2018年06月20日

フガジ 13Songs

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FUGAZI/13 Songs
(Dischod)


時は1994年のグランジ/オルタナティヴ・ブームの頃、18歳のアタシは埼玉県川越市におりました。

まぁその、川越といっても小江戸情緒の漂う中都会、川越駅周辺のことではなく、延々と拡がる国道沿いの畑の中にある、諏訪町のアパートがアタシの家でございまして、そこからの最寄り駅は上福岡駅でありました。

奄美の田舎から上京してきた小僧が住むには、まぁあまり息苦しくない、都会都会していない環境で良かったなぁと思っておりますが、今日お話ししたいのは、そんなことではありません。

都会に上るまでは電車なんぞ使ったことなかったので、電車での移動とか切符を買って改札を通過するとか、東武東上線から別の路線へ乗り換えるとか、そういうのは非常に緊張を強いる作業であり、友達が出来るまでの最初の頃はもう、ただ最寄り駅周辺をウロウロするだけの生活だったんです。

幸い上福岡の駅前はちょっとした街で、本屋さんもありましたし、CD屋さんも3件はありました。

そのうちの1件が、駅から一番遠くて、一番小さなお店だったんですが、オルタナやヘヴィメタルの在庫が結構充実してたんですよね。

アタシといえば、高校時代には全く知らなかった”オルタナティヴ・ロック”なる音楽を、意味も分からんまま「パンクとメタルの中間みたいなヤツだろう」と思うがままに、主に音楽雑誌で探してはCDを買うという生活をしておりました。

知らない土地で遊ぶ友達もいないので、学校終わったらフラフラと20分ぐらいかけて駅前に行き、フラフラと本屋で音楽雑誌を買い、そこでオルタナティヴと呼ばれてるバンドの情報をチェックしては、そのままCD屋でチェックしたバンドのCDをとりあえず買ってみるという生活をしてました。

その、オルタナやヘヴィメタの在庫が充実したお店で初めて買ったのがフガジです。

で、実はイアン・マッケイのバンドでありますマイナー・スレットよりも先に知ったのはフガジだったんです。

そして、アタシがマイナー・スレットという素晴らしいハードコアバンドに興味を持ったのもフガシがきっかけでした。

1988年結成のフガシは、フロントマンであるイアン・マッケイのそれまでの活動から、オルタナティヴ・ロックのシーンでは既に大御所というか「この分野の草分け」みたいに書かれておりました。

アタシはとにかく何事も”源流”が好きであります。

ニルヴァーナが流行って、当然ニルヴァーナを好きになったら、その瞬間に

「ニルヴァーナが影響を受けたバンドって何だろう」

と考える訳です。

そんな思考でしたから、その当時のグランジに影響を与えたバンド達、つまりフガジやバッドホール・サーファーズ、バッド・ブレインズというのは、音を聴く前から何か特別な存在ではありましたが、雑誌などでフガジの事はことごとく

「硬派」

「ハードコアのスピリッツ」

「インディーズの重鎮」

とか、そういう十代のアタシがワクワクするような言葉で紹介されていたから、こりゃ当然CDも買って聴かなきゃだろうと思っていたんです。


加えて、雑誌で「オススメ」と紹介されていたアルバムのジャケットのカッコ良さも、アタシの購買意欲に火を点けました。

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これですねぇ。何でそうなってるのかわからんが、とにかくライヴ中にヴォーカリスト(イアン)が逆さまになるぐらいの激しいパフォーマンスをするバンドなんですよ。こういうのって大事ですよ。

で、フガジは何枚か買いました。

残念ながら、というか不思議な事に、このジャケットのCDとは出会えず、あれこれ「うん、このジャケじゃないけどまぁいいか・・・」と思いつつ、お店の人に訊く事も出来ぬまま購入してたんです。

フガジのサウンドは、思ったよりもあの時代の「グランジ系オルタナティヴ・ロック」という感じではなく、ジャケットからイメージしていた、ズンダンドタドタの高速ハードコアでもなく、どっちかというと70年代のパンクロックに近い、粗削りなサウンドながら曲の輪郭がしっかりしているもので、アタシは「あ、これはパンクでカッコイイなぁ」と思いながら聴いてましたし、今もフガジはそういうバンドだと思って聴いております。





13 Songs

【収録曲】
1.Waiting Room
2.Bulldog Front
3.Bad Mouth
4.Burning
5.Give Me The Cure
6.Suggestion
7.Glue Man
8.Margin Walker
9.And The Same
10.Burning Too
11.Provisional
12.Lockdown
13.Promises


「これは何枚目のアルバム」とか、よく知りもせんままにボチボチ購入したアルバムの中で、最初にグッときたのは真っ赤なジャケットの『13 Songs』でした。

や、基本的にフガジのアルバムはどれも脇目を振らない一本気な音作りで、軒並みカッコイイんですが、とにかくこの1曲目『Waiting Room』です。

コリコリと硬めの音で鳴り響く落ち着いたベースのイントロから、疾走しないしっかりとしたビート、そして大好きなクラッシュのセカンド辺りに入っていそうな、ポップなコーラスが効いた握り拳系パンクなこの曲。

フガジの音楽は、サウンドはとってもソリッドでパワフルなのに、スピードや勢いに流されない。何というか、揺るぎない信念でもってそこに立っているという感じがします。そして、その信念ゆえの優しさが溢れてるんですよね。

後になって、フガジ時代のイアン・マッケイは、未成年がライヴを楽しめるようにチケット代をなるべく安く設定し、アルコールを提供しない会場で、モッシュやダイヴで暴れることを厳しく禁止する(オーディエンスの安全のために)事をライヴでは徹底していた事を知り、その音楽の芯のある優しさの背景を知ってフガジとイアン・マッケイがますます好きになりました。

それからしばらくしてマイナー・スレットを知って、今度はこっちの勢いガンガンの、飾りのないハードコア・サウンドにすっかりヤラレてしまったという訳です。

ちなみに、この『13 songs』、1993年にリリースされた彼らの初期音源集で、内容は1988年にレコードでリリースされた7曲入りEP盤『7 songs』と、翌1989年の6曲入りEP盤『Margin Walker』をプラスしてCD化されたもの。

アタシがどうしても欲しかったけど結局見付けきれずに買えなかったあの”逆立ちジャケ”のタイトルが実は『7 songs』という事はつまり、あの”逆立ちジャケ”の音源は、最初の頃に買っていたこのCDに全部入っていたということなんです。いゃっほう♪






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2018年06月18日

マイナー・スレット Complete Dicography

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MINOR THREAT/COMPLETE DISCOGRAPHY
(Dischord)


皆さんこんばんは、アメリカンハードコアについて語ると、どうしても長くなってしまいますことを反省して、ちょいちょいと小分けにすることを思い立ちましたので、本日もアメリカンハードコアについて語りたいと思います。

よく「パンクとハードコアの違いって何?」と訊かれます。

ふむ、パンクもハードコアも、音楽として括るために作られたジャンル分けでありますが、元々はイギリスやアメリカの、閉塞した社会に不満を持つ若者達の思想や物の考え方がこう呼ばれていたものなので、頭で考えても結論めいたものは未来永劫出ないだろうとは思います。

考え方としては

・世の中の既存のルールに従わないこと=パンク

・世の中の既存のルールに徹底的に従わないこと=ハードコア

という風にアタシは解釈しておりますが、ハードコアはパンクを更に先鋭化させた思想であり、かつ、元々のパンクのオリジナルな考え方にもハードコアな姿勢というものがございます。

例えば「ぶっ壊しちまえ!世の中はインチキ、オレらもお前らもインチキさ」と全てにおいてアナーキーな突っ張り方をしたのがセックス・ピストルズならば、「いや、お前たち、破壊するのはもちろん結構だしどんどんやれだが、壊す事にも美学がなきゃいかん、それとリスペクトな。これ大事だぞ」と言ったのが、ジョー・ストラマー先輩率いるザ・クラッシュであります。

どちらもパンクであり、どちらもハードコア思想に大きな影響を与えておりますね。

さて、アメリカの80年代ハードコアはどうだったかというと、彼らの音楽は既存の音楽からの影響を一切無視したかのような『高速ビート+3コードの乱暴なコードカッティング+生身の言葉をひたすら暴力的にぶつけるヴォーカル』というアナーキー極まりない無秩序なスタイルではありましたが、「既存に屈しない」「業界の力を極力借りず、自分達の力で演奏し、場所も確保し、レコードも制作する(DIY)」などの姿勢的な面では、英国のパンクロックどころかアメリカのそれまでの音楽よりも、強烈なポリシーと自分達なりの秩序というものを持っていたんじゃないかと思うのです。

で、このハードコアの”秩序”というものを考えた時、必ず出て来る大きな存在の人間が二人おります。

ヘンリー・ロリンズとイアン・マッケイです。


共にロックのお約束である『セックス、ドラッグ、アルコール』とは頑として距離を置き、その激しい音楽性とは裏腹に、クリーンなハードコア/クリーンなロックというものを提唱し、今もその求道的な姿勢をリスペクトして実践するハードコアやヘヴィロックのアーティストがいっぱいいるカリスマですが、本日ご紹介するのは、そんな求道的な姿勢を”ストレート・エッジ”という思想へと昇華させたイアン・マッケイと、彼が率いたマイナー・スレットについてお話します。

1980年から83年と、実質3年間という短い活動期間でありましたが、マイナー・スレットは80年代アメリカン・ハードコアの伝説として語り継がれております。

その発端は、ホワイトハウスなど、アメリカの政治の中枢があるワシントンD.C.で、1979年にイアン・マッケイ(ヴォーカル)とジェフ・ネルソン(ドラムス)という十代のパンクロック好きな少年が中心となって、ティーン・アイドルズというバンドを結成した事から始まります。

彼らは最初セックス・ピストルズのようなロックンロール色の強いバンドであったと云われておりますが、同じくワシントンD.C.で暴れまわっていた黒人ハードコアバンド、バッド・ブレインズから強く影響を受けて、ビートの速いハードコアサウンドをすぐに轟かせるようになります。

当時、シーンとして全国に先駆けてハードコアが最も盛んだったのは西海岸です。

ティーン・アイドルズのメンバー達は、憧れだったデッド・ケネディーズやブラック・フラッグ、サークル・ジャークスのライヴを観に、わざわざロサンゼルスやサンフランシスコまで出かけますが、この時十代だったため、ライヴハウスでは「コイツらにアルコールを提供したらダメだよ」という印として、手の甲にバツ印を書かれました。

この”手の甲のバツ印”が、後にストレート・エッジ思想を持つ人達のシンボルのようになります。

ハードコアの連中といえば、世の中への不平不満をストレートな言葉でとにかく絶叫するスタイルを取り、イアンのヴォーカル・スタイルも確かに単語絶叫系ではあるのですが、歌詞は皮肉や挑発、そしてかなり具体的な”社会システムへの不満”という分析と攻撃が一体となった知的で力強い構成で、実際に彼の思想と行動は「具体的に体制を壊す」ということに照準が定められておりました。

ティーン・アイドルズはライヴで稼いだ金(といっても、十代の彼らは大人のバンドがやってるような高い料金設定のライヴが出来なかったので、低く設定されたチケット代の利益)をコツコツと溜めて、自主製作のEP盤をリリースするという、それまでどのバンドもやってこなかった快挙を成し遂げます。

ロックバンドの連中といえば、ブルースの昔から「カネは日銭、稼いだら派手に遊んで使う」というのがミュージシャンの常識だったのですが、彼らはこの常識をもブチ壊し、やがてティーン・アイドルズは1年で解散しますが、イアンとジェフはEP盤の評判が良かった事に手ごたえを感じ、今も続くディスコード・レコードというレーベルを立ち上げ、新バンド、マイナー・スレットを結成します。





Complete Discography

【収録曲】
1.Filler
2.I Don't Wanna Hear It
3.Seeing Red
4.Straight Edge
5.Small Man, Big Mouth
6.Screaming At A Wall
7.Bottled Violence
8.Minor Threat
9.Stand Up
10.12XU
11.In My Eyes
12.Out Of Step (With The World)
13.Guilty Of Being White
14.Steppin' Stone
15.Betray
16.It Follows
17.Think Again
18.Look Back And Laugh
19.Sob Story
20.No Reason
21.Little Friend
22.Out Of Step
23.Cashing In
24.Stumped
25.Good Guys (Don't Wear White)
26.Salad Days


最初のメンバーはイアン・マッケイ(ヴォーカル)、ジェフ・ネルソン(ドラム)、ライル・プレスラー (ギター) 、ブライアン・ベイカー (ベース) です。

81年に2枚のEP盤をリリースした直後に一旦解散して翌82年に新たなメンバーとしてスティーヴ・ハンセンを加入させ、バンドは復活。元々ベーシストだったブライアン・ベイカーがギターに転向し、ツインギター編成になります。

マイナー・スレットはそのエッジの効いたヘヴィな演奏と、やはり自主製作のEPがツアー先で評判となり、全国に知られるようになりましたが、新メンバーでリリースした2枚のEPをレコーディングした後、元々ギクシャクしていた人間関係が限界に達して解散。


イアンはその後、オルタナティヴロックの元祖と言われる”フガジ”の中心となり、ブライアンはバッド・ブレインズ、スティーヴはセカンド・ウィンドと、それぞれ重要バンドのメンバーとして活躍します。

イアンの唱えた”ストレート・エッジ”は、その後も多くのバンドやアーティスト、ハードコアが好きなキッズ達に引き継がれていきますが、その思想は徐々にイアンが唱えていた頃の「ハードコアを健全に楽しもうぜ」という純粋なものから、排他的なものになってしまいました。

それに対してイアンは今でもディスコード・レコードで硬派なパンク/ハードコアのリリースを続け、若者向けにチケット代¥1000以下で楽しめるコンサートを主催し、やっぱり酒もドラッグもタバコもしない、筋を通した生き方を貫いております。

マイナー・スレットのアルバムとしては、前期4枚のEPとデモ音源をまとめたこの『13 Songs』が、彼らの音源がほぼ全部入ってる唯一のアルバムです。

攻撃的で、ガリガリにとんがった、インパクト最高スクエア上等の王道ハードコア・サウンドな曲がほとんどでありますが、後半のややポップな曲が、後のイアンのオルタナティヴ・ロックな展開を思わせたり、楽曲のバリエーションは驚くほど豊かで、この時代のハードコアバンドとして、驚くほどの柔軟性が感じられます。






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2018年06月17日

アメリカンハードコア(DVD)


アメリカン・ハードコア [DVD]


はいィ、皆さんこんばんば。

台風6号も奄美市は直撃を免れてホッと一息でありますよ。で、えぇと、今日は父の日ですね、という訳で本日は偉大なる現代ロックの父、アメリカン・ハードコアのことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

「え?ハードコアって80年代に出て来たどっちかっていうと新しい音楽じゃん?その前にイギリスのパンクがあって、60年代のロックがあって、50年代のロックンロールがあるから、ロックの父な訳ないんじゃないの?頭イカレてるの?」

というお言葉もチラホラ聞こえておりますが、気にしない。気のせいです。

何でアメリカンハードコアが今のロックのお父ちゃんかと言いますと、それにはちゃんと理由があります。

えぇと、アタシはまどろっこしい話は嫌いなんで、まずサクッと言い切ってしまいますと「業界を経由しないで生まれ出て、シーンを構成した初めてのロック」がアメリカンハードコアであるからなんです。

はい、終わり。

え、終わらない。


大事なのは社会背景です。

パンクロックが”パンクロック”として誕生したのは1970年代のイギリスです。

当時イギリスは社会保障財源の不足や植民地の相次ぐ独立などで経済が失速し、その結果若者や労働者の生活が大変な事になっておりました。

こういった状況に対するフラストレーションから生まれた思想が、70年代のアメリカン・アンダーグラウンドのガレージ・シーンから音楽的影響を受け、パンクロックという音楽が生まれました。

えぇと、本当はもっと複雑な事情ですが、分かりやすくするためにはしょってます。

「パンク」という言葉は元々アナーキーな思想や生き方を指す言葉だったのですが、この流行に目を付けた音楽業界やファッション業界が、やはりカテゴリを作って行くんですね。

80年代になってパンクロックの衝動的なエネルギーは、もっと”チャート映え”するようなポップな音楽になったり、或いは地下に潜ったりして、その鳴りを潜めていきますが、「体制への不満を爆発させる」「既存の価値観の全てを攻撃する」「このイギリスパンクのアティテュードに刺激を受けたのが、アメリカのアンダーグラウンドに居た若者達です。

ここでアメリカの状況を説明しておきましょう。

70年代から80年代にかけてのアメリカはイケイケです。

第二次世界大戦後に現れた資本主義陣営と社会主義陣営の対立、いわゆる冷戦という構造は、一方で軍事や科学産業を活性化させ、特に1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンによって”強いアメリカ”が提唱されて、国は更に豊かになる・・・。

はずであり、確かに表面的にはその政策は成功していたかのように見えたのですが、レーガン大統領の政策というのは、産業に巨額の投資をする一方で社会保障費を削減するという、とことん弱肉強食の自由主義政策であった為、貧困によって社会に希望を見出せず、ドロップアウトする人達の層も固定化されてしまいました。

その頃の音楽はどうだったかというと、これはもう一言でいえば「バブリー」です。

流行といえば派手で軽薄なディスコ・ミュージックに、ギンギラギンの衣装に身を包んだロックスターがもてはやされ、それはまるで「世の中に暗いものなどないんだ、深刻なことなんかないんだから踊ったり騒いだりしながら熱狂しよう」といった、とことん享楽的な、完全に”産業”が主導したものでありました。

「いや、世の中はそれでいいかもわからんが、俺たちはそーじゃねぇ、不満もいっぱいあるし、叫びたい衝動もある」

と、思っていたのはドロップアウトした若者達。

でも、音楽をやろうにも何をするにも、カネがないと出来ない。音楽だってお勉強して理論を身に付けないと何かダメみたいな雰囲気、あぁしゃらくせぇ、カネなんかねぇよ!理論とか知るか!イギリスのパンクの連中だってお前やかましくコード弾いてるだけじゃねぇか!だっただオレらだって勝手にやるわい!!

と、彼らはちょっと広い場所があるならどこでもと、ガレージや空き店舗、教会、友人の家、屋外、その他もろもろの”カネのかからない場所”に勝手に機材を持って行って、爆音で社会への不満をひたすら絶叫することから始めました。


そうやって誕生したのがハードコアです。


心の中で、生活の周辺で渦巻くありとあらゆる不満や憎悪を、詩的表現などかなぐり捨てて叫ぶヴォーカル、構成も余韻も全て排除し、ただスピードと破壊力に特化した演奏は、期せずしてそれまでの

「ブルースやカントリー、ロックンロールなどのルーツからの影響を全く受けない音楽」

として、それまでの人種やローカルコミュニティの背景とは全く違う階層から出て来た最初の音楽こそがハードコアだったのです。


それまでの”ノリの良い音楽”の必須条件だったダンスを拒絶したハードコアのライヴからは、オーディエンス同士が激しく揉み合う”モッシュ”や、距離のないステージに飛び込んで乱入する”ダイブ”が生み出されたことも、ハードコアが今の音楽に残した大きな影響のひとつでしょう。


80年代アメリカの一見豊かな社会がもたらした、かつてない閉塞。これを打ち破る暴力的なエネルギーそのものがハードコアだったと言えるでしょう。ライヴ会場では暴動や乱闘は当たり前、”常識”ではステージの上でスターとして扱われるはずのバンドメンバーですら、ステージに上がって来た客と殴り合いを始める。それは新しい音楽の革命というよりも、鬱屈とした社会のフラストレーションを破壊し尽くすための、ある種の社会運動としの側面を持つようになりました。


こう書くとハードコアは無秩序でどうしようもないと思う方もいらっしゃるでしょうが、ドラッグやアルコールを否定する”ストレート・エッジ”という思想や、健全でストイックな考え方を提唱したのもハードコアです。

色んな意味で”全く新しかったハードコアという音楽(現象)”は、その後各地のアンダーグラウンドにシーンを作り、そこで土着して現在に至ります。メジャーには一切ならなかった音楽でありますが、そのシーンを通過してメジャーになり、90年代以降の音楽を牽引した人も多く、その影響はヒップホップやテクノなど、ジャンルを超えて今も拡がっております。

ふう

このDVDは、そんなハードコアがどんなものだったか、当時活躍したバンド(ブラック・フラッグ、マイナー・スレット、バッド・ブレインズ、フガジ、ミスフィッツ等)メンバーのリアルな証言に加え、ライヴ映像も(全曲通してはないものの)凄まじく貴重なものばかりで、とんもない臨場感で理解できる、このテのものでは究極と言っていいドキュメントです。音楽の原点、いや単純に生きる事に迷った時、アタシは繰り返し観ております。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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