2018年06月17日

アメリカンハードコア(DVD)


アメリカン・ハードコア [DVD]


はいィ、皆さんこんばんば。

台風6号も奄美市は直撃を免れてホッと一息でありますよ。で、えぇと、今日は父の日ですね、という訳で本日は偉大なる現代ロックの父、アメリカン・ハードコアのことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

「え?ハードコアって80年代に出て来たどっちかっていうと新しい音楽じゃん?その前にイギリスのパンクがあって、60年代のロックがあって、50年代のロックンロールがあるから、ロックの父な訳ないんじゃないの?頭イカレてるの?」

というお言葉もチラホラ聞こえておりますが、気にしない。気のせいです。

何でアメリカンハードコアが今のロックのお父ちゃんかと言いますと、それにはちゃんと理由があります。

えぇと、アタシはまどろっこしい話は嫌いなんで、まずサクッと言い切ってしまいますと「業界を経由しないで生まれ出て、シーンを構成した初めてのロック」がアメリカンハードコアであるからなんです。

はい、終わり。

え、終わらない。


大事なのは社会背景です。

パンクロックが”パンクロック”として誕生したのは1970年代のイギリスです。

当時イギリスは社会保障財源の不足や植民地の相次ぐ独立などで経済が失速し、その結果若者や労働者の生活が大変な事になっておりました。

こういった状況に対するフラストレーションから生まれた思想が、70年代のアメリカン・アンダーグラウンドのガレージ・シーンから音楽的影響を受け、パンクロックという音楽が生まれました。

えぇと、本当はもっと複雑な事情ですが、分かりやすくするためにはしょってます。

「パンク」という言葉は元々アナーキーな思想や生き方を指す言葉だったのですが、この流行に目を付けた音楽業界やファッション業界が、やはりカテゴリを作って行くんですね。

80年代になってパンクロックの衝動的なエネルギーは、もっと”チャート映え”するようなポップな音楽になったり、或いは地下に潜ったりして、その鳴りを潜めていきますが、「体制への不満を爆発させる」「既存の価値観の全てを攻撃する」「このイギリスパンクのアティテュードに刺激を受けたのが、アメリカのアンダーグラウンドに居た若者達です。

ここでアメリカの状況を説明しておきましょう。

70年代から80年代にかけてのアメリカはイケイケです。

第二次世界大戦後に現れた資本主義陣営と社会主義陣営の対立、いわゆる冷戦という構造は、一方で軍事や科学産業を活性化させ、特に1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンによって”強いアメリカ”が提唱されて、国は更に豊かになる・・・。

はずであり、確かに表面的にはその政策は成功していたかのように見えたのですが、レーガン大統領の政策というのは、産業に巨額の投資をする一方で社会保障費を削減するという、とことん弱肉強食の自由主義政策であった為、貧困によって社会に希望を見出せず、ドロップアウトする人達の層も固定化されてしまいました。

その頃の音楽はどうだったかというと、これはもう一言でいえば「バブリー」です。

流行といえば派手で軽薄なディスコ・ミュージックに、ギンギラギンの衣装に身を包んだロックスターがもてはやされ、それはまるで「世の中に暗いものなどないんだ、深刻なことなんかないんだから踊ったり騒いだりしながら熱狂しよう」といった、とことん享楽的な、完全に”産業”が主導したものでありました。

「いや、世の中はそれでいいかもわからんが、俺たちはそーじゃねぇ、不満もいっぱいあるし、叫びたい衝動もある」

と、思っていたのはドロップアウトした若者達。

でも、音楽をやろうにも何をするにも、カネがないと出来ない。音楽だってお勉強して理論を身に付けないと何かダメみたいな雰囲気、あぁしゃらくせぇ、カネなんかねぇよ!理論とか知るか!イギリスのパンクの連中だってお前やかましくコード弾いてるだけじゃねぇか!だっただオレらだって勝手にやるわい!!

と、彼らはちょっと広い場所があるならどこでもと、ガレージや空き店舗、教会、友人の家、屋外、その他もろもろの”カネのかからない場所”に勝手に機材を持って行って、爆音で社会への不満をひたすら絶叫することから始めました。


そうやって誕生したのがハードコアです。


心の中で、生活の周辺で渦巻くありとあらゆる不満や憎悪を、詩的表現などかなぐり捨てて叫ぶヴォーカル、構成も余韻も全て排除し、ただスピードと破壊力に特化した演奏は、期せずしてそれまでの

「ブルースやカントリー、ロックンロールなどのルーツからの影響を全く受けない音楽」

として、それまでの人種やローカルコミュニティの背景とは全く違う階層から出て来た最初の音楽こそがハードコアだったのです。


それまでの”ノリの良い音楽”の必須条件だったダンスを拒絶したハードコアのライヴからは、オーディエンス同士が激しく揉み合う”モッシュ”や、距離のないステージに飛び込んで乱入する”ダイブ”が生み出されたことも、ハードコアが今の音楽に残した大きな影響のひとつでしょう。


80年代アメリカの一見豊かな社会がもたらした、かつてない閉塞。これを打ち破る暴力的なエネルギーそのものがハードコアだったと言えるでしょう。ライヴ会場では暴動や乱闘は当たり前、”常識”ではステージの上でスターとして扱われるはずのバンドメンバーですら、ステージに上がって来た客と殴り合いを始める。それは新しい音楽の革命というよりも、鬱屈とした社会のフラストレーションを破壊し尽くすための、ある種の社会運動としの側面を持つようになりました。


こう書くとハードコアは無秩序でどうしようもないと思う方もいらっしゃるでしょうが、ドラッグやアルコールを否定する”ストレート・エッジ”という思想や、健全でストイックな考え方を提唱したのもハードコアです。

色んな意味で”全く新しかったハードコアという音楽(現象)”は、その後各地のアンダーグラウンドにシーンを作り、そこで土着して現在に至ります。メジャーには一切ならなかった音楽でありますが、そのシーンを通過してメジャーになり、90年代以降の音楽を牽引した人も多く、その影響はヒップホップやテクノなど、ジャンルを超えて今も拡がっております。

ふう

このDVDは、そんなハードコアがどんなものだったか、当時活躍したバンド(ブラック・フラッグ、マイナー・スレット、バッド・ブレインズ、フガジ、ミスフィッツ等)メンバーのリアルな証言に加え、ライヴ映像も(全曲通してはないものの)凄まじく貴重なものばかりで、とんもない臨場感で理解できる、このテのものでは究極と言っていいドキュメントです。音楽の原点、いや単純に生きる事に迷った時、アタシは繰り返し観ております。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:16| Comment(0) | DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする