2018年06月25日

チェット・ベイカー ピース

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チェット・ベイカー/ピース
(Enja/ソリッド)


チェット・ベイカーですよ。

えぇ、チェット・ベイカーなんですよ。

何というかもうね、今、梅雨の後半で、もう多分奄美地方梅雨明けするでしょ、そしたらギラッギラの紫外線が容赦なく降り注ぐ夏になってくる。

あぁもう暑いし日差しまぶしいなー、この時期だけなーんにもしないで冷房の効いた場所で自堕落に生きていたいな〜。

と、思うでしょう。

そしたらチェット・ベイカーの、特に晩年といっていい1980年代の音源から流れてくるふわ〜んとしたトランペットの音が


「わかる、わかるよ。だからこっちにおいでよ。もうそんな生きることとか考えなくていいからさ」

って言うんですよ。

そしたらアタシも

「あぁそうだね〜、こんな暑いんだったら頑張って生きてても意味ないよね〜、じゃあそっち行こうか」

と、つい思っちゃう。

で、あ、いかん。と。

何やってんだ、俺、生きねば。と。


チェット・ベイカーの音楽って、彼がデビューした1950年代から、どこかそんなところがあります。

ジャズっていう何だかキラキラした華やかな世界を一身に背負ったイケメンが、そのセクシーなトランペットと声を大事に抱えて、緩やかに破滅の方向に向かってゆわ〜んと進んで行ってるような、これはもちろんアタシは彼のドラッグにまみれて最後は悲惨な末路を辿った人生というものを知っていて、無意識のうちで音楽にその悲劇を重ね合わせているからそう思えるのか、いや違う。アタシが最初にチェット聴いた時、そんな彼の悲惨な人生なんて何にも知らなかった。でも、その淡くアンニュイなラッパと声には、やっぱり穏やかな破滅に向かってる人間の業のようなものの気配をうっすら感じた。

それがロックスターのような(たとえばカート・コバーンのような)、激しく悲痛な叫びに彩られたものだったのなら、逆にまだ救いはあったかも知れない。でも、チェットの音楽はどこまでも優しくて柔らかくて、爽やかですらあるから”うっすら”だったんです。”うっすら”だっただけに余計に言葉に出来ないリアリティを感じてしまいました。


しかしまぁ、若い頃のチェット・ベイカーのサウンドは、そんな危険な芳香と若さゆえの生命の輝きみたいなものがあって、特にヴォーカルなしのトランペット演奏だけやってるアルバムなんかは、純粋にカッコイイ音楽、ウエストコーストの粋でオシャレなジャズとして楽しめる余裕みたいなものがありました。

ヘロインに溺れ、行く先々で麻薬絡みのトラブルを起こし、結果仕事を失ってから何とか復活したのが1970年から73年。

この絶望の期間を経て、活動の拠点をヨーロッパに移したのが1975年なんですが、こっからのチェット・ベイカーが実は凄いんですよ。

深みを増した声の頽廃はもちろん、何と言ってもトランペットの音が凄いんです。

本人が「ふわぁぁ〜ん」と吹くトランペットが、枯淡と幽玄の境地を極めていて、聴くだけであの世の静謐でゾッとするほど清らかな水辺がそこに拡がっているかのような、中毒性の高い音になってるんですが、それだけじゃなくて共演者のサウンドまでその幽玄に染めていて、バックの繰り出す音までが、どうもこの世の響きじゃない何かを有しているように感じられてしまうんですね。特にバラード。


チェットがどん底にあった1970年から1973年の間、何があったんでしょう。箇条書きにしてみると


・麻薬のトラブルでボコボコにされ、前歯を折られる。

・その後遺症でトランペットを吹けず一時的に引退

・生活保護を受けながらガソリンスタンドで働く

・この間、何とか練習により、トランペットを吹けるぐらいになるまで回復

・しかし、麻薬とは遂に縁が切れず、70年代はまだ40代ぐらいのはずなのに、シワシワの老人のような風体になってしまう。



えぇと、”復活後”のチェットのトランペット、確かに枯淡と幽玄の境地で凄い!と書いてその通り凄くなってるんですが、これを見る限りシーンから遠ざかってる間に彼のプレイに凄味を与えた決定的な出来事ってないんです。むしろトランぺッターにとってはほとんどマイナスになる要素しかない。

実際、前歯を失ってからチェットは若い頃のようなハイテンポな曲で軽やかに飛翔するようなテクニカルな奏法を封印しました。

理由は「出来なくなったから」しかないと思うんですが、にも関わらずチェットのトランペット、純粋に音色で比較しても若い頃とは比べ物にならないぐらい「何か凄い」し、フレーズに込められる想いの密度みたいなものも、他のミュージシャンからは感じることの出来ない種類の切実さを感じます。

演奏テクニックが衰えた変わりに、物凄い”感動させるプレイヤー”になったのって、ジャズの世界でチェット・ベイカー以外にいますかね、アタシはレスター・ヤングがいい線行ってるとは思いはしますが、それでもレスターにはやっぱり”衰え”の暗い影を幾分感じます。チェットに関して言えばその”衰え”が微塵も感じられないんです。これちょっと、ゾッとするぐらい凄い事だと思います。








ピース

【パーソネル】
チェット・ベイカー(tp)
デヴィッド・フリードマン(vib,marimba)
バスター・ウィリアムス(ds)
ジョー・チェンバース(ds,perc)

【収録曲】
1.サイジジーズ(3+1=5)
2.ピース
3.ラメント・フォー・セロニアス
4.ザ・ソング・イズ・ユー
5.シャドウズ
6.フォー・ナウ
7.サイジジーズ(3+1=5)*
8.ピース*

*ボーナストラック

(録音:1982年2月2日)



チェットは1988年にホテルの窓から転落という、事故か自殺か他殺かよくわからん死に方をしてますが、アタシが特に好きなのが、亡くなる前の1980年代の演奏です。

「死を予感した」

とかそういうのじゃないんですよ、えぇ、聴いて頂くと分かると思うんですけど、そういうのじゃあないんですよ。

言うなれば、死すら超越した淋しい世界に鳴り響く穏やかなトランペット。

それがデヴィッド・フリードマンのマリンバとヴィブラフォン、バスター・ウィリアムスの「びよーん、ぼよーん」と粘るウッドベース、ジョー・チェンバースの繊細なドラムの音を全部巻き込んで、えもいえぬ美しい水彩画を描いておるのです。

1曲目のように割と小粋なテンポでやっている曲でさえも幻想に彩られるって、ほんと凄いんですが、やっぱり心底感動してしまうのが、バラードの2曲目と6曲目。これを聴いてください。


アタシ?今日は昼間ずーっとコレ聴いて

「なんかもーこのまま沫になってもいいやー」

って思ってました。

えぇ、チェット・ベイカーですよ。

チェット・ベイカー、とっても優しくてとっても危険なんですよ。












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サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:18| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする