

このおじちゃん(Mr.VooDoo)は、5歳の天羽が”ナイフをギターの弦の上で滑らせた時に、この子はきっとアポロシアターのステージに立つ”と直感し、そのギターの才能を見出した人みたいです。

天羽クン、本編ではライヴの後”スピードの向こう側”に行って死んじゃうんですけどね(泣)

(そう、天羽時貞という人物は、この漫画の中で恐らく最も「悲しい宿命」を背負った人物なんです。。。)

そっから場面は急展開して、本編では七代目爆音小僧総長で拓ちゃんの友達、鮎川真里(当時まだ中学生)の大暴れから、作中最大の大物”鰐淵晴樹さん”と天羽の壮絶な対決とか、まぁ話はテンポ良く展開していくんですが、続きどうなるんだろう、楽しみです。









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2015年08月24日

筋肉少女帯 エリーゼのために

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筋肉少女帯/エリーゼのために
(トイズファクトリー)

大槻ケンヂ率いる筋肉少女帯

8年の休養期間を経て嬉しい復活をした2006年から、もうすぐ10年が経とうとしておりますが、いやいや、筋肉少女帯の音楽的カッコ良さ(ヘヴィメタル/ハードロック王道なのに)と大槻ケンヂ氏の屈折しまくって320°ひねり返ってユーモアが炸裂する、もう何て言っていいか最高な言葉と世界観のテーマパークぶりは、恐らくこれからもずっと不変で「何かー!カッコイイけどー!面白過ぎるーーー!!」と、多くのキッズ達の心を鷲掴みにして318°ぐらいひねり返してくれるでしょう(あはは、意味わかんねー)。

という訳で、アタシが筋肉少女帯にすっかり夢中になったのは、アタマの悪い中学生から、よりアタマの悪い高校生へと進化するちょうどその過渡期の頃で、えぇと、母親が面白がって「元祖!高木ブー伝説」をカセットに録音したのをアタシの机の上にそっと置いておいたもんで、ついでに言うと、一緒に入っていたのがスターリン(後期ね)、ラフィン・ノーズとかだったかなぁ・・・。で「うぉおぉおおい、コイツらパンク!!」と感動してしまったことが全ての始まりでした。

学校で「おいオマエら!筋肉少女帯ヤバいぜ!!」と言って聴かせても、田舎の悲しさか、誰もその素晴らしさに共感してくれず、結局当時の名瀬市内で「ヤバイよな!」と共感してくれた、隣の中学のYという男だけでした。

「何てやるせない青春なんだ!」

と、アタシ思ったですねー。

でも、筋肉少女帯の音楽というのは、恐らくは全国の「何てやるせない青春なんだ!F*CK!」と、じめーっと思っていた少年少女達の心に深い楔を打ち込みよったんですね。

それはその後の筋少の快進撃、大槻ケンヂの”もはや文化人枠”ぐらいのもんになっている活躍ぶりが実際に証明しております。

さてさて、アタシが筋肉少女帯、すっかり大好きになったのは、1990年リリースのアルバム「サーカス団、パノラマ島へ帰る」でした。

この、江戸川乱歩、或いは寺山修司を彷彿させるアングラで怪奇で猟奇な世界にふんだんにまぶされた”笑い”のエッセンスは、少年アタシをすっかり虜にしたもんだったんですが、更に衝撃だったのが翌91年リリースの「エリーゼのために」




【収録曲】
1.人生は大車輪
2.世界の果て ~江戸川乱歩に~
3.ソウル コックリさん
4.戦え!何を!?人生を!
5.じーさんはいい塩梅
6.生きてあげようかな
7.スラッシュ弾問答
8.妄想の男
9.悲しくて御免なさい
10.新興宗教オレ教
11.愛のリビドー(性的衝動)


この作品から、筋少は、それまでの怪奇、猟奇路線から、その頃テレビとか雑誌とかでよくネタにしていた”自虐”へとダイナミックに舵を切ります。


「コックリさんに訊かないと、俺は何にもわからないんだぁーーーー!!!」

と絶叫して「全部がダメなオレ」全開の「ソウル コックリさん」でもうぶっ飛びましたもんです

後は「君のためによかれと思ってラブソングを作ったけど悲しくてごめんなさい」な「悲しくて御免なさい」とか

「オレをバカにしているのにオレを愛さないのか?お前、矛盾している」

「ドストエフスキーだってオレが電波で操っているんだ」

と、必殺自虐&妄想フレーズ核融合の「妄想の男」とか

「胸に秘めた言葉は”あいすいません”」かよ!?

な「戦え!何を!?人生を!」

とか、とにかく歌詞読んでください。

自虐も屈折もここまでくると、わけのわからんポジティヴなエネルギーになってしまいます。

もうね、歌詞だけ読んでも大槻ケンヂさん、何て素敵な人なんだろうと、悶絶するわけですよ。


名曲&歌詞の「必殺自虐フレーズ」満載の、これはもう傑作なんですが、その中でも傑出しているのはやはり

「スラッシュ禅問答」

です。

あのね、コレ、丁度アタシ「ヘヴィメタルより激しくて凶悪な”スラッシュメタル”っていう音楽があるらしいぜ」と知った頃です。

すいません、メタリカよりもスレイヤーよりも、アンスラックスよりも最初に知った「スラッシュメタル」がコレです。

高速ブラストビートに、これまたもう「禅問答」な歌詞がアレで、アタシにとっては永遠のギターヒーロである橘高文彦さんのギターがもうブッ飛んでいて凄いんですが、もっと凄い事実として、何と、歌人の福島泰樹が参加してるんです(!!)

アタシは、友川カズキのCDに参加してる福島康樹の絶叫を聴いて「短歌ヤバイ!!!」って思って、今それが興じまくって、えぇ、まぁ短歌人なる結社にも入ってしまった訳なんですが、まさかこの時既に出会っていたとは、思ってもおりませんでした。

オープニングがあの有名な

「二日酔いの無念極まる僕のためもっと電車よ真面目に走れ」

ですよ。

16の頃に「ヤバいヤバい、スラッシュ禅問答ヤバい」ってはしゃいでたその20年後に

「えぇぇぇぇえぇぇぇええ!?福島泰樹参加してたんだぎゃあああぁぁぁぁp;あdfhsgdjkhjl;f:!!!」

となって、今物凄い勢いでコレ書いております、ハイぃ・・・。


まぁ、とにかくこのアルバムは、筋肉少女帯の中でも屈指の「ハードロック&ヘヴィメタルサウンド」が聴けるということと、歌詞世界が「自虐」を軸に非常に高い文学性を持って炸裂しておるということで、えぇと、そんなことはどうでもよくて、歌人を志す若いアナタ、聴いてください。撃たれるから。はい!






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2015年08月23日

ジョン・コルトレーン メディテーションズ

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ジョン・コルトレーン/メディテーションズ
(Impulse!/ユニバーサル)

コルトレーンが音楽を通じて目指すもののひとつに

「表現を”ジャズ”からより高いレベルのものに昇華させる」

というものがありました。

なので特に1960年代以降、特に1964年の「至上の愛」以降、コルトレーンの楽曲には、精神世界、或いは宗教的なモチーフをタイトルに付けた楽曲や、そういったコンセプトのアルバムが多くなりました。

コルトレーンの思い描いていた「精神世界」それはアタシらのような凡人が、すんなり理解できるような平易なものでは決してございませんが、だからこそ後期コルトレーンの”叫び”や抽象的な音楽の断片から「ふわぁ〜・・」と浮き上がってくる美しい”うた”の断片が琴線に触れて、聴く側の想像を掻き立ててくれます。

さて、コルトレーンが「自己の内面を探究し、それを表現するための手法」として気に入っていた言葉のひとつがメディテーション、日本語で言うところの「瞑想」であります。

瞑想といえば仏教でお坊さんが静かに座禅をしているアレを思い浮かべるんじゃないかと思いますが、コルトレーンはやはり表現者だなと思うのは「瞑想」とタイトルに冠しても、その上っ面をなぞるだけの安直な音楽は絶対にやらなかったことです。

1965年9月2日に、コルトレーンは当時のメンバー、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズをスタジオに招き、最初の「瞑想」、つまり前ご紹介した「ファースト・メディテーションズ」のセッションを行い、それをレコーディング致しました。

この作品自体は、リスナーとしては何の問題もない「炸裂と沈降の果てにどこへ行くかわからない美しいあやうさ」を秘めた非常に素晴らしい作品でありますが、コルトレーンからしてみれば「いや、これはまだまだ、オレの考えている”瞑想”のイメージとは違う」と思ったのでしょう。せっかくレコーディングして、作品として仕上げながらもその音源はお蔵入り、リリースされたのはコルトレーンの死後何年も経ってからだったということは以前にも書きました。

では、コルトレーンの「瞑想」とは一体何だったのでしょう?

その前に、コルトレーンがそのミュージシャン人生の中で大きなテーマにしていた「信仰」というものを少しばかり説明する必要があるでしょう。

コルトレーン自身は、当時のアメリカ黒人としては当たり前のように、幼い頃はキリスト教(プロテスタント)を信仰する家庭に生まれました。

幼少の頃に体験したゴスペルでの強烈なトランス体験が、彼の心の奥底にはしっかりと根を張っておりました。

ゴスペルって、今は「みんなでハッピーになろうぜ」みたいな、大分聴き易い、ポップなものになっているようで、また「小さい頃からゴスペルクワイア(聖歌隊)に入って、それをステップにプロ歌手に」という指向もあるようで、それはそれでまぁいいんですが、コルトレーンの少年時代(1930年代〜40年代)というのが、教会といえば、もう黒人社会にとっては「それが唯一の救いの場」であり、ゴスペルも凄まじい勢いで聴衆をトランスさせ、失神者が出るのは当たり前だったよーな時代であります。

成人してからのコルトレーンは、特定の宗教に拘らず、キリスト教やイスラム教、仏教やインド哲学、そしてアフリカのシャーマニズムに関する研究本などを読みふけっていたといいます。

自分が経験したゴスペルの原体験が、時間と海を越えて、遠くアフリカ大陸で、恐らくは彼の先祖が信仰していたであろうその土地その部族の、見知らぬ祭祀の現場のサウンドが、彼の想像の中で結び付き「よし、ではそれを音楽で表現しよう」と思うに至ったことは、後期コルトレーンの音楽を聴くに、想像に難しくはありません。

コルトレーンが常日頃から「リズムをもっと強調したい。何というかもっとこう・・・様々なリズムのパターンが同時に鳴り響き、その複合自体がひとつの音楽になるような・・・そんなものをやりたい」といったようなことを口にしておりましたのも、複合リズムが幾重にも重なって、まるで合唱のように響くアフリカン・パーカッションのアンサンブルを意識しておったからだと思います。

そこへいくとエルヴィン・ジョーンズというドラマーは「複合リズム大将」なんですね。

正面に立って「どわー!」と吹きまくるコルトレーンのバックで、それを物凄くドラマティックに演出できるだけのパワーとパッション、そして何よりシンバルとスネアとタムとハイハット、バスドラと、ドラムセットにくっついているもん全部を同時に使って定型の中で複雑な”リズムのうねり”を生み出すことに関しては、恐らく同年代で右に出るドラマーはおらんかったでしょう(キレた時のアート・ブレイキーも凄まじいけどネ♪)。

しかし、1965年の時点でコルトレーンは「定型」で自分の思い描く世界を表現する限界を感じておりました。

「ファースト・メディテーションズ」のすぐ後の1965年9月30日にシアトルで行われたライヴでは「定型を吹かないサックス奏者」であるファラオ・サンダースをメンバーに向かえ、燃えるように激しい演奏を展開しておりますが、ここでバンド内にはコルトレーンとメンバーの間で、微妙な緊張感が漂うようになります。

”事件”はその2ヵ月後の1965年11月23日に起こりました。

コルトレーンは「う〜ん”メディテーション”なんだけど・・・もう一回、新しい編成で録り直したいんだ」とメンバーに告げてスタジオに集めました。

口下手で説明下手なコルトレーンのことですから、恐らくちゃんとは話しとらんかったのでしょうね。

スタジオにはコルトレーン、ファラオ、マッコイ、ギャリソン、そして「2人目のドラマー」であるラシッド・アリがおり、やや遅れて(エルヴィンが遅刻するのはいつものことです・笑)エルヴィンがやってきました。

「何だよよコレ、聞いてねーぞ!何でオレのセットに知らないヤツが座っってんだよ!!」

エルヴィンはカンカンに激怒したといいます。

そりゃそうですよね、多分ちゃんと説明しなかったコルトレーンが悪い(^^:

「まぁ聞いてくれエルヴィン、今度のセッションは、これこれこういう訳で、ツイン・ドラムで複合リズムをやってみたいんだ、ていうかこれからはこういったスタイルで行こうと思うんだが・・・」

当然エルヴィンの腹は収まりません。

実はファラオ・サンダースが加入して、コルトレーンの演奏がどんどんフリーになって、長時間化していった頃辺りから、バンド内でエルヴィンはよくキレてました。ライヴ中にドラムセットを蹴り飛ばしてステージを降りたということもあったぐらいですから、で、エルヴィンは見た目もアレで怖いから(汗)こん時のスタジオには、想像を絶するピリピりした緊張感が漂っていたでしょう。

コルトレーンが必死になだめすかしたのか、それともプロデューサーのボブ・シールがギャラをチラつかせたのかは分かりませんが、とにかくエルヴィンはドラムセットを蹴り飛ばすことなく、レコーディングにはキチンと参加しております。




【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ファラオ・サンダース(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
ラシッド・アリ(ds)

【収録曲】
1.ザ・ファーザー・アンド・ザ・サン・アンド・ザ・ホーリー・ゴースト
2.コムパッション
3.ラヴ
4.コンシークエンス
5.セレニティ

肝心の演奏ですが、流石にツイン・ドラムで一方は定型ポリリズム(エルヴィン)、一方は不定形パルス・ビート(ラシッド)を、これはもうお互いに闘志剥き出しで叩き合っているこの緊迫感、そこにフリーク・ットーンしか吹かないファラオと「オレはメロディーで勝負じゃあ!」と張り合っている(よーに聞こえる)マッコイとのギラギラした、もう完全に「対決」の空気、最高にスリリングです、こんな素晴らしい”ヒリヒリ”に満ちたアルバムは他にありません。

コルトレーンのプレイは、冒頭の「父と子と精霊」から、もう一人でどんどん「祈り」の方へと沈降しております。

あぁそうか、コルトレーンの思い描く「瞑想」は、混沌や殺伐の中から見出す一筋の光明、・・・つまりハチャメチャなように聞こえるフリーな演奏の中からやっぱり「すーん」と立ち上がる「うた」の美しさなんだなぁ・・・と、アタシはこのアルバムを聴いて何十枚目かのウロコが、今耳から落ちました。





”ジョン・コルトレーン”関連記事

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