2017年05月08日

チャーリー・クリスチャン オリジナル・ギター・ヒーロー

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チャーリー・クリスチャン/オリジナル・ギター・ヒーロー
(ソニー・ミュージック)

突然ですが皆さん、ジャズのギターって凄く難しいんですよ。

いや、そんなことはお前に言われなくてもわかっとる、ジャズに限らずギターは難しいんじゃい、ナメんなニワカが。という意見は重々承知しておりますが、例えばアタシのようにロックやブルースでギターに親しんだ人間にとっては、独特のコードやら、タダでさえ面倒臭い(失礼)ギター・ソロを、アドリブでしかもテクニナルに弾かなきゃならないジャズギターは、もう何度チャレンジしても「うむむ、よくわからんぞ」というものでありました。

ジャズの歴史を紐解くと、ジャズのギターが難しいのはそりゃそうで、例えばその初期の頃にソロ楽器だったトランペットやサックス、クラリネット等の楽器がスイスイと奏でるフレーズを、ギターの指板でもって再現するというのがそもそもの始まりだったようで、そのテクニック的にはもの凄い高度な熟練が必要な管楽器のソロ・フレーズを、ひたすら右手のピッキングと左手のフィンガリングでフォローしようというのは、コレ最初から難易度がものすごく高いんですね。

大体管楽器というのは単音に特化しておりますから、和音が吹けない代わりに、指運なんかはちょいと集中的にスケール練習をすれば、初歩的な早吹きは出来てしまいます。

それに比べてギターは元々が和音楽器、つまり左手は決まった形を抑えて右手はジャカジャカやればそれで一応の伴奏が出来る訳ですから、最初はそんな頑張ってソロを弾く必要はなかったんです。

それに、ジャズの世界でギターがソロ楽器としてスタートしなかった決定的な理由がもうひとつ、それは音量の問題です。

戦前のアメリカのジャズはビッグバンドが主流。しかも、ギターアンプが現場に出てきたのが1930年代も後半になってようやくですので、それまでは本格的なビッグバンドに在籍しているギタリスト達は、生音でひたすらちゃっちゃかちゃっちゃかとリズムを刻んでいるだけの存在であったんです。

で、1930年代後半に「エレキギター」という革命的な、ギタリストにとっは新型兵器とでも言っていい道具が登場します。

アンプにコードを差し込んで、ボリュームを上げればそれだけで管楽器に負けないぐらいのデカい音が出せるという訳ですから、これはもう世のギタリスト達にとっては魔法の道具でした。

そんなエレキギターを使いこなし、ジャズ・ギターの世界にて本格的な「ソロ楽器」としての演奏法を生み出し、今に至るまでのジャズ・ギターの歴史の根幹を築いたのが、本日ご紹介するチャーリー・クリスチャンでございます。

1916年生まれのチャーリー・クリスチャン、ジャズの世界でエレクトリック・ギターを最初に極めたレジェンドでありますが、ほぼ同じ年代で、1911年生まれのT・ボーン・ウォーカー(ブルース)、レス・ポール(カントリー)という、それぞれのジャンルでのエレキギターのパイオニアがおるということは、頭の片隅に入れといてもらいやしょう。この二人は実際に非常に重要な絡みがありますので。。。

で、クリスチャンはアメリカ南部のテキサスで生まれ、盲目のブルースマンだった父親の影響で、兄弟達と共に楽器を始めた彼は、まずトランペットを極め、そして十代の頃にギター、ピアノ、ベース、ヴォーカル、更には何とタップダンスや野球に至るまで、その非凡な才能を発揮しまくって、生活していたオクラホマ近辺だけでなく、南部一帯に「凄いギターを弾く小僧がいる」と噂になり、共演したテディ・ウィルソンやメリー・ルー・ウィリアムスといった先輩格のミュージシャン達も「彼のギターは本当に素晴らしい」と、口にするようになりました(2人共30年代を代表する凄腕のピアニストです)。

この頃のクリスチャンは、恐らく17とか19とか、そんな年齢だったでしょうが、単なるコード弾きだけでそんなに人を感動させるということはありえないことなので、少人数のセッションの時は「オレにもソロ弾かせてくれよ」と申し出て、当時絶大な人気のあったロニー・ジョンソンのスタイルで、華麗なアコースティック単音ソロを弾いていたのだと思われます。

で、この頃に同じステージでタップダンスのコンビを組んでいたのが、後に「モダン・ブルース・ギターの父」と呼ばれるT・ボーン・ウォーカー。

本業がギタリスト、しかも後にそれぞれのジャンルでエレキギターの草分けとなる者同士の2人が、副業のタップダンスで同じステージに立つなんて、何だか面白い話ですが、実際にあった話なんだそうです。

この時楽屋で2人はギターについて語ったかも知れません。もしかしたら楽屋にあったギターを弾き合って互いのプレイを讃えあったのかも知れません。もしくは共通のヒーローだったブラインド・レモン・ジェファソンの話にも花を咲かせたのかも知れませんね。

おっと、話が脇道に逸れました。

ギターで評判になり、”仕事”としてはマルチにどんな楽器でもこなせたクリスチャンに、決定的な転機が訪れたのは1939年、彼が23歳の時です。

相変わらずオクラホマを拠点に、ローカルバンドで活動していたクリスチャンの評判を聞いて、敏腕音楽プロデューサーのジョン・ハモンドという人が、彼をある目的でスカウトしようとやってきました。

この人はビリー・ホリディ、ロバート・ジョンソンを見出し・・・と言っても凄さはあんま伝わらんと思いますが、後にアレサ・フランクリン、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンを世に送り出したといえば、少しは凄い人だと思ってもらえるでしょうか、とにかくその凄いスカウトマンが”ハタチそこらの凄いギタリスト”として評判だったチャーリー・クリスチャンの演奏をはるばるオクラホマまで聴きに来て、彼が当時まだ珍しかったエレキギターを使って繰り出す斬新で刺激的なギター・フレーズに一発で衝撃を受け「はい、OK」と、演奏が終わったチャーリーに

「君、今からロサンゼルスに行ってこの男のオーディションを受けなさい」

と、メモを渡しました。

そこには何と、当時”キング・オブ・スウィング”と言われて人気絶頂だったクラリネット奏者でバンドリーダー、ベニー・グッドマンの名前と会場の場所が書かれておりました。

実はジョン・ハモンドは、ベニー・グッドマンのアドバイザーでもあった訳です。

クリスチャンはロスに飛ぶ訳ですが、実はベニー・グッドマンは、その前にハモンドが連れてきたギタリストの採用に全く乗らず、あっさり蹴っております。クリスチャンなんか当時都会では全く無名のタダの黒人の若者に過ぎない訳ですから、当然大スターのベニー・グッドマンは興味なんか持ちません。

そのままクリスチャンだけを行かせても

「僕、オーディション受けに来たんです!」

「あ、そ。出口はあっちだ」

となるのは目に見えていたので、ハモンドはあれやこれや工作して、何とコンサートの真っ最中に台所から飛び入りするようにクリスチャンに指示を出します。

いきなりそんなことを言われて「え、でも楽器ないし・・・」と焦るクリスチャンに協力して

「面白そうな話じゃねぇか、なんならオレのギター貸すぜぇ。あ、コイツエレキギターってんだ、弾き方分かるかい?」

と、助け舟を出したのが、当時カントリーの世界で初めてエレキギターでブイブイのソロを弾いていたレス・ポールだったと云われています。

そんなこんなでベニー・グッドマンのステージに潜入したクリスチャン、食事に行っていた大スターが戻って来ましたら、何だか知らないヤツがステージの上でギターを持っている。何だ、年端も行かないガキじゃないか、どうせ目立ちたがりの田舎者だろうて、ひとつソロでも無茶ぶりして恥をかかして追い出してやれ、と、いきなり十八番の「ローズ・ルーム」をおっぱじめます。

関係者がヒヤヒヤと見守り、聴衆は優雅に食事を楽しみながら、恥知らずな若者がステージで失態を演じるのを期待しながら冷ややかな目で観ておりました。

やがて「ローズ・ルーム」、グッドマンのいかにも洗練を極めた優雅なソロが、微かな余韻を芳香と残して終わり、クリスチャンのギター・ソロへと順番が回って来ます。

それを受けたクリスチャンは、何ということか御大の吹くクラリネットと比べても全く遜色のない、美しく気品と機知に溢れた見事なソロを、それまでほとんどの人が聴いたことのないエレキギターという新しい楽器の新鮮な音色で、予定の枠を超えてとめどなく弾き続けている。

聴衆は食事の手を休めてその音に聴き入り、惜しみない拍手喝采を送ります。

本気になったグッドマンは、クリスチャンのソロの合間にまた見事なクラリネットで応報、更に自分のソロの後半になると、クリスチャンに「おい、続けろ」と目で合図を送るのです。

かくして3分の予定が何と45分になった「ローズ・ルーム」は伝説の名演と呼ばれ、クリスチャンの名もアメリカ全土に知れ渡り、当然この23歳の若きギタリストは、たった一度のプレイでベニー・グッドマンの心を射止め、晴れてバンドのレギュラー・メンバーの座を獲得するのでありました。

その一ヵ月後にはグッドマン・セクステットの一員として憧れの大都会、ニューヨークの住人となったクリスチャンは、一流の証、カーネギー・ホールのステージでも演奏し、更にミントンズ・ハウスでもって同年代のディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクらと共に夜な夜なセッションを繰り広げ、後にビ・バップと呼ばれるモダン・ジャズの誕生にも関わることになりますが、1942年、25歳の春の日に肺結核によってあっけなくその生涯を終えております。


(ギター・レジェンド・シリーズ)

【パーソネル】
ベニー・グッドマン(cl)
フレッチャー・ヘンダーソン(p)
ライオネル・ハンプトン(vib)
チャーリー・クリスチャン(g)
アーティ・バーンスタイン (b)
ニック・ファトゥール(ds)

【収録曲】
1.セヴン・カム・イレヴン
2.ホーリー・キャッツ
3.グッド・イナフ・トゥ・キープ
4.フライング・ホーム
5.ボーイ・ミーツ・ゴーイ(グランド・スラム)
6.ベニーズ・ビューグル
7.ゴーン・ウィズ・ホワット・ウィンド
8.ブレックファースト・フュード
9.アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ
10.ロイヤル・ガーデン・ブルース
11.ローズ・ルーム
12.シックス・アピール(マイ・ダディ・ロックス・ミー)
13.ティル・トム・スペシャル
14.アイ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー
15.ウェイティン・フォー・ベニー(ア・スムース・ワン)
16.ブルース・イン・B
17.ソロ・フライト


「もしも長生きしていたら」

ということが、天才らしく盛んに言われる人ではありますが、その演奏において彼は「ジャズ・ギターで出来るカッコイイことの基本」は、恐らく全てやり尽くしてしまったと言えます。

現にケニー・バレル、タル・ファーロウ、グラント・グリーン、ジョー・パス、ウェス・モンゴメリーからジョージ・ベンソン、ジョン・スコフィールド、パット・メセニー、アラン・ホールズワースに至るまで、およそ「ジャズ・ギタリスト」と名乗る全ての人の演奏には、クリスチャンからの絶対的な影響が、その話し言葉に近いフィーリング豊かなピッキング/フィンガリングから流れてくるのです。

で、若くして亡くなったチャーリー・クリスチャンには「ソロ・アルバム」というのがありません。

ええぇ!?何で?今クリスチャンのアルバムを紹介しておいてそれ!?

と、お思いの方、多いと思います。

はい、実はこのアルバム「オリジナル・ギター・ヒーロー」も含め、彼が生前に残したアルバムは全て(ミントンハウスのチャーリー・クリスチャンは、公式なレコーディングでもないし特定のリーダーを置かないセッション・アルバムでございますから・・・)ベニー・グッドマン・セクステットにおけるサイドマンとしての参加作なのです。

1938年から亡くなる前年の1941年まで、このバンドでクリスチャンが残した楽曲は全部で98テイク。これを多いと見るか少ないと見るかは置いといて、とにかくコレが”ジャズ・ギターのパイオニア””エレキギターの革新者”チャーリー・クリスチャンの全てなんです。

メンバーを見てください。ベニー・グッドマンにライオネル・ハンプトン、フレッチャー・ヘンダーソンと、それぞれがビッグバンドを率いて、しかも絶大な人気を誇った大物中の大物がフロントに顔を揃えている中で、20代半ばの若きギタリストの音の何と力強く、気品と貫禄に溢れていることか。

ぶっちゃけ「どうせサイドマンなんだろ」と、最初はアタシも思っておりましたが何が何が、小編成ながらその一音一音に、30年代スウィング・ジャズの”粋”の全てを凝縮したようなバンド・サウンドの中で、やっぱりソロになると空気が一気に輝きだすそのメロディアスなギターの神髄を、未聴の人はぜひ聴いてちょうだいなと。

「天才」「革命家」と、アタシゃ散々言ってきましたが、実はクリスチャンのプレイはノリや勢いや大胆さだけで衝撃を与えるものじゃあない。むしろそういう「消費される刺激」の地平からは一番遠いところにある、いつまでも上質な光沢が色あせないものなんだなぁと、今丁度「ローズ・ルーム」を聴きながらほんわり考えています。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする