2018年07月21日

ポール・チェンバース チェンバース・ミュージック

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ポール・チェンバース/チェンバース・ミュージック

(JAZZ WEST/ユニバーサル)



コルトレーンという人は、元々「人と違ったことをやらねば」「もっと新しいサウンドを出さねば」ということを若い頃から考えておった人で、色んなリーダーの下でサイドマンとして演奏しながら、30歳を過ぎてようやくソロ・デビュー、33になって念願の自分のバンドを結成することが出来たんです。

熱狂的なコルトレーン信者のアタシは、まず最初に演奏がフリーフォームに突入した60年代半ば以降のコルトレーンを聴いて「おぉぉ!ジャズなのにこの人すげーパンクだ!!」と衝撃を受けて、まずはその時代のコルトレーンを集中的に聴き、そこからさかのぼって「オーソドックスなジャズの時代のコルトレーン」を聴くようになりました。

特に最初期と呼ばれる1950年代半ば、まだ20代だった頃のコルトレーンの演奏ってどうなんだろう、フツー過ぎて刺激が足りないんじゃなかろうかと、ちょっとは不安だったりしたんですが、そんなことは全くの奇遇でありました。

はい、結論から言ってしまえば、若かった頃のコルトレーンのスタイルは、その頃流行りのオーソドックスなジャズをやっています。

真にオリジナルなバンド・サウンドを築き上げた60年代の演奏と比べたら、その演奏自体はまだまだ試行錯誤で、フレーズを聴いても確かに何かを掴もうと懸命にもがいているような感じにも思えます。

ところが、その”もがいてる感じ”が、アタシにはグッときた。

後期コルトレーンの演奏は、常識その他スカしたものを、叫びそのものなハードなブロウとヘヴィなサウンドで粉砕していて実に”パンク”だったんですが、初期のコルトレーンの演奏は、その常識その他スカしたものを、一生懸命壊そうとして、硬質な音と実直な吹きっぷりで壊そうとしている”パンク”ではないか!や、姿勢そのものが、初期も後期もカンケーない、この人はパンクだ。カッコイイ!

と、そこからジャズという音楽をパンクだと思って聴けるようになり、今に至ります。

まーアタシの与太はいいとして、コルトレーンの、その最初期の演奏のカッコ良さでありますよ。

本日ご紹介するのは、そんな最初期の、まだリーダー作とか作る全然前のコルトレーンの演奏が、ワン・ホーンという理想的な編成で堪能出来る一枚をご紹介します。

ポール・チェンバースの『チェンバース・ミュージック』です。

はい、ポール・チェンバースといえば、1950年代モダン・ジャズ、ハード・バップ時代に最も人気だったベーシストであります。19歳でニューヨークに出てすぐにピアニスト、ジョージ・ウォーリントンのバンドに加入しましたが、その安定したリズムと何よりもフツーにボンボンラインを刻んでるだけでも素晴らしくメロディアスなプレイに惚れ込んだマイルス・デイヴィスがメンバーに引き抜き、マイルスのバンドで演奏しながらもブルーノートやプレスティジといったレーベルでレコーディング・セッションがあれば何かと声がかって、今「モダン・ジャズの名盤」と呼ばれるアルバムには、彼のベースが聴ける作品というのの割合が凄く多いという凄い人です。






チェンバース・ミュージック

【パーソネル】
ポール・チェンバース(b)
ジョン・コルトレーン(ts,@ACDE)
ケニー・ドリュー(p)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.デクスタリティ
2.ステイブルメイツ
3.イージー・トゥ・ラヴ
4.ヴィジテーション
5.ジョン・ポール・ジョーンズ
6.イーストバウンド

(録音:1956年3月1日か2日)


このアルバムは、21歳のポール・チェンバースが西海岸の小さなレーベル”ジャズ・ウエスト”でレコーディングした初リーダー作です。


メンバーは、当時マイルスのバンドで仲良しになっていたコルトレーンにフィリー・ジョー・ジョーンズ、そして、レコーディングではチェンバースと共演することの多かった、職人ピアニスト、ケニー・ドリュー。

チェンバースのよく歌うベースが中心になり、バッキングにベース・ソロに大活躍しておりますが、これはバンド全体の見事なチームワークが、リラックスしながらも程良い緊張感と渋さを醸していて、難しいことはよくわかんなくても、この時代のジャズの、粋でイナセな雰囲気を、ちょっとムードある場所で楽しみたいだけでも十分におつりが来るほどの、質の良い作品です。


初リーダー作とはいえ、既に熟練を感じさせるチェンバースのプレイをバックに吹くコルトレーンはどうかというと、チャーリー・パーカー作曲の1曲目『デクスタリティ』から、そのソロに独自の味わいが出ておりますね。ややくぐもった、いかにもジャズのテナー・サックスという渋い音でテーマの後、チェンバースのソロがじわりと盛り上げてコルトレーン→ケニー・ドリューのソロという展開ですが、ソロに突入した時のコルトレーン、テーマ部分とはガラッと違う硬質な音で、パワフルに音符を重ねて吹いてます。

あ、これはいいね〜と思って聴いてたら、続いての『ステイプルメイツ』がまた素晴らしいんです。

チェンバースとフィリー・ジョーのリズム隊は、もちろん急速調のナンバーをやらせても、抜群のコンビネーションでサクサクできちゃう実力派ですが、実はこの人達の真骨頂は、こういったミディアムよりちょいと速いぐらいのナンバーで遺憾なく発揮されます。「パシィ!」と心地良く抜けるハイハットのアクセント、「ボンボンボンボン♪」と弾いてるだけなのに、何故か心はウキウキ、体は自然と持って行かれるような、このリズム聴いてるだけで幸せ〜なバッキングに、リラックスしたコルトレーンとドリューのソロ、本人達にとっては「いつもの調子で軽く決めようぜ♪」な感じでやった曲(つうかアルバム全体の実にリラックスした雰囲気がそんな感じ)なんでしょうが、それをこんな感じでビシッとカッコ良くキメちゃえるって、この時代の一流ジャズマン達の練度ってホント凄い。

続いてもゴキゲンなミディアム・テンポで、チェンバースのほろ酔い気分のアルコ(弓弾き)ソロが大々的にフィーチャーされた『イージー・トゥ・ラヴ』はコルトレーンはテーマ部分だけを一瞬吹くだけ、4曲目『ヴィジテーション』では、今度はチェンバースの指弾きのベース・ソロにスポットを当てた編曲でコルトレーンは完全にお休み。

そして5曲目『ジョン・ポール・ジョーンズ』といえば、あの世界的に有名なロックバンドのベーシストで、後にプロデューサーとして大成功する人のことではなくて、コルトレーンとチェンバースとフィリー・ジョーの名前を組み合わせたもの。曲自体はブルースを下敷きにした、聴き覚えありまくりなハード・バップ・ナンバーで、作曲者はコルトレーンとなっておりますので、多分スタジオでのセッションがいい感じの雰囲気だったから、コード進行だけを伝えてその場でシャシャッとやったジャムでしょうね。しかしグッと重心を低くしたテンポの中で、攻めの姿勢を崩さず朗々とロング・ソロを吹くコルトレーン、歌心溢れるソロで雰囲気を更に渋く味わい溢れるものにするチェンバース、ひとつひとつの音に上質なブルース・フィーリングが籠もっているドリューと見事なコントラストで展開するソロの流れにはいつも「くーたまらんねぇ〜」となってしまいます。

ラストはお待ちかねの、軽快に疾走するナンバー『イースト・バウンド』です。

フィリー・ジョーのシンバルが、待ってましたとばかりに景気よくチキチャキとアップテンポを刻んで、一発目がコルトレーンのソロ。早いテンポにちょいと考えて吹いてる感がありますが、指は決してもたついていない、むしろ「当たり前な感じにならないようにするにはどうすればいいんだろうか」という前向きな悩みが曲のほんのりした哀感とマッチしてて良いじゃないですか。続くケニー・ドリューのソロは淀みなく哀愁を振りまいていてコレが完璧。


コルトレーンのソロ、全編通してまだ独自の”突き抜けまくった感”すらないものの、この見事なハード・バップのお手本サウンドの中で、雰囲気を壊すことなく、独自の世界の片鱗を聴かせてくれます。やっぱりいいですね、味があります。味を聴きましょう。


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2018年07月18日

ジミー・ギャリソンのベース


皆さんこんばんは。

毎年の恒例に倣いまして、このブログでは夏が終わる8月の末日まで『大コルトレーン祭』と題しまして、ジョン・コルトレーンのことについて集中的に書いていきたいと思います。

で、特に命日の7月17日から31日までは、毎回コルトレーンのアルバムレビューや、その素晴らしさについて語るちょっとしたコラムを書きますので、どうかひとつよろしくお願いします。

で、今日はちょいとしたコラムなんですが、皆さんは「コルトレーン・バンドのメンバー」といえば誰が好きですかね?

こういうアンケートとやると、大体コルトレーン黄金期のバンド・サウンドの主軸となった、スーパー・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ、続いてそのカルテットにサウンドに、狂おしい激情と詩的衝動の両方をブチ込んだピアノのマッコイ・タイナー、或いは晩年のフリー・ジャズに突入したトレーンを、決して出過ぎることはなく、ひたすら知的な大胆さが光るプレイで支えた奥さんのアリス・コルトレーン、いやいや、エルヴィンはもちろん最高だけど、ラシッド・アリの散弾みたいに細かい打撃が物凄い勢いで拡散しまくる太鼓も凄いぞ、とか、若い世代の人には、90年代以降”踊れるスピリチュアル・ジャズのカリスマ”として急激に支持されてきておるファラオ・サンダースも、マッコイやアリスとタメ張れるぐらいの人気者でありましょう。

そんな中で、カルテットから最晩年までずっとコルトレーン・バンドのメンバーでありながら、人気という点では今ひとつなのが、ベースのジミー・ギャリソン。

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写真や映像では、激しく暴れまくってるコルトレーン・サウンドの荒ぶる部分を、温泉のように噴き出す湯気まじりの生汗をしたたらせながら、潰れたカニのような「ぎやーーーー!!」という凄い顔でしっかりと支えてくれている人なんですが


「ぶっちゃけギャリソンのベースって何やってっかよくわかんないよね」

「うん、どうしても音聴いてるとコルトレーンとエルヴィンの激突に持ってかれるからなー。あとマッコイのガッコンガッコン言う左手」

「で、ギャリソンは?」

「う〜ん・・・」

「う〜ん・・・」

と、コルトレーンのファンですらなってしまうことが多かったりします。


正直アタシも、最初はジミー・ギャリソンのベースが、コルトレーンのバンド・サウンドにどのような効果をもたらしているのかピンと来ませんでした。

スタジオ盤ではやっぱり強いのはコルトレーンのサックスとドラム、次にピアノで、ベースは多くのバンドにおいて派手に出しゃばらない縁の下の力持ち的な存在であるとはいえ、どうも埋もれてしまっている。

バンド内でのジミー・ギャリソンという人は、コワモテで硬いイメージのあるコルトレーン・グループ(カルテット時代はコワモテ、晩年のクインテットは寡黙な求道者揃いなイメージあるでしょう)の中において、唯一ひょうきん者で、いつもニコニコ愛嬌のある笑顔で場を和ませる人だったそうで、開演前に「あ、ちょっくら」とビールとか飲んで、コルトレーンに「お前今度それやったらクビだぞ」と怒られたりもしていたらしい。まぁ、グループに一人おれば風通しの良くなる次男坊スタイルのお調子者キャラだったようなんですね。


だからエルヴィンとマッコイが脱退した後も、コルトレーンはギャリソンだけはその愛すべきキャラクターがメンバー同士のコミュニケーションを保つのに重要だと判断したから残したんだろう、うん、きっとそうだ。だって新しいメンバーといえばファラオもラシッドもアリスさんも、どっちかというと真面目〜で、コミュニケーションよりもひたすらコルトレーンに黙って従いながらマイペースに我が道を行ってしまいそうなタイプだもんな〜、意志の疎通とかあんま関係ないよな〜。誰にでもすぐ友達になれそうなギャリソンいたらコルトレーン楽だよな〜。

と、思ってました。

しかしよくよく考えたんですよ。

サウンド追求第一の、つうかそれが全てのコルトレーンが、メンバー同士のコミュニケーションのことなんか考えていただろうか?

と。

や、多分コルトレーン、特に麻薬を克服して自分のグループを持つようになってからは、もう芯からの「新しいサウンド追究バカ」と言っていいぐらいにストイックな人になっておりますから、メンバー間のコミュニケーションなんかどーだっていいんです。

どころかやっぱりサウンドが自分の求めているものと違うと感じたら、どんなにセンスのいい人間でも容赦なくクビにしてますから(スティーヴ・キューンにピート・ラ・ロカ)、やっぱりギャリソンに関してもその人柄よりもプレイにコルトレーンが「コイツじゃなきゃな」と感ずるところがあったんでしょう。

アタシはコルトレーンの感性を信じて、ギャリソンのプレイを注意深く聴いてました。

すると、ある日突然、コルトレーンのバンドにおける”ギャリソンにしか果たせない役割”に気付いたんです。

ギャリソンのベース、スタジオ盤などで聴くとやはりくぐもっていてよく聴き取りづらくはあるんですが、これ、多分ワザとなんですよ。

ギャリソンという人のベースの音は、基本的に粒の粗い、ゴリゴリした音です。しかし、コルトレーン以外のバックで演奏したものを聴いてみると、その粗さの中にもしっかりとした芯のある、実に力強く響く音であります。

試みに、ウォルター・ビショップJr.という人の、これはもうモダン・ジャズのピアノ・トリオ名盤と言われる『スピーク・ロウ』というアルバムがありますが、これのギャリソンのプレイを聴いてみてくださいな。





実に力強いベースが、グイグイと演奏を引っ張っておるんですね。

ギャリソンがベーシストとしては、間違いなく当代一流であると証明する、素晴らしいアルバムです。

こんな存在感のあるベースを弾くギャリソンが、コルトレーン・バンドのサウンドで埋もれてしまっているように聞こえるのは何故か?

これをアタシはずっと考えてたんですが、それは

「コルトレーン・バンドの中で、歪み系エフェクターのような役割を担ってたからなんじゃないか」

というひとつの結論に達しました。

歪み系エフェクターっていうのは、エレキギターに繋ぐと潰れた音がグワシャーン!と出るアレです。音は潰れますが、音そのものに激しさと迫力がエラい勢いでプラスされますんで、初めて使ったその日に魂に電流が走る経験をして「あ、俺プロになれる」という経験を、ギター小僧ならしたことがあるかと思います。

60年代といえばエレキギターを使ったバンド・サウンドが、世を席捲していた時期、これを受けた生楽器主体のジャズのバンドも「お、オレ達もバンドにドカーンと迫力欲しいな」と思ってたはずで、特にコルトレーンみたいな「新しいもの」を目指すミュージシャンがそう思わないはずはありません。

一時期はウエス・モンゴメリーと一緒にやろうとしていたぐらいのコルトレーン、ですが自分自身のバンドでのエレキギター導入はまだ早いと感じたのか、それとも目指すサウンドにエレキギターの音は響かなかったのか、多分その両方だとは思いますが、やはり”迫力”は重要視しておりました。

エルヴィンのドラムをコルトレーンが気に入ったのも、やはりその「同時に色んなリズムを繰り出せるテクニックと、それによって生じる音の歪んだ拡散力」でありましょう。特にリズム隊に関しては「いつもやってるよりも激しく叩いたり弾いたりすることによって、音をグシャッとワイルドなものにして欲しいんだ」という支持は出したか、ベースとドラムがそういう音を出すように、暗に煽りながらしむけていたフシが、まずエルヴィンのプレイには感じられます。エルヴィンもコルトレーンのグループに入る前のプレイを聴いていたら、鋭さと繊細さを巧みに織り交ぜてプレイする、オーソドックス・プラスアルファのプレイをしておりますから。


で、ギャリソンもまた、これまでやってきたように、弦の一本一本を人差し指でボワンと弾く奏法ではなく、ルートを刻みながら4本指で強く引っ掻くようなプレイをコルトレーンのバックではやってます。

このプレイ・スタイルは、音のひとつひとつの粒は砕けますが、倍音が激しく全体に響いて、演奏全体がわしゃー!と歪んでるような、そんな効果を生み出すんです。エルヴィンもシンバルやハイハットを激しくクラッシュさせるように刻んでますから、2人の倍音は混ざり合って、ギャリソンの方は掻き消されているように思えますが、ところがどっこい、ギャリソンのベースは倍音の中でちゃんと響いてるんですね。


もっと色々な角度から、ギャリソンのベースは聴き込んで再評価されるべきと、アタシは思っております。ギャリソンの音が比較的よく聞こえる「音の良いライヴ盤」をぜひ聞いてみてください。彼のベースは決して引っ込んでなく、コルトレーンとマッコイのバック、そしてエルヴィンのドラムのすぐ横の”ちょうどいい空間”を激しく歪ませてモーターのように鳴り響いて演奏を加熱させているのがよく分かります。






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2018年07月17日

ジョン・コルトレーン ザ・ロスト・アルバム

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ジョン・コルトレーン ザ・ロスト・アルバム
(Impulse!/ユニバーサル)


皆様こんばんは、本日は2018年7月17日、そう、ジャズの、いや、音楽そのものの歴史にその巨大な名を刻む真の巨人、ジョン・コルトレーンの命日であります。

このブログでは毎年コルトレーンの命日のこの日から、夏が終わる8月の末日まで『大コルトレーン祭』と称して、コルトレーンのアルバムレビューや、その魅力などについてとことん語って行きたいと思いますので、皆様どうかよろしくお付き合いください。

で、今年はコルトレーン没後51年ということなんですが、巷ではコルトレーンの話題で大変に盛り上がっております。

何でかと言いますと、出たんですよね。えぇ、出ちゃったんですよ。

2018年6月末に発売された『ザ・ロスト・アルバム』というアルバムなんですが、コレがコルトレーンの死後50年以上の時を経て、いきなり音源が発見されて、いきなりリリースされた、えぇ、色々な見方があろうかと思いますが、ジョン・コルトレーンの全くの”新作”だと言ってもいい、物凄いブツが出ちゃったんですよ。

や、コルトレーンに関しては、やはり大物ですからこれまでも未発表ライヴ音源とか、既発のアルバムをレコーディングした時のセッションのアウトテイクとか、そういった音源が公式/非公式を問わずたくさん世に出ております。

演奏内容は言うまでもなくどれも素晴らしい(やはりコルトレーンという人の音楽に対する真剣さ、妥協のなさがどの録音もみなぎっているからです、ハイ)のですが、残念ながら音質に難があったり、せっかくの演奏の途中でカットされたりしているのなんかもあって、でもまぁファンとしては「うん、それでもコルトレーンの聴いたことない演奏が聴けるんだからありがたいよね」という気持ちと、ちょいとばかりモヤッとする気持ちの両方があったんです。

今回も最初話を聞いた時は

「う〜ん、スタジオ録音ってことらしいんだけど、どのアルバムのアウトテイクかなぁ」

と、やや適当に構えておりました。

そしたら

「いや、どうもそういうヤツじゃないらしい。どのアルバムとも関係ない丸一日分のレコーディングらしい」

と聞いて、ちょっとコレはタダゴトではないと思いました。

ややマニアックな話ですいませんですが、実は60年代からコルトレーンが専属契約していたインパルス・レコードは70年代にABCという大手に経営を売り渡しておりまして、その時経費削減のために、保管庫にあった「リリースされなかった録音のマスターテープ」は、全て廃棄されていて、存在しないはずなんです。

この音源は、実はコルトレーンの最初の奥さんの”ナイーマ”さんが、個人的に持っていたテープからのものでした。

このナイーマさんという人は、非演奏家ながらコルトレーンの音楽活動を献身的にサポートしていた人で、ライヴ会場なんかにテープレコーダーを持ち込んでコルトレーンが後で演奏をチェックできるように録音したり、また、コルトレーンはインパルスから「レコーディングしたテープはコピーして家に持ち帰っていいよ」という特別待遇を受けていて、別れてからもコルトレーンがいつでもチェック出来るように大切に保管してて、実際コルトレーンはアリスと付き合ってからも「なぁナイーマ、いついつの音源なんだがあるかい?チェックしたいんだ」と、フツーに連絡取り合ってたそうです。

おい、コルトレーン。って感じではありますが、まぁこの人は寝ても覚めても音楽ですから、その辺は致し方ない。ナイーマさんも

「あの人と一緒に暮らすには音楽家としてのあの人と、人間としてのあの人を区別して接してあげなきゃダメだったわ。彼?ほとんどサックスの事しか考えてない人間よ」

と言っておりますし、まぁそんな感じだったんでしょう。

コルトレーンは1967年に亡くなって、ナイーマさんも亡くなり、2005年にナイーマさんの遺族が

「何かホコリかぶってるけど大切にしてたっぽいテープが出て来たんだけど」


という事から始まり、レコード会社その他関係各所が調べてみたところ

「おい、これは全く記録にないレコーディングだぞ」

「エライこっちゃ、あのジョニー・ハートマンとのアルバムのレコーディングの前日にスタジオ入ってたなんて、まぁ聞いたことない」


と、ざわめき立ち、もうこれ絶対にリリースしかないじゃんと、権利関係のあれこれを10年以上かかって整理して、この度発売になったという訳です。







ザ・ロスト・アルバム (デラックス・エディション)(UHQ-CD仕様)


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts, ss)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
(Disc-1)
1.アンタイトルド・オリジナル 11386(テイク1)
2.ネイチャー・ボーイ
3.アンタイトルド・オリジナル 11386(テイク1)
4.ヴァリア(テイク3)
5.スロー・ブルース
6.ワン・アップ・ワン・ダウン(テイク1)

(Disc-2)*
1.ヴァリア(テイク1)
2.インプレッションズ(テイク1)
3.インプレッションズ(テイク2)
4.インプレッションズ(テイク4)
5.アンタイトルド・オリジナル 11386(テイク2)
6.アンタイトルド・オリジナル 11386(テイク5)
7.ワン・アップ・ワン・ダウン(テイク6)


*Disc-2はデラックス・エディションのみのボーナスディスク


(録音:1963年3月6日)




(コチラはアナログ輸入盤)


1962年から1963年の前半にかけて、コルトレーンはジャズを代表するスターの仲間入りをして、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンという不動のメンバーによるカルテットも無数のライヴやレコーディングでの鍛錬を重ね、そのバンド・サウンドは最高の高みと深みを極めてつつあった充実期であります。

高まる人気に合わせてレコード会社側も、コルトレーンには「もっと色んな人に知ってもらうため」に大衆向けの企画をぶつけます。

すなわち1962年秋から冬にかけて録音した『バラード』





1962年9月にレコーディングした『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』




そして、ヴォーカリストのジョニー・ハートマンをカルテットにフィーチャーした『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』であります。




つまりこの時期のコルトレーンは「バラードと大物エリントンと一緒にジェントルな演奏をしたアルバムだけを録音していた」と、思われていたし、アタシも思っておりました。

が、いくらレコード会社に言われたからと言って、大人しく言われた通りにバラードばかりをやってた訳じゃないんですね。既に確定していたジョニー・ハートマンのセッションの前日に「ちょっといいかい」とスタジオに入って、会社提案コンセプトはまるで違う、熱気の塊のような演奏を録音してる。

これだけで痛快の出来事ですが、内容は期待してた以上に素晴らしく、また、音質も流石に正規のレコーディングだけあって良好です。

内容についてはコルトレーンの息子のラヴィ・コルトレーンが

「これはちょっと小手調べみたいなセッションなんじゃないかなぁ」

と言ってた通り、まとまったコンセプトの気配はなく、当然既にリリースされているオリジナル・アルバムに比べると、キチッとまとまった作品でもありません。

悪く言うと非常にラフなレコーディングではあるのですが、そのラフな感じがちょっと独特のライヴ感を生み、60年代前期のコルトレーン・カルテット独特の、ややくぐもった熱気を味わって楽しむには、これは十分な内容なんじゃないかと思います。

まずカッコイイのは「アンタイトルド・オリジナル」硬派でダークなメインテーマに重く疾走するエルヴィンのドラム、ガツ!ガツ!とコードを重ねていくマッコイのピアノがフッと途切れて、サックスとドラム、ベースのトリオ演奏になった矢継ぎ早に繰り出されるピアノソロ。これですよ、このライヴ感、カッコイイぜぇ〜と余韻を更に膨らませるような、荘厳なミディアム・スローの「ネイチャー・ボーイ」。

この曲はヘヴィーなテーマから、テナーで”シーツ・オブ・サウンド”と呼ばれるコルトレーン独特の細かく音符を重ねてゆくプレイがジワジワと緊張を高める展開ですが、ぶわっと吹きまくっても演奏そのものの持つ荘厳さ、ヘヴィな質感がほとんど損なわれないのは凄いですね。コルトレーンのソロそのものには、実は迷いも感じますが、それも含めて演奏の雰囲気とはマッチしております。


軽快にシャッシャと走るビートに乗って、やや明るいテーマをソプラノで奏でてからグイグイとアドリブでヒートアップしてゆくコルトレーン、マッコイの気品溢れるピアノ、テーマが決まる『ヴァリア』は、古いオペラ曲をクラリネット奏者のアーティ・ショウがゴキゲンなジャズにアレンジしてヒットさせたのは、スウィング・ジャズ全盛期1930年代のこと。

コルトレーンの代表曲でもある『インプレッションズ』も、この日のセッションではたくさん演奏されています。この曲はオリジナル・アルバムの『インプレッションズ』で20分を超える熱演ライヴが収録されておりますが、やっぱりスタジオでやりたかったんでしょうね。収録時間はいずれのテイクも3分から4分台で、こればっかりはある種の高みに到着したカタルシスを得るには、やはりもっと長い演奏時間が必要だったと言わざるを得ませんが、それでもエルヴィンのドラミングは絶好調で、テイク別のエルヴィンの煽りだけでも楽しいです。

そう、エルヴィンのドラムはこの日絶好調なんです。その好調ぶりはラストの『ワン・アップ・ワン・ダウン』で聴けます。コレもライヴ・ヴァージョンでおなじみですが、アドリブに入ってからのテンションの上り具合と、シンバルの「バシャーン!」に鬼のように込められた気合いにホントのけぞります。

そして、前後しましたが、アルバムを何度もじっくり聴きながら、個人的にこれは素晴らしいとその味を噛み締めているのが『スロー・ブルース』。

文字通りのスロー・ブルースで、11分を超える演奏の中でルーズに展開する前半から、マッコイのソロの途中でテンポアップして走り出す後半とのスイッチが切り替わる瞬間、最初訥々と、何度も激しく逸脱しようとするもテンポに従い、テンポアップしてから目覚めたように吹きまくるコルトレーンのソロ、このアプローチと斬新なブルース解釈(「いや、解釈もクソも火が点いたらオレはこうなっちまうんだよ」とコルトレーンに言われそうですが・汗)が本当に素晴らしいっす。

さてさて、2018年になってリリースされたコルトレーンのこのアルバム、確かにスタジオでレコーディングされ”作品”としては練り込まれていない部分もありますが、そこはまぁ、コルトレーン本人が生きてるうちに「これはリリースせんでもよろしい」と判断した音源です。しかし、この時期のコルトレーンと彼のバンドが持つサウンドの熱気、それをスタジオ盤でありながら素晴らしいライヴ感でもって聴かせてくれるこのアルバムは、ファンでありますアタシには、これからのコルトレーン・ライフに欠かす事の出来ない大切な宝物となりました。

ファンの贔屓目といえば確かにそうですが、コルトレーンって人はやっぱりその真摯な音楽性に魅了された人にとっては、ことごとくそういう感情を沸かせてくれる人なんじゃないですかね。アタシは何だかんだ20年以上コルトレーンを聴いていて『大コルトレーン祭』ももう10年やってますが、コルトレーンの音楽には、年月を経れば経るほどにハマッております。や、そういう音楽を奏でる人なんですよ。









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