2018年07月18日

ジミー・ギャリソンのベース


皆さんこんばんは。

毎年の恒例に倣いまして、このブログでは夏が終わる8月の末日まで『大コルトレーン祭』と題しまして、ジョン・コルトレーンのことについて集中的に書いていきたいと思います。

で、特に命日の7月17日から31日までは、毎回コルトレーンのアルバムレビューや、その素晴らしさについて語るちょっとしたコラムを書きますので、どうかひとつよろしくお願いします。

で、今日はちょいとしたコラムなんですが、皆さんは「コルトレーン・バンドのメンバー」といえば誰が好きですかね?

こういうアンケートとやると、大体コルトレーン黄金期のバンド・サウンドの主軸となった、スーパー・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ、続いてそのカルテットにサウンドに、狂おしい激情と詩的衝動の両方をブチ込んだピアノのマッコイ・タイナー、或いは晩年のフリー・ジャズに突入したトレーンを、決して出過ぎることはなく、ひたすら知的な大胆さが光るプレイで支えた奥さんのアリス・コルトレーン、いやいや、エルヴィンはもちろん最高だけど、ラシッド・アリの散弾みたいに細かい打撃が物凄い勢いで拡散しまくる太鼓も凄いぞ、とか、若い世代の人には、90年代以降”踊れるスピリチュアル・ジャズのカリスマ”として急激に支持されてきておるファラオ・サンダースも、マッコイやアリスとタメ張れるぐらいの人気者でありましょう。

そんな中で、カルテットから最晩年までずっとコルトレーン・バンドのメンバーでありながら、人気という点では今ひとつなのが、ベースのジミー・ギャリソン。

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写真や映像では、激しく暴れまくってるコルトレーン・サウンドの荒ぶる部分を、温泉のように噴き出す湯気まじりの生汗をしたたらせながら、潰れたカニのような「ぎやーーーー!!」という凄い顔でしっかりと支えてくれている人なんですが


「ぶっちゃけギャリソンのベースって何やってっかよくわかんないよね」

「うん、どうしても音聴いてるとコルトレーンとエルヴィンの激突に持ってかれるからなー。あとマッコイのガッコンガッコン言う左手」

「で、ギャリソンは?」

「う〜ん・・・」

「う〜ん・・・」

と、コルトレーンのファンですらなってしまうことが多かったりします。


正直アタシも、最初はジミー・ギャリソンのベースが、コルトレーンのバンド・サウンドにどのような効果をもたらしているのかピンと来ませんでした。

スタジオ盤ではやっぱり強いのはコルトレーンのサックスとドラム、次にピアノで、ベースは多くのバンドにおいて派手に出しゃばらない縁の下の力持ち的な存在であるとはいえ、どうも埋もれてしまっている。

バンド内でのジミー・ギャリソンという人は、コワモテで硬いイメージのあるコルトレーン・グループ(カルテット時代はコワモテ、晩年のクインテットは寡黙な求道者揃いなイメージあるでしょう)の中において、唯一ひょうきん者で、いつもニコニコ愛嬌のある笑顔で場を和ませる人だったそうで、開演前に「あ、ちょっくら」とビールとか飲んで、コルトレーンに「お前今度それやったらクビだぞ」と怒られたりもしていたらしい。まぁ、グループに一人おれば風通しの良くなる次男坊スタイルのお調子者キャラだったようなんですね。


だからエルヴィンとマッコイが脱退した後も、コルトレーンはギャリソンだけはその愛すべきキャラクターがメンバー同士のコミュニケーションを保つのに重要だと判断したから残したんだろう、うん、きっとそうだ。だって新しいメンバーといえばファラオもラシッドもアリスさんも、どっちかというと真面目〜で、コミュニケーションよりもひたすらコルトレーンに黙って従いながらマイペースに我が道を行ってしまいそうなタイプだもんな〜、意志の疎通とかあんま関係ないよな〜。誰にでもすぐ友達になれそうなギャリソンいたらコルトレーン楽だよな〜。

と、思ってました。

しかしよくよく考えたんですよ。

サウンド追求第一の、つうかそれが全てのコルトレーンが、メンバー同士のコミュニケーションのことなんか考えていただろうか?

と。

や、多分コルトレーン、特に麻薬を克服して自分のグループを持つようになってからは、もう芯からの「新しいサウンド追究バカ」と言っていいぐらいにストイックな人になっておりますから、メンバー間のコミュニケーションなんかどーだっていいんです。

どころかやっぱりサウンドが自分の求めているものと違うと感じたら、どんなにセンスのいい人間でも容赦なくクビにしてますから(スティーヴ・キューンにピート・ラ・ロカ)、やっぱりギャリソンに関してもその人柄よりもプレイにコルトレーンが「コイツじゃなきゃな」と感ずるところがあったんでしょう。

アタシはコルトレーンの感性を信じて、ギャリソンのプレイを注意深く聴いてました。

すると、ある日突然、コルトレーンのバンドにおける”ギャリソンにしか果たせない役割”に気付いたんです。

ギャリソンのベース、スタジオ盤などで聴くとやはりくぐもっていてよく聴き取りづらくはあるんですが、これ、多分ワザとなんですよ。

ギャリソンという人のベースの音は、基本的に粒の粗い、ゴリゴリした音です。しかし、コルトレーン以外のバックで演奏したものを聴いてみると、その粗さの中にもしっかりとした芯のある、実に力強く響く音であります。

試みに、ウォルター・ビショップJr.という人の、これはもうモダン・ジャズのピアノ・トリオ名盤と言われる『スピーク・ロウ』というアルバムがありますが、これのギャリソンのプレイを聴いてみてくださいな。





実に力強いベースが、グイグイと演奏を引っ張っておるんですね。

ギャリソンがベーシストとしては、間違いなく当代一流であると証明する、素晴らしいアルバムです。

こんな存在感のあるベースを弾くギャリソンが、コルトレーン・バンドのサウンドで埋もれてしまっているように聞こえるのは何故か?

これをアタシはずっと考えてたんですが、それは

「コルトレーン・バンドの中で、歪み系エフェクターのような役割を担ってたからなんじゃないか」

というひとつの結論に達しました。

歪み系エフェクターっていうのは、エレキギターに繋ぐと潰れた音がグワシャーン!と出るアレです。音は潰れますが、音そのものに激しさと迫力がエラい勢いでプラスされますんで、初めて使ったその日に魂に電流が走る経験をして「あ、俺プロになれる」という経験を、ギター小僧ならしたことがあるかと思います。

60年代といえばエレキギターを使ったバンド・サウンドが、世を席捲していた時期、これを受けた生楽器主体のジャズのバンドも「お、オレ達もバンドにドカーンと迫力欲しいな」と思ってたはずで、特にコルトレーンみたいな「新しいもの」を目指すミュージシャンがそう思わないはずはありません。

一時期はウエス・モンゴメリーと一緒にやろうとしていたぐらいのコルトレーン、ですが自分自身のバンドでのエレキギター導入はまだ早いと感じたのか、それとも目指すサウンドにエレキギターの音は響かなかったのか、多分その両方だとは思いますが、やはり”迫力”は重要視しておりました。

エルヴィンのドラムをコルトレーンが気に入ったのも、やはりその「同時に色んなリズムを繰り出せるテクニックと、それによって生じる音の歪んだ拡散力」でありましょう。特にリズム隊に関しては「いつもやってるよりも激しく叩いたり弾いたりすることによって、音をグシャッとワイルドなものにして欲しいんだ」という支持は出したか、ベースとドラムがそういう音を出すように、暗に煽りながらしむけていたフシが、まずエルヴィンのプレイには感じられます。エルヴィンもコルトレーンのグループに入る前のプレイを聴いていたら、鋭さと繊細さを巧みに織り交ぜてプレイする、オーソドックス・プラスアルファのプレイをしておりますから。


で、ギャリソンもまた、これまでやってきたように、弦の一本一本を人差し指でボワンと弾く奏法ではなく、ルートを刻みながら4本指で強く引っ掻くようなプレイをコルトレーンのバックではやってます。

このプレイ・スタイルは、音のひとつひとつの粒は砕けますが、倍音が激しく全体に響いて、演奏全体がわしゃー!と歪んでるような、そんな効果を生み出すんです。エルヴィンもシンバルやハイハットを激しくクラッシュさせるように刻んでますから、2人の倍音は混ざり合って、ギャリソンの方は掻き消されているように思えますが、ところがどっこい、ギャリソンのベースは倍音の中でちゃんと響いてるんですね。


もっと色々な角度から、ギャリソンのベースは聴き込んで再評価されるべきと、アタシは思っております。ギャリソンの音が比較的よく聞こえる「音の良いライヴ盤」をぜひ聞いてみてください。彼のベースは決して引っ込んでなく、コルトレーンとマッコイのバック、そしてエルヴィンのドラムのすぐ横の”ちょうどいい空間”を激しく歪ませてモーターのように鳴り響いて演奏を加熱させているのがよく分かります。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 21:06| Comment(2) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする