2019年07月20日

コルトレーンとドルフィー

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1960年代初め、インパルスと契約し、いよいよジャズを越えた自分自身のオリジナルな音楽の道へと突き進もうと燃えていたコルトレーンにとって「音楽を遺憾なく実験出来る自分のバンド」というのは、非常に重要なものでした。

コルトレーンは言うまでもなく、自身の内側に物凄い質量のオリジナリティのマントルを持っていた人でしたが、同時に常に近辺に刺激してくれる人材をそばに置いてイマジネーションを爆発させるという手法も好んでた人だったようにも思えます。


60年代初頭のこの時期、コルトレーンにとって「刺激」となったのが、エリック・ドルフィーの存在でありました。

インパルスと契約しての最初のスタジオ・アルバムは『アフリカ・ブラス』。




このアルバムは、コルトレーンの4人編成のレギュラーバンドの演奏のバックに、ブラス・オーケストラを付けるといった試みを行った作品でした。

アルト・サックス、バス・クラリネット、そしてフルートを操るマルチ・リード奏者のドルフィーは、音楽理論にもめちゃくちゃ強く、かつ演奏仲間達からも「凄い」と言われるほどの正確無比な読譜力の持ち主で、この時のブラス・セクションのアレンジを任せられました。

恐らくスタジオ内で、互いに音楽の深い話で盛り上がって意気投合したか、或いは互いにその演奏の革新性を認め合っていたんじゃないでしょうか。次なるスタジオ作は、古巣のアトランティックで”うっかり1枚分残っていたアルバム契約を消化するためのレコーディング”だったんですが、このアルバム『オレ』で、コルトレーンは正式なメンバーとして、バンドの中でアルト・サックスやフルートの仕事をドルフィーに与えております。




エリック・ドルフィーのプレイは、影響を受けたチャーリー・パーカーのフレーズを、全く独自の高度なテクニックを駆使してものすごーく発展させたような、一言でいえば”ぶっとんだ”プレイです。

音楽理論のかなり複雑な所にまで精通していたドルフィーにとって、超高速で音程の激しい上下を繰り返す彼のアドリブは、先鋭的とはいえども理に適ったものでありました。ところが、彼の吹くようなアドリブは、それまでのモダン・ジャズのアドリブの文脈とは全く違うようなものに、聴く人は思うほどぶっ飛んでおりました。

コルトレーンのプレイも当時かなり進んだものでありましたが、コルトレーンのプレイは50年代のマイルス・デイヴィスのバンドに居た頃から多くの人が知っており、凄まじい速さで進化して来たとはいえ、そのアドリブの内容においては、大きなスケールアウトなどはこの時点ではまだなくて、多くのファンにとっては「段階を踏んで来ている」と思えるようなものだったのではないでしょうか。

なのでコルトレーンから見たドルフィーのプレイは、素直に「お前のプレイは自由奔放で凄いなぁ」というものだったと思います。

で、コルトレーンは「コイツと一緒にプレイしたら、何か思ってもないような新しいものが生まれるに違いない!」と、ウキウキワクワクしながらプレイしていたと思います。

実際にコルトレーンとドルフィーが一緒に繰り広げた演奏、というよりも「個性の塊の2人がアドリブで繰り広げる真剣勝負」は、最高に刺激的で、ジャズのスリルと圧倒的テンションの凄まじさに満ち溢れたものであります。

二人のアドリブは、全くスタイルもアプローチも違うんですよ。それぞれが放っておいたらどこまでも違う方向の遥か彼方へ飛んで行ってしまいそうな、熱さやカッコ良さの中に、独特のあやうさがふんだんにあって、このヤバさが凄いんですよね。

でも、いや、だからこそかも知れませんが、コルトレーンとドルフィーとの関係は、長くは続きませんでした。





コルトレーンとドルフィーが、渾身の気合いを入れて熱演を繰り広げ、そしてインパルスが最大の期待を込めて送り出した『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』これがジャズ雑誌の誌上で評論家に「こんなのはジャズじゃない、エリック・ドルフィーの意味不明なアドリブは全く音楽的にでたらめだ」と、めちゃくちゃにコキ降ろされてしまったんです。

コルトレーンはすぐにこれに反論し「ドルフィーはデタラメではない」と、譜面まで持って行って強く抗議しましたが、あまり理解してくれる人はおらず、ドルフィーは失意の底に沈みました。

コルトレーンのバンドに参加した時のドルフィーの状況も、せっかく結成した初めての自分のバンドが、相棒のトランぺッター、ブッカー・リトルの突然の死で解散の憂き目を見てしまい、ただでさえショックが大きかった中、新しい活動にも何となく暗雲が立ち込めている。

コルトレーンとはヨーロッパを一緒にツアーして、そこでは好評を得ましたが翌62年にはグループを脱退。しばらくは古巣のチャールス・ミンガスのバンドに戻りますが、やはり生活は苦しく、ソロ・ミュージシャンとしての再起に懸けるべく、自分の音楽性を理解してくれる聴衆がまだ多いヨーロッパを活動の拠点にしようと滞在しますが、そこで持病の糖尿病の悪化による心臓発作で亡くなってしまいます。

ドルフィーの不運を想うと何とも後味が悪く、やるせない気持ちになりますが、今では「ドルフィー参加のコルトレーンのアルバム」といえば、ファンの中でも「アドリブのギリギリのテンションでのせめぎ合いが素晴らしい」「てか、正直ドルフィーの方が凄くない?」と正当に評価されて、エリック・ドルフィーもまたジャズの歴史を語る上では欠かせない巨人であるとの意見が大半です。

もしもドルフィーがそのままコルトレーンのグループに参加し続けていたら、彼の人生もまた違った結末を迎える事が出来たんじゃないか?と、思うこともありますが、それはどうなんでしょう。お互いに溶け合わずに覚悟と覚悟だけを武器に壮絶にアドリブを散らせた2人、60年代初頭という、ジャズも世の中も大きく揺れ動いたその一瞬の中の美しい花火だったからこそ、感動は色褪せなかったように思います。

おっと、今日はサラッと語るつもりが長々と・・・。

では今日はこれぐらいで皆さんおやすみなさい。明日以降の大コルトレーン祭もどうぞおたのしみに。











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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


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posted by サウンズパル at 17:04| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする