2017年09月29日

ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

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ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

ツイッターでふと思い付いた

#あなたの心の鎮痛剤

という企画をやっております。

「企画をやっております」とはいえ、アタシは大体がいい加減で適当な人間ですので、このハッシュタグを付けることで何がどうなるとか、何かをどうしたいとか、そういう気持ちは全くなくて、ただこの感傷の秋にピッタリな音楽、皆さんはどんなのを聴いているんだろうなぁと、ふんわり思い付いただけなんですね。

だから何を挙げようが自由、別に音楽じゃなくてもokという、実に他愛もない企画です。はい、遊んでるだけですが、皆さんの書き込みを見ていると、じんわりくる名盤や、しんみりくる名盤などなど、思い思いに本気の”これがいいんだよなぁ・・・”を出して下さり、その愛の深さに圧倒されながら、感動を噛み締めておる次第です。

音楽って本当にいいもんですね。

そんな中、ある方が

「これはいいですよね」

と出してくださった一枚のアルバムがあり、そのジャケットを見たアタシ

「そうだよ!これこれ!これを忘れてしまっていた!!」

と、大いに慌てました。

心の鎮痛剤

や、心が痛む時ならず、その音楽の持つ素晴らしいパワーで、まるで全てを浄化してしまうようなグレイト・ゴスペルにして、60年代ディープ・ソウルのホンモノの傑作であるところのベン・ブランチ「ザ・ラスト・リクエスト」。

・・・えぇと

今、かなりのボリュームで「誰それ?」と聞こえました。

えぇ、ベン・ブランチという人はジャズ/R&Bのサックス奏者として、色んなセッションに参加している人ではあるんですが、確かに自分からリーダーになって作品を作るようなタイプの人ではなくて、どちらかというと他人のバックでホーン・セクションの要となるような、いぶし銀の職人サックス奏者だから、多くの人が「知らない」というのも確かに頷けます。

ですが、そんなベンの知名度を脇に置いといても、このアルバムだけはもうブルースだろうがソウルだろうがジャズだろうが、ブラック・ミュージックが好きな人にとっては「あぁ・・・いいよな・・・」と、それこそ多くの人に共通する心の灯となっている作品でありますし、事実1960年代後半という時代の、ゴスペルを軸にしたブラック・ミュージックのカッコイイ所が物凄い濃度で凝縮されたような、もう何というかマスターピース的な聖典と言ってもいい、この作品がもしブラック・ミュージックの歴史に残されていなかったら、その後のゴスペルやソウルは一体どうなっていたんだろうと、音楽好きに深刻に思わせてもいいぐらいの重要な作品なのであります。

あぁ、ちょいとアツくなってしまいました(汗)

「何でそんなに重要なの?」

と、ジャケットとタイトルを見てピンと来れなかった方のための説明は後に取っておくとして、まずはベン・ブランチです。

ベン・ブランチは、1924年にテネシー州メンフィスで生まれております。

メンフィスという街は、これまで何度か説明しましたが、ミシシッピからシカゴへと向かう南部の黒人達が中継地点として集う都市で、自然とブルースが盛んになる土壌が、早い段階から出来ておりました。

恐らくは地元の教会やマーチングバンドなどに参加しているうちにテナー・サックスを覚えたベン、20代の頃に同じ年代の人気ブルースマン、B.B.キングのホーン・セクションの一員として本格的なデビューを果たします。

その後は地元メンフィスを拠点にジャズやブルース、R&Bの数々のセッションを重ね、B.B.キングからブッカーT&ザMG's、ジャズピアニストのフィニュアス・ニューボーンJr.など、あらゆるジャンルの、この地を語るには外せないミュージシャン達と演奏しております。

1960年代には、既にベテラン・セッションマンとして、南部のスタックス・レコード、そしてシカゴのチェスのスタジオなどを行き来する日々でしたが、この時にやはり彼も黒人公民権運動に深く関わることとなり、特にカリスマ的な運動指導者だったマーティン・ルーサー・キング牧師の非暴力思想には大いに共鳴することがあり、5つ年下のこのカリスマとの間には、緩やかな師弟関係のようなものがあったと言います。

ベンはミュージシャンとして、キング牧師が参加する講演会や教会での演奏に積極的に参加しました。

キング牧師の主張は

「黒人も白人も、共に兄弟として歩み寄ろうぜ。同じ人間で同じ神様(キリスト教)を信じてるモン同士、必ず分かり合えるはずだぜ」

という、聖書の人類愛を基礎にした、非常にシンプルかつ平和的なものでしたので、ミュージシャン達も共感して非常に協力してたんですね。

ところがそんなキング牧師の主張は、1964年の公民権法制定(初めて法律で「差別を禁止する」ということが制定される)以降

「生ぬるい」

「結局法律で差別禁止とか言われても、オレらの貧しい生活や日常での差別は何にもなくなってねーじゃんかよ!」

と、批判の的にされることが多くなりました。

イスラーム教を黒人優位思想と解釈したネイション・オブ・イスラムや、革命思想を唱えるブラックパンサー党など、人権を勝ち取るためには暴力も辞さないという考え方が、フラストレーションを抱える若者達に徐々に支持されるようになり、各地で黒人デモは過激な思想に影響を受けた人達によって暴動になっていたのです。

もちろん暴動を起こして社会状況や、自分達を取り巻く環境が良くなるはずはありません。

むしろ「黒人はああいう風に野蛮で暴力的である」と、差別主義者によって宣伝されれば、せっかく味方に付いた世論すら敵に回す可能性は多いにある。

悲観したキング牧師は暴動を抑えようと、各地で自ら出向いて必死の呼びかけを行いましたが、1968年4月4日、遂に凶弾に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。




【収録曲】
1.プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド
2.イフ・アイ・クッド・ヘルプ・サムバディ
3.レット・アス・ブレイク・ブレッド・トゥゲザー
4.ウィ・シャル・オーヴァーカム
5.マザーレス・チャイルド
6.マイ・ヘヴンリー・ファーザー
7.イェールド・ノット・トゥ・テンプテーション
8.ハード・タイムス
9.バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック


このアルバムは、そうしたキング牧師の悲劇を受けたベンが、師を追悼し、その平和と非暴力の意志を音楽で表現し、世界に知らしめたアルバムなのです。

彼がアルバムを作ってまでキング牧師を追悼しようと思ったのは、もちろんそういった意志の力もありましょうが、実はそこにはキング牧師との深いエピソードがありました。

ある日ベンが「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」という伝統的なゴスペル・ナンバーを演奏していたところ、キング牧師が

「いい曲だね、怒り狂った聴衆に聴かせたらきっと穏やかに静まってくれるに違いない。今度の集会でその曲演奏してくれよベン」

と、声をかけました。

「あぁいいよ。次の集会が楽しみだな」

と、ベンも軽く請け負ったんですが、実はこの会話が交わされたのがキング牧師が暗殺される直前のことで、結果としてこの約束が果たされることはありませんでした。

で、アルバムのタイトル「ラスト・リクエスト」は、この時のキング牧師のリクエスト、つまり「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」をやってくれよ、という最後の約束そのものだったんです。

アルバムはこの曲で始まります。

祈りの静けさに満ち溢れたオルガンとピアノ、そしてたっぷりの感傷と郷愁にまみれたベンのテナー・サックスから、ドラム、ベース、ギターが入り、アツくシャウトするヴォーカルが、一気にクライマックスに盛り上げてゆく、正にゴスペルかくあるべし!の名演で幕を開け、最後までそのテンションが下がることがありません。

アタシはもちろん本場のゴスペルを生で体験したことはありませんが、きっと60年代の黒人教会で演奏されるゴスペルは、このレベルの盛り上がりが集会の最後まで続いたんだなと思わせるに十分すぎるほどエモーショナルであります。

メンバーとして名を連ねているのは、フィル・アップチャーチ(b)、ウェイン・ベネット(g)、レナード(レオナルド)・キャストン(p,g)など、この時代のR&B、ジャズファンク系には欠かせないいずれも凄腕のセッションマン達、そしてヴォーカルはホンモノの牧師でありゴスペル・シンガーの方々。もう、凄いノリです。感情の全部が持っていかれます。何度聴いても「すげぇ、これがゴスペル・・・」としか言葉が出てこんのです。


最初の方で申し上げましたが、ベン自身は決して表に立ってリーダー・アルバムを作ったりコンサートを行ったりする人ではなく、あくまで裏方として優れたリーダーの作品作りを手伝おうという思考の持ち主だったので、生涯を通じての作品は少ないです。

でも、そんな人が自分が表に立って作品を作り上げ、何とかメッセージを伝えようとした。そして、出来上がった作品はこの時代のゴスペルとして最高水準のもので、ソウル・ミュージックとしても最深部まで到達しており、何より聴く人の心をあらゆる意味で豊かなものにしてくれるものとしか、言いようのない傑作なんです。

ブラック・ミュージックという言葉に少しでも心ゆらめく人ならば、きっと一生モノの財産になると思います。






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2017年09月27日

ビル・エヴァンス 自己との対話

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ビル・エヴァンス/自己との対話
(Verve/ユニバーサル)

ようやくというか何というか、のっそりスローペースで、今年も秋がやってまいりました。

秋といえば、色々と「〇〇の秋」の〇〇の部分に好きなものを入れて楽しむ季節でしょう。食欲大いに結構、スポーツもいいでしょう、読書なんか最高です、芸術なんてもうヒューヒューです。

で、アタシの場合はこの時期は、溜まりに溜まった夏の鬱屈とした気分を浄化するために、感傷のスイッチをオンにして、切なくてヒリヒリする美しい音楽を聴きながら、感傷に目一杯浸ります。

個人的に

「心の鎮痛剤」

と呼んでるジャンルがありまして、それはズバリ、ジャズやクラシックなどのピアノの音楽のことなんです。

儚くて哀愁に満ち溢れたピアノの音色は、心に僅かな痛みをジンジンと響かせながら、内側にある苦しいものを、少しづつ詩に変えてくれるような、そんな効果を勝手に感じて、じんわりと耳を傾けておりますが、このジャンルの代表格といえばやはりビル・エヴァンスです。

「ピアノの詩人」と呼ばれ、ジャズの世界に”美しくそこはかとない情感”というものを、エヴァンスはそっと持ち込みました。もちろんエヴァンス以前にもうっとりするような美しいピアノを聴かせてくれる人は多くおりましたが、エヴァンスの強みは何といっても

「速めのテンポでノリノリの曲を演奏しても、どこか哀しい、何故か切ない」

と、聴く人を感じさせるその儚い詩情であります。

この感じのことを専門用語で「リリカル」といいますね。しかしこの言葉、ライターとか評論家とか、そういった専門家チックな人達がやたら連発するので、ジャズ初心者の方々には案外「なんかよーわからん言葉」と思われているようです。いかんですね、いかんですので、皆さんには


「リリカルっつったら”何か綺麗で切なくてやるせないヤツ”ですよ」

と、一言説明を入れておきましょう。お店とかネットとかで音楽に出会う際の参考にしてくださいね。

で、エヴァンスです。

心の鎮痛剤ジャンルでは、早く効いて長く効くエヴァンスのピアノは、どの時期のどの作品も、あらゆる切なさの集合体と言っても過言ではありません。

モダン・ジャズ全盛の1950年代半ばにデビューしたその時から、それまでのジャズ・ピアノの「イェ〜イな感じ」とは確実に一線を画す、内向きで知的な風情に溢れたピアノは、クールなサウンドを目指していたマイルス・デイヴィスの耳に留まり「カインド・オブ・ブルー」という、ジャズの歴史を大きく変える、知的で芸術性の高い作品を生み出すことに大きく貢献しました。

しかし、繊細過ぎる性格のエヴァンスは、マイルス・バンドでのストレスに耐えきれず、僅か1年ほどでバンドを脱退。

そこからはスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と最初のトリオを組んで「ポートレイト・イン・ジャズ」「ワルツ・フォー・デビィ」など、ジャズ・ピアノ・トリオを代表する人気作を世に出しました。

このトリオは、単にエヴァンスの美しいピアノを引き立てるだけでなく、ベースのスコット・ラファロの大胆に切り込むハードなアドリブがエヴァンスの研ぎ澄まされた即興演奏の才能を更に引き出し、それまでの「ピアノ・トリオ=ピアノが主役でベース、ドラムは脇役」という常識を覆し、更にそれまで単なるリズム・セクション、もしくはBGM的にムードを演出する編成ぐらいに思われていたピアノ・トリオを「それだけで十分にスリリングで、しかもクオリティの高い音楽を聴かせることのできるフォーマット」へと、その地位そのものを高めたんです。

この初期のトリオにおけるエヴァンスの創造性というのは、今聴いても本当に鳥肌が立ちます。

ピアノとベースがガンガンとどこまでも激しくやりあっていても、エヴァンスの紡ぎ出すメロディというのは、どこか常に内側を向いているような感じがして、そして激しく弾けば弾くほど、彼の音はその、そこはかと帯びている哀しみを、もっと前面に出しているかのように響くのです。

1960年代初期に結成されたこのトリオは絶好調でした。

しかし、そんな絶頂の時に、ベーシストのスコット・ラファロが1961年、交通事故により23歳であっけなくあの世へと旅立ってしまいます。

最高の相棒を失ったエヴァンスは悲観に暮れて、かなりの鬱状態になり(この鬱がこれから後も度々彼の人生を苦しめて、結局エヴァンスの寿命を縮めることになります)ましたが、後任のベーシストとしてチャック・イスラエルが加入した後、精神は少し持ち直して、エヴァンス・トリオは復活します。

しかしエヴァンスの中でラファロの喪失は、周囲が思っているより遥かに大きく、エヴァンスはその孤独を埋めるべく、トリオやバンドでの活動以外にも、ソロ・ピアノで更に内なる世界の哀切の海へと漕ぎ出してゆくのです。




【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)

【収録曲】
1.ラウンド・ミッドナイト
2.ハウ・アバウト・ユー
3.スパルタカス 愛のテーマ
4.ブルー・モンク
5.星影のステラ
6.ヘイ・ゼア
7.N.Y.C`Sノー・ラーク
8.ジャスト・ユー、ジャスト・ミー
9.ベムシャ・スウィング
10.ア・スリーピング・ビー


1963年に、エヴァンスがたった一人で行った「自己との対話」がレコーディングされました。

それまでもエヴァンスは、一人スタジオでソロ・ピアノのレコーディングを試みましたが、恐らくどれも満足の行く仕上がりではなかったのでしょう(でも発掘音源としてリリースされたそれらは、孤独の内に本当に美しい輝きを宿している素晴らしい演奏です)、1年以上かけてようやく正式な”作品のためのレコーディング”となった「自己との対話」では、何と自分自身が演奏する3台のピアノを全編多重録音した、前代未聞の作品となっております。

「ソロ・ピアノ」というよりも「ピアノ・アンサンブル作品」と呼んだ方がいいアルバムですね。

実際に聴いてみても、低音でリズムを支える部分と高音でメロディを紡いでゆく部分、そしてそれら両方にアドリブで絡んでゆく部分と、3台のピアノがそれぞれどのような役割かは、何となく分かる仕様になっています。

音の印象としては、バラードでもアップテンポの曲でも、キラキラと砕けた宝石のような華麗な装飾音が、美しくも儚く鳴り響き、幻想的なイメージの世界へと誘ってくれる、非常に繊細な音世界であります。「スパルタカス愛のテーマ」は特に、エヴァンスのピアノの幽玄美の極致といっていいほど、深淵で壮大な詩情に溢れた、壮絶な美に溢れた演奏。

でも、やはりエヴァンスのカッコ良さは、原曲の表面をなぞっただけの”綺麗さ”ではなくて、やっぱり強い左手から繰り出される、信じ難いグルーヴによる、陶酔感でありましょう。

このアルバムには、セロニアス・モンクの曲が「ラウンド・ミッドナイト」「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」と3曲収録されていて、「ラウンドミッドナイト」はマイルスの愛奏曲でもありますし、エヴァンスもその後ライヴなどで何度も演奏している静かな曲でありますが、「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」は、モンクの調子っぱずれなピアノのユニークさが、軽快なテンポで強調された明るいナンバーなんです。

そんなエヴァンスの個性とは全く反対と言っていいこのナンバーを、エヴァンスは原曲のユニークさを壊さず演奏しているんですね。で、この2曲、特に「ベムシャ・スウィング」の左手を聴いて欲しいんです。

鍵盤、ガンガンに叩いて、びっくりするぐらい強靭な左手のリズムです。これが多重録音でガンゴン重なる展開があるんですが、この展開を耳で追っていくうちに、曲はノリノリでリズムも音色もゴツいはずなのに、何故か切なくなってくるんですよ。苦しいぐらいに何か泣けるものが胸めがけて一直線に刺さってくるんですよ。

色々聴いても、この「ノリノリで切なくさせる人」ってエヴァンスしかいません。何がどういう仕組みになってるのか未だによくわかりませんが、とにかく切ないし狂おしいし、ジワッと泣けてきちゃいます。

エヴァンスのピアノだけが鳴ってる空間で、しかもエヴァンスにしては珍しくノリノリでグルーヴィーな陶酔に満ちたナンバーも結構入っているので、いわゆる「内省的な作品」というのとは少し違います。

でも、この哀愁は聴く人をどうにも虜にしてしまいます。

いずれにせよエヴァンスの凄さ、いや、未だエヴァンスの凄さって究極的に儚い右手から紡ぎ出されるものなのか、強い左手から叩き出されるものなのか、究極的な答えは見付かりませんし、陶酔にヤラレてそんな気も起こりませんが、心の鎮痛剤としてはもう最高クラスのアルバムだと思って、この時期は浴びるように聴いております。



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2017年09月26日

ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ L.A.M.F.

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ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ/L.A.M.F.

この前からロックンロール、ロックンロールと、このブログは結構やかましく言っております。

ロックンロールというのは、1950年代に生まれた音楽で、ブルースやR&Bをベースに、更なる楽曲の速さやノリの良さを追究した、非常に踊れる&分かり易い音楽であり、当然社会現象となるほどに若者を熱狂させた音楽です。

そしてこの素晴らしい音楽は、黒人と白人のミュージシャン同士が、同じ目的(つまりキッズ達を踊らせて騒がせるという行為)のためにガッツリ手を取り合って、ひとつのジャンルを築き上げた、史上初の音楽なのです。

えぇと、厳密にはジャズもそうなんですが、またちょっと違った話になりますのでここでは省略しますね。

で、その50年代を席捲したロックンロールが50年代の終焉と共に一気に衰退して、しばらくのインターバルを経て登場したのがロックというのは、皆さんもうご存知でありましょう。

で、ロックンロールは死んだのか?全部ロックに取って代わられてしまったのか?といえば、答えは当然「No」で、70年代にも80年代にも90年代にも、もちろん2000年代を経た今現在も「ロックンロールバンド」と呼ばれるバンドは無数に存在し、文字通りリズムをロックさせ、ロールさせたりしております。

んで、重要なのがこっち。彼らは「ロックンロール」と呼ばれますが、彼らの大半がやっているそのロックンロールは、1950年代のロックンロールそのまんまではなく、実は1970年代に新しく生まれ変わって復活を遂げた、新しい方のロックンロールなんです。

ん、この言い回しが適切かどうかは分かりません。が、ロックンロールは60年代の訪れと共に確かに一度直系と呼べる音楽的な継承が途絶えて、70年代にそのスピリッツを受け継ぐ若者達によって、ジーンズや皮ジャン、そして激しく打ち鳴らされる8ビートと、大出力のアンプで歪ませたギター・サウンドと共に見事な復活を遂げた音楽なのです。

「何の話や?さっぱり訳がわからん」

と、お思いの方もいらっしゃることでしょうから、話をこのまんま続けます。

ロックがアメリカやイギリスで、めまぐるしい進化を遂げていたのを見て、そのロックの生みの親の一人であるはずの男がこう言いました。


「ロックはいいが、ロールはどうした?どこに行っちまったんだロックンロールは?」


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そう、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズです。

キースはローリング・ストーンズの中で、シンプルな3コード、単音でパラパラ弾きまくらないソロで、ロックバンドの中で「ロックンロール・ギターのカッコ良さ」というものを体現したようなギターをずっと弾いておりました。

後を引くリフ、独特のルーズな間から生まれ出る引きずるような、転がるようなグルーヴ。

言葉にすればたったこれだけのギターから醸し出される、何ともダーティーな不良のカッコ良さ。

そう、キースは70年代になってもロックに目覚めた不良な若者達の憧れであり、そんなキースを、ストーンズのロックンロール・サウンドを慕うアメリカの若者達の中で、そのサウンドやライフスタイルの継承者的存在として、ニューヨーク・ドールズというバンドが出てきました。

このバンドには、ロックから難しく面倒臭いところをほぼ省いた、8ビートに3コードという演奏スタイルで出てくる音を、とにかくやかましく、そしてグラマラスに演奏すること”だけ”に全てを捧げたような、ストレートで、ちょっとキケンなカッコ良さがあり、非常にセンセーショナルな存在として話題になったんですね。化粧もしているし。

はい、このニューヨーク・ドールズは”パンクロックの元祖”とかも言われております。その理由はまたちょっと音楽的なこととは違うあれこれが入ってくるので、ここでは省略しますが、50年代ロックンロールへの、単純な原点回帰でもない、かといって小難しくもない、独特のラフなグルーヴとやかましいギターの轟音で酔わせてくれる、新しいロックンロールを、ハッキリとした形でドンと世間に見せつけたのがニューヨーク・ドールズです。

もっといえば、このニューヨーク・ドールズのギタリストとして、そんなロックンロール・サウンドをギャンギャン演奏していて、いつの間にか存在そのものがロックンロールと呼ばれるようになったのが、ジョニー・サンダースであります。

アタシがまだ十代の頃、とある先輩に

「ロックンロールって何ですかね?」

と訊いたら

「バカヤロウ、お前ジョニー・サンダース聴け!」

と言われました。

更に別の人に同じ質問したところ

「それはジョニー・サンダースだ」

と、ほぼ同じ意味の答えが返ってきました。

二度目に質問した人は、ちょっと優しい人だったので

「チャック・ベリーとかエルヴィスとか・・・」

と、モゴモゴアタシが言うと

「うん、彼らは50年代のオリジナル・ロックンローラーだけど、清志郎とかチャボとか、とにかく今ロックンロールやってるヤツらは、みんなジョニー・サンダースから影響受けてるし、ジョニー・サンダース大好きなんだよ」

と、優しく説明してくれました。

実際その後も「ロックンロールが好きだ」という人とはたくさん会って、色々話をしましたが、やっぱりジョニー・サンダースという言葉を口にした瞬間に、少年のようにキラキラした目になったり、エンジンかかったようにアツく語ったり「あぁ・・・ジョニー・サンダースはもう絶対だよね・・・」と、憧れの目一杯入った口調で遠い目をして答える人・・・とにかくみんなにとってジョニー・サンダースという人は特別な存在なのだということを、アタシは心底痛感するに至ったのです。




1.BORN TO LOSE
2.BABY TALK
3.ALL BY MYSELF
4.I WANNA BE LOVED
5.IT’S NOT ENOUGH
6.CHINESE ROCKS
7.GET OFF THE PHONE
8.PIRATE LOVE
9.ONE TRACK MIND
10.I LOVE YOU
11.GOING STEADY
12.LET GO


数々のカリスマ的エピソードとか、やっぱりそういう人らしく、結構早くで亡くなったとか、そういう話もありますが、コレを聴くと全てがぶっ飛びます。

ジョニー・サンダースがニューヨーク・ドールズを辞めて最初に組んだロックンロール・バンド「ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ」のデビュー・アルバム「L.A.M.F.」。

どこにも何にも細工なんてない、ただ荒く、ポップで、そしてやかましい3コードのロックンロール!

最初聴いた時は「いや、これはもうパンクでしょ」と思ったし、正直に「セックス・ピストルズをもっと泥臭くして、どこか切ない感じをふんだんにまぶした音だ」とも思いました。

ジョニー・サンダースは、この頃ライヴで使ってたマーシャルの3段アンプをレコーディング・スタジオに持ち込んで、そのままギターを繋げてガーンと鳴らしてたそうです。

当時の常識では、3段アンプはライヴで音量を稼ぐのと、見た目で派手なインパクト狙いということで、レコーディングではもっと音が聞き取り易い普通の箱型アンプを使うものだというのがあったそうですが、ジョニーはそんなこと気にしません。

「ライヴでいい音出るアンプなんだから、レコーディングでも使うの当然だろ?」

とすらも、多分言ってません。そう、ロックンロール、理屈じゃないんです。

音楽的なあれこれは元より、このアルバムに入ってるのは、熱くてカッコよくて、切なくて興奮する、そういう音楽の”本質”ですよね。本質だけがむせるような質量で「これでもか!」と入ってる。1977年の作品ですが、こういうのに古いも新しいもないんです、ただカッコイイんです。ロックンロール。



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