2017年12月10日

チャーリー・パットン(黒人ブルース)とアメリカ先住民の文化の話




郷愁は未知の荒野に吹きすさぶブルースそして乾きたる草


先週遠方から短歌のお友達がきまして歌会をしました。

『ここではないどこか』

という題で歌を詠み合った時、やはりブルースの、荒涼とした原風景のようなイメージが頭に出てきましたので、それを言葉にしたという次第です。

きっかけは、「ブルースの誕生には、私達が思ってるよりもっと深く、アメリカ先住民の文化が関わっていたのではないか?」というある方の考察です。

先日ハワイアン・スティール・ギターの巨匠、ソル・ホオピイの記事を書きました。





ソル・ホオピイのギターは、アメリカのブルースやカントリーに大きく影響を受けているし、実は影響をもたらしてもいる。

という記事内容に、ブルース好きの方々が好意的に反応してくださって「では、ハワイ音楽がブルースに与えた影響とは?」という話で盛り上がり、ある方が「1898年ミシシッピで万博が開催されて、そこにハワイのフラダンサー達が参加してる」という決定的な情報を提供して下さいました。

おお、ミシシッピといえば1900年代初頭にW.C.ハンディがブルースを採譜するために訪れて「ギターのネックにナイフを滑らせて弾いているのを目撃した」と、スライドギターが世界で初めて文献に登場するその文章を書いた場所ではないですか。

ということはということは、1898年の万博でのフラの実演を見たミシシッピの黒人演奏家が

「お、何だこれ面白いな。フラって言うハワイの音楽かぁ。ギターのヤツは何やってんだ?・・・ほうほう、ああやってギターを膝に置いてバーを滑らせるとああいう不思議な音がするんだな。オレもやってみるべか・・・」

と思い付いて、これがやがてブルースのナイフスライドやボトルネックの原型となり広まっていった・・・。

という仮説を立てても、あながち”むりやり”ではないことになります。

いずれもレコードが普及する前の話であり、また、ブルースやハワイアンの成り立ちについて細かく記載されてある文献というものは存在しないので、想像するしかありませんが、とにかくブルースという音楽は、アフリカから連れて来られた奴隷達とその子孫達が、自分達の民族的なルーツであるアフリカ音楽の残り香”だけ”で生み出したものではなく、アメリカで生活していく中で、関わりのあったあらゆる音楽からの影響を積極的に取り入れて作り上げていった、そんな壮大なスケールの音楽であると、何だかワクワクしながら感動を新たにしました。

そして、更にその方が

「ブルースの誕生には、失われたインディアン文化が深く関わっていると思います」

という、究極の考察の種を与えてくださいました。


これ、実はアタシにとっては目からウロコの一言だったんです。

皆さんもご存知のようにインディアン、つまりアメリカ先住民の文化というのは、実はとことん排斥された挙げ句に失われております。

で、アメリカのインディアン政策というのは、非常に悪質な絶滅政策なんですね。

部族というものの団結力が非常に強い彼らを厄介に思った白人入植者達は、その団結力を削ぐためにあらゆることを行いました。

部族同士を対立させ、白人側に協力して敵対部族を殲滅した部族も、先祖伝来の土地から切り離されて不毛の居留地に押し込められたり、とにかくありとあらゆる手段で追い詰められる政策の犠牲になっております。

黒人との関わりは、そうやって出来た居留地に逃亡してきた奴隷との関わりから始まります。

居留地に受け入れられた黒人達は、そこで配偶者を見付け、必然的に混血児が生まれます。

※ただ、居留地に逃げ込んだ黒人達の全てが暖かく迎え入れられた訳ではなく、やはり差別の対象であったり白人化した集団からは奴隷として扱われたりもしております。ここのとこの関係は本当に複雑なんです。


で、古い世代のブルースマン達には、実はこういったインディアンとの混血が多く、有名人だけでもマディ・ウォーターズ、ローウェル・フルスン、タンパ・レッド、チャック・ベリーなど、ザッと挙げるだけでもこれだけ出てきます(確かジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンもそうでしたね)。

極めつけは写真のチャーリー・パットン。

1.jpg


「デルタブルースの創始者」と呼ばれていて、形式としてのブルースの生みの親の一人であるとも云われておりますが、彼は顔を見ても分かるように、ネイティヴ・アメリカンの血を一際多く受け継ぐ混血です。

一説によると彼は幼い頃に祖母が暮らす居留地で育ったとあります。

パットンのプリミティヴなデルタ・ブルースを改めてじっくり聴いてみると、そのザラ付いた声と、独特の激しく打ち鳴らされる裏打ちの縦ノリに近いビートが鮮烈に醸す荒涼たる風景は、どこか他のブルースマン達が見せてくれる世界観と異質な感じにも思えます。

明らかにプランテーションや飯場、農村の黒人コミュニティだけではない、もっと淋しく閑散とした風景が、パットンの歌う”ブルース”の中に、チラッ、チラッ、と姿を現すんですね。

これ、何だろうとずっと思っておりましたが、あぁそうか、これは居留地の風景で、彼の音楽的な部分の根幹には、腰を横に揺らすアフリカ系グルーヴと、足を踏み鳴らして縦にジャンプするネイティヴ・アメリカンのグルーヴが複雑に入り組んでいるんだなと。

6.jpg

教えてくださった方が指摘してくださったように、ネイティヴ・アメリカンの音楽文化は、部族文化や部族そのものの消失と共に、永遠に失われております。

なのでブルースと失われたアメリカ文化との関わり(恐らくそれはアタシ達が思っているよりずっと深く強固に結び付いているであろうにも関わらず)を、ズバリこれだ!と断言することはもう永久に出来ないでしょう。

けれども昔の音楽を聴くことで、ミュージシャン達が好むと好まざるとに依らず背負った”業”の正体のようなものに、感性で迫ることは今後とも可能だと思います。

アタシは音楽が好きです。

何故音楽を聴いているのかといえば、それはもちろん聴いて感動する、興奮する、カッコいいミュージシャンに憧れる。そういうのも理由ではありますが、そこをもっと深く問い詰めると"知らないけれど知っている風景"が浮かんできます。

正体不明の郷愁に、何故だか胸が締め付けられる時がよくあるんです。

これも多分答えは出ない永遠の問いであるとは思いますが、きっと人間の奥底にある、共通の原風景ですよね。

チャーリー・パットンのザラついた声の奥底に流れる荒涼は、とても胸にきますね。









”チャーリー・パットン”関連記事



”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:26| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする