2020年09月29日

ビル・エヴァンス ライヴ・イン・トーキョー

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ビル・エヴァンス/ライヴ・イン・トーキョー
(CBS/ソニー・ミュージック)


9月は仕事(正業)の方の疲労と別件の短歌の方で色々とあり、すっかりブログも更新出来ないままに日々が過ぎておりました。読者の皆さん本当にすいません。。。

さて、奄美はまだ少し動けば汗が出るぐらいの気温ではありますが、それでも夕方の陽が落ちるのが早くなり、そして日差しが和らいで涼しい風が吹くようになりました。

えぇ、秋でございます。待ちに待った秋でございますよ。

秋といえば聴きたくなるものといえばビル・エヴァンスですよね。

まぁその「ビル・エヴァンス誰?」という人であっても、少し涼しくなって外を流れる空気の中に何かこう切ないものが混ざっているのを感じる方なら、彼の儚くも美しく、そしてどこか甘美なあやうさに満ちたピアノを耳にすれば

「あぁ...、良いね」

となってくれるものと信じて、毎年アタシはリアルでもネット上でもビル・エヴァンスの話題に触れますし、このブログでも毎年エヴァンスの作品を採り上げてなるべくそのニュアンスをお読みになってくださっている皆さんに伝えようと頑張っております。

エヴァンスといえば、これはもう何度も何度もあちこちで書いておりますが、最初はアタシも

「何だか綺麗でオシャレだな〜、聴き易いピアノだな〜♪」

と、割とユルい感じで付き合える。そんな優しさを感じていたのですが、ある日突然、その綺麗でオシャレで優しいフレーズの中に含まれた物凄い質量の「悲哀」や「どうしようもなさ」に惹かれるようになって、以来20年、ずっとずっと中毒です。

20年以上に及ぶキャリアの中で、彼はジャズマンとしては格別な人気があり、出したアルバムはそれこそたくさんありますが、そのどれもが美しさと悲哀を目一杯感じさせる素晴らしいものであります。時期によってメンバーが変わったり、編成もちょこっと増えたり減ったりはありますが、基本的にはトリオ編成が主で、そして彼のピアノが醸す切ない切ないニュアンスというものは、どの時期のどんな編成でもずっと変わらず感動を届けてくれます。

今日ご紹介するのは、エヴァンスのライヴ名盤として根強い人気の『ライヴ・イン・トーキョー』であります。

これは1973年に、ビル・エヴァンスが初めて来日した時に、東京の郵便貯金ホールで行われたコンサートを収録したものであります。

エヴァンスの本格的なプロデビューは1956年です。そして1959年にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とトリオを結成し、それからトリオによる基本編成はメンバーを幾度か変えながら、70年代には3代目のベーシストとしてエディ・ゴメス、2代目ドラマーのマーティ・モレルが加入して、このトリオでの活動が最も長く安定したものとなるのですが、この時代のエヴァンスのプレイもまた、長い付き合いのメンバーと深い音楽の対話を重ねながら自己の音世界をどんどん研ぎ澄ませてゆく。そんな心地良い緊張感に溢れたものが多いんです。

で、日本でのエヴァンス人気というのは、1959年にマイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』への参加から特に目覚ましいものがあり、多くの大物ミュージシャンが来日した1960年代半ばから後半にかけては特にレコードもよく売れ、ジャズ喫茶でもアルバムが頻繁にリクエストされ、エヴァンスがかかると大勢のお客さんが静かにうなだれて真剣に聴き入る光景が、全国で見られたというぐらいですから、やはりのめり込む人が相当多かったんじゃないかと思います。

さて、エヴァンスはトリオ最初期の名盤『ワルツ・フォー・デビィ』や『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』がライヴ盤であるように、ライヴアルバムで素晴らしい作品を残す人でもあります。

特に1960年代末からは『ライヴ・アット・ザ・モントルー』『モントルーU』『ライヴ・イン・パリ』『ジャズハウス』など、世界を股にかけての素晴らしいパフォーマンスをライヴ・アルバムとして残していた、いわば脂の乗り切った時期。来日が決定し、それを録音する事も決まった時、ファンや関係者の期待というか喜びはどんなものだったでしょう。想像するだけで胸に熱いものがこみ上げてきます。


当時多くのジャズ・ミュージシャンにとっては日本という国は「たくさん稼げる良いマーケット」でありました。

ちょいと納得がいかない演奏であっても客は行儀よく鑑賞し、惜しみなく拍手を送る。

これはまぁ素晴らしい事なんですが、ミュージシャンによっては

「今の演奏良かったのかい?アイツらみんな拍手してるけどオレにはよくわからんなぁ」

とか

「まぁ日本だからどうせちょっとばかり気を抜いても有名なスタンダートとか”トーキョーなんたら”とかいう曲作ってやりさえすればウケるしいいんじゃね?」

みたいな考え方で、ちょいと小馬鹿にして適当な演奏をする人もおったとかおらなかったとか・・・。

それに日本企画のアルバムというのも割と短絡的な「そのミュージシャンの人気曲とかスタンダードの美味しい曲を入れれば売れるんじゃね?」的なものも、あったりするんですよね。特に大手メーカーが絡むとどうもそんな傾向が強いものも出ていたりしました。

で、エヴァンスのこのアルバムなんですが、企画制作はメジャー中のメジャーであるソニー・レコード、しかもエヴァンス自体が日本ではジャズファン以外も「オシャレだよね」と聴くぐらいの絶大な人気。

だもんでアタシは正直最初敬遠しておったんです。

「ん〜、エヴァンスは他のレーベルのやつ聴いてりゃいいかな。日本企画のライヴ盤なんてそれこそミーハーなノリだったら怖いし」

と。




ライヴ・イン・トーキョー(期間生産限定盤)


【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)
エディ・ゴメス(b)
マーティ・モレル(ds)

【収録曲】
1.モーニン・グローリー
2.アップ・ウィズ・ザ・ラーク
3.イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン
4.マイ・ロマンス
5.ホェン・オータム・カムズ
6.T.T.T.T.
7.ハロー・ボリナス
8.グロリアズ・ステップ
9.グリーン・ドルフィン・ストリート

(録音:1973年1月20日)



が、ちょっと待て。楽曲のクレジットを見る限りでは、ライトユーザーが喜びそうな有名スタンダードといえば『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』ぐらいで、エヴァンスの定番である『ワルツ・フォー・デビィ』とか『ナーディス』とかの人気曲すら入っていない。

これは、もしかしたらエヴァンスのライヴアルバムの中でも実はかなり硬派な部類に入るのではないか?そうでなくても「いやぁ、派手じゃないけど何かいいんだよね」ぐらいの味わい盤なのではなかろうか?と、何となく直感がザワザワ動いたんですよ。

で、聴いてみたらこれが・・・。

「ほ!!!!めちゃくちゃ良いではないか!!!!!!!」

なアルバムだったんです。

司会の短めのアナウンスから始まる『モーニング・グローリー』の、静謐な祈りのようなピアノが「シャン...」と立ち上がってから、もうたちまち深い、祈りのような哀愁がアタシを呑み込みました。

この時期の同じメンバーでのライヴ盤、特にアタシはライヴならではのダイナミックなタッチでエヴァンスがはちきれんばかりの耽美なフレーズと共に駆け抜けるかのような『モントルーU』が好きでしたが、この『ライヴ・イン・トーキョー』は、そんな”動”のエヴァンスとは対照的な、ひとつひとつの音を丁寧に慈しむかのように繊細に歌わせる”静”のエヴァンス。

もちろん曲によってはアグレッシブにピアノとベースとドラムが狂おしい火花を散らせる展開もあるのですが、ほとんどの曲はエヴァンスが内側の奥底にある底無しの悲哀の海にどんどん沈み込んで、それにメンバー達が美しいアクセントを付けながらムードにどこまでも深い色彩を加味してゆくという、高い芸術性という言葉を意識して聴かざるを得ない、そんな詩情そのものな内容です。

お客さんの反応も真剣そのもので、歓声や話し声はおろか、拍手以外の音を一切立てず、一音一音集中して聴き逃すまいとしながらエヴァンスと一緒に深い悲哀の海へと意識を沈めて行くような、そんな雰囲気に思わずスピーカーの前のアタシの意識を呑み込まれてしまいます。

あと、特筆すべきは録音の素晴らしさ。

70年代以降のエヴァンスのピアノは基本的にシャキッとした硬質なタッチであり、エディ・ゴメスのベースも固めの音で軽快に動いている感じの録音が多いのですが、このアルバムでのエヴァンスのピアノの音は、まるで初期60年代のトリオ時代のようにふくよかでしっとりとした余韻を湛え、エディ・ゴメスのベースもしっかりとした低音を気持ちよく響かせております。










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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:07| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月07日

マリア・テレーザ・デ・ノローニャ

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マリア・テレーザ・デ・ノローニャ/ファドの淑女
(ライス・レコード)

ファドといえば港町ポルトガルの庶民の間で生まれた音楽であります。

その独特の哀愁溢れる節回しから、日本では演歌にたとえられますね。えぇ、確かにそのたとえはなるほどと思います。というよりも、ポルトガルのファドとか、日本の演歌とか、フランスのシャンソンとか、ギリシヤのレンベーティカとか、そういう世界各国の”地”の感情を露わにして切々と歌い上げながらも涙ありユーモアありの音楽をアタシはひっくるめて「ブルース」と呼んでおります。

この「ブルース」ってのはまぁどうも観念的な言葉なので、これらの音楽の音楽的な要素が、あのアメリカのブルースと類似しているとか、共通点があるとか、そういうことではございません。念のため。

さて、そんなファドをリスボンの下町からポルトガルの国民的音楽へと昇華させ、さらにそれを世界中へと広めた文句なしの女王といえばアマリア・ロドリゲスですが、彼女のライバルとして同じようにポルトガル国内では人気実力共に拮抗した支持を得ていたシンガーがおりまして、その名をマリア・テレーザ・デ・ラノーニャといいます。

はい、名前が長いですね。でも実はこの名前が長いというのは、ポルトガルではとても重要で、彼女は血筋をたどれば14世紀の王族へとたどり着き、自身も貴族として伯爵という地位を有する、今で言うところのスーパーセレブでありました。

つまりヨーロッパの貴族は名前が長い!・・・というのは本題ではなく、何ひとつ生活に不自由はなく、普通にしておれば裕福な生活を一生送れるぐらいのこのお姫様からしてみれば、まるで別世界の音楽であるファドに少女の頃にすっかり心を奪われ「ファドを歌いたい!」その一心で(音楽を勉強するという名目で)音楽学校へ通って声楽を学び、合唱団に入団してクラシックの声楽家になるものと思いきや、何と20歳の時に地元リスボンのラジオ局でいきなりファドを歌ってそれが大いに話題になり、その勢いに乗って本格的なファディスタとなる。そのドラマティックな音楽との出会いと生き様こそが本題であります。

ファドという音楽は、先にも述べましたがポルトガルの首都である港町、リスボンで生まれた音楽です。リスボンという街は非常に歴史が古く、情緒豊かな街並みが残る、ヨーロッパでも有数の文化的な都市でありますが、かつて海洋帝国として隆盛を誇ったポルトガルはイギリスやオランダなど、新興国との競争に脱落し、激動の歴史の中で翻弄された街でもあります。

19世紀にはナポレオンの軍に攻め込まれ、国王は植民地であるブラジルに亡命、その後国王は帰国しますが、常にイギリスやスペインなどの干渉に晒され、また、国内では王政派と共和派が対立し、遂に財政破綻を引き続き起こした国王のカルロス1世は暗殺され、次の国王であるマヌエル2世の時に王制は終わることとなります。

共和制移行後のポルトガルでは、汚職などによる不安定な状態が続き、近代化と共に貧困も深刻な問題となっておりました。この頃のリスボンは失業者や外国のスパイが溢れ、治安も非常に悪かったと言います。

ファドはそんなリスボンで暮らす、最も貧しい人達によって、男女の恋愛や猥雑な日常の事などをテーマに、酒場やカフェで歌われておりました。多くの聴衆や歌手、ミュージシャン達の出身は貧しい労働者ややくざ者で、ファドが歌われる場は同時に酒や麻薬や痴情にまつわるトラブルの場でもありました。

そんな中に「私、歌う」と自ら踏み込んで、更にアマチュアギタリストと恋愛の末に結婚した、苦労知らずのお嬢様。しかしその歌はクラシックで培われた確かな発声の美しさに何とも言えない繊細な情感の豊かさがあり、あっという間に多くの人々の心を虜にしました。

最初彼女の歌声はポルトガルの国営放送を中心に配信され、その評判が高まるにつれあちこちから生演奏のオファーがかかり、遂にはスペインやブラジルなどの外国でも公演を行うまでになり、同年代のアマリア・ロドリゲスと共に世界中にファドという音楽の素晴らしさを知らしめるその先陣を切る事になるのです。


ファドの淑女

【収録曲】
1.アレシャンドリーノ
2.我が光
3.幻滅
4.わたしは幸せ
5.トリカーナの歌
6.捨てられたバラ
7.我が痛み
8.モウラリア
9.運命
10.アナジアのファド
11.愛、そしてサウダーデのカンティーガ
12.モウラリアでいやされて


『ファドの淑女』というタイトルの付いた彼女のファースト・アルバムは、戦前から活動していた彼女の集大成的な作品として、1962年にリリースされたものです。

何故ファースト・アルバムのリリースがそんな時代になったのかといえば、戦前から戦後しばらくの間においてレコードは収録時間の短いSP盤で、特に大衆音楽は両面2曲入りのシングル盤としてリリースされるのが当たり前とされていたからです(50年代に入ると片面15分ぐらい収録出来るLP盤がようやく登場するのですが、それはまだまだ珍しいものであったようです)。


さて、彼女の歌声なんですが、アタシはハタチそこらの頃に最初に買ったファドのオムニバス『as Senhoras do Fado』というCDで、アマリアの後に収録されている3曲で初めて知りました。

その歌声は一言でいえば可憐で清楚。ファドといえば何だか重たいとか、情念の、とかいう形容詞が付きがちな音楽だったりするのですが、マリアの特に初期の歌声を聴く限り、ファドは悲しい歌ばかりではなく、酒場やカフェに来るお客さんを純粋に楽しませ、リラックスさせる側面もあったのだという事を感じさせます。

では、彼女の歌声は軽めのポップなものかというと実はそうではなく、低い部分から高い部分までを軽々と飛び越えてピシャッと着地する節回しの巧みさや、豊かに声を震わせながら、絶対にブレない完璧なヴィブラートなど、楽しくしっとりと聴かせながらも随所で声楽で鍛えた本格的な歌唱テクニックが光り、また、その声の中、特にひとつのフレーズを歌い終わる前の語尾に残るふわっとした切ない余韻にはえも言えぬ深みがあり、なるほど彼女の評価のひとつである「大衆音楽としてのファドを、大劇場での鑑賞に耐え得る芸術音楽へと昇華させた」という称賛には微塵の誇張もないなと、聴く毎にその凄さの方に感じ入ります。


彼女が歌うファドのレパートリーは”ファド・カスティーソ”と呼ばれる伝統的なスタイルを厳守する古典的なファドで、原型となるインスト(これがファドそのものの原型)曲に、ポルトガル独特の形式を持つ四行詩、五行詩を付けて歌にしたものであります。

時にサビがないその形式は、それだけに歌手が自分の技量でもって”盛り上がり”や”聴かせどころ”を演出せねばならないので、非常に難しいと言われており、同時にこの古典的なファド・カスティーソを歌いこなせるシンガーというのは、本当の実力者として称賛される存在なのです。

さて、彼女はシンガーとしてはもちろんですが、デビューから間もない頃から国営放送にファドの番組を持ち、そのパーソナリティとして何と23年間も放送を続けたようです。残念ながら彼女自身は1973年に突如音楽活動一切から引退し、1993年に亡くなるまで沈黙しながら静かな余生を過ごす事になるのです。資料によると若い頃にはいわゆる酒場やカフェでの下積みはほとんど経験せず、国民的シンガーでありながら人前には滅多に姿を見せない謎に満ちたカリスマだったという話もあります。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 21:31| Comment(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする