2017年08月21日

ジョン・コルトレーン ザ・ラスト・トレーン

1.jpg
ジョン・コルトレーン/ザ・ラスト・トレーン

(Prestige)


よく言われる話ですが、これはコルトレーンのラスト・アルバムではありません。

で、これもよく言われる話ですが、このアルバムでコルトレーンはソプラノ・サックスを吹いておりません。

えぇと、簡単に説明しますと、1950年代後半に、コルトレーンが当時所属していたPrestigeというレーベルでレコーディングしていて、そのまんまうやむやになっていた音源を集め、1965年にあたかも新作のようにリリースしたアルバムです。

その頃コルトレーンは、Impulse!に所属して、ちょうどマッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズとの黄金のカルテットで『至上の愛』などをリリースしていた時で、つまり人気実力共にひとつのピークを迎えていた時期ですね。

Prestigeというレコード会社は、50年代60年代のジャズ名盤を多く残してくれたレーベルなんですが、リアルタイムではニューヨークの雑居ビルの一角に狭いオフィスを持っているだけの、弱小インディーレーベルに過ぎなかったわけです。

「どうも最近シノギが厳しいのぅ。昔は小遣いもらえるちゅうてウチに頭下げてレコーディングさせてくれゆうとった連中が今はギャラはいくらで印税はどうのとかうるさくてやれんわい。それにコルトレーンのガキちゅうたら、インパルスに行ってから人気者になりよった・・・。おぅ?コルトレーン??。・・・そうじゃ!まだ発売しとらんコルトレーンの音源をのぅ、新作みたいにして売ったるんじゃ。結構あるじゃろう、それを全部レコードにして売っちゃれ、あぁ、売り上げちゃれい!」

と、まるで仁義なき経営理念にのっとって、あざとく稼ごうとしとった訳です。

で、Prestigeからはコルトレーンとの契約がとっくに切れていたにも関わらず、人気に便乗しての未発表音源が、あたかも新作のようにリリースされてた時期がありまして、この『ラスト・トレーン』もそんな一枚です。

とりあえず契約当時吹いてなかったソプラノを吹いている写真を使って”いかにも”な感じに仕上げてるところに、このレーベルのドス黒い商魂みたいなのを感じて、アタシは結構好きです。

ついでに言うとラストトレーンっていういう意味深なタイトルも、コルトレーンのラストアルバムでは当然なくて、Prestigeでレコーディングした最後のセッションという訳でもなくて

「はい、これがウチから出る最後のコルトレーンです。ウチにはもうこれでコルトレーンの音源は何も残っておりません。最終大サービスですよー!」

という、実にレーベルな都合で付けただけっていうオチも、アタシは結構嫌いじゃないです。



ザ・ラスト・トレーン

【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ドナルド・バード(tp,@C)
レッド・ガーランド(p,@BC)
アール・メイ(b,A)
ポール・チェンバース(b,@BC)
アート・テイラー(ds,AB)
ルイス・ヘイズ(ds,@C)

【収録曲】
1.ラヴァー
2.スロウトレーン
3.バイ・ザ・ナンバーズ
4.降っても晴れても


(録音:A1957年8月16日、@C1958年1月10日、B1958年3月26日)



そんな胡散臭い経緯でリリースされたこのアルバムではありますが、中身は実にしっかりした、”1950年代末の急成長期のコルトレーン”の姿をリアルに捉えたものであり、作品としても素晴らしくバランスの良いものであります。

コルトレーンにとってはマイルス・バンドを一旦卒業して、セロニアス・モンクのところでの修行期間のうちに、独自の突き抜けたアドリブ技法を身に付けた1957年から58年という時期の3つのセッションを集めたもので、アップ・テンポとミディアム・ナンバーで溌剌とした爽快な演奏が楽しめます。

「ラヴァー」というバラードっぽいタイトルが付いていながら、細かい音符を空間にうわぁ!っと敷き詰めていく”シーツ・オブ・サウンド”の迫力とスピード感に圧倒されるオープニングから、ミディアム・テンポのブルージーな展開の中でベースとドラムだけを従えてグングン加速してゆく「スロウトレーン」、長年コンビを組んできたレッド・ガーランドのやるせなくもエレガントなピアノとの、もう”魂のやりとり”と言ってもいい至福の掛け合いがグッとくる「バイ・ザ・ナンバーズ」、そしてこれも気合いの入ったミディアム・テンポの中でコルトレーンの吹きまくりとガーランドの後ろ髪引かれるように儚いソロが絵画のように美しい対比で輝く「降っても晴れても」。

たった4曲しか収録されていないのに、いずれもたっぷり時間をかけて濃い演奏がなされ、かつドラマチック極まりない(特に後半)ので、ガツンと味わった気分になれます。

コルトレーンのプレイに関しては、この時期特有の”モダン・ジャズの領域にギリギリとどまってる感じ”が凄くあって、いまにもアウトしてどこかへすっ飛んで行きそうなほどに勢いのあるアドリブを、モダン・ジャズの象徴みたいなレッド・ガーランドのピアノやドナルド・バードのトランペットが必死で現世に留めているような、そんな緊迫したやりとりを見ているかのようでもあります。

いや、全体的な空気が、ジャズとして完璧なほど落ち着いていて、アドリブのフレーズひとつにしても、ソロからソロに移るほんの一瞬の絶妙な間ひとつにしても、全てがしっくりきた大人の演奏なだけに、余計に表には出ていないせめぎ合いみたいなものを感じます。これもまた名盤です。


”ジョン・コルトレーン”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:34| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

スウィート・インスピレイションズ

1.jpg
スウィート・インスピレイションズ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

ここ1ヶ月の間、コルトレーンを中心にハードなジャズばかりを集中的に聴いておりましたので、気が付いたらふと音楽にポップさを求めてしまいます。

こういう時は60年代のソウル・ミュージックだよなぁ〜、と、しみじみ思いながら聴きまくっておりましたのがコチラ、ジャケットからしていかにも60年代後半の、ポップでキッチュでサイケな衣装もカワイイ女の子3人組”スウィート・インスピレイションズ”でありますよ。

中身は至福な楽曲と、まるで極楽のような見事なハーモニーが重なり合う、もう本当にこの時代の

「かっこいいソウル・ミュージック?」

「そうこれ!」

で決まりの、とにかく歌が上手い女性ヴォーカルものをお探しの方になら、目をつぶってもオススメできるぐらいのやつなんです。

そう、スウィート・インスピレイションズ、このグループは単純に心地よく聴くだけでも最高ですが、実はこの時代のガールズ・ソウルを語るには欠かせない、とても重要なグループです。

何で重要なのかというと、彼女達は教会でゴスペルを歌ってた、そのグループがそのまんまソウルのグループとしてデビューし、認められたんですね。

それのどこが重要なのかというと、今でこそゴスペルは、プロのシンガーになるための登竜門的な音楽になっておりますが、その流れを作ったのが、このスウィート・インスピレイションズなんです。

もちろん、彼女以前にも「教会でゴスペルを歌ってたのが、プロになってソウルシンガーになった」

という歌手はおりました。

代表的なのはサム・クックとアレサ・フランクリンです。

この人達は、ゴスペルのスタイル、培った歌唱法を全面に押し出して大成功しましたが、言うまでもなくゴスペルという音楽は、神様を讃える宗教音楽であります。

それこそ戦前なんかは「ブルースなんぞ悪魔の音楽、あんなもの歌う人間は地獄に落ちる」と、徹底して世俗の歌や、そういった娯楽に溺れる人間に対しては、教会音楽の世界は結構容赦なかったんです。

そういった考え方は戦後も根強く残っておりまして、50年代以降ゴスペル出身のシンガーがR&Bの歌手になるなんて言うと「教会で歌ってた人間が、R&Bなんていう世俗のイヤラシい音楽を歌うなんてとんでもない」と、非難されていた。そういう意識がまだまだあったんですね。

だからサムもアレサも、ゴスペルの世界を離れて、自分は俗世の音楽をやりますと、キッチリ”転向”した上でR&Bやソウルで、男と女の愛の歌などを歌ってた、またはその必要があったんです(アレサはその罪悪感に苛まれて、純粋なゴスペルアルバムをリリースしたりしております)。

この流れが徐々に緩和されていったのが1960年代半ば、10年以上にも及ぶ運動の末に、人種差別を禁止する公民権法が制定され、アメリカ黒人の社会的権利がようやく認められるようになってからであります。

この運動によって芽生えたのが「ブラザー、シスターみんなで手を取り合って世の中を変えて行こう」という意識であります。

こういった意識を持つんだぞと、音楽の世界からずっとメッセージを発し続けていたのがサム・クックを中心としたソウル・シンガー達であり、彼らのメッセージは「ソウルもゴスペルと同じく、人類愛を歌っているね」と、信仰に篤い人々からも一定の評価を得ました。

そしてアレサ・フランクリンもこの時期アトランティック・レコードと契約を交わし、それまでずっと抑えていたゴスペル・フィーリングを全面に打ち出した”ソウル”を歌い、これで大ブレイク。「アレサが歌うとちょっとした男女の恋愛の歌もまるで人類愛を歌ってるように聞こえる」といった世間の評価は、これもまた世俗と信仰の壁を薄くすることに大きく貢献しました。


ちょいと長ったらしくなりましたが、ブラック・ミュージックを深く楽しむために、教会音楽と世俗音楽の関係と、公民権運動ってのは絶対に避けて通れないお話なんで、まぁよくわからんでも「あぁそうか」と思って心の片隅に留めておいてくださいね。

で、スウィート・インスピレイションズであります。

彼女達は、元々がニューヨークのお隣のニュージャージー州の教会でゴスペルを歌ってた聖歌隊であります。

この中で透き通る力強い高音のヴォーカルを自在に操り、天才少女と呼ばれていたのが、リード・シンガーのシシー・ヒューストン(当時の名前は”シシー・ドリンカード”)。

彼女の活躍は凄まじく、十代の頃にはもう”ドリンカード・シンガーズ”という自分の名前を冠にしたグループを率いております。そして、1950年代の末には一流が集うニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、ライヴ・アルバムも作っております。

ついでに言うとシシーはホイットニー・ヒューストンの母親であり、80代になった今でも現役のゴスペルシンガーとして活躍中です(2017年現在)。



【収録曲】
1.オー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン
2.ブルース・ステイ・アウェイ・フロム・ミー
3.ドント・レット・ミー・ルーズ・ディス・ドリーム
4.ノック・オン・ウッド
5.ドゥ・ライト・ウーマン、ドゥ・ライト・マン
6.ドント・ファイト・イット
7.スウィート・インスピレイション
8.レット・イット・ビー・ミー
9.アイム・ブルー
10.リーチ・アウト・フォー・ミー
11.ヒア・アイ・アム
12.ホワイ(アム・アイ・トリーテッド・ソー・バッド)

この”ドリンカード・シンガーズ”が前身となって、えりすぐりの実力派シンガーばかりを集めて結成されたのがスウィート・インスピレーションズ”です。

男女の甘い恋愛を想起させる”スウィート”という単語と、霊感を意味するそのまんまゴスペル用語である”インスピレーション”を掛け合わせたグループ名は、ソウルの世界において彼女達が「ゴスペルの背景を持っている」という堂々たる宣言であり、実に画期的なことだったんです(元々は”インスピレイションズ”という名前でソウルを歌いたかったけど、その名前は既に使われていたので”スウィート”を付けたということが結果的にインパクトを与えました)。

で、この当時のメンバーであるシシーと、双璧を成すパンチの効いたリードのエステル・ブラウン、バックで絶妙なコーラス・ワークの屋台骨を支えるマーナ・スミス、シルヴィアシェムイルの4人が奏でるハーモニーは、完全にゴスペルのそれであります。

シシーが伸びやかな声で主旋律を歌えば、そこに全く声質が違うのに何の違和感もなく掛け合い、ヴィブラートを見事に絡め合いながらリードを交代するエステル、このコンビネーションがとにかくもう見事で、バラードもファンキーなナンバーも、とにかく「あぁ、美しい」と、素直に浸れる感動的なものに仕上がっていて、それでいて敷居の高さは全く感じさせないんですね。最初に聴いた時それこそソウルとしてのキャッチ―さ、ゴスペル(の歌唱法、コーラスワーク)としての上質さの両方に、それこそ撃ち抜かれました。こんだけポップなのに、何かこう心洗われた気分になるのは一体どういうことだろう、凄い!あぁもう言葉もないと、もうそんな感じです。

楽曲はオリジナルに加え、ウィルソン・ピケット(この人もゴスペル出身)、アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックの素晴らしいカヴァーがいずれも美しいハーモニーで時に繊細に、時に力強く綴られております。

特にアレサの名バラード「ドゥ・ライト・ウーマン・ドゥーライト・マン」は絶品であります。



彼女達は、実はグループとしての活躍よりも、アレサ・フランクリン、エルヴィス・プレスリーのバック・コーラス隊として有名だったりするんですが(上の動画のコーラスが”スウィート・インプレッションズ”です)、既にバックを務めていたアレサの、本家にも迫るクオリティを聴くと、本当に凄い実力を持った人達なんだなぁと、しみじみ感じ入りますね。

この後はさっきも言ったように主にアレサやエルヴィスのバックとして活躍していたスウィート・インプレッションズ、グループとしては大々的なヒットを飛ばすというよりは、細く長い活動で今に至り、ブラック・ミュージック界の屋台骨を支えております。

で、60年代後半の洗練を見事パッケージしたこのアルバムの次にリリースされたのが、実に味わい深いゴスペル・アルバムで、コレがまた最高なんですが、そのお話はまた次の機会に。。。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:56| Comment(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

ニューシング・アット・ニューポート

1.jpg

ジョン・コルトレーン&アーチー・シェップ/ニューシング・アット・ニューポート
(Impuslse!/ユニバーサル)


さてさて、昨日はコルトレーンの関係者の一人としてアーチー・シェップという兄さんがとても重要なんだよということをお話ししました。

1960年代は、コルトレーンの影響を受けたサックス奏者が次々出てくる中で、実にシェップという人は、自らの持つ、前衛と伝統の深い部分を掛け合わせた個性でもって、コルトレーンのスタイルに真っ向から挑んだ。

と、同時に持ち前の頭の良さと売り込み能力で、コルトレーンとも、所属するインパルスレーベルとも密接な関係を築き上げることに成功した人であり、アタシはこの人のプレイヤーとしての激烈で猪突猛進なスタイルと、冷静で分析力のあるプロの音楽家としての顔とのギャップが非常に面白いと思いつつ、そのどこまで人間臭いキャラクターにぞっこん惚れております。

はい、今日も大コルトレーン祭の一環で、コルトレーンのアルバムを紹介するんですけどね、今日ご紹介するのは、そんなシェップ兄さんとコルトレーンとが連名でリリースしたアルバム『ニューシング・アット・ニューポート』であります。



【パーソネル】
(AB)
ジョン・コルトレーン (ts,ss)
マッコイ・タイナー (p)
ジミー・ギャリソン (b)
エルヴィン・ジョーンズ (ds)

(D〜H)
アーチー・シェップ (ts)
ボビー・ハッチャーソン (vib)
パール・フィリップス (b)
ジョー・チェンバース(ds)


【収録曲】
1.ノーマン・オコナー神父による紹介
2.ワン・ダウン、ワン・アップ
3.マイ・フェイヴァリット・シングス
4.ビリー・テイラーによる紹介
5.ジンジャーブレッド・ボーイ
6.コール・ミー・バイ・マイ・ライトフル・ネーム
7.スキャッグ
8.ルーファス
9.ル・マタン・デ・ノワール

(録音:1965年7月2日)



アメリカの名物ジャズフェスとして、古くから”ニューポート・ジャズ・フェスティバル”というのがございます。

1950年代に制作された映画『真夏の夜』のジャズでもおなじみの、この一大フェスティバルは、とにかくジャズからブルースから一流のミュージシャン達を集め、毎年大いに盛り上がったフェスの花形でありますが、1960年代も半ばになってくると、それまでのスウィングやモダン・ジャズ勢に加えて、前衛とかフリーとか言われていた、どちらかというと避暑地での優雅な野外コンサートにはそぐわないコワモテの新しい表現の担い手達もこのステージに出てくるようになってきます。

つまりそれまでアンダーグラウンドな、一部のミュージシャンや芸術愛好家しか評価しなかった前衛的なジャズが、ようやく社会的な評価を(それでもまだまだ賛否両論ではありましたが)得て注目されてきたんですね。

で、この流れの中心にいたのはやっぱりコルトレーンです。

コルトレーン本人は「とにかく新しい音楽を創造するんだ」という、まっすぐに内側を向いた気持ちでただ音楽的な実験や冒険をあれこれやっていただけに過ぎなかったんですが、やはり

「あのマイルス・デイヴィスのバンド(つまりモダン・ジャズの本流)にいたコルトレーンが、自分のバンドを組んでからどんどん聴いたこともないような音楽を作ってくる」

と、ジャズファンの間で話題になっておったんです。



「コルトレーンのやってるような、あんな激しくてどこか根源的な衝動に溢れた音楽を一体何と言えばいいのだろう」

「そりゃあお前さん、聴いたこともないようなジャズだからニュー・ジャズって言うんだよ」

「なるほどそうか、ニュージャズか。そういやちょいと前からオーネット・コールマンとかセシル・テイラーとかも、何だかよくわかんない実験的なジャズをやってたね」

「あぁ、アイツらの音楽もニュージャズだろうな」

「お前さん方ちょっと待ってくれ、コルトレーンとかテイラーとか、コルトレーンのやってるジャズは音楽理論の約束事から解放された自由な音楽だぜ。俺は彼らのやっているジャズはそういう意味で”フリー・ジャズ”って呼びたいね」

「なるほどフリージャズか、そいつはいいね。でも最初っから何かハズレてる感じのするオーネットやセシル・テイラーと違って、コルトレーンのはどこか違うんじゃないか?アドリブで盛り上がっていくうちにスケールアウトしたりはするけど、演奏そのものはアブストラクトじゃない、リズムもエルヴィン・ジョーンズがしっかりした4ビート叩いてるしマッコイ・タイナーのピアノだって激しいがメロディアスだ。だからフリージャズとまではいかないんじゃないか?」

「確かにそれは言えてる、でも最近はコルトレーンのいるインパルス・レコードから、彼と親しい若手のレコードがガンガンリリースされてんだよ。彼らはコルトレーンの影響を受けたとか言われてるんだけどもっと過激だ。トレーンをニュージャズって言うんなら連中の音楽はもっとハチャメチャなフリージャズだよなぁ」


さぁさぁこのアルバムはそんな”ニュージャズだ!””フリーだ!”と盛り上がる世間の声も大きくなっていた1966年のニューポートでのライヴ・アルバムでございます。

タイトルの「ニューシング」といえば、インパルスレコードの旗印であり「こんなに新しいジャズをニューポートのステージでやってんだぞ、どうだ!」という、並みならぬ勢いが伺えますな。

当然ながら”ニューシング”の筆頭であるコルトレーンのグループと、最注目の若手として、自分のグループを率いて暴れていたアーチー・シェップが、このレコードの主役として選ばれ、それぞれの演奏が収録されております。つまりカップリング盤。

余談ですが最初にこのレコードを見た時は「おぉぉ、コルトレーンとシェップの共演ライヴがあるんだ、すげぇ、ウホ!あのアセンションのライヴ盤みたいな感じかぁ!?」と、ウホウホ興奮したのですが、解散寸前とはいえマッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットと、アーチー・シェップのグループはキッチリと別々でありまして、しかも収録曲のほとんどはシェップ・グループのもの。


オリジナルのレコード盤は、コルトレーンの演奏は「ワン・ダウン・ワン・アップ」一曲のみ、残り4曲はシェップで「えぇぇ!?」と思いましたが、実にこの「ワン・ダウン・ワン・アップ」がほとばしる熱演で実にエグいエグい(!)。ミディアム・テンポに非常にシンプルなリフが繰り返されるオープニングから、まるで怒気を孕んだかのようなエルヴィンのシンバルが炸裂して、そこからなだれ込むマッコイの鍵盤ガキンガッキンの打撃ソロ、これが6分50秒ですよ、6分50秒!で、コルトレーンがぐわぁぁーっと登場して吹きまくる、それはもうまるで絶叫のような凄まじいソロ。これで後半およそ6分間を一気に蹂躙して、あっという間の12分40秒がおわり。

この日のステージそのものが、コルトレーン・カルテットは2曲30分しかやっていないと本には書いてありましたが、このエネルギー、この緊張感、現場は物凄い密度の30分だったと思います。

続くシェップは、ボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォンを加えた、ピアノなしの変則カルテットで、コチラも狂暴。遠慮というものを知らないシェップの「バギャ!ボギョ!」と雄叫びを上げるテナーの強烈な破壊力とむせかえるようなブルージーさと、やけにクールでひんやりした質感のボビー・ハッチャーソンのヴィブラフォンという正反対のサウンド・キャラクターが、激烈な演奏の中に不思議な緊張感と浮遊感がないまぜになった独特の空気を作り出し、コルトレーンのグループとは全く違う磁場のカオスでありますね。

コルトレーン単独の作品ではありませんが、それでもどちらのグループも熱演中の熱演で、とにかく余計なことを考えさせずに楽しませてくれる素晴らしいライヴ・アルバムです。特にスタジオ盤ではあれこれ趣向を凝らすシェップが、やっぱりライヴだと考えていたことすべてをかなぐり捨てて演奏の鬼と化すテナー・プレイはカッコイイですね。”ニューシング”の旗のもと、この時代の若手が、いかにコルトレーンを意識して、それを越えようと必死になっていたかが迫力と共に伝わってきます。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

posted by サウンズパル at 12:25| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする