2016年08月03日

マイルス・デイヴィス サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム

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マイルス・デイヴィス/サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム
(Columbia/ソニー・ミュージック)


コルトレーンが世に出るきっかけとなったのは、1956年にマイルス・デイヴィスのバンドに参加したことです。

マイルスという人は、とにかく「新しいこと」を常にやり続けることによって、ジャズの歴史というものを常に最前列で切り開いてきた人で、だからこそ「ジャズの帝王」なんて呼ばれておるわけなんですが、それだけに自分が出す音だけでなく、メンバーが出す音やフレーズにも、人一倍神経を尖らせておりました。

マイルスがメンバーに常に求めていたことは

「誰にでも出せる音、弾けるフレーズをするな。最初は多少ぎこちなかろうと、リスナーから批判されようと、お前にしか出せない音を出せ」

ということでございます。

ソニー・ロリンズの推薦で、コルトレーンがマイルスのバンドに加入した時も、まずはテクニック云々より

「コイツに新しいことが出来るのだろうか?」

と、マイルスは厳しい目で見ていて、その意欲を試したといいます。

結果は、最初こそ心無い聴衆からヘタクソだのギクシャクしてるだの音が硬いだの言われておりましたが、そんなの一向に気にしないマイルスのお陰で、コルトレーンは徐々に「自分だけの音、自分だけのフィーリング」を、ピンと張り詰めたマイルス・デイヴィス独自の音世界の中で開花させることに成功します。

けれども、その頃のコルトレーン、酒や麻薬に溺れかけていた上に、大事なリハーサルやライヴの最中に眠りこけたり、音楽的なこと以外では、本当にダメ人間で、それにキレたマイルスは、1年ほどでコルトレーンをクビにします。

クビになったコルトレーンはサァ大変だ、せっかく自分の音楽性を理解してくれていたマイルスのところを離れたら、どうやって食っていけばいいのかわかりません。

マイルスに頭を下げて「もう酒もクスリもやりませんから・・・」と、言いたかったのではありますが、マイルスがそんな甘い親方ではないということは、コルトレーンもよく知っておりました。

そんな時に「ウチに来ナヨ」と言ってくれたのが、セロニアス・モンク。

この人はマイルスと同じか、もしかしたらそれ以上に優れたオリジナリティと、独自の音世界を持っている人で、音楽的なことで色々なことを質問したいコルトレーンにも

「あ?そんなのテメーで考えろ!」

と、突き放さない、優れた人格者でもあったので、コルトレーンは嬉しくなって毎朝早くからたくさんの譜面を持ってモンクの家に行き、モンクに音楽のことをドバーっと質問攻めにしたのです。

それらひとつひとつに、ピアノを使って的確に答えるモンクにコルトレーンはますます心酔し、更に高度な質問を次々と考えてはモンクのところに朝から押しかける・・・。

こんな生活をしておるうちに、「とにかく音楽が何より」のコルトレーンです。酒なんか呑んでる暇も、クスリ打ってぼんやりしてる暇もなくなって、人間的にも音楽的にも、大成長を遂げるのであります。

これが1957年から58年のお話です。

モンクのところで成長して、晴れて自分名義のアルバムも出せるぐらいの、いっぱしのミュージシャンになったコルトレーン。


翌年にはメジャー・レーベルのアトランティックと契約を交わし、一流の仲間入りを果たすのですが、そんなコルトレーンの活躍を見ていて

「ほぅ・・・アイツやりおるなぁ」

と思って、またバンドに誘いたいと思っていたのが、かつての親分だったマイルスです。

この頃コルトレーンがモノにしていた独自の”シーツ・オブ・サウンド”というのがありまして、これはひとつのコード進行の中で、超高速で音を吹き詰めるアドリブの方法です。

一方のマイルスという人は、アドリブからとことん無駄を省いて、最小限の音で独自のひんやりした雰囲気を作れる人です。

「全く違うアドリブの方法を同じ曲の中で使ってみるのは新しいじゃん?」

マイルスは恐らくそう思っておった訳でしょう。

しかし、既にメジャー・レーベルの所属スターであるコルトレーンを、かつてのようにサイドマンとして、子分扱いするわけにはいきません。

コルトレーンの方も「契約があるから・・・」と、あんまり乗り気ではなかったのですが

「じゃあゲストみたいな感じで参加してくれればいいから・・・」

と、説得して、50年代末から60年代初頭にかけての「第二期マイルス・バンドへの参加時期」という時代があるのです。

しかし、この頃のコルトレーンはもう自己の表現というものに堂々とした姿勢でおり、マイルスが「こうだ!」と思ってそこへ引っ張って行こうとしても、コルトレーンは自分のあくまで自分のやり方を貫きます。

この時期のマイルスのグループの音源を聴いていると、ソロが”マイルス色”から”コルトレーン色”にめまぐるしく変わる中で、独自の緊張感が漂っていて、そのスリリングな風情というものは、聴く側にとっては大変面白いものであるんですが、やはり両雄は並び立たず。話し合いの末、コルトレーンはマイルスのグループを去り、後任にウェイン・ショーターという若者を推薦します。

この、ウェイン・ショーターが後のマイルスのサウンドに大躍進をもたらすのでありますが、それはまた別の話。




【パーソネル】
マイルス・デイヴィス(tp)
ジョン・コルトレーン(ts,@D)
ハンク・モブレー(ts,@〜CE)
ウィントン・ケリー(p)
ポール・チェンバース(b)
ジミー・コブ(ds)

【収録曲】
1.いつか王子様が
2.オールド・フォークス
3.プフランシング
4.ドラッド・ドッグ
5.テオ
6.アイ・ソート・アバウト・ユー


(録音:@1961年3月20日,A〜CE3月7日,D3月21日)


今日ご紹介いたしますのは、コルトレーンが参加した最後のスタジオ盤となったマイルスのアルバム「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」です。

コルトレーンが参加しているのは1曲目と5曲目の2曲なんですが、クールで静謐極まりないマイルスのソロからバトンタッチしてコルトレーンが加速を始めると、演奏全体の温度がグググーっと上がる、もうこの時期のマイルスVSコルトレーンでしか味わえないカッコ良さ、このゾクゾクする瞬間を、飽きることなく何度も味わえます。

60年代の幕開けを告げるマイルスの代表作ともいえるアルバムで、実は一瞬だけマイルスのグループに参加したハンク・モブレーの、調和を大事にしたプレイの素敵さもまたいいんですが、コルトレーン・ファンには「いつか王子様が」と「テオ」の2曲を聴くだけでも持っている価値はあります。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする