2019年08月02日

ジョン・コルトレーン サン・シップ

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John Coltrane/Sun Ship
(Impulse!)

1960年代といえば、コルトレーンがソロ・アーティストとして大活躍した時代であります。

その時代のコルトレーンの音楽というのは、一言でいえば過激で重々しい。たとえばそれまで「ふんふん♪ジャズってゴキゲンだねぇ、何かこうハッピーになる音楽だよねぇ」と思いながらリラックスして聴いていた人にとっては、激しい拒否反応を起こさせる程に衝撃の強いものでありました。

それで、コルトレーンの音楽というのは、激しく巻き上がった賛否両論を巻き込んで、60年代という時代を代表する音楽へと昇華して行くんです。

何でコルトレーンは過激な音楽表現に突き進んだんだろうとアタシも聴きながらよく考えたりしますが、これはやっぱりコルトレーンって人の

「当たり前には満足できない!」

という激しい性分があったんだと思います。

どの音楽でもそうですが、音楽というのは流行や時代の空気に合わせて進化して行きます。

60年代というのは、何度も言いますがアメリカ社会が激しく揺れ動いた時代であります。大きいのはやはり黒人公民権運動。

簡単に言うと第二次世界大戦が終わっても、まだアメリカには人種差別や、隔離政策というのが根強く残っておりまして、それを撤廃させて皆に平等な権利が行き届くようにしようという運動で、様々な運動が50年代から盛んに行われておりましたが、1964年に全ての人の平等な権利を認め、人種差別を禁止した公民権法がようやく制定されて実を結びます。

コルトレーンは、人種差別のそれほど厳しくない都会で生まれ育った訳なんですが、それでもアメリカに住む一人の黒人青年として、この問題に対しては凄く真剣に考えておりました。

人種差別に対し、作品の中で直接抗議の声を上げるアーティストも多く居る中、コルトレーンはより深く自分の内面やルーツに向き合う事を選択したんです。というよりも、コルトレーンの目には、もしかしたら社会の様々な問題は、人類全体の深い業のようなものとして映っていたのではないか、そういった人間の内面の沈んでいる暗いものをこの人は繊細に感じ取って、自らを単なる媒体としてその感情を表現していたのではないかと、そんな事まで思わせるのが60年代以降のコルトレーンの音楽であります。


特にその傾向が強くなって来たのが、コルトレーンがフリー・フォームの表現を視野に入れ始めて以降の頃、もっといえばコルトレーン、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズという、60年代初頭から安定した活動をしてきたカルテットでの活動にそろそろ終止符を打とうとしていた65年以降だと思います。

1965年の6月に、コルトレーンはスタジオに初めて「カルテット以外のメンバーをレコーディングに招いた作品」として『アセンション』というアルバムをレコーディングします。





メンバーにアーチー・シェップやマリオン・ブラウンなど、コルトレーンよりも若く”自由な”表現を行っていたホーン奏者達がいる事も話題となったんですが、楽曲が40分越えの超大作であり、何よりもタイトルが非常に精神世界を意識したものであります。

で、これ以降コルトレーンは、更に自己の内なる世界の音楽への探究に突き進む事になります。

インパルスとは「スタジオ使いたい時はいつでも使っていいよ」という契約を結んでいたため、時間があれば連日スタジオでテープを回してレコーディング。可能性を突き詰めるためにこの頃のコルトレーンは、もう手段を選んでおらず、フリーフォームの演奏や(多分)メンバーに何の相談もなく、いきなりゲストを呼んでくるなんて事もよくありました。

これにはメンバー達も相当参っており、特にマッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズは、連日のコルトレーンの「相談なしのハプニング」にはうんざりしてもいたといいます。


「なぁエルヴィン最近ウチの大将ちょっと何考えてっかわかんなくねーか?」

「それもだけどよォ、オレはあのレコーディングとかライヴとかで、もっと何考えてっかわかんねー連中が当たり前に来てプレイしてくのが我慢ならねーよ」

「ファラオとかいうヤツだろ?アイツはスケールもめちゃくちゃだし、コードの事なんか考えてもねー感じだから俺イライラするんだわ」

「アーチー・シェップの事も大将は気に入ってるらしいがオレぁ気に入らねー」

「だな。まーファラオより話はできるけど何かインテリぶりやがってオレも気に入らねー」

「またスタジオ入るって言ってるけど、今度はどんな変なヤツ連れてくんのかそれ思うと頭痛てーよ」


「おぉ、やめてくれ。フリーフォームとかオレは勘弁だ」

「おいジミー、お前はどう思うのよ?」

ジミー・ギャリソン(ビールうめぇ)


とまぁこんな感じで、特にエルヴィンとマッコイの中で、バンドに対する不満は徐々に高まっておりました。

その後「レコーディングに何の前触れもなくエルヴィン以外のドラマーがスタジオに来ていた」という、エルヴィンが完全にブチキレる出来事が起こり、その”事件”の正にその音を収録した『メディテーション』というアルバムを最後に、2人は脱退してしまいます。





表現の幅を拡げることと、内面世界の奥底の探究に夢中になっていたコルトレーンには、マッコイとエルヴィンが抱えていたフラストレーションが何であったかを、察する余裕すらなかったのかも知れません。

とにかくそんなゴタゴタでごった返していた1965年のコルトレーンですが、活動はリリースに追い付かないぐらいの音源をレコーディングし、またその内容がどれも凄まじいエネルギーが炸裂しているものですから、これは聴かない訳にはいきません。



Sun Ship

【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.サン・シップ
2.ディアリービラヴド
3.エイメン
4.アテイニング
5.アセント

(録音:1965年8月26日)



『サン・シップ』は、そんな65年にレコーディングされた「リリースされなかったアルバムのうちの1枚」です。

名作と呼ばれる『至上の愛』のレコーディングから、僅か一か月後。既に「次」を考えているコルトレーンが、新曲の構想を固めてスタジオに入ってレコーディングした作品であります。

このレコーディングは、誰かゲストを呼ぶ訳でもなく、いつもの4人でやっておりますが、もう既にコルトレーンとメンバー達の間には意識の”ずれ”がありました。

その”ずれ”とは、そのまま音楽的なものです。そう、つまりはコルトレーンが構想として持っていたのは、恐らくはジャズの”お約束事”を極力取っ払ったフリーフォームです。

マッコイもエルヴィンも、コルトレーンの抽象的観念的な態度から、何とか演奏の本質を掴もうと四苦八苦するのですが、それがどうも上手く掴めない。この2人はとにかく「音楽」としての形を壊さないギリギリで、コルトレーンのフレーズを支えたい。そう思いながら頑張っても、コルトレーンのアドリブフレーズは、その定型から離れて鳴る。

これはコルトレーンにとってもマッコイとエルヴィンにとっても、かなり消耗するやり取りです。

実際にアルバムでは、一曲めからマッコイのプレイが凄まじく、コルトレーンの短いソロの後に、抱えていたものを全部出し切るような、洪水のようなソロで場を圧倒しております。

楽曲は、ひとつのリフをぐるぐると繰り返しながら熱を一気に上げて行く、このカルテットお得意のパターンがほとんどです。「コルトレーンのアドリブフレーズは、具体的に展開がどうとかそういうのじゃなくて、ひとつの音、ひとつのフレーズの流れに乗っかってる情念の質量が凄い」と、アタシはよく言いますが、このアルバムではそれが異常な緊張感を孕みながら最後まで爆発したり、とぐろを巻いたままどんどん巨大になってて、もうむせ返るほどの空気になってます。

音楽的にも感情的にも破綻寸前になりながら、演奏クオリティは最高なんですよね。特にこのアルバムの「ギリギリの感じ」というのは、後にも先にもないもので、この”感じ”をだけを浴びるためにアタシは頻繁にこのアルバムを棚から取り出して聴いてます。

で、自己の内なる世界へ飛んで行ってるコルトレーンと、フラストレーションを全て音に叩き付けて神掛かりなテンションになっているマッコイやエルヴィンが凄いのは分かったけど、ジミー・ギャリソン何やってるの?といえば、実はこのアルバム、この人の熱くなりながらも感情的には一人だけ極めて冷静にサポートに徹しているギャリソンのベースが非常に重要です。

独特のガリッとした音で、エルヴィンの叩くビートに応えながら、コルトレーンのアドリブにもしっかりと寄り添うプレイが出来ていて、しかもラストでは、5分30秒のロング・ソロを弾いた後、出て来るコルトレーン以下バンド全体のサウンドが、ガッチリ一丸になるんですよね。やっぱりジミー・ギャリソンは凄い人です。


















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2019年08月01日

大コルトレーン祭は8月末日までです

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『大コルトレーン祭』と称して毎年行っておりますコルトレーン特集、毎度の如く7月中はガッツリと、8月は2回に1回コルトレーンぐらいの間隔で、夏が終わるまでゆるゆるとやっていきます。


そうそう、ツイッターで #大コルトレーン祭 とつぶやいたら

「それって何ですか?」

とよく訊かれます。


この祭りは、そもそもが10年以上前、アタシがまだ名瀬の街でCDショップをやっている時の店頭から始まりました。

コルトレーンって何となく宗教がかってるというか、独特の荘厳な雰囲気とか、聴いてる人を激しく引き込むような、そんな生真面目さがあるじゃないですか。

もちろんその重たさがちょっと苦手という人がいて、それはそれで分かるんです。や、だからこそ宗教にしてしまえば面白いんじゃないか?えーい、やっちゃえー!という軽い気持ちから「コルトレーンを熱狂的に好きな店員による、コルトレーン原理主義祭り」みたいな感じで、7月17日の命日に合わせてコルトレーンのCDをたくさん仕入れて、祭壇みたいな特集コーナーを作り、ポップもそれっぽい事を書いて並べたら、これが思いの他ウケました。

やっぱり多かったのは

「ジョン・コルトレーンって名前は知ってたけど聴いた事なかったんだよね、こういう特集あって、実際試聴させてもらえると凄く助かるよ〜」

という声でしたね。

それからコルトレーンの特集を毎年、そしてお店をたたんでからもブログ上でやってます。

やっぱり音楽って、過去にも現在にも、素晴らしいものはコルトレーンに限らずたくさんあるんです。でも、世の中にちゃんと知られてない、紹介されてないから、素晴らしいものもどんどん埋もれて行ってしまう。やっぱり「素晴らしい」ってのは「何となくみんながいいって言うから」じゃなくて、ちゃんと聴かれた上でなんぼの話だと、アタシは思っております。

特集したいアーティストや作品はいっぱいありますが、やっぱりコルトレーンはアタシにジャズという底無しの魅力に溢れた音楽を教えてくれたきっかけを作ってくれた人ですので、こういう風に特別に枠を割いてます。

全然影響力も何もないブログではありますが、一人でも多くの人がコルトレーンを知ることが出来ますように。そして、コルトレーンをきっかけに、ジャズやコルトレーンから影響を受けた音楽や、コルトレーンに影響を与えた音楽に親しんでもらえますように。











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