2017年02月16日

アメリカ”最強”のロック

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ハタチ前後の若い人達の間で、今90年代のロックがアツいみたいなんですよね。

詳しく訊くと

「何か、個性丸出しのバンドが多くて、サウンドもすげぇバンドの色が出てから」

「ロックが本当にアツかった時代の音楽。全然古く感じない」

んだとか。

いや素晴らしい!

そっかぁ、90年代リアルタイムだったアタシらは、ただもう夢中で好きなバンドの新譜を追っかけたり、次はどのバンドがクるとか、とにかくそんなだったから、ちゃんと冷静に聴けてなかったかもなぁ・・・とかちょっと思っちゃったり(汗)

そういえば、その時リアルタイムで読みまくっていたUSオルタナティブやインディーロックのガイドブック「アメリカ"最強"のロック」を、そんな話を聞いて再び棚から引っ張り出して読んでいたのでした。

あのね、この本はそれこそ「90年代のロックおもしれー!」と思ってる若い世代の人に強くオススメします。

ニルヴァーナ、ソニック・ユース、ダイナソーJr.、バッドホール・サーファーズ、メタリカ、ピクシーズなど、代表的なバンドの分かりやすい紹介に、群雄割拠だったインディーズレーベルも名盤ズラリのディスクガイドもかなりのボリュームで網羅してあります。



とっくの昔に絶版になった本だからプレミアかと思えばまだ↓の良心価格(注・2017年現在)


ラベル:ロック ガイド
posted by サウンズパル at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャッグスと夢と希望


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「音楽は人間に夢と希望を与えるものです」

という言葉について思う時、私はいつもシャッグスのことを考えます。

アメリカの田舎の3人姉妹が、ステージパパのアイディアでバンドを結成し、カーペンターズなどのポピュラーソングを歌う

といえば聞こえはいいけど、この姉妹は楽器が下手というよりも演奏のセンスが、控え目に言って絶望的にないのです。

コードは弾けてなくて音はハズレまくっていてリズムはバラバラ。ハッキリ言って音楽的には

「よくこれでレコード出したな、いや、世に出しちゃいかん演奏だろこれ」

なのですが、彼女達は音楽が本当に好きで、心から楽しんでやっているのを聴くといつのまにか

「あぁ、音楽っていいな・・・」

になってしまうから不思議です。

いや、音楽ってそういうものだよね、と。





posted by サウンズパル at 00:15| Comment(2) | TrackBack(0) | つぶやき、小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

阿部薫・吉沢元治 北(NORD)

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阿部薫・吉沢元治/北(NORD)
(コジマ録音/ALMレコード)

阿部薫を聴いていると、その研ぎ澄まされた「そのものな音」の衝撃と音色の美しさに、もう完全に憑り付かれたような状態になってしまいます。

最初に惹かれたのは「日本のフリージャズ演奏家」という紹介を目にしたから、だったとは思いますが、それから20年以上経ってもまだ「阿部薫を聴く」という行為には、アタシにとっては何かこう究極に特別の”何か”と激しく向き合う行為。

耳にしてメロディを覚え「あぁなるほどね」と納得して腑に落ちる音楽も多い中、阿部薫の音楽は、その「あぁなるほどね」の一切をコチラに与えてくれません。

元よりフリージャズは、コードやスケールから逸脱した、いわば「腑に落ちることを拒絶する音楽」じゃないかとお思いの方も多くいらっしゃると思いますし、事実半分ぐらいその通りだったりするんですが、アタシは阿部薫を聴いてきて、それまで後期コルトレーン、アルバート・アイラー、アーチー・シェップと海外のフリージャズ系アーティストの音源をむさぼるように聴いてきた意味のようなものがピタッとピントが合うように理解したんです。

それはつまり

「フリーな表現って、もしかしてコードやスケール、つまり音楽的な調制の中から美旋律を引き出すためにあるんじゃあないか」

と。

「むちゃくちゃにやる」「ぶっこわす」だけがフリーじゃない。むしろ壊した”後”が問題なのだと。アタシの愛する真性の即興演奏家達は、歌詞より語るそのサウンドで、ことごとく語りかけてきます。

阿部薫を聴きましょう。



【パーソネル】
阿部薫(as)
吉沢元治(b,cello)

【収録曲】
1.DUO IMPROVISATION NO.1 (ALTO SAX, BASS)
2.DUO IMPROVISATION NO.2 (ALTO SAX, CELLO)
3.DUO IMPROVISATION NO.3 (ALTO SAX, BASS)

この「北(NORD)」は、先日ご紹介した「なしくずしの死」の続編ともいえるもので、音源は入間市民会館(@A)と、青山タワーホールコンサート「なしくずしの死」(B)と同じものを使っておりますが、どの曲も吉沢元治のベース・チェロが演奏に参加したデュオの演奏であります。

吉沢元治という人は、戦後日本のジャズの第一世代の大ベテランで、スウィングからモダンの、いわばジャズの”正統”の分野からキャリアをスタートさせ、表現の更なる深みを探究するためにフリー・ジャズやソロ・ベースによる即興演奏へと表現を大きくシフトさせた人です。

阿部薫の演奏というのは「1年365日演奏を続けるべきだ」という彼の言葉にもあるように、常に限界を目指し、それを打破すべく、マウスピースに渾身の息を吐くような壮絶なものでした。

その姿勢は「演奏」というより「闘争」と言ってもいいものでしょう。

故に共演者に対しても大体容赦なく捨て身で挑発し、ぶつかり合い、どちらが先にくたばるか、ぐらいの”戦闘”に引きずり込むようなものでしたし、実際この姿勢あればこその阿部薫の音楽だとアタシは思います。

ところがここで聴かれる吉沢元治との演奏は、互いに絶頂に近い緊張感を保ちつつ、音楽的には非常にあやういバランスで寄り添っている、美しい美しいデュオローグです。

もちろん即興演奏に本気で全てを懸けている2人の演奏には一切妥協はありません。

阿部の鋭利な刃物のようなアルトが、フレーズを鋭く尖らせながら空間に放たれると、吉沢のベースが、指弾きも弓弾きも駆使して、その音が最も効果的にライヴ会場に響くようなフレーズをサッと弾き、ピタッと音を止めて余韻を引き伸ばす。それに対して阿部が更に断片的だけれどもメロディアスなフレーズで斬り込めば、ベースは今度はそれに呼応するかのように新しいメロディを紡いでゆく。

吉沢の確かな技量と”勘”そして何より即興演奏だからこそ、ひとつひとつの音を丁寧に紡いでいる深い優しさに、阿部のサックスも自然と”引き”を覚えてメロディと余韻の両方を響かせ、聴かす。そんな演奏が終始このアルバムから流れてきます。

言っときますが阿部のサックスも吉沢のベースとチェロも、いわゆる「音楽理論的なお約束」からは大きく逸脱した表現です。でも、その二人の綿密な対話からは、ポップなものとはまるで別の意味合いを持つ”うた”が、やっぱり生まれているように思えます。

阿部薫の作品はどれも「単なるイカレ野郎のムチャクチャ」ではなくて、刺激的な”キレキレ”を常に上回る”美”の部分に裏付けられた狂おしさがありますが、特にこの吉沢元治とのデュオローグには、言葉や旋律にならない音を拾い集めて鳴り響かせたかのような美しさを感じます。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする