2017年07月21日

マイルス・デイヴィス クッキン

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マイルス・デイヴィス/クッキン
(Prestige/ユニバーサル)

ジョン・コルトレーンのプロ・ミュージシャンとしてのキャリアは、ジョニー・ホッジスやディジー・ガレスピー、はたまたR&Bのアール・ボスティックといった人達のバック・バンドのメンバーとしてスタートしました。

これらの仕事は、ほとんどホーン・セクションの一人、或いはソロは吹かせてもらっても、自分の思うようなスタイルではやらせてもらえないことがほとんどで、後に巨人と言われる人のキャリアとしては実に地味であります。

そんなコルトレーンを拾い上げ、ソロ・アーティストとして世に出るきっかけを作ったのがマイルス・デイヴィスだったというのは有名な話。

どうもマイルスは最初ソニー・ロリンズを誘ったみたいだったなんですが、諸事情によってまだまだ無名だったコルトレーンにお呼びがかかったようです。

んで、コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズという、既に界隈では名が知られていた若手リズム・セクションに、まだほとんど誰も知らなかったコルトレーンを加えて作った五重奏団が、マイルスが最初に組んだレギュラー・バンドであります。

このバンド、マイルスの思惑通り、マイルスが提示する新しいコンセプト、つまりタテノリで客を沸かす演奏だけじゃなく、じっくり聴かせるスタイリッシュな都会的演奏にも、ツーといえばカーで即座に反応出来る素晴らしいバンドでした。

リーダー以外では、一番の功績はガーランド以下のリズム・セクションにあります。

もし、このバンドがサックス奏者のいない、マイルスのワン・ホーン・カルテットであったら、1950年代後半に、ゾッとするほど美しくメロディアスなバンドとなっていたでしょう。

もしかしたらマイルスは”帝王”じゃなくて”トランペットの詩人”とか、今頃呼ばれるような存在になっていたかも知れません。

マイルスの当時のコンセプトは、徹底して「クールに演奏して、ノセることもじっくり聴かせることも出来るジャズ」でありましたが、マイルスの心の内には、この頃既に

「誰もやっていないことを次々とやってやろう」

という意欲がメラメラと青白い炎となって燃えておりました。

そこでコルトレーンの加入です。

正直言ってその頃のコルトレーンは、ニューヨークでも全然無名なのはもちろん、その演奏を聴いていた人達からは

「コルトレーン?あいつヘタクソじゃないか。何だってマイルスほどの男があんな新人をバンドに入れたのかわかんねぇ」

と、批判もありました。

はい、これも有名な話ですね。

当時のサックスといえば、アルトもテナーも、チャーリー・パーカーのようにアドリブをよどみなくスイスイと吹きまくるのが一番カッコイイというのが常識でした。

たとえば既に人気を博していたソニー・ロリンズやスタン・ゲッツといった人達は、それこそテナー・サックスを自在に操って、いかにもテナーらしい中低域を活かした太い音(ゲッツはそこにしなやかさも加わります)で、難しいフレーズでも難なくこなし、何よりアドリブに一貫したメロディアスな展開があり、分かり易かったんですね。

資料によるとコルトレーンは、チャーリー・パーカーに憧れて、ビ・バップのフレーズは猛練習の末に50年代半ば頃には特に不都合なく吹けていたらしいのです。

でも、当時のジャズ界は”ビ・バップが吹ける程度”の腕利きなら腐るほどおりました。

ロリンズやゲッツといった人達が凄かったのは、それを経た上で、誰が聴いても彼らの演奏だと分かるぐらいの確固たるオリジナリティがあったからで、ただ難解なビ・バップをパーカーそっくりに吹けたところで、物まねで終わってしまうというのは、コルトレーンもよく分かっておりました。

で、ここからは”多分”の話なんですが、コルトレーンは早くから「ジャズお約束の”あの感じ”以外の演奏を展―で出来ないものか・・・」と、悩んで、でもなかなか定まらなくて、試行錯誤しているうちに徐々にトレードマークである、硬質でソリッドな音色やフレーズを生み出していったんじゃなかろうかと。で、そのトレーンの試行錯誤のサウンドやフレーズを耳にしたマイルスは、純粋に可能性の一点だけで「よし、お前はそれでいい」と、ライヴやレコーディングではその試行錯誤を本番でやらせていたんじゃないかなと思います。

一説によると

「いやぁ、何かどん臭いアイツが隣で吹いてると、オレのカッコいいトランペットが引き立つからね。いっひっひ」

と、マイルスは思ってたなんて言われてもおりますが、そうでしょうか?マイルスは演奏技量とメンバーのセンスには恐ろしく厳しい人で、もしコルトレーンの演奏に”どん臭さ”を感じていたなら、それは音楽をクールにスタイリッシュにキメたいマイルスにとっては耐え難いことで、何回か演奏して「はいクビ」となっていたはずでしょう。

ともかく1955年から56年の、マイルス・デイヴィスのグループに参加していたコルトレーンを聴いてみましょう。






【パーソネル】
マイルス・デイヴィス
ジョン・コルトレーン
レッド・ガーランド
ポール・チェンバース
フィリー・ジョー・ジョーンズ

【収録曲】
1.マイ・ファニー・ヴァレンタイン
2.ブルース・バイ・ファイヴ(フォールス・スタート)
3.ブルース・バイ・ファイヴ
4.エアジン
5.チューン・アップ〜ホエン・ライツ・アー・ロウ

(録音:1956年10月26日)


1956年、マイルスはメジャー・レーベルのCBSに「ラウンド・ミッドナイト」という作品を録音します。

もう皆さんご存知、初期を代表する名盤中の名盤ですが、マイルスと彼の最初のレギュラー・バンドが凄いのは、実はこの後です。

自分とことの契約が残っているのに他のレーベルにマイルスがレコーディングしていたことに腹を立てた、所属レーベル"Prestige”は、マイルスに

「いや、メジャーからアルバムなんか出したらダメだよ。だってお前とはまだアルバム契約が残ってるから、それクリアして全部のレコーディング済まさないと訴えるよ」

と、ほとんどいちゃもんに近いクレームを入れるのですが、ここでマイルスは

「(しわがれ声で)あと何枚分だ?」

と返します。

「アルバム4枚分だよ」

と、言われ

(ざまぁみろ、アルバム4枚なんてすぐすぐ出来るもんじゃねぇよ。しばらくはウチとの契約に専念してもらうぜぇ)

と余裕ぶっこいていたレーベルに

「そうかわかった。じゃあ4枚分すぐにレコーディングしてやっからスタジオ貸せや」

と、完全に脅迫に近いノリの啖呵で答え、実際にたった2回のレコーディングで、アルバム4枚分の音源を仕上げてしまいました。

これが世に言うマイルスのマラソン・セッション4部作、すなわち「クッキン」「リラクシン」「ワーキン」「スティーミン」という、いずれも初期を代表する名盤に数え上げられる作品達です。

マイルスが"ちゃちゃっ"と、スタジオでほとんど録り直しナシであっさりと作品を仕上げちゃったというのは、つまりこのクインテットが日常のライヴでそのクオリティの演奏をしていたということで、それはつまりマイルスも凄いけど、他のメンバー達の実力も、当時のジャズマン達の中で恐ろしくずば抜けていたということです。

つまり、コルトレーン下手くそじゃなかった。

実際に初期マイルス・クインテット時代のコルトレーンのプレイ、もちろんマラソン・セッション4部作でたっぷり聴けます。

まずは4部作の中でジャケットがオシャレというのと、ミュート・トランペットによるバラード名演「マイ・ファニー・バレンタイン」が聴けるということで、シリーズ中一番人気の『クッキン』。

はい、このアルバムの決定的名演は、確かに「マイ・ファニー・バレンタイン」です。

しかしこの曲はコルトレーンが抜けたワン・ホーンなので、コルトレーン聴くなら2曲目以降。特に後半の「エアジン」「チューン・アップ〜ホエン・ライツ・アー・ロウ」でのミディアム・アップのテンポに乗っての、饒舌な吹きっぷりが素晴らしいです。

アツく盛り上がりながらも、小粋でメロディアスなプレイを繰り広げるマイルスのソロを受けたコルトレーンは、まるで水を得た魚のように、絞った音数のマイルスと好対照なソロでもうグイグイ遠慮なく行きます。行きまくります。

コルトレーンが「音譜敷き詰め奏法」のシーツ・オブ・サウンドを完成させるのは、この約1年後。マイルスのバンドを辞めてセロニアス・モンクの所で理論を学びながら猛練習を重ねた結果なはずですが、この時点でもうコード・チェンジに対して細かい手数で直線的に音を重ねてゆく方向性はすでに見出だしているように思えます。

アドリブの速度、起承転結、そしてマイルスやバックのリズムとの掛け合いも実に完璧で、聴いていて何の違和感もありません。

全体の空気感はマイルスが持つ、とことん粋でスタイリッシュなそれですが、コルトレーン中心に聴いていると不思議と熱くたぎるものを感じます。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする