2017年12月20日

ローラ・ニーロ モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー

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ローラ・ニーロ/モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー
(Verve/Folkways/ソニー)

「声は人間の魂の波動だから、人間の最もピュアな本質が出るんです」

と、スピリチュアル系な人に言われたら

「はぁ、そうですな。はっはっは・・・」

と言ってそのまま退散するしかありませんが、音楽を聴いていると、こういった考えにはある程度の理解が出てきます。

あのですね皆さん、”歌”って凄いですよね。

あぁ・・・、アタシが今更言うまでもありませんが、やっぱり優れたシンガーの声を聴くと魂がうち震えて、そのまんま浄化されていくんだなぁという実感というのは、スピリチュアルな人達に言われんでもそりゃあります。

そして、これも今更アタシが言わんでもなことなんですが、歌ってのは究極に言えば「上手い/下手」じゃない。どんなにお上手な人でも、全く心に響かないシンガーもおれば、その逆で「上手いなぁ」とは思わないんだけど、その声は確かに聴いてるこっちの魂の奥底に鳴り響いて、聴いた後にどうしようもなく焦がれるような感情を抱かせる人もおる。

何でだろう何でだろう?と思っていろいろ考えても「や、この人の歌にはソウルがあるんだな」という結論が出てしまう。歌ってつくづくそういうもんだなぁと。

で、アタシが好きな女性シンガー・・・はいっぱいおりますが、その中でも特別に”ソウルが極まってる人”、分かり易くいえばその声を一瞬耳にしただけで、どうにもやるせない感情に、手前の魂がヒリヒリと共鳴してしまうという人が3人おります。

一人はビリー・ホリデイ、もう一人はジャニス・ジョプリン、そして今日ご紹介するローラ・ニーロです。

ローラ・ニーロという人はアメリカの音楽の歴史において、本当に特殊な存在感を静かに放つ人であります。

その声はどこまでも透明で、たとえるなら真夜中の大海原を感じさせるような、静かな深みをたたえ、それでありながら非常にソウルフルでエモーショナルな歌唱表現。

ジャズやR&Bからの影響を大胆に取り入れた楽曲も、非常に上質なポップスでありながら、どこか微かな”陰”を、悲しい笑みを浮かべながら漂わせているような、そんな痛みと安らぎを同時に感じさせてくれる、不思議で深淵なニュアンスがあるのです。

ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、ジャズ・ミュージシャンの父親とクラシック愛好家の母親の影響で、幼い頃からたくさんの音楽を浴びるように聴き、特にゴスペルやR&Bには特別のめりこんで、高校生になった頃には自分で作った歌をレコード会社に売り込みに回っていたという、いわゆる早熟の天才。

十代の彼女から曲を”買った”アーティストの中には、60年代フォークを代表するスーパーグループ、ピータ・ポール&マリーもおります。

アタシがローラを知ったのは、丁度彼女が亡くなった1997年の事であります。

「ローラ・ニーロ亡くなったんだって?」

「え?まだ40代だよね」

「う〜ん、でも何となく早く亡くなりそうな感じあったじゃん。癌だってよ・・・」

と、コソコソ喋ってるレコード屋の先輩達の話を小耳に挟んで

「へ〜、誰だろう?」

と思い、こっそりバックルームにあったミュージック・マガジンやレコードコレクターズのバックナンバーを読んだ時、まず顔写真を見ました。

雑誌の片隅に『イーライと13番目の懺悔』という意味深なタイトルのアルバムのジャケットが載っていて、そこにややうつむき加減の色白で黒髪の女性の顔を目にして、何故か

「あ、この人は聴かねばならない」

と思ったんですね。

丁度表では「ローラ・ニーロかけて追悼しようぜ」となっておりましたので、顔を知って数分後に、ローラ・ニーロの音楽も知ることが出来たんです。

その時流したアルバムは確か『ファースト・ソング』という赤いジャケットのアルバムのレコードだったと思います。歌声が流れた時に、心はざわっと不思議に波打ったんですが、正直な感想は「え?もっとドロドロに暗い人だと思ったけど、ジョニ・ミッチェルみたいで聴き易いんだね」でした。

とりあえずその時はそれで終わり。でも、それから数日経っても、最初に聴いた時の、心の不思議な波打ちは収まりません。結局アルバム買ったんですね、先輩に「どれがいいですか?」と訊いても「どれって、どれ聴いてもローラ・ニーロはローラ・ニーロだよぉ」と笑うだけで、教えてくれないので結局最初に見て「これ」と思った『イーライと13番目の懺悔』を。

その話はまた次にするとして、真夜中、家で静かに聴くローラ・ニーロは本当に沁みました。

やはり声、声なんですね究極は。決してインパクトのある声質でもなくて、感情表現もジャニスみたいにいきなりドカッとくるタイプじゃないんだけど、その声は不思議と何だか心のささくれだってるところとか破れかけてるところに入ってくるんです。で、泣ける、何故か泣ける。しかも何か具体的な感情が湧いてきてワッと泣けるんじゃなくて、何にも傷つけられていない純粋な涙がジワッと溢れてくる。あれ、おっかしいな、俺別にヤなことあった訳じゃなくて、悲しいこと思い出した訳でもないのに何だこれ?と思いながらずっとそこに浸っていたくなる、そんな歌声だと思ったし、今もローラの声に関してはそう思ってます。




1.グッドバイ・ジョー(MONO)
2.ビリーズ・ブルース(MONO)
3.アンド・ホエン・アイ・ダイ(MONO)
4.ストーニィ・エンド(MONO)
5.レイジー・スーザン
6.フリム・フラム・マン
7.ウェディング・ベル・ブルース
8.バイ・アンド・セル
9.ヒーズ・ア・ランナー
10.ブローイング・アウェイ
11.アイ・ネバー・メント・トゥ・ハート・ユー
12.カリフォルニア・シューシャイン・ボーイ
13.ストーニィ・エンド(ボーナストラック)
14.グッドバイ・ジョー(ステレオ)
15.ビリーズ・ブルース(ステレオ)
16.アンド・ホエン・アイ・ダイ(ステレオ)
17.ストーニィ・エンド(ステレオ)
18.レイジー・スーザン (ステレオ)
19.フリム・フラム・マン (ステレオ)
20.ウェディング・ベル・ブルース(ステレオ)
21.バイ・アンド・セル(ステレオ)
22.ヒーズ・ア・ランナー(ステレオ)
23.ブローイング・アウェイ(ステレオ)
24.アイ・ネバー・メント・トゥ・ハート・ユー(ステレオ)
25.カリフォルニア・シューシャイン・ボーイ(ステレオ)


当時フリー・ジャズとかブルースの過激なやつとか、サイケのファズ轟音のやつばかり好んで聴いてたにも関わらず、ローラ・ニーロにはすっかりハマり、先輩の「どれって、どれ聴いてもローラ・ニーロはローラ・ニーロだよぉ」も、ほどなくあぁなるほどと理解できるようになります。

ローラはどれもいいんです。

繊細でエキセントリックな性格過ぎて、一時期音楽活動を中断してしまいますが、そこから復活した後のグッとジャズっぽくなったアルバムも良かった。

で、今年はそんなローラ・ニーロの生誕70周年記念らしいですね。

アタシが最初に聴いた『ファースト・ソングス』これが実は19歳のローラのデビュー・アルバムなんですが、最初Verve/Folkwaysというレーベルでリリースした後に、大手コロムビア(日本ではソニー系)に音源が譲渡されたという、多少ややこしい経緯があって、今回その”ややこしいあれこれ”をクリアにした形での、オリジナル盤と同じタイトル(『モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー』)同じジャケットで再発されて、更にボーナストラックがたくさん付いてモノラルとステレオの両方で曲が楽しめるという訳なんですが、これのモノラル、はい、凄くいいです。

内容は10代の少女のデビュー作とは思えないぐらい音楽的に成熟していて、ジャズとR&Bが高度な次元で自然に融合した、良質な良質なポップです。

ピーター・ポール&マリーに打った『アンド・ホエン・アイ・ダイ』の、爽やかな中に切々と流れる感傷の深さとか、彼女自身の弾くピアノの静謐な響きにも引き込まれる『ビリーズ・ブルース』とか、本当にどの曲も名曲と言えるでしょう。

日本では「玄人受けするシンガー」海外では「60年代から70年代の多くのヒット曲の作曲者」として、アメリカを代表するシンガーソングライターの一人とされていますが、もっともっとこの人の、聴き手の魂を優しく深淵に引きずり込んでゆく、唯一無二の声の魅力が評価されてもいいと思います。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2017年12月19日

ヒューストン・ジャンプ・ブルース


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ヒューストン・ジャンプ・ブルース

(Pヴァイン)

さて皆さん、昨日の『ジャズとブルースの隙間の話』お楽しみ頂けたでしょうか?





ここでお話したのは、1930年代から40年代の、主にニューヨークでブームを巻き起こした大衆音楽”ジャイヴ”と”ジャンプ”のことでありますが、さぁ、本題はここから(!)今日はアメリカ地図をずずずぃ〜っと下ったアメリカ南部で、1940年代から50年代にかけて大流行した独自のジャンプ・ミュージックについて語ります。

はい、勘のいい読者の方は「南部っていやぁブルースの本場だもんな」と思ったに違いありません。そうなんです、ブルースの歴史はミシシッピとテキサスから、ジャズの歴史はその中間にあるルイジアナ州の港町、ニューオーリンズからと言うように、この一帯はアメリカ大陸を席捲する全てのブラック・ミュージックの故郷。

しかし、ジャズが港町ニューオーリンズの軍港閉鎖の煽りを受けてごっそり北部の都市シカゴ、続いてニューヨークへと旅立ってからも、南部ではトラディショナルなスタイルのジャズやブルースが、依然根強く好まれており、ここで独自の音楽へと変容を遂げていったんですね。

さて、お話はブルースの一方の故郷テキサスであります。

テキサスといえばブルースの故郷であると同時に、西部開拓の一大拠点、そしてカウボーイの都として、アメリカの中でもとりわけ、良く言えば開拓当初の精神を堅持している、悪く言えばスーパー保守な土地柄として、今も半分冗談で「アメリカの中の独立国家」「南部共和国」とか呼ばれているところであり、色んな意味で独立性が高いというのは、以前もお話しましたが、これは音楽の分野ではより顕著に表れておりました。

何でかというと、メキシコに国境を接している土地柄もありましょうが、テキサスは他のアメリカ南部の州と違って、ダラスやヒューストンなど、なかなかの規模の大都市を州内にいくつか持っていたんです。だから北部の大都市との関わりをさほど持たなくても自前で何となく成り立ってしまえる。そういう強みがあったんです。

だから「シカゴやニューヨークでこんなのが流行ってるよ!」という情報が入ってきても、それを

「おぉ、都会の音楽、イカすなぁ!」

と、こぞって真似するんじゃなくて

「シカゴがニューヨークが何かちゃ!ワシらのやっとる事のがカッコ良かたい!!」

「おぅ、クラブもようけあるし人口も500万からおっとぞ!負けんわ!!」

と、何かと張り合う気持ちの方が強かったらしく、どこか強烈にオリジナルなものになってしまうというのが、テキサスから生まれた音楽の宿命でもありました。

そんなテキサスはヒューストンの土地柄から生まれたのが、ヒューストン・ジャンプであります。

これ、いわゆる都会の”ジャンプ・ミュージック”の形態(ビッグバンドにヴォーカル、そしてホンカーと呼ばれるソロでバリバリ吹くテナー・サックス奏者が一通り揃ったフルバンド)を下敷きにしたものがほぼ土壌になっておるんですが、ここでテキサス独自の楽器が大々的に主役張ります。

そう、エレキギターです。

テキサスは元々ブルースがジャズを凌ぐほどガッツリと人気を掴んで離さなかった土地であります。

ピアニストもサンタフェを中心に素晴らしい人材が多く世に出ておりますが、やはりギターの歴史は戦前のブラインド・レモン・ジェファソンが独自に切り開いた単弦奏法をエレキギターで発展させたT・ボーン・ウォーカーという巨人が出現し、またT・ボーンに影響を受けた”ソロを弾くギタリスト達”が40年代次々に出てきて音量(アンプに突っ込んだら管楽器と対抗できる音が出るというのは、当時凄まじく画期的なことでした)とテクニックを競って、テナー・サックス奏者同士のバトルと同じくエレキギター同士のバトルというものステージの目玉となる出し物でありました。

ここなんですよ、ヒューストン・ジャンプと他のジャンプ・ミュージックとの決定的な違いというのは(!)。

はい、その違いを決定的に裏付ける人物が1940年代に”Tボーン・ウォーカーのライバル”として現れました。

ジャジ―で洗練されたフレージングで聴衆を魅了していたTボーンに多大な影響を受けながら、あくまで南部の荒くれだったワイルドネスを表現のコアとして、ギャリンギャリンにトンガッた音で弾き倒す、ルイジアナ生まれのクラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンその人であります!

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(見よ!このワルそーな顔!!)


ゲイトマウスのド派手で攻撃的なギター・プレイは、フルバンドの凶暴なホーン・アンサンブルにも負けない音の強さと存在感を放っておりました。ヒューストンで活躍するバンドマン達はこぞって彼のスタイルを真似し、また、バックバンドもコッテコテのブルースギターやブリブリのホンク・テナー、ガンガンなブギウギ・ピアノに合わせた、極端に弾むタテノリのシャッフルビートを、聴き易さより扇情的なノリに特化した形にどんどん研ぎ澄まされて、これが”ヒューストン・ジャンプ”となって行ったのです。





ゲイトマウス・ブラウンの初期ピーコック音源は、そんな感じのモロにゴキゲンなヒューストン・ジャンプ・サウンドであります♪


さて、この”信じがたくアグレッシブ”なギタリスト、クラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンとその周辺で発展したヒューストン・ジャンプは、曖昧ではなくハッキリとその後のロックンロールに直接の影響を与えます。 何せビートも激しいし、サウンドも”大きいことはいいことだ”とばかりに派手でギラギラしております。

ヒューストン・ジャンプはテキサスだけじゃなく、ルイジアナやミシシッピといった南部一帯で大人気でした。ティーンエイジャーだったエルヴィスも当然ヒューストン・ジャンプの疾走するビートには大きく感化されたことでしょうし、この辺の影響を語るとキリがありません。



さて、この狂乱の音楽は多くのスターを生んでおりますが、ロックンロールの分野で有名なのが何といってもビッグ・ジェイ・マクニーリー



そして後にアトランティックの専属として、アレサ・フランクリンのバックバンドや70年代は多くのジャズファンク名盤を残したキング・カーティス。



この辺の超の付くテナー・サックスの名手もヒューストン・ジャンプ出身で、いずれも野太い音でエレキギターと張り合いながらブリブリゴリゴリ言わせておった。




【アーティスト/収録曲】
1.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Boogie In The Moonlight
2.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/I’ll Be There
3.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Hey Hey Little Girl
4.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/If You Don’t Want My Lovin’
5.キング・カーティス/unknown instrumental
6.キング・カーティス/unknown instrumental
7.クイン・キンブル/Blue Memories
8.クイン・キンブル/Feel My Broom
9.ラッキー・イーノイス/Zig Zag Ziggin’
10.ラッキー・イーノイス/Crazy Man Crazy
11.クラレンス・ガーロウCrawfishin’
12.クラレンス・ガーロウ/Route“90”
13.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
14.コニー・マクブッカー/All Alone
15.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
16.ペパーミント・ハリス/Bye Bye Fare Thee Well
17.プリーチャー・スティーヴンス/Whoopin’&Hollerin’
18.プリーチャー・スティーヴンス/So Far Away
19.マーシー・ディー/True Love
20.マーシー・ディー/Come Back Maybellene
21.キング・カーティス/unknown instrumenta
22.キング・カーティス/unknown instrumental
23.ペパーミント・ハリス/The Blues Ain’t Nothing


という訳で、我が国で編集されたアルバムの中では最も"ヒューストン・ジャンプ"という音楽がまとまった形で聴く事が出来るアルバムがコチラ。

モダン/RPM/フレアといった1940's〜50'sの南部のイカしたブルースの、ジュークボックス・ヒット狙いのシングル盤をザクザク出していたレーベルの、アルバム未収録のレア曲ばかりを我が国のPヴァインが掘り起こして編集したという凄いコンセプトのオムニバスであります。

「レア音源集」といえば、マニア向けで初心者にはちょっとアレなんじゃないの?とかの心配は、この辺りの音楽にはご無用と思ってください。

何てったってアレンジだの編成だの知名度だの、そんな小難しいことなんかよりもノリと熱量が全てのヒューストン・ジャンプ。聴けば楽しく踊れる明快な曲ばかりであることをまず保証致します。

立役者のクラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウンこそ入ってはおりませんが、その変わり目玉として入っているのが、若き日のキング・カーティス絡みの9曲(!)、録音データを見ると1952年と53年ですから、何とコレ、カーティスがまだハタチになるかならないかぐらいの時期の、間違いなく超初期の掘り出し物。

前半はメルヴィン・ダニエルズなるシンガー/ピアニストとの5曲、後半は自身のバンドを率いての「タイトルなし」のインストが4テイクなんですが、まずメルヴィン・ダニエルズの甲高くパンチの効いた唄いっぷりが豪快ですね〜。

ピアノも丸みとそれなりの重みのある音で、ガラゴロとロールしていて、このピアノだけでもかなり聴かせるブルースになってると思いますが、ドサッぽいカーティス・バンドのモワモワしたノリが、むせ返るほどに濃い熱気で相乗効果。

続くカーティス・バンドのインストは、カーティスの一本気なパワフルブロウもいいけれど、横でいい味出している謎のバリトン・サックスの醸すロウダウン&ロッキンなノリがたまりません。

その他の収録は、コニー・マクブッカー、マーシー・ディー、ペパーミント・ハリス、クラレンス・ガーロウ、ラッキー・イーノイス、プリーチャー・スティーヴンスと、およそ一般の音楽ファンには馴染みのない名前が並びますが、皆さん、ヒューストン・ジャンプの醍醐味はむしろここからですぞ!

ここからは、キング・カーティス絡みのトラックでは聴けない、ヒューストン・ジャンプがヒューストン・ジャンプたるゆえんの"エレキギターとホーンのえげつない絡み"がもうふんだんで、いやぃエグいエグい。

ヒューストン・ジャンプではこの人アリ!と言われたギター名手にカル・グリーンという人がいて、この人は後にソウル・ジャズ/ジャズ・ファンクの、いわゆる"コテコテ"ものの世界でも知る人ぞ知る存在になるんですが、このカル・グリーンが参加してるのがクイン・キンブルのFG、コニー・マクブッカーのLMNで、特にFでのフルバンドを向こうに回して炸裂するワイルド過ぎるギター弾き倒しは、アルバート・コリンズを通過してスティーヴィー・レイ・ヴォーンにまで突き抜ける、テキサス・ギターの魂の系譜が一気に脳裏に拡がるかのような名演です。

そうそう、コニー・マクブッカーも忘れちゃならんヒューストン・ジャンプの偉大な立役者の一人で、何とB.B.キングのバックバンドにいて、名ピアニストとして名を馳せた人でありんす。

ルイ・ジョーダンの都会派ジャンプ・サウンドに憧れたB.B.が、ヒューストン・ジャンプの大物をバックに従えていたという、ブルースの骨太な歴史の一幕にも思いを巡らせたところで、ねっとりべっちょりしたクセだらけのヴォーカルの味わいと、狂ったテンションのバンドのノリも素晴らしいペパーミント・ハリスや、素性が全く解らない正真正銘の"謎のシンガー"、プリーチャー・スティーヴンスの破壊力ハンパないシャウターぶりに、チャック・ベリーの『メイビリーン』のほとんどカヴァーといっていい『カムバック・メイビリーン』でのポップな中に死ぬほどグルーヴィーなテキサス・ピアノの真髄を噛み締めるマーシー・ディーと、ホントこのアルバム全編ゴキゲンで、退屈させてくれません。


その昔先輩に

「ヒューストン・ジャンプって何ですかね?」

と訊いたら、一言

「ノリだよ」

と言われて「???」となりましたが、いや、わかる、わかります。全てがノリとイキオイな、歪んだギターと吠えるテナー・サックスと、狂ったテンションでズダスダ言ってるビートだけで説明が付いてしまう。

ジャンプ・ミュージックっていうのは確かにジャズとブルースの融合で、両方のオイシイところが上手くブレンドされた音楽ですが、ブレンドされてから無駄なものがものが全部吹っ飛んだ感が物凄くあります。

「ジャズとブルースの間」を、特に日本で教えてくれる本やサイトは少ないけれど、聴いてみると本当にその部分には楽しくてゴキゲンな音楽いっぱいあるし、こりゃあ聴いて楽しまなきゃ損なんです。皆さんレッツ・ジャンピン・ジャイヴ!





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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posted by サウンズパル at 20:25| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

ジャズとブルースの隙間の話(スウィングからジャイヴ〜ジャンプ・ミュージックへ)



さてさて皆様、数日ぶりのご無沙汰でございます。12月というのは公私に渡って何だかんだと忙しくていやですねぇ。ブログをじっくりと書く時間もままならず、ヤんなっちゃいます。

さて、この何日か『ブルースとジャズの隙間問題』について色々と書いてきました。

サクッとまとめれば「ブルースとジャズの間にある音楽って凄くカッコイイし、有名じゃなくてもグッとくるものが多いから、聴かない手はないんだぜぇ」ということです。

ほんで、特にブルースやR&Bをその表現の核にしたテナー・サックス吹きのやつはカッコイイんだよね。ということで、バディ・テイトの叔父貴のアルバムを2枚紹介しました。

そこから読者の皆さんとあれこれと「ブルースとジャズ」の話で盛り上がって、ジャンプ・ブルース、或いはジャンプ・ミュージックはいいぜ!という話にもなりまして、なるほどジャズとブルースの丁度中間のイカした音楽といえばジャンプやジャイヴってことになりますなぁと。


とまぁいきなりそんなことを言われても何のことだぁ?とお思いの方も例によってたくさんいらっしゃることと思いますので、本日はちょいと過去に書いた関係アーティストの記事のリンクちょい多めでお届けしますね。

はい、それではジャンプやジャイヴって一体何なのさ?それって面白いの?ということにお答えしましょうね。

時をさかのぼること今から80年ぐらい前の1930年代、この頃はジャズでいえばビッグバンド全盛で、いわゆるスウィング・ジャズがニューヨークやシカゴなど、都会のクラブを中心に盛り上がっておりました。

そしてブルースはいわゆる「戦前ブルース」の時代。

アメリカ南部ミシシッピからメンフィスやセントルイスを経由して北部の大都市シカゴに移住したブルースマン達が、独自の洗練されたバンドブルースを奏でていたり、テキサスやルイジアナから西海岸の大都市であるロサンゼルスやサンフランシスコに移り住んだ人々が、ウエストコースト・ブルースという一派を形成したりして、こちらも盛り上がりを見せておりました。

この時代既に聴衆の間では

・ジャズ=都会の高級なクラブで盛装した楽団が演奏するもの

・ブルース=都会ではクラブで、クールなスーツに身を包んだブルースマンが演奏していたが、田舎の方では農場にある安酒場や路上でも聴ける音楽。

というイメージが大体根付いておりました。

これらのイメージは大体その通りなんですが、実は1920年代に普及したレコードがそのイメージを固定することと大きく関係しています。

今でもそうですが、ジャンルというのは音楽を売る時に、レコード会社などに説明の手間を省かせるとっても便利なものなんです。だからレコードを買う人達の階層に応じて「ジャズ」「ブルース」と、あらかじめカテゴライズしておけば、売り出しの時に中身の解説やアーティストの説明をすればいい。

お客さんも「これは何のレコード?」と訊けば店員が「それはジャズですよ」「あぁそうかジャズか、ブルースないの?」という具合に売る時に分かり易いやりとりが出来るってもんです。そんな訳でこの時代に「ジャンル分け」という概念がぼちぼち制作や販売の現場から出てきて、それがアメリカ全土に広まっていきました。

でも、現場ではそんな簡単に棲み分けなんか出来る訳がないし、何よりも演奏している当の本人達は、ほとんど商売の便宜上作られたジャンルとかは、実はそんなに意識もしておらず、ビッグバンドのシンガーとしてブルースマンが歌ってたり、ブルースのバンドがジャズらラグタイムの曲をフツーに演奏してて、で、現場で聴いてる人達も実は細かいことはあんま気にしてなかったという話だったりします。

ただ、面白いことに、この時代ブルースマンが小人数で演奏していると「もっと派手な編成で賑やかな曲やってくれよ」「田舎臭いのはやるなよ、ここはシカゴ(ニューヨーク)だ!」と注文が付いたり、ビッグバンドが真面目なインストナンバーばかりをやっていると「もっと歌入りの面白いのが聴きてぇよ」と、言われることはよくあった。

だからビッグバンドのバンドリーダーたる者、常にお客さんを楽しく笑わせる事に全力を尽くさねばならない。今やジャズの神様と言われ、まるで伝説の聖人のように扱われておりますデューク・エリントンですら、1920年代から30年代は、ギャングの経営する高級クラブに集うセレブな客を楽しませるために、コミカルな曲を作ったり、土人の恰好をさせた役者やメンバーに寸劇をさせたり、際どい衣装の女性ダンサーのバックを務めたり、そらもう涙ぐましい努力をしておりました。

そんな中で、エリントンと同時代のほぼ同じ現場で「コミカルで質の高いエンターテイメントならコイツだろう」と、グングン台頭してきたのが、キャブ・キャロウェイです。



キャブはダボダボの珍奇なスーツにシルクハットという、いかにも胡散臭い見た目でステージに上がり、ステージに上がればコミカルな楽曲と黒人スラングを多用した奇妙奇天烈な歌詞を独特の早口でまくしたてる。

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そんなコミカルな歌と(白人がバカにする)”黒人らしさ”をわざとディフォルメした大袈裟な振りでお客さんを笑わせつつ、キッチリとスウィングする完璧なバンドアンサンブルと、洗練を極めたタップダンサーのパフォーマンスなどで”聴かせる”“見せる”ことに関しても完璧でした。

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で、実はこのキャブ・キャロウェイが使ってたスラング多用の歌が、仲の良い黒人同士がかなりキツいスラングでもってからかい合う”ダズン”を発展させた”ジャイヴ・トーク”(からかいの会話)を、そのまんまスウィング・ジャズのリズムと結び付けたものだったんです。

おぉ!1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で誕生したと言われるラップ(ヒップホップ)のルーツは、更にその50年ぐらい前のニューヨーク・ハーレムにあったのか!!

と、アタシは喜びましたが、皆さんはどうでしょう? あ、今少しだけ「イェ〜イ」って声が聞こえました。ありがとうございますありがとうございます。誰も反応してくれなかったらどうしようかと思った・・・。

さあ、これは実に面白い。

何てったってキャブがニコニコしながら白人のセレブ〜な客に向かって大袈裟な身振り手振りでまくしてているのを見て、セレブ〜な客たちはハーレムの黒人スラングなんか分かんないから

「あっはっは、あのおかしな黒人野郎が何かわかんないこと言ってるよ」

と、笑っておったんですが、実は彼らこそがキャブに面と向かって

『お前をヤク漬けにして〇▲×☆ブチ込んで*△◎しちまうぞー』

とかいう、ホントどうしようもないことをしれっと歌われてディスられておった訳ですから。

とにかくまぁキャブ・キャロウェイは面白いぞということで、ハーレムの”面白い方の王者”として君臨しました。当然キャブみたいにやろうというバンドは増えてきます。

という訳で、ニューヨークではこのお下劣でどうしようもない”ジャイヴ・トーク”を歌うスウィング・バンドが増えました。これに合わせてダンスをするのも流行り、現在社交ダンスでも使われている”ジャイヴ”というダンスの名前もここから生まれたんですね。

しかし、流行になってくると、みんなが”ジャイヴ・トーク”の内容を段々理解してくる。かなり下品で際どいことを言っておったのが、内容がバレるとひんしゅくを買うどころか、ヘタすりゃそのまま雇い主のマフィアにかっさらわれて殺されることにもなりかねんのです。

なので歌詞も徐々にソフトになり、具体的な下ネタは男女のコミカルな痴話喧嘩程度の内容になり、ジャイヴのノリも徐々に洗練されたものになっていきます。

当然そうなってくると乱痴気騒ぎがしたい聴衆やミュージシャン達には不満が蓄積されます。特に都会の観客も、黒人層は「オレ達もっと激しく踊りたいぜ。お上品なスウィング・ジャズなんてまっぴらだ」と、もっと肉感的な、野性味に溢れた音楽を欲するようになります。

これが1930年代半ばの事で、ここでスウィング・ジャズの分野では、ニューヨークの洗練されたスウィングとはまた違った、ブルースの味付けが濃厚で、都会の聴衆が求める”跳ねるビート”を持った楽団が、中西部カンザス・シティからシカゴを経てニューヨークにやってきます。

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そう、カウント・ベイシー。

細かく言えばキリがありませんが、ベイシーの持ち味は「難しいこと抜きで、単純にリズムに乗ろう」というものでした。

1936年にリリースした『ワン・オクロック・ジャンプ』という曲が、ベイシーが世にその名を轟かせるきっかけとなったヒット曲ですが、皆さんこれどうでしょう。



リズムがシンプルに「ズ、チャッ、ズ、ッチャ♪」で、ソロも非常に分かり易く、変に凝ったコード展開もなくて形式は”ブルースの早いの”と呼んで差支えないと思います。人によっては「これ、ほとんどロックンロールだろ!?」という人も居て、その推察はあながち間違いでもありません。

1930年代後半にもなってくると、ビッグバンドのスウィング・ジャズが芸術性の高いものへと洗練されてゆく一方で、こういったシンプルな、分かり易いノリのジャズが凄くウケた。

実はこれ、都会では見向きもされなかったブルースのノリなんですね。

ベイシーが活動してたカンザス・シティは地方都市で、そういった所ではブルースやジャズの垣根がまだ建っておらず「とにかくノリたい」「踊りたい」という聴衆の求めに応じて楽団は小難しい事を極力排除したタフで直球なダンスビートを夜な夜なクラブで提供しておった。

こういったのが、ニューヨークやシカゴの大都会では、逆に新鮮だったんです。

ブルースの分野では、1940年代後半のシカゴで、洗練されたブルースの様式(いわゆる”ブルーバードビート”というやつ)に飽きた聴衆が、マディ・ウォーターズらの、南部直送のデルタ・ブルースを電気楽器で新しく味付けしたブルースに飛び付きます。

時期は若干違いますが、ニューヨークのジャズ・シーンとシカゴのブルース・シーンでは、同じような”回帰と発展ごちゃまぜのカオス”が求められてたんです。

さて、ベイシーの『ワン・オクロック・ジャンプ』を聴いて「オレらもあんなイキのいい音楽やりたいぜ」と思う若いジャズマンはたくさんおりました。

その中で頭角を現したのが、エリントンと並ぶ人気を誇っていたチック・ウェブ楽団から、エラ・フィッツジェラルドという人気シンガーを連れて独立を画策したためにクビになったルイ・ジョーダンというギョロ目の男。




彼はニューヨーク一流のビッグバンドのアルト・サックス奏者でありましたが、生まれは南部アーカンソーという、実はドロドロに濃いブルースのルーツを持つ男です。

ベイシーの”ジャンプするビート”を聴いた彼は「あ、コレはオレがガキん頃みんなが踊ってたあの感じだな」と、恐らくすぐにピンと来たことと思います。

キャブ・キャロウェイが打ち立てた”ジャイヴ”のコミカルさに、カウント・ベイシーが地方から持ち込んだ”ジャンプするビート”を巧みに結び付けたジョーダンは、深刻さを極力排除した”歌”を演奏の真ん中にズドンと置き、ブルースのシャッフル・ビートをリズムの真ん中で弾ませたヒットを連発。

また、歌詞の中でも”ロッキン”や”ジャンプ”という言葉を頻繁に使い、彼の周囲では次第にこの語を冠した”ジャンプ”というブルースの一形態が成立して行くのです。

この一連の30年代から40年代に流行したジャイヴやジャンプを総称して、今現在”ジャンピン・ジャイヴ”と呼ばれております。


ふー(汗)

今回は「ジャイヴとジャンプ」の成立について、前知識として解説しました。

次回はその流れが南部で独自の動きとなって炸裂した”ヒューストン・ジャンプ”を解説しますよー。つうかアタシはヒューストン・ジャンプについて長々語りたかったんだ。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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posted by サウンズパル at 19:23| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする