2018年02月06日

ザ・ベスト・オブ・リロイ・カー


6.jpgザ・ベスト・オブ・リロイ・カー
(Pヴァイン)

今更ですが「ブルース」という言葉には「ひどく憂鬱な」とか「メランコリックな」とかいう意味があります。

アタシなんかはブルースが好きで、ほいでもって好きになったのが刺激が欲しい盛りの十代の頃だったもんですから、どうしても「イカレててカッコイイ音楽がブルースなんだ!ある意味でパンクよりパンクなんだ!」という気持ちで割と接してきました。

これはある意味において正しい。

しかし、ブルースにはどんなにタフで泥臭い演奏にも、どこか心の脆い部分をふっと突いてくる切なさとかやるせなさみたいなものがグッとくる瞬間があって、特に気持ちが疲れていたり、辛い事があって落ち込んでいる時なんかは、ブルースの本質である”ブルーな感情”これがたまんなくクるんです。

えぇ、もしもアナタがブルースに興味を持って聴き始めたはいいけれど、まだ何かどれも一緒なような気がして今ひとつピンと来ないと思っている時は、ぜひ気持ちが酷く落ち込んで、出来れば「あぁ、もう音楽すら聴く気になれない・・・」ぐらいの、ヤバ目の精神状態になっている時にブルースを聴いてください。アタシもそうしてちょっとづつブルースという音楽を身に染み込ませてきたクチです。

今日はちょいと、そういった「ブルース特有のやるせなさ」をとりわけ感じさせるブルースマンをご紹介します。

戦前に活躍したブルースの人達のことを「戦前ブルース」と言います。

この中にもまぁ年代や地域によって色々なスタイルがあるんですが、それはひとまず置いといて、この時代のブルースの人達の中には、後の時代のブルースやロック、ポップスに決定的な影響を与えた人というのが結構いるんですね。

そんな人達の中で、実はしれっと一番大きな影響力を持っているんだろうなぁと思う人が、シンガー/ピアニストのリロイ・カーであります。

「リロイ・カーって?」

「初めて聞いたぞ」

「誰それ知らん」

という人も結構いると思います。

何しろブルースで有名な人というのはほとんどギタリストです。B.B.キング、ロバート・ジョンソン、バディ・ガイ、Tボーン・ウォーカー・・・。この人達は戦後のロック・ギタリスト達に直接影響を与え、超有名なロックスター達の口から「あの人は凄いんだ」と、名前が出てきたから「おぉ、あんな凄い人達が凄いというんだから、そりゃきっと凄いだろう」と、世界中のキッズ達(はぁいアタシも♪)が「伝説の先輩の先輩」式に名を覚え、その音楽とギター・プレイの秘密みたいなものを必死で追いかけたといういきさつがありますな。

そこへいくとピアニストというのはどうも一段地味な感じで扱われてたりするんですが、何を隠そうリロイ・カーこそが、ロバート・ジョンソンを皮切りに「伝説の」と呼ばれるそれ以降のブルースマン達に凄まじくリスペクトされて、彼が作り出した珠玉の名曲は、今になってもブルース、ジャズ、ロック、カントリー等あらゆるジャンルのミュージシャン達に、様々なアレンジでカヴァーされ、愛聴され続けているんです。

リロイ・カーという人は、その切ない情感で目一杯訴えかけるメランコリックな歌声と、ドライブし過ぎず、心地良く転がるムーディーなピアノ、それにギターのみをバックに従えたシンプルで耳に入り易いアレンジ、そして何よりツカミのしっかりした、親しみのあるポップな楽曲で、ブルース史上初、いや、もしかしたらアメリカン・ミュージック初のミリオン・ヒットを放ち、1920年代後半に、ブルース演奏のあり方そのものも大きく変えました。

それまでの”ブルース”といえば、大きく南部のスタイルであるところのギターやピアノの弾き語り、もしくはもっと一般的だった、ギター、フィドル、バンジョーなどによるストリングス・バンド・スタイル。そしてシカゴやセントルイスなど、北部の都会で人気だった、ジャズバンドを付けたオーケストラ形式の、主に女性シンガーが主役の、クラシック・ブルースと呼ばれるスタイルでした。

カーのスタイルは、そのどっちでもない、ピアノとギター形式なんですね。

大体この時代というのは、生演奏では「とにかく音が多くて賑やかな方が良い。踊れる」という考え方が普通です。ブルースはある意味でダンス・ミュージックでありましたから、ピアノとギターだけでしんみりやる曲なんて、例えばジューク・ジョイントやダンスホールで、みんなが踊り付かれた時の休憩用のBGMぐらいに思われてました。

しかし、リロイのスタイルは「部屋の中で一人でも鑑賞できる」という、当時の新しいメディアであるレコードの特性に、実にピッタリ合ったものだったんです。

レコードで聴くということは、生演奏の喧騒の中でよく聴き取れなかった歌詞や、演奏の細かいニュアンスに込められた、感情の動きとか、そういった繊細なものに、聴く人の耳も行くということですから、カーの繊細な歌とピアノや、バックで細かいフレーズをメロディアスに奏でる、スクラッパー・ブラックウェルのギターも、主に酒に関する嘆き節、恨み節に普遍的な「あぁ、そうだよなぁ」という恋や人生のドラマを散りばめた歌詞が、レコードに刻まれて、それを買った人のプライベートなスペースで再生されることによって、計り知れない感動や共感を引き起こしたんです。

今のあらゆるメディアで音楽を簡単に聴ける感覚だと、ちょっとこの感覚は理解できないかも知れません。でも、気軽に音楽を聴けるメディアがSP盤を鳴らす蓄音機(しかもこれも相当高価)だった時代、針を落としたレコードから流れる音楽が、初めて聴く甘く切ない音楽だったら、一体どんだけの感動が胸に押し寄せてくるでしょう。リロイの音楽は、聴きながらにしてそういった情景も、何だか淡くイメージさせてしまう、柔らかいけどとても不思議な引力を持っています。



【収録曲】
1.How Long How Long Blues
2.Tennessee Blues
3.Mean Old Train Blues
4.Low Down Dirty Blues
5.Baby,Don’t You Love Me No More
6.Prison Bound Blues
7.Gambler’s Blues
8.Naptown Blues
9.Love Hides All Faults
10.Gettin’ All Wet
11.Rainy Day Blues
12.Christmas In Jail - Ain’t That A Pain?
13.Papa Wants A Cookie
14.Alabama Women Blues
15.Low Down Dog Blues
16.Lonesome Nights
17.Bad Luck All The Time
18.Big Four Blues
19.Going Back Home
20.When The Sun Goes Down


さて、リロイ・カーという人が、何故そういった独自のスタイルを、1920年代という時代に作り上げることが出来たのでしょう。その秘密は、彼の生まれと拠点にしていた場所とが深く関わっております。

リロイ・カーは1905年に、テネシー州ナッシュヴィルに生まれました。

そう、この地は知る人ぞ知るカントリーの聖地、地理的にはいわゆる”中部”という場所で南部のように強烈にブルースが根付いている土地ではない。でも、多くの人々は娯楽として音楽を楽しんで、その中には黒人のブルースもジャズも、白人のヒルビリーもあったといいます。

その後8歳の頃にインディアナ州ミネアポリスに移住。

少年時代からピアノを弾いていたリロイは、サーカスに紛れ込んだり、徴兵の年齢に達してないのに年齢を誤魔化して軍隊に入ったりしておりました(動機はよくわかりませんが、多分軍楽隊に入るのを狙っていたか、面倒臭い徴兵をとっとと終わらせるためでしょう)。

とにかくミネアポリスという街は、北部も北部、カナダの国境に近いようなところです。

ここで自由な空気を謳歌し、しかも大都会のシカゴやデトロイトといったブルースが溢れているような街からの影響もさほど受けず、リロイはピアノを弾き、そして机に座ってじっくり歌詞を書きながら自分の”ブルース”を磨き上げて行きました。

即興で思いつくままに歌い、リズムやフレーズに合わせて歌詞を繋いでゆくことも多かったこの時代のブルースのやり方とは、彼のスタイルはまるで違います。しかしこれが、言うまでもなくポップで歌詞もしっかりしていて、かつ繊細で切なさの塊のような新しいブルースの誕生に大きく作用しました。

リロイはそのままミネアポリス周辺の酒場で人気のシンガーソングライターになります。

行く先々で人気を博し、レコードも異例のミリオン・ヒットとなり、彼の名前は遠く南部まで知れ渡るようになりました。

先も言いましたが、彼の繊細なプレイ・スタイルは、まだギターをバッカバッカと叩き付けるような弾き方が主流だったミシシッピ・デルタの一人の若者、ロバート・ジョンソンに決定的な影響を与え、言うまでもなくこれが戦後の主流となるモダン・ブルースの”形”となるのです。

残念ながらリロイは若い頃からの大酒がたたって30歳で短い生涯を閉じてしまいましたが、レコードデビューしてたった7年かそこらで音楽のひとつのスタイルを「もう後はアレンジを加えるだけ」ぐらいのものに仕上げました。

そして、そんな偉大な業績や影響力のことを考えなくても、この人の音楽は、最初の一音が流れた瞬間に「あ、これは切ない・・・!」と、聴く人の心に直接ヒリヒリと迫るものを持っています。ひどく憂鬱な感情、過ぎ去ったとしてもまだどこかに漂っているような宿命の残り香のような音楽。

そう、これこそブルースであります。





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2018年02月05日

フランク・ザッパ Freak Out

6.jpg
Frank Zappa/Freak Out
(MGM/Unive)

フランク・ザッパという人には、ハッキリいって「これが代表作!」というアルバムがございません。

や、こんなことを言うと誤解を受けるかも知れませんが、長いキャリアの中で目まぐるしく音楽性をアメーバのように進化させ、その都度その都度「一言では何とも言えないスケールの強烈作」というものをポンポンリリースしておりますし、これは本人自身の哲学で「コイツはこういうヤツだ」という固定観念でのジャンル分けとか定義付けとかを「バーカ、残念でしたー」とひゃらっとかわす姿勢というものを持っております。

だから聴いてきた身として「ザッパは○○だ!」「ザッパはこうだ!」と、一言でサクッと言えないんです。

たまたま昨日紹介した『ワカ・ジャワカ』なんかは、ザッパが怪我をして車椅子生活になった時に

「よっしゃ、じゃあ大編成でジャズロックやるぞ」

と張り切って、コンセプトが明確になったんですが、それでも

「こ、これは一体何?ジャズ?ロック??うぅぅん、わかんねー、わかんねーけど得体の知れん凄さがあるぅぅ」

と、聴き手に思わせるに十分な、ストレートなインパクトを持つアルバムとして紹介しました。

当然凄いアルバムです。

でも、それでもなおこの1枚でフランク・ザッパという類まれなる個性を持つミュージシャンについてある程度語れる、というものではございません。

という訳で、今日もザッパです。

はい、今日は更に時代をさかのぼって、フランク・ザッパが初期に組んでいた”マザーズ・オブ・インヴェンション”名義でリリースされました記念すべきデビュー・アルバムについてお話をいたしましょう。

1940年、メリーランド州に生まれたザッパは、少年時代からありとあらゆる音楽や芸術に興味関心が深く、小学生の頃から色んな楽器をマスターしながら、ラジオやレコードを聴き狂い、特に7インチ・レコードのブルースやR&Bとエドガー・ヴァレーズの現代音楽に強く感銘を受け、早くから「どこにもない音楽を作ってやろう」という意欲に燃えていたと云います。

高校時代に、地元でもザッパ同様「アイツは変わり者すぎてヤバい」と評判だったある男と意気投合してバンドを結成しました。

この男、後に”キャプテン・ビーフハート”として、ザッパ同様アメリカの音楽史に巨大な一石を投じてアンダーグラウンド・ロックの歴史そのものと言われる程に大暴れするんですが、ザッパは彼がヴォーカルを務めるバンドのギターとして、一緒に大暴れ。

この時の2人がどんだけ凄かったかといえば、ダンスパーティーで踊りに来てた連中に対し、粋で踊れるR&Bナンバーを演奏したかと思いきや、盛り上がる寸前にグッチャグチャの即興演奏をおっぱじめてエンディングで何事もなかったように曲を終え、同年代のある意味ウブな少年少女達をことごとく茫然とその場に仁王立ちさせてしまうぐらい凄かったそうであります。

ステージではそんな感じでありましたが、ザッパは真面目に音楽を学び、大学では和声や作曲法などの高度な音楽理論を早々に極め、更に卒業後はスタジオに就職し、ここで機材をいじくるうちにアッサリと多重録音のノウハウも身に付け、音楽に関してはもう学ぶことが何もなくなりました。天才です、いや、ここまで来るともう天才過ぎて変人の域であります。

24歳になった1964年の母の日、スタジオにメンバーを集め「じゃあ母の日だから”マザーズ・オブ・インヴェンション”ってバンド結成してデビューな。異論は認めない」と、強引にバンド活動を始めます。

※「インヴェンション」というのは2声の鍵盤楽器演奏を意味する音楽用語ですが、語源となるラテン語の”インヴェンチア”には”思い付き”という意味があります。


この時のメンバーが、フランク・ザッパ(g)、ライ・コリンズ(vo)、エリオット・イングバー(g)、ロイ・エストラーザ(b)、ジム・ブラック(ds)。

1964年といえば、まだスーツやスーツを模したフォーマルなステージ衣装を着てロックをするのが常識だった頃、カジュアルな出で立ちで、奇妙でよじれた、いわゆる”ノリ”に特化しないロックを演奏しているマザーズの演奏は評判になり(もちろん賛否両方含めて)、65年には当時ジャズレーベルだけれども、ジャズ以外に何か面白い音楽ないかとロックやR&B方面に手を伸ばしていたVerveレーベルから声がかかり、デビュー・アルバム録音が決まります。

余談ですがVerveはマザーズをデビューさせた翌年の1967年、ニューヨークでヴェルヴェット・アンダーグラウンドをレコーディングし、名盤『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』も世に出しています。





【収録曲】
1.Hungry Freaks, Daddy
2.I Ain't Got No Heart
3.Who Are the Brain Police?
4.Go Cry on Somebody Else's Shoulder
5.Motherly Love
6.How Could I Be Such a Fool
7.Wowie Zowie
8.You Didn't Try to Call Me
9.Any Way the Wind Blows
10.I'm Not Satisfied
11.You're Probably Wondering Why I'm Here
12.Trouble Every Day
13.Help, I'm a Rock
14.It Can't Happen Here
15.Return of the Son of Monster Magnet


この時代のロックの連中が意識していたのは、言うまでもなくビートルズとローリング・ストーンズです。

彼らのブレイクによって、イギリスばかりでなくアメリカにも、その影響を受けたバンドが多く出てくるようになり、ヒットチャートにはロック、R&Bなどのポップな音楽が毎週のように新曲を送り込み、大いに世間を賑わせておりました。

恐ろしいことにザッパは”そこ”に正面から自分達の音楽をぶつけてきたんです。

はい『フリーク・アウト!』と、わざわざアルバムタイトルに「!」まで付けて

「お前ら何生ぬるいポップな音楽ばっか聴いてやがるんだよ、もっと病的にアウトしろよ!」

と、世間に対して喧嘩をふっかけているのがこのアルバムです。

じゃあ、やってることもきっとロックをぎちょんぎちょんにブチ壊した、かなりあっぶねー感じの音楽なんじゃね?

と、思うでしょう。

ところがここでザッパがやっているのは、音だけ聴けば”案外マトモ”な、当時流行のロック・サウンドであり、R&Bやドゥー・ワップなんです。

でも、それぞれが強烈な「今流行っている音楽の皮肉たっぷりなパロディ」なんですよ。

1曲目はいきなりストーンズの「サティスファクション」のリフかと思われるギターから、歌い方までミック・ジャガーをモロ意識してる曲ですし、曲が進むにつれて、ビートルズのパロディ、ドゥー・ワップのバラードを極端にディフォルメしてコミカルで大袈裟なものに仕上げた曲などが次々出てきます。

歌詞も同様に皮肉と黒いユーモアが効いていて、何というか喧嘩の仕方が最高にイヤラシい痛快さがあって、更にマトモ―な曲の節々でギターがトチ狂ってアウトしたり、ただのパロディだけじゃなく”ブチ壊し”もしっかり入っていて、うほっ、やっぱりこのアルバム痛快!

と安心してはいけません。レコードでいえばC面D面に当たる後半が、前半の流れを軽く打ち消すほどの、即興演奏、フリーキーな多重録音他何でもアリの、凄まじくアシッドサイケな展開。これをトドメとばかりブチ込んできます。

よくロックバンドのファーストは、未完成だけど荒削りな良さがあるとか言われる名盤が多いですが、フランク・ザッパに限ってはこの時点で「皮肉の毒がたっぷり入った不健全なロック」というものを極めてるんです、いや、極め尽くして出てくる音がもう極まり果ててるんです。

だってアメリカでサイケデリックとかフラワームーヴメントとか出てくるのはこの後ですよ、あぁオソロシイ。

でも、コレで終わらずに「また世間をコケにする音楽作ってやろうぜ」と、全く斜め上からの音を次作、そしてその次、さらに次・・・と出してくるザッパ師、本当にオソロシイ・・・。



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2018年02月04日

フランク・ザッパ ワカ/ジャワカ

6.jpg
Frank Zappa:Waka/jawaka
(Univ)

さて今日もアタシは元気に「ミクスチャーとは何か」という事を考えております。

音楽を夢中で聴いていた時代、つまり1980年代末から90年代前半にかけて、この言葉を目にするようになった訳なんですが、アタシが最初にこの言葉を知ったのは、スラッシュメタルのアンスラックスと、ヒップホップ・グループであるボディ・カウントとの記事を読んだことがきっかけだったと記憶しておりますが、それからレッチリやビースティ・ボーイズとかも有名になって

「ミクスチャーというのは、当時最先端のロックと、当時最先端のラップをミックスさせた音楽なんだよ」

という認識が、ほぼもう世間の常識みたいになって、それで90年代後半のジャパコアブームで、それらに影響されたバンドもいっぱい出てきて活躍したというのが”ミクスチャー”というものに対する最も鮮烈な印象。

ところが・・・!

ところがなんです皆さん、アタシのこういった捉え方、考え方というのを、一発で粉々に粉砕する強烈な、もうキョーレツなアルバムと、アタシはある日で出会ってしまったんです。

そのアルバムというのは、フランク・ザッパの『ワカ・ジャワカ』であります。

う〜ん、フランク・ザッパ。

この人はですねぇ、もうほんとアタシは若い頃からヤバイヤバイって散々聞かされてた人です。

いっちゃん古い記憶でいえばスティーヴ・ヴァイが超絶バカテクギタリストとしてブレイクした頃に

「スティーヴ・ヴァイの師匠でフランク・ザッパという人がいて、この人がヤバイんだ。何がヤバイかってバカテク過ぎて何やってっかわかんねーからヤバイ」

という話です。

ね、スティーヴ・ヴァイの師匠だったら、そりゃもうハードロックの早弾きバリバリの、タッピングとかすげーキメて・・・とか、そんな人だと思うじゃないですか。

でも、それは違ったんです。

何だったか忘れましたけど、MTVか何かの番組でフランク・ザッパのライヴを収録したのがあって、それをボヘーっと観てたんですが、まーその時はさっぱり何が何なのか分かりませんでした。

「メタルでもハードロックでもないし、ギターも確かに何やってるか分からないフレーズ弾いてるんだけどわからん。何これ?凄いの??」

ぐらいに、アタシの中での”ファースト・フランク・ザッパ”は、脳内に”?”ばかりを残して余りにもあっという間にスーッと去って行ってしまったんですね。

ザッパとの再会は、それから5年後ぐらい。アタシが東京のレコード屋さんで下働きをするようになってから。

まぁその頃というのはフランク・ザッパ、いわゆるオフィシャル・ブートというのが鬼のようにリリースされていて、ロックコーナーの一角のかなりのスペースを「ザッパ大魔神○○!!」というセンセーショナルなタイトルが印刷されたセンセーショナルな黄色い帯のCDがザーーーーッと並び、それがまた結構な頻度でよく売れて行くという不可解な現象を目の当たりにし

「フ、フランク・ザッパってそんなに凄いんですか・・・」

と、恐る恐る先輩に質問したら

「お前それ、ザッパフリークの前で絶対言うんじゃねぇぞ」

と。

ザッパフリークとは何ですと?と訊けば、ジャズファンよりもプログレファンよりもある意味コアなマニアで、とにかくフランク・ザッパのアホみたいにリリースされている作品を全て買い揃えることは当たり前、のみならず中古だろうが何だろうが、ちょっとでも仕様が違えば即ゲットするオソロシイ人達なんだと先輩は説明してくれました。

はぁあ凄いですねぇ、世の中には大変な人達ってのがいるもんでございますねぇと感心と共におののいておりましたら、そもそもフランク・ザッパという人が、時期によってやってる音楽もエラい違ったりするし、ジャンルとか関係なく何でも呑み込んで自分の表現にしてしまう、そんなブラックホールみたいな人でヤバイから、ファンがああなるのも無理はなかろうと。

はい、正直アタシがフランク・ザッパという人に興味を初めて持ったのは、音楽に衝撃を受けたというよりも、そういう話を聞いたからなんです。

「ザッパ、ヤバイんですね!」

「おお、ヤバイぞ!」

「何聴いたらいいっすかね!?」

「コレだ!」

と、オススメされたのは、初期のサイケデリック・ロックをやっている『フリーク・アウト』と、ジャズロックやってるという『ワカ・ジャワカ』です。




【収録曲】
1.Big Swifty
2.Your Mouth
3.It Just Might Be A One-Shot Deal
4.Waka/Jawaka


アタシも順番に聴けば良かったんですが、いきなり『ワカ・ジャワカ』を聴いてしまいまして、もうコレにぶっ飛ばされた訳です。

オープニングからギター、ドラム、そしてホーン・セクションがめくるめく展開する様々なリズムのリフを容赦なくブチ込んでくるこの開始僅か1分そこら(!)

普通ロックって、イントロがあって、印象的なリフがあって、リズムがひとつのビートを刻んで、で、AメロとかBメロとかサビとかで、リズムを変えて・・・っていうパターンがあるじゃないですか。これがのっけからガン無視されて、開始から1分そこらでワシャワシャワシャーーーー!!!!!とリズムが違うパターン違うパターンで展開されて、で、普通のいわゆる”Aメロ”に当たる部分では、暗く不気味な感じで、ギターとかトランペットのアドリブが展開されて行く。

え?いやお前らオープニングであれだけハジケてガンガンやってたのに何だこれ?凄いぞ!!てか、これはジャズ?ロック?意味がわからん!ザッパヤバい!!!!

コレが人生初めての”キョーレツなザッパ体験”でした。

実際このアルバムは、ザッパが「ジャズとロックを軸に、ありとあらゆる音楽をやってやろう」と燃えていた時期の1972年、え?ちょっと待って、1972年っていえば、まだジャズと他の音楽が掛け合わされた最初の時期でフュージョンという言葉すらも生まれてなかった時期ですよ。

そんな時期に、この全編インストで、ジャズだかロックだか何だかよーわからん、ジャンル混合の究極みたいな音楽ですか。変態だろ!

と、当たり前に思った訳ですが、やっぱりこのアルバムは色んな意味で「変態ザッパの極み」として、名盤扱いされている訳で、で、何でザッパがそんなジャンルごった煮のぶっ飛んだアルバムを作ろうと思ったのかといえば、ステージで暴漢に襲われて大怪我をして車椅子生活になっちゃったんだと。

「あ?車椅子?う〜ん、ステージで暴れらんねーからスタジオで暴れちゃうもんね〜」

と、嬉々としてスタジオに引き籠って

「よし、じゃあオーケストラでジャズロック・アルバム作るよー」


と、椅子に座ってフィーバーした結果がコレなんだと。

あかん、やっぱりこの人ヤバいわ・・・。「だからザッパこそが早すぎたミクスチャーのオリジネイター」とかいう話をクソ真面目にしようと思ったんですが、音楽だけでなく精神がミクスチャーでしたね、こういう人にはもう敵いません。。。


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