
ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ
(BLUNOTE/EMIミュージック)
はい皆さん、2017年もあっという間で残り僅かとなっておりますが、如何お過ごしでしょう。
アタシはいつもと変わらず、働いたり動き回ったりしながら、いつもの倍ぐらいドタバタしています。
この数日、ユタ・ヒップについて書いております。ということは集中的に聴いている訳なんですが、いやぁ、こんな年末の忙しない時だからこそ、彼女のひとつひとつの音に丁寧に感情を乗せて奏で、かつしっかりとスイングしてドライブするピアノがやけに沁みて泣けてくるのです。
さて、その実力に見合ったキャリアを積むことなく、故郷ドイツから単身渡米し、名門ブルーノートに3枚の新録アルバムと、ドイツ時代に録音した1枚のアルバムをリリースしながら、2年にも満たない活動にひっそりと終止符を打ったユタ・ヒップの、今日は最後のアルバム『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』を皆様にご紹介します。
ライヴ・アルバム『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』の内容に確かな手応えを感じていたブルーノート・レコードは、1956年7月、この女流ピアニストのスタジオ・アルバムを制作を考えておりました。
が、ユタは確かにピアニストとしてはオーソドックスなバップ・スタイルの中に、秘かに光る個性を持ちながらも、アメリカではまだまだ知名度が十分とは言えず、その上ピアノ・トリオというフォーマットでは、どうにも"押し"が弱く、ブルーノートでの1昨目のスタジオ・アルバムは、人気ホーン奏者と組ませた、少し賑やかな編成で行こうということになりました。
そこで白羽の矢が立ったのがズート・シムズです。
ズートはユタと同じ歳の1925年生まれで、まだハタチそこらの頃からウディ・ハーマン、スタン・ケントンといった大物白人オーケストラを渡り歩き、王道のスイング・テナーのスタイルでは、50年代当時の若手では最強と呼ばれておりました。
ジャズのスタイルがスイングからモダン・ジャズへと劇的に進化した後の1956年になっても、ズートはスタイルをほとんど変えることなく、時代の先端でソニー・ロリンズやスタン・ゲッツら同年代のモダン・テナーのスター達とも余裕で渡り合え、かつ豊かな暖かみに溢れた音色で、バラードやブルースもしっかりと聴かせることの出来る、真の実力派でありました。
資料によるとユタとズートは同い歳で、人見知りのユタもズートとは打ち解けて「一緒に演奏出来たらいいね」と楽しく交わしていたのがきっかけでこのセッションが実現したと書かれています。
多分実際は、当時人気と実力が絶頂にあり、かつ、ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオン好みの"味のある黒いスイング感"を持っていたズートの作品を何とか作りたかったブルーノート側が
「う〜ん、ズートのレコード作りたいんだよなぁ。でもズートは今Prestigeとの契約があるし、リーダー作は無理か。・・・そうだ、ユタがズートと一緒にアルバム作りたいとか言ってたよな。丁度いいや、彼女のスタジオ盤にはホーンが欲しかったところだし、ユタ・ヒップのアルバムにズートがゲスト参加したってことにすればいいんじゃね?」
と、思い付いたんじゃあないかとアタシは思っております。
JUTTA HIPP WITH ZOOT SIMS
【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ズート・シムズ(ts)
ジェリー・ロイド(tp)
アーマッド・アブダル=マリク(b)
エド・シグペン(ds)
【収録曲】
1.ジャスト・ブルース
2.コートにすみれを
3.ダウン・ホーム
4.オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ
5.ウィー・ドット
6.トゥー・クロース・フォー・コンフォート
7.ジーズ・フーリッシュ・シングス
8.ス・ワンダフル
(1956年7月28日録音)
で、内容なんですが、そんなブルーノートの思惑がチラチラ見えるぐらいに、見事なまでにズートが主役の作品に仕上がっております。
確かにこの当時は、ピアニストのリーダー作でメンバーのサックスやトランペットが目立ってることは(楽器の性質上)よくあったし、ユタも共演者差し置いてガンガン前に出る果敢な性格ではありません。
必然的にズートは目立ってしまうんですが、実はこのアルバム、トランペットでズートのかつてのバンドメンバーだったジェリー・ロイドという人も参加した2管編成なのですよ。
でも、トランペットやピアノに比べて、明らかにズートのテナーの音が、大きめに録音されてるんですね。
ズートの音は元々太くずっしりした、存在感のある音なんですが、それを考慮してもかなり意図的に目立たせようとしている録音であります。
「さぁ、大きな声では言えないが、あのズート・シムズのアルバムをブルーノートが作ってみたよ。ピアノは売り出し中のユタ・ヒップ。何?聴いたことないって?まぁ聴いてくれ、このコはドイツから来た女の子なんだが、ホレス・シルヴァーみたいな、なかなかに力強いファンキーなプレイをするんだぜ」
と言わんばかりです。
結果として、ブルーノートの「(表向き)サイドマンのズートを全面に押し出す録音」は大成功でした。
とことん豪快で、とことん男らしい優しさに溢れた、ズートのプレイが作品全体の舵取りをして、そこにしっかり寄り添うシンプルなバッキングと、ソロの時の繊細な煌めきに溢れたユタの機知に富んだピアノ、その横で控え目ながら味のあるジェリー・ロイドのトランペット、後ろでズ太い音でしっかりとした弾力あるウォーキングを刻むアーマッド・アブダル=マリクのベース、堅実な4ビート職人、エド・シグペンのドラムが無駄なく鳴り響く、実にバランスの取れた、飽きの来ない編成の妙が終始味わえます。
どの曲もこの時代のモダン・ジャズとして、または味わいの逸品揃いのブルーノートの作品として最高の出来ですが、1曲目のブルース曲『ジャスト・ブルース』と、バラードの『コートにすみれを』が出色ですね。
『コートにすみれを』は、ジョン・コルトレーンが初リーダー作の『コルトレーン』で、ジャズ史に残る名演を残していますが
繊細な音で訥々と愛をささやいているかのようなコルトレーンとはまるで違う、ふくよかな中低域を活かし、饒舌ながら余分な装飾のない、実にセンスの塊のようなズートのアプローチもまた、ジャズ・テナーの歴史に残すべきバラード名演と言えるのではないでしょうか。
ミデァム〜スローぐらいの、聴くにも味わうにも、心地よくノる分にもこのアルバムは最高です。
ユタにとっても、この作品は恐らく上出来で、これをステップにアメリカのジャズ・シーンで華麗な活躍を続けて行くはず・・・だったのですが、ユタはこのセッションの直後に
「アメリカに来て凄い人達の凄いプレイを目の当たりにして、私はすっかり自信をなくしてしまった」
という言葉を残してシーンから消え、二度と音楽の世界へカムバックすることはありませんでした。
ユタは音楽を止めてドイツにも帰らず、ニューヨークの裁縫工場で縫い子として働きながら、絵を描いて生活していたようですが、その後幸運には恵まれず、2003年独り暮らしの粗末なアパートでひっそりと息を引き取りました。享年78歳。
50年代ジャズの、都会的なセンスに溢れた彼女の作品は、どれもそれぞれに違った良さがありますが、改めて聴くとどれも共通する、ほんのりとした、哀しみが沁みます。
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