2017年11月10日

渦 ジャズとペプシ

昨日はちょいとお昼に時間があったので、窓を開けて寝ておりましたら、日差しが強くて何か顔がジリジリ熱い!というので目が覚めてしまいました。

・・・ほんとにね、もうね、11月ですよ奄美。

そんなことはどうでもよろしい、アタシは今日もそんなバテバテにめげずにグッド・ミュージックを紹介います。

ここんとこアレですね、秋なので感傷モードに入ってしまってピアノばっか聴いておりましたら、心の中に「あぁぁ!ロック聴きてぇ!!」という衝動が湧き上ってまいりました。いいぞいいぞ、で、何聴くよ?

と自問してみたら、導き出された答え

「うん、ロックつっても60年代とか70年代のクラシックスからちょいと離れて、最近の日本の、活きのいいバンドが聴きたいな。何つうか、こう青い勢いがあるような、そういうイカシたやつ」

ほうほう、青い勢いですかぁ。普段ロクなこと言っていないアタシですが、たまにはいいことを言うもんですな。

そんな感じで自分に感心しながら、最近のインディーバンドの音源などを「あれもいいこれもいい」と鑑賞していた折、特に心にグッときたのがコレ



あの〜”エモい”って言葉あるじゃないですか。

その言葉、今どんな意味で使われてるか、おじちゃんはよくわからんのですが、多分アタシの解釈では

「エモーショナルで内省的な、そこはかと哀愁漂うことがら」

だと思っとるんですね。

それって、そのまんま日本のロック、特に2000年以降のロックバンド達が出す音そのものだと思うんです。

で、今日ご紹介するのは”渦”というバンドです。

2015年に都内で結成されて、翌年に5曲入りミニ・アルバム『ジャズとペプシ』をリリースして、さっきの動画は今年、つうかつい来週の11月12日に(注:2017年現在)にリリースされる予定の4曲入り『ゴーグル2』
より最新の曲(「トレイラー」)なんですが、これ、いいですよ。シングルコイルのキラキラした鳴りの2本のギターが幻想を淡く紡いでゆく、パステルなサウンドカラーに繊細なヴォーカル、粘りのある音でキッチリビートを提供しながら、でもしっかり小技を効かせているベース、そして演奏の中心にドッシリあって、素晴らしくパワフルな、芯の座った音のドラム。

ほとばしるのは、淡く甘酸っぱい空気と、音楽が好きでたまんなくなって演奏をやっているその勢い。あぁ、いいねぇ、音楽ってこうだよねぇと、ジャンルやスタイルとかそういうもの以前にクッと胸が熱く押されるあの感じ。



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【収録曲】
1.ソーリー
2.愛しのインディーガール
3.ドルフィン
4.ジャズとペプシ
5.オバケは走る


実はアタシ、去年この「ジャズとペプシ」を入手して以来、ジャズを聴いてブルースのCDをセットするまでの合間に、60年代から90年代の洋楽ロックを聴いてる合間に、そう、合間合間に挟んでよく流していました。

ピュアな衝動と、優しい歌詞の世界観が、どの音楽ともすごく合うことに、ちょいとビックリ♪

”渦”現在都内中心にライヴもガンガンやっております。

イベントの情報やCDのご案内はコチラ↓の公式ページからどうぞ!
https://banduzu.jimdo.com/














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2017年11月08日

スティーヴ・キューン・トリオ スリー・ウェイヴス

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スティーヴ・キューン・トリオ/スリー・ウェイヴス
(Contact/Solid)

さて、本日は良い感じに秋の雨がしとしとと降っておりますので、引き続き”アタシの大好きな美しいジャズ・ピアノ”をご紹介致します。

あのですね、えっとですね、アタシには「雨の日はこの人を聴くぞ!」というピアニストがおりまして、それがスティーヴ・キューンという人なんですね。

コノ人との最初の出会いは、ECMというドイツのレーベルに興味を持ったことから始まります。

このレーベルは、それまでアタシが慣れ親しんでいたアメリカのジャズとは明らかに質感の違う、いかにもヨーロッパな、しんとした空気の静寂感と、ミュージシャン達による美学の結晶のような、どこまでも繊細で透明な演奏がとても魅力でした。

有名どころではキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とかチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』とか、その辺がありますが、アタシの場合は上記2枚他キース・ジャレットの繋がりで色々と知らないアーティストのアルバムを買い集めていって、クラシックの作曲家、アルヴォ・ペルトという人の『アリーナ』という、それまで聴いたことのなかったような無駄のない美と安らぎに満ちた究極の一枚を知ってからというもの、すっかりECMに夢中になっておりました。


(静謐なものが好きな方はぜひともこのアルバムを一度は聴いてみてください)


そんなこんなでスティーヴ・キューンの『リメンバリング・トゥモロウ』というアルバムと出会う訳です。

モノクロの、何の風景か分からないようなポートレイトが、いかにもジャズっぽくなくて、何かありそうな気がしてふと手にしただけだったんですが、そこで聴いたピアノは、いわゆるモダン・ジャズの演奏スタイルからハッキリと”違うどこか”に立脚している、すこぶるクールで研ぎ澄まされた美を感じさせるものでした。




ビートは現代的な感じで、ピアノのフレーズは銀色の抽象画を観ているような、音楽で確実にここではない幻想的な世界を描いているキューン。

で、その後にアート・ファーマーの『ブルースをそっと歌って』。こっちはアート・ファーマーというバリバリに王道なモダン・ジャズ・トランぺッターのバックで、端正な”ジャズ”の4ビートで上品にバッキングしていると思ったら、突如キレて雪崩を起こしたり、冷静にトランペットのソロを引き立てながら、よくよく聴くとかなりトンガッたことをやっている(でも、パッと聴きはとてもエレガントに思える)このピアノ・トリオが、スティーヴ・キューン(p)、スティーヴ・スワロウ(b)、ピート・ラ・ロカ(ds)という、最初期のスティーヴ・キューン・トリオだということを知って、これはもう運命だから、覚悟を決めてこの人の音楽と付き合うしかない。そこまで思いました。

時は1990年代後半、丁度タイミングのいいことに、我が国のヴィーナス・レーベルからも何枚か趣味のいいピアノ・トリオ・アルバムを立て続けにリリースしていたこともあって、”スティーヴ・キューン”という名前はすぐに覚えることが出来ました。

気になったら調べ上げねばならない性格でありますので、バイオグラフィ的なことも本で調べたら、

・1938年ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、ヨーロッパ人だと思ったらバリバリのニューヨーカー

・小さい頃からピアノを習っていたけれど、バリトン・サックス奏者、サージ・チャロフ(ジャズマンよ♪)のお母さんのマーガレット・チャロフという人に習っていたことから、早くからジャズに目覚める。

・10代の頃にはクラブで演奏していたコールマン・ホーキンスやチェット・ベイカーなど、ジャズの”正統派な人気アーティスト”達と共演するなど、実は根っこにはスウィング〜モダンの王道ジャズが深くある。

・このまんまプロとして”趣味良くスウィングする若手白人ピアニスト”としてデビューしても良かったけど、何故か勉強に励み、ハーバード大学に入学して卒業している。理由は「文学を勉強したかったから」。

・卒業後は恐らく文学に毒されたんだろう、1950年代末にオーネット・コールマンやドン・チェリーなど、当時”前衛”と呼ばれていたフリー・ジャズ系ミュージシャンとコンサートで共演。多分感触は良かった。本人も「人とは何か違うスタイルを打ち立ててやろう」と大いに思った。

・で、今度は「革新的なスタイルで常識を打ち破る若手前衛ピアニスト」となるつもりが、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファーランド、ケニー・ドーハム、ジョン・コルトレーン、アート・ファーマーと、やっぱり当時の王道をゆく大物達のグループに渡り歩いている。

・と、思いきや、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンのグループには、入ってすぐに数回のセッションでクビになっている。色んな話を総合すると「やっぱりサイドマンでありながら”何かを美しくブチ壊してやろう”という衝動が勝ってしまい、リーダーの指示に従わなかった」ことが原因らしい。ケニー・ドーハムはよくわからんが、アート・ファーマーはぶっちゃけいい人だったから、アルバムでも割と好きにさせた。その結果が『ブルースをそっと歌って』でのはっちゃけ。

はい、この人の前半生を一言でいえば”ニヒルなインテリの生き方”そのものでしょうね。

何だか音を聴いてバイオグラフィーを読むと、自分の中に表現のコアみたいなもんが、割と早いうちからあって、その中に絶対的な美を見出そうとして突き進んでいた。その突進はちょっとやそっとでは止まらずに(てか止まれずに)、バンドリーダーなどとはそのことが原因で対立したり、問答無用でクビになったりしたけれど、それぐらいでは僕の美への探究は収まらないんだ。なぜなら美しいものが全てだから。こんな感じでしょうね。

表現のために妥協をしない、そういうタイプですので確実に孤独に陥りがちなタイプなんですが、彼には同じような性質を持つ、心強いお友達がおりました。

それが、最初にトリオを組んだドラマーのピート・ラ・ロカたんです。

ラ・ロカについてはもうアタシ、大好きであちこちに書いてますけど、それはともかく彼もまたハッキリとそれと分かるクセを持っている人でした。で、自身も後に司法試験に受かって弁護士になるよーな人でありますので「ボクは曲げないぞー、自分に自信があるから」というような気持ちで、相手がどこの誰であろうが、ドラム・スタイルを変えなかった人ですね。

それがたまたまピタッとハマッたのがドン・フリードマンの『サークル・ワルツ』。ハマらなかったのがコルトレーン・バンドでの活動でしょう。

そう、キューンとラ・ロカは、共にコルトレーンのバンドに参加しましたが、参加してほんの少しで、キューン、ラ・ロカの順番であえなくクビにされてるんです。

これは彼らがヘタクソだったとか、センスがなかったからでは決してなくて、ワン&オンリーな自分の世界観を共に作っていけるメンバーが欲しかったコルトレーンとの相性の問題だったと思います(実際ラ・ロカとコルトレーン唯一の共演盤は、噛み合ってないけど演奏は最高にアツいもんね♪)。


で、コルレーンのバンドをクビになって、バーのカウンターで

「ロカ、君もクビになったのか」

「うん、そうだね。ライヴの後コルトレーンにさ”ピート、ちょっと話がある”って言われるから言ったらさ”分かるかい?俺は君の目指してるのとは違う音楽がやりたいんだよ”なんてジョンはモゴモゴ遠回しに言うんだ」

「そうか、奇遇だねぇ。僕ん時もそうだった。で、君何て言ったの?」

「しょうがないから”僕はスタイルを崩すつもりはありません”って言ったんだ。そしたら”そうか、わかった”つって、カウンターに僕の分のギャラとドリンク代を置いてそれっきりさ」

「一緒だね」

「うん、一緒だ。でもスティーヴ、ジョンがやりたい音楽をやりたいって言うんならしょうがないよね。思うに彼には僕の鋭角なリズムは理解できなかったんだと思うんだよ」

「そうだね、ジョンには理解できない。僕のリリシズムに溢れた哲学的なピアノも、彼には少し難し過ぎたと思うんだよね」

「じゃあ僕達が早過ぎたんだね」

「そうとしか考えられないよね、思うにジョンには罪はない」

「確かに。ところでスティーヴ、君、これから行くアテはあるかい?アート・ファーマーが一緒にどうだ?って言ってるんだよ」

「アートか、彼はジョンよりもオーソドックスな...言い方は悪いが保守的なトランぺッターじゃないのかい?」

「そうなんだが”ある程度は好きにやっていい”ってニコニコしながら言うんだな。知的でスタイリッシュなトリオが欲しいと」

「それはきっと僕達しか務まらないね」

「じゃあ行こうか」

「うん、そうだね」

と、実にポジティヴな展開から(うん、多分・汗)、彼らはアート・ファーマーの新バンドに行きました。

その時2人の隣で(うんうん、そうだ)と頷いていたのが、ベースのスティーヴ・スワロウ。

言い忘れてましたが、この人も”相当”です。

寡黙なくせに、上手に他の音と折り合いを付けながら、いつの間にかウニョウニョとアブストラクトなフレーズでもって、リズムを上手に溶かしながら、演奏全体を”どこへ行くか分からないアンニュイなスリル”の色に染め上げる変態...いや、名人です。

この3人はアレと似てます、ルパンV世のルパンと次元と五エ衛門です。

キューンとラ・ロカはルパン的なところと次元的なところを両方持つ、大胆で突拍子もない人達ですが、スワロウは間違いなく五ェ衛門です。何を考えてるかわかんないけど、することは一番おかしいという・・・。





【パーソネル】
スティーヴ・キューン(p)
スティーヴ・スワロウ(b)
ピート・ラ・ロカ(ds)

【収録曲】
1.アイダ・ルピノ
2.アー・ムーア
3.トゥデイ・アイム・ア・マン
4.メモリー
5.ホワイ・ディド・アイ・チューズ・ユー?
6.スリー・ウェイヴズ
7.ネヴァー・レット・ミー・ゴー
8.ビッツ・アンド・ピーセズ
9.コッド・ピース


とまれ、コルトレーンを経て、ファーマーを経て、3人が

ラ・ロカ「やったね、ファーマーのアルバムはなかなかいい感じだよ」

キューン「やっぱり僕達の表現の方向性に間違いはなかったんだよ、ファーマーも僕達をいい感じでサポートしてくれたよね」

スワロウ「(うんうん、そうだそうだ)」

アタシ(おいお前たち、ファーマーがリーダーのアルバムだぞ...。)

と、天然ポジティヴ最高潮になった時、ようやく満を持して”スティーヴ・キューン・トリオ”として制作/発表したのがこのアルバム。

一言で言うと「やりたい放題」です。

とは言っても、決してフリーで前衛でイケイケでバリバリのことをやっている訳ではない、3人のコンセプトはあくまでも”美”です。

キューンのピアノを中心に、どこまでも硬質で温度のない、まるで精巧なガラス細工のような透明な音楽が、奏でられ、胸が詰まるほどの香気を放ち、そして美しく散らされる。

あぁ、もうね...。何て言いますかね。

アタシは”美しいピアノ”ってのは、たとえばビル・エヴァンスや、昨日紹介したドン・フリードマンみたいに、端正込めた上質なメロディを、丁寧に丁寧に、たっぷりの詩情を絡めて紡いでゆくもんだと思っていたんです。

でもね、キューンの場合は、不意に狂気のスイッチが入って、その美しいメロディを「ガーン!」「バーン!」と破壊しちゃうんですよ。破壊とまではいかなくても、感極まった果てに執拗に同じフレーズをガッコンガッコン繰り返して、空間からどんどん血の気が引いてゆく、そして一通りの「ガーン!」が終わった後の静寂の”間”に、メロディーの残骸がキラキラ美しく舞っている。

いわばこれ”ほろびの美”です。

さっき”不意に狂気のスイッチが入って”と言いましたが、今このスリー・ウェイヴス聴いてると、キューンは最初から狂気全開にして弾いてるし、スワロウもラ・ロカも完全にそれに乗っかってて、狂気×3の完璧なヤバいコンビネーションでこれ、最初から最後まで演奏が流れてく。

ところがどっこいどこをどう聴いても「あぁ、これすごくメロディアスだ...」と、感動のため息しか出て来んのですよね。こんだけ激しく音を散らせているのに、どこにもメロディの破綻はなくて、完璧だとしか思えない。

考えてみればキューンのピアノって、この時期の「ジャズ崩すべぇか♪」な音も、ECMとかでやってた抽象幻想画な演奏も、最近のひたすら甘美なスタンダードも、一切のブレがなく、全部”美しい”の一言にスーッと着地できちゃう。”美しい”と言うには余りにも情感が過ぎて幻想が過ぎて甘美が過ぎるのかも知れませんけど、やはり一言でいえば”美しい”なんです。そう言えちゃうんです。相当に凄いことだと思うんですが、こういうのって一体何て言うんでしょう。


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2017年11月06日

ドン・フリードマン サークル・ワルツ

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ドン・フリードマン/サークル・ワルツ
(Riverside/ユニバーサル)


昨日はボビー・ティモンズ『ディス・ヒア』を皆さんにご紹介しながら、ジャズにおける”ファンキー”とは何か?ということをお話ししましたので、本日はモダン・ジャズが成熟を極めた1960年代、今度はファンキーに代表される”ノリを求めるベクトル”のジャズとは真逆の方向から”鑑賞音楽としての質を重視したジャズ”というものについてお話しましょう。

ちょいとのっけから難しいことをのたまってしまったような気がしますが、コレはつまりアレです。ノリがいいのばっかり聴いてると「あー、何かこうメロディアスなやつも聴きたいね〜」と思うのが人情で、ジャズの世界にもそういうのがあったんですね。クラブでワイワイ言いながら聴くジャズもいいけど、家で静かにレコードで楽しみたいなぁとか、はい、そういうやつです。

具体的にいえば、クラシック音楽の耽美性を、ジャズ・ピアノの表現手法に大々的に盛り込んだスタイル。

とくれば、まず思い浮かぶのがビル・エヴァンスですね。

もちろんクラシックからの影響は、戦前からジャズの中に深く食い込んでおりましたし、モダン・ジャズ黎明期には、レニー・トリスターノというパイオニアがおりますが、エヴァンスはトリスターノの”クール”と呼ばれる水も漏らさないようなストイックな表現に、情緒の甘い毒を上手に絡めて「それを求める人誰もが感動できるようなピアノ表現」というものを大成させたんです。

ジャズ・ピアノの分野では”エヴァンス以降”あるいは”エヴァンス派”と呼ばれる一群がいて、今もこの流れを汲む人達の人気は非常に高いです。良いアーティストはたくさんおりますし、良い作品も多くあります。いずれも耽美でウットリするような美しい表現に秀でた人、多くおります。

知的でカッコ良くて、心の奥底の切ない部分をヒリリと刺激してくれる、そんなジャズ・ピアノが聴きたいという方のために、本日はこの界隈を代表する人の美しいアルバムをご紹介しましょうね、というわけでドン・フリードマンです。

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2016年に亡くなるまで、スタイルを変えることなく活動していた人なので、画像検索したら近年のとっても上品な老ジェントルマンな写真がたくさん出てきます。いいですよね、いかにも芸術家という感じがそのお姿からも滲み出ていて実にカッコイイ♪

この人は”エヴァンス派”の筆頭と呼ばれるピアニストで、耽美なメロディ重視のプレイ・スタイルは正にエヴァンスとの共通点をいっぱい見出すことが出来ますが、年齢的にはエヴァンスと同世代であり、幼い頃からガッツリクラシックを学んでいる(元々ジャズではなく、クラシックのピアニスト志望だった)そのやり方をあくまで自分なりにジャズ表現として寡黙に磨いてきた人であります。

ついでに言えばこの人のピアノ、最初は「お、これはビル・エヴァンスみたいでかっこいいね」となりますが、じっくりと聴けば聴く程、この人にしかないオリジナリティの虜になってしまって、正直アタシは「うん、この人はエヴァンス派というよりは、同時代にたまたま近いスタイルでもって世に出てきたライバルと言っていいんじゃないか」と思っております。



【パーソネル】
ドン・フリードマン(p)
チャック・イスラエル(b,@〜DF)
ピート・ラ・ロカ(ds,@〜DF)

【収録曲】
1.サークル・ワルツ
2.シーズ・ブリーズ
3.アイ・ヒア・ア・ラプソディ
4.イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ
5.ラヴズ・パーティング
6.ソー・イン・ラヴ
7.モーズ・ピヴォティング

この人の代表的名盤と呼ばれ、発売から50年以上経った現在も、多くのピアノ・ファンに聴かれ続けているのが、1962年録音の『サークル・ワルツ』であります。

全編美しく滑らかなタッチで奏でられるピアノと、ビル・エヴァンス・トリオ二代目ベーシストとして活躍したチャック・イスラエルの憂いのあるベース、そしてアタシ個人的に好きなドラマーNo.1のピート・ラ・ロカの鋭利な切れ味のドラムによるトリオ編成で、えも言えぬ幻想美に彩られた世界が描かれております。

一言でいえば「知的でロマンチック」たとえば一曲目『サークル・ワルツ』、イントロからどこか物哀しいメロディが躍動しながら立ち上がる瞬間の感動や、ハイ・テンポながらもそのアドリブにはふんだんに抒情が盛り込まれていて、聴く人の意識をどこか知らない”遠く”へ誘ってくれる『シーズ・ブリーズ』、静かなイントロからベース、ドラムが入ると加速して香気を振りまいてゆく『アイ・ヒアー・ア・ラプソディ』と、冒頭3曲だけでも、「はぁ美しい、はぁぁ美しい...」が止まりません。

中盤以降もその詩情の質を高純度で維持しながら、アルバム一枚分の憧憬をじっくり聴かせるフリードマンですが、後半に無伴奏ソロで奏でられる『ソー・イン・ラヴ』がクライマックスでしょう。穏やかなイントロ、急加速するアドリブ、そしてヒリヒリした余韻を残しながら消えてゆく何か...。これぞリリシズム!と、何度聴いても感動がこぼれて上手く言葉になりません。

特に素晴らしいのが、メロディアスに展開してゆくピアノのメロディーに、ピッタリ息を合わせ、歌うようにリズムを変化させてゆく、ピート・ラ・ロカのドラムです。

ラ・ロカといえば、以前にもジョン・コルトレーンの『Live At The Jazz Gallarey』でご紹介したように、個性的な管楽器奏者との共演においては、かなり独自のタイム感で、ある意味”かみ合わないところ”が魅力だったりします。

そんなラ・ロカがアタシはもう大好きなんですけど、このアルバムでのラ・ロカ、やっぱり絶妙な”間”と空白で、独自のアクセントを付けて叩いているんですが、その”間”と”空白”が、ピアノやベースの醸す抒情に、細かいところまでピタッ、ピタッと合わさるんですよ。

エヴァンスと違ってフリードマンの音色は、硬質で情緒に流されないところなんですが、そんなフリードマンの音色とも合った、細くしなやかなドラムの音も、いや本当に素晴らしい。



個人的に、ドン・フリードマンのアルバムで好みのものといえば、このアルバムより更に得意分野である現代音楽の方に踏み込んで、冷たい音で実験的なメロディーを紡いでゆくアルバムの方だったりするんですが、それでもやっぱり『サークル・ワルツ』を時折集中的に聴きたくなって、このアルバムにしかない、ひんやりと儚い抒情に浸りたくなるのは、やっぱりこのアルバムが作品としての”特別な何か”を持っているから。そして、どこをどう聴いても「最高に美しいジャズ・ピアノ作品」として、誰にオススメしても間違いがないからだと思うからであります。
















『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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