ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年03月14日

ロニー・ジョンソン ステッピン・オン・ザ・ブルース

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ロニー・ジョンソン/ステッピン・オン・ザ・ブルース
(ソニー・ミュージック)


ブルースの世界では「上手い」というよりは他の人にはないワン&オンリーの味があるとか、勢い一発で凄まじい破壊力とか、アンプを改造しまくってありえない歪み方した音で弾いてるとか、とかくそういう「突破してナンボ」みたいな考えがあって、単純に技術的な意味で「上手い」という人よりも好まれる傾向がありまして、アタシもどっちかというと、誰それが上手いとかそういう話よりも

「あはは、このギター頭おかしい〜」

とか

「なんじゃこれ!ありえんだろ・・・」

とか

「いやいや、これは”弾いてる”じゃなくて”叩いてる”」

とか

「ヤッベー!コレ、ヤベーっす!!」

とか、しまいにゃ

「あぁぁぁあぁおうぅうへdfghjk☆l;△!!」


と、訳の分からない悶絶までを総動員して楽しむのがブルースの作法とすら思っておりますが、そんなアタシでも、

「あ、この人のプレイに関してはそういったやさぐれとは違うな、キチッと上手いし味わいも完璧だな」

と、心から思える人がおります。

その人というのはロニー・ジョンソン。


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いわゆる「ブルースマン」というイメージとはやや違う、実にナイーヴで洗練された外見をしておりますが、彼の音楽性も、戦前という時代を考えると、洗練そのものと言ってもいいぐらいスマートなんです。

そして「完璧」以外の言葉が出てこないギター・プレイ。

流麗な単音弾き、絶対にハズさないリズム、どこを切り取っても美しいメロディになっているソロのフレーズなど、これはもう何というべきか「ブルース」というジャンルで括るのも憚られるぐらい、凛として孤高な気品を感じさせてやまないものなのであります。

さてさて、そんなロニー・ジョンソン、アタシがあれこれ言うよりも「ブルース・ギターのパイオニアの一人にして、ジャズ・ギターの元祖」という世間での評価を鵜呑みにしましょう。

はい、そうなんです。実はこのロニー・ジョンソン、ルイ・アームストロングやベッシー・スミスのバックを務めたり、ジャンゴ・ラインハルトやチャーリー・クリスチャンといった、ジャズ・ギターにおける「ソロ」のスタイルを確立し、ホーンやピアノにも負けないリード楽器としてのギターの地位を築いたイノベイター達に最大の影響を与えたり、どっちかというとその流麗かつテクニカルなギター・奏法は、ジャズ・ギターの原型の原型を、どうしても感じてしまいます。

その理由は彼の人生にあります。

1894年に"ジャズの都"華やかかりし頃のニューオーリンズに、両親も兄弟も全員楽器が出来る、旅回りの音楽一家にロニーは生まれました。

幼い転からギター、ピアノ、ヴァイオリンなど、様々な楽器を演奏し、特にギタリストとして非凡な才能を発揮したロニーは、家族と共にニューオーリンズの酒場や売宿が軒を連ねる歓楽街に繰り出しては、そこで初期のジャズを演奏していたと云います。

音源を聴けば解るのですが、ロニーのギターは、この時代の弾き語り出身のブルースマンとは明らかに異なる「楽器としてどこまで高度で幅広いことが出来るか?」という、ストイックなまで挑戦している、実に専門のギタリストらしいギターです。

最初に言ったような、ブルース独特の「気合一発魂一打」(何だこのヤンキー感)なギターではなく、ちゃんとした理論的な基礎が出来た上で、情感や哀楽を乗せている、非常に理知的かつ完成されたギター。これはやはり幼い頃からバンドで鍛えられ、ジャズで慣らした英才教育の賜物という感じであります。


ロニーの一家はなかなかの人気バンドだったそうですが、1917年に軍港の撤廃に伴う歓楽街(ストーリーヴィル)の閉鎖でほとんどのジャズマンは仕事を求めてシカゴへ上り、ジョンソン家も北部へ繋がる都会だったセントルイスに移り住みます。

ところがここに移り住んで間もない時、ツアーに出ていたロニーと兄ジェイムス以外のジョンソン一家は流行病にて全滅。

悲しんだロニーでしたが、食うためにはとにかく演奏して稼がねばならないと、片っ端から色んな仕事をこなし、そのうちのひとつであったブルースのオーディションを通過します。

ブルースは当時、流通しはじめたばかりのレコードという新しい媒体でブレイクし、聴かれるようになった最新の流行音楽でしたから、ロニーは

「よし、古いニューオーリンズ流のジャズよりも、これからはブルースの時代だ」

と決意し、ブルースのギタリストとして売り込みをかけ、1925年に念願のレコードデビューを果たします。

もし、彼がニューヨークかシカゴに出て、ジャズ・ギタリストとして認められていたならば、彼の人生も音楽の歴史も随分と違うことになっていたかも知れませんが、当時はビッグバンド文化が花開いた時代。ジャズでギターなんて音量面の問題から、とてもソロ楽器としては使えないシロモノでした。

余談ですがロニーから影響を受けたジャンゴ・ラインハルトは、アメリカのビッグバンド・ブームとはヨーロッパでギターを中心とした少人数のバンドのリーダーだったこと、チャーリー・クリスチャンは、30年代後半に登場したギターアンプの出力によってホーンに負けない音量を手に入れたことによってソロ楽器としてのギターの可能性をうんと拡げることが出来たんです。

はい、余談終わり。いい加減アルバムを紹介しましょう(汗)



【収録曲】
1.MR. JOHNSON'S BLUES
2.SWEET POTATO BLUES
3.STEPPIN' ON THE BLUES
4.I DONE TOLD YOU
5.MIEAN OLD BEDBUG BLUES
6.TOOTHACHE BLUES - PART I
7.TOOTHACHE BLUES - PART II
8.HAVE TO CHANGE KEYS (TO PLAY THESE BLUES)
9.GUITAR BLUES
10.SHE'S MAKING WHOOPIE IN HELL TONIGHT
11.PLAYING WITH THE STRINGS
12.NO MORE WOMEN BLUES
13.DEEP BLUE SEA BLUES
14.NO MORE TROUBLES NOW
15.GOT THE BLUES FOR MURDER ONLY
16.UNTITLED
17.6/88 GLIDE
18.RACKETEER'S BLUES
19.I'M NUTS ABOUT THAT GAL

デビューから47年に活動が一旦下火になるまでに実に200曲以上(SP盤のシングルしかなかった時代としては驚異的な量なんです、これ)ロニー・ジョンソンの、戦前録音の極めつけとも言えるこちらは、1926年から32年までに自己のソロ名義や、正真正銘「ジャズ・ギターの開祖」と呼ばれる早世の天才白人ギタリスト、エディ・ラングとのギター・デュエットに、人気女性歌手ヴィクトリア・スピヴィとのコミカルなやりとり、そしてブルースの"闇"を個人的に最も感じさせるテキサス・アレンクサンダーの伴奏など、洗練を極めたアーリー・ジャズからとことんディープな"ど"ブルースまで、何でもこなせる上に器用貧乏に陥っていない、プロの妙技が飽きることなく最初から最後まで味わい深く香り高く楽しめる全19曲。

流麗な単音フレーズ、絶対にハズさない完璧なリズム(多分二回目)に、もう惚れ惚れしてしまいます。

「一人で弾いてる」というのが何回聴いても信じられない超絶技巧のインスト「Playing With The Strings」を聴いてまずはブッ飛んじゃって下さいな。


ロバート・ジョンソンが、姓が一緒ということで「俺はロニーと親戚なんだ」と、実際血縁なんて全然ないのにそれとなく匂わせて注目を集めようとしていたなんて話がありますが、そりゃこんなギター聞かされたらそう言いたくもなりますわって話です。





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2017年03月12日

ビッグ・ビル・ブルーンジィ ビッグ・ビルズ・ブルース

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ビッグ・ビル・ブルーンジィ/ビッグ・ビルズ・ブルース
(ソニー・ミュージック)

ソニーがリリースした、¥1080のグレイトな企画「ギター・レジェンド・シリーズ」から、本日もお届けしております。

さてみなさん、いよいよお待ちかね、シカゴ・ブルースの大物中の大物、落語でいえば真打の師匠の師匠ぐらいの凄い人の登場でございます。

はい、ビッグ・ビル・ブルーンジィですよ〜!!!!!


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え・・・?

今ちょっとモニターの向こうから、ブルースファンの拍手喝采の中に、かなりのボリュームで

「・・・誰?」

「知らん」

という声が混ざってましたが、ちょっとあーたがた本気ですか!?

・・・はい、そうなんですよ。戦前シカゴ・ブルースの王者とも言われるほどに、1930年代から40年代初頭にかけてのシティ・ブルースのスタイルの確立にはものすごーく貢献した人であり、バンド・サウンドにおけブルース・ギター(アコースティック)の集大成とも言える画期的な奏法を確立した凄腕のギター・レジェンドでありながら、ビッグ・ビル・ブルーンジィは実際ブルース好きの中でも

「うん、何かマディに影響与えた人らしいけど、実はあんま聴いたことないんだよね」

と、軽く扱われることが何故か多い。

その理由というのは、まぁ弟子のマディ・ウォーターズが作り上げた戦後の”電気ミシシッピ・ブルース”ともいえる”あの”シカゴ・ブルースのサウンドのインパクトが余りにも強すぎて、サラッとした都会流儀の戦前シカゴ・ブルースというのは、どうにも「あのシカゴ・ブルース」を期待して聴いた人にとってはアクやクセが思いのほか薄くてどうもガツンとこないとか、そもそも戦後シカゴ・ブルースの熱狂的なマニアであったストーンズやクラプトンの文脈からビッグ・ビル・ブルーンジィという人はちょっとだけ離れた孤高の存在なので、今のブルースファンの大体8割ぐらいを占める”ロック好きからブルースに目覚めたよ”な人達のストライクゾーンにはなかなかズバッと入ってこなかったという物理的な問題もあります。

