2018年05月20日

ビッグ・ビル・ブルーンジィ シングス・フォーク・ソング

625.jpg
ビッグ・ビル・ブルーンジィ/シングス・フォーク・ソング

(Smithonian Folkway/ライス・レコード)


さて、ビッグ・ビル・ブルーンジーでございます。

はいはい、戦前から戦後を通して”ブルースの都”であります北部の大都会シカゴ。このシカゴで戦前にスターとして君臨し、あのマディ・ウォーターズを見出して色々と面倒を見たボスマンとして知られておりますことは、このブログの読者の皆さんは既にご存知でありましょう。

マディ親分がまだ親分じゃなかった頃のビッグ・ビルとの交友は、ホントに心温まるヒューマンドラマです↓




で、そのビッグ・ビル、非常に面倒見が良かっただけじゃなくて、ギタリストとしても驚愕のテクニックを持っていて、例えば戦前ブルースの世界では”神クラスのギターピッカー”といえば単音ソロのテクニックがまず人外で、その他リズム感や歌伴におけるアプローチも完璧な人としてロニー・ジョンソンという人がおりまして、一方で一本のギターでピアノの右手と左手を同時に弾きこなしてしまうラグタイムギターの化け物として、ブラインド・ブレイクという人がおりました。

まずこの二人が、戦前ブルースのギターにおける絶対的な二本柱なんですね。同時代のあらゆるブルースマンは、この2人のレコードを聴いて、その驚異的なギター・テクニックに衝撃を受け、多かれ少なかれ影響を受けておったんです。

で、ビッグ・ビルは、その二本柱の一人であるブラインド・ブレイク、この人と一緒に共演して、楽しく対抗できる程の腕前の持ち主でありました。

全く狂わない正確なタイム感で、まるで2本のギターが同時に演奏をこなしているようなラグタイムに、単音チョーキングでほろ苦く甘酸っぱい味を出せる、バラードでのソロの妙味が堪能出来る戦前録音は、これはもう全ブルースギターを志す人にとってバイブルと言って良いものでしょう。




このように、戦前シカゴで実力派としてその名を轟かせたビッグ・ビルでしたが、戦後は皮肉にも自分が見出したマディ・ウォーターズが全く新しいエレクトリック・バンド・ブルース・スタイルをシカゴのスタンダードとして、その波に押し出されるような形でシーンの表舞台から静かにフェイドアウトして行きました。

「ブルースの電気化に対応できなかった」と言われることもあるビッグ・ビルでありますが、実はエレキギターを使ってブルースを演奏する先駆者でもあったのです。聴いてみると甘いチョーキングを活かしたなかなかにオシャレなサウンドでいい感じなんですが、戦後のラウドでワイルドなサウンドを求める聴衆には、その良さはなかなか伝わらなかったと言うべきか。とにかく戦前から戦後のブルースの橋渡し的役割を終えたビッグ・ビルのサウンドは、1940年代の終焉と共に、伝説となって行ったのです。

1950年代、黒人聴衆達はラジオやジュークボックスから流れるワイルドなブルース、そして最新のリズム・アンド・ブルースに夢中になっておりました。

流行からは遠ざかっていたビッグ・ビルでしたが、実はそのままミュージシャンを辞めてしまった訳ではありません。1951年にはメジャー・レーベルのマーキュリーと契約、ここでベースのみをバックにしたほとんど弾き語りに近い演奏や、管楽器などを入れたジャンプ風アレンジなど、様々な音楽的な試みを行っておりますが、この時の契約は短期間で終わり、レコード・セールスではなかなかパッとしなかったそうですが、彼には別の方向から再起のチャンスが回ってきます。

それは、初めてのヨーロッパ・ツアーで行った白人聴衆の前での生演奏であります。

実は当時ヨーロッパでは、ちょっとしたトラディショナル・ブームが沸き起こっており、アメリカでは既に時代遅れと言われていたディキシーランド・ジャズのバンドがあちこちで結成されたり、古い時代のブルースやゴスペルも求められておったのです。

1951年のヨーロッパ・ツアーでビッグ・ビルは、ディキシーランド・ジャズと楽しく共演したり、アコースティック・ギターを持っての弾き語りを行いました。

どちらもシカゴのクラブでは「何だそんな古臭せぇ音楽!」とバカにされて終わるようなオールド・スタイルです。

しかし、ヨーロッパの聴衆はこれらの演奏を純粋に楽しんで、そしてアコースティックなブルースも真面目に聴いてビッグ・ビルに喝采を送りました。

アメリカでははしゃぎたい客のためにダンスビートを提供したり、ワイワイガヤガヤのクラブの中で、如何にして聴衆を楽しませるかに心血を注いでいたビッグ・ビルは、このヨーロッパの観衆達の態度に「なんじゃこりゃあ」とびっくりしました。びっくりしましたが、肌の色も文化も違う彼らが自分の音楽に真剣に接し、また自分自身の事も黒人としてではなく、一人のアーティストとして扱ってくれる、この事に言い知れぬ感動を覚えます。


他のブルースマンなら

「なぁ、ヨーロッパの連中は不思議だよなぁ。じっと真面目に聴いてるから、良かったのか悪かったのかちっともわかんねぇ」

となるかも知れません。

が、ビッグ・ビルにはその状況を理解し、受け入れるだけの教養がありました。


彼は他のブルースマン同様、音楽で食えるようになるために様々な仕事をしておりましたが、その中でひとつポーターという高級寝台車の荷物係をやってたんです。


このポーター、制服がカッコ良く、かつ所作や喋り方に品がある上に、危険な肉体労働ではないということで、労働者階級には憧れの職業なんですが、この高級寝台車を制作運用していた会社がプルマン。

鉄道の職員は普通鉄道会社の人員なんですが、ポーターのような他の汽車にはない職業の人員は、プルマンが直接雇った人達なんですね。で、雇われていたのはほとんど黒人です。このプルマンという会社が、当時としては珍しく、労働者の待遇も真剣に考え、ポーター達のほとんどが労働組合に参加し、会社と対等に賃金や休暇についての交渉を行う事も出来ておりました。

こういった経験があったから、ビッグ・ビルはヨーロッパの白人聴衆の反応は、雰囲気で察する事が出来たし、また、音楽の世界へ行っても自ら音楽家組合の中心メンバーとしてブルースマン達のために色々な活動を行い、また個人的にもマディ・ウォーターズのような才能ある若者に仕事の世話をしたり、とにかく元々の性格だけではない”出来た人”の振る舞いがしっかりと経験として身に付いておったんです。


「これは!」と思ったビッグ・ビルは、何と大幅な方向転換を行います。

つまり、アコースティック・ギターを手にして、その昔南部で覚えた古いブルースやバラッド、スピリチュアルなんかを歌う、つまり、それまでブルースマン達は常に新しいもの新しいものとスタイルを進化させていくのが当たり前だったんですが、ここで彼は誰もやったことのない「古いスタイルへの回帰」というものを大胆に行いました。

これは恐らく、音楽の歴史が始まって以来初の事だったと思います。

周囲は「何だって古いスタイルに回帰するんだい?」と不思議に思い、誰も理解出来なかったと言います。

が、賢明な彼には分かっていました。今までやっていた自分のブルースは、もう黒人の若い連中には見向きもされない、ブルースだって今新しいリズム・アンド・ブルースに勢いは押されてどこまで続くか分からない。黒人社会ではブルースは思い出したくない暗い過去でもあるんだ、あぁ、南部生まれのオレにはよく分かる。もしもブルースを埋もれた砂の中から引き上げて、音楽として評価してくれる連中がいるとしたら、それは白人の若い連中だろう。と。





【収録曲】
1.バックウォーター・ブルース
2.ジス・トレイン
3.アイ・ドント・ウォント・ノー・ウーマン
4.マーサ
5.テル・ミー・フー
6.ビル・ベイリー
7.アルバータ
8.ゴーイン・ダウン・ジス・ロード
9.テル・ミー・ホワット・カインド・オヴ・マン・ジーザス・イズ
10.ジョン・ヘンリー
11.グローリー・オヴ・ラヴ


ビッグ・ビルの読みは見事に的中し、ヨーロッパでの好評の勢いはそのままに、1950年代中頃から徐々にアメリカでも西海岸やニューヨークのインテリな若者達の間で盛り上がっていた「ルーツ・ミュージック再評価」の流れに彼は見事に乗ります。

で、60年代、ロックンロールのムーブメントが終わるとその反動で一気にフォーク&ブルース・リヴァイバルの波が押し寄せ、戦前に活躍していた伝説のブルースマン達が次々と再発見されてシーンを沸かせることになるのですが、彼は残念ながら1958年にガンのためこの世を去り、そのリヴァイバルの先駆者として多くの人に記憶されることになります。

50年代のビッグ・ビルは、白人プロデューサーやコンサート・プロモーターらの要請で、ギター弾き語りで古いスタイルの曲をできるだけトラディショナルなスタイルでやってくれとか、彼自身の設定を「ミシシッピの小作農兼ブルースマン」ということでやってくれとか、そういった本来の彼ではないことを演じさせられる音楽活動でもありました。

ところがビッグ・ビル、こういった要請にも嫌な顔ひとつせずに「あぁいいよ、出来るよ」と、キッチリ応えていたそうです。

戦前のシカゴ・ブルースの顔と呼ばれ、ひとつの歴史とスタイルを作り上げてきたほどの人があっさりと過去を捨て「白人の求めるブルースマン」を、全くの虚構を混ぜて演じる事に、本心ではこれはどんな人でも穏やかではないと思うのですが、そういった多少の無茶も何のその、実に活き活きとしたパワフルな声の張りと、泥臭さの中にしれっと潜ませた高度なテクニックのギターの醍醐味が聴けるのがこの時期のビッグ・ビルの素晴らしいところです。

オススメとして今日皆さんに聴いて頂きたいのが、1956年にスミソニアン・フォークウェイズで録音した弾き語りをまとめた『シングス・フォーク・ソング』。

細かいこたぁ言いません、このアルバムのシンプルな弾き語りの中で上質な蒸留酒の如く香り立つ深南部の香りと、シティ・ブルース要素はほぼ抑えて派手には弾いていないとはいえ、オブリガードやちょっとしたフレーズ運びの中に無限の”粋”を感じさせる職人的神業ギターのカッコ良さに聴き惚れて欲しいのです。

実は戦後になってトラディショナルなスタイルになってからのビッグ・ビルの作品は、ブルースファンには作為的なイメージがあるのか、あまり評判がよろしくありません。

はい、アタシも「演じさせられてるのはホンモノじゃないなぁ」と聴かず嫌いをしておったんですが、ブルースマンとして生きるために何にでもなってきた、そして何者を演じることも出来るしっかりとした技量があったビッグ・ビルの真髄を、ちゃんと聴こうではありませんか。


『フォークソングの話をするヤツがいて、ブルースの話をするヤツがいる。全く別扱いだ、くだらんね、どっちも(オレらにとっちゃあ)フォークソング(民族の歌)で一緒なのにな。馬が歌ってるわけじゃあるまいし』


『同じブルースを持った人間なんて一人としていやしないね。ブルースってのは生れつきのもんさ、人生の何かだよ。死んだヤツからは、ブルースは出てこない』

−ビッグ・ビル・ブルーンジィ







”ビッグ・ビル・ブルーンジィ”関連記事






”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 17:25| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする