
Aretha Flanklin/Amazing Grace
(Atlantic)
それはもう感動なんて生易しいものじゃない。
司会者の自己紹介からおもむろに鳴り響くオルガン、それに合わさる割れんばかりの拍手、ピアノ、聖歌隊の「オッ、オッ、メェ〜リィ」の、ゆっくりしたテンポだけど踏みしめるような力強いコーラル、そして・・・!
「メェェリィ〜」
と、軽くささやくようにアレサが歌っただけでふわぁっと浮き上がるその場の空気、最初は聴衆に言い聞かせるように、たっぷりの間隔を持って発せられる言葉のワン・フレーズが、小節を重ねる毎に熱を帯び、気が付くとそれは伸びやかに空に放たれ、コーラス隊の合唱も、客席の手拍子も、まるで歓喜の叫びのように激しく、激しくなってゆく。
7分30秒近くにも及ぶ熱気がのっけから最高潮まで高まる1曲目『Mary, Don't You Weep』が、万雷の拍手や歓声と共に終わった時、思わず一度プレーヤーから針を上げました。
ゴスペルって、ゴスペルって、みんなで踊りながら何かこうハッピーなリズムに乗って一緒に歌うものだとばかり思っていた。いや、本当にすいません、何ですかこれは、まるでこの世の苦しみや絶望も全部一旦飲み込んで、ちょっと想像も出来ないほどのパワーで思いっきり浄化してるような・・・凄い、これがホンモノのゴスペル、これがアレサ・フランクリン・・・。
はい、最初にアレサ・フランクリンという人を知ったのは、親父と一緒に映画『ブルース・ブラザーズ』を観た、確かアタマの悪い中学生の時です。
せっかくカタギのレストランのオヤジになって真面目に働いていたのに、主役の2人の「なぁ、また音楽やらねぇか?」な誘いにすっかりその気になった元凄腕のギタリスト、マット・ギター・マーフィーに「何言ってんのよアンタ、せっかく足を洗ったのに、ちったぁ考えなさい」と、そのまま”Tink!”を熱唱しながら迫る迫力あるおかみさん、いや、フツーにレストランのおばちゃんだと思ってたけど何このおばちゃんめちゃめちゃ歌上手いな!と感激したら、
隣で親父が手拍子打ちながら「そりゃあカッコイイだろう、アレサ・フランクリンだから当たり前じゃー」と、ゴキゲンに酔っぱらってたのを覚えております。
その時は確かに「凄い!」「かっこいい!」とは思いましたが、まぁアメリカの一流の人ともなればそうなんだろうと、まだブルースもソウルもよく分からない気持ちのまま、それで終わっておりました。
アレサと再会したのは、東京に出てハタチも過ぎた時、その頃アタシはジャズにハマり、コルトレーン信者になって、ジャズのみならず、いわゆるブラックな音楽は、全部コルトレーンの繋がりで聴いていたんです。
で、中古レコード屋さんで物色していたら
『アレサ・フランクリン/至上の愛』
と帯に書かれたレコードがある、しかもジャケットがアフリカの民族衣装みたいなものを着ている女性の写真、おぉ、アレサ・フランクリンか!確かソウルの凄い人だよな、そうそう、昔ブルース・ブラザーズに出てたよな、アレ良かったよな。ほうほう『至上の愛』ってことはあのコルトレーンの名盤のカヴァーか何かだろうな、よし、ジャケも良いし買ってやろう。
と、割と軽い気持ちからの冒頭です。
結論から言えば、このアルバムは全曲ゴスペル曲で固められた、ソウル・クイーン、アレサによる純度100%のゴスペル・ライヴのアルバムで、コルトレーンのあのアルバムの曲はもちろん1曲もやっておりませんでした。つまりアタシの”勘違い”で購入したレコードだったんです。
しかし、この”勘違いは”一生モノでした。
ここに収録されているのは、アレサの歌声と伴奏と、それに熱狂で応えるオーディエンスの反応だけ。
ポピュラー音楽のライヴ盤も確かに素晴らしいものがたくさんありますが、商業的な”売れる”とか”ウケる”とかいうのを一切排した、純粋な”信仰”がコアにあるこのコンサートは、アレサと聴衆との真剣勝負に思えます。
ささやくように歌っても、力強くシャウトしても、その声の隅々にまで豊かな情感を染みわたらせたアレサの声の素晴らしさは、単純に「歌が上手い」とか「素晴らしい」とか、そういう言葉を使うのすらどうかと思ってしまうぐらいに、強さと厳しさと切なさと、それら全てを包み込む計測不能な慈愛の気で満たされている、そんな風にすら感じさせてしまう。そして、そう感じてしまったらもう引き込まれます。
アタシは後になって、もっとポピュラーな”ソウルを歌うアレサ”のカッコ良さにも完全に目覚めたし、彼女のカヴァーするポップス曲の素晴らしさについても虜になって聴きまくりました。
彼女は「何を歌わせても見事なソウルにする」と絶賛され続けてきました。
その”ソウルになる”というのはどういうことだろうかという事を考えたら、やはりこのアルバムのゴスペルのような「全てを包み込んで浄化してしまう凄いパワー」で歌というものに生命を吹き込んでいるということなんじゃなかろうかとアタシ思います。
いわゆる奥底のパワーですね、はい、アメリカ大陸に奴隷として連れて来られた黒人達が、想像を絶する辛さや苦しさを乗り越えて”ハッピー”を築いてきたその力が、ゴスペルです。ハッピーなだけじゃなく、怨念みたいなものも確かに背負っていて、怖いぐらいの迫力があったりします、でも、優しく美しい、そんな力をアレサは完全に宿してるんです。そして、その力を自らの”奥底”にしているシンガーなんです。
Amazing Grace
【収録曲】
1.Mary, Don't You Weep
2.Precious Lord, Take My Hand/You've Got A Friend (Medley)
3.Oldlandmark - By Aretha Franklin with James Cleveland & The Southern California Community
4.Give yourself To Juses
5.How I Get Over
6What A Friend We Have In Jesus
7Amazing Grace
8Precious Memories
9Climbing Higher Mountains
10Remarks By Reverend C L. Franklin
11God Will Take Care Of You
12Wholy Holy
13You'll Never Walk Alone
14Never Grow Old
アレサ・フランクリンは、牧師である父親の教育の元で、小さい頃から聖歌隊でシンガーとして活躍しており、また、人一倍強い信仰心を持ってもおりました。
ズバ抜けた歌唱力はたちまち話題になり、19歳の時の1961年に大手レーベルからスカウトが来て、ポピュラーシンガーとしてデビューしますが、最初はレーベルの「上品なポップスシンガーにしよう」というコンセプトにどうも馴染めず、66年には黒人音楽の専門レーベルとして大手を凌駕する勢いだったアトランティック・レコードに移籍。
ここから、ファンにはおなじみの『リスペクト』『小さな願い』『ナチュラル・ウーマン』などの大ヒットを連発し、誰しもが認め賞賛するソウル・クイーンとして、シーンのトップ・シンガーとなります。
商業的な成功と、スターとしての名声と、音楽的な充実を全て手に入れたアレサでしたが、実は彼女はデビュー当時から抱えていた心のモヤモヤがあり、成功してスターダムになるにつれ、それは彼女の中で大きなものとなり、心を苛んでおりました。
それは
『ゴスペルを歌ってた自分が、マイクや大勢の聴衆に向かって、男と女の恋愛の歌なんかを歌ってる。これは信仰を捨てたことになるんじゃないだろうか』
という罪の意識です。
お気楽な無宗教者の日本人であるアタシからしたら「はぁ?んなことで!?」という話ではあるんですが、やはりゴスペルってのはアメリカ黒人の人達にとって、会場で聴衆を失神させる程の熱烈な信仰がないとやってはいけない、というより、そこまでのものを持っていないと出来ない音楽。
そこまでやるということは、世俗とは思いっきり決別して生きていかねばなりません。
や、単純に信仰心というよりも、優れたシンガーとしての資質をずば抜けて備えていたアレサには
「ゴスペルから離れている事によって、私の歌の原動力となっているソウルが消えていってしまっているのではないだろうか」
という、それは危惧となって彼女の心に襲い掛かっていたのかも知れません。
そして、ソウル・シンガーとしての絶頂を極めていた1972年、突如アレサは原点のゴスペルを歌う事を決意します。
LAにあるニュー・ミッショナリー・パプティスト教会に、自分とバンドメンバー、そして”アメリカ・ゴスペルの父”と呼ばれた大物アーティスト、ジェイムス・クリーヴランド率いるサザン・カリフォルニア・クワイア(聖歌隊)、聴衆は観客ではなく、日頃から教会に参拝している信者のみ、という、完全に商業的なコンサートとは一線を画すした、ゴスペル流のリヴァイバルを、アレサは決行しました。
細かい事は申しません、全てが打ち震え、そして全ての振動に、アレサのみならず、ブラック・ミュージックの深淵が宿っている音楽です。これが魂(ソウル)です。
※2018年8月16日、アレサ・フランクリンはこの世を去りました。偉大なシンガーの冥福を祈りますと共に、彼女の音楽がいつまでも多くの人々に聴き継がれてゆくことを心から願います。
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