2019年07月24日

ジョン・コルトレーン バイーア

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John Coltrane/Bahia
(Prestige/OJC)

はい、しばらく60年代のコルトレーンについて書いてきましたが、今日は50年代後半のコルトレーンのお話をしましょうねー!

と、テンション高くなってしまいましたが、実はですね、ついこの間「ブログを読んでたらコルトレーン聴きたくなったっす」という嬉しいお言葉を読者の方より頂きました。

ここまではいい。

「でもー、よくブログで50年代のコルトレーンとか60年代のとか書いてあるじゃないですかー。アレがいまいちよくわかんなくて。あの、50年代のコルトレーンと60年代のコルトレーンどっちがいいですか?」

う〜ん、う〜ん、そぉかぁ、確かにコルトレーン全然聴いたことない人にとっては、50年代とか60年代とか、初期とか後期とか言われてもよくわかんないですよねー。こういう違いって、コルトレーンを聴き込んでいくうちになんとなーくわかってきて、で、それが分かり出してくるとすごーく楽しくなってくるもんなんですが、あぁでもそれはコルトレーンを一発で気に入らないとちょっと難しいですよねぇ。

う〜ん、う〜ん、ごめんなさい。全然聴いたことない人にコルトレーンの魅力を知ってもらうためのブログに少しばかり親切心が足りませんでした大いに反省・・・。

ではそこんとこ、ちょっとザックリ解説します。「コルトレーン全く聴いたことないよ、でも聴きたいよ」という方のために、細かいところはサックリ省きます。まずは「時期によってどんなサウンドなんだろう?」って疑問にお答えすることが先決ですので、細かいとこ省かないバージョンの解説は、また別記事にして書きましょう。




【初期コルトレーン=1950年代】

まだ自分のバンド持ってない頃、プレステイジ・レコードの専属としてレコーディングを行ってました。リーダー作も色々ありますが、特定のリーダーを決めずに行った、いわゆる”セッションもの”や、誰かのアルバムにサイドマンとして参加したものもあります。サウンドはモダン・ジャズ。つまり粋な雰囲気のストレートなジャズです。


【中期コルトレーン=1950年代末〜60年】

プレステイジからメジャー・レーベルのアトランティックに移籍して、いわゆるハード・バップと呼ばれるストレートなモダン・ジャズから、次の次元目指して色々と意欲的な試みをやっていた時期。コルトレーンは色々あって”モード”と呼ばれるクールでスタイリッシュなジャズ理論を、独自に編み出した高速吹きまくりフレージングでモノにしております。『マイ・フェイバリット・シングス』とかはこの時期。

【後期コルトレーン=1961年〜1965年】

亡くなるまで契約が続くことになるインパルス・レコードに移籍。アトランティック時代の最後にようやく結成することが出来た自分のバンドを使ってようやく「コルトレーンの音楽」ともいうべき激しくて荘厳なイメージの音楽性がこの時代に確立されます。アフリカ音楽や東洋哲学、世界のあらゆる宗教から受けた影響も出て来ております。

【晩年コルトレーン=1966年〜1967年】
「ジャズ」という表現からもっと自分自身の極限に挑みたくなったコルトレーンは、定型を崩したフリー・フォームな演奏へと飛び込みます。ついていけなくなったバンドからはメンバーが脱退。代わりに入って来たメンバー達の型破りなプレイに応じて叫びまくったり、精神の重たいコアの部分に沈み込んでゆくかのような、相当にヘヴィな演奏です。



とまぁ本当にザックリですが「それぞれの時期のコルトレーン」って、大体こんな感じです。

「どの時期がいいのか?」というご質問には、これはまぁ好みで、ストレートなジャズがいいなーって人は初期から中期のコルトレーンを、音楽で強烈な体験がしたいという方は後期から晩年のコルトレーンをお楽しみください。

アタシのようなコルトレーン信者になってきますと、好み通り越してその日の気分で時期をセレクトしております。

今日はですね、何か昼間は天気もスカーンと晴れておりますので、夜は初期の粋なジャズでかっ飛ばすコルトレーンです。



Bahia


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フレディ・ハバード(tp,@AD)
ウィルバー・ハーデン(flh,BC)
レッド・ガーランド(p,@B〜D)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds,@AD)
ジミー・コブ(ds,BC)

【収録曲】
1.バイーア
2ゴールズ・ボロ・エクスプレス
3.マイ・アイディアル
4.アイム・ア・ドリーマー
5.サムシング・アイ・ドリーム・ラスト・ナイト

(録音:BC1958年7月11日、@AD1958年12月26日)


このアルバムは、コルトレーン初期の方の最後付近のアルバムになりますね。

1958年に行われた、プレステイジ最後のセッションの音源から5曲収録の、まーコルトレーンファンにとっては大きなターニングポイントでありますとっても貴重なセッションのはずなんですが、どういう訳かプレステイジはリアルタイムではリリースせず、ずっとお蔵入りにしてたんですよ。

ほいでもってようやっとアルバムとして発売されたのが、何とレコーディングから7年経った1965年(!)

その頃人気絶頂にあったコルトレーン人気に目を付けたプレステイジが、わざわざスプラノサックスを吹いている写真を使って(58年の段階でコルトレーンはまだソプラノサックス吹いてません)、あたかもコレがコルトレーンの最新作であるかのように装って発売したんです。

えぇぇプレステイジ酷い!なんですが、内容がこれ「ジャズなコルトレーン」として本当に素晴らしい、ハイテンションとミディアム、そして美しいバラードとが互いに響き合う素敵な演奏と選曲のアルバムなんですよ。

えぇぇプレステイジ酷い!何でそんな良い作品をお蔵入りさせてたんだよー!と、やっぱり思いますよね。でもまぁプレステイジのそういういかにもアメリカのインディーズらしいとこ、嫌いじゃないです。

で、内容。BCが58年の7月で、フリューゲル・ホルンでウィルバー・ハーディン、ドラムがアート・テイラー。@ADがトランペットのフレディ・ハバードとドラムのジミー・コブとなっております。

バックの印象は実に堅実で間違いない感じですね。コルトレーンとはデビューの頃から勝手知ったる仲のレッド・ガーランドとポール・チェンバースは、コルトレーンがどんなプレイで吹こうが落ち着いたサポートで、見事に上質な”ジャズ”として全体を聴かせます。んで、ウィルバー・ハーディンとフレディ・ハバードは、コルトレーンと同じフロントの管楽器ですが、どちらかというと張り合って吹きまくるというよりは、優しく支えている感じの、ちょいと引いたプレイにとても好感が持てます。

そんなサウンドなので、おっかなびっくりで「コルトレーンってどんなだろー」って思ってる人も安心して聴けます。

全曲本当に粋な、もうジャズとしては最高にカッコイイ仕上がりですが、聴きものはやっぱり冒頭の『バイーア』と2曲目の『ゴールズボロ・エクルプレス』です。

まずは『バイーア』これはブラジルのサンバ曲です。ブラジル音楽っていうのは、1960年代にスタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトと共演した『ゲッツ・ジルベルト』が大ヒットして、アメリカでの人気に火が点く訳なんですが、そのちょっと前に「よし、ブラジルの曲でいいのがあるんだよ」と持ってきたコルトレーンの感性は凄いし、アレンジがまたボサノヴァやサンバそのまんまじゃなくて、ややマイナー調のラテン風のオープニングから、アドリブに入ってキリッと締まった4ビートになるところなんか最高にカッコイイですよ。

で、『ゴールズボロ・エクスプレス』は、ピアノのレッド・ガーランドが抜けた、テナー、ベース、ドラムのトリオ編成。これはどういうことかというと、コルトレーン「さぁ、物凄いスピードで吹きまくるぞ」ということなんです。

実際演奏は「エクスプレス(特急)」のタイトル通り、とにかく速いテンポで息継ぎはいつやってるんだ!とばかりに吹きまくるコルトレーンのアドリブにただもう圧倒!卒倒の1曲であります。コルトレーンはこの時期”シーツ・オブ・サウンド”という独自の空間に音敷き詰めまくりの技を会得してて、ぜひともその威力を最大限にぶちまけたかったんでしょう。いや、突き抜けております。

この時期の演奏は「一人だけ違う次元に片足突っ込んでるコルトレーンとそれをひたすらサポートする他のメンバー」という図式が完全に成り立っていて、コルトレーンの凄さとジャズという音楽のカッコ良さをいいとこどりで楽しめるんですね。やっぱり捨てがたい独自の魅力です。



















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2019年07月23日

ジョン・コルトレーン インプレッションズ

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ジョン・コルトレーン/インプレッションズ
(Impulse!/ユニバーサル)


東京のアパートで一人暮らしをしていた頃、コルトレーンを夢中で集めては夜遅くまで聴きまくっておりました。

今から大体20年前というと、もちろんスマホもありませんし、自宅にパソコンなんて当然ありません。そもそもあの頃はインターネットというのが普及し始めたばかりで、接続したらダイヤル回線の「ピー、ゴロゴロゴロ・・・」という音が鳴ってたような時代でしたかね?ホームページとかいうものも、そんなになかったように思います。

それでも仕事終わって帰宅して、家事の他にもやることが多すぎて、気が付けば深夜って日が毎日だったような気がします。

音楽聴いて本読んで、音楽聴いて楽器触って・・・まぁそれぐらいしかやってなかったように思うのですが、それで時間はあっという間。うん、今もそう大して変わってないような・・・。

で、コルトレーンなんですが、他のジャズと比べてもある種独特の”重さ”のあるコルトレーンが、ヘロヘロに疲れた心身に、まるでアルコール度数の高い酒のようにジワ〜っと効いた。

重たくて、時に激しくて、疲れてる時にこういう音楽なんて受け付けないのかと思っていたら、実に疲れた心と体に刺さったり覆いかぶさってくれて、その刺さった部分や乗っかった部分をジワジワともみほぐしながら温めてくれるような感覚なんですね。表面だけじゃない、奥底までをしっかりと掴まえて揺さぶりながら良い刺激や深い感動を与えてくれるのがコルトレーンの音楽なんです。

特に最初の頃、コルトレーンっていいな、カッコイイなと思いながら夢中で聴いていたアルバムは、やっぱり60年代以降のインパルス時代のアルバムでした。

一番最初に『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』に心を撃ち抜かれてからは、それこそ「コルトレーンのアルバムで”Impulse!”っていう所から出てるやつは全部買え、見たら買え」と、自分自身の義務としてましたのでアルバムはみるみるうちに集まりました。

その中のひとつに『インプレッションズ』というアルバムがあって、このアルバムに入ってる『インディア』という曲が、本当にインド音楽みたいですげーカッコイイなぁと思うと同時に

「あ、アタシがコルトレーンに求めてたのは、こういうハードさと民俗音楽みたいなトランス感だったんだ!」

と、気付かされた特別な曲でした。

はい、そうです。『インディア』は、先日ご紹介した『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』に入っていた曲です。

そいでもって、このアルバムに入ってるヴァージョンも、ヴィレッジ・ヴァンガードでの同じライヴ・ヴァージョン。


ところがコルトレーンの生前にリリースされたオリジナルの『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』には収録されてなかったんですね。





資料を見ると、このインディアという曲は、コルトレーンがヴィレッジ・ヴァンガードのライヴの目玉として、5日間講演のうちの何日かではウードやバスーンといった楽器も加えた特別編成でも演奏しております。

これが何故オリジナルのアルバムには収録されてなかったのかというと、やはりバランスと収録時間でしょう。後年リリースされた追加収録盤や完全盤を聴くと、どのテイクも15分とかの非常に長い演奏ですから

「これはアルバムに入れたいんだ」

「う〜ん、ちょっとこの曲凄くいいんだけどノリと曲調が独特過ぎて演奏も長いからバランスがなぁ・・・」

「入れたいんだ」

「わかった。じゃあこの曲を収録したアルバムはちゃんとした形で出すから次回という事にしてくれ」

「えぇぇそれは・・・」

「作品としてのバランスを考えてみたら、この曲を一発目にダーンと持ってきたアルバムを絶対出すからさぁ」

「う、うん。それなら・・・」

というやりとりが、コルトレーンとプロデューサーのボブ・シールとの間であったのかも知れません。




インプレッションズ


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
エリック・ドルフィー(b-cl,@B)
マッコイ・タイナー(p,@BC)
レジー・ワークマン(b,@)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds,@〜B)
ロイ・ヘインズ(ds,C)

【収録曲】
1.インディア
2.アイ・ゲインスト・ザ・ウォール
3.インプレッションズ
4.アフター・ザ・レイン

(録音:@B 1961年11月3日、A1962年9月18日、B1963年4月29日)


収録曲の録音年月日を見れば分かると思うのですが、上の「1961年11月3日」というのが、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴで、他の日付の2曲がスタジオでレコーディングされたものです。


これはですのぅ、つまりライヴとスタジオ録音のハイブリッド盤。でも、聴いた感じの質感は、上質なスタジオ録音のそれです。

とにかくライヴの曲がスタジオ録音と一緒に入ってるくせに「作品」としての完成度がすこぶる高い。

あのですね、先に行っちゃいますがこのアルバム、長い曲と短い曲の配分が最高なんですよ。

長いのがライヴで、短いのがスタジオ。しかも、ライヴがどれも14曲強の怒涛の演奏で、その間に3分ちょっとと4分ちょっとのスタジオ録音の曲がそっと添えられている。

『インディア』が、インド音楽のラーガみたいな、民族調モードジャズの名曲で、その次に来る『アイ・ゲインスト・ザ・ウォール』はミドルテンポのブルース、その次に来る『インプレッションズ』が、これまた激しい、余りにも激しすぎてマッコイ・タイナーのピアノは最後の方にちょろっと出て来るだけで、ほとんどコルトーンのテナーとエルヴィン・ジョーンズのドラムスとの一騎打ちみたいになっております。

そして、ラストがバラードの『アフター・ザ・レイン』これが染みますね。音楽的に熟成したこの時代のコルトレーンのバラードは、恋愛の甘さとかそういう次元ではなくて、もっと深い祈りのようなものを感じます。

ここではドラムがエルヴィンからロイ・ヘインズに交代してて、ささやくような繊細なブラッシュワークでサポートしております。

この曲がエンディングを迎えて、余韻がスーっと消えて行くその瞬間が、壮大なスケールの映画か何か観た後みたいな恍惚で、えぇ、ライヴ感がありながら実に良く作りが出来ていて、本当に素晴らしいアルバムだと思います。

特に『インディア』と『インプレッションズ』の2曲に関しては、今じゃヴィレッジ・ヴァンガードの完全盤で違う日の演奏まで楽しめますが、それでもなお、このアルバムの作品としての衝撃度が薄れる事は一切ございません。













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2019年07月20日

コルトレーンとドルフィー

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1960年代初め、インパルスと契約し、いよいよジャズを越えた自分自身のオリジナルな音楽の道へと突き進もうと燃えていたコルトレーンにとって「音楽を遺憾なく実験出来る自分のバンド」というのは、非常に重要なものでした。

コルトレーンは言うまでもなく、自身の内側に物凄い質量のオリジナリティのマントルを持っていた人でしたが、同時に常に近辺に刺激してくれる人材をそばに置いてイマジネーションを爆発させるという手法も好んでた人だったようにも思えます。


60年代初頭のこの時期、コルトレーンにとって「刺激」となったのが、エリック・ドルフィーの存在でありました。

インパルスと契約しての最初のスタジオ・アルバムは『アフリカ・ブラス』。




このアルバムは、コルトレーンの4人編成のレギュラーバンドの演奏のバックに、ブラス・オーケストラを付けるといった試みを行った作品でした。

アルト・サックス、バス・クラリネット、そしてフルートを操るマルチ・リード奏者のドルフィーは、音楽理論にもめちゃくちゃ強く、かつ演奏仲間達からも「凄い」と言われるほどの正確無比な読譜力の持ち主で、この時のブラス・セクションのアレンジを任せられました。

恐らくスタジオ内で、互いに音楽の深い話で盛り上がって意気投合したか、或いは互いにその演奏の革新性を認め合っていたんじゃないでしょうか。次なるスタジオ作は、古巣のアトランティックで”うっかり1枚分残っていたアルバム契約を消化するためのレコーディング”だったんですが、このアルバム『オレ』で、コルトレーンは正式なメンバーとして、バンドの中でアルト・サックスやフルートの仕事をドルフィーに与えております。




エリック・ドルフィーのプレイは、影響を受けたチャーリー・パーカーのフレーズを、全く独自の高度なテクニックを駆使してものすごーく発展させたような、一言でいえば”ぶっとんだ”プレイです。

音楽理論のかなり複雑な所にまで精通していたドルフィーにとって、超高速で音程の激しい上下を繰り返す彼のアドリブは、先鋭的とはいえども理に適ったものでありました。ところが、彼の吹くようなアドリブは、それまでのモダン・ジャズのアドリブの文脈とは全く違うようなものに、聴く人は思うほどぶっ飛んでおりました。

コルトレーンのプレイも当時かなり進んだものでありましたが、コルトレーンのプレイは50年代のマイルス・デイヴィスのバンドに居た頃から多くの人が知っており、凄まじい速さで進化して来たとはいえ、そのアドリブの内容においては、大きなスケールアウトなどはこの時点ではまだなくて、多くのファンにとっては「段階を踏んで来ている」と思えるようなものだったのではないでしょうか。

なのでコルトレーンから見たドルフィーのプレイは、素直に「お前のプレイは自由奔放で凄いなぁ」というものだったと思います。

で、コルトレーンは「コイツと一緒にプレイしたら、何か思ってもないような新しいものが生まれるに違いない!」と、ウキウキワクワクしながらプレイしていたと思います。

実際にコルトレーンとドルフィーが一緒に繰り広げた演奏、というよりも「個性の塊の2人がアドリブで繰り広げる真剣勝負」は、最高に刺激的で、ジャズのスリルと圧倒的テンションの凄まじさに満ち溢れたものであります。

二人のアドリブは、全くスタイルもアプローチも違うんですよ。それぞれが放っておいたらどこまでも違う方向の遥か彼方へ飛んで行ってしまいそうな、熱さやカッコ良さの中に、独特のあやうさがふんだんにあって、このヤバさが凄いんですよね。

でも、いや、だからこそかも知れませんが、コルトレーンとドルフィーとの関係は、長くは続きませんでした。





コルトレーンとドルフィーが、渾身の気合いを入れて熱演を繰り広げ、そしてインパルスが最大の期待を込めて送り出した『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』これがジャズ雑誌の誌上で評論家に「こんなのはジャズじゃない、エリック・ドルフィーの意味不明なアドリブは全く音楽的にでたらめだ」と、めちゃくちゃにコキ降ろされてしまったんです。

コルトレーンはすぐにこれに反論し「ドルフィーはデタラメではない」と、譜面まで持って行って強く抗議しましたが、あまり理解してくれる人はおらず、ドルフィーは失意の底に沈みました。

コルトレーンのバンドに参加した時のドルフィーの状況も、せっかく結成した初めての自分のバンドが、相棒のトランぺッター、ブッカー・リトルの突然の死で解散の憂き目を見てしまい、ただでさえショックが大きかった中、新しい活動にも何となく暗雲が立ち込めている。

コルトレーンとはヨーロッパを一緒にツアーして、そこでは好評を得ましたが翌62年にはグループを脱退。しばらくは古巣のチャールス・ミンガスのバンドに戻りますが、やはり生活は苦しく、ソロ・ミュージシャンとしての再起に懸けるべく、自分の音楽性を理解してくれる聴衆がまだ多いヨーロッパを活動の拠点にしようと滞在しますが、そこで持病の糖尿病の悪化による心臓発作で亡くなってしまいます。

ドルフィーの不運を想うと何とも後味が悪く、やるせない気持ちになりますが、今では「ドルフィー参加のコルトレーンのアルバム」といえば、ファンの中でも「アドリブのギリギリのテンションでのせめぎ合いが素晴らしい」「てか、正直ドルフィーの方が凄くない?」と正当に評価されて、エリック・ドルフィーもまたジャズの歴史を語る上では欠かせない巨人であるとの意見が大半です。

もしもドルフィーがそのままコルトレーンのグループに参加し続けていたら、彼の人生もまた違った結末を迎える事が出来たんじゃないか?と、思うこともありますが、それはどうなんでしょう。お互いに溶け合わずに覚悟と覚悟だけを武器に壮絶にアドリブを散らせた2人、60年代初頭という、ジャズも世の中も大きく揺れ動いたその一瞬の中の美しい花火だったからこそ、感動は色褪せなかったように思います。

おっと、今日はサラッと語るつもりが長々と・・・。

では今日はこれぐらいで皆さんおやすみなさい。明日以降の大コルトレーン祭もどうぞおたのしみに。











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