2018年06月16日

風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン

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風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan

(Ace/MSIレコード)



音楽を聴くという作業は、どこか家を建てる作業と似ております。


まず最初に衝撃を受けた”原点の音楽”があるとすれば、それは家の最も大切な部分を支える柱となり、そこを軸に色んな音楽を聴いて、知って、集めて行く上でまた新しいのを知って、聴いて・・・と、徐々に屋根とか内装とか、窓とかそういったものが出来て行くのです。

アタシにとっての音楽の”柱”は、パンクロックとアメリカン・フォーク・ソングであります。

スピード感があって刺激的なパンクロックと、アコースティック・ギターの伴奏で歌われる素朴なフォークソング、その聴いた印象は全くと言っていいほど違う音楽ではありましたが、何か深い所で通じるものがある。カッコイイ言い方をすれば音楽的な手法は違うかもわからんが、奥底に持っているスピリッツという意味ではこれらの音楽は一緒だと、アタマの悪い中学生ながら、アタシは感じておった訳です。

そもそものきっかけは、パンクロックのどっぷりハマッていた頃に、たまたまテレビで観たカントリー・フェスティバルの演奏でした。

バンジョーとかマンドリンとか、当時見たこともない楽器の物珍しさとか、バンドが全員生楽器でドラムもいないのに、何でこんなに迫力があってウキウキした音を出せるんだろうとか(その時ステージで演奏していたのはブルーグラス界のレジェンド、ビル・モンローでした)、とにかく言葉にならない衝撃を受けて、その夜帰って来た親父に

「あの、アメリカ人がギターとかヴァイオリンとか使ってやる・・・えぇと、あのアメリカの田舎とかでよく流れていそうな音楽ってアレ何だ!?」

と興奮して訊いたら

「そりゃお前カントリーだ、何観たんだ?え?白髪のもみあげの長いじーさんが、ちっちゃいギターみたいなのを持って、見た目とは全然違う高くて若い声で歌ってたって?んで、何か凄い大物みたいな扱いを受けてた?そりゃお前ビル・モンローだろう」


と、教えてもらい、そうだカントリーを聴こう!と思い立ち、じゃあビル・モンロー以外でどのカントリーを聴けばいいのかと更に訪ねたんですね。

そしたら親父、ちょいと考えて

「そりゃお前ボブ・ディランだな」

と。

その時親父が考えておったのは多分

「え〜、カントリーかよ〜、勘弁してくれよ国内盤少ないんだよ〜」

というのと

「ボブ・ディランを知る事でカントリーももっと深く知る事が出来るしブルースも聴くようになるぞしめしめ」

という事だったと思いますが、結果として親父のこの策は大当たりでした。

(詳しくは過去にコラムで書いたコチラを読んでくださればと思います↓)




最初は、何だか鼻つまんだような声で歌う変わったオッサンぐらいに思ってたボブ・ディランでしたが、その時リアルタイムでリリースされた弾き語りアルバム『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や、雑誌で読んだ記事の「ボブ・ディランはフォークシンガーのウディ・ガスリーに影響を受けた。彼のギターには”This Guitar Kills Fascists”と書いてあった」とかいう文章を読んで、この人の表現姿勢や音楽からの影響の受け方にパンクを感て衝撃を受けたと同時に、ボブ・ディランの楽曲経由でブルースやカントリー、ゴスペルなど、広大なアメリカン・ルーツ・ミュージックの世界にアタシは漕ぎ出す事ができました。

ボブ・ディランの曲って不思議なんですよね。

10代20代の頃、昔(60年代〜70年代)のアルバムを聴いて、その時「ほぉ〜いいねぇ」と思ったら、誰か他の人のカヴァーを聴いて「は!?すげぇいい曲!!」となって、感心してオリジナルを聴くと相乗効果で更に「凄いいい曲だったんだ・・・」と感じる。最初に極め付けだったのがジミ・ヘンドリックスがカヴァーした『見張り塔からずっと』で、それからガンズ・アンド・ローゼスの『天国の扉』バーズの『ミスター・タンブリン・マン』と王道を辿って、それがまたどれもカッコ良かったもんだから、ますますボブ・ディランにハマり、今度は「ボブ・ディランってソウルとかR&Bの人達によくカヴァーされているよね』という話。

サム・クックが『風に吹かれて』を聴いて「この曲は僕達黒人の気持ちを歌ってる、よし、ではこの曲のアンサーソングを作ろう!」と、彼を代表する名曲『ザ・チェンジ・ゴナ・カム』を作り上げたという話と、同じく『風に吹かれて』をカヴァーして大ヒットさせたスティーヴィー・ワンダーが、10代の頃からボブ・ディランの大ファンで、楽曲をカヴァーしまくっていたという事実を知り、アタシの興味はボブ・ディランという一人のアーティストよりも、何故彼の歌うフォークソングが、同時代のコミュニティの違う黒人ミュージシャン達を虜にしたのか?という壮大なテーマに向かっておりました。







風に吹かれて~ブラック・アメリカが歌うボブ・ディラン



【収録曲(アーティスト)】

1.風に吹かれて(O.V. ライト)
2.北国の少女 (ハワード・テイト)
3.あわれな移民 (マリオン・ウィリアムズ)
4.マギーズ・ファーム (ソロモン・バーク)
5.くよくよするなよ (ブルック・ベントン)
6.ビュイック6型の想い出 (ゲイリー US ボンズ)
7.ザ・マン・イン・ミー (ザ・パースエーションズ)
8.ライク・ア・ローリング・ストーン (メジャー・ハリス)
9.神が味方 (ザ・ネヴィル・ブラザーズ)
10.ミスター・タンブリン・マン (コン・ファンク・シャン)
11.戦争の親玉 (ザ・ステイプル・シンガーズ)
12.アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(ビル・ブランドン)
13.我が道を行く (パティ・ラベル)
14.天国への扉 (ブッカー T ジョーンズ)
15.見張塔からずっと (ボビー・ウォーマック)
16.女の如く (ニーナ・シモン)
17.アイ・シャル・ビー・リリースト (フレディ・スコット)
18.レイ・レディ・レイ (アイズレー・ブラザーズ)
19.今宵はきみと (エスター・フィリップス)
20.エモーショナリィ・ユアーズ (オージェイズ)


言うまでもなくボブ・ディランの音楽には、アメリカン・ミュージックの根っこにある深い部分、つまりカントリーやブルースはもちろん、それより前の時代のヒルビリー(カントリーのご先祖)から、黒人も白人も歌っていたトラッド・ソングやスピリチュアル(ゴスペルのルーツ)などのルーツが最大の滋養となっております。

ディランがこれらの音楽、そして当時それらの楽曲を歌っていた人々への深いリスペクトを作品に反映させていただけではなく”その頃”の感覚、つまり大恐慌時代の貧しい環境に置かれた労働者達や、奴隷時代に報われない強いられていた人々の感情などを、リアルタイムで様々な形で湧き上がっていた社会問題と重ね合わせて「何故?どうして?」というメッセージを常に激しく発していた事は、60年代アメリカの黒人公民権運動そのものに強い刺激を与え、意識を共有する多くのソウルやR&B、ジャズなどのミュージシャン達のインスピレーションの源にもなりました。

だからディランの曲は、ソウルやR&Bのカヴァーが多く存在するんですね。そして、どんな人がどんなアレンジで歌っても演奏しても、あたかもそれが遠い昔から存在するブルースのソウル・アレンジとかに思えてしまうほど、ブラック・ミュージックとしての確かな骨格を持っているんです。

アタシの中では、少年時代にイコールで繋がった『ボブ・ディランとブラック・ミュージック』ですが、それにどういった深い意味があり、カヴァーしている人達がどんな感情を重ね合わせてその曲を採り上げているのかはまだまだおぼろげでありますので、優れたソウル・シンガー達が残した極上のボブ・ディラン・カヴァー曲を、少しでも多く聴きまくって、心の栄養にしたいと思います。

『ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン』と名付けられたこのアルバムは、編集盤やリイシューを作らせたら本当に素晴らしいものを作る英ACEレーベルの愛がひしひしと感じさせる、極上のボブ・ディラン・カヴァー・アルバムです。

それぞれの曲とアーティストについては思い入れがありすぎて、解説すると文字数がとんでもないことになりそうなので、これはぜひ皆さんで「この曲いい!」という曲をぜひ見付けて堪能してください。そして「ボブ・ディランを歌うこと」で、ソウル/R&Bの人達がどのようなメッセージを世の中に放っていたか(いずれも深く、そして優しくてファンキーな名カヴァーです)を感じてください。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月14日

ギロッポン あ

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ギロッポン/あ
(呑福盤印)


え、いや、マジで!?(泣)

という具合に、先日ご紹介したサウスブロウ10年ぶりの復活アルバム『STAIN』の記事への反響がとても大きくて暖かくて、アタシはこの数日涙もろくなっております。

今日もちょっと前半に思い出話をしますんで、すいませんが悪しからずお付き合いくださいね。

まずアタシは、今このパソコンをカタカタやってる場所の近くで、親父とサウンズパルというお店をやっておりました。

2006年頃からの急激な売り上げの落ち込みと、道路拡張による立ち退きが決定的となって一旦閉じてしまったんですが、幸いな事に島の本当に音楽が好きなお客さんに支えられて、お店が無くなってもCDやレコードの注文を頂きますし、ブログもこうやって書き続けることが出来ております。

若いお客さんには「いやぁ、色々教えてもらったよ」と言われたりするんですが、よくよく思い返してみれば、アタシはどっちかというと人にものを教えるのは苦手で「あ、この人とは音楽の話が出来そうだな」という人を見付けては声をかけ「これ、いいよ。一緒に聴こう♪」と、ただ遊んでいただけのような気がします。いや、多分きっとそうです。

そんなアタシと遊んでくれたみんなというのは、1999年から2011年までの中学生高校生、そして20代の若い人達だったんですけど、まぁ素晴らしかった。

何が素晴らしかったかというと、特にバンドとか音楽やってる人達は、アタシが「いいよ!」というのはもちろん聴いてくれて「いいね!」と言ってくれたりくれなかったり、それぞれグッとくる反応を貰ってたんですが、アタシが「いいよ!」という前に、この人達の中でしっかりと「自分はこれが好き!」というのが、確固としてある人達ばかりだったんです。

皆さんご存知のように奄美は田舎です。

でも、その田舎な街で、J-POPが好きな人もいれば海外のロックが好きな人もいる、レゲエ、ヒップホップ、テクノ、プログレ、ブルース、ジャズ・・・。音楽好きそれぞれが、全員「みんなが好きなもの」の方向を向く訳でなく、良い意味で好き勝手自分好みの音楽を探して、それととことん向き合っている、お店では毎日そんな素敵な光景を目にすることが出来ました。

そんな素敵な感性を持っている若い人達は、やっぱり人間としても非常に魅力的で、その言葉や所作、ファッションのちょっとした所に至るまで、確実に「自分なり」のポリシーが滲み出て、そういうところも「おぉ、カッコイイな」と思って見ておりました。

カッコイイ人は、やっぱり高校を卒業して都会に行ってもカッコ良くて、更にそのカッコ良さを磨いてるんです。

で”あの時”の高校生で最高にインパクトがあった人として、現ギロッポンのチンギス君がおります。

第一印象を一言で言えば

「もう本当に顔が怖かった」

と、言うことに尽きるでしょう。

や、イカツい若者は、それまでもいっぱいいたし、その頃もいっぱいいたんですよ。

でも、この人の顔は他の人とは何かが違う、奥行きのあるイカツさだった。

実際喋ってみると、好きな音楽も、言葉のひとつひとつもピシャッと筋が通っていて(高校生です)、年上にはとても礼儀正しく、後輩や女子供お年寄り、小動物には常に優しい笑みとソフトな対応を忘れずに、とっても優しかった。それが余計に”ホンモノ”っぽくて(高校生です)、この人がお店に現れるようになってから、アタシの日常には最高に心地良い緊張感が漂うようになりました。

音楽の話、もちろんたくさんしました。特に印象深いのは、当時若い人に人気だったいくつかのバンドのことについて語った時、「音」「歌詞」ということにしっかりとした軸を置いて、鋭く分析した的確な評をしていたことです。

アタシがちょいとピンとこないバンドでも、この人の言葉を思い出しながら聴くと結構納得してツボにハマれる事がよくあって、そこでアタシの音楽の幅も拡げてもらったこと、今でも感謝しかありません。

バンド活動もこの頃からやっていて、それは今ギロッポンでやっていることと、基本姿勢はほとんどというか全く変わっておりません。

ヘヴィな音を突き詰め、その突き詰めたサウンドをどう響かせるのか、突き詰めた先にどのような言葉を放てばいいのか、イカツい顔をますますイカツくしながらピュアに語る表情は、ミュージシャンというよりも修行僧、もっとわかりやすく言えば鎌倉時代とかの荒法師のそのストイックさをヒリヒリと感じさせる、実に哲学的な表情でありました(高校生です)。







【収録曲】
1.明けの鴎
2.或いは、赤く
3.歩けども-take2-
4.虚-take2-


チンギス君は、そんな鎌倉時代の荒法師フィロソフィーなオーラを纏いながら上京し、共に島から上ったドラマーのトム君と”ギロッポン”を結成。

えぇと、確かあれは2006年だったから、今年は結成12年目ですね。

メンバーチェンジを経て、現在は

チンギス(Vo,g)
マエカワラクニオ(b)
シゲちゃん!!!(ds)

の3ピースで、八王子を拠点に暴れております。

ちょくちょく「今、こんな感じでやってます!」と、デモ音源を送ってくれたり、帰省した時はその度に耳や顔に穴が増えてたり辮髪とかモヒカンになってたり、第一印象の「もう本当に顔が怖かった」を「もう本当に顔が怖い」の見事な現在進行形に進化した雄姿を見せてくれたんですが、アタシは分かりました。会う毎にサウンドをゴンゴンヘヴィなものにして、その歌詞をギリギリまで尖らせて優しく光らせてきたであろうことが。

去年音源を聴かせてもらって、そのヘヴィ極まりない音と、嘘みたいな調和で満たされた美しい言葉が凄まじい圧力で炸裂しているその曲に、もうアタシの胸はドキドキが止まらなかったんですが、その時「あぁ、ギロッポンは10年だよ。10年ずっとずっとひとつのアツいものと壊れそうなものを磨いて叩いて燃やして練って、ここまで音楽美しくしたんだな」と、これは何て言えばいいんでしょう、もちろん個人的にすごく知っている人の、これまでも昔の音源から最近のライヴ映像とかでずっと聴いてきて、その音楽のコアな部分はまったく変わってない、安直な「ハードコア」とか「ヘヴィネス」という言葉では決して語れない硬派なバンドということは十分に知っていたはずなんですが、ここへきていきなりギロッポンが「今まで知らなかったけど聴いたらヤバイぐらいに衝撃を受けた未知のバンド」みたいに感じられて、それはもう言葉では言えない高まりが、ヴォーカルの絶叫や耳をつんざくギターの轟音や、腹にクるベースの爆音や、重厚なドラムのリズムと共鳴して激しく踊り出して、で、今、彼らの初の全国流通となった4曲入りミニアルバム『あ』を聴きながら、そんな高まりを確信へと昇華させています。


今日もちょっと奄美のこととか、一人の友人としてのチンギス君のアツい話とか、クドクドしましたが、アタシが究極的に素晴らしいと思ったのは、音楽というのは徹底的に”個”に帰属するもので、アタシが知っているはずの”チンギス”という人と”ギロッポン”というバンドが、その音楽を10年かけて未知の領域まで来た事で、アタシは完全に個としてギロッポンの音楽に興奮したり感動したりすることが出来てそれが嬉しいです。


この『あ』の音源でPVが公開されている『歩けどもtake2』という曲があります(youtubeでも試聴できますのでぜひ聴いてください)。

行き場のない気持ちを抱えながら途方に暮れる訳ではなく”行き場がないことそのもののエネルギー”みたいなものが、思考しながら生きている人間には常にあって、そういった重たいといえばすごく重たいテーマを、小細工とか理屈とか一切こねくり回さずに、もがいたりのたうち回ったりしながら”音”として吐き出してるギロッポンはカッコイイんです。ギロッポンはカッコイイバンドなんです。


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月12日

サウスブロウ STAIN

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SOUTH BLOW/STAIN
(BLACK JACK RECODS)


生きていると嬉しいことがありまして、あの、今日はもう何かいきなり個人的なこと全開で、多分最後まで個人的バリバリで行くと思いますんで、そこだけご了承くださいね。

えぇ、生きてると嬉しいことがあるんですよ。

サウンズパルは名瀬市(現奄美市)の街の真ん中、末広町という所でやっていたお店です。

1988年に、アタシの親父が勤め人を辞めて一念発起して始めた小さなCDショップだったんです。

時代はレコードからCDに移り変わる時で、これが良かったんですね、元々の親父のキャラもあって人気のお店になって、で、99年にアタシが東京から帰って来て一緒にやっておりまして、そこでまぁ色んな人達と心を通わせながら音楽というものの素晴らしさを発信出来るお店になれたらなぁ、なんて思いながらお店に来る、主に中学生や高校生の子達と「あれが面白い」「コレがカッコイイ!」という話に毎日花を咲かせながら、90年代から2000年代までを楽しくやっていました。

それがおかしくなったのは、2006年頃ぐらいからでしたね。大体学年に5人ぐらいは「みんながまだ注目してないアーティストを先に聴いてやるぞ!」と意欲に燃える子が居て、その子の影響で1週間後ぐらいからその子が買っていったCDの問い合わせがたくさん来るというのがあったんですが、ある年代から若い子達が急に「島の外の事に興味ない」感じになってきまして、徐々にロックバンドやる人は少数派、洋楽とか昔の音楽とか聴く人はもっと少数派みたいになってきて、そこから文化に関してはなかなか素晴らしいものがあるなぁと誇りに思っていた奄美がどんどん精神的な田舎になって行って、CDも売れなくなってお店も閉じて今に至ります。

私は今でも正直状況に落ち込んでいる訳ですが、そんな状況下でも「音楽って素晴らしいんだよ」と発信して行くためにこのブログをやっているようなもんであります。

嬉しいのは、やっぱりサウンズパルを好きでいてくれる音楽好きの人達が今も居てくれて、アタシ個人にCDやレコードを注文してくれたり「ブログ読んでるよ、アレの記事面白かった」と、ばったり会った時に声をかけてくれる事があることです。

それで、もっと嬉しい事といえば、昔アタシが点頭に立っていた時に正に高校生とか中学生とかで、お店でたくさん色んな音楽に出会ってバンドを組んで、そして卒業して島を離れてからも好きな音楽をずっと愛しつづけていたり、バンドや表現活動を続けてるよという話を聞く事です。

ちょうどアタシが島に帰って来た時高校生だったのが、碩真也(せきしん)君と長村創(はじめ)君。

せきしん君はとっても明るくて素直な人で、聴いてる音楽もその性格にピッタリ合った元気が出るようなロックや、ポップスでもなかなかセンスのいいバラードを歌うシンガーのCDなんかをサッと見付けて「これいいっすよね」と好んでおり、はじめ君に至ってはその頃から同世代では「ズバ抜けてギターが上手いヤツ」と評判で、その上聴いている音楽の幅広さといったらもうアタシが「ほぉぉ、凄い」と思うほど幅広く、かつ一貫したセンスを感じさせてくれました。

卒業する前には「で、卒業したらどうすんの?バンドやるの?」みたいな話はもうこの時毎年恒例みたいになってて、アタシはバンドやってる人にはほぼ全員に訊いてました。

その時迷いなく「やるっす!」と即答してた人達は、東京や大阪に上ってすぐに活動を始めて、インディーズの雑誌なんかにすぐ載って、有名ライヴハウスなんかであっという間にワンマンとか張れたり、全国区で人気のバンドのオープニングとか務めたり、そういうのを見てアタシはそりゃあもう自分の事のように嬉しかったですね。

それから時が経ち、バンドやってた若い人達も30を超える年齢になり、それぞれ仕事をしたり家庭を持ったりで音楽から離れていった人もおります。そして、好きな音楽をひたすら頑張って続けてる人ももちろんおります。

そういった人達の「頑張ってるよ!」の便りが来ると、アタシも「うぉぉ!俺も頑張るからね!!」と、なれるんです。

せきしん君とはじめ君は、もちろん「やるっす!」の即答組で、大阪ですぐメンバーを見付け、サウスブロウというバンドを結成しました。

卒業から2年ぐらいで自主製作盤をひっさげて関西各地のライヴハウスで精力的な活動を展開し「ライヴがめっちゃいいバンド」みたいな感じで紹介されるようになったらすぐにインディーズデビュー、ラジオ各でのタイアップ決定。奄美サウンズパル限定で出した¥500シングルも全国から問い合わせが殺到して、おぉぉ凄い凄い言ってるうちにビクター(SpeedStar)からメジャー・デビュー。

彼らの音楽は常に純粋で真っ直ぐで、気持ちがいいほどストレートなロックでした。


インディーズからメジャーになっても、音楽性が全く変わらない、ただガンガンに疾走するコードカッティングに、吐くべき言葉を何の装飾もなくポジティヴに発声するヴォーカルは、その当時の日本のロックには”ありそうでない”という奇跡のバランスでキリッと爽やかに屹立していた訳です。

丁度この時期が、先程言った2005年から2006年。

音楽人口(って言い方はどうも不自然であんまり使いたくはないですが)が一気に下降線を下るその時期に、彼らのメジャーでの奮闘は、アタシが思ってるよりきっと大変なことだったと思います。

2007年にセカンド・フルアルバムをリリースして、活動はスローペースで”それぞれ”になって行きました。

せきしん君はアコースティック・ユニット”あおみどり”で、そしてはじめ君は音楽と演劇が融合した不思議なバンド”モーレン(mollen)”での活動を始め、それまでサウスブロウで熱く発散していたエネルギーを、共に内側でじっと温めながら熟成させていくような、それはそんな音楽活動に思えました。


その間、アタシは彼らのブログも読んでいて、上手く言葉には出来ない、どうにも”ひしひしとした気持ち”で音楽を懸命に模索している様子を、切実に感じ取っておりました。






STAIN

【収録曲】
1.月の向こう
2.その自画像
3.願い
4.都会
5.おやすみ
6.長い夜
7.最後の言葉
8.人間交差点
9.LIFE
10.THE SUN



そんな彼らからの嬉しい便りが、およそ10年ぶりのサウスブロウ完全復活(!)

いやもう嬉しかったですよ、そして復活したサウスブロウの音を聴いてもっと嬉しかった。


まずサウンド面から言えば、そのストレートでまっっっったく装飾やあざとさのないストレートなロックサウンドがまっっっったく変わってなかったんです。

あおみどりとモーレンで、音楽的には全く違う事をやっていて、そこで培った”幅”は相当なものだったと思いますが、この人達は得たものを表面にベタベタコーティングするような、そんなチャラいことはしません。「関係ないよ、サウスブロウの音楽やろ」とでも言わんばかりのふっ切れたサウンド。

でも、はじめ君のギターの音は、クリーントーンでもディストーションかましたトーンでも、何というか奥行きが出ていて、それは単に技術的な事ではきっとなくて、もっと根本的な情感の部分での凄い成長なんだろうなと(むしろレコーディング機材は以前よりシンプルになっているはず)、深く感じ入りました。

そしてせきしん君のヴォーカルも、これもう爽快さと声の整った太さは全く変わってなくて、思わず嬉しくて笑ってしまったんですが、歌詞に乗っているそのメッセージ性が凄く心に響く力を増していて、アタシは引き込まれました。

本当に、音楽やめようと思ったことも、アタシにも何度もあったし、報われないこと全部を誰かのせいにしたい事もあったし、一人の部屋で悶々と悩んだ事もこの10年ありました。でも、そういったネガティヴも全部一旦引き受けて力強い言葉にして、吐くべき声で吐いている真っ直ぐで表裏の全くない歌いっぷりにアタシは勇気付けられましたし、このバンドのこの歌を聴いて歌詞を心に入れたらきっとちょいとばかりは救われる人は多いんじゃないかと正直思います。

あと、ずっとサポートメンバーとしてリズムを支え、遂に正式メンバーになったヨコタダイスケさんの、このアルバムでのベースの存在感素晴らしいですね。やっぱりロックバンドには、こういう太い音でブイブイ言うベースですよ。

さて、余りにも個人的な感情を絡めて色々と褒めちぎってきましたが、アタシは最初からサウスブロウは奄美出身だからとか、お店の常連だったからとか、実際イイ奴だからとか、そういう気持ちで褒めているのではありません。彼らの正直過ぎてハラハラするぐらい正直なロック、これは日本のロックシーンには絶対必要・・・違う!ロックシーンなんかいらん!俺個人的にぶっちゃけ救われたから!以上!!


・・・あ、乱暴に終わるのはちょっとアレですので彼らのホームページへのリンク貼っておきます。

アタシが感動した復活作の『月の向こう』のPVも試聴できますんでぜひ観て聴いてくださいね。良いよ。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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