2017年08月07日

ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン

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ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン
(Impulse!/ユニバーサル)


コルトレーンを聴いていると、どんな時期のどんな演奏でも

「あぁ、やっぱり”うた”だなぁ」

と、深く思います。

特に亡くなる直前の激烈な演奏は、やもすると原曲をけちょんけちょんに破壊して、やりたい放題のめちゃくちゃをやっているかのように聞こえる人もおるでしょう。

実際アタシも晩年のコルトレーンの演奏は、特にコルトレーンとファラオの凄まじい絶叫合戦で得られる本能的なカタルシスを求めて聴いております。

でも、ガーーー!と激しい演奏のふとした瞬間に「あ、今のメロディ・・・」と、死ぬほど美しくて儚いものあ、一瞬表れてはまたすぐに、音のガレキの洪水の中に消えていってしまうんです。

この切なさですよ。

気が付くと、死ぬほど激しい演奏の中に、そんな切なさを必死で追い求めるようにコルトレーンを聴きまくり、アルバムを集めまくっている自分がおりました。

あのですね

ジャズって究極に言えば切ない音楽。

その切なさは、コルトレーンだろうがマイルス・デイヴィスだろうが、ルイ・アームストロングだろうが、とにかくジャズマンと呼ばれる人達が、色んな形で持っている共通の影みたいなもの。

モダン・ジャズのノリノリの曲でも、スウィングの陽気な演奏でも、フリー・ジャズの激しい演奏でも、ふと気がつくと

「あ、今切ないのが通り過ぎていった」

という感覚にヒリッとすることってあるんです。

その切なさの正体を、アタシは未だ”これ!”と定義することはできません。

ミュージシャン個人の波乱万丈の人生から抜け出して、演奏に宿った何かかも知れませんし、ジャズという音楽が生まれた時にどこかからやってきて棲みついたものかも知れません(たとえばブルース)。

アタシは思います。コルトレーンという人は、どこかでその”切なさ”に憑り付かれ、気が付けば夢中になって、それこそ様式も何もかも投げ捨ててそれを追うためにまっしぐらに走って行った人なんじゃないかと。

僅か10年ちょっとのソロ・アーティストとしてのキャリアの中で、いくら時代がそうだったとはいえ、余りにもめまぐるしくスタイルを変えておりますし、アタシら素人がたとえば50年代のモダン・ジャズなコルトレーン聴いて

「かっけー!この路線でずっとやってても全然歴史に名前残るー!」

と、思っても、当のコルトレーンに”これでいい”という文字はなかった。

音を聴いている限りコルトレーンには、売れるため、満足のため、或いは名声のために音楽やっている感じがこれっぽっちもしない。

特に自分のカルテットを組んだ1961年以降は、そんなコルトレーンの”まっしぐら”に拍車がかかっておるようで、それこそそのサウンドには、聴いてる方も夢中で必死で喰らい付くように聴いてしまう。で、その激しさや荘厳さでたくさんデコレートされた演奏の中から立ち上る「あ、切ない・・・」と聴いてまたコルトレーンが聴きたくなる。

無限ループしそうなので、コルトレーンの、その切ない切ない”うた”に話を戻しましょう。

実は自分のバンドを結成して、続けざまに激しくディープで、ある意味ドロドロなアルバムをリリースしていたコルトレーンが、ふと原点に戻った”うた”をストレートに聴かせてくれるアルバムをまとめてレコーディングしていた時期がありました。

1962年に録音された『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』、ジャズ名盤としても有名な『バラード』、そして翌1963年にヴォーカリストのジョニー・ハートマンを迎えて作られた『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』であります。




ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン

【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ジョニー・ハートマン(vo)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル
2.テディケイテッド・トゥ・ユー
3.マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ
4.ラッシュ・ライフ
5.ユー・アー・トゥー・ビューティフル
6.オータム・セレナーデ

(録音:1963年3月7日)




さあこれからガンガン激しい方向へ進むぜ!

と、気力がみなぎっていたコルトレーンが、何故急に、しかも集中的にオーソドックスなジャズのスタイルで、バラード・アルバムを3枚もレコーディングしたのでしょう。

それについては余りに自分の世界に突っ走りがちなコルトレーンを、レコード会社側が心配して

「そういうのは後でたくさん録音させたげるから、ここらでひとつ一般の人にも聴きやすいアルバムを作らないか?」

と提案したとか、コルトレーンのマウスピースの調子が悪くて、激しい演奏が出来なかったからとか(『バラード』の時)色々言われておりますが、アタシは恐らく前者じゃないかと思います。

とにかく、コルトレーンの音楽をまずは知らない人にも多く聴いてもらうために、有名スタンダードばかりを集めた聴き易いアルバムを作ったり、ジャズファンやミュージシャンの誰もが敬愛するデューク・エリントンと共演させたり、「黒いシナトラ」と呼ばれ、耳のうるさいファンや批評家連からも高い評価を得ていた、ムーディーな歌謡を得意とするジョニー・ハートマンと組ませたり、とにかく試行錯誤してアルバム3つも作ったImpulse!プロデューサー、ボブ・シールの苦労はどれほどだったろうと思いますが、コルトレーンが素晴らしいのは、このいずれのアルバムでも、不満を感じさせることなく、素直な本気を切々と、スタンダードの美しい調べに乗せて聴かせてくれることであります。

ジョニー・ハートマンとの共演は、よくある”ヴォーカリストの伴奏をコルトレーンがする”というのではなくて、歌とサックスが完全に対等に、演奏の中で寄り添い合って、そしてハートマンのなめらかな憂いに満ちたバリトン・ヴォイスが、コルトレーンの中〜高音域をやるせなく行き来するテナーと、この上なく美しいハーモニーを奏でております。

このアルバムを聴くまでは、恥ずかしながらジョニー・ハートマンのことは知らず、あろうことか男性ジャズ・ヴォーカルはどうも親父臭くて苦手だとさえ思ってました。

が、やっぱりスタイルとかは関係ないんですね。

コルトレーンはインタビューで

「ジョニー・ハートマンという、全然すたるの違うヴォーカリストと共演したわけだが、彼の印象は?」

と訊かれ、一言

「バリトンだ」

とだけ答えたそうですが、コルトレーンが恐らく求める”切なさ”を、この人の声は持っている。たとえば「When I 〜」とハートマンが一節歌ううだけで、その場の空気は何か深い紫色に染められてからセピアに変わるみたいな、そんな色彩を感じさせるものです。

ハートマンの歌を受けて、一音一音丁寧に、噛み締めるように出てくるテナーのフレーズは、言葉を追いかけて飛んで行っては消えてゆく生き物のようであり、それ聴くだけでもコルトレーンが、ハートマンの声に言葉にならない程に深い何かを感じ、それに呼応していったのが分かります。

それこそインタビューで「どうだった?」と訊かれて「はいはい、さようでございますね、えーこれこれこうでした」って答えられるようじゃ全然感情移入した演奏じゃない。だからコルトレーンはハートマンの声を追っていくうちに夢中になって自我がとろける快感に浸っていたんじゃないでしょうかね。

どの曲もスローテンポで、や、これはもう曲がどうとかそういう類のものではなく、ただひたすら流して切なさに浸りながら、自然と遠い目になるためのアルバムです。もう何十回、何百回聴いてますが、このアルバムに終始ゆんわりただよっている、優しくもヒリヒリした切なさの正体を上手く言い表せる言葉を私はまだ持っておりません。







(名盤『バラード』はコチラ↓ やっぱり2枚1組で聴いてほしいのです)




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2017年08月06日

マディ・ウォーターズ The Complete Plantation Recordings

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Muddy Waters/The Complete Plantation Recordings
(Chess/MCA)


小説や漫画とかで、いわゆるスピンオフというやつですか。主人公達の物語が始まる前の世界を書いた作品というものがありますね。あぁ、この出来事が原作のあの場面に繋がっていくんだ。とか、主人公の師匠の若い頃はこんなだったんだ・・・とか。

そういう風に、どんな物語も「それ以前のストーリー」というものがございます。

それは音楽の世界でも同じで、偉大なミュージシャンとか、巨人とか帝王とか呼ばれるようなアーティストにも、下積みやブレイク前の時代というものがあるわけですね。

ブルースの世界で「とてつもない巨人」といえば、これはもうシカゴでエレクトリックなバンドブルースの時代を切り開いたマディ・ウォーターズです。ギラギラに黒光りするエレキギターのスライドを弾きながら、貫禄いっぱいに野太くブルースを歌う王者マディ。

そもそも歌がどうとかギターがどうとか、そんなことよりも彼の内側から湧き出てくる膨大な質量のブルースの凄味、その底無しの説得力に、アタシらはもう息を呑んで圧倒されるしかないのですが、もちろんそんなマディも、シカゴに出てくる前はミシシッピの片田舎の農場で週末にギターを弾き、サン・ハウスやチャーリー・パットン、そしてロバート・ジョンソンといった先輩ブルースマン達がやってくると嬉々として演奏を聴きに行き、その歌の表現やギターの演奏法を見て学んでいた時代というのがあったんです。

1942年のある夏の日、ミシシッピ州のストラーヴァル・プランテーション(農場)に一人の紳士がやってきました。

彼の名は民俗学者アラン・ロマックス。

父のジョン・ロマックスと共に、主に政府や連邦議会図書館からの依頼を受けてアメリカ全土を旅しながら、各地に暮らす様々な人種の音楽をレコーディングしていたアランは、今回も国会図書館から

「南部の黒人音楽をレコーディングしてきてほしい」

という依頼を受けたのでした。

アランはこの時、当初からその噂を耳にしていた人物のレコーディングをしようと、その男を探しておりました。

その男の名はロバート・ジョンソン。

「とてつもなくギターが上手い」

「悪魔に魂を売った男だから関わらない方がいい」

「どんな曲でも一度耳にしたら弾けてしまう不思議なヤツだ」

ミシシッピ周辺の酒場やジューク・ジョイントに行けばロバート・ジョンソンの噂がささやかれ、それはロマックス親子のニューヨークのオフィスにも南部から届いてきておりました。

その亡霊のような不思議な存在感を持つブルースの化身のような男の声を、アランは何としても歴史の記録として残しておきたかったのですが、南部に入り、ミシシッピで聞き込みをしている時に

「旦那、ロバート・ジョンソンを探してるんだって?生憎だがヤツは死んだよ。・・・殺されたんだ」

というショッキングな事実を聞かされます。

「何だって!?ちくしょうせっかくレコーディングに来たのに・・・」

と、ガックリのアランでしたが、親子二代で培った”探し屋稼業”の血が、彼を手ぶらでニューヨークにすごすごとは帰らせませんでした。

それならロバート・ジョンソンのようなスタイルでブルースを歌うヤツを探し出してソイツを録音してやろう!と、執念を燃やしたアランは周辺で更に聞き込みを開始。

「あぁ、そういうヤツやら一人いるね。ストーヴァル農園に行ってみな、マディ・ウォーターズって呼ばれてる男がいいスライドを弾くぜ」

という情報をようやく得て、勇んでその農園に車を走らせたアラン。

農場の食堂で、周囲の「誰だ?」「警察か?」「密造酒のガサか?」という警戒の目に晒されて待っていたところに、がっしりした体格の、やたら風格のある一人の男が入ってきます。

「おい、何か妙な旦那がお前を探してるって・・・」

「何だって?」

「レコーディングがどうとか言ってるんだが、よくわかんねぇ。とにかく面倒はごめんだぞ」

「・・・あぁ」

そんな感じでヒソヒソと若いモンと話してアランのテーブルにその青年はゆっくりと腰掛けました。

「ようこそ旦那、俺の名前はマッキンリー・モーガンフィールド。ここいらじゃ”マディ・ウォーターズ”って呼ばれてるちったぁ知られたギター弾きでさぁ。で、今日は何の用ですかい?」

南部黒人の皆がやっているようにうやうやしくへりくだり、しかし警戒の目と威圧感を緩めない、一目で”できる男”の貫禄を、全身とその態度から漂わせている若き日のマディに、アランは「あぁ、コイツはタダ者ではない」と直感したアラン。

持参したギターを見せて「まぁ一杯どうだ」とバーボンを勧めながら丁寧にレコーディングをしたい旨を話しました。

密造酒の取り締まりか、身に覚えのない犯罪の嫌疑だろうと最大限に警戒していたマディは、アランの持ってきたギターとその真摯な説明を聞いてようやく警戒を解き、杯を重ねつつ生い立ちやブルースのことなど、アランの事細かい質問に、しっかりした言葉と態度で丁寧に答えたといいます。

都会からやってくる白人の音楽関係者も、最新式の録音機材(SP盤)も、マディにとっては生まれて初めて目にするものでありました。





【収録曲】
1.Country Blues(version1)
2.Interview #1 -
3.I Be's Troubled
4.Interview #2
5.Burr Clover Farm Blues
6.Interview #3
7.Ramblin' Kid Blues
8.Ramblin' Kid Blues
9.Rosalie
10.Joe Turner
11.Pearlie May Blues
12.Take A Walk With Me
13.Burr Clover Blues
14.Interview #4
15.I Be Bound To Write To You(version1)
16.I Be Bound To Write To You(version2)
17.You're Gonna Miss Me When I'm Gone(version1)
18.You Got To Take Sick And Die Some Of These Days
19.Why Don't You Live So God Can Use You
20.Country Blues(version2)
21.You're Gonna Miss Me When I'm Gone
22.32-20 Blues


そんなこんなで1941年4月、後にシカゴ・ブルースのボスマンとなり、ブルースの歴史を大きく変えたマディ・ウォーターズの初めてのレコーディングが、農場の食堂で行われました。実にこの時マディ・ウォーターズ28歳。

もちろんこの時点でマディはシカゴに出て音楽で生計を立てることなど考えておらず、アラン・ロマックスもまた、この男が後にブルースを代表する大スターになるなんて思ってもおりませんでした。

もちろんこの頃のマディは、近隣では名が知れ渡ってるとはいえ、昼間は農作業に勤しむアマチュア・ミュージシャン。

アランもまた、レコード会社の人間ではなく、レコーディングの目的はあくまで

「南部の日常に生きる黒人音楽をありのまま、資料として記録すること」

でした。

しかし、これが結果として大成功でした。

マディのスタイルは、ロバート・ジョンソンというよりもむしろ、更に前のサン・ハウスやチャーリー・パットンからのストレートな影響が濃厚な、タフで野太い純正デルタ・ブルース。

セッションはアラン・ロマックスによるマディのインタビューを挟んでの弾き語りに始まって、当時コンビを組んでいたギター&フィドル奏者サン・シムズをメインにしてのストリング・バンド形式のものや、チャールズ・ベリーのセカンド・ギターを付けたものなど、実に戦前のミシシッピ・デルタ地帯で日常的に歌われ、演奏されていたであろうブルースやバラッド(ブルース以前のフォークソング)の見本市のよう、バラエティ盛りだくさんの内容であります。

弾き語りでは後のヒット曲となる「l
Feel Like Going Home」や「l Can't Be Satisfied」の元になる演奏が聴けるだけでなく、エレキ持ってバンド組んで以降は"ここ一発"のリフやソロの時にタメて斬り込むスタイルになったギターが、アコースティックでは唄のバッキングを、パーカッシブなサン・ハウス・スタイルでガツガツ弾かれているところに注目してド肝を抜かれてください。

当たり前ですがマディ、ギター凄まじく上手いです。


そして「リアルな戦前ミシシッピ・ブルース」という意味では中盤のサン・シムズを中心にしたセッションが素晴らしい。

曲調はのどかで牧歌的ですらあるのに、演奏の冒頭からガラの悪い掛け声、これが演奏中にも度々出て来て、なんというか雰囲気最高なんです。

戦前ブルースといえば、戦後のフォーク・ブルース・ムーヴメントの折に再発見された人達の、渋かったり飄々としてたりのイメージから、何となくのどかで静かなイメージを勝手に抱いてましたが、このガラの悪さ、音だけじゃなく罵声奇声でガンガン煽りまくる演奏スタイルに

「あぁ、やっぱりブルースは昔からヤクザな連中のヤバい音楽だったんだな」

と、嫌でも納得してしまいます。

ちなみにサン・シムズは、戦前はチャーリー・パットンの相棒としてコンビを組んでいた人で、演奏中にガヤやセリフを言うことの多かったパットンとは、即興の掛け合いでもって、今で言うフリースタイルのようなガヤ芸をジューク・ジョイントでしょ炸裂させてたんでしょう。うん、ガラ悪くて最高です。


映画『キャデラック・レコード』は、マディのこのレコーディングの場面が出て来て、この時の録音盤でマディが初めて"自分の声"を聴いて、音楽で身を立てる決意をしてシカゴへ旅立った、という描かれ方をしています。

事の真偽はともかく、マディはこのレコーディングの後すぐにシカゴへ出ております。

もし、ロバート・ジョンソンが死んでおらず、マディがアラン・ロマックスと出会わず、レコーディングが行われてなかったらブルースの歴史は戦後まるで違う展開になっていたでしょう。




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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年08月05日

ローランド・カークのコルトレーンを聴け!

今年の『大コルトレーン祭』も、おかげさまで盛況です。

え?「ブログにダラダラ書いてるだけなのに盛況も何もないだろう」ですって?

いや、はい、まぁアタシ一人で盛り上がってもいるのですが、記事中に貼ってあるアマゾンの商品リンク、これでですね、コルトレーン買ってくれる人が去年よりいらっしゃるんですよ。

このリンクはいわゆるアフィリエイトといいまして、このリンクからアマゾンに飛んでお買いものをすれば、アタシの方に「これが売れたよー」と、通知が来る仕組みでありまして、そして誰かがこのブログ経由で買い物をしてくれたら(紹介しているものでなくても)、アタシにいくらかの小銭が入る仕組みになっております。

そのいくらかの小銭は、コツコツ貯めていつかお店を再開しようと目論んでおりますので、どうか皆さん、宜しくお願いします。

それはそうと、アタシが『大コルトレーン祭』をこうやってブログでやって、それをツイッターとかフェイスブックに「更新したよー」と投稿しますと、フォロワーさん達がリツイートしてくれたり、お気に入りしてくれたり、えぇ、それだけでも嬉しいんですが、与太文を読んでくださった上でコルトレーンについてのアツい想いを語ってくださる方々との会話、これが嬉しい。

で、コルトレーンが好きな方というのは、音楽や社会のことにとても真摯に目を向けて考察されている方が多いですよね。

コルトレーンの音楽も、彼自身の音楽やあらゆる出来事に対する真摯な姿勢から出来ております。そう考えるとやはりアタシは、この世の中にコルトレーンの音楽を紹介しつづけることで、真摯と誠実の種を蒔きたいな、いや、蒔かなきゃならないな、全然影響力のないただの田舎者ではありますが、それでもこのブログをきっかけにコルトレーンを知った人がいて、その人がコルトレーンの音楽と出会ったことがきっかけで、人生豊かにしてくれたり、周囲に良い影響を与えることが出来るとか、そういう風になったらきっと世の中平和ではないですか。

や、コルトレーンに限らず、良い音楽にはそういうユルく深い影響力が、政治とか宗教とかそういうものよりも全然あると思いますんで、えぇ、ブログ頑張ります!


というわけで今日の大コルトレーン祭なんですが、今日はちょいと趣向を変えまして

「コルトレーンの曲がこんなにカッコ良くカヴァーされてるよ♪」

というのをご紹介しましょう。

コルトレーンは、もちろんジャズの先輩達からも

「お、アイツやってるな」

と、一目置かれる存在でありましたが、それ以上に後輩達から「兄貴、兄貴」と(?)ものすごく慕われた人でありました。

性格的には一見寡黙でストイック、友達とワイワイやってると思ったら、サックス持って別室で黙々と練習して戻ってこないとか、そういう神秘的なカリスマを持っていると思いきや、プライベートで付き合う仲になると、案外子供みたいにカワイイところがあったり、実は抜けてる部分も結構あったり・・・(^^)

そんな人、慕われるでしょうね。

で、コルトレーンの周囲には、新しい音楽を作ってやろう!という熱情に燃えた、ちょっと変わった若者達が、60年代以降チラホラと出入りするようになります。

その中の一人がローランド・カーク↓


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見た目バケモノですが、実際にバケモノです(汗)

カークはコルトレーンより10歳ぐらい年下ですが、コルトレーンがマイルス・バンドに加入したその頃に、19歳で才能を発揮してブイブイ言わせてましたから、どちらかというと同期みたいな気軽な間柄だったんですね。

カークは盲目というハンディキャップがありましたが、その分非常に勉強家でありました。

特にブルースやR&Bなど、ルーツ・ミュージックへの探究心が凄いカークとコルトレーンは若い頃から気が合って、よくツルんでたそうです。

1963年のある日、西海岸のクラブで演奏していたコルトレーン・カルテット。

その凄まじい演奏が盛り上がりに盛り上がり、客席も巻き込んで熱気ムンムンだったその時、客席にたまたまいたローランド・カークが何の前触れもなくステージに乱入。

コルトレーンもメンバーも

「お、カークやないけ♪」

と、喜んで熱演で迎えました。

コルトレーンが、この時の必殺技だった長い長い長いソロを繰り広げると、カークはニヤニヤして更に長い長い長い長いソロで応報。

しかも、カークのロング・ソロは、彼独特の循環呼吸という技を使っての、音がずーっと途切れない奏法です。

コルトレーンびっくりして、楽屋で

「おい、あんなすげぇノン・ブレスのソロ、お前どうやってんの?」

と訊いたところ

(きたよコルトレーンの”音楽質問攻め”)

と、ニヤリほくそ笑んだカーク

「あぁ、オレは目が見えねぇから生まれつきこういう特殊能力が備わってんのよ」

と答えて、二人とも大爆笑したと云います。

仲良しですね、2人とも実にカワイイ。

そんな仲良しの二人でしたが、レコードでの共演はついに行われませんでした。

60年代半ば以降、どんどん先鋭化してへヴィな方向へ突き進んだコルトレーンと、ソウルに接近し、よりポップで大衆音楽なものを指向したカークとでは、元から進むべき道は違っていたのかも知れません。

でもカークは己の内側の深いところを真摯に突き進むコルトレーンを尊敬しておりました。

そんなカークの、コルトレーンへのリスペクトが刻まれているレコードが『ヴォランティアード・スレイブリ』







コルトレーンが亡くなった翌年の1968年に出演したニューポート・ジャズ・フェスティヴバルでのライヴが後半に収録されているのですが、ここに「ア・トリビュート・トゥ・ジョン・コルトレーン」というトラックがありまして、これが

「ラッシュ・ライフ」
「アフロ・ブルー」
「ベッシーズ・ブルース」

という、コルトレーン初期から晩年までの愛奏曲のメドレーなんです。

これがもう名演!

バラードから始まって勇ましさの極みの「アフロ・ブルー」もう何ですかこれ、カークはソプラノ・サックスではなく、マンゼロ(サクセロ)という1920年代に少量生産された珍しい楽器で吹いております。

この音はソプラノと同じキーらしいですが、いわゆるソプラノ・サックスより何だか原始的な温かみのある音がしますね。強いて言うならモロッコの民俗音楽のジャジューカでベーベー吹かれるチャルメラみたいな、そういう土着っぽい響きあります。

こんなサウンドに、コルトレーンの民俗調マイナーワルツの名曲「アフロ・ブルー」がハマらない訳がありません。

コルトレーンが乗り移ったかのように、無心でバラバラバラー!と細切れフレーズを撃ちまくるカーク、ド肝を抜くほど凄いです。ピアニストのロン・バートンも、最初「誰?」と思いましたが、こちらにもマッコイが憑依しております。

コルトレーン者を自称しておきながらこんなこと言うのも何ですが、アタシはカークのこの演奏を聴いて

「あ、あ、アフロブルーって凄い曲じゃねぇか!ちくしょー、オレは今まで何聴いてたんだ!!」

と思って「ライヴ・アット・バードランド」を、大慌てで聴き直しました。ここだけの話ね(汗)

「アフロ・ブルー」が最高潮に盛り上がってエンディング、わーい。となってきたところに間髪を入れずにスウィングする「ベッシーズ・ブルース」の盛り上がりもまた凄いんですよ。カークといえばソウルやR&Bのカヴァーが大変に素晴らしく、そういう人だとばかり思っていたら、まさかのコルトレーン、しかも本人以上に本人っぽい魂の熱演にもう撃ち抜かれたままですが、コルトレーンもカークも、やっぱり根底に持っている”ブルース”で強烈に繋がってたんだなと思います。

彼らの”ブルース”は形式だけをなぞったものではなくて、もっともっと血の源流みたいなところまで行って吐き出してくるみたいな・・・上手くは言えませんが、もしかしたらこの60年代から70年代のジャズが、あぁ凄いカッコイイなと思えるその一番大事な要素、それが両者の持つ、お飾りじゃない奥底のブルース・負イーリングだと、アタシはしみじみ思います。

そうそう、このアルバムの”コルトレーン”は、後半のメドレーだけじゃなくて、実は前半スタジオ録音での「小さな願い(I Say A Little Prayer)」でも出てきます。

この曲は知る人ぞ知る有名なバカラック・ナンバーですね。でも、アドリブであの「至上の愛」が出てきます。何の前触れもなく、当たり前のようにバカラックの、ポップスの神様みたいな曲の中に、コルトレーンの、ポップスとは一番程遠いと思われてる曲を「え?ポップスだろ?」とぶっこんでくるカーク、やっぱりカッコええですもんね。







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