2017年12月13日

ジミー・フォレスト ナイト・トレイン

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ジミー・フォレスト/ナイト・トレイン
(Delmark/Pヴァイン)

そもそもジミー・フォレストという人を知ったのは、確か1998年だか1999年度版の「Pヴァインレコードカタログ」でありました。

あの頃といえばインターネットなどあんまよく知らないし、ケータイすらも持ってなかったので、情報といえば雑誌か本、そしてレコード屋さんに置いてある無料の冊子やチラシの類です。

特にレーベルが出しているカタログは、貧乏人には凄く有り難かったんですよ。アーティスト名/タイトル、値段や収録曲の他に、下の方に内容紹介の一口コメントが大体書いてある。

カタログをパラパラっと開いて、知ってるアーティストのアルバムなんかは「そうそう、そうなんだよね〜」と納得してニンマリやってましたが、重要なのはむしろ知らないアーティストの聴いたこともないアルバムの類で、カタログに載っている一口コメントを読みながら想像を膨らませ、ワクワクドキドキしながら購入してみる。なんてことの繰り返しが、今にして思えばアタシの音楽生活に素晴らしい実りをたくさんもたらしてくれました。

特にお世話になったのが、ブルースや洋楽ロックのヴィンテージな再発盤などをリリースしてくれる日本のインディーズレーベルのカタログ達。

その頃はブルースにドロドロのめり込んでいた時だったので、良質なブルースや、ブラック・ミュージック全般のリイシューに本気のPヴァインのカタログは、もう毎年カネ払ってでも欲しいけど、タダ!?ラッキー!ぐらいのバイブル的なもんでした。

ほいでもってPヴァインのカタログを眺めているとジャズのページもあります。

そのページが、アタシの知らない人達の作品がズラッと並んでて、いやこれは凄いと思って夢中で読んでおりました。

どんなのがあるんだろうと思ってコメントを読んでいたら、そこは流石に良質なブラック・ミュージックの牙城だけあって「コテコテ」「黒い」「タフな」「ソウルフル」と、コチラの心をくすぐるワードがじゃんじゃん表示されている。

ほほぉ、これは何か一枚買わねばならないなと思い、真っ先に目印を付けたのがジミー・フォレストなるテナー奏者の『ナイト・トレイン』というアルバムでした。

だって、ジャズのところに載っているのに「R&Bヒットとなった」と書かれてるんですよ。これは気になる!しかもレーベルを見ると、ジュニア・ウェルズやマジック・サム、ビッグ・ジョー・ウィリアムスなんかのシカゴ・ブルース名盤を多く出しているデルマーク・レコード。

聴いてみたら、まず曲がどうとかアドリブがどうとか、そういう細かい事はさておきで、何よりそのズ太くてタフなブルース・フィーリングの塊のようなそのテナー・サックスのサウンドと、いかに1950年代初期の、たとえばラジオとかジュークボックスから流れてきたら最高にカッコイイだろうなと思わせる音色がたまんなく響きました。

そう、これです。

いわゆるメジャーなレコード会社から出されているモダン・ジャズは、ブルースに比べて音質が良かった。

そりゃもちろんいいことなんですが、何となくブルースとジャズ、行ってみれば非常に近い所にあって、当時のクラブでフロアを熱狂させていたであろう二つの音楽の、近いようで何だか遠い距離感みたいなものを、アタシはちと感じておったので、この音色と、このストレートな演奏の良い意味でのB級感がドンピシャリでハマッた訳です。

1920年ミズーリ州セントルイス生まれ、南部と北部の中継地点であるこの街で、行き交う人々を楽しませていたブルースを少年時代から目一杯浴びて、やがて都会に出て一流のデューク・エリントン楽団や、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィスも居たことのあるジェイ・マクシャンのオーケストラでその実力を認められ、40年代後半のモダン・ジャズ誕生のきっかけとなったビ・バップには目もくれず、セントルイス仕込みの強烈なブルース・フィーリングを染み込ませた、スウィング仕立ての豪快な吹きっぷりを手前のたったひとつの武器に、時に若いヤツらが好きなR&Bで大胆にブロウをかましながら、生き馬の目を抜くジャズ・シーンを生き抜いた男、いや漢。う〜んカッコイイ。




【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
チャウンシィ・ロック(tp)
バート・ダブニー(tb)
バンキー・パーカー(p)
チャールズ・フォックス(p)
ハーシェル・ハリス(b)
ジョニー・ミクソン(b)
オスカー・オルダム(ds)他

【収録曲】
1.Night Train
2.Calling Dr.Jazz
3.Sophisticated Lady
4.Swingin’ And Rockin’
5.Bolo Blues
6.Mister Goodbeat
7.Flight 3-D 
8.Hey Mrs.Jones 
9.My Buddy (Previously unissued)
10.Song Of The Wanderer
11.Blue Groove
12.Big Dip
13.Begin The Beguine (Previously unissued)
14.There Will Never Be Another You
15.Coach 13
16.Dig Those Feet (Previously unissued)
17.Mrs.Jones’ Daughter (Previously unissued)


【録音年:1951】



もうこういった人に関しては「語るより聴け」の方が早いんでサクサク紹介しちゃいます。

昨日の『アウト・オブ・ザ・フォレスト』に続きまして本日ご紹介いたしますのは1950年代初頭、ジミーがエリントン楽団を卒業して「男一匹食っていくための仕事」としてせっせと録音してはリリースしていたシングル盤を集めたアルバムであります。

どの曲もシングル盤(当時はSP)に収まる長さの3分ちょいぐらいの演奏時間で、ストレートなジャズありR&Bあり、当時流行っていたラテン風味あり、コク豊かなバラードありで、しかもどの曲でも変わらないタフなブロウが楽しめるって言うんだから、これはジャズファンもブラック・ミュージック好きも聴いて楽しまなければなりますまい。

冒頭を飾るのは1952年のR&Bチャートで、インスト曲ながらヒットして堂々1位を獲得した『ナイト・トレイン』。

R&Bというより、これはゆったりとしたテンポの(リズムに若干ラテンのテイストが入っとる)ロッキンなブラック・インストゥルメンタルってノリですね。

覚えやすく印象に残るリフが中心になって、テナーがゴキゲンに鳴り響くんですが、このテナーのアドリブは、主旋律をほとんど崩さず展開する実にシンプルなもの。

イェ〜イと聴いてたら、あっという間に終わってしまうので「え?もう?」とはなりますが、いやいや、このシンプルさ、分かり易さ、そして大きくたゆたうなだらかなグルーヴが醸すノリやすさが3拍子揃ったからこそのヒットなわけで、ジャズとかブルースとかそういう枠組みを外して単純に黒いノリのエンターティメントとして聴けば、この曲噛めば噛むほど味わいが出てくるスルメのような曲でして、だからこそ後年はオスカー・ピーターソンをはじめとする色んなジャズマンにカヴァーされてというのも納得。

そして実はこの曲は、ジミーのオリジナルではなくて、親分だったエリントンの「Happy Go Lucky Local(のろまな鈍足列車)」という曲のカバーだったりするんですね。

エリントンが「ディープ・サウス組曲」という曲を作ったその一部を構成するスロー・ブルース・ナンバーで、まぁどういった経緯でジミーが演奏することになったのかは分かりませんが、もしかしたら

「親分、あの曲ワシ録音してもいいですか?」

「あぁいいよ、おめぇはそういえばセントルイスの出身だったな」

「へぇ」

「ならブルースは得意だろう、最高にディープな演奏をやっとくれ」

「へい、頑張ります」

みたいな会話もあったんじゃなかろうかと想像するのも楽しいですな。

このアルバム『ナイト・トレイン』だけでなく、『アウト・オブ・ザ・フォレスト』の一発目でやっていた名刺代わりのスロー・ブルース『ボロ・ブルース』の(多分)初演ヴァージョンや、ストレートアヘッドなジャズをやらせても確かな実力と安定したテクニックを感じさせる『ブルー・グルーヴ』『スウィンギン・アンド・ロッキン』コーラス・グループが明るく歌うラテン風R&Bの『ヘイ・ミセス・ジョーンズ』、ブルージーなバラード表現にどことなく気品を感じさせる見事なバラード『ソフィスティケイテッド・レディ』『マイ・バディ』など、一本気でいて本当に芸の幅が広い、しかも全部の曲のアドリブを、3分ちょっとの中でピシャッと収めるセンスの良さ(タフネスばかりじゃあないんだぜ)も際立った職人芸に惚れ惚れします。

1940年代後半から50年代初頭の、まだジャズとブルースが完全に分かれていなかった頃の、何とも幸福な空気感はもちろんアルバム全体に漂っていて、繰り返しますが曲がどうのとか演奏のこの部分がどうのよりもまず、その空気感に触れて欲しいアルバムです。

まとめると「まぁそんなことよりコイツを聴きながら飲む酒は最高だぜ」の一言に尽きるんですが、飲めないアタシに変わってどなたかこのアルバムを聴いてそれを証明する記事なり書いてくださればと思います。

この辺のジャズ、本当に味がありますよ〜♪





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2017年12月12日

ジミー・フォレスト アウト・オブ・ザ・フォレスト

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ジミー・フォレスト/アウト・オブ・ザ・フォレスト
(Prestige/OJC)

「ジャズはブルースを元にしているよ」

とはよく言われます。

なるほど、確かにジャズっていうのは黒人音楽特有の、シンコペーションとか、ブルースやるには欠かせないセブンスコードとかをもっと難しくしたよーなコードを使ってるし、曲だってブルースを下敷きにしたものが結構多いから、これはブルースの子孫だわい。

とは思います。

しかしアレですね、戦前のスウィング・ジャズの時代からすれば、ジャズは物凄いスピードで、高度で理知的な音楽、え?ジャズっすか?カッコイイけどアレっすよね、大学で理論とか勉強しないと演奏出来ないんでしょ?難しいっしょ?みたいなイメージを勝手に持たれるようになってしまい、一方のブルースといえば相変わらず「黒人の渋いオッサンがイェ〜イ」みたいなイメージで、この40年ぐらい安定して固定されてしまい、特に我が国においては、変な先入観とか固定観念とかナシで、両方を素直に「あーたのしいなー」と楽しむのって、かえって難しいような感じがせんでもないです。

ということをですね、アタシはブルースにドハマりして、別の路線(フリージャズ)から、ジャズの方にもズブズブのめり込んだハタチそこらの時に思っておったんです。

雑誌なんかでもジャズの人達は「評・論・家!」って感じで、紙面はその人達の、どうにも聞き覚えのない固有名詞や音楽理論用語のオンパレードで、アタシみたいなチンピラにはもうおっそろしくて、すいませんすいませんと言いながら読んでましたねぇ(慣れてくると、その中にも楽しく分かり易くジャズを教えてくれる人もたくさんおることに気付きました)。

で、大きなCD屋さんとか行っても、ジャズはクラシックの近くだったりするんですよね。『ジャズ/ブルース』じゃなくて『ジャズ/クラシック』なんです。不思議なことにこれはどこに行っても。

で、『ジャズ』のコーナーというのは、ロックとかソウルとかJ-POPとか、そういう世俗の音楽とは違うんだぞとばかりに、シックな茶色い柱とかあるコーナーに隔離されてたりするんですよねぇ。えぇ、東京って怖いところだなぁと思いまして、最初の頃は空気に圧倒されてすごすごと何も買わずに帰ってきたりとかしてたんです。

何が言いたいのかと言うと、とにかくどこへ行っても「ジャズ」と「ブルース」が交わらないんです。

アタシはこのふたつ、聴く時はほとんど近い親戚だと思って聴いてたし、たとえばジョン・リー・フッカー聴いた後のアーチー・シェップとか、おんなじように暑苦しくて最高だし、ルイ・アームストロングとハウリン・ウルフなんて、貧乏で不良だったけど一生懸命勉強して夜間大学出た性格のいい兄と、15の時家を飛び出してヤクザになった弟みたいなもんでしょう(ん?)。

恐らく今、アンケートを取っても「ジャズもブルースもおんなじぐらい好き!おんなじようにハマッて大変」という人は少数派なんじゃないかと思います。ネットをやるようになって分かったのですが、外国のジャズ好きな人って、マイルス・デイヴィスについて熱く語ってるようなサイトの違う日付の記事には「チャック・ベリーは最高だ」みたいなことフツーに書いてたりするんですよね。

ファンの中でも「私はジャズ!」「オレはブルース!」みたいな、妙な棲み分けが成立して、その縄張りが不可侵として何となーくキッチリ守られてるのって、これは多分日本だけの現象じゃないか?じゃあ日本で何があったんだ??ということを、アタシはずっと考えてたんです。

日本にまずジャズが本格的に入ってきたのは1960年代のモダン・ジャズ・ムーヴメントの頃。

昭和でいえば戦後がようやく終わって、そろそろ各家庭にオーディオなんかあってもいいんじゃない?レコード聴いて楽しもうよ、と言われ始めた昭和30年代半ば以降ですな。

この時アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズとか、マイルス・デイヴィスとか、そういう大物が次々来日して、ジャズを聴くことが大きなトレンドになった。

アート・ブレイキーの『モーニン』なんて”そば屋の出前の兄ちゃんが鼻歌で歌う”とか言われるぐらい、日本人にとって、ジャズって音楽は凄いぞ、カッコイイぞ、というポピュラーなものになったんです。

で、ブルースは実はかなり遅くて、1970年代になってようやくB.B.キングとかスリーピー・ジョン・エスティスのLPが出回るようになった。

これに「お、イカすねぇ」と反応したのは、実はそれまでジャズを聴いてた人達じゃなくて、そのちょい下の世代の、ロックやフォークをやっていた人達だったんですね。

つまり日本で最初にポピュラーになったジャズが、50年代以降のモダン・ジャズで、ブルースと横並びで仲良くやっていた”それ以前のジャズ”というのはそんなに熱心に聴かれなかったと思われることと、ジャズを聴く層とブルースを聴く層の世代に、ザックリと感覚の違いがあった。だからこれは交わることはない。

という結論にひとつ、アタシなりの悪い頭でたどりついたんです。

でもまぁ音楽なんてのは、究極を言えば個人の好き嫌い/合う合わないだから、そこはもうそれぞれで楽しめばよろしいとは思うんですが、実はその断絶のせいでワリを食ってる分野がジャズにあるんですね。

例えば戦前のスウィング・ジャズや、スウィングとモダンの丁度中間にある”中間派”と呼ばれる1940年代から50年代のブルージーなジャズ。更にはジャズとブルースのほぼ真ん中にあって、歌って踊れるジャンプとかジャイヴとかいうエンターティメントな音楽。

あのね、実はね、この辺りがホントは凄く面白いし、ジャズとブルースのジュワっとした旨味が両方味わえる飽きの来ない音楽で、とってもいいのがいっぱいあるんです。

聴く/聴かないは、さっきも言ったけど、これは個人の自由だから、それこそその判断は皆さんにお任せしたいとかは思うんですが、とってもイカす人達なんで、一人でも多くの人に知ってもらいたいなぁとは切実に思いますんで、このブログではちょくちょく紹介していきますよー。


で、ジミー・フォレストという人を今日はご紹介します。

ジャズのテナー・サックスでは、実にブルースなフィーリングを濃い濃いと、野太い音に込めてブロウする人達がおりますが、この人達は俗に”ボステナー”とか、或いは南部出身でブルースやR&Bとかと深く関わってる人達のことを”テキサス・テナー”とか何とか言ったりしまして、ジミー・フォレストもその辺りの人です。

ジャズにおけるテナー・サックスの歴史は、コールマン・ホーキンスという人から始まっております。

それまで単なるビッグバンドの伴奏楽器だったテナーでソロを吹き、その実に男らしい低音と、メロディアスな奏法の見事なブレンドで、今日まで通用するテナー・サックスのアドリブラインの基礎を築いた人です。

ソロを確立して有名人になったのが1920年代後半から30年代、つまり戦前の話なんですが、この人の凄い所は戦後も大活躍して、しかもスタイルが全然古臭くならなかった。だからテナー・サックスの世界の”親父”ですね。

そこから行くと、このボステナーとかテキサステナーとか言われてる人達はテナー吹きからしたら”叔父貴”でしょう。いずれもコールマン・ホーキンスのスタイルをベースに、よりブルースやR&Bに適応した、男らしい部分を継承/発展させておるんですね。

まぁこの辺は”何故テキサスなのか?”も含めてかなり長くなりますんで、次回の記事で説明するとして、ジミー・フォレストです。

1920年”ブルースの街”と言われたミズーリ州セントルイスで生まれ、若いうちにジェイ・マクシャン、デューク・エリントンという超一流の楽団に、テナー奏者として参加します(70年代はカウント・ベイシーのオーケストラにも入ります)。

のっけから凄いバンドのメンバーとなるということは、それだけ実力があったということに異論はありません。

で、1940年代の終わり頃にエリントンのバンドを卒業した後、自分のグループを作って、ドサ回りやシングル用のレコーディングをしていたんですが、1952年にリリースした『ナイト・トレイン』という曲が大ヒット、しかもジャズではなく、何とビルボードの当時出来たばかりのR&Bのチャートで1位を獲得してしまいます。

ジャズで人気者になるつもりが、R&Bでヒットしちゃった。まぁいいか、オレは元々ブルース吹きよ。そもそもオレらにとっちゃあジャズもブルースもカンケーねぇ、どっちもゴキゲンな音楽さ。

と、ジミーは思っておったでしょう。

その頃ジャズでは、同い年のチャーリー・パーカーがビ・バップ旋風を巻き起こし、ジャズ界隈は一気に”新しい進化”へ気が向いてましたが、ジミーはそんなの知らんとばかりに、相変わらずブルースをガッツリと演奏の中心に添えた野太いジャズで、ドサ回り先の聴衆をワーワー言わせております。

彼のテナー・サックスのスタイルは、初期の40年代から晩年の70年代に出した作品や参加作、どれを聴いても実に一貫した、ブルージーなコクが極めて深い、理屈抜きの一本気スタイル。

何か新しい革命的な奏法を生み出したとか、物凄いテクニックの早吹きがどうとか、そんなものとは一切無縁の「黙ってブルース吹いとくれスタイル」。

いいですね、楽器をやっていて、奏法とか指が動くかとか、そういうことにしか興味のない人は置いといて、とりあえずサックス吹かない人にも「おぉ、これはいいサックスだ。くー、酒が美味いね♪」という言葉を嬉しいため息と共に吐かせるタイプです。これこれ、これですよ。おじちゃんはこういうのが大好きなんだ。





【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
ジョー・ザヴィヌル(p)
トミー・ポッター(b)
クラレンス・ジョンソン(ds)

【収録曲】
1.Bolo Blues
2.I Cried for You (Now It's Your Turn to Cry Over Me)
3.I've Got a Right to Cry
4.This Can't Be Love
5.By the River Sainte Marie
6.Yesterdays
7.Crush Program
8.That's All

【録音:1961年4月18日】

まずは有名な『ナイト・トレイン』を含む1950年代前半のシングル曲を集めたDelmark盤を!

と、言いたいところですが・・・とりあえずジャズファンの方には作品としてクオリティが高い、そしてブルージーなジャズとしての上質な魅力がギュッと一枚に詰まった1961年の老舗Prestigeレーベルで制作された本作『アウト・オブ・ザ・フォレスト』を最初の1枚としてオススメします。

スタジオで、一回のセッションで、しかもワン・ホーン(他のホーン奏者がいない)編成でスッキリまとめられた編成がよろしいですな。

とにかくこの人は、アドリブの展開にも演出にも、余計な気配りを一切しないので、のっけからオレ節全開のブルースで、聴く人の意識をトロリと溶けたバーボン内側(何じゃそりゃなんですが、ええい、聴けばわかる!)に引きずり込みます。

イントロのテナーの高音が「ふぃ〜・・・ん・・」と伸びに伸びるのに合わせて、どうか皆さん「いぇ〜い・・・」と小声で言ってくださいね。そうそう、そうです、それがブルース!

このジミー・フォレストっていう人がどんなスタイルのテナー吹きなのかは、1曲目からディープ過ぎる(そんなことないぜぇ!)『ボロ・ブルース』を聴けばもう分かってしまいます。

「ジャズって難しい音楽なんじゃ・・・」と思ってるそこのお嬢さん、そんなこたぁないですぜ。じゃあ2曲目以降を聴いてみましょう。

少しテンポをアップして、小粋な感じでキメたスタンダード曲『アイ・クライド・フォー・ユー』は、ビリー・ホリディなんかもよく歌ってたスタンダード。これもテナーのアドリブは小細工一切ナシ、シンプルに良いメロディを、ハスキーなトーンで歌うのみ。

で、お次はバラード『ジス・キャント・ビー・ラヴ』あぁ、このテのバラードは6曲目にも『イェスタディズ』って曲が入ってる。コイツもビリーが・・・、まぁいい。人を好きになったことは?・・・オーケー、ならコイツはお気に入りになるだろう。と、ジミーが言っておるようです。

実はこのアルバム、いずれもミディアムかスローかのブルースかスタンダードばかりなんですよね。でも退屈じゃない、むしろもっともっと俺を酔わせてくれー!とアンコールを向けたくなるところが実にニクい。

ワイルドに濁らせたトーンでのブロウも、何というか下品じゃなくて、ダンディな大人の色気ってやつが充満しております。パリッとスーツでキメて、口数少なく、行動は優しく、のアレです。

そしてこのアルバム唯一の早いテンポのナンバーが7曲目の『クラッシュ・プログラム』これ凄いですよー。

アドリブが入っていきなりピアノとベースが弾くの止めて、テナーとドラムの一騎打ちになるんです。うひゃー、この辺は流石戦前ビッグバンドで、アドリブ合戦の”場数”を踏んできた人ですよ。

全然スタイル違うんですが、コルトレーンもエルヴィン・ジョーンズと盛り上がって一騎打ちになることがよくありますよね。アレのルーツをここに見た感じがします。もちろんスタイルは全然違いますが、内包する熱気はほとんど一緒。アルバム全体として凄く”聴き入り易い”親しみ易い良盤でありますが、『ボロ・ブルース』の気合いと『クラッシュ・プログラム』でのアツいテナーVSドラムの一騎打ち聴くためだけに買ってもこれはお釣りがきますぜ旦那。

メンバーで注目は、ピアノで参加してるジョー・ザヴィヌルです。

ザヴィヌルといえば70年代に結成したウェザー・リポートで、それこそフュージョンの立役者であり、近未来的なシンセサイザー使いの人というイメージあるとは思いますが、このアルバムではジミーのプレイとガッツリ息の合った、ほとんどブルース畑出身のピアニストみたいなプレイをしております。

オーストリアのウィーンからやってきたばかりの白人で、しかもバークリー音楽院卒業してからしばらくのザヴィヌルは、色んな”コテコテ”のサックス奏者のバックで、とことん”ブルース”を体に染み込ませておったんですね。

「ジャズはアメリカの音楽だ!でもオレはヨーロッパ生まれの白人だ。じゃあどうすればいい?オーケー、オレはブラザーになりきってしまえばいいんだ!」

と、言わんばかりの演奏なんですよ。しかもこれが全然しっくりハマッててわざとらしさがない。ここまで読んでジミー・フォレストという人に全然興味が湧かない方も、ザヴィヌル先生の若い頃のピアノを聴くためだけに持ってても損はありませんぜ。

好きなテナー吹きだけに、やや長々と書いてしまいましたが、いやもうこの”ジャズ3、ブルース7”ぐらいのコク旨ブレンドのジャズを知ってしまえばきっと人生は味わい深いものになる。はず。という訳で次回もジミー・フォレストを掘り下げて紹介します。












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2017年12月10日

チャーリー・パットン(黒人ブルース)とアメリカ先住民の文化の話




郷愁は未知の荒野に吹きすさぶブルースそして乾きたる草


先週遠方から短歌のお友達がきまして歌会をしました。

『ここではないどこか』

という題で歌を詠み合った時、やはりブルースの、荒涼とした原風景のようなイメージが頭に出てきましたので、それを言葉にしたという次第です。

きっかけは、「ブルースの誕生には、私達が思ってるよりもっと深く、アメリカ先住民の文化が関わっていたのではないか?」というある方の考察です。

先日ハワイアン・スティール・ギターの巨匠、ソル・ホオピイの記事を書きました。





ソル・ホオピイのギターは、アメリカのブルースやカントリーに大きく影響を受けているし、実は影響をもたらしてもいる。

という記事内容に、ブルース好きの方々が好意的に反応してくださって「では、ハワイ音楽がブルースに与えた影響とは?」という話で盛り上がり、ある方が「1898年ミシシッピで万博が開催されて、そこにハワイのフラダンサー達が参加してる」という決定的な情報を提供して下さいました。

おお、ミシシッピといえば1900年代初頭にW.C.ハンディがブルースを採譜するために訪れて「ギターのネックにナイフを滑らせて弾いているのを目撃した」と、スライドギターが世界で初めて文献に登場するその文章を書いた場所ではないですか。

ということはということは、1898年の万博でのフラの実演を見たミシシッピの黒人演奏家が

「お、何だこれ面白いな。フラって言うハワイの音楽かぁ。ギターのヤツは何やってんだ?・・・ほうほう、ああやってギターを膝に置いてバーを滑らせるとああいう不思議な音がするんだな。オレもやってみるべか・・・」

と思い付いて、これがやがてブルースのナイフスライドやボトルネックの原型となり広まっていった・・・。

という仮説を立てても、あながち”むりやり”ではないことになります。

いずれもレコードが普及する前の話であり、また、ブルースやハワイアンの成り立ちについて細かく記載されてある文献というものは存在しないので、想像するしかありませんが、とにかくブルースという音楽は、アフリカから連れて来られた奴隷達とその子孫達が、自分達の民族的なルーツであるアフリカ音楽の残り香”だけ”で生み出したものではなく、アメリカで生活していく中で、関わりのあったあらゆる音楽からの影響を積極的に取り入れて作り上げていった、そんな壮大なスケールの音楽であると、何だかワクワクしながら感動を新たにしました。

そして、更にその方が

「ブルースの誕生には、失われたインディアン文化が深く関わっていると思います」

という、究極の考察の種を与えてくださいました。


これ、実はアタシにとっては目からウロコの一言だったんです。

皆さんもご存知のようにインディアン、つまりアメリカ先住民の文化というのは、実はとことん排斥された挙げ句に失われております。

で、アメリカのインディアン政策というのは、非常に悪質な絶滅政策なんですね。

部族というものの団結力が非常に強い彼らを厄介に思った白人入植者達は、その団結力を削ぐためにあらゆることを行いました。

部族同士を対立させ、白人側に協力して敵対部族を殲滅した部族も、先祖伝来の土地から切り離されて不毛の居留地に押し込められたり、とにかくありとあらゆる手段で追い詰められる政策の犠牲になっております。

黒人との関わりは、そうやって出来た居留地に逃亡してきた奴隷との関わりから始まります。

居留地に受け入れられた黒人達は、そこで配偶者を見付け、必然的に混血児が生まれます。

※ただ、居留地に逃げ込んだ黒人達の全てが暖かく迎え入れられた訳ではなく、やはり差別の対象であったり白人化した集団からは奴隷として扱われたりもしております。ここのとこの関係は本当に複雑なんです。


で、古い世代のブルースマン達には、実はこういったインディアンとの混血が多く、有名人だけでもマディ・ウォーターズ、ローウェル・フルスン、タンパ・レッド、チャック・ベリーなど、ザッと挙げるだけでもこれだけ出てきます(確かジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンもそうでしたね)。

極めつけは写真のチャーリー・パットン。

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「デルタブルースの創始者」と呼ばれていて、形式としてのブルースの生みの親の一人であるとも云われておりますが、彼は顔を見ても分かるように、ネイティヴ・アメリカンの血を一際多く受け継ぐ混血です。

一説によると彼は幼い頃に祖母が暮らす居留地で育ったとあります。

パットンのプリミティヴなデルタ・ブルースを改めてじっくり聴いてみると、そのザラ付いた声と、独特の激しく打ち鳴らされる裏打ちの縦ノリに近いビートが鮮烈に醸す荒涼たる風景は、どこか他のブルースマン達が見せてくれる世界観と異質な感じにも思えます。

明らかにプランテーションや飯場、農村の黒人コミュニティだけではない、もっと淋しく閑散とした風景が、パットンの歌う”ブルース”の中に、チラッ、チラッ、と姿を現すんですね。

これ、何だろうとずっと思っておりましたが、あぁそうか、これは居留地の風景で、彼の音楽的な部分の根幹には、腰を横に揺らすアフリカ系グルーヴと、足を踏み鳴らして縦にジャンプするネイティヴ・アメリカンのグルーヴが複雑に入り組んでいるんだなと。

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教えてくださった方が指摘してくださったように、ネイティヴ・アメリカンの音楽文化は、部族文化や部族そのものの消失と共に、永遠に失われております。

なのでブルースと失われたアメリカ文化との関わり(恐らくそれはアタシ達が思っているよりずっと深く強固に結び付いているであろうにも関わらず)を、ズバリこれだ!と断言することはもう永久に出来ないでしょう。

けれども昔の音楽を聴くことで、ミュージシャン達が好むと好まざるとに依らず背負った”業”の正体のようなものに、感性で迫ることは今後とも可能だと思います。

アタシは音楽が好きです。

何故音楽を聴いているのかといえば、それはもちろん聴いて感動する、興奮する、カッコいいミュージシャンに憧れる。そういうのも理由ではありますが、そこをもっと深く問い詰めると"知らないけれど知っている風景"が浮かんできます。

正体不明の郷愁に、何故だか胸が締め付けられる時がよくあるんです。

これも多分答えは出ない永遠の問いであるとは思いますが、きっと人間の奥底にある、共通の原風景ですよね。

チャーリー・パットンのザラついた声の奥底に流れる荒涼は、とても胸にきますね。









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”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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