2017年10月11日

ペドロ・サントス クリシュナンダ

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ペドロ・サントス/クリシュナンダ
(CBS/Mr.Bongo)

で、10月になって10日以上が経過しておるんですが、相変わらず汗ばむ陽気が、ここ奄美では続いております。

まーなんだかねー、こんなクソ暑いのに選挙まで始まったんじゃあうるさいし暑苦しいことこの上なくてたまんないよねー。

とかいうのが、街で会う友人知人らとの共通の挨拶のようにもなっております。

あぁ、ほんともう・・・。

と、暗くなってもしょうがないので、どうせだからまだ何となくほにょほにょしてる、この夏っぽい空気を楽しむ方向に持っていきましょう。

ブログでは久々のブラジル音楽です。

ブラジルといえば、ボサ・ノヴァが圧倒的人気を誇る昨今ですが、ボサ・ノヴァが誕生した1960年代というのは、ブラジル音楽全般でも、あらゆるところで様々な新しいサウンドが生まれ、面白い作品がたくさん残されているんです。

ボサ・ノヴァを生み出したブラジル音楽といえばやはりサンバ、そしてヨーロッパ音楽のルーツを色濃く残すショーロでありますが、そのサンバから、よりポップで活きのいいビートを強調した音楽としてMPBというのが生まれました。

1960年代、ブラジルの若者達は、洒落たバーやカフェでボサノヴァを楽しみ、更にもっと砕けたカジュアルな遊び場で、最新のMPBに合わせて踊るライフスタイルを謳歌しておりましたが、1964年にクーデターによる軍事政権が誕生し、歌詞にちょっとでも反体制的と見られるものがあったら発売禁止や投獄など
厳しい弾圧を行い、そのためボサ・ノヴァの主だった歌手や作曲家は、次々に海外へ亡命、特にアメリカへ渡った人が多く、ボサ・ノヴァは本国を離れて、アメリカでブームが起きて、やがてそれが世界的な流行へと拡大していった訳なんですね。

で、本国に残されたミュージシャン達はどうしたか?

彼らは

「おい、うっかり政府批判みたいなこと歌ったりしたらえらいこっちゃで、でも楽しみたいからノーテンキな音楽やるんやで」

と、サンバの繊細な悲壮感やボサ・ノヴァのメッセージ性をなるべく思い出させないような、イギリスやアメリカのロックなどに影響を受けた、メッセージも何もない、ただ「踊ろうぜ!楽しもうぜ!」(暴動を連想させる「騒ごうぜ」はアウト)と、ひたすら快楽的な音楽をやるようになったんですね。

この中から徐々にアメリカのサイケデリック・サウンドに影響された連中が、快楽的なサウンドに土着的な要素やサウンドコラージュなどのエフェクト音をまぜこぜにした音楽をやるようになり、これが「ブラジリアン・サイケ」として、後年愛好家やコレクターの間でカルトな人気を得るようになるんですが、その頃は軍事政権が厳しく音楽家の出入りを禁じていましたものですから、このテの音楽はリアルタイムでは外に流れず、主に国内だけで消費されて盛り上がっておったのです。

え?じゃあなんでアメリカやイギリスの音楽はブラジルでガンガン流行ったの?って?そこはほれ、あんまり大きな声では言えませんが、軍事独裁政権というのは、当時世界的な流行だった左翼革命政権とか、考え方が社会主義に近い政府が南米に出てくることに危機感を持ったアメリカがこっそり支援してたからなんですよ。

はい、大人の事情わかりました?というわけで、今日はそんな”ブラジリアン・サイケ”の面白いアルバムを皆さんにご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Ritual Negro
2.Ague Viva
3.Um So
4.Sem Sombra
5.Savana
6.Advertencia
7.Quem Sou Eu?
8.Flor De Lotus
9.Dentro Da Selva
10.Desengano Da Vista
11.Dual
12.Arabindu


パーカッション奏者、ペドロ・サントスによる、1968年リリースの、これは何といえばいいのか、トロピカルに打ち鳴らされるパーカッション、B級映画のサントラのような、壮大なのかチープなのかよくわかんない、ゴージャスなホーン・セクションが入ったファンクっぽい音楽なのかなーと思ったら、妙ちきちんなアナログシンセによる効果音に、必殺仕事人の音楽みたいなエレキギター、テープの回転数をいじって作られた、空間系ならぬ”空間歪み系”のエフェクトの数々・・・。

さながらこれは、アマゾン川流域の、すごーい奥地にある幻のリゾートホテル(結局奥地すぎて客がこなくなって倒産した)の廃墟で行われる、原住民と原住民化したヒッピーによる、トロピカル盆踊りといったところでしょうか。

ただ、欧米のサイケはファズギターとオルガンなんかがメインですが、こちらは余りにも多様な音が絶妙に入り乱れている上に、土着の楽器や土着の臭いをふんだんに散りばめた楽曲ゆえに、サイケと意識しなくてもナチュラルにサイケな音楽になっているというところがミソなんです。

最初は「すげぇ、こんな音楽聴いたことねー!」でびっくりしますが、聴いているうちに不思議な中毒性にジワジワやられて「あひゃひゃひゃ〜、これすろくいいよえー」とか言いながら聴いてしまうようになってしまいます。

とりあえず”サイケ”つってもそんなにエグくないし激しくないし、いい感じのカフェでBGMでかかっていても、シャレたDJイベントで流れてても全然おかしくないぐらいクールですが、緩やかに効いてくるほんわかした猛毒が込められている音楽ですので、良い子はぜひ聴きましょう

それにしてもこの辺の南米サイケの音盤って、昔はCD化はもちろんされていなくて、LPはン万円もするオリジナル盤を探し回ってやっと入手できるかできないかだったのに、今はCDで聴けるし、最発盤のアナログ↓も出ております。

時代は変わりましたのぅ。。。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



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2017年10月09日

アルバート・アイラー ゴーイン・ホーム

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アルバート・アイラー/ゴーイン・ホーム 〜プレイズ・スピリチュアル

(MUZAK)

秋になって、日が落ちるのが早くなってくると、いつも通っている夕方の風景が、どこか儚い憂いを帯びているように感じませんか?

そう「秋」といえば、アタシは大好きな季節なんですが、春とか夏みたいな「さぁ今日も頑張るぞー」といったワクワク感はないんです。やっぱりどこか淋しいんです。でも、その寂しさ故に音楽とか文学とか、そういったものにホロッとなる、まぁその、カッコ良くいえば詩的感情みたいなものが、心の奥底からゆっくりと顔を出しているのを感じます。

そうなってくると音楽を聴くのが、俄然楽しくなりますね。えぇ、楽しいというよりは、好きな音楽はもっと好きになったり、それまで何となく聴いていた音楽の、気付かなかった良さみたいなものに急に目覚めてハッとしたりするようになる。そういう季節が秋なんだと思います。

で、アイラーです。

アルバート・アイラーは、このブログでも、もう何度か取り上げております。

ちょっとジャズを知っている人なら「アルバート・アイラーはフリー・ジャズの代表的なサックス奏者で、とにかく過激で型破り」なんていうイメージがすぐに言葉として出てくるかも知れません。

アイラーは確かに過激です。

その過激さというのは、スタイル云々ではなく、恐らくもっと根源的な、人間の魂の奥底から湧き上ってくる衝動に、とことん忠実な過激さでありましょう。

たとえば他のフリー・ジャズのアーティストなら、モダン・ジャズという基礎をみっちりやって、それを打ち破るようなスタイルで楽曲に挑んだり、或いはそれまで習得したものを全部かなぐり捨てた、出す音そのものを無機質になるまで徹底して解体し尽くした、現代音楽のようなものであったり。

とにかく、ほとんどのミュージシャンは、それを「過激」にしようと意識して、懸命に音楽を型枠から外していこうという挑戦をやっておる。んで、演奏のどこかに冷静な意識が働いているのを見る訳です。過激にやっていようと、破壊衝動を全面に出そうと、やはり演奏というものは人に聴かせるものなので、どこかにそういった配慮みたいなものを持っているのがプロのミュージシャンなんだなぁと、アタシのような素人は思う訳なんですね。

そこへいくとアイラーの演奏、というか演奏行為には

「これをこうやって崩してみよう」

とか

「こうすればこうかな・・・」

とかいう、作為のようなものが全く感じられません。

や、いかにアイラーといえども、その超初期の頃は、有名なスタンダードをフリー・ジャズ化しようと必死で吹いておりましたし、晩年の演奏は、エレキギターや朗読なんか加えて、挙句自分ですっとんきょうな裏声を張り上げて歌も唄っておるんですが、そういうのもひっくるめて、全て”素”でやっているという感じが凄いするんです。

もっと簡単にいえば、フリーにやろうがファンキーにやろうが、R&Bのホンカーよろしくブルージーなフレーズをゴリゴリ吹こうが、テナー・サックスを持って”ブッ”と音を出す瞬間には、この人の意識はもう完全に思考とか計算とか及ばない別の領域に飛んじゃって、そこでこの世のものにあらざる精霊とかそういうものとひたすら交信をしているような、そんな図を、聴いているこっちの脳裏に深く焼き付けてくれるんですよ。

アタシはハタチそこらの頃に「最強にぶっとんだジャズ、いやこれもうパンク」としてアイラーを認識しました。今でもその認識は1ミリもブレてません。

しかし、ただ過激で刺々しい刺激だけの音楽だったら、やがて刺激に慣れてすっかり飽きてくるはずだとも思ったんですが、それは全く違いました。

アイラーの音楽には、ある特種な”やさしさ”があります。

変な話ですが、ぶっこわれたフリーク・トーンで「ギョリギョリギョリ!」と吹いても、その豊かにヴィブラートを効かせまくった音色から感じるものは、深い愛としか言えない暖かいものなんです。

そして、彼の作る楽曲もまた、フリーキーにブチ壊れた部分を脳内で上手にリミットして聴けば、童謡や唱歌なんかとちっとも変らない、シンプルで口ずさみ易い、語弊を恐れずにいえば”カワイイ”メロディーで出来ているんです。

アタシは幸いにして(?)アイラー歴2年目にしてそのことに気付きました。

で、当時の先輩とフリージャズについてアツく語りながら「いやぁ、でも何だかんだ言ってアイラーってすごく優しいですよね、そしてすごくポップ」と、うっかり知ったような顔で言ってしまったんです。

最初は

「あっはっは、そうだよなー。坂田明も”アイラーの曲を吹いてたら、段々丸くなって、最終的にはゆうやけこやけのあかとんぼのメロディーになった”とか言ってたもんなー。大熊ワタルもチンドン屋アレンジでアイラーやってて、アレがすっげぇハマッてたんだよなー」

と、笑っていましたが、急に真剣な目になり

「おぅ、そういえばアイラーが一切フリーやらねぇで、古いブルースばかりやってるアルバムがあったなぁ。アレ、オレが聴いた中で一番凄かったよ・・・」

と言って絶句しました。





【パーソネル】
アルバート・アイラー(ts.ss)
コール・コブス(p)
ヘンリー・グライムス(b)
サニー・マレイ(ds)

【収録曲】
1.ゴーイング・ホーム
2.オールマン・リヴァー
3.ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
4.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット
5.ディープ・リヴァー
6.聖者が街にやってくる
7.誰も知らない私の悩み
8.オールマン・リヴァー(take1)
9.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット(take1)
10.ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド(take5)


「何ですかそれ!聴いたことないっす!アイラーがフリーやってないってそんなのあったんすか!?」

と、アタシは一方的に興奮しまして、先輩に質問したんですが

・そのアルバムは「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」といって、80年代後半にディスク・ユニオンから出されたが、最近見ないということは、多分もう廃盤だろう(注:1997年当時)。

・オリジナルは輸入盤で、確かジャケットもタイトルも違ったような気がしたんだけど何て言ってたっけ、忘れた。

というすごく曖昧な答えしか返って来ず、でもアタシはその情報だけを頼りに、あちこちのCD屋を探して回りましたが、遂に見付けることはできませんでした。

でも、その頃はすっかりアイラーやコルトレーン、エリック・ドルフィーに夢中で「見かけたら何でも買う!」と息巻いていた時。

ある日フラッと入った中古レコード屋さんのCDコーナーで見かけた”見たことのないアイラー”を、何気なしに買って、聴いてみました。

冒頭、いきなりドヴォルザークの交響曲『家路』

そしてアルバムは「聖者の行進」や「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」など、スタンダードというよりも、古いトラディショナル・ジャズやゴスペル以前のスピリチュアル(黒人霊歌)ばかりが、一切フリーク・トーンの出てこないストレートな演奏で次々に奏でられていきます。

え・・・これ・・・?

ジャケットを確認しました。

「Going Home」

レーベルはBlack Lion・・・。

でもこれだ、これが例の「アイラーが一切フリーをやらずにブルースだけをやってるアルバム」だ!!

感動で打ち震えました。

その間もスピーカーからは淡々と、アイラーの目一杯の感傷を込めたヴィブラートが、テナー、ソプラノと楽器を時々替えても、何ら変わることない質量で、泣けとばかりにずーーーーっと迫ってきます。

泣きました。

生まれて初めて、特に悲しいことや、悔しいことがあった訳でもないのに、ただ音楽の美しさに涙腺をグッと押されたように、涙がボロボロ落ちてきました。

「うわぁ・・・何ていうんだろう。これは・・・超・・・音楽・・・」

そんな訳の分からないことを頭の中でぐるぐる回転させながらも、意志とは関係なく涙がこぼれ、胸の奥底からは、切ないような、ヒリヒリ痛むような、そしてどこか懐かしいような感情が、そんなのどこにあったんだと思うぐらい大量に溢れてきて、多分それが涙になっているようでした。

アイラーは優しい。それよりも何よりも、この音楽は一体何だ。

今でもこのアルバムはアタシの宝物です。

「アイラーで一番凄い」

先輩はそう言いましたが、アタシは、これはもう、音楽として一番深いところに響いて鳴り止まない何物かであると、今も思っております。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 19:30| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする