2019年04月17日

オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース

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Otis Spann Is The Blues
(Canded)


さあさあ、ブルース・ピアノの極上の煮汁が染み出る名コンピ『ブルース・ピアノ・オージー』を先日はご紹介しましたので、今日はせっかくだからその大トリを飾ったオーティス・スパンを勢いで紹介しちゃいます。

(昨日の記事はコレよ〜!↓)



オーティス・スパン。ブルースをよく知っている人ならもちろん知ってる。そんなに詳しくないよって人でも、実はブルースを聴く過程で、多分最初に出会う率ってのは凄く高いピアニストなんじゃないかと思います。

そう、ブルースといえば、戦後生まれの多くのブルースマン達、またはブルースに大きく影響を受けた黎明期のロック・ミュージシャン達が「リスペクトする人物」として必ず名前を挙げる、戦後シカゴ・ブルースの王者でマディ・ウォーターズという人がおります。

戦前の南部ミシシッピ・デルタの泥臭さや強烈なタメのビート感はそのままに、エレキギター、ピアノ、ハープ、ベース、ドラムスという基本編成のバンド・サウンドを先鋭化させることによって、それまでの

『都会のブルース=軽快で洒落た感じorホーンが揃ったビッグバンド形式のゴージャスなやつ』

という図式を見事ひっくり返したコアなサウンドを、大都会シカゴで響かせました。

はい、そのマディのバンドで、彼の忠実な左腕としてサウンドを支えたピアニスト、またはマディの所属するシカゴの名門チェス・レコードのスタジオ・ミュージシャンとして、黄金期シカゴブルースの名盤の数々にも参加しているのがオーティス・スパンなのであります。

ロック経由でブルースに興味持った人のパターンとして

「ブルース聴きたいな」

「やっぱりマディ・ウォーターズだな、ローリング・ストーンズがめちゃくちゃリスペクトしてる人らしいし」

「シカゴ・ブルースといえばチェスだよね」

「よし、チェスのマディ聴こう!」

というのがありまして、マディ・ウォーターズのチェス盤、つまり1950年代の初期マディのアルバムを聴いて、そこでオーティス・スパンのピアノ・プレイも自然と耳にするんです。

アタシもブルースとかよくわからん時に親父に「コレを聴け!」と貰ったマディのアルバムを聴きながら、スパンのピアノにも自然と親しんでおりました。


スタジオ・ミュージシャンが”主な稼ぎ”だったスパンは、マディのバンドではサイドマンとして黙々とピアノを弾いております。

派手に音を敷き詰めて、聴く人をアッと言わせるソロで驚かせるような奏法とは真逆の、シンプルなリフをひたすら刻んだり、ヴォーカルの隙間にコーラスのような絶妙な合いの手を入れたり、音数は少ない。けどその鍵盤を叩く指のアタックのパワフルなことパワフルなこと。

それも押しの一手ではなく、ガツッと叩き付けたかと思えば滑らかなメロディを芯を失わずに美しく紡いでゆく。単純に”弾くテクニック”云々じゃあなくて、まず歌ありきのブルースという音楽で、しっかりと歌をうたってる。つまりアタシの思うブルース・ピアノの理想が最初からそこにあるような気がした。

マディのブルースは独特の”間”が多く、まだパンクとかメタルとかの、ギンギンの音数とスピード感のある音楽に興奮してた十代のクソガキだったアタシの耳にも「このピアノはなんかよーわからんけど深い!」と思わせる、有無を言わさない説得力みたいなものがたぎってるような演奏でしたし、今も彼のピアノがチョロッとなるだけで条件反射でそう感じてしまいます。

抜群のコンビネーションを見せるマディには「オレの弟だぁ」と呼ばれていて、マディは周囲にもそう紹介してたようで、資料によっては年下の従兄弟と書かれてたりしますが、そこんとこはどうなんでしょ?と思っておりますが、確かにマディ独特のタイム感に”合わせる”ではく”自然に寄り添っている”感じのするプレイには、単なるミュージシャンとしての相性を越えた強い絆も感じてしまいますね。







Is the Blues

【収録曲】
1.The Hard Way
2.Take A Little Walk With Me
3.Otis In The Dark
4.Little Boy Blue
5.Country Boy
6.Beat-Up Team
7.My Daily Wish
8.Great Northern Stomp
9.I Got Rambling On My Mind #2
10.Worried Life Blues


1947年、17歳の時にミシシッピからシカゴへ出て来て、昼間は左官職人として仕事をしながら夜になるとピアノが弾ける場所でその凄腕を披露したスパン。実はお父さんがミシシッピではちょいと有名なピアニストだったらしく、小さい頃からピアノ演奏のいろはと音楽理論の基礎は叩き込まれておったようです。

50年代になるとマディのバンドに加入。若干ハタチそこそこで既にベテランのような貫禄と存在感で、マディのバンドにはなくてはならないメンバーになり、同時に当時新興だったチェス・レコードの専属ピアニストとしても頭角を現し、先も言ったように黄金期シカゴのバンド・ブルースを代表する数々の名盤に参加します。

ここでスパンは、スタジオ・ミュージシャン仲間として、ロバート・ジョンソンの義理の息子、ロバート・ジュニア・ロックウッドと出会います。

ロックウッドはギタリストでしたが、派手に前に出るタイプではなく、リーダーとの絶妙な間合いの測り方、音楽理論に裏付けられた効果的なリフやバッキングの組み合わせ、バンド全体をうねらせるグルーヴ感を武器に、これまた多くの名盤の誕生に貢献した職人肌の天才です。

チェスはあくまで彼らをスタジオ・ミュージシャン/目立つリーダーのサイドマンとして使っておりましたが、1960年代に

「オーティス・スパンとロバート・ジュニア、アイツらはタダのサイドマンじゃないよ、プロデュース次第ではリーダーとしても立派に出来る奴らだよ」

と、その才能を評価してリーダーアルバムの作成に燃える男がおりました。

気鋭のジャズ評論家であり「商業主義とは一線を画し、真にミュージシャンの表現欲求に応えるレーベルを!」という硬派なコンセプトを持つジャズレーベル”キャンディッド”の発起人でもある、ナット・ヘントフです。

ヘントフはスタジオにスパンとロックウッドを招き、ほぼ二人の声と楽器だけのアルバムを、初リーダー作としてレコーディングしました。

いずれも似た職人タイプのミュージシャン、恐らくヘントフは二人の実力を信じてスタジオで「自由にセッションしていい」とだけ指示したんでしょう。

おもむろに鳴らされるピアノ、それに乾いた情緒で見事絡みつくギター。

必要最小限の編成で、必要最小限の音をフルに使って見事にグルーヴする二人の演奏は、言うまでもなく極上であり、どこを切り取っても「これぞブルース!」と惜しみなく絶賛したくなる味わいと秘めた凄味のカッコ良さに満ち溢れております。

スパンとロックウッド、それぞれ交互にヴォーカルをとるんですが、スパンのハスキーで包容力のある声がまたいいんです。

このアルバムと一緒に酒を飲めば酒が美味くなる。誰かが「ブルースって会話みたいだな〜」と言ってたけど、これはブルースを極めた2人のホンモノによる、どこまでも深い会話です。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 23:37| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする