2017年08月30日
ジョン・コルトレーン ライヴ・イン・ジャパン
ジョン・コルトレーン/ライヴ・イン・ジャパン
(Impulse!)
奄美では一昨日が旧暦の七夕。
七夕というのは今では短冊に願い事を書く祭り、みたいになっておりまして、小さな子供達がそれぞれ純粋なお願いを書く姿というのは、それは微笑ましいものでありますが、ここ奄美での”旧の七夕”は、お盆の時に天から帰ってくるご先祖様が、我が家の場所を見失わないようにと、長い長い笹竹にきらびやかな飾り付けをして目印にするものでございます。
この際、願い事の短冊はほとんど飾られることはありません。
無言で風にそよいでいる、色とりどりの七夕飾りというのは、何とも言えない風情があってよろしいものでございますね。
で、7月17日に亡くなったコルトレーンを偲んで、彼の素晴らしい音楽を世の人らに広く知らしめようと(といってもこんな辺境ブログに来る人なんて極めて少数だとは思いますが・汗)特集をしております。
そいでもって毎年この旧暦の七夕からお盆の時期に、コルトレーンを集中的に聴くことになるんですが、特に晩年の演奏は、何とはなしにあの世の香りがするというか、どこか別次元の安らぎに満ちているというか、そんな感じがしますので、奄美大島の、無言で風に揺れる七夕飾りに、コルトレーンの音楽をBGMとして脳内で被せてみたりすると、これがとてもしっくりくる。
もちろんコルトレーンは日本人じゃないし、多分旧暦の七夕なんて知らなかったんでしょうが、まぁそういう情緒というか心の風景的なものは、感じる人の心の中では境界もなく溶け合うんだなぁと「大コルトレーン祭」最終日の今日、しみじみと思っております。
さて、じゃあ心の中で日本的な精神世界とコルトレーンの”ジャズな精神世界”がシンクロしたところで、そんな日にふさわしいアルバムを今日は皆さんに紹介致しましょう。
コルトレーンは生涯で1度だけ日本に来て演奏しております。
60年代以降「ジャズの大物は日本に来て稼ぐ」というのが、割と常識っぽくなってきて、実際何度も来日しているジャズマンは多いのに、コルトレーンほどの有名人、コルトレーンほど日本ウケするアーティストがたった1回しか来日してないなんて(!)と、ちょっとでもジャズに詳しい方はびっくりするかも知れません。実際アタシもびっくりしました。
理由はやっぱりコルトレーンが40歳という若さで亡くなってしまったこと。デビューしてブレイクして、日本でも有名になるまでに、やや時間が足りなかったということ。めまぐるしく音楽性を深化させてゆくコルトレーンに、実はリアルタイムのジャズファンの中では、やはり賛否両論の”否”の声も結構あったということが大きいと思います。
あの〜、アタシはハタチそこらの、コルトレーンにハマりだした頃に、当時リアルタイムでジャズ熱心にジャズ聴いてた人達に話を訊いたことあるんですが
『やっぱり60年代はまだまだ”ファンキー”がジャズ好きのほとんどだったよね。アート・ブレイキーとかキャノンボール・アダレイとか、ミルト・ジャクソンの何だっけアレ?あぁ、モダン・ジャズ・カルテットね。マイルスは別格として、そういう”黒っぽくて分かりやすいジャズ”が人気があった。コルトレーン?いやいや、コルトレーンとかミンガスとかモンクはね、ニュージャズって呼ばれてたの。あの辺聴くヤツらは熱心なんだけどどこかおっかないなって、ちょっと距離置いてたね。だからその辺がジャズ喫茶なんかで好まれるようになったのは70年代だろうね、元々のジャズ好きの中に寺山修司とか白石かずことかね、演劇とか文学とかでもちょっと前衛なやつを好む連中が増えて・・・そいつらがジャズのとこにもやってきてあーでもないこーでもないとやりだしたのはコルトレーン死んじゃった後だよ。少なくとも60年代にはあんまりなかったなぁ、新宿以外ではね(笑)』
ということらしいです。
だから1966年7月の、ほぼ15日間に及ぶコルトレーンの日本ツアーも、正直このちょっと前に来ていたビートルズみたいに「凄く盛り上がって行く先々で旋風が巻き起こった」という訳にはいかなかったみたいです。
加えてこの時にマッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズが抜けた”新生ジョン・コルトレーン・バンド”のアルバムはまだ日本で発売されておらず、ファラオ・サンダース、アリス・コルトレーン、ラシッド・アリというメンバーの名前を見ても
「何?コルトレーンのツアーはマッコイとエルヴィンが来られなくなっちゃったから代役ばかりじゃねぇか。メンバーほとんど知らないやつらばっかりだぞこれ!」
と、色々と誤解もあって集客はままならず。
しかし、たとえ集客もまばらな会場であっても、強行軍のスケジュールで心身共にヘトヘトであっても手を抜いた適当なプレイでお茶を濁すコルトレーンではありません。
この『ライヴ・イン・ジャパン』という素晴らしいアルバムに刻まれた、一瞬たりとも気が抜けることがない渾身の生演奏は、それこそコルトレーンの全ライヴ音源の中でも屈指、いやいや、その高い芸術性において、これは人類の遺産として歴史にその名を深く刻まれて然るべきものであると言えましょう。
ライヴ・イン・ジャパン
【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts,ss,as,per)
ファラオ・サンダース(ts,as,bcl,per)
アリス・コルトレーン(p)
ジミー・ギャリソン(b)
ラシッド・アリ(ds)
【収録曲】
(Disc-1)
1.アフロ・ブルー
2.ピース・オン・アース
(Disc-2)
1.クレッセント
(Disc-3)
1.ピース・オン・アース
2.レオ
(Disc-4)
1.マイ・フェイヴァリット・シングス
(Disc-5)
1.記者会見
2.3大学の学生による共同インタヴュー
3.プライヴェート・インタヴュー
(録音:1966年7月11日、7月22日)
この時期のコルトレーンは、もう定型の”ジャズ”という表現から大きくかけ離れ、リズムもメロディーも、その約束事の呪縛から徹底的に解放を目論んで、結果それが成功している演奏スタイルであります。
ラシッド・アリの「空間断裁細切れ不定形パルスビート」が、まるで滝のように流れれば、コルトレーンは滝壺に飛び込んでえいやぁとお経を唱える行者の如く、テナーやソプラノで長時間の壮絶なソロを繰り広げます。
そのコルトレーンのソロからバトンタッチしたファラオ・サンダースのソロはといえば、更にテンションキレッキレの「ガァァアァアアア!!」「ギョォオオオオオ!!!」と、ほとんどフレーズというよりも絶叫そのものなフリークトーンの盛大なかけ流し。
そんな中でアリス・コルトレーンのピアノは、フリーフォームっぽいけど、とても思慮深さに溢れた美しい音をパラパラパラパラ・・・と空間に敷き詰める。
ジミー・ギャリソンのベースは、そんなバンド・サウンドの中心で動じずにゴリッゴリッと骨太なビートを定型/不定形豪快に織り交ぜて渾身の力で放出する・・・。
とにかく全部の音が尋常ならざる”気”の塊なんです。よく”フリージャズ”って言われるように、それぞれの音は定型のメロディーからもリズムからも、まるでバラバラのように思えますが、これらが同じ空間で鳴り響いていると、やっぱりひとつの音楽として、聴けるんです。
コルトレーンのライヴは”長い”ということで有名ですが、このライヴ・イン・ジャパンの演奏も1曲が凄まじく長い(!)一番短い曲で25分ぐらいで、テーマからアドリブに突入していたら、もうこれは演奏というよりもひとつの”行”、精神や肉体、或いは意識のどの辺のギリギリまで行けるか、コルトレーンは何かとてつもなくデカいものに果敢に挑んでいるような気がしますが、聴く方のテンションもそれにグイグイ引きずられ、アタシはこのコルトレーンの演奏を「長い、ダルい」と思ったことはありません。
コルトレーン・グループの演奏、とてつもなく自由で、尋常ならざる”気”の塊ではあるんですが、そして特に2本のサックスが雄叫びを上げるところとかは、間違いなく過激で瞬間的な破壊力が炸裂してはおりますが、やっぱりどの曲も、演奏そのものは、えもしれぬ安らぎに向かって一丸となってゆくような、そんな多幸感が満ち溢れているような気がするのです。
特に「ピース・オン・アース」この祈りの空気が充満したイントロからもう「あぁ、音楽ってこんなに美しいものなんだ・・・」という、どこから来てどこへゆくのか分からない、正体不明の感動に、これほどまでに襲われる演奏はありません。
音楽で本気で世界を救おうと、それこそ命を削って演奏していたコルトレーン、その素晴らしい演奏を、今年も皆さんに紹介できたこと、そしてもしかしたらここを読んだ皆さんの中で「コルトレーン聴いてみようかな」と思ってその音盤と出会う人がいるかも知れないこと、嬉しく思いながら今年の「大コルトレーン祭」これにてフィナーレでございます。来年もどうぞおたのしみに。
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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2017年08月29日
ジョー・ヘンダーソン イン・ン・アウト
ジョー・ヘンダーソン/イン・ン・アウト
(Bluenote)
ジャズの歴史には、1960年代のコルトレーンブレイク後に出てきた、いわゆる”ポスト・コルトレーン”という若手サックス奏者達がおりました。
まずはコルトレーンが所属していたImpulse!レコードで活躍していた、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダースといった人達で、彼らはコルトレーンの演奏スタイルというよりは、その演奏から感じられる神秘的な部分や、60年代の”時代の闘士”のように言われていたカリスマ性などにシンパシーを覚え、自己の存在やパフォーマンスを磨いていった人達であります。
一方で、ジャズのメインストリームに位置し、モダン・ジャズの数々の名盤を作り上げてきたBLUENOTE、ここで気鋭の活躍をしていた”ポスト・コルトレーン”の人達もおりました。
代表的なのが、ウェイン・ショーターとジョー・ヘンダーソンであります。
この人達は、コルトレーンの神秘的なムードや、その昔盛んに言われていた”精神性”みたいなものはとりあえず置いといて、その”テナー・サックスなのにズ太く泥臭い方向へ行かない、シャープでソリッドな質感の演奏”をひたすら自己のスタイルに取り込んで、そこからオリジナルな個性を築いていった人です。
特にこの2人に関しては、50年代末にマイルス・デイヴィスが大成させた”モード”の使い手でありました。
モードってのは一体どんなものなのか?それを説明するとややこしい音楽理論の話になってしまいますので今回もザックリ行きますと「要はスケール(音階)を自由に使え。ただし演奏が壊れない範囲でセンスよく」という考え方でありまして、マイルスは自由なメロディ展開を促すために、曲からコードそのものを大幅に削減してしまった。で、そんなマイルスのバンドで一緒にモードの開発にいそしんでいたコルトレーンは、逆にコード・チェンジを細かく激しくした上で、更に速く激しい自分のソロを限界まで敷き詰めちゃった。
で、大事なのは、彼らがそんな新しい理論を発明しちゃったよ。ということではなくて
「ほうほう。で、そのモードってやつをすることによって演奏はどうなっちゃうの?」
という方ですよね。
一言で言うと
「マイルス達の演奏には、クールで都会的な独特の浮遊感が出てきて、何だかそれまでのジャズと違って知的な質感になった」
「コルトレーンの演奏は、アドリブの体感速度が急上昇して、更にどこへ飛んでいくか分からないスりルが加味された」
ということになるんです。
それまでの、たとえばビ・バップやハード・バップ等のモダン・ジャズだと、テーマ→アドリブ→盛り上がり→テーマみたいに、曲の起承転結がハッキリしておりました。
コードに合ったスケールを使って演奏すれば、それはおのずからそうなるんですが、モードなら”和音にちょっとでも関係ある音なら何でもOK、着地しなくてもセンス良くキメたらOK”ですから、縦にピシャッとハマるはずの音がすら〜っと横へ伸びてったりする。それがとてもクールで新しい”感じ”に聞こえる。
まぁ多分この抽象的でヘタクソな説明で「おぅ、わかるぜぇ」となる人はあんまいないと思いますんで、もっと簡単にいえば
「今っぽくて頭のよさそうな音楽に聞こえる種類のジャズは、モード奏法使ってるかもだぜ♪」
と、言ってシメます。はい、何事も理屈よりフィーリングが大事です(苦)
で、今日皆さんにご紹介するのは、そんな”コルトレーンのフォロワーにして、モードの使い手”ジョー・ヘンダーソンですね。
この人は、一言でいうと「とっても面白い人」です。
ゆらゆらフラフラして、終始どこへ行くか分からないフレーズが、いきなり”キメ”のところで最高にキャッチ―なフレーズに化けたり、音に情念をほとんど込めずに淡々と弱い音で吹いてるなーと思ったら、聴いたあと何か不思議な感触を耳に残してくれる。でもそれが具体的になんなのかは結局分からない。
うん、とにかくクセはあるしアクもあるんだけど、まるでイカのようにその音色やフレーズが掴めない。でもその”掴めなさ”こそが個性で、故にとっても面白いと、聴く人に思わせてくれる、そんな稀有な個性を持っておる人であります。
そのフレーズ展開からは、コルトレーンから強い影響を受けているのは分かるのですが、よくよく聴くと「あらゆる点でコルトレーンとは逆のことをやってる人」とも言えます。
例えば音色。
マウスピースを深くガッと加えて、サックスから出てくる音にどれだけの感情をぶっ込めるかで勝負しているような、とにかく熱い、暑い、厚い音を出すのがコルトレーンだとしたら、ヘンダーソンのトーンは「あれ?」っていうほど軽やかなんです。
どんなに感情が高ぶっても、盛り上がる展開でも、音量は一定でフレーズが感情に乗っからない。
えぇ?じゃあ機械的でつまんないじゃん?
という人もいるかも知れませんが、それがその逆で、常に一定の音量、あえて抑揚を抑えたフレーズは、楽曲の核を見事に引き立たせて、アドリブは掴みどころがないのに、素材本来の味で唸らせるオーガニック料理職人みたいな、不思議なナチュラル感をこの人出すんですよ。
(↑ホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」という有名な曲がありますが、コレのソロを聴いてください。凄くかっこいいです)
【パーソネル】
ジョー・ヘンダーソン(ts)
ケニー・ドーハム(tp)
マッコイ・タイナー(p)
リチャード・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
【収録曲】
1.イン・ン・アウト
2.パンジャブ
3.セレニティ
4.ショート・ストーリー
5.ブラウンズ・タウン
アルバムとしてまず面白いのは、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズという、憧れのコルトレーンのバックをメンバーに迎えて、1964年にレコーディングした「イン・ン・アウト」。
64年といえば、マッコイとエルヴィンが、コルトレーンのバックでバリバリに活躍してた頃。
「オレらの大将と似たよーなプレイするっていうジョー・ヘンダーソンってヤツなんだけど、一緒に演奏してみたらドカンとまっすぐな大将と真逆のウネウネクネクネしたテナー吹いて、アレ面白いなー」
と、二人は思ったはずです。
両名ともユニークな構造を持つ変化球尽くしのヘンダーソンのオリジナル曲、良心的なハードップでファンキーなケニー・ドーハムの曲で、いつもの”コルトレーン風味”全開でガンガンやってますが、”ふにくね”なヘンダーソン、堅実なドーハムのデコボココンビのボケと柔らかい突っ込みみたいなアドリブの応報に楽しく乗ってるような感じがしますし、コルトレーンのバックでやってることとほぼ同じことやっていながらも
コチラは妙にスタイリッシュでおしゃれーな感じがするんですよね。
最初から最後まで、とにかくポップな”掴み”には溢れてるんですが、結局何がどうカッコイイのか、ギリギリの所で言葉にさせないヘンダーソンの、優しい呪いがかかったような、そんな世界は何故だかやみつきになってしまいます。
ところで「サックスでずっと一定の音量をブレずに出す」って、実は一番難しいことなんですよ。それをしれっとやってのけている、更に音量ほぼ一定でありながら演奏が全然無機質にならないって、アンタ実は相当凄いんじゃないか・・・。と、最近アタシは畏敬の念でジョー・ヘンダーソン聴いてます。
コルトレーンの単なるエピゴーネン、ではないよなぁ・・・。
”ジョー・ヘンダーソン”関連記事
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2017年08月27日
ジョン・コルトレーン トランジション
ジョン・コルトレーン/トランジション
(Impulse!)
ジョン・コルトレーンという人は、もちろんジャズを代表する偉大なミュージシャンでありますが、同時に「激動の60年代を象徴するアーティスト」と言われます。
紆余曲折を経て、1961年に、コルトレーン、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズの4人による”コルトレーン・カルテット”を結成。このバンドは、コルトレーンにとっては初めて自分が追究したい音楽を、個性とセンスに秀出た若いメンバー達と存分に追究することが出来た初めてのバンドでありますが、このバンドでもってコルトレーンが追究した音楽というのが、ジャズをより人間の根源に迫る迫力のある音楽に深化させたものであり、同時に彼らの内からマグマのように湧き出る喜怒哀楽の激しい感情を剥き出しの形で演奏に叩き付けたように感じさせるものでありました。
そんな彼らの激しく、聴く側にとっては何か激しく怒っているような、もしかしたら政治的宗教的なメッセージを発しているように思えるような演奏は、黒人公民権運動やベトナム戦争といった激しく激動する社会情勢とリンクして、特に変化を求める若者達からある種カリスマ的な人気を集めるに至ったのです。
言っときますがコルトレーン自身は政治や宗教、哲学に対する造詣は深く、読書量も並ならぬものがありましたが、政治や宗教に対する発言は非常に控えめです。ひとつひとつの事件についてはメッセージを発したり、楽曲を作ったりはしても、「世の中に物申す!」という極端なスタンスとは、終生静かに距離を置く姿勢を貫いておりました。
だからコルトレーンが、というよりは、彼の60年代以降の演奏が、同時代の人々の意識に語らずして深い共感を呼び起こしていたのでしょう。それは彼の死後、50年経った2017年の現代でも変わりません。
本日ご紹介するアルバム『トランジション』は、そんなコルトレーン・カルテット末期の、こと”感情の激しい動き”という意味では、これはもう最高峰に位置する名盤です。
録音は1965年。前回ご紹介した『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』と同じく、カルテットの芸術の到達点を記録した『至上の愛』と、編成とジャズの定型フォーマットからの解放を試みた実験的な作品である『アセンション』との狭間の時期にレコーディングされたアルバムでありますが、神秘的な静寂が終始漂う『カルテット・プレイズ』とは対照的な、演奏の限界に挑んでいるかのような、カルテット作品中最も激しい演奏が聴けます。
【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ)(ds,@B)
ロイ・ヘインズ(ds,A)
【収録曲】
1.トランジション
2.ディア・ロード
3.組曲(プレイヤー・アンド・メディテイション:デイ/ピース・アンド・アフター/プレイヤー・アンド・メディテイション:イブニング/アフェアーメイション)
(録音:1965年5月26日、1965年6月10日)
まぁ一曲目の「トランジション」からもう激しい激しい。
コルトレーンのテナーは長い長いソロを吹きまくり、そのアドリブは小節を経る毎にどんどん、定型を打ち破れとばかりにアツく激しく燃え上がっております。
もちろんカルテットの初期から、その前のエリック・ドルフィーが一時在籍していた頃から、コルトレーンのソロは過激で、長時間のアドリブの中でカッコよくスケール・アウトしていくスリリングな展開はたくさんあたのですが、この時期になるともう最初から意識的に「暴走してやる!」という意識がコルトレーンを支配していて、特にエルヴィンが叩く定型4ビートに挑みかかるようにリズムを外したフレーズで、しかもどう展開するか先が全く見えない大胆なフレーズ運びで、完全なカオスを生み出してるんですね。
そう、このアルバムで一番重要なのは、この曲と3曲目の組曲での、コルトレーンとエルヴィンとのエゴ丸出しのエグいほどの仁義なきバトルなんです。
あらゆるビートを同時に鳴らしながら、それを複合させてまるで別々のリズムが共鳴し合っているかのような独自性の強いエルヴィンのドラミング(ポリ・リズムと言います)は、コルトレーンにとっては当初最高に「自由」と「可能性」を感じさせるものであり、事実1960年から65年までは、この2人の”調制ギリギリのせめぎ合い”がカルテットの売りでした。
しかしもうコルトレーンは”調制は要らない!”と、自ら着地点や言葉のコミュニケーションを放棄したかのように、一人でどこか遠い世界を突っ走っております。エルヴィンやマッコイにとっては「おいおい、ボスはどうしちまったんだ。せめて合図ぐらいよこせよ、これじゃあ演奏にならねぇ!」と、憤慨すること甚だしかったことでしょう。ギャリソン?うん、彼は「あー、まぁ演奏中は色々あるんじゃね?知らんけどビールうめぇ」っていう鋼のメンタルの持ち主ですから、2人が脱退した後もバンドに残ることが出来ました。
エルヴィンのドラムは明らかに怒ってます。アンタを尊敬し、彼の音楽を愛し、ここまで一緒にやってきたのに、何でアンタはオレらの音に耳を貸さずに一人で突っ走ってしまうんだ!?と、シンバルの乱打やスネアのロールで、必死にリーダーに訴えているようでもあります。そんな状況でもありながら、カルテットのテンションは高く、演奏がこれまでになく凄まじく高いクオリティに達しているから余計に両者の溝の深さを、聴いてるこっちも手に汗を握りながら感じない訳にはいきません。
とにかくこの「トランジション」、カルテット崩壊寸前の、最後の完全燃焼を記録したアルバムとして、剥き出しのスリルが(今となっては)楽しめます。こと”演奏”という意味ではコレを最高傑作に挙げる人も多いのですが、その意見にはアタシも賛成です。
一曲だけ、ロイ・ヘインズがエルヴィンの代役でドラムを叩いた「ディア・ロード」という曲が入ってますが、この曲がもうコルトレーンのバラード演奏としては、これも別次元のような美しさで胸に迫るんです。あんなに激しい「トランジション」と「組曲」の間にこんな美しい演奏を入れるんだ。もうこの人達の間で”音楽”って一体どんな領域に達してたんだ・・・と、これも感嘆のため息とともに吐き出さざるを得ません。
で、こんなに凄いアルバムなんですが、実はコルトレーンは演奏の仕上がりに納得せず(恐らくもっとフリー・ジャズなことをやりたかった)、生前はオクラ入りにしていたんです。ようやく発売されたのが、死後何年か経ってから、コルトレーンにとって”新しいメンバー”だった奥さんのアリス・コルトレーンが「本人が納得していなかったとしても、コレは私の大好きだったあの素晴らしいバンドの一番凄い演奏だと思うから世に出すべきだわ」と、リリースを決意したといいます。
”ジョン・コルトレーン”関連記事
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
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