2017年12月02日

マジック・サム ブラック・マジック

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マジック・サム/ブラック・マジック
(Delmark/Pヴァイン)


12月1日はマジック・サムの命日でした。

ブルースが好きな人にとっては、もちろんこの人は、その名前を目にしただけで、何か胸に特別な感情がグッと込み上げてくる人であります。

世代的には1960年代後半にデビューし、戦後の”モダン・ブルース”と呼ばれるスタイルを切り開いた比較的新しい世代で、戦前から連綿と続くディープ・ブルースと、50年代にブルースから発展した華やかな都会のR&B両方の影響を受けた、恐らく最後の世代でありましょう。

まだハタチそこらだった1950年代後半から、ウエストサイドやサウスサイドといった黒人居住区にあるクラブで、フレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと共に腕を磨き、他にも若く才能に溢れた新世代のブルースマン達がキラ星のごとくしのぎを削っている中で、見事ソウルやR&Bのエッセンスをギター全開のブルースに取り入れたオリジナルなスタイルを打ち立てて頭角を現し、さあいよいよこれからだという時に、たった2枚のスタジオアルバムだけを残して、32歳という若さであっけなくこの世を去ってしまったマジック・サム。

「生きていれば」「もしも次のアルバムが出ていたら」「もっと早くから正当に評価されておれば」という声は、全ブルースマンの中でも恐らくズバ抜けて多い人だと思います。

えぇ、わかります。スタイル云々はさておいて、この人ほど湧き上るブルース衝動みたいなものが歌とギターにストレートにみなぎっている人はそうおりませんもの。

はい、今聴けば王道過ぎるぐらい王道で、ストレート極まりないモダンなブルースですが、この人の場合は音楽性がそうである故に、とかく暗い影が付いて来がちなブルースから闇を吹き飛ばし、全部カラッとポジティヴなエネルギーにして昇華させる、そんな特別な力でも持ってるんじゃなかろうかと、どのアルバムを聴いてもそう強く感じるんです。

マジック・サムは1937年に南部ミシシッピに生まれ、1950年には大都会シカゴにやってきております。

その頃のシカゴといえば、マディ・ウォーターズやサニーボーイ
ウィリアムスン、エルモア・ジェイムス、そして少し遅れてハウリン・ウルフなどの大物達が、南部そのままのタフでディープなフィーリングを、電気化させたバンド・サウンドに乗せて大暴れしてヒットを飛ばしていた正にその時代。

ハウリン・ウルフ・バンドのヒューバート・サムリンのカミソリのようなソリッドなギター、或いはよく路上でも演奏していたロバート・ナイトホークの、泣き叫ぶようなエモーショナルなスライド、そしてもちろんラジオから流れてくるB.B.キングの、それを一発放つだけで場の空気が一気に華やぐチョーキング奏法、日々そういうものを浴びるほど聴いて感動した若き日のサムは、ギターを持ってあちこちのクラブや飲み屋で演奏する生活に、すぐに浸るようになります。

サムがブルースで身を立てるべくクラブで奮闘していた1950年代半ばには、高級スーツに身を包み、ホーンセクションを従えたゴージャスでノリのいいサウンドで若い世代の恋愛を歌う”R&B”という新しい音楽がチャートを賑わせるようになりました。

いつだって若いヤツは新しいもの派手なものが大好きです。サムらシカゴの若いミュージシャン達は、こぞってこの新しいブルースの、特にリズムや歌唱法を熱心に研究し、ロックンロールやR&Bのリズムや曲調に対応した”今風のブルース”を生み出します。

これが”モダン・ブルース”という言葉の語源でありますね。

サムの50年代は、非常に充実したものでありました。クラブで夜な夜な繰り広げられるセッションでは、盟友であるフレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと”その夜の飲み代”を賭けた本気のギターバトルをよくやっていたそうですが、これが大人気。

「今日のギターバトルは誰が勝つと思う?」

「フレディ・キングだな、今シカゴの若手じゃ勝てるヤツぁいねぇよ」

「オレはマジック・サムに賭けるね、先月のバトルでフレディに勝ったって言うじゃないか」

「おいおい、お前ら何言ってんだ、本気を出したオーティス・ラッシュが一番に決まってるじゃねぇか。オレは初めてヤツのギター聴いた時鳥肌が立ったぜ。オレはオーティスに賭ける」

「いや、バディ・ガイだ」

ヒッピ・ランクシャンだってすげぇぞ」

「バカ言えよ、アール・フッカーに決まってんだろうが」

こんな会話がクラブでは飛び交ってたんでしょうね、えぇ、ワクワクします。

サムの人気はレコード会社の耳にも届き、地元のインディーズレーベル”コブラ”より、サムは遂にレコードデビューを果たしました。

残念ながら小さなレーベルの悲しさから、爆発的なセールスに繋がることはありませんでしたが、この時の楽曲「All Your Love」は、ゆったりとしたテンポにソウルフルなシャウトが炸裂する、実に新しいフィーリングを持ったブルースでありました(アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』で聴けます)。





レコードを出したこともあって、サムの活動そのものは順調でした。クラブでの仕事はギャラこそ安いものの、連日連夜彼のプレイを聴きに来る若い客でフロアは賑わい、報酬以上の充実感は大いにあったことと思われます。

ところが1959年、順調に活躍していた彼に、その後の運命を左右する不運(ハードラック)が襲い掛かります。そう、軍から召集令状が来てしまったのです。

この年、北ベトナムのホー・チミン政権は、アメリカが支援する南ベトナム政権を打倒するための武力攻撃を決議。

当然南ベトナムを支援するために展開していたアメリカ軍とは、本格的な戦闘が予想されましたので、国や軍は、北ベトナムを大量の兵器と人員で圧倒するべく一般的徴兵法に基づいた徴兵で若者を招集しましたが、ここに投入される兵員は、ほぼ消耗品でありました。そしてまだ差別的待遇が残っていた公民権運動前のアメリカでは、徴兵されたら真っ先に激戦地の最前線に送り込まれるのは黒人兵士と相場が決まっており、黒人社会ではそれが当然のことという認識がありました。

ここでサムが取った行動は、何と脱走です。

結果サムはMPに逮捕/投獄され、脱走罪で6ヶ月刑務所に服役することになりました。

この出来事が、サムにどれほどの精神的ダメージと経済的苦境を招いたかは計り知れませんが、60年代になってシカゴに戻ってきたサムは、元々多かった酒量が底無しになり、奥さんも子供も生活保護で栄養状態もままならない程の酷い生活を送っていたと言います。

サムが音楽活動を再開したのは、1960年代も半ばになってようやくのこと。友人や音楽仲間達の支えでシーンに復帰したサムは67年にはデビュー・アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』をリリース。これが傑作として評判を呼び、サムの活動はふたたび軌道に乗り、翌68年にはセカンド・アルバム『ブラック・マジック』をリリース。更に翌年の1969年には第一回の”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”に出演、3万人の聴衆を前に演奏を行い、ここでも評判となります。

が、不遇時代から彼を蝕んできたアルコールは、確実に彼の体に修復不可能なダメージを与えておりました。

1969年12月1日、突然の心臓発作によりマジック・サムはあの世へ旅立ちます。享年32歳。


実はマジック・サム、亡くなった時点ではまだまだ世界では無名の存在でした。

もちろん若かったというのもありますが、レコードをリリースしたのはいずれもシカゴのインディーズレーベル、そして何より彼には代表曲となるオリジナル曲がまだまだ少なかったんです。

だからアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演して3万人の聴衆を沸かせたことが、実はサムにとっては世界的に有名になる最初のチャンスだったんですね。

「レコードもそこそこ評判で、初めての大きなステージにも立った。やれやれ、どうなることかと思ったが
ようやくハードラックともおさらば出来そうだ。ここまで来るのは長かったが、俺の人生どうやらこれからだな」

と思った矢先の突然死。これ、皆さんどうお感じになられますかね、アタシはマジック・サムという人のズバ抜けた歌とギターのカッコ良さ、楽曲アレンジのセンスと共に、”気さくでよく冗談も飛ばす、明るいヤツだったよ”という人柄が表れた、底抜けにポジティブなブルース解釈を聴いて彼の人生を胸の中で重ね合わせる時、やはり何とも言えない気持ちが溢れてくるんです





【収録曲】
1.I Just Want a Little Bit
2.What Have I Done Wrong?
3.Easy Baby
4.You Belong to Me
5.It's All Your Fault
6.I Have the Same Old Blues
7.You Don't Love Me, Baby
8.San-Ho-Zay
9.Stop! You're Hurting Me
10.Keep Loving Me Baby


さぁ、マジック・サムを聴きましょう。本日のオススメは、1968年にリリースされた、彼の2作目にして最後のスタジオ・アルバムとなった『ブラック・マジック』です。

元よりR&B的なファンキーさを持っていて、デビュー作でもその雰囲気を見事オリジナリティとして刻んでいたサムが、よりファンキーで”踊れる”仕様のアレンジとギター・プレイで見事に個性を昇華させた一枚ですね。

時代はR&Bから、より洗練されたソウルや、より”踊れる”ビートへ特化したファンクへと流行が目まぐるしく移り変わっていた時代。ブルースマン達はその流行のスピードに押されて軒並み苦戦していたと言いますが、土台をしっかりとブルースに置きつつもアーバンなリズムで攻めに攻めるサムのプレイは、総じて覇気に溢れ、時代の荒波なんのそので突き抜けて行けそうなタフさがあります。

マンボの「ウーッ!」なノリでハジケるオープニングの@『I Just Want a Little Bit』から、歌唱は深くテンポは軽快な8ビートのA『What Have I Done Wrong?』、最初にレコーディングしたコブラ時代のセルフカバーのB『Easy Baby』(渋いスローブルース)、サムがとりわけ敬愛していたローウェル・フルスン御大のファンキーなヒット・ナンバー『Tramp』のパターンでファンキーにキメるC、後半には盟友フレディ・キングのゴキゲンなインスト・ナンバー『San-Ho-Zay』や、同じく盟友オーティス・ラッシュの『Keep Loving Me Baby』で、アルバム最後を軽快なシャッフルビートでシメる粋な演出も忘れてはおりません。

個人的には後半の”ダチの曲をカッコ良くカバーするもんねシリーズ”の目玉はアンドリュー・ブラウンの大名曲『Stop! You're Hurting Me』(原曲タイトルは『You Better Stop』)であります。スローテンポでジワジワと歌い上げる原曲に忠実なへヴィさに沿った歌とギターのコールに、見事なレスポンスで応える職人エディ・ショウのサックスがこれまた最高なんですよ。

今日は一日マジック・サムの手持ちのアルバムをずっと聴いておりますが、やはりどのアルバムも(死後に発表されたライヴ盤や未発表音源も含めて)細かなアレンジや音質の違い等あれど、演奏されていない”その先の音楽”が、まるで聞こえてくるような、そんなワクワク感ではちきれそうであります。

こういうの、本当の意味で個性とか味とか言うんだよなぁ。。。








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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 16:46| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする