2017年12月18日

ジャズとブルースの隙間の話(スウィングからジャイヴ〜ジャンプ・ミュージックへ)



さてさて皆様、数日ぶりのご無沙汰でございます。12月というのは公私に渡って何だかんだと忙しくていやですねぇ。ブログをじっくりと書く時間もままならず、ヤんなっちゃいます。

さて、この何日か『ブルースとジャズの隙間問題』について色々と書いてきました。

サクッとまとめれば「ブルースとジャズの間にある音楽って凄くカッコイイし、有名じゃなくてもグッとくるものが多いから、聴かない手はないんだぜぇ」ということです。

ほんで、特にブルースやR&Bをその表現の核にしたテナー・サックス吹きのやつはカッコイイんだよね。ということで、バディ・テイトの叔父貴のアルバムを2枚紹介しました。

そこから読者の皆さんとあれこれと「ブルースとジャズ」の話で盛り上がって、ジャンプ・ブルース、或いはジャンプ・ミュージックはいいぜ!という話にもなりまして、なるほどジャズとブルースの丁度中間のイカした音楽といえばジャンプやジャイヴってことになりますなぁと。


とまぁいきなりそんなことを言われても何のことだぁ?とお思いの方も例によってたくさんいらっしゃることと思いますので、本日はちょいと過去に書いた関係アーティストの記事のリンクちょい多めでお届けしますね。

はい、それではジャンプやジャイヴって一体何なのさ?それって面白いの?ということにお答えしましょうね。

時をさかのぼること今から80年ぐらい前の1930年代、この頃はジャズでいえばビッグバンド全盛で、いわゆるスウィング・ジャズがニューヨークやシカゴなど、都会のクラブを中心に盛り上がっておりました。

そしてブルースはいわゆる「戦前ブルース」の時代。

アメリカ南部ミシシッピからメンフィスやセントルイスを経由して北部の大都市シカゴに移住したブルースマン達が、独自の洗練されたバンドブルースを奏でていたり、テキサスやルイジアナから西海岸の大都市であるロサンゼルスやサンフランシスコに移り住んだ人々が、ウエストコースト・ブルースという一派を形成したりして、こちらも盛り上がりを見せておりました。

この時代既に聴衆の間では

・ジャズ=都会の高級なクラブで盛装した楽団が演奏するもの

・ブルース=都会ではクラブで、クールなスーツに身を包んだブルースマンが演奏していたが、田舎の方では農場にある安酒場や路上でも聴ける音楽。

というイメージが大体根付いておりました。

これらのイメージは大体その通りなんですが、実は1920年代に普及したレコードがそのイメージを固定することと大きく関係しています。

今でもそうですが、ジャンルというのは音楽を売る時に、レコード会社などに説明の手間を省かせるとっても便利なものなんです。だからレコードを買う人達の階層に応じて「ジャズ」「ブルース」と、あらかじめカテゴライズしておけば、売り出しの時に中身の解説やアーティストの説明をすればいい。

お客さんも「これは何のレコード?」と訊けば店員が「それはジャズですよ」「あぁそうかジャズか、ブルースないの?」という具合に売る時に分かり易いやりとりが出来るってもんです。そんな訳でこの時代に「ジャンル分け」という概念がぼちぼち制作や販売の現場から出てきて、それがアメリカ全土に広まっていきました。

でも、現場ではそんな簡単に棲み分けなんか出来る訳がないし、何よりも演奏している当の本人達は、ほとんど商売の便宜上作られたジャンルとかは、実はそんなに意識もしておらず、ビッグバンドのシンガーとしてブルースマンが歌ってたり、ブルースのバンドがジャズらラグタイムの曲をフツーに演奏してて、で、現場で聴いてる人達も実は細かいことはあんま気にしてなかったという話だったりします。

ただ、面白いことに、この時代ブルースマンが小人数で演奏していると「もっと派手な編成で賑やかな曲やってくれよ」「田舎臭いのはやるなよ、ここはシカゴ(ニューヨーク)だ!」と注文が付いたり、ビッグバンドが真面目なインストナンバーばかりをやっていると「もっと歌入りの面白いのが聴きてぇよ」と、言われることはよくあった。

だからビッグバンドのバンドリーダーたる者、常にお客さんを楽しく笑わせる事に全力を尽くさねばならない。今やジャズの神様と言われ、まるで伝説の聖人のように扱われておりますデューク・エリントンですら、1920年代から30年代は、ギャングの経営する高級クラブに集うセレブな客を楽しませるために、コミカルな曲を作ったり、土人の恰好をさせた役者やメンバーに寸劇をさせたり、際どい衣装の女性ダンサーのバックを務めたり、そらもう涙ぐましい努力をしておりました。

そんな中で、エリントンと同時代のほぼ同じ現場で「コミカルで質の高いエンターテイメントならコイツだろう」と、グングン台頭してきたのが、キャブ・キャロウェイです。



キャブはダボダボの珍奇なスーツにシルクハットという、いかにも胡散臭い見た目でステージに上がり、ステージに上がればコミカルな楽曲と黒人スラングを多用した奇妙奇天烈な歌詞を独特の早口でまくしたてる。

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そんなコミカルな歌と(白人がバカにする)”黒人らしさ”をわざとディフォルメした大袈裟な振りでお客さんを笑わせつつ、キッチリとスウィングする完璧なバンドアンサンブルと、洗練を極めたタップダンサーのパフォーマンスなどで”聴かせる”“見せる”ことに関しても完璧でした。

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で、実はこのキャブ・キャロウェイが使ってたスラング多用の歌が、仲の良い黒人同士がかなりキツいスラングでもってからかい合う”ダズン”を発展させた”ジャイヴ・トーク”(からかいの会話)を、そのまんまスウィング・ジャズのリズムと結び付けたものだったんです。

おぉ!1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で誕生したと言われるラップ(ヒップホップ)のルーツは、更にその50年ぐらい前のニューヨーク・ハーレムにあったのか!!

と、アタシは喜びましたが、皆さんはどうでしょう? あ、今少しだけ「イェ〜イ」って声が聞こえました。ありがとうございますありがとうございます。誰も反応してくれなかったらどうしようかと思った・・・。

さあ、これは実に面白い。

何てったってキャブがニコニコしながら白人のセレブ〜な客に向かって大袈裟な身振り手振りでまくしてているのを見て、セレブ〜な客たちはハーレムの黒人スラングなんか分かんないから

「あっはっは、あのおかしな黒人野郎が何かわかんないこと言ってるよ」

と、笑っておったんですが、実は彼らこそがキャブに面と向かって

『お前をヤク漬けにして〇▲×☆ブチ込んで*△◎しちまうぞー』

とかいう、ホントどうしようもないことをしれっと歌われてディスられておった訳ですから。

とにかくまぁキャブ・キャロウェイは面白いぞということで、ハーレムの”面白い方の王者”として君臨しました。当然キャブみたいにやろうというバンドは増えてきます。

という訳で、ニューヨークではこのお下劣でどうしようもない”ジャイヴ・トーク”を歌うスウィング・バンドが増えました。これに合わせてダンスをするのも流行り、現在社交ダンスでも使われている”ジャイヴ”というダンスの名前もここから生まれたんですね。

しかし、流行になってくると、みんなが”ジャイヴ・トーク”の内容を段々理解してくる。かなり下品で際どいことを言っておったのが、内容がバレるとひんしゅくを買うどころか、ヘタすりゃそのまま雇い主のマフィアにかっさらわれて殺されることにもなりかねんのです。

なので歌詞も徐々にソフトになり、具体的な下ネタは男女のコミカルな痴話喧嘩程度の内容になり、ジャイヴのノリも徐々に洗練されたものになっていきます。

当然そうなってくると乱痴気騒ぎがしたい聴衆やミュージシャン達には不満が蓄積されます。特に都会の観客も、黒人層は「オレ達もっと激しく踊りたいぜ。お上品なスウィング・ジャズなんてまっぴらだ」と、もっと肉感的な、野性味に溢れた音楽を欲するようになります。

これが1930年代半ばの事で、ここでスウィング・ジャズの分野では、ニューヨークの洗練されたスウィングとはまた違った、ブルースの味付けが濃厚で、都会の聴衆が求める”跳ねるビート”を持った楽団が、中西部カンザス・シティからシカゴを経てニューヨークにやってきます。

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そう、カウント・ベイシー。

細かく言えばキリがありませんが、ベイシーの持ち味は「難しいこと抜きで、単純にリズムに乗ろう」というものでした。

1936年にリリースした『ワン・オクロック・ジャンプ』という曲が、ベイシーが世にその名を轟かせるきっかけとなったヒット曲ですが、皆さんこれどうでしょう。



リズムがシンプルに「ズ、チャッ、ズ、ッチャ♪」で、ソロも非常に分かり易く、変に凝ったコード展開もなくて形式は”ブルースの早いの”と呼んで差支えないと思います。人によっては「これ、ほとんどロックンロールだろ!?」という人も居て、その推察はあながち間違いでもありません。

1930年代後半にもなってくると、ビッグバンドのスウィング・ジャズが芸術性の高いものへと洗練されてゆく一方で、こういったシンプルな、分かり易いノリのジャズが凄くウケた。

実はこれ、都会では見向きもされなかったブルースのノリなんですね。

ベイシーが活動してたカンザス・シティは地方都市で、そういった所ではブルースやジャズの垣根がまだ建っておらず「とにかくノリたい」「踊りたい」という聴衆の求めに応じて楽団は小難しい事を極力排除したタフで直球なダンスビートを夜な夜なクラブで提供しておった。

こういったのが、ニューヨークやシカゴの大都会では、逆に新鮮だったんです。

ブルースの分野では、1940年代後半のシカゴで、洗練されたブルースの様式(いわゆる”ブルーバードビート”というやつ)に飽きた聴衆が、マディ・ウォーターズらの、南部直送のデルタ・ブルースを電気楽器で新しく味付けしたブルースに飛び付きます。

時期は若干違いますが、ニューヨークのジャズ・シーンとシカゴのブルース・シーンでは、同じような”回帰と発展ごちゃまぜのカオス”が求められてたんです。

さて、ベイシーの『ワン・オクロック・ジャンプ』を聴いて「オレらもあんなイキのいい音楽やりたいぜ」と思う若いジャズマンはたくさんおりました。

その中で頭角を現したのが、エリントンと並ぶ人気を誇っていたチック・ウェブ楽団から、エラ・フィッツジェラルドという人気シンガーを連れて独立を画策したためにクビになったルイ・ジョーダンというギョロ目の男。




彼はニューヨーク一流のビッグバンドのアルト・サックス奏者でありましたが、生まれは南部アーカンソーという、実はドロドロに濃いブルースのルーツを持つ男です。

ベイシーの”ジャンプするビート”を聴いた彼は「あ、コレはオレがガキん頃みんなが踊ってたあの感じだな」と、恐らくすぐにピンと来たことと思います。

キャブ・キャロウェイが打ち立てた”ジャイヴ”のコミカルさに、カウント・ベイシーが地方から持ち込んだ”ジャンプするビート”を巧みに結び付けたジョーダンは、深刻さを極力排除した”歌”を演奏の真ん中にズドンと置き、ブルースのシャッフル・ビートをリズムの真ん中で弾ませたヒットを連発。

また、歌詞の中でも”ロッキン”や”ジャンプ”という言葉を頻繁に使い、彼の周囲では次第にこの語を冠した”ジャンプ”というブルースの一形態が成立して行くのです。

この一連の30年代から40年代に流行したジャイヴやジャンプを総称して、今現在”ジャンピン・ジャイヴ”と呼ばれております。


ふー(汗)

今回は「ジャイヴとジャンプ」の成立について、前知識として解説しました。

次回はその流れが南部で独自の動きとなって炸裂した”ヒューストン・ジャンプ”を解説しますよー。つうかアタシはヒューストン・ジャンプについて長々語りたかったんだ。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

posted by サウンズパル at 19:23| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする