2018年05月22日

サン・ラー ジョイフル・ノイズ(DVD)


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サン・ラー/ジョイフル・ノイズ
(アップリンク)


地球の皆様こんばんは。

本日5月22日は何の日でしょう?

そう、迷える地球人を正しく導くために土星からやってきた古代エジプト人の子孫であります、われらがサン・ラーの誕生日・・・おっと”地球に降臨した日”であります。

このブログを熱心にご覧になっておられます賢明な皆様には、サン・ラーが正しく地球人類を導くために土星からやってきて、そして間違いなく導かれた人というのが存在する(はぁいアタシです)ことは、もうご存知でありましょう。

アタシもサン・ラーの素晴らしい音楽と、それを楽しく裏付けるワン&オンリーのかっこいいパフォーマンス、そしてサン・ラー自身の知的でぶっ飛んだ蘊蓄に富んだ、その宇宙哲学に惚れ込んで以来、音楽とあらゆる芸術を包括したその平和思想に、古代中国の伝説的な王であり、薬学や商売の神として知られる神農との共通点を多く見出したアタシは、サン・ラーを聴くこと、サン・ラーの表現を楽しむこと、そしてサン・ラーの深淵な哲学を理解しようと努めることを『宇宙神農道』と名付け、日々鍛錬しております。

えぇ、えぇ、こういった事はまじめーに考えるよりも、ネタとして楽しんで頂いた方が楽しいから、今までアタシが書いたことも、これからアツく書き記して行くことも、賢明なる音楽好きの皆様は、ぜひ健康的にネタとして楽しみながら読んでください。

さて、サン・ラーとは一体何者で、どういう人なんでしょうね。非常に気になりますね、ワクワクしますね。

音楽的に説明すれば、サン・ラーはジャズをやる人です。

そのジャズを、ピシャッと決まった正統派のスウィング・スタイルからモダン・ジャズ、歌モノ入りのR&B、エレキギターやシンセサイザー炸裂のファンク風、はたまたフリーク・サウンドの阿鼻叫喚なスタイルまで、とにかく「およそ考えられる音楽の手法すべて」を駆使して自在に演奏出来る、優れたビッグ・バンドのリーダーであり、一流の鍵盤楽器奏者です。

1940年代後半にジャズ・ミュージシャンとしての活動を始めたと言われている彼は、1993年に土星に還る(この星の言葉で言うところの死去する)まで、常にジャズという音楽の最前線で演奏しながら、多くの先鋭的かつ革新的なミュージシャン達とは全く違う独自のやり方で、メインストリームに属するものでもあり、アンダーグラウンドに属するものでもある、あらゆる可能性に満ち溢れた演奏を繰り広げ、時に音楽というカテゴライズからも自由に飛び出した、新たな表現手法を生み出してきました。

有名なジャズ・ミュージシャンで彼の影響を受けたのは、ジョン・コルトレーンを筆頭に、枚数にいとまがありませんが、ジャズ以外でもジョージ・クリントンやアース・ウインド&ファイアー、フェラ・クティ、MC5、ジャイルス・ピーターソンなどなど、R&B、ロック、アフリカン・ミュージック、ハウスなどのアーティスト/DJで彼を崇拝して、その音楽的遺産から多くを得ている人は数知れず(デトロイト・テクノはジャンルそのものの源流にサン・ラーがいるとすら言われています)。

1960年代から70年代までは、彼の自由な表現に対する理解はまだ薄く、その派手で風変わりなアーケストラの手作り衣装やダンスや寸劇もあるステージでのパフォーマンス、そして真面目な顔で宇宙の摂理を語るサン・ラーを「変人」と決めつけることで、ずっと彼をアングラとかキワモノとか世の中は言ってきましたが、時代が変わり、彼の音楽がその時代のちょっと先を行く音楽のある部分を先取りしてやっていた事や、彼の語る宇宙の摂理や平和(調和)を説いたメッセージが、よくあるデタラメなスピリチュアリズムとは違い、歴史や科学や世界中の宗教の思想を深く研究した上で丁寧に考え抜かれてきた、地に足の付いた哲学だという事が、残されたインタビューや発言の分析から知られてくると、ジャズというジャンルに囚われない「音楽は音楽」で自由に楽しもうという人々に、本当に真剣に支持され、そして再評価されてきたのです。


アタシも最初にサン・ラーと出会った時は、その派手で奇抜な衣装を見て笑いました。

インタビュー記事を読んで、自分は土星人であるとか、地球人は正しく導かれなければいけないとか、そういったことを真剣に語るサン・ラーに「おぉ、ぶっ飛んでるのぉー」と思ったものです。

で、演奏を聴いて(最初に聴いたのは『Space Is The Place』↓)





「これは・・・凄い!最高にイカレてるけど最高にちゃんとしてる!!」

と、衝撃を受けた訳です。


そんな事を言っても、まだ実際にサン・ラーの動いて演奏をする姿を見たことがなかったうちは

「すごくカッコいい音楽」

のうちでしかなかったんです。

が!


本当の意味での衝撃は、ビデオ映像で”サン・ラーの動く姿”を見た時だったんです。




サン・ラーはよく

「我々の演奏は、ただ耳に入ってくる音楽だけではない。衣装も演奏で、ダンスも演奏、ステージの上での誰かが喋ってメッセージを発してもそれは演奏だ」

というような事を言います。

それは意地悪な言い方をすれば、とっても理想的な理屈です。

ちょっとカッコいいバンドがそういう風に言えば、そりゃあ全部がそう思えるだろうと。

で「どんなもんかのー」とビデオで見たサン・ラーの演奏


・・・!!

・・・・・・!!!!

一言で言えば、彼らの音楽は絶対にあの衣装でなければダメだし、この音楽にこの衣装でなければ、この歌ったり踊ったりのステージはあり得ないし、サン・ラーがこの音楽をやっていて、こういった衣装を着て、こういうパフォーマンスを素晴らしいクオリティで見せてくれるから「宇宙が」とか「地球人は」とか言っても、全然嘘くさくならんのです。









それでもまだ「サン・ラーなんて変わったことやってる変なオッサン」だと思ってる人は、この最高のドキュメント・ムービーを見てください。

のっけからその深淵な宇宙哲学を、まるで大学教授のような知的な口調で語るサン・ラー、そして演奏シーン、共同生活しているアパートでの、びっくりするほど真剣なリハーサル、みんなで経営している駄菓子屋に訪れる子供たちとの、心温まるふれあいのシーン、もう何て言えばいいんでしょうね、これほどまでに音楽の本質と共に、アーティストとして生きる人々全部に共通する本質をありのまま(しかもマイナスな過激さは一切なく)ピュアな形で撮りきった音楽ドキュメンタリーってありません。

今はyoutubeがあるから、サン・ラーのライヴ映像はいくらでも観られますが、このドキュメントは字幕付きは動画で出回ってませんし、何より音楽はもちろん最高ですが、ビジュアルも思想も音楽と同じぐらい深い感動を与えてくれるサン・ラーの素晴らしさは、字幕付きのこのDVDで全ての音楽的にじっくりと堪能してもらいたいと思います。

「サン・ラを知ってからロックが楽しく聴けるようになった。だって今の90年代のロックがやれそうでやれないようなことまで何十年も前にサン・ラがやってるもんね」

とは、あるバンドマンの言ですが、その後に

「突き抜けてカッコイイことやってるヤツを聴くと、コレをやらなきゃいけないって思うよね。でもサン・ラの凄いところは”別にやらなくてもいい”って思わせてくれるところだと思う。あれしろこれしろ、こう感じろとは聴く人に絶対押し付けない。オレらは自由に楽しんでるからお前も好きにやれって感じ?自由過ぎてカッコイイわ」

と、言ってくれたことを思い出して、あ、サン・ラー信者のアタシが長々書いてきた今までの文章が、この2言で全部綺麗にまとめられたと思っています。そんなサン・ラーはやっぱり突き抜けております。





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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年05月20日

ビッグ・ビル・ブルーンジィ シングス・フォーク・ソング

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ビッグ・ビル・ブルーンジィ/シングス・フォーク・ソング

(Smithonian Folkway/ライス・レコード)


さて、ビッグ・ビル・ブルーンジーでございます。

はいはい、戦前から戦後を通して”ブルースの都”であります北部の大都会シカゴ。このシカゴで戦前にスターとして君臨し、あのマディ・ウォーターズを見出して色々と面倒を見たボスマンとして知られておりますことは、このブログの読者の皆さんは既にご存知でありましょう。

マディ親分がまだ親分じゃなかった頃のビッグ・ビルとの交友は、ホントに心温まるヒューマンドラマです↓




で、そのビッグ・ビル、非常に面倒見が良かっただけじゃなくて、ギタリストとしても驚愕のテクニックを持っていて、例えば戦前ブルースの世界では”神クラスのギターピッカー”といえば単音ソロのテクニックがまず人外で、その他リズム感や歌伴におけるアプローチも完璧な人としてロニー・ジョンソンという人がおりまして、一方で一本のギターでピアノの右手と左手を同時に弾きこなしてしまうラグタイムギターの化け物として、ブラインド・ブレイクという人がおりました。

まずこの二人が、戦前ブルースのギターにおける絶対的な二本柱なんですね。同時代のあらゆるブルースマンは、この2人のレコードを聴いて、その驚異的なギター・テクニックに衝撃を受け、多かれ少なかれ影響を受けておったんです。

で、ビッグ・ビルは、その二本柱の一人であるブラインド・ブレイク、この人と一緒に共演して、楽しく対抗できる程の腕前の持ち主でありました。

全く狂わない正確なタイム感で、まるで2本のギターが同時に演奏をこなしているようなラグタイムに、単音チョーキングでほろ苦く甘酸っぱい味を出せる、バラードでのソロの妙味が堪能出来る戦前録音は、これはもう全ブルースギターを志す人にとってバイブルと言って良いものでしょう。




このように、戦前シカゴで実力派としてその名を轟かせたビッグ・ビルでしたが、戦後は皮肉にも自分が見出したマディ・ウォーターズが全く新しいエレクトリック・バンド・ブルース・スタイルをシカゴのスタンダードとして、その波に押し出されるような形でシーンの表舞台から静かにフェイドアウトして行きました。

「ブルースの電気化に対応できなかった」と言われることもあるビッグ・ビルでありますが、実はエレキギターを使ってブルースを演奏する先駆者でもあったのです。聴いてみると甘いチョーキングを活かしたなかなかにオシャレなサウンドでいい感じなんですが、戦後のラウドでワイルドなサウンドを求める聴衆には、その良さはなかなか伝わらなかったと言うべきか。とにかく戦前から戦後のブルースの橋渡し的役割を終えたビッグ・ビルのサウンドは、1940年代の終焉と共に、伝説となって行ったのです。

1950年代、黒人聴衆達はラジオやジュークボックスから流れるワイルドなブルース、そして最新のリズム・アンド・ブルースに夢中になっておりました。

流行からは遠ざかっていたビッグ・ビルでしたが、実はそのままミュージシャンを辞めてしまった訳ではありません。1951年にはメジャー・レーベルのマーキュリーと契約、ここでベースのみをバックにしたほとんど弾き語りに近い演奏や、管楽器などを入れたジャンプ風アレンジなど、様々な音楽的な試みを行っておりますが、この時の契約は短期間で終わり、レコード・セールスではなかなかパッとしなかったそうですが、彼には別の方向から再起のチャンスが回ってきます。

それは、初めてのヨーロッパ・ツアーで行った白人聴衆の前での生演奏であります。

実は当時ヨーロッパでは、ちょっとしたトラディショナル・ブームが沸き起こっており、アメリカでは既に時代遅れと言われていたディキシーランド・ジャズのバンドがあちこちで結成されたり、古い時代のブルースやゴスペルも求められておったのです。

1951年のヨーロッパ・ツアーでビッグ・ビルは、ディキシーランド・ジャズと楽しく共演したり、アコースティック・ギターを持っての弾き語りを行いました。

どちらもシカゴのクラブでは「何だそんな古臭せぇ音楽!」とバカにされて終わるようなオールド・スタイルです。

しかし、ヨーロッパの聴衆はこれらの演奏を純粋に楽しんで、そしてアコースティックなブルースも真面目に聴いてビッグ・ビルに喝采を送りました。

アメリカでははしゃぎたい客のためにダンスビートを提供したり、ワイワイガヤガヤのクラブの中で、如何にして聴衆を楽しませるかに心血を注いでいたビッグ・ビルは、このヨーロッパの観衆達の態度に「なんじゃこりゃあ」とびっくりしました。びっくりしましたが、肌の色も文化も違う彼らが自分の音楽に真剣に接し、また自分自身の事も黒人としてではなく、一人のアーティストとして扱ってくれる、この事に言い知れぬ感動を覚えます。


他のブルースマンなら

「なぁ、ヨーロッパの連中は不思議だよなぁ。じっと真面目に聴いてるから、良かったのか悪かったのかちっともわかんねぇ」

となるかも知れません。

が、ビッグ・ビルにはその状況を理解し、受け入れるだけの教養がありました。


彼は他のブルースマン同様、音楽で食えるようになるために様々な仕事をしておりましたが、その中でひとつポーターという高級寝台車の荷物係をやってたんです。


このポーター、制服がカッコ良く、かつ所作や喋り方に品がある上に、危険な肉体労働ではないということで、労働者階級には憧れの職業なんですが、この高級寝台車を制作運用していた会社がプルマン。

鉄道の職員は普通鉄道会社の人員なんですが、ポーターのような他の汽車にはない職業の人員は、プルマンが直接雇った人達なんですね。で、雇われていたのはほとんど黒人です。このプルマンという会社が、当時としては珍しく、労働者の待遇も真剣に考え、ポーター達のほとんどが労働組合に参加し、会社と対等に賃金や休暇についての交渉を行う事も出来ておりました。

こういった経験があったから、ビッグ・ビルはヨーロッパの白人聴衆の反応は、雰囲気で察する事が出来たし、また、音楽の世界へ行っても自ら音楽家組合の中心メンバーとしてブルースマン達のために色々な活動を行い、また個人的にもマディ・ウォーターズのような才能ある若者に仕事の世話をしたり、とにかく元々の性格だけではない”出来た人”の振る舞いがしっかりと経験として身に付いておったんです。


「これは!」と思ったビッグ・ビルは、何と大幅な方向転換を行います。

つまり、アコースティック・ギターを手にして、その昔南部で覚えた古いブルースやバラッド、スピリチュアルなんかを歌う、つまり、それまでブルースマン達は常に新しいもの新しいものとスタイルを進化させていくのが当たり前だったんですが、ここで彼は誰もやったことのない「古いスタイルへの回帰」というものを大胆に行いました。

これは恐らく、音楽の歴史が始まって以来初の事だったと思います。

周囲は「何だって古いスタイルに回帰するんだい?」と不思議に思い、誰も理解出来なかったと言います。

が、賢明な彼には分かっていました。今までやっていた自分のブルースは、もう黒人の若い連中には見向きもされない、ブルースだって今新しいリズム・アンド・ブルースに勢いは押されてどこまで続くか分からない。黒人社会ではブルースは思い出したくない暗い過去でもあるんだ、あぁ、南部生まれのオレにはよく分かる。もしもブルースを埋もれた砂の中から引き上げて、音楽として評価してくれる連中がいるとしたら、それは白人の若い連中だろう。と。





【収録曲】
1.バックウォーター・ブルース
2.ジス・トレイン
3.アイ・ドント・ウォント・ノー・ウーマン
4.マーサ
5.テル・ミー・フー
6.ビル・ベイリー
7.アルバータ
8.ゴーイン・ダウン・ジス・ロード
9.テル・ミー・ホワット・カインド・オヴ・マン・ジーザス・イズ
10.ジョン・ヘンリー
11.グローリー・オヴ・ラヴ


ビッグ・ビルの読みは見事に的中し、ヨーロッパでの好評の勢いはそのままに、1950年代中頃から徐々にアメリカでも西海岸やニューヨークのインテリな若者達の間で盛り上がっていた「ルーツ・ミュージック再評価」の流れに彼は見事に乗ります。

で、60年代、ロックンロールのムーブメントが終わるとその反動で一気にフォーク&ブルース・リヴァイバルの波が押し寄せ、戦前に活躍していた伝説のブルースマン達が次々と再発見されてシーンを沸かせることになるのですが、彼は残念ながら1958年にガンのためこの世を去り、そのリヴァイバルの先駆者として多くの人に記憶されることになります。

50年代のビッグ・ビルは、白人プロデューサーやコンサート・プロモーターらの要請で、ギター弾き語りで古いスタイルの曲をできるだけトラディショナルなスタイルでやってくれとか、彼自身の設定を「ミシシッピの小作農兼ブルースマン」ということでやってくれとか、そういった本来の彼ではないことを演じさせられる音楽活動でもありました。

ところがビッグ・ビル、こういった要請にも嫌な顔ひとつせずに「あぁいいよ、出来るよ」と、キッチリ応えていたそうです。

戦前のシカゴ・ブルースの顔と呼ばれ、ひとつの歴史とスタイルを作り上げてきたほどの人があっさりと過去を捨て「白人の求めるブルースマン」を、全くの虚構を混ぜて演じる事に、本心ではこれはどんな人でも穏やかではないと思うのですが、そういった多少の無茶も何のその、実に活き活きとしたパワフルな声の張りと、泥臭さの中にしれっと潜ませた高度なテクニックのギターの醍醐味が聴けるのがこの時期のビッグ・ビルの素晴らしいところです。

オススメとして今日皆さんに聴いて頂きたいのが、1956年にスミソニアン・フォークウェイズで録音した弾き語りをまとめた『シングス・フォーク・ソング』。

細かいこたぁ言いません、このアルバムのシンプルな弾き語りの中で上質な蒸留酒の如く香り立つ深南部の香りと、シティ・ブルース要素はほぼ抑えて派手には弾いていないとはいえ、オブリガードやちょっとしたフレーズ運びの中に無限の”粋”を感じさせる職人的神業ギターのカッコ良さに聴き惚れて欲しいのです。

実は戦後になってトラディショナルなスタイルになってからのビッグ・ビルの作品は、ブルースファンには作為的なイメージがあるのか、あまり評判がよろしくありません。

はい、アタシも「演じさせられてるのはホンモノじゃないなぁ」と聴かず嫌いをしておったんですが、ブルースマンとして生きるために何にでもなってきた、そして何者を演じることも出来るしっかりとした技量があったビッグ・ビルの真髄を、ちゃんと聴こうではありませんか。


『フォークソングの話をするヤツがいて、ブルースの話をするヤツがいる。全く別扱いだ、くだらんね、どっちも(オレらにとっちゃあ)フォークソング(民族の歌)で一緒なのにな。馬が歌ってるわけじゃあるまいし』


『同じブルースを持った人間なんて一人としていやしないね。ブルースってのは生れつきのもんさ、人生の何かだよ。死んだヤツからは、ブルースは出てこない』

−ビッグ・ビル・ブルーンジィ







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2018年05月19日

アルゼンチンのタンゴ

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アルゼンチンのタンゴ
(Naxos)


クラシック・ギターの音色が好きです。

「パラン」と「ポワン」の絶妙な中間、あの美しくふくよかな弾力でコーティングされた、どこか遠くへ連れて行ってくれそうな、静かな哀愁を湛えた音。

いわゆる鉄弦のアコースティック・ギターとはまた違って、ナイロン製の柔らかい弦だからこそのこの音色、これがいいんですよね。

その昔は”ガット”と呼ばれる羊の腸を弦としていたことから”ガットギター”とも呼ばれるこの楽器は、エレキやアコギも全部ひっくるめて「ギター」と呼ばれるものの最初の形だそうです。

その原型はインドやペルシャ方面から、徐々にその形を変えてイベリア半島、つまり今のスペインにやってきて、長い時間をかけてギターという楽器になって行ったと。

ちょっと歴史的な事になりますが、スペインっていう所は、今でこそバリバリのヨーロッパで、バリバリのキリスト教国でありますが、その昔はイスラム教徒が支配していた時期も結構長くて、北アフリカ経由で今で言うアラブ諸国やインドからの移民も多く、彼らがギターの原型をこの地で生み出し、フラメンコなどの音楽も作って、独自の文化を育んできたんですね。

クラシックギターが、旋律の中でその豊かな余韻を伸ばす時、こちらの心の中にも郷愁がきゅ〜んと伸びて、何とも胸を締め付けられる感覚になりますのは、その音色が出来上がるまでの悠久の歴史みたいなものが、知らず知らずのうちにこっちの心に響くからなんだろうなぁとか、勝手に思っております。

そんなクラシックギターの音色、存分に楽しめるものとしては、もちろんクラシックの、特にスペインの作曲家の作品なんかがとてもいいんですが、近年になって『クラシックギターで聴くアルゼンチン・タンゴ』というものが密かに盛り上がっていて、えぇ、これが大体ギター1本とかで演奏されているのが多いので、ギターをじっくり聴きたいという方には、とってもオススメできるんですよ。

え?クラシックなのにタンゴ?タンゴってあのバンドネオンとか使ってやるやつでしょ?それに何だか社交ダンスのイメージがあって、ギターで演奏するってのはあんまり想像できないんだけど大丈夫かぁ?

と、お思いの人は多いと思いますし、アタシも最初はそんな風に思っておりましたが、これが大丈夫なんですね。

タンゴという音楽は、元々アルゼンチンの酒場で生まれた、娯楽音楽です。

当初タンゴの大きな目的は、もちろんその場にいる人達を踊らせることでありましたが、徐々に進化するにつれて、ホールでの鑑賞にも耐えうる芸術音楽として世界に認知されるようになりました。

その最大の功労者は、クラシック理論も極めたタンゴ・マエストロ、アストル・ピアソラであります。


ピアソラが作った、リズムとハーモニーの粋を尽くして作りこんだ楽曲は、1990年代以降クラシック演奏家達の愛好するところとなって、ヨーヨー・マやクレーメルらによる『プレイズ・ピアソラ』系アルバムがリリースされると、これが好評を博し、今やクラシックのコンサートでは、盛り上げるに欠かせないレパートリーとして、タンゴ曲が演奏されるなんてことが当たり前になりました。

ヴァイオリンやチェロ奏者が録音したタンゴが世界的に受け入れられているのを見て「これはいいな!」とやる気を起こしたのが、クラシック界のギター奏者達なんです。

何でかというと、クラシックの重要レパートリーといえば、ほとんどがオーストリアやドイツなど、交響楽が発達した時代の有名作曲家達のものです。

そこにギターが入り込む余地というのはほとんどなく、レパートリーに出来るものといったらやはり最初からギターのために作られたスペインの作曲家の曲か、ルネッサンス期の主にイタリアの音楽、そしてバッハぐらいのものという選択肢の少なさに、ギター界(ってあるのかな?)は悩まされておったんですね。


ピアソラの曲やタンゴの曲は、ギターでも演奏出来るし、その哀愁溢れる楽曲は、クラシックギターの音色とピッタリの相性です。

それに元々スペインの植民地で、タンゴを作った人達もスペイン系移民ということで、これはもうタンゴとクラシックギターの親和性というのはナチュラルに高い訳でありますよ。







【収録曲】
1.凧が飛ぶ夢(ブラスケス)
2.決闘のミロンガ(モスカルディーニ)
3.最後のグレーラ(ピアソラ)
4.リベルタンゴ(ピアソラ)
5.想いのとどく日(ガルデル)
6.帰還(ガルデル)
7.ミリタリー・タップ(モレス)
8.メランコリコ(フリアン・プラザ)
9.ノスタルヒコ(フリアン・プラザ)
10.南(トロイロ)
11.ティリンゴたちのために(モスカルディーニ)
12.アディオス・ノニーノ(ピアソラ)
13.ブエノス・アイレス午前零時(ピアソラ)
14.ハシント・チクラーナ(ピアソラ)
15.勝利(ピアソラ)
16.ラ・レコータ(コセンティーノ)
17.わが愛のミロンガ(ラウレンス)
18.ミロンガ・デル71(ビターレ)

(演奏:ビクトル・ビリャダンゴス)


クラシックギターの良質な音盤を、素晴らしく掘り下げた深い内容で世に出しているレーベルといえば、香港の”Naxos"です。

セールス的には大丈夫かと思ってしまうぐらい、マイナーな作曲家のものなんかも惜しげなくリリースしてくれるこのレーベルはクラシックギター好きには実に有難く、かつ「有名/無名に関係なくいい音楽聴きたいぞ」というシビアな欲求も満たしてくれる、本当に素敵なレーベルなんですが、ここが「クラシックギターで聴くアルゼンチンタンゴ」の決定盤ともいえるアルバムを出しております。

はい、粋なジャケットに『アルゼンチンのタンゴ』というまんまなタイトルが付いたこのアルバム。

完全にギター1本で、アルゼンチンのタンゴがたっぷり楽しめる。しかも、演奏しているのはアルゼンチン生まれアルゼンチン生まれのクラシックギター奏者、ビクトル・ビリャダンゴス。地元でタンゴという音楽の空気や意味が、骨の髄まで染み込んでいることはもちろん、それを理論も技術もしっかり極めたクラシックギターのやり方で聴かせてくれる名人が弾いておりますから、これはもうギター好きにとっては願ったり叶ったりな内容でないはずがございません。

アタシは正直最初「うん、お目当てのピアソラの”リベルタンゴ”が入ってるから買ってみたけど、ピアソラ以外の作曲家ほとんど知らんなぁ、いいのかな、大丈夫かな」とかなり不安だったんですが、これがピアソラに一切劣らない、狂おしい抒情に溢れた名曲揃いで、個人的にこのアルバムをきっかけに、ピアソラ以外のアルゼンチン・タンゴの(日本では)あんまり知られていない素晴らしい作曲家達を知ることに繋がりました。

演奏は、タンゴの情熱を上質な”憂い”に仕立て上げてじっくり聴かせる素晴らしいものです。

ビリャダンゴスは、流石に名手と呼ばれるだけあって、感情に流されず、奥底にあるエモーショナルを旋律の深いところに込めて弦を弾くことに関しては余人の及ばない領域ですね。「しっとりと聴かせる」の幅をまずしっかりと定めて、その中でヒリヒリとしたタンゴならではの感情の高ぶりを無駄のない、後から余韻がじんと染みる表現で丁寧に聴く人の耳と心に染み込ませてくれるので、聴いてて疲れないし、どの曲も飽きません。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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