2018年11月18日

ジェリー・リー・ルイス グレイテスト!

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ジェリー・リー・ルイス/グレイテスト!
(SUN RECORDS/SOLID)

前回に引き続きピアノに乗った火の玉ボーイ、ジェリー・リー・ルイスでございます。

1950年代というのは、いわゆる”戦後”が始まった時代でありますが、その余波のような形で人々に訪れたのは、価値観の大幅な変化であります。

第二次世界大戦というのは、言うまでもなくアメリカやイギリス、フランス、ソ連、オランダなどの連合国が勝利し、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国が敗北しましたが、勝った側の連合国も、ヨーロッパの国々は元々国力が疲弊していて、勝ったとはいえ植民地を手放したり、本土が戦闘のダメージを負ったり、なかなかに厳しい状況でした。

一方でアメリカは主要な戦場で国力の圧倒的な差を見せつけ、かつ本土はほとんど攻撃されず、漁夫の利を得たソ連と共に、大戦後は世界の舵取りをほぼ握る程の躍進を手に入れました。

その後に勃発した朝鮮戦争で半島の北半分をソ連や中国の影響下に置かれたとはいえ、アメリカは50年代には不動の超大国になっておった訳です。

そんなイケイケのアメリカでは、それまでの都市部への人口の集中がピークを越え、郊外に広い家を買い、キャデラックに乗って買い物に行ったり遊びに行ったりするという、新しいライフスタイルが「成功の象徴」と言われるようになりました。

そして十代の若者達の間では

「街の高級クラブでキチッとした身なりで優等生なパーティーに行くのはもう古い、俺達は派手な車に乗ってカジュアルなオシャレをして、騒ぎたいように騒いで踊りたいように踊れるようなパーティーに行くんだぜ」

と、まぁ極端に言えばそんな価値観が生まれて来たんですな。

ロックンロールという音楽は、そんなアメリカの郊外に住む若者達にとって、最高のダンスミュージックであり、同時に自分達のライフスタイルを代弁するような音楽であった訳で、学校や車やクレイジーなダンスパーティーのことなどを、構えない派手なパフォーマンスで踊りながら歌い、エレキギターのやかましいサウンド(当時はギターをアンプに繋いで電気増幅された音を出すということだけでそれはもう画期的なことだったんです)を響かせて、装飾のないストレートな言葉で吐き出すチャック・ベリーの音楽がまず白人の比較的裕福なティーンエイジャーに受け、それから白人側からも多くのスターを生んだのです。

で、ジェリー・リー・ルイスという人は、ピアノという「正しい姿勢で座って弾く」というのが当たり前だったこの楽器で足をツイストさせたり、ノリにノッて立ち上がったり、はたまた座っていた椅子を蹴り飛ばしたりという、ギターに負けない派手なパフォーマンスで、ギタリスト以上のクレイジーぶりを発揮、更にその「ワルガキ」そのまんまな破廉恥で破天荒な性格によって、同時代の若者達の「古臭い価値観をぶっ壊して自由になりたいぜ!」という願望の体現者となることで、時代の象徴となりました。


「ロックスター」という言葉は、今も成功したロックミュージシャン、その中でも様々な”伝説”の持ち主を指して使われることのある馴染みの言葉ですが、アタシはこの言葉がしっくりくる最初のアーティストこそ、ジェリー・リー・ルイスだとつくづく思うのです。

さて、前回はエルヴィスやジョニー・キャッシュ兄貴を世に出した、南部の中堅都市メンフィスにあるサン・レコーズからデビューして、大成功を収めるまでのジェリー・リー・ルイスのエピソードを皆さんに読んで頂きましたが、光があれば闇があり、表があれば裏があるのが世のならわしで、デビューしてスターダムにのし上がった後のジェリー・リーにもトラブルが襲い掛かります。

この人のスキャンダルといえば、まず女性問題です。

まぁカッコイイしピアノも歌もズバ抜けて上手いし、そしてその破天荒な性格から醸し出されるキケンな雰囲気というのは、異性から見たら非常に魅力的なものだったと思うんです。デビューしてブレイクするまでに、実はこの人2回結婚しておりまして、22歳の時に3回目の結婚をしました。

この相手というのが、実にまずいことに13歳の未成年で、しかも従兄弟の子供だったんですね。

特にまだキリスト教的な価値観が根強く残っていたアメリカです、そうでなくても「未成年者を、しかも親戚の子供をたぶらかして嫁にするなんて不道徳だ!」となります。更にこの時実は2人目の奥さんとの離婚が正式になされておらず、重婚となっていたことで「重婚なんて信じられない、神への冒涜だ!」と、凄まじいバッシングが沸き起こります。えぇ、フツーにそうなります。

空前のロックンロール・ブームの中、デビュー1年目でそのシーンを代表するスターの一人としてもてはやされていたジェリー・リーは、この一件により、ラジオで「不適切なアーティスト」と指定され、番組やツアーも次々キャンセル、つまりは芸能界を追放された形になりました。

で、ヤケになったジェリー・リーが荒れた生活に溺れている時にロックンロールのブームは過ぎ去り、誰もがジェリー・リー・ルイスの事を忘れかけていた1961年、何とジェリー・リーはその頃大人気だったR&Bのスター、レイ・チャールズのヒット曲『ホワッド・アイ・セイ』のカヴァーで奇跡の復活、その後も62年、63年と立て続けにヒットを飛ばし、その音楽性同様のタフネスぶりを発揮して、華麗にシーンに戻ってきます。

アメリカではジェリー・リー・ルイスはあちこちで演奏禁止、ラジオ局もブラックリストに入っている彼のレコードをかけるのを躊躇していた時期ですが「食えなくなったら元も子もない」と、まだ契約の残っていたサン・レコードの新しくゴージャスになったスタジオに乗り込んで

「オゥ、てめーらがこんな上等なスタジオ建てられるようになったのは誰のおかげなんだ?オレとエルヴィスだろ?わかってんのかよ?オレをレコーディングしなかったらテメーらも色々やってきたあんなことやこんなこと、オレがあちこちで喋ってやってもいいんだぜ?おうおぅ」

と「うわぁコイツとはもう関わりたくない」と思っていた会社の幹部陣を半ば脅すぐらいの勢いで強引にレコーディングさせ、その音源をヨーロッパ市場に売り込みさせたというから、もうどんだけ肝が太いんだという話であります。

その、肝が太いのが功を奏してジェリー・リーは復活。それどころかオランダのレコード会社(フィリップス)が「ぜひともライヴをレコーディングさせてくれ!」と頼み込んで、このレコードは後に「ロックンロールを代表するライヴ・アルバム」と最高の評価を受けるようになりますが、このアルバムについてはまたいずれ日を改めて解説します。

今日のアルバムは、1961年にリリースされたジェリー・リーのセカンド・アルバム『ザ・グレイテスト』です。ジェリー・リーのアルバムとしては、このアルバムが最も重要な作品でありましょう。





ジェリー・リーズ・グレイテスト! (紙ジャケット) [名盤1000円]

【収録曲】
1.マネー(ザッツ・ホワット・アイ・ウォント)
2.アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ
3.ヒルビリー・ミュージック
4.ブレイクアップ
5.ハロー、ハロー・ベイビー
6.ホーム
7.レッツ・トーク・アバウト・アス
8.火の玉ロック
9.フランキーとジョニー
10.コールド、コールド・ハート
11.ホワッド・アイ・セイ
12.ハロー・ジョセフィーヌ


何故かといえば彼の生涯の代表曲、ほとんどこの1曲で歴史を塗り替えた名曲『火の玉ロック』と、復活のきっかけとなったレイ・チャールズのヴァー『ホワッド・アイ・セイ』が収録されているからです。

この2曲は、ジェリー・リー大得意の、ハイテンポでロールしまくるナンバーです。とにかくもう前にも書きましたが、元々強烈なブギウギフリークで、強靭なタッチと白人離れしたうねりにうねるグルーヴをガンガンゴンゴン叩き出すピアノの凄まじさは、こりゃもう破天荒エピソードなしでも、彼がミュージシャンとしていかに非凡で突き抜けた実力の持ち主であったかを物語っております。もし彼がロックンロールじゃなくてジャズの世界に殴り込んでも、凄いジャズピアニストになっていたでしょうね。

アルバムがリリースされたのは、ジェリー・リーが芸能界を干されていた時期で、もしかしたらサン・レコーズはこのアルバムをリリースしたことでジェリー・リーとの契約を解消したかったんじゃなかろうかと、ゲスな勘繰りもしてしまいたくなりますが、ジェリー・リーは60年代半ばに華麗な復活を果たし、更に70年代以降はカントリーシンガーとして大人の音楽にも対応出来る成長を見せ、更に80年代以降は、彼をリスペクトする多くのロック・ミュージシャン達との共演でも再注目され、今(2018年)も現役として、しかも82歳にしてほとんど衰えない歌声とピアノを聴かせてくれております。

で、デビューから60年経って、分別はそれなりに付いたらしいですが、やんちゃな性格は結構そのまんまらしく、そういうところがあぁたまんなくカッコイイなぁ、いつまでも不良でいてくれと思ってしまいますね。本当の意味でロッカーであり、ロックンローラーなんです。



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posted by サウンズパル at 20:34| Comment(0) | ロック/ポップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする