2017年05月31日

ルー・ドナルドソン ヒア・ティス

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Lou Donaldson/Here `Tis
(Bluenote)


「いやいやそうじゃなくて、オレはいつでも安心して聴ける、でもいつ聴いてもこうグッとくるようなジャズが聴きたいんだ」

と、ざっくり言うとこんな要望を受けることがあります。

つまり音楽好きなら誰だってジャズを楽しみたいという純粋な欲求がある、でも、いざ聴こうとすれば、神だの帝王だの天才だの、やたら”凄い人なんだぞ、聴け!”というような、どうもこう門外漢にはキツい圧力みたいのがある。いやいや、そうじゃないんだ、オレらは単純に、ロックやブルースとか聴くような感覚で、ジャズだってシンプルに「あぁカッコイイね〜」「コレはイカすね〜」と楽しみたいんだ。

という話です。

どうもジャズという音楽には「ツウにならないとダメ」みたいな空気があって・・・という方、はい、これはどうしてもいらっしゃいます。

アタシなんかは「いやいやそんなことないっすよ、だってアタシなんかもジャズは相当好きなんですがね、元々がタダのパンクとかブルース好きで・・・、えぇ、そりゃもうチンケな野郎でして・・・」と言い続けて20年強なんですが、アタシがこう言うのには、そらぁある程度のちゃんとした理由があるんです。

や、ホントですよ。大体ジャズなんてもんは、王侯貴族の宮殿で生まれた音楽でもないし、上流階級のエレガントなご趣味の音楽でもない。どっちかってぇとその逆で、元々はやっすい酒場で多少ガラの悪いにーちゃんやねーちゃん達を喜ばせるための音楽だったんです。誰が何を勘違いしちゃったのか、金持ちがジャズ聴いて、あぁそれは結構なご趣味でざますね、ところでこのワインはどこそこの何年もので・・・なんて一部で言われてますけどね、んなこたぁしゃらくさいってもんなんです。

ジャズなんてお前家でビールかっくらって、から揚げに喰らい付きながら聴いてごらんなさいと。

えぇ、そうでございますねぇ。丁度今時分は奄美も東京もすっかりムシ暑い真夏日が続いてるようなんで、今日はひとつ、”ビールとから揚げが美味いジャズ”でもご紹介しましょうかねぇってんでルー・ドナルドソンです。”ルー・ドナルドソン”なんてフルネームで呼んじゃったら、また何か堅くなっちゃいそうでいけませんので、記事の中では親しみを込めて”ルーさん”と呼ばせていただきます。

ルーさんはサックス吹きです。

若い頃は「チャーリー・パーカー(っていうバリバリに吹きまくってた凄い人)スタイルの実力派」なんて呼ばれて、ビ・バップとかいう、何か速くてカッコイイ正統派なジャズの人だったんですが、60年代ぐらいになってから

「いや、オレ実は単純にゴキゲンなブルースを吹きたいだけなんだよネ♪」

と、スタイルをユルく一転、ギターにオルガンなんか入れて、力まないファンキーなスタイルでプリプリとしたゴキゲンなアルト・サックスを聴かせる人になりました。

んで、若い頃のジョージ・ベンソン(という70年代〜80年代に凄く人気者になったフュージョンギターと歌がめちゃくちゃ上手い人)なんかをバックに入れちゃって、当時のソウルとか好きな若者向けに、ユルめのファンクっぽい曲をやった「アリゲーター・ブーガルー」とかいうオシャレ〜なジャケットのアルバムが売れて、それが90年代になってDJとかやったり、クラブに遊びに行くような若い人達にも

「かっこいー、超かっこいいー!」

とウケにウケて、今やソウル・ジャズとかクラブ・ジャズの巨人とか言われておるんです。

あ、ルーさん、そうですよね?

「オレ?あぁ、そうだけどみんなが踊ってくれたら何でもいいヨ♪」


というルーさんは、何と90才で2017年の現在も存命。2014年は御歳88で来日して”世界一ファンキーな80代ぶり”を見せつけてくれました。

イイネ!最高だぜぃ♪




【パーソネル】
ルー・ドナルドソン(as)
グラント・グリーン(g)
ベイビーフェイス・ウィレット(org)
デイヴ・ベイリー(ds)

【収録曲】
1.A Foggy Day
2.Here 'Tis
3.Cool Blues
4.Watusi Jump
5.Walk Wid Me

ほいでもって本日のオススメ盤は、そんな”ビールとから揚げジャズ”のゴキゲンなアルバムをいっぱい出しているルーさんが、レコーディングで初めてビールとから揚げ、違った、オルガンを入れて「オレは肩肘張らずにいきたいんだよネ」宣言をした「ヒア・ティス」。

ミディアム・テンポの4ビートのジャズ・ナンバーとブルースが、ほぼ交互に入った、これはとってもとってもオーイェーな、聴きやすくて味わいがぷぉんと濃いアルバムなんですが、最高なのはその楽器編成です。

もちっとした粘り気のあるルーさんのアルト・サックスに、”ジャズ界きってのブルース弾き兄貴”のグラント・グリーン、このアルバムがミュージシャン・デビューになった、若手のオルガン弾き、ベイビーフェイス・ウィレットに、ルーズなノリもビシッと決める職人ドラマー、デイヴ・ベイリー。

たったの4人で音もいい感じにスカスカ、その隙間にほどよく後を引くグルーヴが漂って、あぁこりゃあゴキゲンに違いない、なノリですねぇ。

注目したいのが、ベイビーフェイス・ウィレットですよ旦那。ジャズでオルガンといえば、まずジミー・スミスが大将ですが、ユルいノリからファンキーなノリ、そしてスイッチ入れたらハードな展開でも全然いけるジミー・スミスは、アタシも大好きで、ホントにすげぇなと思います。

で、そんなジミー・スミスの影響を受けたベイビーフェイス・ウィレットなんですが、コノ人は良い意味でジミー・スミスをもっと不器用にして、ブルースに特化したようなタイプで、このアルバムでもテクニカルなことはほとんどしないんです。で、これが最高なんです。オーイェーです、もう音を聴いただけで真夜中のクラブにいるような気分にさせてくれる、イナセなオルガン野郎、それがベイビーフェイス・ウィレットです。

今日はあんまり細かい解説はしませんでしたが、こういうアルバムはもう聴いて酒飲んで楽しめば、それで極楽なんで、あんまりとクドクドと野暮なこたぁ申しません。いいですか皆さん、これ、ビールとから揚げですよ、ぜひ試してみてくださいな、ビールとから揚げ。




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2017年05月30日

パンクの逆襲

今日はコレを読んでおりました。

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音楽専科社から1991年に、パンク誕生15周年を記念して発売になった『パンクの逆襲』。

内容はとにかくパンク!

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パンク!

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パンク!

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記事もグラビアもとにかくパンク!

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特に記事の内容が「あの頃を懐かしんで」とかじゃないんです。

何と、総力を挙げて集めた1970年代から80年代頭のコラムにレビューにインタビューがほとんど(!)

つまりピストルズとかクラッシュとかが、バリバリ現役の頃、センセーションを巻き起こしていた、リアルタイムの生々しい発言が、彼らのみならずザ・ジャム、バズコックス、スティッフ・リトル・フィンガーズ、ジェネレーションX、スージー&ザ・バンシーズなどなど、オリジナル・パンクの凄いメンツのインタビューがまとめて読めます。

貴重なことはもちろんですが、ライターやインタビュアーも含めて、あの時代の、懸命に音楽をやって、ポリシーを追究していた、生のアツい言葉にはやはりグッときますよ。アタシも初心を忘れそうになった時は開いて読みます。


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2017年05月29日

ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド

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ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド
(CAPRICON/ユニバーサル)


我が家の家訓に「音楽聴くならブルース、ロックならサザンロック」というのがあります。

半分は冗談ですが、半分はホントです。

というのも、ギターをいじるようになった十代の頃、親父に「何を聴いたらギターが上手くなる?」と、訊いたら、親父は少しも迷わず

「それはお前、サザンロックだ。特にオールマン・ブラザーズを死ぬほど聴け」

と即答しました。

今でこそオールマンとかサザンロックとか言われたら「あぁそうか」と、ピンと来ますが、その頃といえば流行りの邦楽と、洋楽はパンクとメタルをほんの少しかじってるぐらいだったんです。

そこでまず”サザンロック”とは何ぞや?という話になってくるのですが、アメリカでロックンロールが生まれ、それが海を越えて、ブルースやR&Bなどと共にイギリスに渡って「ロック」の原型が生まれます。

60年代に、ビートルズやローリング・ストーンズ、そしてクリームらがブレイクして、そのルーツにはブルースやR&Bがあることを感じたアメリカの白人の若者達が、再び足元を見て分らの国のブラック・ミュージックの価値を再認識することから、新しい”ロック”が生まれます。

”ロック”がしっかりとその形を成したのは、主にサンフランシスコやLAといった、西海岸の都市部です。これに東海岸の大都会ニューヨークに根を張っていたビートニク(という文学運動)らが呼応して、アメリカにも一大市場としてのロック・シーンなるものが出来上がった。

えぇと、この話はかなりはしょっておりますが、細かいところをちゃんと書こうとすると大変な文字数になってオールマンのことが書けなくなっちゃいますのでこの辺で勘弁してくださいな。

で、アメリカの都市部はこの新しい音楽が堰を切ったように溢れて、で、様々な社会運動なんかと密接にリンクしながら世界中に波及していきました。

これが60年代後半から70年代のおはなし。

で、アメリカの都会のヤツらはそうやって流行を作り上げて、刺激的な音楽をどんどん発信していったけど、都会じゃない所に住んでるヤツらはどうだったんだ?何もしていなかったのか?

という話になります。当然「や、実はそうじゃないんだよ」というところで出てくるのがサザン・ロックです。

実はアメリカには、都市部よりも南部にそれぞれの人種の音楽の”根っこ”となる・・・たとえばブルース、カントリー、テックス・メックス、それと忘れてはならないニューオーリンズのR&Bなどなど独自の文化がしっかりとありまして、ジョニー・ウィンターのファーストをレビューした時にもちょこっと書きましたが、彼らは都会の流行をチラ見しながらも、自然と染み付いたブルースやカントリーのフィーリングに忠実に「おぉ、オレらァこれでいくぜぇい」と、ある意味で泥臭い音楽を、泥臭いまんまやっておった。

そして60年代は、メンフィスやアラバマに独自のソウル・ミュージックを発信するレーベルがあって、腕とフィーリングのあるミュージシャンなら、白人黒人を問わずスタジオバンドに加わることも可能な環境もあり、南部に住む若者達のブラックミュージック化は、まだまだ人種間の軋轢はあったとはいえ、かなり盛んになっておりました。

で、オールマン・ブラザーズです。

言うまでもなくオールマン・ブラザーズ・バンドは、アメリカ南部フロリダ州に住む、デュアン・オールマン(兄・ギター)とグレッグ・オールマン(弟・ヴォーカル&オルガン)の兄弟が中心になって結成されました。

実は早い段階(1963年)に才能を開花させた二人は”オールマン・ジョイス”というバンドを結成するんですが、下の写真を見て分かるように、まんまビートルズを意識した、UK風のポップなガレージバンドだったんです。

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(両サイドの右がグレッグ、左がデュアン)

残された音源を聴いても、ポップな曲の中で暴れるデュアンのギターはなかなかのやさぐれっぷりで(この頃からスライドも弾いてるんだって!)悪くないバンドだったんですが、この路線が合わないと思った二人はバンドを解散。

デュアンは田舎に帰り、グレッグは単身LAに行ってしまいますが、この間田舎であらゆるセッションに顔を出して腕を磨いていたデュアンは、アラバマのマスル・ショールズにあったソウルの牙城”フェイム・スタジオ”のセッション・ギタリストとして、同地でレコーディングするアレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットといったソウルの大物達に、そのフィーリング豊かなギターの腕を買われております。

このウィルソン・ピケットのレコーディングの時にデュアンが

「親方、ビートルズの”ヘイ・ジュード”って曲やらんですか?いや、やりましょうよ」

と、ピケットに提案したのは有名な話。そしてその音源を聴いたエリック・クラプトンが「凄いギターだがコイツは誰だ!?」と驚愕したというのも有名な話。

そんなこんなでソウル/R&Bの世界で既に名を上げて、あちこちのスタジオやライヴハウスでセッションにセッションを重ねていたデュアンが、ディッキー・ベッツ(ギター)、ベリー・オークリー(ベース)、ジェイモー(ドラム)、ブッチ・トラックス(ドラム)というメンバー達と出会い、彼らの生み出すグルーヴとセンスの良さに惚れて「よし!バンド組むべ!!ちょっと待ってろ、弟を呼び寄せる。アイツは最高のヴォーカリストでキーボーディストなんだ」と、LAにいたグレッグを呼び寄せ、1969年「オールマン・ブラザーズ・バンド」は結成。

既にデュアンとその仲間達の名は一帯に轟いておりましたので、彼らのデビューには地元レーベルの”カプリコーン”がすぐに飛び付いて、その年のうちにデビュー・アルバムの「ザ・オールマン・ブラザーズ」はリリース。






【収録曲】
1.ドント・ウォント・ユー・ノー・モア
2.ノット・マイ・クロス
3.腹黒い女
4.トラブル・ノー・モア
5.ハングリー・ウーマン
6.夢
7.ウィッピング・ポスト


まず、ここで聴けるのは、アメリカ南部に深く根を張るブルースやカントリー、そしてR&B(サザンソウル)の濃厚なフィーリングを、楽曲やサウンドの隅々まで充満させた、密度の濃い”新しいロックサウンド”であります。

左右のチャンネルに分かれた2本のギターは、”空駆けるスライド”と評されたデュアンと、そのスライドにギンギンのフレーズで絡んでくる”もう一人のリード・ギター”ディッキー・ベッツ。

そしてこのバンドのもうひとつの目玉であるツイン・ドラムが繰り出すパワーと間合いの調整が完璧な横ノリグルーヴ、その真ん中にドンと構えて、ズ太いビートを送り込むベース。

まずもってハタチそこらの若者バンドのデビュー作とは思えない熟練の演奏テクニックなんです。そしてライヴ盤以上のライヴ感に溢れながら、全体をじっくりしっかり聴かせる熟成されたサウンドなんです。

で、ここで開花したのが、ヴォーカル&キーボードのグレッグ・オールマンの色んな才能であります。

まずはソングライターとして、このアルバムはスペンサー・ディヴィスの@、マディ・ウォーターズのカヴァーC(コレが最高なんだ)を除いて全てオリジナルなんですが、楽曲を書いたのは全部グレッグ。

先ほど「ブルースとカントリーとR&Bの濃厚なフィーリングを充満させた新しいロック」と書きましたが、グレッグの書く曲こそが、正に骨太で聴かせる”ツボ”と、いかにもアメリカン・ロックなやさぐれた優しさ(わかるべか)が、ノリノリのナンバーだろうがバラードだろうが一本筋が貫かれてる。

これもまたハタチそこらの若者とは到底思えない、人生の悲哀を含んでザラッと吐き出すかのようなやるせない声、そして声にピッタリと合った優しくてワイルドなオルガンの音もまたたまらんのです。

最初の頃はアタシも

「どうやったらこんなスライド弾けるんだろう」

と、ギターにのみ集中して聴いてたんですが、聴き込むにつれて、そしてロック以外の色んな音楽を知るにつれて、つくづくこの独自の土臭い横ノリと、やるせないグレッグの声の魅力にめろんめろんになってしまいます。サウンドもグルーヴも、とにかく歌ってるんですよね。本当に理屈じゃない部分で感動させてくれる最高にイカシたバンドのイカシたアルバムです。

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2017年05月28日

ピエール・バルー サ・ヴァ、サ・ヴィアン

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ピエール・バルー/サ・ヴァ、サ・ヴィアン

(Saravah/コアポート)

音楽を聴くたのしみのひとつに「非日常を味わう」というのがあります。

ミュージシャン達が創造する音世界は、確かに非日常をそこに生み出す最高のツールで「音楽を好きになること=知らない世界との繋がりを深める」という公式は確かに成り立ちます。

知らない国の音楽でもいいし、生活したことのない時代の音楽でもいい。もしくは今の時代の音楽でも、テクノロジーによって完璧に演出された非日常をアタシ達は堪能して、そこに意識を泳がすことができます。

日本語で言うところの”ハレ”の感覚ですね。

さて、アタシもそうやって、音楽を好きになってからというもの、色んな色や形の非日常を楽しんで、或いは自分の内側にヒリッとした感触と共に記憶してきた訳ですが、ここへきて

「日常スレスレの感じを残した淡い非日常こそが、心にしんみりとした何ともいえない情景を残してくれるのではないか」

という感慨が深くなっております。

具体的に言いますと、フランスの巨匠音楽家、ピエール・バルーと、彼がレーベル・オーナー/プロデューサーを務めた”サラヴァ”レーベルの作品を、たとえば休日の午後なんかにぼんやり聴いていると、体は日常に残しながら、心の半分以上が、淡く切ない奇妙な非日常感の中を、ほわほわと漂っている時があるのです。

ピエール・バルー、フランス発のポピュラー・ミュージックの、深く果てしない支流を掘り続けてきたポピュラー音楽家でありシンガー、プロデューサー、役者、そして生粋の吟遊詩人。

貧しい家庭に生まれ、十代の頃から音楽の世界で生きることを志し、自作のシャンソンを書きながら、やがて20代になる頃に世界を放浪し、ポルトガルで聴いたボサノヴァに運命的な出会いを感じ

「この音楽をフランスに広めるぞ!」

と決意して、実際に彼の努力と、本場リオのカーニバルの来仏などによって、フランスではボサノヴァや古いサンバなどが聴かれるようになります。

バルーは後に「フレンチ・ボッサの立役者」と呼ばれるようになりますが、実は若い頃は音楽よりも演劇の世界での評価が高く、アーティストとしての最初の仕事は、役者として映画に出たことでした。

やがて役者としてちょいと知られるようになったバルーに、再び運命的な出会いが訪れます。

それが1966年の、クロード・ルルーシュ監督映画『男と女』。

何と役者としてのオファーとは別に、フランシス・レイが作曲した主題歌の歌詞を書かないか?というオファーが舞い込んで来たのです。

映画の大ヒット、そしてカンヌ映画祭でのグランプリの追い風もあって、映画の中でヒロインの夫として主題歌を歌ったバルーも一躍フランスを代表するアーティストとなります。

この年にバルーが、やりたい音楽を創作するレーベルとして設立したのが"Salava"です。





【収録曲】
1.サ・ヴァ、サ・ヴィアン
2.愛から愛へ
3.小さな映画館
4.おいしい水
5.靴墨のビンとマロンクリーム
6.愛する勇気
7.80 A.B
8.パリ・ウェリントン
9.地球を取って
10.港の歌
11.森林
12.小さな木馬
13.僕がアザラシだった頃
14.遭難 (シングル・ヴァージョン)
15.迷い (アルバム未発表ヴァージョン)
16.80 A.B (アルバム未発表ヴァージョン)
17.サ・ヴァ、サ・ヴィアン (映画ヴァージョン)


バルーの代表作として、今も多くの人に聴かれている「サ・ヴァ、サ・ヴィアン」は、1971年にリリースされたバルーの、ソロ名義としては2枚目のアルバム。








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2017年05月26日

ザ・クラッシュ ライヴ・クラッシュ

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ザ・クラッシュ/ライヴ・クラッシュ
(エピック・レコード)


さて皆様、ロックといえばライヴであります。

ライヴ盤には、スタジオで製作されたオリジナル・アルバムを聴いての「凄い!なるほど!カッコイイ!」という、割と段階のある感動とはまた違う

「凄い!凄い!凄い!」

という、もう言葉といえば一言で事足りるほどの純粋な感動が目一杯詰まっているものでございます。

まず、アタシの場合は、好きになったバンドがいて、ライヴ盤を出しているなら、もうまっしぐらにそれを買いに走ったものです。

音が悪いとか演奏が荒削りとかそんなもんはカンケーねぇ。田舎に住んどる俺は、このバンド観たいんだけど観れんのじゃ、だったらライヴ盤買って家で爆音で聴いて盛り上がるんじゃい! あん?このバンド、ライヴだと下手クソね、だと?だぁっとれ、ロックバンドが演奏上手くてどうする。ライヴぞ!?キャーキャー言わんかい。

と、全身全霊で聴きました。

えぇ、音がいいとか悪いとか、演奏が上手いとか下手とか、そんなことほんっっっとに関係ないんです。

スピーカーからガシガシ飛んでくるデカくて暴力的な音と、声とかエレキギターのジャカジャカとか、ほとんど聴こえないベースの潰れた音とか、ドラムのバカスカとか、そういうのに乗っかった”本気”を、こちらも本気で浴びるように聴く。ライヴ盤の醍醐味ってのはそんなもんです。そして敢えて乱暴に括りますがそれがロック。

えぇ、つまりぼく、パンクロックが好きなんです。

中学の頃に「カッコイイ!やべぇ!」とハマッて、これは絶対にライヴはもっと凄いだろうと思っていたのが、ザ・クラッシュ。

ところが、クラッシュのオフィシャルなライヴ盤は、当時一枚もリリースされておらず。

クラッシュは特に「ロンドン・コーリング」以降は作品のトータルなクオリティにこだわりたかったから、ライヴ盤という形での作品のリリースは好きではなかったとか、そういう理由を聞きました。

しかし、アタシが好きになった頃には既に解散して伝説のバンドになっていたクラッシュです。新作としてのライヴ盤のリリースなど、あぁもうないんだろうなぁと思って諦めて数年経った1999年に、事態はいきなり急転します。



【収録曲】
1.コンプリート・コントロール
2.ロンドンは燃えている!
3.ワッツ・マイ・ネーム
4.クラッシュ・シティ・ロッカーズ
5.出世のチャンス
6.ハマースミス宮殿の白人
7.キャピタル・レディオ
8.死の街
9.アイ・フォート・ザ・ロウ
10.ロンドン・コーリング
11.ハルマゲドン・タイム
12.トレイン・イン・ベイン
13.ブリクストンの銃
14.7人の偉人
15.権利主張
16.ステイ・オア・ゴー
17.ストレイト・トゥ・ヘル


何と、いきなりザ・クラッシュのライヴ・アルバム「ライヴ・クラッシュ」がリリースされました。

これこれ!

これなんですよ(!!)

中身に関してはもう何をか言わんやです。

音源はメジャー・デビューの翌年の78年から、オリジナル・メンバーでの最後のアルバム「コンバット・ロック」をリリースした82年までという幅広い時期のライヴを収録したものであります。

「ロンドン・コーリング」以降クラッシュは、トータルなロックバンドとして進化を重ねてきて、アルバムでもロックンロールにスカにレゲエにディスコにと、それこそあらゆる音楽を呑みこんで、それを知性と力強さの両方に満ちたアレンジで”聴かせる音”を創ってきたわけでありますが、ライヴでのクラッシュは、とにかく1音に気合いを入れた、場の空気をガツンと沸かせるパンクバンドなんです。

アルバムの中では最もごった煮感とヨコノリ感に溢れた「サンディニスタ!」からの曲も結構入ってますが、その辺の曲も初期の荒削りなナンバーと全く勢い、音色が一緒!ややっぱりクラッシュは最初から最後までパンクバンドだったんだよ!すげぇよ!






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2017年05月24日

ザ・フューチャリスティック・サウンド・オブ・サン・ラー

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ザ・フューチャリスティック・サウンド・オブ・サン・ラ
(Savoy/LONEHILLJAZZ)

サン・ラーが地球に降り立って103年、地球を離れてからやがて四半世紀が過ぎようとしておりますが、彼の人気は従来のジャズファンのみに留まらず、サイケなロックやプログレ、音響系が好きな人達、ヒップホップやハウス/テクノなど、クラブユースな音楽が好みの方々にも「カッコイイ」と広く受け容れられておるのです。

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サン・ラーの音楽を、彼のことを何も知らないリスナーに聴かせてみると、例えばロック好きなら「クレイジー!」ということになり、電子音好きには「ディープ」との反応が返ってきて、ジャズに興味のある人には「ぶっ飛んでる!」ソウルやファンクが好き人には「渋い!」と、それぞれ目論んだ通りの反応が返ってきてニンマリしたこともありました。

何故、サン・ラーがそんな風に若い人達にウケるのかといえば、一言でいえば彼が元々”ジャズ”というひとつのジャンル内で収まるような表現に拘らず「これはいい」と思ったサウンドはどんどん取り入れて極めていたからでありましょう。それでいて表現の根本にある”ジャズ”の手を抜くことは決してなかった。

カラフルに、変幻自在に立ち回る、一流の実力者揃いのビッグバンドを駆使しての、自由で解放の喜びに満ちたサウンドや、キラキラした派手な衣装、ヴォーカルナンバーやダンサーも入れた”見て、聴いて、体感して楽しめるステージ”が、そのまま普遍的なものであり、彼が活動を始めた1950年代の初頭から現在の三代目サン・ラー・アーケストラ(リーダーは長年サックス奏者を務めてきたマーシャル・アレン)にまで、変わらず受け継がれてきた「純粋に楽しくカッコイイもの」が、流行やテクノロジーの変化に呑まれたり流されたりすることなく変わらぬ魅力を放っているからだと思います。


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5月22日は、サン・ラーの誕生日、や、土星から来た古代エジプト人の末裔であるところの彼流に言えば”地球に降り立った日」でありました。

そこでサン・ラーの音楽と深い見識と体験から練られた彼の宇宙哲学を愛するアタシとしては、コレはサン・ラーを聴かねばならぬぞと初期の頃から最近までのアルバムを色々と物色して自宅や車で流しておりました。


第二次世界大戦が終わった翌年の1946年、地球での生まれ故郷アラバマ州バーミンガムで、大学の音楽教員養成コースの学生として過ごしていたサン・ラーは

「世界が大混乱に陥り、望みを失ったとき、君の話に世界が耳を傾けるだろう」

という宇宙からの啓示を受け「よし、では俺は本格的にプロの音楽家になるぞ」と、南部から黒人がまず行く街として賑わっていたシカゴへ移住します。

シカゴといえばブルースやR&Bがあちこちで流れていたブラック・ミュージックの都ですが、もちろんこの地ならではのジャズも盛んでした(元々戦前にニューオーリンズから移住してきたジャズマン達が根強い影響を残していたのがシカゴでもあるんですが、その話はまたいつか・・・)。

サン・ラーはここで自らのオーケストラを組むべくメンバーを集め、自身の目的(地球人を音楽の力によって正しく導くこと)を理解する演奏家達とビッグバンド形式の”サン・ラー・アーケストラ”(箱舟の”アーク”とオーケストラを掛け合わせたオリジナルの言葉)を結成。

その頃の音楽は、フレッチャー・ヘンダーソンやデューク・エリントンの影響を受けた正統なスウィング・ジャズに、当時人気だったR&B風の楽曲も絡めたものでありましたが、当初からステージで自身の深遠な宇宙哲学を語るサン・ラーは”キワモノ”と思われてました。

しかし「いや、彼は宇宙がどうとか言ってるけど、音楽はホンモノだぞ。クオリティ、ハンパなく高いぞ」と理解して支持するほんの少数のファンや演奏家仲間、音楽やクラブ業界関係者らの支えを受けて、シカゴではそこそこ順調に活動しておりましたが、シカゴ在住14年目の1961年、たまたまツアーで出かけたカナダのモントリオールで、何故か現地の学生達の間で大人気を博してしまい、そのままシカゴには帰らず、ニューヨークに拠点を移しました。

サン・ラーの突然の”引越し”に驚き困惑したメンバーの中にはシカゴに帰った人もおりましたが、信じて付いてきたメンバーと、ニューヨークでサン・ラーとアーケストラの演奏に惚れ込んだ”凄腕のサックス奏者”であるパット・パトリックが加入して、アーケストラの団結はますます強くなるのです。

そいでもって本日皆さんに、おぉ、これはぜひ紹介したいなぁと思ったのが、そんなニューヨーク移住第一弾に当たる記念すべきアルバム「フューチャリスティック・サウンド・オブ・サン・ラー」(1961年録音)です。50年以上前の音楽ですが、これは永遠に未来志向の音楽と言えるでしょう。



【パーソネル】
サン・ラー(p)
バーナード・マッキンニー(epn,tb,bells)
マーシャル・アレン(as,fl,bells)
ジョン・ギルモア(ts,b-cl,bells)
パット・パトリック(bs,bells)
ロニー・ボイキンス(b)
ウィリー・ジョーンズ(ds,perc)
リア・アナンダ(conga)
リッキー・マーフィー(Vo,E)

【収録曲】
1.Bassism
2.Of Sounds and Something Else
3.What's That?
4.Where is Tomorrow?
5.The Beginning
6.China Gates
7.New Day
8.Tapestry From An Asteroid
9.Jet Flight
10.Looking Outward
11.Space Jazz Reverie

前にもちょこっと書きましたが、キャリアが長い上に、ライヴ盤、タイトル違い、ジャケ違いなども含めてべらぼうに数のあるサン・ラーのアルバム、本腰を入れて聴くとなると、それなりの覚悟が必要ですが、大まかなサウンドの特徴として

1.初期(50年代〜60年代頭頃)

スウィングを根っ子に持ったストレート・アヘッドなジャズ・サウンドの中に光るユニークさ

2.フリー期(60年代〜70年代はじめ)

通常の4ビートの枠を超えて歌モノ増える。フリーキーな実験的色合いも濃くなってきている

3.フリー〜ファンキー期(70年代〜80年代)

ムーグシンセが大活躍、フリーキーでカオティックな中にどこかポップな味わいもあったりする

4.大団円期(80年代後半〜90年代)

時にフリークアウトした演奏も炸裂させながら、楽曲はジャズ・スタンダードのカヴァーなど徐々に聴き易くもなる。


な感じになりますが(あくまでザックリな分類です)、このアルバムは1の初期サウンド。

初期のサン・ラーって、実は真っ当過ぎるぐらい真っ当にスイングしてて、時代はビ・バップとかハードバップで、みんなオレがオレがでソロを競ってたのですが、サン・ラーの場合はどちらかというと、まずはバンド・サウンドをキッチリ作り上げてから、その上でメンバーの個性を自由に発揮させるという、実に理知的な演奏を聴かせてくれます。

で、そのバンド・サウンドってとっても楽しいんです。

キッチリとスウィングはしてるけど、そこに民族音楽的な"はずし"や"崩し"が独特の浮遊感を産み出していて、この時点でもう「他のどのバンドにもないポップさと未来感と奇妙な懐かしさ」がもわもわと湯気を立てています。鈴やパーカッションが終始シャカポコ鳴ってるのも雰囲気十分です。

このテの無国籍っぷりの代表曲といえばヴォーカル入りの「チャイナ・ゲート」で、サン・ラーは冷やかしじゃなく相当真面目に世界中の民族音楽を研究していて、実際この曲もちゃんとした中華チューンなんですが、間延びしたヴォーカルの効果もあってどこかユーモラスなんです。

で、各人のソロも光ります。

見事なのはジョン・ギルモア、マーシャル・アレン、パット・パトリックのサックス隊ですね。

特にAHJで聴けるジョン・ギルモアのテナー・サックスのソロ。

ギルモアはコルトレーンに影響を与えた程の超凄腕かつ感覚も非凡な新しさを持ったテナー吹きでありましたが、このアルバムでは無国籍スウィングをバックにしながら、コルトレーンとウェイン・ショーターを混ぜてそれらをかなり骨太に仕上げたような見事な"ぶっ飛び一歩手前"のソロ、これはぜひ聴いてください。

一見スイング・ジャズのスタイルを知的に再現してるように見えて、アレンジもソロも実はかなり斬新で鮮烈なアルバムです。







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2017年05月23日

サンタナ キャラバン・サライ


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サンタナ/キャラバン・サライ
(ソニー・ミュージック)


サンタナの4作目のアルバム「キャラバン・サライ」。

うん、個人的に”好きなアルバム”といえば、それは真っ先にこの前作の「3」であり、荒削りな音も含めて純粋にラテン・ロックをあひゃあひゃ言いながら楽しめるといえば、ファーストになるのでありましょうが、このアルバムに収録されている深い瞑想性に溢れた音を聴けば、いや、もう「キャラバン・サライ」というタイトルだけを聴いても、自然と気持ちが幽玄に誘われ、高揚でもあり陶酔でもある特別な感情に、心の中がいっぱいになってしまうのです。

ロック繚乱の60年代末にデビューし”ラテン・ロック”という新風をシーンに流し込んだサンタナでありましたが、彼らの創造性はそれだけに終わりません。

中心メンバーであるギターのカルロス・サンタナは、デビュー前からジャズ、特にジョン・コルトレーンの実験的でスピリチュアルな音世界に傾倒し、同じぐらいリアルタイムでリリースされたマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」等のエレクトリック・ジャズに大いに興味を示し、マイルス・デイヴィスと積極的に交流をしておりました。

また、その頃の白人/黒人を問わず多くの芸術的完成を持つ若者を魅了していたインド哲学にも相当のめり込み、アメリカを拠点に多くの著名人の弟子を抱えていたヨーギ・シュリ・チンモイに弟子入り。そしてラヴィ・シャンカールにシタールの手ほどきを受けるなど、その没入ぶりは本格的なものでした。

ジャズとインド哲学からの影響が、サンタナの音楽を一気に深化させました。

前作「3」から本作に至るまでの「ロックとラテンの融合」という意味においては、基本的な路線は変わっておりません。

けれども、アルバム1枚がまるでひとつの壮大なスケールの組曲であるかのような音楽性、そして何よりもそれまでの「内にあるものをエモーショナルに放出する」という表現手法は、ここへ来て内面へ収束するエネルギーの反動を受けて放出、という、あいやすいません、哲学的に言うと何だか難しくなってしまいますが、とにかく内へ内へと精神的な世界の深い部分にまで入り込む思念的なサウンドと、やっぱり爽快でどこまでもよく伸びるギターの響きと、より洗練されて、ひとつの確固たる世界を確立しているバックとが絶妙なバランスで溶け合って、唯一にして無二な音楽を、ここで奏でておるのです。




(ギター・レジェンド・シリーズ)


【収録曲】
1.復活した永遠なるキャラバン
2.躍動
3.宇宙への仰視
4.栄光の夜明け
5.風は歌う
6.宇宙への歓喜
7.フューチュア・プリミティヴ(融合)
8.ストーン・フラワー
9.リズムの架け橋
10.果てしなき道


CDを再生してしばらく「リーン、リーン」と鳴り響く虫の声(何と2分以上も鳴ってる!)に引き続き、かなりよじれた感じのサックスの音が、揺れ系エフェクトをかけたエレピがリズムを導くオープニング・ナンバー「復活した永遠のキャラバン」が荘厳にアルバムの始まりを告げ、ギターが本格的に雄大なソロを奏でるのはA「躍動」から。

そして「宇宙への仰視」ではスピリチュアル・ファンク、ヴォーカル入りで一番ロックっぽい「栄光の夜明け」前半のハイライトである「風は歌う」へと、演奏は様々なジャンルを横断しつつも、一貫して共通した荘厳なムードを保持しながら流れて行きます。

後半は、愛と平和のメッセージを込めた、サン・ラーばりのコズミック・ソウル「宇宙への歓喜」(この曲は原題の「All The Love Of The Universe」と呼びたいです、ハイ)、静寂を敷き詰めたシンセのゆわんとした浮遊からパーカッションがその静寂に浮遊する「フューチャー・プリミティヴ」、そのままでの流れからカルロスのギターとラテンのゴキゲンなリズム、ささやくようなヴォーカルとがまた素晴らしい融合の「ストーン・フラワー」更にテンポアップしてアルバム中最高の盛り上がりで聴かせる「リズムの架け橋」そして最後は一曲丸々壮大なエンディングのようなアレンジの上で目一杯の情念と余韻を響かせて飛翔するギターが最高にエモーショナルな「果てしなき道」。

はい、細かく一曲一曲解説しましたが、特に後半かなり激しく盛り上がっているはずなのに、聴いた後に不思議な静寂が心の内にゆわーんと漂う、本当に本当に不思議な感触を、壮大な感動と共に残すアルバムです。

収録曲はほとんどインスト、聴きようによってはジャズでもありますが、この強烈なオリジナリティ、やはりサンタナであります。本当に素晴らしい。



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2017年05月22日

ジミー・スコット ドリーム

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ジミー・スコット/ドリーム
(Sire/ワーナー・ミュージック)


突然ではありますが皆さん、歌ってのは結構なもんでございます。

はい、アタシにはちょっと特別な感情が湧いてくることがあって、それはいい歌を聴いたときに

「あぁ〜、これはいい歌だね」

と、しみじみ感動した時の、心の内側に浮いてくる、何だか悲しいような切ないような不思議な感情です。

特に悲しい歌、暗い歌を聴いている訳でもないのに、切々と心を打つ歌唱・・・。

こういった歌を聴くと、もうジャンルとかスタイルとか年代とかどうでもよくなってくるというのが正直なところ。

で、最近アタシの内側に、そういった”切々”を感じさせて止まない素晴らしい歌手が、ジミー・スコット。

90年代に「奇跡の声」と呼ばれ、テレビで話題になって、知っている人も多いと思います。

そう、男性に生まれながら、生まれつきのホルモンの病気が原因で変声期を迎えることが出来ず、そのまま女性のような声でずっと歌手活動をしてきた人。その優しく美しい歌声が、彼自身の苦労と偏見に苦しめられた人生の重みとシンクロして、聴く人に特別な感動をもたらし続けていた人であります。

ジミー・スコットは1925年に生まれてすぐに母親を亡くし、十人いた兄弟らと共に施設で育ちました。

ホルモンの病気による障害は少年時代からあちこちに出ていて、普通なら成長期を迎えて身長が伸びたり体力もそれなりに付くところを、彼の体力は十分に育まれず、慎重も150cmあるかないかでありました。

しかし、幼少の頃から音楽が、特に歌うことが大好きだったジミー少年は、早くから生きる道を音楽に見出し、音楽の世界へ飛び込んだのです。

最初は「世にも珍しい女性の声を持つ小さな男性シンガー」として、ある種見世物のような扱いでステージに上げられていたジミーでした。しかし、ニューヨークのクラブで唄っていたら、表で客引きをしていた売春婦達が、その愛らしくもどこか哀しい歌声に惹かれ、商売そっちのけでクラブに入ってジミーの唄を聴きにくるほどで、困った売春婦達のオーナーが、ジミーに請求書をよこしたという逸話も残っております。

で、ミュージシャンの中で、ジミーの特異な歌声の中にある非凡な才能に目を付けたのが、当時人気のバンドリーダーだったライオネル・ハンプトンです。

彼のバンドのヴォーカリストとして1948年に本格的なキャリアをスタートさせ、その風貌と少年(少女)のような声から”リトル・ジミー・スコット”というニックネームでステージに立つや人気者となった彼は、50年代にソロデビューのレコード契約をSavoyレーベルと交わします。

しかし、これがジミーにとっては不幸の始まりでした。

ジミーはバラードが好きで、自分のことを”ジャズ・バラード・シンガー”として知られて欲しいと願って活動しておりました。

ところがSavoyは彼のことを(当時シングル盤でヒットを出せば大当たりになる)R&Bのシンガーに仕立てようと画策。ステージでもそういった芸風で行くようにと命じます。

60年代にはレイ・チャールズが彼の声をとても気に入って、こっそりレコーディングをしてそれをラジオで紹介。一躍全米に彼の名前は知れ渡って二人の間で「じゃあジミー、君が望むようなジャズ・バラードのレコードを出そう」という話はほぼ決まりますが、ここでSavoyが「一生専属の歌手でいること」という契約を縦に発売を妨害。

つまり彼は、純粋に「素晴らしい歌を唄う歌手」として世に認められかけていたのに、やはりレコード会社やクラブを運営するいわゆる音楽業界の側は、彼を「カネの稼げる見世物」ぐらいにしか見ていませんでした。

ジミーは恐らくボロボロに傷付いたことでしょう。失意のまま音楽の世界を去り、中年を過ぎて音楽とは全く関係のない仕事を転々としていたといいます。

再び彼の運命が変わったのは、80年代以降、既に初老に差し掛かっていた頃に、ソングライターのドク・ポーマスや、R&Bの人気女性シンガー、ルース・ブラウンといった人達でした。

特にドクの方は「ジミー・スコットのレコードを出すのは音楽業界の使命だ!」と、公私に渡って支援をしながら、何とか彼のレコーディングが出来ないかと、あちこちのレコード会社に掛け合っておりました(サヴォイとの契約は、前オーナーが死去した時点で無効になっておりました)が、ドク・ポーマスは1991年にガンで死去。

悲しみに打ちひしがれたジミーではありましたが、自分の唄声を愛してくれたこの同い年のかけがえのない友は「オレの葬式で君は唄ってくれ」という遺言を残しており、彼は感謝と悲しみの全てを渾身のジャズ・スタンダード「Someone To Watch Over Me」を唄います。

これが参列者達に感動を与え、ジミーに再び世間が注目することになるのです。

ジミーのアルバムをリリースすることを真剣に考えていただけではなく、本気で長期契約によってしっかり売り出して行こうと考えていたサイモア・ステインというレーベルオーナーが、経営するサイ・レコードにジミーを招聘。










【パーソネル】
ジミー・スコット(vo)
ミルト・ジャクソン(vib)
レッド・ホロウェイ(ts,F)
ペイシャンス・ヒギンズ(ts,A)
ミッチェル・フルーム(org,D)
ジュニア・マンス(p)
リック・ザニガー(g,DF)
ロン・カーター(b)
ペイトン・クロスリー(ds)

【収録曲】
1.ドント・テイク・ユア・ラヴ・フロム・ミー
2.イット・シュドゥント・ハプン・トゥ・ア・ドリーム
3.アイ・クライド・フォー・ユー
4.ソー・ロング
5.ユー・ネヴァー・ミス・ザ・ウォーター
6.イッツ・ザ・トーク・オブ・ザ・タウン
7.アイム・スルー・ウィズ・ラヴ
8.ラーフィング・オン・ジ・アウトサイド
9.ドリーム

64歳になっていたジミーは、長い苦難の人生でようやく安住できる居場所と巡り合います。

サイ・レコードは彼の「ジャズ・バラードを唄いたいんだ」という願いを最高のレコーディング環境と、可能な限り一流のジャズ・ミュージシャン達をバックに集めて叶えます。

サイ・レコードからの2作目「ドリーム」は、ミルト・ジャクソン、ジュニア・マンス、ロン・カーターという大物達がジミーの繊細なヴォーカルを的確にサポート。

深みのあるヴェルヴェットな演奏の上に、更に静かにひしひしと染み渡るジミーの声、若い頃は少年と少女とが混在する、目一杯の悲しみを内に秘めて優しさで織り上げる、この声に何度アタシは天国を感じたことでしょう。どうしようもなく塞いだ気持ちが何度癒されたことでしょう。

ロック畑で有名なプロデューサーのマイケル・フルームと、ミックスを担当したチャド・ブレイクのコンビが作り出す、幻想的な音世界(独特の淡いエコーに、モノラルだけどヴォーカル真ん中、バックは楽器毎に左右からゆらっと響く配置)も、ジミーの声や情感の美しさを素晴らしく引き出していて、このアルバムはある種の中毒性すら帯びているんです。

ビリー・ホリデイやチェット・ベイカーの晩年の声に、抗し難い魅力を感じてしまうように、アタシはジミー・スコットの声にもまた、理屈や知識では割りきれないものを感じてしまいます。



"歌"って、本当にいいもんです。



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2017年05月21日

バディ・ガイ フィールズ・ライク・レイン

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バディ・ガイ/フィールズ・ライク・レイン
(ソニー・ミュージック)

今やブルース界の長老として、後輩ブルースマンやロック・ギタリスト達からの絶大なるリスペクトを集めているバディ・ガイ。

元々が直情型のフレージングと、ピックを使ったアタックの強い、つまり「小手先のテクニックよりもエモーションばこーん!」なタイプでありますので、バディの場合はロック側からの人気は非常に高かったんです。

で、年代的にもストーンズの連中とかジェフ・ベックとかクラプトンとかとは、大体10ぐらいしかトシが離れておりませんので「尊敬する大先輩」というよりは「頼れるアニキ」って感じだったんでしょう。特に最近のライヴ映像なんかを観ると、ラフな格好で「やぁやぁどうもどうも」みたいな笑顔で出てきて、凄まじい弾き倒しを疲労してくれるバディを後輩達が「どうだ、アニキは凄いだろう」と、笑顔でプレゼンツしているみたいな、そんな気さくさ、フレンドリーさ、あと、インタビューなんかでの滲み出る人柄の良さに、アタシは何だか「あぁ、ブルースってとってもいいな」と思ってしまうのです。

そんな感慨は、特にバディが長い不遇の時代を経てカムバックした90年代以降のアルバムを聴いて湧いてきます。

ファンの皆さんには、シルヴァートーンからの復帰第一作「アイ・ガット・ザ・ブルース」が、名作として人気がありますが、その翌年にリリースされた2作目の「フィールズ・ライク・レイン」もなかなかいい。というよりも、ジョン・メイオール、ポール・ロジャース、ボニー・レイット、イアン・マクレガンなど、彼をアニキとしたう豪華なゲストに囲まれて、豊かに幅の広がった曲風の中で、和気藹々をやりつつも直情に火が点いたら猛烈に暴れまくる快演が聴ける、これもまた名盤でございます。

元より、ブルースマンとしては若い世代(シカゴ・ブルース第二世代とか言われておりまする)のバディは、デビュー当時からR&Bの影響を強く受けたミクスチャーなブルースをやっておりました。

この”元からあった音楽性の広さ”が、90年代には本人の感情コントロールの見事さも相俟って、実に良い塩梅で花開いておるんですね。特にロックサイドには、デカい影響を与えた側の当人が、ニコニコしながら強烈なギター・プレイをひっさげて迫ってきている感アリで、単純に「丸くなった」「落ち着いた」では済まされない凄みもあったりするんです。



(ギター・レジェンド・シリーズ)

【収録曲】
1.シーズ・ア・スーパースター
2.アイ・ゴー・クレイジー
3.フィールズ・ライク・レイン
4.シーズ・ナインティーン・イヤーズ・オールド
5.サム・カインド・オブ・ワンダフル
6.サファリン・マインド
7.チェンジ・イン・ザ・ウェザー
8.アイ・クッド・クライ
9.マリー・アン
10.トラブル・マン
11.カントリー・マン


アルバム全体の空気として「伸び伸びやって、キリッと締めてる感じ」がとても心ニクいんです♪

正統派モダン・ブルースの「シーズ・ア・スーパースター」「アイ・ゴー・クレイジー」で、まずはテンション高めの弾き倒しで健在ぶりを最高にアピールして、看板曲であります3曲目「フィールズ・ライク・ア・レイン」です。

この曲はそれまでとガラッと変わってバラード、しかもかなりキャッチーなソウル・バラードみたいな感じで、バディの声も抑揚が美しく、つい聴き惚れてしまいます。更にバックでコーラスとスライドギターの何とも優しいソロを弾いているボニー・レイットのプレイが光っております。

原曲は1988年にリリースされたシンガー・ソングライター、ジョン・ハイアットのポップス曲なんですが、コレは曲も素晴らしいですが、歌詞もいいんですよね。人生の辛酸や苦難は直接表現されていないけれども、美しい情景の中でしみじみと迫るものがある男と女の純愛を、バディが切々と、語りかけるように歌う素晴らしいバラード。

中盤から後半は、掛け合いも楽しい「サム・カインド・オブ・ワンダフル」(with.ポール・ロジャース)「チェンジ・イン・ザ・ウェザー」(with.トラヴィス・トリット)、転がるマンボ・ビートの上でギターがキュインキュイン鳴り響くイントロから、B.B.キングばりの変拍子で更にチョーキングを炸裂させる「マリー・アン」バディが敬愛するギター・スリムの、原曲にほぼ忠実な渋いカヴァーがあり、ラストは「トラブル・マン」「カントリー・マン」と、往年のキレもやっぱり衰えていない必殺のスロー・ブルースでシメ。

非常に聴き易いし、楽しい展開とグッと渋い展開の分かり易さで退屈させません。

改めて90年代のバディを聴いてると「何かブルース聴きたいな〜」というブルース初心者の方のピュアな欲求に優しく応えてくれるのはこの辺じゃないかなぁと思えてきました。とにかく最近のバディすごく良いよ。


”バディ・ガイ”関連記事


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2017年05月18日

ブルースが濃い!ブッカー・アーヴィン1


無題.png無題.png

ツイッターを眺めていたら、音楽好きのフォロワーさんの「これいいんだよね♪」が、アタシにとっては「コレを聴きなさい」という神の啓示に等しく響く時というのがあります。

それは昨日のこと。

あるフォロワーさんがブッカー・アーヴィンの「ザ・ソング・ブック」のことをつぶやいているのを見た時に

「おぉ!コレは聴かねば!」

と電流が走りまして、その夜家で「ひとりアーヴィン祭」をしとったとです。

何でブッカー・アーヴィンがそんなに特別なのかというと、それは元々ブルースが好きなアタシにとって、ブッカー・アーヴィンというテナー吹きが

「ブルース好きな人が聴けてたのしめるジャズ」

の条件にドンピシャだったからに他ありません。

アメリカ南部テキサス出身のアーヴィンは、ニューヨークに出てチャールス・ミンガスのバンドで本格的なジャズマンとしてのキャリアをスタートさせた訳なのですが、その根っこにズ太くある南部直送のブルース魂が煮えたぎる感じと、フリージャズの3歩ぐらい手前なフレーズの斬新さがごちゃまぜになったような独特の味わいがたまんないんです。

詳しくはおいおい書いていきましょう。

昨日は朝から2枚目の写真の「ラメント・フォー・ブッカー」を聴いてました。

これがライヴ盤なんですが、のっけから27分超えの大ブルース・ブローイング大会で鼻血モノなんですよ♪





(↓リンク先の商品はレコード盤です)
posted by サウンズパル at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする