2017年07月19日

ジョン・コルトレーン アセンション

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ジョン・コルトレーン/アセンション
(Impulse!/Verve)


アセンショーン!

アセンショーン!!

あ、はい、すいません。あんまり暑いのでつい叫んでしまいましたが、大した意味などないのですよ。

いやぁ、アセンションですねぇ。

何というか、ジョン・コルトレーンの数ある作品中、最も賛否両論を巻き起こした問題作と言われておりますアセンションです。

このアルバムはですのぅ、一言で言いましたら

「ううむ、音楽の可能性をもっと拡げたい。そうだ、フリー・ジャズっていう言葉、最近ちらほら聞くよね。アレって2年前だったっけ?オーネット・コールマンがふたつのバンドを”せーの”で自由にやらせたアレね。エリック(ドルフィー)も参加してて、よくはわからんかったけどスリリングではあったよね。うん、今までにない何かを感じた。だからオレもやってみたいなぁなんて思ってるのよね」

と、思い立ったコルトレーンが、バンドメンバーのマッコイ、ギャリソン、エルヴィンの他に、気鋭の若手ミュージシャンと呼ばれていたコワモテの11人を集めて、景気よく派手に”君らが思うフリーでやっとくれ”と吹きまくらせて、おまけに気前よくソロも自由に吹かまくったアルバムです。

で、それの何が問題かといえば、コルトレーンがですのう、そのゲスト参加したコワモテ連中に大した注文も付けずにやりたい放題やらせた結果、1曲40分とかいうべらぼうな長さになって、おまけに何が曲のテーマでどこがサビでとか、そういうのもぐっちゃんぐっちゃんなパンクな作品になっちゃったからなんでしょうな。

えっとですね、室町幕府ってあるでしょう。アレは足利尊氏という人が作ったやつなんですけれども、武士は領地とか戦の後の恩賞とかをちゃんとやらないと不満を持って反乱を起こすというのを、自分も反乱を起こした一味だった足利さんはよく分かっていて、じゃあお前らが不満を持たないように領地あげますと、全国の土地を有力な武士さん達にほいほい土地を与えてしまった結果、今度は与えられた部下達の力が大きくなりすぎてエライことになって、でも力を持っちゃった連中をどうにもできなくて結局戦国時代に突入しちゃった政権ですね。

「アセンション」も一緒ですな。

コルトレーンが気前のいい大将の足利さんで、マッコイとかエルヴィンとかは、まぁ鎌倉時代から一緒にやっておる上杉さんとか細川さんとかでしょう。

この人達で順調に来れたもんだから、もっと新しい勢力基盤をと、アーチー・シェップとかファラオ・サンダースとかマリオン・ブラウンとか、そういう赤松さんとか大内さんみたいな、出自がどうだかよくわからんけどとにかく戦はイケイケでやたら強い新興の豪族連中を、古くからの家臣には割と何の相談もなしに

「まぁまぁアイツらにはワシがちゃんと言っておくから」

と、館に招いて重臣の席に座らせた結果、異様な緊張感が生まれて利害の対立から紛争が起こるわそれぞれにお家騒動が起こるわでエライことになちゃった。

そういうアレで明徳の乱とか嘉吉の乱とかを経て応仁の乱のカオスへと突き進んでゆくというね、もうね・・・。

うん、ごめんなさい。ジャズとかよくわからん人のために歴史で例えようと思ったのですが、がちょっと悪かった。ごめんなさいね。

でも「アセンション」の音楽をどう表現すればいいのだろうと思ったら、キーワードは「長い混沌」これでしたから、他にいい例えがないのですよ。

事実、コルトレーンはこのアルバムを録音した1965年、すごく音楽的に迷って悩んでおりました。

というのも、コルトレーンはストイックに自分の可能性を追究していた人で「これがウケたからこれでいいんだ」という妥協とは無縁の人であります。

『至上の愛』で、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットで、音楽的なひとつの境地に達したコルトレーンは、更なる音楽的な高みを、いわゆるフリーな表現に感じており、しかしコルトレーンはデビューから60年代までずっとどちらかといえばオーソドックスなジャズの世界を生きてきた人です。

なので自分より若く、規定の表現に囚われない人達の力を借りて、新しい何かを作る・・・というよりも今までやってきたものを一旦混沌と共に打破したかった。そういう衝動があったんでしょう。


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フレディ・ハバード(tp)
デューイ・ジョンソン(tp)
ファラオ・サンダース(ts)
アーチー・シェップ(ts)
ジョン・チカイ(as)
マリオン・ブラウン(as)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アート・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】  
1.アセンション(Edition1)
2.アセンション(Edition2)

(録音:1965年6月28日)



スタジオに集められた11人、その中で6人のホーン奏者たちは、いずれもコルトレーンより後輩で、それぞれ斬新なアイディアや表現手法を持った人達でありました。

とりわけ”フリー””前衛”と呼ばれ、彼ら自身もコルトレーンの音楽や姿勢から多大な影響を受けているファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイといったサックス奏者達の演奏に、コルトレーンは起爆剤的なものを期待したんでしょう。

多分マッコイやエルヴィンには言ったか言わなかったかぐらいの軽い説明だけでスタジオに招き、セッションする曲についての細かい打合せやリハーサルなどはあんまやらず

「ジョン。で、俺らはどうすればいいんです?」

というメンバーや後輩達の問いにも

「・・・そうだな、ソロの順番はこうだから後は好きにやってくれ。なるべく自由にだ」

と、ボソボソ言う程度の説明しかしなかったでしょうが、それこそコルトレーンやスタジオに招いた若手達の中でも特にファラオ、シェップ、マリオン、チカイらにとっては”のぞむところ”であり、このアルバムではコルトレーンと若い彼らのエネルギーが、自由な裁量で与えられたソロの中で炸裂しており、それに対してあくまでオーソドックスの枠組みを大きく逸脱したくないトランペットの2人や、そもそもこのセッションをコルトレーンがどういう思考の元におっぱじめたのかさっぱり分からない、いや、相談もなしにウチの大将は何やってんだ?という戸惑いと苛立ちを隠せないマッコイとエルヴィン(ギャリソンは多分何も考えていない・笑)との、気迫というか怒気に満ちた演奏が、1曲40分の中で、混沌に混沌を被せるような形で壮絶を描いております。

ソロの中で特に素晴らしいのはやはり後にコルトレーン、バンドに加入することになるファラオ・サンダースの強烈なフリーク・トーンと、フリー派のはずなのに優しい音で独特の”間”でもって混沌が渦を巻くこのアルバムの中で、調子はずれなはずなのにどこか和みの風情を醸しているマリオン・ブラウンのアルトです。

で、散々「難しい」とか「何やってっかわかんねー」と過去に言われてきたこのアルバムですが、実は当初言われていた”問題作要素”は、1曲40分という非常識な演奏時間と(CDだとテイク違いの”エディション1”も入ってるからトータル80分近いゾ!)、オープニングの数分以外はほとんどテーマらしいテーマもなく、各人のソロの途中でも他の奏者達がやたらフリーキーなフレーズを被せて煽ってるとこぐらい。

後はエルヴィンの繰り出すリズムも、かなり強引な乱打とかやってますが「こんなヤツらに煽られてたまるか!」と、意地の定型ビートを保ってるし、マッコイのピアノもバラバラ弾き散らかさず、ほとんど1つか2つ、多くて3つぐらいのコードをこっちも維持で叩き付けてバッキングしてるので、カルテットに被さっている若手コワモテ(あ〜らごめんなさい)の皆さんの効果音てきな「ぶおぉー!ばぎょおお!」を省いてコルトレーン・カルテットの演奏と、鳴っているソロとバックのメロディとリズムのせめぎ合いに集中して聴けば、実にまっすぐで分かりやすいノリのパワー・ミュージックとして聴けます。

「アセンション怖くない」という声は90年代ぐらいから色んな人がキチンとコルトレーンを聴いた上で挙げてきて、実際アタシもそう思いますが、もうそろそろそういうのもいいでしょう。

ジャズとか全然わからんけど、刺激やカッコ良さを求めている方々がこの作品をどう聴いて、どう反応してくださるかを、アタシは大いに楽しみにしてます。

むしろ”非ジャズファン”の「コルトレーンかっけぇ!」ランキングでは、コレとかオムとかはかなり上位にくると思いますがどうでござんしょ?


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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする