2020年06月30日
藤井風 HELP EVER HURT NEVE
藤井風/HELP EVER HURT NEVE
(ユニバーサル)
アタシは好きな音楽をとことん掘り下げて聴くのも好きですが、それぐらい大事にしたいのは「何の前知識ナシでふと耳にした音楽
感動すること」も大事にしたいなと思っております。
しかしまぁ最近はテレビでもほとんど音楽番組やらなくなってしまったし、音楽雑誌も立ち読み出来るほど出回らなくなった。だから自分の感覚というのがどんどん風化していってるんじゃないかと心配です。特に新しい国内の音楽に関しては不安ですね。流行に乗りたいとか、もうそういう事を考える歳でもないのですが、やっぱり「知らない新しいものと出会いたい!」という気持ちは常にあるのですよ。
だからこそ「知らない新しい日本のミュージシャン」のグッとくる曲や作品を見付けると嬉しくなる。
という訳で2020年デビューの「おっ!これはカッコイイ!!」と思った日本のシンガーを今日は紹介します。藤井風です。
ウチの奥さんがですね、家事をしながら何か良い感じのソウル聴いてると思ってよくよく耳を澄ませたらどうも音質が凄く新しい感じで
「おや、これは最近の人かい?カッコイイじゃないか」
と言ったら
「藤井風っていう人だよ、この人凄いんだよ」
と言っていたので、ちょいと興味が出て自宅で一緒にずっとCDとかネットにアップしてある音源とかを聴いておりましたが、いやぁこの人は深い。プロフィールを読むと小学生の頃から色んな歌をカヴァーして、それを演奏しながら歌ったやつをYoutubeにアップしていたとか。
楽器は多分色んなのが出来ると思うんですが、特にピアノ(鍵盤)が凄く上手いんですね。上手な人にありがちなタッチのカキンコキンがなくて、かつ音がべちゃっと潰れないナチュラルな響き。上手く言えないんですがあの〜、アレですよ。スティーヴィー・ワンダーとかがとてもファンキーな曲やってるんだけど、ピアノの音を聴くとどの音も凄く粒が揃ってて、かつ特有のぬくもちを有した響きがあって「いや、スティーヴィー・ワンダーのピアノってよく聴くとすげぇな・・・」ってなる”あの感じ”を持っているトーンなんです。
う〜ん、何だか抽象的でわかりづらくてすいませんねぇ。。。とにかくこの人の歌や演奏を聴いて感じたのは、小さい頃から英才教育受けてきて凄いとか天才とかそんなんじゃなくて
「ソウル・ミュージックが本当に心から好きで、好きな音楽を自分のサウンドを使って自分の表現で伸び伸びとやってる」
という、心からの音楽好きが歌ったり演奏したりする時にだけ出る”わかるヤツにはわかる匂い”に裏付けられたカッコ良さや切なさや音の暖かみだったんです。
それからほどなくして、都会的なR&Bテイストの楽曲と、岡山弁の歌詞という意表を突いた組み合わせのアルバム1曲目「何なんw」が大いに注目されて、メディアでもこの人の音楽を頻繁に聴くようになりましたが、この人の地に足が付いた音楽性と、ナチュラルな声の魅力の前には、アイディアとかは些細な事で、やはりアルバム全編を聴いて、その上質なソウル・フィーリングにずっと浸っていたい。そんな風に思います。
HELP EVER HURT NEVER(初回盤)(2CD)
【収録曲】
(Disc-1)
1.何なんw
2.もうええわ
3.優しさ
4.キリがないから
5.罪の香り
6.調子のっちゃって
7.特にない
8.死ぬのがいいわ
9.風よ
10.さよならべいべ
11.帰ろう
(Disc-2)
1.Close To You
2.Shape Of You
3.Back Stabbers
4.Alfie
5.Be Alright
6.Beat It
7.Don’t Let Me Be Misunderstood
8.My Eyes Adored You
9.Shake It Off
10.Stronger Than Me
11.Time After Time
普通アルバムといえばシングル・ヒットした曲の存在感が際立っていて、他の曲はまぁいい感じみたいなのがいくつかあって・・・というものもあると思っていたんですが、このアルバムはやっぱり何度聴いてもどの曲も軒並みクオリティが素晴らしいです。しかも全曲インパクトが凄いとか、テンションが落ちないとか、そういうのとは少し違って、何というかどの曲もポップスとしての完成度の高さを下支えしているのが、変わらない自然なテンションと、盛り上げ過ぎないグルーヴの心地良さ。
自然と体が動いて、曲が終わると当たり前に「今のカッコ良かったね〜」と心の声を引き出してくれます。アレンジも様々な楽器の音やエフェクトをこれでもかと詰め込む最近の音作りとは真逆の、至る所に心地良い隙間があって聴く方の耳を疲れさせません。
あと、初回盤には2枚目にカヴァー曲が入っていて、これが彼の声とピアノの良さを、本編とはまた違った形で楽しませてくれる素晴らしい内容です。収録曲は上にも書きましたが、オリジナルを歌ったアーティスト名も表記しておきますので、藤井風カッコイイなと思った方はこれら洋楽のアーティスト達もチェックしてもらえたらと思います。
1.Close To You(カーペンターズ)
2.Shape Of You(エド・シーラン)
3.Back Stabbers(オージェイズ)
4.Alfie(ヴァネッサ・ウィリアムス)
5.Be Alright(アリアナ・グランテ)
6.Beat It(マイケル・ジャクソン)
7.Don’t Let Me Be Misunderstood(アニマルズ)
8.My Eyes Adored You(フランキー・ヴァリ)
9.Shake It Off(テイラー・スウィフト)
10.Stronger Than Me(エイミー・ワインハウス)
11.Time After Time(チェット・ベイカー)*ジャズ・スタンダード
アレンジのシンプルなカッコ良さもあってか、アタシはてっきり昔のソウルやR&Bのカヴァーばかりだと思ったのですが、2000年代以降の曲が多かった事にびっくりしました。こうやって自分が知らない音楽の素晴らしさを教えてくれるアルバムに新しく出会えてとても嬉しく思います。
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
2020年06月27日
鈴木智彦 ヤクザときどきピアノ
ヤクザときどきピアノ
(CCCメディアハウス)
久々に心の底から”撃たれた”というものを読みました。
これは素晴らしい「音楽の本」であります。
鈴木智彦さんという人は、日本の裏社会へ単身乗り込んで行って体を張ったレポを書くヤクザ専門ライターです。
その文章はとにかく鋭い写実そのもので、アタシが今まで読んだどのレポも「ヤクザ」という対象を通して、社会が絶えず生み出している不条理そのものが文章から迫ってくるようで、常にそれなりの緊張感を持って読んでおりました。
そんな鈴木さんの新しいエッセイのテーマが何と「ピアノ」と聞いてちょっと驚きましたね。
もちろん鈴木さん自身はヤクザでもコワモテの人でもない、どちらかというとどんな現場であれ丁寧に足を運んで、無駄のない文章で記事にする今ドキ珍しいぐらいの真面目な生粋の”文屋”です。前評判のあらすじを見れば
「50を過ぎてピアノを習いはじめる」
とあり、うむむ、そのように完全なる”趣味の分野”のあれこれと、これまで読んできた文章からかいま見られる硬派なイメージとがどうも直結せずにおりましたが、内容は今まで読んだ著作とは全く違うユーモアとピュアネスに溢れた微笑ましいものだけど、これが凄く硬派で面白い(!)
事の発端は『ヤクザとサカナ』の原稿を全て書き終えて、いわゆるライターズ・ハイになっている時、フラッと入った映画館で観たミュージカル映画、そこで使われていたABBAの『ダンシング・クイーン』を聴いたこと。そして、不意にその曲を聴いて涙が溢れて止まらなかったこと。
「ダンシング・クイーンをピアノで弾けるようになりたい!」とそれからまるで何かに憑りつかれたようになって、門前払い覚悟であちこちのピアノ教室に電話をかける。「アバのダンシング・クイーンをピアノで弾けるようになりますか?」と電話で訊き、ほとんどの教室で「無理です」「男性の方のレッスンは受け付けていません」と冷たく断られるが、アポ取り2日(!)を費やした後見学に訪れたピアノ教室で、運命の”レイコ先生”との出会いを果たします。
「アバのダンシング・クイーンが弾けるようになりますか?」
「練習すれば弾けない曲はありません」
「俺でも弾けるんですか?」
「練習すればどんな曲でも必ず弾けます」
「難しい曲でもですか?」
「講師に二言はないわ」
まるで習う側が何をしたいか、どうなりたいかを聞く前から知っているようにピシャリと断言するこのレイコ先生に
「人を殺したことのあるヤクザが特別なオーラを放っているのに似ている雰囲気」
を感じ、更にレイコ先生が「弾けるようになったお手本」として弾いたリストの『ラ・カンパネラ』を目の前で聴いて
「LAで防弾チョッキ越しに38口径の銃弾を受けた思い出」
が、衝撃と共に生々しく蘇り、同時にピアノという楽器本来の素晴らしさに目覚め、猛練習を重ねて・・・。
というノンフィクションです。
途中途中で引用によるクラシック音楽の歴史やピアノという楽器についての詳細な解説、やはり切っても切り離せないヤクザなたとえが軽妙に挟まれながら、最初から最後まで一気にダレることなく読ませてくれます。
鈴木さんとレイコ先生の名言金言は、それこそもうわんさか出てきて何度も無言で頷きましたが、最初から最後まで一貫しているのは
「音楽を本気で愛する2人の人間の、どこまでも真摯でひたむきな音楽愛の表現」
が、会話にも行動にも滲み出ているということでしょう。
レイコ先生は一応クラシックのピアノ講師ですが、そもそもプロとしての華やかな道ではなく、最初からピアノの先生を目指して音大に入っただけあって、それはつまり「音楽が好きで、自分が教えた人が音楽を本当に好きになるのが嬉しいから」というちゃんとした理由があり、全ての音楽に偏見がない。そして「行ってきなさい」と暗に背中を押すようにフジロックの話をしたりします。
学生時代はロック大好きで、ザ・キュアーのようなディープなパンク/ニューウェーブ系のサウンドを追っかけていた鈴木さんは「何でオレがABBAみたいなポップスに感激したんだろうか?」と、不思議に思いながらも、最後にその理由をちゃんと”音楽的”に理解するに至ります。アタシ的にはこの辺りがもう感動的で、涙が滲みました。
アタシも音楽が大好きで、CD屋を閉じてからもこうやって音楽のブログをやっております。で、今音楽って世の中にあんまり大切にされていないように思える事が凄く多くて気が滅入ることもありますが、世の中には鈴木さんやレイコ先生のように、音楽が好きでそれを大切に守ったり育んだりしている人がきっとたくさんいる。そうだ、そもそも音楽っていうのはひとりひとりの個人の心に大切なものであって、それを売れるとか売れないとか、注目されているとかされていないとか、そういう尺度で測るもんじゃあない。そう思えてアタシも頑張らなくてはと、心に強く決意しました。
音楽好きな人にもあんま興味ない人にも、人生を豊かなものにして欲しいと思っておりますので、この本はぜひとも読んで欲しいです。
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2020年06月20日
阿部薫 19770916 @ AYLER, SAPPORO
阿部薫/19770916 @ AYLER, SAPPORO
(doubtmusic)
仔細あってここのところずっと阿部薫を聴いておりました。
阿部薫に関しては、アタシがハタチそこらの頃に「音楽はとにかく刺激だ!頭をぐっちゃんぐっちゃんにしてくれるようなイカレた音楽くれ!!」となっていた時期(それは丁度フリージャズ覚えたての頃でした)確かに聴いて、確かに最初は「日本人でもこんな凄まじい怨念と破壊力に満ちたフリージャズ、しかも無伴奏のたったの1本のサックスで出来る人いたんだ!」と衝撃を受けて、それからはもうハマりまくって朝から晩まで聴き狂っていた時期があったのですが、聴いていくうちに、いや、多分最初から、その破壊力に満ちた演奏の裏側にある、えもいえぬ抒情とか即興で繰り出されるフレーズのメロディアスな美しさとか、演奏の、いや、無音の部分からすらもうわぁ〜んと迫ってくる狂おしさみたいなものに憑りつかれ、そりゃあもう一言ではとても言い尽くせない存在になって久しくあります。かれこれ四半世紀近く。
考えてみれば阿部薫はアタシに
「フリージャズつってもな、ただ滅茶苦茶のデタラメをやっていい訳じゃないんだ。どんなに自由に吹き散らかしても美しくなきゃダメなんだ」
という事を一番最初に教えてくれたアーティストだったかも知れません。
アルバムに関しては見かけたら買っていました。主に経済的な理由から全然追いついてはおりませんが、たとえどのアルバムも「ソロは大体似たような感じ」であろうが、不思議な事に阿部薫の演奏というのは”飽きる”という事がありませんでした。同じアルバムを何度聴いても良い意味で体が慣れない、だから聴く毎に受けた衝撃が一旦更新されて次に聴く時も初めて聴いた時のような「出てくる最初の音をドキドキしながら待っている」という状態になりました。これは本当に不思議ですがそうなんです。
彼のソロ・インプロヴィゼーションは、さっきも言ったようにどれも強烈な衝撃と、ゾッとするような音色の美しさ、そして即興で奏でられる調制の枠を大きく逸脱しているはずのメロディがどこまでも哀しくて美しい。
1970年代初頭から亡くなる直線の1978年の演奏まで、彼は一貫してそのスタイルでありますが、1970年代半ば以降演奏に更なる緊張感を醸す無音部の”間”が多くなります。
その”間”の凄味が味わえる音源の極北といえば、やはり1978年の「最後のツアー」での北海道での音源。
『ラスト・デイト』というアルバムがあって、このアルバムは実は最後に入ってるハーモニカでの演奏が凄いんですが、1曲目がアルト・サックスの演奏で、この演奏の途中にいきなり物凄く長い”間”があるんですよ。
ガーッ!と吹いて唐突に、多分3分以上あろうかと思う異様な無音。
これをアタシは「凄い・・・」と感じたんですね。無音であるということは音が鳴ってない状態なので、それが音楽的にどうこうという訳ではないはずなのに、その無音部の中に、彼が吹くアルト・サックスの、あの断片的なメロディの”あの感じ”の空気そのものが反響している、ような錯覚に陥ってしまったんです。
うん、阿部薫の音楽知らない人にとってみれば「コイツは何を言ってるんだ?」な話ではあろうかと思いますが、や、だからこそこの部分は阿部薫という人をまだ聴いた事ない人にとって物凄く大事な部分だと思いますんで、はい「そういう音楽なんだな」と思ってくだされば幸いです。ほんとにね、真剣にのめり込んで聴けば聴くほどそういう不思議な事がちょくちょく起こるんですよね。
さて、今『ラスト・デイト』の話が出ました。
このアルバムは、1978年の8月28日に彼の最後の演奏活動となった北海道ツアーにて録音されたもので、発掘されリリースされたのが1989年という、いわゆる未発表音源というやつでした。
そう、これこそが阿部薫の最後の演奏とずっと言われていた音源でしたが、それから14年後の2003年に『ラスト・デイト』の日の翌日に行われた室蘭でのレコーディングが『ラスト・レコーディング』としてリリースされ、コチラは20分足らずの短い演奏でしたが全編サックスを吹いていて、そのエモーショナルな内容に大変ド肝を抜かれた事を覚えています。
話をちょっと横道で整理します。
阿部薫は1978年9月9日に催眠剤の過剰摂取により亡くなっておりますが、その直前に行われた北海道ツアーは、8月27日に小樽、8月28日に札幌、29日に室蘭、そして最終日の30日に旭川という日程でありましたが、このうち旭川での正真正銘の最後の演奏が録音されることなく永遠にその場限りのものとなっております。
で、『ラスト・デイト』に書かれていたライナノーツで、アタシは気になる一文を見付けました。その内容は、実は阿部薫はこのラストツアーのおよそ1年前の1977年に北海道で演奏してて、その時札幌の『アイラー』というジャズ喫茶でライヴをしたと。で、78年に演奏した札幌の『街かど』というお店では、サックスの音が天上に反響してしまった事にちょっと納得が行かない様子で「アイラーの方が良かった、ツアーが終わったらまたアイラーでやるよ」と言って『アイラー』の主人もそのつもりだったが、結局旭川から戻ってきた阿部の疲労が激しかった様子だったのでライヴは行われなかった。という内容でした。
これを読んでアタシの中では当然、本人が”良かった”と言ってた『アイラー』での演奏が聴きたいという気持ちと、もし78年のラストツアーの最後に『アイラー』でのコンサートが行われていたらどうだったんだろうという二つの気持ちが膨らみました。
が、77年の『アイラー』での音源は、CDとしてリリースされてなかったんですね。
90年代から2000年代は、町田康・広田レオナ主演の映画『エンドレス・ワルツ』の影響もあって、にわかに阿部薫への注目が彼の演奏をリアルタイムで体験したことのない世代の人からも集まったことと、関係者の尽力によって様々なレーベルから彼の未発表ライヴがリリースされておりましたが、その中にも1977年札幌『アイラー』での演奏はありませんでしたので「あぁ、こりゃあもう永遠に幻だな、でもそういうのがあるのって何だか”らしい”な」と、想像の隙間にその幻をそっとしまいこんでおりました。
19770916 @ AYLER, SAPPORO
【パーソネル】
阿部薫(as-@AC,sopranino-B)
【収録曲】
1.solo improvisation 19770916-1 (alto)
2.solo improvisation 19770916-1 (alto)
3.solo improvisation 19770916-1 (sopranino)
4.solo improvisation 19770916-1 (alto)
(録音:1977年9月16日)
ところが「出た」んですね。その幻の音源が、何と演奏から43年後の2020年というほとんど半世紀に近い時を経て誰もが聴けるCDとしてリリースされたんです。
そういやちょっと前に「音源はどこかにあるけど色々事情があって埋もれてるはず」という話は聞いておりました。けどそれはもう関係者でも何でもない、単なる1ファンのアタシが”聞いた話”であって、過剰に期待したり、彼の音楽以外の事をあれこれ考えるのはやめようと思っておりました。
それだけにこのリリースは、ちょっと衝撃というよりも、リリースのニュースを聞いた瞬間に思考が吹っ飛んで狂喜しました。
単純に考えても、1977年の阿部薫といえばそれまでの悲哀と激情の凄まじい次元での炸裂というか、そういう演奏からあの独特の空間そのものを凝縮させるかのような”間”を多用した演奏に変化してゆく丁度その過程の演奏です。CDを聴く前に「どうなんだろうどうなんだろう」と、ワクワクしながらも緊張して、音が出てくる前から自分の感覚の妙な部分が研ぎ澄まされてゆく、つまり「阿部薫を聴く前に起こるいつもの不思議な感覚」があって、何故か「よし!」と声が出ましたが、何故なんだろうとか考えません。「そういうもんだ」と思った方が良いんです。
で、演奏です。
「ギュルル!!ギャギャギャギャギャギャギャギャーーー!!!!!!」と吐き出される最初の一発目の音から「あぁ、これ・・・」です。
良いとか悪いとかそういうのじゃなくて、人間の「本気」(よく言われるそれではなく、人間にある限界みたいなものを突破する程の気迫という意味です)。最初から最後まで、即興で繰り出されるフレーズから無音に至るまで、或いは演奏が終わってお客さんの拍手が鳴っているその場の空気中にまでそれがみなぎっている。30分ぐらいの演奏ですが、長いも短いもありません。凄まじい本気に圧倒されて息を呑んでいる間に音楽は遥か彼方に消え去って行ってしまいます。
冷静になって解説らしいことをすれば、全体にみなぎっている空気感は、初期の鋭く圧倒的なスタイルのそれ。でも、音とメロディの美しさは1970年代後半の、ただ”凄い”だけじゃなくて何かこう凄さを超越したヘヴィな陶酔に彩られております。
2曲目最初付近の無音部と、3曲目ソプラニーノの高音で奏でられる「風に吹かれて」のメロディなどは、やっぱり聴く人の意識を遠い所へかっさらって行く強力な”美”だなぁと思うのです。
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