2019年12月07日

トミー・フラナガン・トリオ

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(Moodsville/ユニバーサル)


「音を楽しむと書いて音楽」という考え方がありますね。

これは文字通り、楽しむために音楽はあるんだという考え方なんだと。

音楽ってのはハッピーなんだ、そこにネガティヴな感情の入り込む余地はないんだ、さあ楽しく踊って騒ごうぜ!っていう考え方、嫌いじゃないです。嫌いじゃないんですけど、まぁその、アタシの場合はどうしても心がハッピーな時よりもネガティヴな時の方が多い。

そういうネガティヴな・・・つまり心が落ち込んだり、荒んだりしている時、隣にそっと寄り添って

「うんうん、わかるよ」

と言ってくれるような音楽を、どうしても心が欲してしまう時があって、そういう時に聴く用の”そこはかとないもの”を見つけると非常に嬉しくなってしまいます。

あぁ、こういうのこそが、気持ちがわっと浮き立つような感情と対局にあるけど立派な「音を楽しむこと」なんじゃないかと思う時がありますね。

そういう音楽って、どちらかというと強烈な自己主張をしてくるようなものではなくて、本当にそこはかとなく「あぁ、良い・・・」と感じさせてくれるもの。

最近よくレビューしているケニー・ドーハムなんて正にそんな典型です。

で、ドーハムの『静かなるケニー』で思い出したんですが、このアルバムを1枚も2枚も上の上質な空気にしてくれているのが、ピアノのトミー・フラナガンでしたよ。そうそう、トミー・フラナガン(!)実はこの人の作品こそがアタシにとっては究極の

「うんうん、わかるよ」

と言いながら寄り添ってくれるものの究極だったりします。

トミー・フラナガン。スタン・ゲッツやコールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルドなどなど、名だたる大物もバックを次々と務めて以降、特に70年代以降ソロ・アーティストとしてコンスタントに素晴らしいピアノ・トリオ・アルバムを発表しておりますが、この人の魅力の本当の部分は、やはり「そこはかとなくカッコイイところ」だと思います。


派手で華やかな超絶プレイは、多分やろうと思えばいくらでも出来る超一流の実力派。にも関わらず、自分の実力のほとんどの部分を「演奏全体を美しいものに、総合的に仕上げること」に惜しみなく費やした。いやはやこれこそが本当の実力派であるといえるでしょう。

「名盤請負い人」として、ソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサス、ジョン・コルトレーンのジャイアント・ステップス、ウエス・モンゴメリーのデビュー作『イングレディブル・ジャズ・ギター』、コールマン・ホーキンスの『ジェリコの戦い』ちょいと渋いカーティス・フラーの『ブルースエット』やケニー・ドーハムの『静かなるケニー』など、ジャズの歴史を賑わせる本当に素晴らしい作品の数々に、フラナガンは参加して、しかもそれぞれの作品で決して派手に前に出る事無く、個性の塊のようなリーダー達をひたすら引き立て、それでいて「ピアノはやっぱりトミフラじゃないとね」な、重要な存在感を放っているんです。

これは、ちょっとやそっとの腕の良さでは出来る事ではない。




トミー・フラナガン・トリオ

【パーソネル】
トミー・フラナガン(p)
トミー・ポッター(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.イン・ザ・ブルー・オブ・ジ・イブニング
2.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
3.ヴェルヴェット・ムーン
4.カム・サンデイ
5.ボーン・トゥ・ビー・ブルー
6.ジェスファイン
7.イン・ア・センチメンタル・ムード

(録音:1960年5月18日)


さてさて、アタシは何が言いたいのかというと、もちろん「トミー・フラナガンは良いぞ」ということなんですが、なかんづくほとんど優秀なサイドマンとして活躍してて、ソロ・アルバムなどはほとんど出していなかった、1960年代前半のトミー・フラナガンのトリオアルバムがとても良いぞ。ということなんです。

この時期にフラナガンがリーダーとして出しているアルバムはたったの2枚。そのうちの1枚が『オーバーシーズ』というアルバムで、これはもうジャズ・ピアノ・トリオの傑作として有名で、ウィルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という、リズムも音色も強い個性を持つ2人がバックを固め、ぐいぐいとドライブする強靭なリズムに乗って端正にスウィングするピアノが非常にカッコイイ、どこから聴いても耳を奪われる、百点満点のトリオ作です。

で、もう1枚といえば、ほとんどの人が「ん?あったっけ?」となるんです。

そう、余りにも完璧にカッコイイ『オーバーシーズ』の影に隠れてしまってほとんどの人が気付かない。それぐらいそこはかとないもう1枚の60年代トリオ作『トミー・フラナガン・トリオ』個人的にアタシはこれこそがトミー・フラナガンという人の、いかにも”らしい”名盤であり、そのそこはかとなく凄い個性が、演出ナシの素のままの姿で丁寧に刻まれた作品だと思いつつ、いつも「はぁ・・・いい・・・」と、感嘆のため息を漏らしながら聴いている、大好きなピアノ・アルバムでございます。

当時、有名ジャズ・レーベルとして名を馳せていたPrestigeには、傍系として起こした4つのレーベルがあって、それぞれ小粋でノリの良いジャズを集めた”Swingville”、文字通りムーディーで落ち着いた雰囲気の”Moodsville”、ブルースマン達によるモノホンのブルースを集めた"Bluesville”、黒人マーケットを狙ったゴスペルの”Tru Sound”というのがそれなんですが、トミー・フラナガンの初リーダー作である本作は、Moodsville”でリリースされました。

レーベルとしては「まぁ、何かピアノ・トリオで綺麗系のものなんかあればいいんじゃない?ほれ、最近ビル・エヴァンスが人気っていうからさぁ。便乗して売れそうなやつ何かない?あ、そうだ、トミー・フラナガンがいたなぁ」ぐらいのノリだった(つうかPrestigeは大体こういうノリで決めちゃうユルいレーベル)と思います。

が、そんなレーベルの軽いノリなど心地良くフッと飛ばすかのように、とても上質で高級感の溢れるアルバムを、フラナガンは見事に仕上げてくれました。

ベースはトミー・ポッター、ドラムにロイ・ヘインズ。いずれも堅実で歌心あるリズムを刻める職人肌のプレイヤーであります。

ポッターがひたすら落ち着いたプレイでウォーキングを刻み、ヘインズは得意のブラッシュワークで、まるで絹が舞うような軽やかでしっとりしたリズムを決める。その上でフラナガンのとにかく繊細で軽やかな美メロが舞う、舞う、舞う。

「この曲が!」と思わせる間もなく、ただもう聴く側の耳を至福と恍惚の彼方へと軽やかに誘う。そして聴いた後に切ない余韻が心地良く響く。「美しいピアノ・トリオ・アルバム」としては、比類なき完璧さです。

しかしまぁ徹底して「聴け!」と迫ることなく確実に聴き手の意識を引き込む。やはりトミー・フラナガンという人の実力というものは底無しなのです。よく「詩人」と言われますが、この人は一流の詩人であると同時に、一流の魔法使いでもあるんじゃないかとアタシは思います。中毒性、かなり高いです。











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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2019年12月02日

ケニー・ドーハム 静かなるケニー

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ケニー・ドーハム/ 静かなるケニー
(Prestige/ユニバーサル)

突然ですがパソコンが壊れておりまして、新しいものが届くまで、しばらくブログ関係はなーんにも出来ず、更新がおろそかになってしまっておりました。

こんな事を言うと「スマホで書けばいいじゃん!」と言われるのですが、あ〜スマホでは文字を100文字入力するのにえらい時間がかかってしまう昭和のおじさんなので、スマホでブログを書いている間に昼が来て夜が来て色々と終ってしまいそうな恐怖感に襲われてしまって、スマホで書く勇気が湧かなかったのです、本当にすいません。

で、その間やっぱりアタシはケニー・ドーハムを中心に色々聴いておりました。


いや〜、ケニー・ドーハム。何年かに一度定期的にハマるトランぺッターなんですけど、もしかしたらここまで集中的に聴いてここまで一気にハマッたのは初めてかも知れません。

これは何度も書きましたが、ジャズという音楽は、アドリブという個人技量に占める演奏の雰囲気の割合がとても高い音楽で、かつ基本インストなので、各楽器のヒーローというのが出てくるんですね。

しかも、強烈な個性を持っていれば持っているほど、それが突出して出てくる。

例えばマイルス・デイヴィスやチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズなど、カリスマや天才と呼ばれる圧倒的な存在感を放つアーティストの演奏ってのは、パッと聴いただけで何かこう「うぉぉ!」と圧倒されるものがある。

ほんで、そういうカリスマや天才と呼ばれる人達ってのは、演奏だけじゃなくて、音楽全般な面でも革新的なアイディアでもって、ジャズのスタイルそのものを果敢に変革してきた。つまり歴史を作り上げてきた。

でも、ジャズって音楽が生まれてから今までずっといろんな人に愛されて「ジャズっていいよね」と聴かれ続けているのって、実は一握りの天才やカリスマ達の功績よりも、ケニー・ドーハムみたいな実直な味のあるミュージシャン達による功績の方が実は大きいんじゃなかって、特に最近つとに思うんですよね。


ドーハムは1950年代のモダン・ジャズ全盛の頃にアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズっていう物凄い人気のバンドのメンバーとして注目されて、必然的に「いかにもモダン・ジャズな(ハードバップな)ジャズを聴かせてくれるトランぺッター」という評価が定まって以来、彼はその期待を裏切ることなく亡くなるまでずーーーーっと「いかにもモダン・ジャズなトランぺッター」であり続け、例えば60年代とかも中ごろになってくると、ちょいと進化したモードジャズとか、もっと突っ込んだフリー・ジャズとか、流行のソウル・ジャズとかに路線変更して人気になるジャズマンも多かったんです。

でも、ドーハムはそういう”変化”に自分のプレイを委ねる事無く、キャラクターを変えることなく、愚直に「これがジャズなんだよ」ってプレイに徹した。スタイルを変えて若者ウケするプレイをしようと思えば余裕で出来たかも知れないけど、そういう事はしなかった。

だからこそこの人の演奏は、いつの時期のどのアルバムを聴いても「あぁ・・・良いなぁ・・・」と、聴く人を素敵な安心感で包んでくれるんです。カリスマや天才の演奏は「すげっ!!ヤバイ!!カッコイイ!!」と「!」がいっぱい付くの連続で、それはそれでアタシも大好きなんですが、そういう演奏はこっちも気合いが入ってる時じゃないと負けてしまいます。だからふと聴きたい時に聴いてじわじわ染みるドーハムの演奏はとてもよろしいんですよ。


静かなるケニー

【パーソネル】
ケニー・ドーハム(tp)
トミー・フラナガン(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.蓮の花
2.マイ・アイディアル
3.ブルー・フライディ
4.アローン・トゥギャザー
5.ブルー・スプリング・シャッフル
6.アイ・ハド・ザ・クレイジェスト・ドリーム
7.オールド・フォークス
8.マック・ザ・ナイフ

(録音:1959年11月13日)


で、そんなドーハムのトランペットのじわじわ染みるカッコ良さが、ピアノ+ベース+ドラムスという、シンプルなリズムセクションだけを付けたワン・ホーン編成で心ゆくまで味わえるのが、この『静かなるケニー』。

昔からドーハムの代表作、名盤として有名なんですが、いや〜どーなんでしょう。『名盤!』として大袈裟に扱うよりも

「あのね、ボクね、実はジャズ、いいなぁ〜って思うんです。あ、いや、詳しい事は全然なんですけど、このケニー・ドーハムって人のトランペット、何かいいな〜って。えぇ、詳しい事は全然わかんないんですけど、これは何かいいな〜って思うんです」

ぐらいの気持ちで末永く愛聴したいし、これから知る人にもぜひそんぐらいの気持ちで聴いて欲しいな〜と優しく思えるそんなアルバム。

『静かなるケニー』ってタイトル付いていながら、しかも『蓮の花』っていういかにもバラードでありそうな曲名付いていながら、1曲目は軽快なテンポの曲だったりするんですが、実はこの曲の、これだけ軽快でキャッチーな作りなのに、ドーハムがアドリブフレーズのひとつひとつを丁寧に丁寧に吹く事によって醸される何とも深い、大人な感じになってしまうその絶妙な”不思議”を味わうためにあるんです。

んで『静かなるケニー』の本領発揮は2曲目から。

歌心通り越して詩情たゆたうバラードの『マイ・アイディアル』からほぼ交互にバラードとミドル・テンポが演奏されます。ちょいとくすんだ感じのドーハムの音色を、演奏全体が1段も2段も上質になったような効果を最高にジェントルマンなピアノ・プレイで醸すトミー・フラナガン、ふくよかな音色とメロディアスなウォーキングベースが、更に高級感に輪をかけるポール・チェンバースのベースプレイ、更に終始落ち着いたブラッシングで知的なリズムを提供するアート・テイラーと、バックもドーハムの繊細な吹きっぷりを邪魔せず引き立てに徹して見事なサポートを聴かせてくれる。

やっぱり「名盤」なんて仰々しいものじゃなくて、このアルバム「良いよね盤」ぐらいの感じでずっと聴いていたいですな〜。























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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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