実際我が国では、戦前モノまで聴いている重症なブルースファン以外に「ビッグ・ビル・ブルーンジィ」という名がようやく知られるようになったのは、エリック・クラプトンがアンプラグドで、ビッグ・ビルの「ヘイ・ヘイ」を演奏してようやく・・・といった感じでした。

でも、アタシは知っています。クラプトンの「ヘイ・ヘイ」でビッグ・ビルの存在を知った人が本人の演奏を聴いて

「いや素晴らしかった、あんな洗練されてるのにフィーリング豊かなギターを弾ける人はなかなかいない」

「ビッグ・ビルかっこいいね、戦前ブルースってロバート・ジョンソンだけじゃなかったんだね。いや凄いわ」

「1930年代だっけ?ブルースであんな風にジャジーなこと出来る人っていたんだ。ギターもいいけどコノ人のは雰囲気が凄くいい。酒が美味くなるブルースだ」

と、驚嘆の声と共に穏やかな顔で口々につぶやいていったのを。

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(マディとの仁義あるストーリーはコチラをご覧ください。)


そう、ビッグ・ビルはとにかくギターの名手です。

戦前ブルースのギターといえば、南部の泥臭くパーカッシブなもの、或いはナイフ・スライドやプリミティヴな単弦奏法で、歌のニュアンスをグッと奥深く表現するものが主でした。

これが都会に行くと、当時娯楽音楽の最先端だったジャズとほぼ二人三脚で、テクニカルでダンサンブルな”ラグタイム・ギター”を軸に発展させた、洒落たものとして、シカゴやセントスイスなんかで独自の発展を遂げていたんですね。

ビッグ・ビルは、1890年代に深南部のミシシッピで生まれております。

サン・ハウスやチャーリー・パットンとは世代的にほぼ変わらない彼が幼い頃に影響を受けたのは、やはり深南部の泥臭くヘヴィなデルタ・スタイルのギターだったと思われますが、最初に手にした楽器がヴァイオリンだったことや、1920年代には早々にシカゴへ移り住んだことなどから、デルタ・スタイル”まんま”ではなく、根底に泥臭さを感じさせながらもどこか軽快な、シティボーイなプレイをレコーディング初期から身に付けておりました。

1920年代は”ラグタイムの名手”として大人気だったブラインド・ブレイク、”スライドの魔術師”タンパ・レッドなど、とにかく当時のシカゴで超一流と言われたギターの達人たちと親しくセッションを繰り返し、初レコーディングを行った1926年には、彼らと並び称される全米トップクラスのブルース・ギタリストになっておりました。

ここでビッグ・ビルが「戦前シカゴ・ブルースの立役者」と言われる1930年代がやってくるのですが、ビッグ・ビルの何がグレイトだったかといえば「バンド・サウンドを確立した」これに尽きます。

当時のシカゴ・ブルースのスタイルは、ソロかギター+ピアノのコンビが基本です。

もちろんこの編成があったからこそ、それぞれの個人技が磨かれた訳ではありますが、ちょいと目線を横に移せば、1930年代はジャズのビッグバンド黄金期でありました。人気といえば派手でゴージャス、ついでに躍れるビッグバンドが何といっても一番だったんですね。

そこに目を付けたビッグ・ビルは

「うん、ブルースでもバンド・スタイルでやればもっと人気が出るんじゃないか」

と、思い立ち、色々と試行錯誤を繰り返します。

いくらビッグバンドが人気とはいえ、ああいう編成をそのまんまやったらただの歌入りのジャズになってしまいますし、アンプのない時代、ギターの音が大編成のホーンやドラムの音に埋もれてしまうという問題がありました。

そこでビッグ・ビルが考えて編み出したのが「唄とギターを中心とした小編成バンドでの洗練されたブルース表現」です。

編成は大体ビッグ・ビルの唄とギター、そして腕のいいピアニストに、場合によってベースやドラム、必要最小限のホーン奏者が入るという3〜4,5人によるブルース・バンドで、少ない人数ではありますが、ビッグ・ビルならではのセンスの良さで、ブルースがグッとモダンで洗練された上質な音楽として、夜のシカゴで人気を盛り返すようになっていった訳であります。



【収録曲】
1.BIG BILL BLUES
2.YOU DO ME ANY OLD WAY
3.TRUCKING LITTLE WOMAN
4.BULL COW BLUES
5.SOUTHERN FLOOD BLUES
6.NEW SHAKE ’EM ON DOWN
7.NIGHT TIME IS THE RIGHT TIME
8.TROUBLE AND LYING WOMAN
9.BABY I DONE GOT WISE
10.JUST A DREAM
11.OH YES
12.MEDICINE MAN BLUES
13.LOOKING UP AT DOWN
14.WHEN I BEEN DRINKING
15.ALL BY MYSELF
16.NIGHT WATCHMAN BLUES

んで、そんなビッグ・ビルの全盛期、1932年から41年の音源を集めた、LP時代から親しまれている代表作がコチラ「ビッグ・ビルズ・ブルース」であります。

凄腕のギター・ピッカーとしてのビッグ・ビルを楽しみたいなら、Pヴァインから出ている「ファーザー・オブ・ザ・シカゴ・ブルース・ギター」がとにかく強烈ですが、コチラではトータルなブルース・アーティストとしてのビッグ・ビルを、極上の戦前シカゴ・ブルース・バンド・サウンドでとことん味わい深く楽しめます。

ギター、ピアノ、曲によってはドラムやコルネット、ウォッシュボードも入って(Aなんか華やかですよ〜♪)、その中でビルの「ちょろっと弾いてもカッコいいギター」と、カラッとしながら妙に深い余韻のあるヴォーカルがこれ、実に噛めば噛むほどに染みるんですよ。

どこまでもドロドロで荒々しいブルースはもちろん最高で、それなしでは生きて行けませんが、こういう最初から最後までとことん"粋"なブルースもいいもんです。本当にいいもんです。





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2017年03月07日

メンフィス・ミニー フードゥー・レディ

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メンフィス・ミニー/フードゥー・レディ
(ソニー・ミュージック)

カワイイ系の女の子がギターを持って自作の曲を唄うというのは、今やもう当たり前です。

我が国でも中島みゆき、藤圭子、椎名林檎、YUI、Miwaとか、いわゆる”シンガーソングライター”と呼ばれるジャンルでカッコ良くギターを持って唄う人は多く、このジャンル(?)の支持は40年ぐらい厚いものがありますが、こういった流れが出来たのって、もしかしたら戦後のフォーク・ブーム以降のことなんじゃないかと思います。

そのちょっと昔といえば「女性は歌を唄うかピアノを弾くものだ」という、まぁこれは古い時代の考え方なんで、そう目くじらを立てんで欲しいんですが、とにかく世界的にそういうのがあった。

戦前なんか女性アーティストのほとんどは、ヴォーカルかダンサーぐらいのもんで、例えばブルースの録音の一番古い年代になる1920年代なんかは、綺麗にドレスアップしたブルースウーマンが、楽器を演奏する野郎共を従えた”クラシック・ブルース”なるブルースがまず流行り「あぁ、ブルースってそういうもんだね」という認識が一般的で、ましてや女がギター弾くなんて考えられなかった。

あ、保守的な「女はどうこう」という考え方が色濃く残っていた戦前の話ですからね。

ところがそんな時代に、女だてらにカッコ良くギターを持って、いわゆるレコード向けのお上品な”クラシック・ブルース”ではない、パンチの効いたブルースを唄う人がおりました。

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そのカコッコイイ姐さんが、本日ご紹介するメンフィス・ミニー。

これも今回ソニーから¥1080のスペシャル・プライスでリリースされた「ギター・レジェンド・シリーズ」からの再発なんですが、メンフィス・ミニーはまずはさておき、とにかくギターが上手いんです。

今回「戦前ブルースの単なるリイシューじゃなくて、ギター特集の一環としてメンフィス・ミニーの”フードゥー・レディが出るよ」という情報をキャッチしたときにアタシは

「ははぁ、流石ソニーさんはわかってらっしゃる。確かに戦前ブルースの”ギター名手”といえばたくさんいるけど、メンフィス・ミニーは文句ナシにその中の、しかもかなり上の方に入るもんね」

と、感心してムチウチになる60歩手前ぐらいまで激しく頷きました。

最初に聴いたのが19の時ですね。

小出斉さんの名著で「ブルースの世界」という本がありまして、コレ、初心者には丁度良いボリュームのガイドブックなんですけど、コレで「フードゥ・レディ」が紹介されてて

「む、コレはギターに関しての記述に何か力が入ってるぞ、小出斉さんもギタリストだから、コノ人がここまで絶賛するからには、単なるもの珍しさだけじゃなく、このメンフィス・ミニーって人は本格的に聴かせる実力派に違いない」

と、アタシもほれ、へたっぴぃですが一応ギターも弾きますので、その”楽器やる者の勘”みたいのが働いたんでしょう。すぐにCDを探して購入して聴きましたところ、その気風のいい唄いっぷりと、芯のあるギタープレイにすっかり魅了されました。




【収録曲】
1.DOWN IN THE ALLEY
2.HAS ANYONE SEEN MY MAN?
3.I HATE TO SEE THE SUN GO DOWN
4.ICE MAN (COME ON UP)
5.HOODOO LADY
6.I’M A BAD LUCK WOMAN
7.CAUGHT ME WRONG AGAIN
8.BLACK CAT BLUES
9.GOOD MORNING
10.MAN YOU WON’T GIVE ME NO MONEY
11.KEEP ON EATIN’
12.I’VE BEEN TREATED WRONG
13.GOOD BISCUITS
14.AIN’T NOUSE TRYIN’ TO TELL ON ME (I KNOW SOMETHING ON YOU)
15.MY BUTCHER MAN
16.MY STRANGE MAN
17.IF YOU SEE MY ROOSTER (PLEASE RUN HIM HOME)
18.MY BABY DON’T WANT ME NO MORE
19.PLEASE DON’T STOP HIM
20.I’M GOING DON’T YOU KNOW


これも偏見だったんですが「まぁ、ジャケットでギター持ってるけど、バックにはバンドがついてて、当然リードギター弾くような名手がいて、ミニーさんのギターは言っても唄に合わせてぶんちゃかやってる程度のもんだろう」と、アタシ完全にナメてたんです。

ところがどっこい、ミニーさんのブルースは、想像していた「何となくシティ・ブルース&和み系」のそれではなく、ブルースの泥臭さ、アクの強さも十分に感じられるけど、その演奏は実にしっかりしていて素人臭くない。

強いていえば”洗練されたカントリー・ブルース”或いは”泥臭さ絶妙なシティ・ブルース”とでも言える非常に個性的かつ媚びてない硬派なもの。

サウンドは、後半ちょっとだけバンド編成の録音があるものの、基本はサポートでギターやピアノ、ベース”だけ”を付けたものか弾き語り。ミニーさんのギターはどの曲でも”ザッザッザッ”としっかりとしたビートを親指で刻みながら、人差し指と中指でオブリガードを入れていくスタイルで、全編通してダテじゃないホンモノのギター・ピッカーぶりを披露してくれております。

特にタイトル曲「フードゥ・レディ」でのギターのザクザクぶりがいいですなぁ。固めの音で低音弦をガツガツ刻んでいるんですが、その規則正しいビートは途切れないしブレないし、楽曲はシティ・ブルース風ですが、そのノリにはやはり粘りのある南部のフィーリングが秘められております。

1900年前後(詳しい生年は不明)にルイジアナで生まれ、小さい頃からギターを持って唄っていたミニーさん。そのまま人口の多いメンフィスに流れて、そこで人気を博したかた”メンフィス・ミニー”。

人気も実力も確かだった彼女は、1930年代にはすぐに大都会シカゴに移住して、並み居る人気ブルースマン達と競い合って、その中で更に人気をかっさらっていたんだとか。

この”フードゥ・レディ”は、正にそんなミニーさんが、シカゴへやってきてすぐの頃から、最も勢いがあったとされる時期の音源をベストな選曲でまとめたものです。

洗練と泥臭さ、可憐さと逞しさが、どの曲どの演奏の中でも絶妙なバランスを取りながら渋い光沢を放っている彼女のブルースは、性別抜きにしても戦前ブルースという”人と違ってなんぼ”の世界の中でも一際個性的であります。




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2017年03月03日

ブッカ・ホワイト パーチマン・ファーム

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ブッカ・ホワイト/パーチマン・ファーム
(ソニー・ミュージック)

皆さんこんばんは、本日もソニー・ミュージックによります気の狂った¥1080で古今の素晴らしいギター・ミュージックを聴こう!という最高の再発企画「ギター・レジェンド・シリーズ」からのセレクトでお送りいたします。

昨日はサン・ハウスの戦後録音ながらこれはもう弾き語りブルースの作品としては恐らく歴史上5指に入るであろう名盤であります「ファーザー・オブ・ザ・フォーク・ブルース」を紹介しました。

本日もブルース、しかもサン・ハウスに負けず劣らずに濃厚でインパクトのある名盤をということで、これもLP時代から「コレは聴いとかんといかんでしょ」と、多くのブルースファンをして言わしめたブッカ・ホワイトの「パーチマン・ファーム」でございます。

これもまずジャケットに惹かれますよね。ドカーンと超アップで貼られたイカツいおっさんの顔、吸い込まれるような深い眼差しと、よく見ると折れ曲がってる鼻など、何も書かれてはおりませんが、この人の恐らくは相当にハードなものであっただろう人生が刻まれたジャケットです。

ちなみにアタシ"おっさん"などと言ってますが、このデカデカと写っている男こそがブッカ・ホワイト。

大好きなブルースマンであり、サン・ハウス、チャーリー・パットン、ロバート・ジョンソンらと共にわが国では「デルタ・ブルース四天王」と特別に称えられておりますが、実際にブルースの大源流であるミシシッピ・デルタ・ブルースを代表する一人であり、独自のパーカッシブなデルタ・スタイルを情感豊かなボトルネック・スライドで発展させた凄い人です。

その後のモダン・ブルースへの影響という意味でも、イトコのB.B.キングが

「幼い頃にブッカ・ホワイトのスライドをよく聴いてたね、本当に素晴らしいニュアンスのギターだったよ。でも私にはどうしてもボトルネックを上手く使いこなすことが出来なくて、チョーキングであのニュアンを再現しようと思ったんだ」

と、証言しているように、戦後主流になったチョーキング/スクィーズ・ギター奏法に与えた影響もかなりデカいということも特筆に価することでしょう。

さてこのブッカ・ホワイト、1911年にミシシッピに生まれ、十代の頃にチャーリー・パットンの演奏を生で観て「オレもこの人のようになりたい」と憧れ、そうこうしているうちに早いうちからパットンからブルース・ギターの手ほどきを受けるようになっていたといいます。。

ブッカがブルースに目覚めた1920年代後半のアメリカは大不況のまっただ中、食うために音楽を選んだブッカもその例外ではなく、より多くの場所で稼ごうと、貨物列車を乗り継いでの旅を続け、その行動範囲は北部シカゴにまで及ぶ広いものでした。

行く先々の街でブルースを歌いながら、ブッカはその強い腕っぷしを買われてボクサーとしても活躍。その日暮らしの典型的な放浪のブルースマンなライフスタイルを生きていたブッカですが、そういう生活に付き物の酒や女に関わるトラブルにやはり彼も巻き込まれてしまい、1937年ミシシッピのとある道で、恨みを持って待ち伏せし、襲ってきた男の膝をとっさに銃で撃ち抜いて逮捕され、刑務所に服役することになります。

この時彼が収監されていたのが、南部で悪名の高かったパーチマン農場刑務所であります。

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そう、本日ご紹介する「パーチマン・ファーム」は、実際にチェインギャングとして服役していた経験を基に作られた、刑務所暮らしと酒や女、旅にまつわるハードライフのブルースを渾身の魂を込めたブルースで綴った作品なのです。




【収録曲】
1.パインブラフ・アーカンソー
2.シェイク・エム・オン・ダウン
3.ブラック・トレイン・ブルース
4.ストレンジ・プレイス・ブルース
5.ホェン・キャン・アイ・チェンジ・マイ・クローズ?
6.スリーピー・マン・ブルース
7.パーチマン・ファーム・ブルース
8.グッド・ジン・ブルース
9.ハイ・フィーバー・ブルース
10.ディストリクト・アターニー・ブルース
11.フィクシン・トゥ・ダイ
12.アバディーン、ミシシッピー
13.ブッカズ・ジターバグ・スイング
14.スペシャル・ストリームライン


録音は収監前の1937年の2曲と釈放後の1940年の12曲。

言い伝えによると、ブッカはこの発砲障害事件で無期懲役の判決を言い渡されておりましたが、刑務所内で演奏を披露して恩赦を貰えて釈放されたとも、レコーディングのために脱獄したとも言われております。

また、戦後の”ブルースの生き字引”とも言われている放浪の9弦ギター弾き、ビッグ・ジョー・ウィリアムス

「ブッカが逮捕されたのは1937年だ。確かヴォカリオン・レコードがヤツの曲を2曲録音している時にミシシッピの保安官がスタジオに乗り込んで、ヤツぁそのまんま持って行かれたのよ」

と、インタビューで答えております。

その真偽はともかく、ここで聴かれるブッカのブルースは、言われなくても間違いなくハードライフの苦悩や葛藤が、身もすくむような緊張感で刻まれた、特別なリアリティの溢れるものです。

1曲目の「パインブラフ・アーカンソー」では「フゥゥエーゲラップザモーニン・・・」と、裏声から入ってくるんですが、激しく高音をかきむしるスライドと相俟って、コレが何度聴いても鳥肌が立ちます。

また、伝統的なミシシッピのダンス・ソング(ミシシッピ・フレッド・マクダッウェルやR.L.バーンサイドも唄ってる)「シェイク・エム・オン・ダウン」も、軽快なアフタービートながら、どこか重くやるせない情感があります。

ブッカの”ミシシッピ・デルタ・スタイル”は、彼が多大な影響を受けたチャーリー・パットンやサン・ハウスから、ラフで荒々しいボトルネック奏法と、強靭なビートのキレは受け継いでおりますが、よくよく聴くとそのギターはとても繊細で、感情変化の微妙な”揺れ”をも、ボトルネックのちょっとしたフレーズの小技や余韻が捉えて表現しているようであります。

60年代に再発見されて以降、音源も映像もたくさん残っておりますが、戦後は豪快な味わいが増した感がありますので、本作での荒々しさと繊細さが独特の緊張感の中で混ざり合った演奏というのは、他で味わえない独自のものだと思います。

いずれにせよミシシッピ云々はこの際関係なく、戦前に残されたブルースすべての音源の中でも特異なリアリティに溢れたブッカ・ホワイトの「パーチマン・ファーム」。これは全てのブルース好きにサラッとでも耳を傾けて頂きたい珠玉の傑作です。

うん、全然”サラッと”は聴けないとは思いますが。。。




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2017年03月02日

サン・ハウス ファーザー・オブ・ザ・フォーク・ブルース

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サン・ハウス/ファーザー・オブ・ザ・フォーク・ブルース
(ソニー・ミュージック)

とにかくもうジャケットが素晴らしくありませんか?

白いシャツに紐ネクタイをキッチリ占めた老ブルースマンが、ナショナル・スティール・ボディ・ギターを構え、歳月が深く刻まれた皺だらけの顔と尋常ならざる深い目付きで真っ直ぐに前を見据えている。あぁ、これがブルース。

いや、これがブルースのレコードのジャケットじゃなかったら、一体何をブルースだと言えばよろしいのかと・・・。

本音を言えばこのアルバム

「はい、このジャケにブルースを感じた人は買いなさい。あとはアタシがガチャガチャ言うまでもねーから」

とだけ殴り書きして終わりにしたい。

だって中身はジャケット通りの100%ピュアな、混じりっ気なしの見事なディープ・ブルース。

つうかこれがブルースじゃなかったら何をブルースと(以下略)なんでございますが、せっかく今からブルースの深い泥沼に沈み込んでやろうと思っているこのブログの読者さん(いるのか本当に)に対してあまりに不親切なので、はい、ちゃんと中身をご紹介します。

サン・ハウスは、俗に「ブルース発祥の地」とも言われるミシシッピ・デルタ地方にて"デルタ・ブルースの父"と呼ばれ、同じく"デルタ・ブルースの創始者"と崇められるチャーリー・パットンと共に、ブルース第一世代の傑出したシンガー/ギタリストとして、独特のパーカッシブで荒々しいスタイルのミシシッピ・デルタ・ブルースの基本型を作り上げました。

「バカバカ叩き過ぎて木製のギターだとすぐにボディが割れてしまうから」

という凄まじい理由で金属ボディのギターを持ち、弦を激しくバチバチ弾きながら背骨をえぐるかのような強烈なスライドを放ち、また、腹の底からブルースが溢れているかのようなパワフルなヴォーカルは、戦前南部では圧倒的な存在感を放ち、聴く者をことごとく引きずり込んでいたといいます。

ちなみに彼やチャーリー・パットンを直に見て引きずり込まれ、ブルースの道へと突き進んだのが、若き日のロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフらであります。

個人的には特にマディ・ウォーターズのとことん泥臭いタフなボトルネック奏法は、サン・ハウスの"直系"であると思っとります。

サン・ハウスは、1902年に生まれ(諸説あり)、熱心な教会信者だった両親の影響で、幼い頃から教会で唄い、やがて一人立ちしてからは、ギター片手にあちこちで神の教えを激烈なスピリチュアル(ゴスペルの原型)と共に解く説教師として活躍しておりました。

「えぇ!デビルズ・ミュージックの元締めみたいなブルースマンが説教師!?」

と、アタシも思いましたが、これには深い訳があって、実は彼は説教師時代にタチの悪い絡み方をしてきた男に殺されそうになり、反撃して相手を殺してしまいます。

正当防衛とはいえ、殺人は宗派的には大罪ですからサンは破門。同時に説教師としての職を失い、刑務所に服役します。

その時の態度がとても殊勝であると、なんとたった1年のお務めで釈放されたサンは、出所してしばらくは農場や鉄道工事などの肉体労働者として働いていますが、やはり音楽への想いは絶ち難く、ドッケリー農場で出会ったチャーリー・パットンやウィリー・ブラウンらと共に、さすらいのブルース人生を送ることを決意するのであります。

1930年代はミシシッピ近郊では「知らない人はいない」とすら言われ、パットンらとレコーディングも行います(「伝説のデルタ・ブルース・セッション」)。

更に1941年から42年にかけては国会図書館用のレコーディング・セッションもこなすなど、一見順調そうに見えた音楽人生でしたが、パットンとのレコードは結局リアルタイムで陽の目を見ることはなく、国会図書館用の音源も単なる資料であり、彼の存在を広く世に知らしめることはなく、ラジオから次々流れるレコード・ヒットの勢いに押し流される形で、ブルースマンとしてのサン・ハウスは、40年代後半にもなると、いつの間にか過去の人になっておりました。

いくらミシシッピの片田舎で唄っても唄っても、何ら報われない生活に嫌気がさしたサンは、故郷と音楽を捨て、ひっそりカタギとして生きていくことを選びます。これが1948年のことであります。

それからおよそ15年、サンはニューヨーク州のロチェスターという、およそブルースとは縁のない街で、日雇い労働者、調理人、動物病院の補助係などをしてひっそり暮らしておりました。

ここでやって来るのが、おなじみの60年代フォーク・ブルース・リバイバルです。

熱心な白人青年らが、アメリカ南部中を探し回って、活動休止中の伝説のブルースマン達を次々"再発見"してはライヴやレコーディングに引っ張り出していた、あのムーヴメントによってサンも1964年に再発見されるのですが、皆が「生きてるとしたらミシシッピ近辺に住んでいるだろう」と思い込んでいたために、彼だけがかなり発見が遅れたと言われております。

サンを発見した3人の青年達は、最初不審がって話も聴こうともしない彼に昔の演奏のテープを聴かせてこう言いました。

「ミスター・サン・ハウス、僕らはもう一度こういう素晴らしい衝動にうち震えたブルースが聴きたいんだ。そして僕らと同じようにこういうホンモノのブルースが聴きたいと願っている若者がたくさんいる」

サンの中で、必死に圧し殺し、無理矢理忘れ去ろうとしていたブルース衝動が沸き上がり

「オレに出来るかって?小僧共、目の前に誰がいると思ってるんだ」

と、鋭い目付きのブルースマンの顔になって言い放つのに、そんなに長い時間はかからなかったといいます。




【収録曲】
1.デス・レター
2.パーリーン
3.ルイーズ・マギー
4.ジョン・ザ・レヴェレーター
5.エンパイア・ステイト・エクスプレス
6.プリーチン・ブルーズ
7.グリニン・イン・ユア・フェイス
8.サンダウン
9.レヴィー・キャンプ・モーン


サン・ハウスがニューヨーク州ロチェスターから、3人の白人青年によって再びブルースの世界へ飛び出したその年の1964年、最大のコンサートである「ニューポート・フォーク&ブルース・フェスティバル」に出演。

"生きた伝説"の、伝説に違わない壮絶な演奏を目の当たりにした聴衆はもちろん大熱狂、サンは演奏の後のステージ裏で、満足に酒を煽り、煙草を吹かしておりました。

そんな彼を、一人の巨大な、多くのブルースマン達の中でも一際目付きが鋭く、凶暴なオーラをまとった男が立ち尽くして見ています。

サンは彼が、かつて南部で自分やチャーリー・パットンの周囲でちょこまかしていた若者だとすぐに気付き、緊張で固くなっている彼にスタスタ近付いて行って、ニヤリと笑って言いました。

「よぉクソガキ。俺達が夢中で追っかけていた南部の双子のべっぴんは今どうしてるだろうな?」

緊張していたその男、いや、今やシカゴブルースの一画を束ねるビッグボスとなっていたハウリン・ウルフは、最初緊張していましたが、サンのその言葉に満面の笑みを浮かべ、それからしばらく和やかに昔話で盛り上がったそうであります。

そしてそのステージ裏での話が

「あのハウリン・ウルフがそんな風になったサン・ハウスって一体何者だ!?」

と更に伝説となり、皆がアルバムを心待ちにしていた1965年、伝説のブルースマン、サン・ハウスの初めてのレコードである本作「ファーザー・オブ・ザ・フォーク・ブルース」が遂に世に出されました。

このジャケット、そして「フォークブルースの父」のタイトルの素晴らしさを凌駕するコレが素晴らしい内容なんです。

63歳という年齢に蓄積された深い深い、というよりも、どうあがいても体から剥がれずに、どれだけ逃げても逃げ切れない強烈なブルース・フィーリングがです。

全身から激しく振り絞った声、全力でブッ叩かれて弦とボディが「バカン!ビキン!」と硬い悲鳴を上げるギターによって弾き出されるモノホンのデルタ・ブルースは、もう息をするのもはばかられるような、重く濃密な空気を聴く人に突き付けます。

「お前のブルースはどうなんだ?」

と。

「朝起きたら"急げ急げ、お前の女が死んじまった"って書かれた手紙がきた」

と、ヘヴィな死を唄う「デスレター」や、恐らくは実体験に基づいているであろう日雇い労働と恋人との別れがえぐるようなスライドとともに切々と唄われる「レヴィー・キャンプ・モーン」等の看板曲はもちろん、伴走は手拍子だけの強烈なスピリチュアルソングの「ジョン・ザ・レヴェレーター」、キャンド・ヒートのアル・ウィルソンによるサイドギターとの絡みが重厚なデルタ・ビートを生み出す「エンパイヤ・ステート・エクスプレス」いやもう曲がどうとかではなく、この盤から叩き出されるサンの声、ギター、そして荒々しいブレスなどの全てが異様な程の緊迫感と生々しさに満ちています。

これ聴いた時、アタシは感動はもちろんしましたが、同時に聴いてはいけない類いのヤバいものを知ってしまったとも思いました。

奇しくもライナノーツにサン・ハウスの言葉があって、これがまたすごく一言でこのアルバムを言い表してる言葉にだったんで、シメに引用します。


『ブルースというのはひどく感情的な、ゾクゾクさせるスリルに過ぎない。君たち坊やがそれを一度も経験したことがないなら、絶対に知らないままでいた方がいい』

ーサン・ハウス










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posted by サウンズパル at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする