2019年02月25日
トゥーツ・シールマンス イメージズ
トゥーツ・シールマンス/イメージズ
(Candid)
しばらくブログを休んでる間、何かとバタバタしておりまして、家に帰ったら何かこうホッと出来る音楽を探しているうちに、穏やかなジャズに流れ着く事が多い最近ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
このブログをご覧になっている皆様の中にも、昼間は一生懸命働いて、夜になるとホッと一息する時間を求めてネットとかでリラックス出来る音楽をお探しの方も多いんじゃないかと思いますので、丁度いいやということで、今日はアタシが家でボケーっと抜け殻のようになって聴いているジャズをご紹介しましょうという訳で、今日はジャズ・ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスという人を紹介します。
ハーモニカっていう楽器は、小学校でも習うし、昔からアタシ達日本人には馴染みの深い楽器ですね。あと、フォークなんかでもギター持ちながらハーモニカ吹いたり、ブルースにはブルースハープっていう立派なスタイルもありますし、実に親しみやすい楽器でありながら、その実奥が深く、色んなジャンルに合わせる形でそれぞれ奏法が確立されてきたという長い歴史もございます。
では、ジャズではどうかというと、まーこれがおりません。色々とレコードをいっぱい出しているぐらいの有名人になってくると、トゥーツ・シールマンスとリー・オスカーという人ぐらいでありましょうか。
何故いないのかというと、ハーモニカという楽器が実に難しいからなんでありますね。
や、穴を通して息を吸ったり吐いたりするだけで音が出て、なんなら和音もすぐに吹けてしまうハーモニカは、実はジャズのように複雑な和音構造を持って半音とかが当たり前に出て来るフレーズを細かく吹くというのがとんでもなく難しい。難しいからそもそもやりたがる人がいない。それに、サックスとかトランペットとか、見た目も派手でソイツを抱えてデカい音を出すってのはいかにもカッコイイんだけど、それに比べてハーモニカ。ん?あのちっちゃい筆箱みたいな、音もそんなにデカくない楽器やって楽しいの?と思う人は、ミュージシャンの中でも恐らく多数。
でも、トゥーツ・シールマンスはそんな世間の偏見(?)にも負けず、このハーモニカという楽器を見事に上質なジャズを奏でる楽器として良い演奏を沢山残しましたし、問答無用のこの楽器の第一人者として、ジャズの世界で一際輝く存在感を放ちましたし、そのズバ抜けたセンスと軽やかなフットワーク、それと「ジャンル?うん、ボクはあんまりこだわらないなぁ〜」という懐の広さで、ベテラン世代でありながら70年代後半に出て来たフュージョンにもいち早く理解を示し、80年代以降はクインシー・ジョーンズのコンテンポラリーなR&Bアルバムや、ジャコ・パストリアスのバンドでその軽やかなハーモニカを披露し、ビリー・ジョエルにポール・サイモンといったポップスのミュージシャンとも積極的に共演、そして何と久保田利伸、レベッカ、南野陽子の作品にもしれっと参加するという、ついでに言えばアメリカでは大人から子供達まで誰もが知っている人気番組『セサミストリート』のあのテーマ曲の作曲者でもあるという、びっくりするほど幅広い活躍で、ポピュラー音楽全般にも深く関わっているという、実に凄い人なんですよ。
それでいて、根っこから実にオシャレで洗練されたホンモノのジャズを感じさせるスタイルは、どんなにバックが変わっても、或いは共演するメインのアーティストがどのような音楽性だろうが一歩も退かずに死守するという、何というかミュージシャン道を通り越して、武士道とか騎士道にも通じるポリシーを感じます。
はい、トゥーツ・シールマンスはベルギーに生まれ、第二次大戦中にジャズに目覚めて、特に隣国フランスのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトに憧れて、まずはギターでジャズを習得します。
やがて戦争が終わり、アメリカで本格的なジャズ演奏家になりたいと思ったシールマンスは、50年代にアメリカに移住。大御所ベニー・グッドマンにそのセンスの良さを買われ、以後コンスタントに活躍することになります。
ハーモニカで有名になってからもギターは変わらず弾いておりまして、これが口笛とかスキャットとかとユニゾンで一緒に歌ったり、洒落たボサノヴァを奏でたり、なかなかに味のあるもんでございますよ。
で、ハーモニカなんですが、実は彼にとってハーモニカは、幼い頃から慣れ親しんだ「ちょっとした余技の楽器」だったんです。
ところがヨーロッパに居た頃から「コイツで何か出来ないかなぁ」と考えているうちに、ギターを弾きながらホルダーに固定して、まるでフォークシンガーのようないでたちで軽く吹いておったら、お、これがなかなかいけるじゃないか、ていうかハーモニカの音って思ってた以上にジャズと合うんだなぁ、どれどれ、ほんならちょいとコイツでスタンダードでも吹いてみようかということになりまして、じっくり感情を込めて吹いてみたら、周囲からも「いいねぇ、ギターもいいけどハーモニカもメインの楽器にするべきだ」と認められ、それ以来ギターとハーモニカの二刀流で。
ほいでもってジャズでハーモニカというのは珍しいし、何よりシールマンスが奏でるハーモニカの独特の淡くドリーミーな音色と、半音階もオクターブぐらい離れた音符を繋ぐような複雑な奏法も軽くこなす優れたテクニックで築き上げられた無二の個性が多くの人を心地良く魅了し、2014年に体調不良で引退(その2年後の2016年に94歳で大往生)するまで、第一人者として常に最高に洗練されたハーモニカとギターのプレイでファンを楽しませておりました。
Images
【パーソネル】
トゥーツ・シールマンス(harmonica)
ジョアン・ブラッキーン(p)
セシル・マクビー(b)
フレディ・ウェイツ(ds)
【収録曲】
1.Days Of Wine And Roses
2.I Never Told You
3.Dr. Pretty
4.Airegin
5.Images
6.Day Dream
7.Giant Steps
8.Snooze
9.Stella By Starlight
10.Revol
(録音:1974年9月16日)
キャリアの長い人で、時代によって様々なスタイルを吸収し、それを軒並み「はいよ〜」とばかりに軽〜くこなせちゃってる人でありますが、やはりこの人の根底に淀みなく流れているのは、上質なジャズのリズムとエレガンスであります。
いやほんと、どの年代のリーダー作も参加作も、ちょろっとハーモニカ吹くだけで空気が爽やかな気品に満ち溢れ、しかもそれが決して軽くなく、ジャズの持つ特有の哀愁やスリリングな質感をもしっかりと感じさせてくれるから、トゥーツ・シールマンスって人は本当にどれ聴いてもいいんですが、ガッツリとジャズをやっているハーモニカをまずは聴いて浸りたい方には、この70年代のライヴ・アルバムがオススメです。
楽曲は、古くから演奏されているおなじみのスタンダードナンバーの中にジョン・コルトレーンのハイテクな難曲『ジャイアント・ステップス』なんかもあって「お、これどうやって料理してるんだろう?」と、曲名を見るだけでウキウキします。
そしてバックを固めるメンバーがまた、ジョアン・ブラッキーンにセシル・マクビー、フレディ・ウェイツと・・・おぉ、それぞれ濃いキャラクターと、オーソドックスからアヴァンギャルドまでこなす音楽性を併せ持つ、70年代にはそれこそ硬派でクセの強いアルバムを出したり参加したりという、実に魑魅魍魎な人達ではありませんか。
さて、こんな感じの、いわば武闘派な若い連中を従えて、シールマンスはどうしてるかといえば、これが”どうもしない”んです。
いや、もう、びっくりするほど穏やかに滑らかに、大人の男の上品さをハーモニカで匂い立つエスプリと共に「ふわぁん」と醸している。実際のプレイそのものは、激しく攻めているにも関わらず、ハーモニカという楽器が持つ柔らかい特性ゆえか、それともシールマンスの人柄ゆえか、演奏全体からみなぎる激しさを、スーッと美しくまとめ上げ、純粋に心地良いジャズとして最初から最後まで聴かせてくれます。
ていうかシールマンスのほんのり憂いを含んだハーモニカの音、ほんといいなぁ・・・。
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2019年02月12日
チャンピオン・ジャック・デュプリー ブルース・フロム・ザ・ガター
チャンピオン・ジャック・デュプリー/ブルース・フロム・ザ・ガター
テレビはあんまり見ませんし、スポーツもどちらかというとアタシは苦手なんですが、相撲とボクシングは小さい頃から好きでよく見ておりました。
ボクシングは小学生の頃から親父と一緒に見てまして、すると世界戦とかをやりますよね。日本人の選手が世界の相手に挑戦するとか防衛するとか、そういうのですっごい盛り上がる訳なんですが、大体「世界」といっても相手の選手は大体メキシコとかタイとか、あれ?アメリカとかソ連とかイギリスとかフランスとか、世界ってもっといっぱい色んな国があるんじゃないの?何でいつもメキシコとかタイとかフィリピンとかばっかりなの?と素直に疑問に思い、親父にそれを訊いたことがありました。
すると親父の答えはこうです。
「ボクシングってのはな、貧乏のドン底のヤツが、拳ひとつでチャンピオンになって賞金を稼ぐためにやってるんだ。だからメキシコとかタイとかフィリピンとか、そういう貧しい国のヤツがな、家族を食わせるためにボクサーになるんだぞ」
と。
ほいでもって、バリバリの戦中生まれでバリバリの下町少年愚連隊出身の親父から、あしたのジョーとかモハメド・アリのことも教えてもらったのが記憶にあります。
しかし、そこで親父が熱を込めてアツく語ったのが
「おォ、そいで黒人のボクサーってのは多いんだ、ジャズのピアノを弾く人でレッド・ガーランドってのが居てなァ、これはボクサーから世界一のマイルス・デイヴィスのバンドのピアニストにまでなった人なんだ」
という話だったんですが、小学生だったアタシには、レッド・ガーランドとかマイルスどころか、ジャズと言われても何のことやらさっぱり分かりません。
そんなこんなでボクシングはアタマの悪い中学生になっても高校生になっても、卒業して上京してからも、結婚して戻ってきてからも相変わらず好きで見ております。
その過程でレッド・ガーランドを知り「おぉ、この人がボクサーだったのか!」と思いましたが、ボクシング出身とはとても思えないハッピーで穏やかでエレガントなピアノに聴き惚れてしまいました。
そしてジャズやブルースの人達を知れば知るほど「ボクサーをやっていた」という人、ちょくちょく出てきます。
ほとんどの人はやっぱり貧しくて、それでガッツリチャンピオンになるためというよりは、やはり「カネのためのリングに上がった」というエピソードであり、ここで親父の言っていた「貧乏ドン底なやつが一攫千金を狙うためにボクサーになる」という話が初めてピンと来たのでありました。
はい、今日皆様にご紹介するのは、そんな「カネのためにボクサーやってたよ」というブルースマン、チャンピオン・ジャック・デュプリーでございます。
しかしこの人はですねぇ「音楽やってたんだけど食えなくてねー、しょうがないからオレになんか出来るかって思ったら、まぁ腕っぷしだけは自信あったからな。ボクシングやる?って言われてあぁいいよってリングに上がったら何か勝ち続けちゃってさ・・・」で、何と107回も試合をしてチャンピオンになっちゃった人なんです。
だから芸名が”チャンピオン”凄いですね。ブルースマンの芸名なんてのは大体が”カッコ良く思わせるためのハッタリ”だったりして、そこが何とも良かったりするんですが、この人はガチなチャンピオンですよ。
チャンピオン・ジャック・デュプリー、生年には1908年とか9年とか10年とか、諸説ありますが、とにかくブルースマンとしては古い世代の人であります。
出身地はルイジアナ州ニューオーリンズと言われておりますが、資料には一部ミシシッピ州ジャクソンという説もあります。そしてアフリカ系の父親と、先住民チェロキー族の血を引く母親の間に生まれます。
彼の人生は最初から波乱万丈でありました。
まず、幼い頃に火事で両親を亡くし、孤児院に引き取られて育ちます。
ピアノはここで少し習い、何となく音楽で生きて行こうと思ってやがて孤児院を出ることになったのですが、しかし、時は大恐慌が猛威を振るう1930年代。南部からは少しでも良い仕事を求めて北部や西海岸などに移住する人達が多く、盛り場も不景気になって、思うような音楽の仕事にはありつけることは出来ません。
結局北部の街シカゴに彼もまた移り住み、当時人気だった元説教師のピアニスト、ジョージア・トムと活動を共にしたり、はたまた更に移り住んだセントルイスで、戦前ブルース・ピアニストとしては破格の人気を誇ったリロイ・カーと親交を深めたりしますが、彼自身はミュージシャンとして、ピアニストとしての順調な活動の波には乗れませんでした。
シカゴではコックをしたり、密造酒の販売などにも絡んでいたそうで、そんなこんなでギリギリの生活をしながらシカゴに住んだりデトロイトに住んだり、不安定な生活をしているある日、デトロイトで伝説の黒人ボクサー(ヘビー級チャンピオン)のジョー・ルイスに「お前ボクシングやってみない?」と声をかけられ、「まぁそうだな、こんなうだつの上がらねぇ生活してるよりはボクサーにでもなった方がいいかな」と、ライト級ボクサーになってみた。そしたらあれよあれよという間に試合数は100を超えて、何とあっさりチャンピオンになってしまいました。
順風満帆のボクサー人生は、それなりにスリリングで金銭的にも充実したものでありましたが、それでもやはり音楽への思いは絶ち難く、デュプリーは再びシカゴへ行って、そこでようやくミュージシャンとしての仕事に多く恵まれ、クラブで忙しく演奏する日々を送っておりましたが、今度は第二次世界大戦が始まり、コックの経験を買われて海軍の調理兵として招集されます。
どこでどんな戦歴を送ったのかはあまりよく分かりませんが、この兵役で彼は最終的に日本軍の捕虜となって2年間を収容所で生活しております。
やがて戦争が終わり、母国へ舞い戻って再びピアニストとして大活躍。南部のバレルハウス(音楽が聴ける安酒場)で鍛えたゴツいタッチから繰り出される強靭なブギウギ・ビートでヒット曲も出すようになりました。
50年代後半に、ブルースの人気が下火になってくると思い切ってヨーロッパに移住。スイスやデンマーク、スウェーデンやイギリス、ドイツと行く先々で現地のオーディエンスやアーティスト達から「アメリカのすげぇブルースマン」として尊敬を集めるほど受け入れられました。特にイギリスではエリック・クラプトンらブリティッシュ・ブルースロックの若い連中とのセッションにも積極的に参加し、同地のブルースムーヴメントの盛り上がりに一役買い、最終的にアメリカでの再びのブルース人気にも多大な影響を及ぼしているのです。
ブルース・フロム・ザ・ガター
【収録曲】
1.Strollin'
2.T.B. Blues
3.Can't Kick the Habit
4.Evil Woman
5.Nasty Boogie
6.Junker's Blues
7.Bad Blood
8.Goin' Down Slow
9.Frankie and Johnny
10.Stack-O-Lee
長く充実したキャリアの中で名盤は数知れず。そしてどの時期のアルバムも奇をてらわない、時流に媚びない男気で骨太のブルース一本で聴く人の口から「く〜」という究極の感嘆詞を引き出すチャンピォン・ジャックですから、とりあえずどのアルバムも聴く価値はあります。
その中でも特に自身のヴォーカル&ピアノ、ギター、テナーサックス、ベース、ドラムスという程良い編成でじっくりとそのズンと腹にくるパワフルなピアノと深い味わいのヴォーカルを心行くまで味わえるといったら、1958年アトランティックに残した『ブルース・フロム・ザ・ガター』でしょう。
「ガター」とは貧民窟のこと。実際に社会の最底辺で泥水をすすりながら力強く生きてきたデュプリーが、それまでの人生を噛み締めるようにしみじみとしたコブシを効かせて歌うスローブルースや、陽気なブギウギにもしっかりと下町の夜の空気が隅々まで充満しております。
1950年代後半といえば、時代はロックンロールやR&B、カネと車と男と女みたいな歌が、できるだけ派手なアレンジの小粋なビートに乗せられて歌われておりましたが「オレに歌えるのはブルースだけだけどそれがどうした」と言わんばかりの、このヘヴィで男臭い歌唱、どんな言葉よりもズッシリと重厚なメッセージを伝えてくるピアノ。どうでしょう、彼自身の実にニヒルで媚びない魅力ってのも最高なんですが、それに合わせたシンプルで土臭いアレンジのバックも実に素晴らしい。
特にラリー・デイルの、まるで高倉健主演の任侠モノで、最後の死闘に途中から黙って付いてきて来て渋い立ち合いを演じる池部良のような、タメと弾きを心得た見事なサポート・ギターはその武骨極まりないトーンも含めて最高じゃあありませんか。
古き良きバレルハウス/ブギ・ウギ・ピアノの奏法に生まれ育ったニューオリンズの絶妙な軽快さが隠し味で効いているといったスタイル云々以前に、これはどの瞬間を切り取っても男の哀愁と心地良く重い夜の空気に満ちた極上のブルースであります。
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2019年02月10日
ウェイン・ショーター ジュジュ
ウェイン・ショーター/ジュジュ
(BLUENOTE/ユニバーサル)
ジャズの世界ではよく「ジョン・コルトレーン以前と以後」というような言葉が使われます。
つまりはジョン・コルトレーンという人が出て来て、それまでのジャズの在り方みたいなのが凄く変わったと。
何がどう変わったんだと言われると、精神面とサックスの演奏技術面とがあります。
精神面でいえば、それまでジャズという音楽は、有り体に申し上げれば、娯楽と刺激のための音楽だった。
ゴキゲンなリズムに乗ってソロイスト達が得意のアドリブを披露して、お客さんにわーきゃー言われるための音楽。あるいは色気ムンムンのバラードでお客さんをうっとりさせるぜベイビーな感じで酔わせる音楽。ところがコルトレーンがソロ・アーティストとして大活躍した1950年代の末から60年代には、もっとこうなんつうか違うんだよ、そういう俗な感じじゃなくて、己は何であるのかとか、神って何だろうとか、そういう事を追い求めながらトリップしたりトランスしたりしようよ。
という、アーティストによっては実は内側でコッソリ持っていた哲学的な考え方みたいなのを、コルトレーンって人は”売れてるミュージシャン”としては初めて音楽の前面にそれを出して、世間に「どうだ!」とやってみせた。
60年代ってのは、丁度時代もそれまでの豊かさをがむしゃらに追い求めていた流れから「ちょっと待て、これでいいのか?」「俺達は一体何者なんだ?」という若者達の疑問が出て来て大きく揺れ動いていた時代だったので、コルトレーンのこういった姿勢は特に若者達に支持されて、大いに影響力を増したんですね。
で、もうひとつはサックスの演奏法においての変革。
コルトレーンはテナー・サックスをメインで吹いております(ソプラノも途中から吹くようになりました)。
テナー・サックスっていう楽器は、人間で言うと男性の声の音階と呼ばれる楽器であり、事実その通り技術を磨けば太く豊かに鳴り響く低音と中音域が非常に魅力的な楽器であります。
戦前の昔から、テナー・サックスというのはソロの花形で、そのソロの特徴といえば、太く豊かに鳴り響く中低域を活かした男性的なフレーズでありました。
戦前から戦後50年代にかけては、ジャズの表舞台には個性豊かなサックス奏者がたくさん出てきましたが、その中で「テナーっぽくない硬質な音色とフレーズ」でもってシーンに出て来たのがコルトレーンだったんです。
この人の特徴は、良く言えばシャープで現代的、悪く言えばどこかぎこちなく、実際最初の方は下手くそと酷評もされておりましたが、その個性を活かしながらぐんぐん成長し、デビューから5年も経たないうちに、コルトレーンのように吹く若手が続々と出て来るまでになりました。
そんなコルトレーンの影響を強く受けた新生代(1960年代当初)のテナー奏者の一人が、ウェイン・ショーターです。
この人は活動初期の頃はモダン・ジャズの王道中の王道でありますアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのメンバーとして、テナーサックスの演奏と共に作曲とアレンジで大活躍しております。
ブレイキーの演奏は、50年代のモダン・ジャズ全盛の時代に大流行した”ファンキー”と呼ばれる実にノリやすく、一言で”カッコイイ”スタイルです。
ショーターという人は最初から独自の都会的なセンスを持っていて、そして音楽理論にもとても強かったんでしょうね。ブレイキーのところの音楽監督的な立場で持ち前の”ファンキー”な感覚を上手に損ねないようにしつつ、そこに最新のモードという理論を織り交ぜて、演奏をグッとオシャレなものに進化させ、そして彼自身のコルトレーンを意識したシャープな音色とフレージングもそのサウンドの中でとても効果的に鳴り響いております。
そんなショーターのセンスを「お、オレんところに欲しいな」と目を付けて声をかけたのが、その頃モダン・ジャズの帝王であり、ショーターが憧れた”モード”のいわば大元締めであったマイルス・デイヴィスです。
マイルスの誘いに応じ、彼のバンドに移籍したショーターは、リーダーのあくなき実験精神に感化され、さらに演奏法を独自のものへと進化、いや、深化させてゆくのです。
具体的にはアート・ブレイキーのバンドに居た頃はまだモダン・ジャズ寄りファンキー寄りだった「音数の多いスタイル」を、親分のマイルス同様に音数の少ないスタイルへと変えて行きます。更に、これはマイルスが提唱していたモード奏法の特徴に寄り添うような形なんですが、コードチェンジの数も極端に取っ払って生まれる、メジャーでもマイナーでもない不安定な雰囲気と不気味に調和する、横へ横へとゆらゆら揺れながら伸びて、着地点でないところに不時着するような、不穏で捉えどころのない独自のスタイルを、ショーターは確立しました。
ジュジュ+2
【パーソネル】
ウェイン・ショーター(ts)
マッコイ・タイナー(p)
レジー・ワークマン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
【収録曲】
1.ジュジュ
2.デリュージ
3.ハウス・オブ・ジェイド
4.マージャン
5.イエス・オア・ノー
6.12モア・バード・トゥ・ゴー
(録音:1964年8月3日)
さて、そんなショーターの個性が大きく花開いた時期のアルバムを、本日はご紹介します。
この『JUJU』は、ショーターのリーダー作としては5枚目、BLUENOTEレコードに移籍してから2作目のアルバムになりますが、録音年の1964年という年が、丁度アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズからマイルス・デイヴィスのバンドに移籍したその年になります。
メンバーはピアノがマッコイ・タイナーで、ドラムにエルヴィン・ジョーンズ、そう、当時バリバリに活躍し、ジャズの話題の中心で物議を醸していたジョン・コルトレーンのカルテットのメンバーであります。ベースのレジー・ワークマンも一時期メンバーでした。
ということは、おお、このアルバムは正にコルトレーン・サウンドの継承者としてのウェイン・ショーターに大々的なスポットを当てた内容なのか!と、アタシのような暑苦しいほどのコルトレーン・ファンは狂喜致します。実際アタシがショーターを知り、聴くようになったきっかけは、やはりコルトレーンとの関係あればこそでしたので、そもそもこのアルバムも裏に印刷されているメンバーの名前を見て購入を決意したようなもんでありましたから。
ところがどっこい、あえて尊敬するコルトレーンのバンドの、しかも現役のメンバーをわざわざ招いてレコーディングしたこの作品こそ、ショーターの「コルトレーンとは違うんだぜ」と言わんばかりの独自の味わいとか個性とかが物凄い密度で大々的に打ち立てられた作品なのであります。
のっけから半音階で不安になるようなリフから始まるオープニング曲の『ジュジュ』から、もう不気味で妖しくて、引きずり込まれてしまいそうな魔術的世界。そういえばタイトルの”ジュジュ”ってのはアフリカの黒魔術のことで、ショーターは大の読書好き&オカルト好きであり、アフリカの民俗学的な事や東洋の神秘思想などに相当のめり込んでいて、それを音楽で表現しようと熱心だったということで、彼が60年代ブルーノートに録音した作品には、その辺の影響がモロにうかがえる独自のおどろおどろしさに満ち溢れております。
テナー・サックスの音色は確かに金属的で、どこかドライな感じすらする、コルトレーン直径のトーンではありますが、そのトーンを使って描く世界は全く逆。
情念をMAXまで高めて、いや、最初っから頂点に達して洪水のように感情を吐き出すエモーショナルな吹き方がコルトレーンだとしたら、ショーターはドロドロとした情念の渦を常に胸に抱えながら、ソイツがまき散らすドス黒いものを辺りに振り撒きながらもしっかりとその効果とか風向きとかまで計算して、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら次の展開を考えているような感じ。
バックのマッコイやエルヴィンも、そんなショーターの個性と同化しているように、見事に”静と動”のコントラストを見せながらショーターの書く楽曲に沈み込んでゆくような思惑的なプレイでサポートしております。
そして、ショーターの演奏というのは、ただドロドロしているだけでなく、常にビシッバシッとキメるところはしっかりとオシャレにキメてしまうスタイリッシュな魅力があるんです。
最初は「うわ〜、何か妖しいな〜、不気味だな〜」と聴いてたショーターですが、恐ろしいことに回を重ねて聴いているうちに、そのふらふらとどこへ着地するかよく分からない不安なメロディーに耳がすっかり慣れてしまい、そのスタイリッシュなカッコ良さの方にシビレてしまう。こうなってしまうとすっかり中毒になってしまうんですが「ショーターが好き」っていう人は、最初は特にガツンと来なかったけど、聴いてるうちにいつの間にかハマッてしまったという方多いんですよね。
「ドロドロをドロドロとして聴かせる」よりも「最初はドロドロを印象付けるけど、最終的にそれを普通にカッコイイものと思わせて聴かせてしまう」って、・・・これはもう魔術ですね。ショーター恐るべしであります。
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