2020年04月24日

エラ・フィッツジェラルド エラ・イン・ベルリン

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エラ・フィッツジェラルド/マック・ザ・ナイフ〜エラ・イン・ベルリン
(Verve/ユニバーサル)

さてさて、ジャズの名盤定番を紹介するこのシリーズを書いておりましたら

「おい、そういやヴォーカルは?」

というツッコミが来ました。

そしてそういやこのブログ、ジャズのヴォーカルものってあんま紹介してないなーという事に気付きました。

やー、そうでしたそうでしたー。ほんとすいません。

フリー・ジャズからジャズに入ったアタシなんですが、それ以前にビリー・ホリディだけは別枠で大好きで、ヴォーカルは歌モノの音楽で、ジャズはインストってのがどーも感覚から抜けん。だから歌が心地良いものは、ジャズだろうとポップスだろうと「良い歌モノ」として聴いているので、そんなこんなで「あーええなー」と聴いているうちにすっかりレビュー書くのを忘れてってしまう。

いかんですねぇ、ええ、じつにいかん。

という訳で今日は

「ヴォーカルなんだけどジャズならではのスリリングな空気感が極上な、まごうことなきジャズ・アルバム」

を紹介します。


『マック・ザ・ナイフ〜エラ・イン・ベルリン」

これですね。もうこれです。

ジャズ・ヴォーカルの世界では3大ヴォーカリストとして「エラ、サラ、ビリー」というのがありますが、ものすごく乱暴にざっくり言えばビリー・ホリディは人生そのものの悲哀を情感豊かに切々と歌う人、サラ・ヴォーンは哀愁も楽しさも織り交ぜてとにかく聴かせる人、そしてエラ・フィッツジェラルドといえば、とにかく歌が上手い。バラードはもちろん、何よりもノリノリの曲でまるで楽器のアドリブのように自由自在に声を操るそのスキャット芸にもう神業を感じさせる、明るくハッピーなジャズの神、のような人であります。


その、エラさんの神のスキャットがもう存分に楽しめる最高にゴキゲンなライヴがこのアルバムでありまして、えぇ、アタシの個人的な「エラさんといえばこれだろー」と思うイチオシの作品であるばかりでなく「ジャズ聴きたいね。でも楽器だけのやつは何か難しそうだから最初に聴くんならヴォーカルがいいわ〜」という切実な願いをお持ちの方にも掛値ナシでオススメしたい、こりゃもう最高にゴキゲンなライヴなんです(2回目)。

エラさんの特徴といえば、まずはそのキュート極まりない声なんですよ。

この世のものとは思えないピュアで清らかな声が、軽快なリズムに乗ってちょいと歌えば、それだけでもうその場は華やぎ、聴いてる人は漏れなく何だかウキウキしちゃって幸せな気持ちになれる。

そんでもってこの人の凄い所は、単純に可愛い声でポップな歌を歌うことだけじゃなくて、その歌唱、特に発声を聴いていると恐ろしい程に声域が広く、そのフレーズの伸ばし方、声の響かせ方、ヴィブラートの掛け方なんかが尋常じゃなく完成されているところなんです。

エラ・フィッツジェラルドという人は、本当に歌が上手い。そしてその”上手さ”が通り一遍のものではなく、細かいところに粗を探しながら聴いても、何ひとつツッコミどころがない。いやもう本当にこの人は、音楽の神様に愛されている、というより、音楽の神様そのものなんじゃないかとすら思うことがあります。

いわば完璧な、非の打ち所がない優等生であり、音楽を聴いて楽しめる幸福の伝道師でもあるエラさんですが、その生い立ちは10代で母親を亡くして孤児となり、マフィアの小間使いみたいな事をやって生きていかざるをえなかった悲惨なものでありました。

そんな生活を抜け出すために、17歳の時ハーレムにあったアポロシアター(黒人音楽の殿堂と呼ばれる名門ホール)で開催された、アマチュア芸能オーディションにエラさんは応募します。

最初はダンサーとして出るつもりでしたが、自分の出番の前に出たダンサー達の素晴らしいステージに圧倒されたエラさん、何と急遽予定を変更して、歌で出ることになりました。

もちろん予定になかった事で緊張はかなりのもの。苦し紛れに何とか好きな歌手であるコニー・ボズウェルという人の物真似に近い歌で勝負したのでありますが、結果は何と合格。

「いやぁ良かったよ。君みたいなお嬢ちゃんがダンスでもするのかと思ったら、何と大人びた歌を歌うなんてねぇ。何だっけ、そうだ、コニー・ボズウェルみたいだったよ。大分意識してたんじゃないの?」

「え?えぇ・・・意識は・・そんなにしてなかったけど、コニーの歌は好きでよく聴いてるから・・・その・・・知らずにそうなっちゃったみたいで・・・えへ・・・」

てな具合に、エラさんはホームレスの孤児として、或いはマフィアの小間使いとしてしょっちゅう警察のお世話になっていた不良として這い回っていたニューヨーク・ハーレムで、めでたく歌手として住人達に知られるようになり、その後ハーレム・オペラ・ハウスのオーディションでは見事優勝。そうなってくるとようやく歌手として派手に仕事が舞い込んできて、タイニー・ブラッドショウ楽団、やがてチック・ウェブ楽団という人気ビッグバンドの専属ヴォーカリストとして、華々しくデビューを果たすことになります。

1941年には急死したチック・ウェブの跡を継ぐ形でバンドを率いますが、慣れないバンドリーダーの仕事に耐え切れず解散。しかしこれが逆に吉と出て、その後エラさんは1940年代、50年代にソロ・シンガーとして、不動の人気を誇りながら大手レコード会社から、一流のバック・ミュージシャンに恵まれた素晴らしいソロ・アルバムを多くリリースすることとなるのであります。





マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン

【パーソネル】
エラ・フィッツジェラルド(vo)
ポール・スミス(p)
ジム・ホール(g)
ウィルフレッド・ミドルブルックス(b)
ガス・ジョンソン(ds)


【収録曲】
1.風と共に去りぬ
2.ミスティ
3.ザ・レディ・イズ・ア・トランプ
4.私の彼氏
5.サマータイム
6.トゥー・ダーン・ホット
7.ローレライ
8.マック・ザ・ナイフ
9.ハウ・ハイ・ザ・ムーン

(録音:1960年2月13日)

アメリカの音楽専門誌『ダウンビート』のアンケート投票では、何と19年連続で、ジャズ・ヴォーカル部門の第一位に輝き続け、当然アメリカだけでなく、世界的に彼女はトップシンガーとして、ツアーの先々で大歓迎を受けることになります。

『エラ・イン・ベルリン』は、そんな人気絶頂の折の1960年にドイツのベルリンで行われたコンサートを収録したライヴアルバムです。

ドイツといえばジャズ・ミュージシャン達にとっては「真剣に聴いてくれるしノリもいい」と、大好評な土地柄で、ライヴ名盤も多く録音されているところであります。

そんなドイツに上陸したエラさんは43歳。シンガーとしては最高に脂の乗った時期。バックには厳選したお気に入りのミュージシャン達を従えての公演。悪かろうはずがありません。

1曲目の軽快なミディアム・テンポの「風と共に去りぬ」から聴衆をガッツリ引き付け、バラードの『ミスティ』で完全に引き込んだ後、『レディ・イズ・ア・トランプ』で一気にノリノリのテンションになり、お客さんが大いに盛り上がったところで『ザ・マン・アイ・ラヴ(私の彼氏)』『サマータイム』のバラード2連発で更に聴かせる。

もうこの前半から中盤までの流れだけでも最高なんですが、いよいよ後半、いや、もうこの後半が凄まじい。お客さんの笑い声も起きる『イッツ・トゥー・ダーン・ホット』で軽く乗せておいて、ミディアムスローの『ローレライ』でじわじわテンションを上げて、さあ、さあ、ここからがこのライヴ盤の本当の聴きどころ『マック・ザ・ナイフ』と『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』のハイテンションたたみかけです(!)

この2曲が、エラさんの金看板スキャットが、最高に楽しめる曲なんですよ。

まず『マック・ザ・ナイフ』は、ミディアム・テンポのナンバーなんですが、転調を繰り返しながら、徐々にテンションを上げて行くその後半でスキャット。これがエラさん大好きなルイ・アームストロングの物真似で、そっからのヴォーカルの力の入り具合いはもうほんと!もうほんと!!なんです。

そして『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』。まず7分近い曲の長さ(歌モノですよアナタ!)にもビビるんですが、や、ビビッてる暇なんざぁないんです。軽く導入部を歌ってテンポアップしてからの大スキャット大会、途中でチャーリー・パーカーの『コンファメーション』になったり、これはもう楽器のアドリブ以上に自由で突き抜けたカッコ良さの至芸、あぁもう至芸です。

興奮して何だかよくわからなくなってきたので、多分これ以上文章はまとまらないと思いますので、解説はこれまで。「そんな興奮するほどかぁ〜?」ってお思いの方は、ぜひアルバムを聴いてください『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』だけでいいから。凄いよ。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:31| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする