2019年05月06日

スリーピー・ジョン・エスティスの伝説

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スリーピー・ジョン・エスティスの伝説
(Delmark/Pヴァイン)

突然ですが皆さん「ブルース」と聞いてイメージするものってありますか?

「渋いおっさん」

「ギターかな」

「ガラガラ声」

「しみじみした感じ」

「その日暮らしの渡り鳥」

「お金がない」

とかいう感じで、アンケートを取ると、ほとんど全ての人が、割と的確にブルースという音楽のイメージを答えてくれます。

ところがブルースっていう音楽は、誰もがそのイメージは知っていても、実際にアーティストの作品を聴くに至る人というのが極端に少ない音楽です。

ぶっちゃけて言ってしまえば売れないんですね〜。

だからアタシはこのブログでも一生懸命「ブルースは素晴らしいよ!」という事を、声を大にして言っておるのではありますが、まぁその、いいかげんな人間が細々と書いておる音楽ブログなんで、世界的どころか世間的な影響力もほぼないでしょう。

そんな与太はどうでもいいんです。アタシはブルースという本当に人間の根源に触れるこの素晴らしい音楽の魅力をもっと色んな人に伝えたいんです。

はい、ブルースという音楽は、決してバカ売れするような音楽ではないという事を書きましたが、実はそんなブルースの中でも奇跡的に売れて、何と日本のオリコンチャートに顔を出したアルバムというのがあったんです。

それこそが本日ご紹介します『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』であります。

オリジナルは1962年にアメリカで発売になりましたが、10年後の1972年に初めて日本国内盤として流通した時にこれが売れに売れた。

ほぉぉ、日本人はジャズに関してもエラく盛り上がってたというから、やはりブルースに対しても貪欲にレコードを聴いたりして詳しくなっていたのか〜。

いいえ、そうではありません。

むしろその頃の日本には、ジャズのレコードはたくさん出回っていたし、大物からややマイナーなミュージシャンまでコンサートに来ておりましたが、ブルースに関しては全然遅れていて、ファンは輸入盤を海外からメールオーダーで取り寄せて、到着を何ヶ月も待つような状況だったと言います。

実際に60年代から70年代前半が青春時代だったウチの親父に訊いても

「ブルースのレコードはあんま売ってなかったなぁ、あの時代”ブルース”って言えばレイ・チャールズとかダイナ・ワシントンとかだったなぁ。チェスのレコードをビクターが帯付けて出すようになったのはずっと後よ。」

ぐらいな状況だったようです。

そんな日本で60年代から70年代にかけて流行った音楽といえばフォークです。

日本語フォークの歌詞の中には「ブルース」という言葉は頻繁に出て来るし、彼らが敬愛するボブ・ディランやピート・シーガーなどはもっと具体的に、インタビューや文章の中で「ブルース」という音楽について多くを語っております。

それ以前にもジャズが流行した時に

「ジャズの前にブルースがあるらしいぜ」

って事は、ジャズ好きは何となく知っておった。

更に歌謡曲でも「〇〇ブルース」って曲は昔からあり、そんな中で「ブルース」という音楽の具体的なサウンドよりも先に「ブルース」という音楽のイメージが、日本国民の中で何となく形成されていたんでしょう。

そのイメージというのが、最初に挙げた


「渋いおっさん」

「ギターかな」

「ガラガラ声」

「しみじみした感じ」

「その日暮らしの渡り鳥」

「お金がない」

これなんです。

そのイメージに、正にドンピシャでハマッたのが、このアルバムのジャケット、「涙なしには聴けない悲痛なブルース」という帯のキャッチコピー。そして、本当にその通りだったスリーピー・ジョン・エスティスの悲惨なエピソード、更にヴォーカルとギターとハーモニカ、数曲でピアノが入るのみのシンプルなアコースティック編成で演奏される「ブルース」の、人生の重みが凝縮されたような深い味わいの内容が、初めて聴いた日本人の心を次々と虜にしました。



スリーピー・ジョン・エスティスの伝説

【収録曲】
1.Rats In My Kitchen
2.Someday Baby
3.Stop That Thing
4.Diving Duck Blues
5.Death Valley Blues
6.Married Man Blues
7.Down South Blues
8.Who’s Been Telling You, Buddy Brown
9.Drop Down Mama
10.You Got To Go
11.Milk Cow Blues
12.I’m Been Well Warned


スリーピー・ジョン・エスティスは、戦前に活躍し、人気を博したブルースマンです。

1920年代にメンフィスで初のレコーディングを行い、これがそこそこ評判となったのでシカゴに移住。

移住先のシカゴでは、地元の仲間だったハミー・ニクソン(ハーモニカ)、ヤンク・レイチェル(マンドリン)とバンド形式で演奏することが多く、この明るいノリのカントリーブルースは南部出身者が多いシカゴでも人気が出て、ライヴもレコーディングも順調に行っていたんですが、やがてシカゴでは段々と田舎臭いカントリーブルースよりも洗練されたものが好まれるようになってエスティスらの活動も徐々に下火になり、失望したエスティスは故郷の南部へ帰って、小作農の傍ら細々と音楽を続けていましたが、40年代、50年代にはほとんど演奏活動をやっておらず、消息不明の状態が続いておりました。

60年代になるとアメリカでフォーク&ブルース・リヴァイバルが起き、戦前に活躍した伝説のブルースマンがあちこちで再発見されてシーンにカムバックします。

エスティスも1962年にリサーチの末ようやく発見されたのですが、その時は電気もガスもない掘っ立て小屋のような家に奥さんや多くの子供達と住んでいて、元々悪かった目が栄養失調によって完全に見えなくなっていて、それはもう悲惨なものだったそうです。

「音楽はもうやめた」

とは言うものの、全盲では畑仕事や季節工などの肉体労働が出来ません。

家族を食わせなきゃいけないけれど、南部の貧しい黒人には肉体労働以外の仕事があろうはずもなく、人生に絶望しながらあばら家の中でただ死を待つだけのような状態だったエスティス。

発見されたその年に製作されたレコードに写った本人の、くたびれた帽子に汚れてヨレヨレになった服、そしてギターにはめている鉛筆で代用したカポタストという姿は、リアリティを出すための誇張でも何でもなく、その当時のエスティスの、本当にリアルな姿だったんです(それでもこれは撮影用に選んだ目一杯の上等な服だったと思います)。

そしてこのアルバムの素晴らしい所は、イメージやエピソードに、やっぱり中身の音楽が全然負けてないということなんですよ。

一曲目は「ネズミが台所で走り回ってるぐらいみじめな暮らしだぜ」って事を歌ってる曲なんですが、エスティスの最初に張り上げる「ウォウ!!」って叫びがもう、枯れに枯れた声を、渾身の力と魂で振り絞っております。正直歌詞の意味なんて分からずとも、このシャウトだけで全てが理解出来てしまうほどの深い引力。

元々はバンドスタイルの賑やかな曲も得意だった人ですが、その話はまた次回にたっぷり致しましょう。ここでは半分以上を占めるスローブルース、その枯淡の味わいの中に渦巻くすさまじい情念があり、それを終始内側からえぐり出すように歌うエスティスの声に、ブルースの何たるかをたっぷりと感じてください。









ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:18| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする