2020年10月28日

ジェイムス・ブラウン THINK!

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James Brown/Think!
(King/Polydor)


私の好きな「笑い」のジャンルに物真似というものがあります。

物真似というのは、巨匠コロッケが言っていたように「対象へのリスペクトがないと全然面白くない」という、それはそれはシビアなジャンルなんですね。

で、物真似の良い所は「それによってそんなに知らないオリジナルの歌手や俳優などを知って好きになれる」ということ。

80年代90年代のものまね四天王全盛の時代に、ちあきなおみや美川憲一、村田英雄といった素晴らしいシンガー(いずれも子供の頃テレビで観ていたはずだけど、まぁ子供だったから特に意識もしていなかった)達のカッコ良さというものを、思えば物真似の芸人さん達が極端にデフォルメした姿を通じて意識し、実物を別の場所で観て「いや、確かに物凄く特徴捉えてて物凄く似てたけどカッコイイよ、むしろ凄いよ!」

と、ようやく音楽というものを意識して聴くようになった頃とかにオリジナルの素晴らしさに気付く訳です。

邪推ではありますが、あぁもしかしてこういうのって物真似をやっている芸人さん達が「俺がものまねしてるこの人カッコイイから聴いてよ、そのためにあえて俺はおもしろおかしくやってんだよ。みんなに知って欲しくてね」と内なる声みたいなものを発してるからなんじゃないかなぁと思ったりもするのです。

そうです、リスペクトです。

リスペクトといえば、海外の芸人さんでもエディ・マーフィーという、この人はもうアタシの十代後半の多感な時期のヒーローのような人がおりまして、この人がですね、出演している映画でちょこちょことジェイムス・ブラウンの物真似をしたり、小ネタとして挟んで来たりするんですよ。

『48時間パートU』という素晴らしい映画があるんですが、この映画の冒頭のシーンで、釈放のための護送車に乗って上機嫌でイヤホンで音楽聴いてるエディ・マーフィーがバイクの殺し屋に襲撃されてバスは大破横転、聴いていたウォークマンもぶっ壊れて怒り狂うシーンがあるんですが、その護送車の中で聴いていて一緒にノリノリで歌ってたのがジェイムス・ブラウン。

散々な目に遭って怒るエディが「オレのJB!」と叫ぶシーンがたまんなく良いのです。

18の時に初めてこの映画を友人と一緒に観て大爆笑しておりましたが、何というかこのシーンには、単純にコメディとしての面白さもさることながら

「アメリカの黒人の(ちょいとワルな感じの)若者にとって、ジェイムス・ブラウンってのは正に”俺達のジェイムス・ブラウン”と言っても良いぐらい圧倒的なカリスマだったんだ」

と、観ている人間に思わせるに十分な説得力というものが、このシーンから感じられました。

アタシがジェイムス・ブラウンの頭に「俺達の」と冠して呟いたり文章を書いたりするのは、そんな『48時間PART2』のシーンに触発されたからなんです。


それで、あぁ、これを思い出したのはつい最近なんですが「そういやエディ・マーフィーは他にもジェイムス・ブラウンをネタにした映画とかあるんだろうか?」と、Youtubeで探してたんですね。


そしたらまー出てくるわ出てくるわ、テレビ番組やライヴでのジェイムス・ブラウンの物真似や、他の映画での見事なジェイムス・ブラウン祭り(!)

どの映像もあの独特の喋り方からキレッキレのダンスまでもう”そのまんま”なんですよ。そう、パフォーマンスのクオリティには異常なほどのこだわりを見せるジェイムス・ブラウンの”そのまんま”が出来るってことは、エディ・マーフィーがそのクオリティそのものをモノにするために、尋常ならざる努力を重ねたであろうことは想像に難しくありません。

エディ・マーフィーもまたプロとして、ジェイムス・ブラウンのプロフェッショナルへのリスペクトを、最高の芸で表明してるんですよね。だからどの動画も最高に面白くてそしてカッコイイ。

さあさあそんな事を考えておりましたらすっかり盛り上がってしまって、家にある”俺達のジェイムス・ブラウン”のCDを色々と物色して、実に何年かぶりにひっさびさに聴いて大盛り上がりしたのがコチラ↓




Think
【収録曲】
1.Think
2.Good Good Lovin
3.Wonder When You're Coming Home
4.Ill Go Crazy
5.This Old Heart
6.I Know It's True
7.Bewildered
8.Ill Never Let You Go
9.You've Got the Power
10.If You Want Me
11.Baby, You're Right
12.So Long


よく物真似されたり、カヴァーされたりするのは1960年代半ば以降の、ファンクの帝王となってからのジェイムス・ブラウンで、もちろんその時期のアルバムはもう本当にワン・アンド・オンリーのキレとグルーヴに溢れた、最高に最高の内容揃いなんですが、個人的にアタシは”俺達のジェイムス・ブラウン”、その歌唱力の素晴らしさは、原点となる50年代から60年代初頭にかけてのR&B時代で味わうに限るような気もするんです。

つまりは「いぇーい!今日はJBでガンッガンに踊りまくるぜぇ!!」と思う時は70年代のバリバリのファンク時代のアルバムを聴くのですが「うん、今日はジェイムス・ブラウンをじっくり聴きたい!」と思う時は、アタシは初期のアルバムを聴いている事が多いです。

初期50年代といえばアルバムとして1作目の『プリーズ・プリーズ・プリーズ』という絶対的な名盤がありますね。




最初に手にしたジェイムス・ブラウンの初期盤がやはりこの『プリーズ・プリーズ・プリーズ』で、”ファンクじゃないJB”のその圧倒的な歌唱力に「うぉ、すげぇな!」と感激したので、「これも初期の名作」と評判が高かった『シンク!』も勢いで買ってみたら、これがもー素晴らしかった。

フル・アルバムとしては3枚目。1960年のR&Bチャート7位を叩き出したタイトル曲の『THINK!』そして間髪入れずに始まる2曲目の『Good Good Lovin』のノリは完全に50年代R&Bのトッポいノリの明るいナンバーで、もう完全にノックアウトです。

そして一気にシリアスなマイナースケールでクールダウンさせるバラード『Ill Go Crazy』で得意の高音シャウトを伸ばしに伸ばして、ここまででアタシは完全に引き込まれましたね〜。ロッキンなブルース/R&Bナンバーとバラードの波状攻撃で、しかもどのトラックも間を空けずに切れ目なく流れるライヴ感のある構成で、スリリングな味わいの妙が楽しめるという意味では『プリーズ・プリーズ・プリーズ』よりももしかしたら上かも知れません。

このアルバムはジェイムス・ブラウンのアルバムとしては実質3枚目。自動車窃盗の罪で少年院に服役していた頃に知り合った仲間であるボビー・バードと結成した『フェイマス・フレイムス』を従えての、後年のキッチリと統制の取れたリーダーぶりとはまた違った「俺達で天下獲ってやるぜ!」というギラギラした野望に燃えているその気迫みたいなものがサウンドの隅々にまでみなぎっていて大変に熱いです。





↓アナログ盤



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2020年10月25日

スティーリー・ダン キャント・バイ・ア・スリル

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スティーリー・ダン/キャント・バイ・ア・スリル
(ユニバーサル)


若い頃、アタシはおからとかもずくとか納豆とか、そういったものが苦手で、おかずの中にでも入っていようものなら「こんなもん食えるかー!!」と思って残しておりました。

えぇ、いわゆる食わず嫌いってやつですね。これはいけません。

ところが30を過ぎた頃、急にですよ、えぇ、急にそれまで大好きだった牛肉が食べられなくなり、同時にふとした事でたまたま食べた納豆を「うは!これ凄く美味しい!!」と思うようになって、それから納豆、もずく、おから、山芋、オクラなど、体に良い(と思う)素朴な食材が大好きになりました。

人間の好みなんてのはいい加減なもので、ちょいと歳を取ればふとしたきっかけでコロッと変わるもんでございますねぇ。。。

何を言いたいのかと言うと、スティーリー・ダンの話をしたいんですよ。

主に白人シンガーが、ソウルやR&Bに影響を受け、バックも爽やかで何だかかよく分らんけど都会的というか、海辺のリゾート地というか、そういう雰囲気を醸すポップスの事をAOR(アダルト・オリエンタル・ロック)と言うのですが(細かく言えばもっと細かいのですが、ここでは分かりやすくザックリ表現しとります)、アタシが若者だった1990年代から2000年代初め頃ってのは、感覚でいえばこのテの音楽ってのは、ひと世代上の人達が愛好するものであり、もうとっくに過ぎ去った1980年代の「良かった時代」のぬるい音楽だと、ロクに聴きもしないうちから勝手に思い込んでいて、どうも「聴こう!」って気にはなれなかった。

で、ちょとっと聴いてみると、やっぱり爽やかで洗練されていて「うわぁ、やっぱりどーも俺は苦手だっ!」と、足早に退散しておりました。

まぁ若かったんです。とにかく刺激が欲しくて、ガリガリゴリゴリしたものばかりを求めていた10代後半とかハタチそこらのチンピラなアタシにとっては、AORはおろか、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドですら、何となくぬるい音楽に感じ、その後彼らの歌詞を読んで「すいませんでしたー!!!」となった訳ですから。

スティーリー・ダンという名前は、アタシにとっては何だか苦手なAORを代表する”人”の名前で、「どんな音楽でも聴くよ♪」なんて訳知り顔でのたまっていたアタシにとってはなるべくなら触れることなく避けて通りたい、そんな鬼門のような存在だったのです。


ところがやはり人間の価値観とか感覚とか好みなんてものは実にいい加減なもので、それから数年でアタシはスティーリー・ダン、コロッと「あれ、いいぞ?」と思うようになりました。

はい、たまたま聴いたデビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル』の1曲目『ドゥ・イット・アゲイン』ですね。この曲が当時好きになったスティーヴィー・ワンダーの『インナーヴィジョンズ』アレに雰囲気が似てた。曲とかヴォーカルは70年代ソウルっぽくて、リズムがクールなラテン、そして途中で入るギターソロが実にロック!

うわぁこれはカッコイイ、っていうか体が自然と横に揺れるよなぁ。誰だこれ、えぇ!?スティーリー・ダン!?いつのアルバム?えぇぇ!?1972年!?つうかスティーリー・ダンって人の名前じゃなくてアーティスト名!?

とか、カッコイイついでに色々と混乱してしまいまして、そのまま「スティーリー・ダンはかっこいい」という風になってしまいました。

いやはや、後年のアルバムの爽やかなフュージョンテイストの、本当に”何となく”のイメージがあったもんで、この人達はてっきり80年代になってから世に出て来たバンド(というか当時はソロ・シンガーと思ってました)だと思っておりましたが、ロックやいわゆるニュー・ソウルが人気を博す丁度その時期に、色んな音楽の要素が無理なく無駄なく重なり合った、全く独自のオリジナルな音楽を作っておった訳なんですね。

スティーリー・ダンは、ニューヨークの学校で知り合ったドナルド・フェイゲン(キーボード、ヴォーカル)と、ウォルター・ベッカー(ベース)が、ポップスの作曲家を目指し、そして西海岸のロサンゼルスでメンバーを集めたり呼び寄せたりして、1970年代の初めに結成されたバンド。

そもそもフェイゲンとベッカーは、作曲家指向であり、バンドも当時の流行だったワイルドなロック・サウンドを指向するようなものではなかったため、結成初期からメンバーとはあんまり上手く行かなかったようで、70年代半ば以降はライヴ活動を止めてスタジオでの創作に専念するようになり、そのスタジオには主にクロスオーバー・ジャズ、ソウルやR&Bのミュージシャン達をゲストに呼んでバンドというよりはほとんどフェイゲンとベッカーのスタジオ・プロジェクトのような形態を取り、80年代にはそんな2人の間に起きたトラブルのため、一時的に活動休止となっていましたが、90年代に再び2人での活動を再開。

この時からスティーリー・ダンとして精力的にライヴツアーなども行うようになり、往年のファンや活動休止中にドナルド・フェイゲンのソロ活動以来のファン、そして新しいファンも獲得し、音楽的にも再び高い評価を獲得するようになり、2000年には1977年に発表したアルバム『彩(Aja)』がグラミー賞を受賞するなど、その動向もまた注目されておりました。

2017年にウォルター・ベッカーが亡くなってからも、ドナルド・フェイゲンは単独でスティーリー・ダンを率いて精力的にツアーを回り、もしかして現役中最も活発なのではないかと思うぐらいに活動しております。




キャント・バイ・ア・スリル


【収録曲】
1.ドゥ・イット・アゲイン
2.ダーティ・ワーク
3.キングス
4.ミッドナイト・クルーザー
5.オンリー・ア・フール
6.リーリング・イン・ジ・イヤーズ
7.ファイアー・イン・ザ・ホール
8.ブルックリン
9.チェンジ・オブ・ザ・ガード
10.ハートビート・オーヴァー・アゲイン


はい、ザッと経歴を紹介したところで、アタシが最初に「うぉぉ良い!」と思った1972年リリースのデビューアルバム『キャント・バイ・ア・スリル』であります。

先ほども申し上げたように、アタシはとにかく冒頭の『ドゥ・イット・アゲイン』の、そのニューソウルに心地良くラテンのビートとロックのフィーリングを持つギターが、何の不自然さも感じさせずに混ざり合ったサウンドにグッと惹かれたのですが、元々彼らは50年代60年代のジャズ、リズム・アンド・ブルース、そしてカントリーといったルーツ音楽の質感というものを非常に大事にしており、2曲目『ダーティ・ワーク』での郷愁を誘うイントロのオルガンとホーンの優しい響きや、グルーヴィーな曲調に、どこかひんやりした哀愁が付きまとう『ミッドナイト・クルーズ』(この曲も微妙に歪んだ簡潔なギターソロが良いです)、ちょっぷり不良っぽい歌い方とこちらもラテン風のリズムが心地良い『オンリー・ア・フール』、カントリー・ロック・テイストの『リーリング・イン・ジ・イヤーズ』、などなど、とにかく1曲1曲に詰め込まれた色んなジャンルの音楽のエッセンスが、ひとつひとつじっくり練り込まれた展開とアレンジでもって、全く別物のポップスになって輝いておりますね。

このアルバムをじっくり聴いて、他のスティーリー・ダンのアルバムを聴いたら、なるほど基本的にはこのファーストで築かれた「色んな要素埋め込み、でも曲はあくまで自然に」という音楽的な骨組みは全然変わっておりません。むしろこれ以降、余分な泥臭さをどんどん濾過していって、洗練を研ぎ澄ませ、今も洗練を止めていない感じがとてもしますが、まーとにかく曲がいい声がいいアレンジがいいという事が集中的に耳から入ってきます。難しい事を聴く人にはあまり感じさせず「あれ、いいわ♪」とさり気なく思わせてくれる音楽、良いですよね。










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年10月18日

ジョージ・スミス ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ

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ジョージ・スミス/ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


ブルース好きなら誰もが知るマディ・ウォーターズは、南部直送の泥臭いミシシッピ・ブルースをエレキギターを加え、ピアノとベースとドラムを常駐させたバンドでもって一気にモダン化させ、それまでひたすら洗練に向かっていた都市部の”ブルース”という概念を一変させた人でありますが、彼の功績はそればかりではなく、メンバーに次々とフレッシュな感性を持った若手を登用し、彼らの感性を割と素直にバンドサウンドに反映させた名伯楽でもありました。

特にハープ(ブルースハープ)奏者に関しては、ビッグ・ウォルター・ホートン、リトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズ。ジェイムス。コットンなど、この楽器を代表する程の存在となり、ソロ・デビュー後もブルース史にその名を深く、そして太く刻むスター・プレイヤーを輩出しておりますし、マディにとっては先輩格だったあのサニーボーイ・ウィリアムスン(U)もちょこっと在籍してたりします。

この楽器がバンドで果たすのは、ブルース含むブラック・ミュージック全般で最も大切な「コール・アンド・レスポンス」の”レスポンス”の役割な訳です。つまりマディが歌詞のワン・フレーズをその野太く味わい深い声で歌えば、そのフレーズに応える”もう一人のヴォーカリストの合いの手”のようなハープが歌う。こぉ〜れがもうたまらんのですよね。で、アタシなんかは「シカゴ・ブルース」と聞けばこのヴォーカルとハープのコール・アンド・レスポンスがすぐに頭に浮かぶぐらい、このジャンルを象徴するサウンドな訳なんですよ。

で、はい。ここまでアタシが書いて

「お前何か忘れとりゃーせんか?」

と思ったアナタ、そう、そこのアナタです。アナタは実に正しいブルースファンであります。


そう、さっき挙げたマディ・バンドの歴代ハープ奏者の中に、一人の男、いや”漢”の名前が挙がっていなかった。

その”漢”の名はジョージ・スミス。表記によってリトル・ジョージ・スミス、あるいはジョージ”ハーモニカ”スミスとも。

えぇ、何故アタシがこの人の名前をわざと挙げなかったのかというと、この記事で大いに語りたかったというのはもちろんありますが、マディ・バンドに所属したのがたったの1年足らずで、それ故ブルースファンにも「マディのバンドに居た」という事実がどうにもちゃんと浸透していない。という事情からであります。

そして、これは後で語りますが、この人のハーモニカプレイというのは、他の歴代ハーピスト達と比べ、決定的な違いがあるんです。

ジョージ・スミス、1924年ミシシッピにほど近い、南部アーカンソー州ヘレナ生まれ。生まれてすぐに親の仕事の都合でシカゴのあるイリノイ州に引っ越します。ここで既に仲間と出会い、週末はギグでハープを吹いていたといいます。ところが程なく南部に舞い戻り、今度はミシシッピ州ジャクソンでゴスペル・グループに参加して、そこで歌うようになります。

ジョージが再びイリノイ州へと移り住んだのは1951年、今度はハッキリと「音楽で生計を立てる」という目標を持ってシカゴに住まいを定めます。

シカゴではオーティス・ラッシュや、後に”ジ・エイシズ”として黄金のシカゴ・ブルース・サウンドをスタジオ・ミュージシャンとして支えたデイヴ・マイヤーズとルイス・マイヤーズのマイヤーズ兄弟達とギグを重ね、そのプレイはシカゴの帝王マディ・ウォーターズの目に止まり、1954年に正式なメンバーとして加入を乞われて参加することになるのです。

この頃のマディ・バンドはリトル・ウォルターが脱退した直後にリトル・ウォルターの弟分のヘンリー・ストロングというハーピストがライヴで吹いていたと言いますが、この人が正規メンバーだったのか、或いはピンチヒッターだったのかよくわかりません(ちなみにこの人は女性関係のトラブルで、ハサミで刺し殺されております)が、とにかく資料には「ヘンリー・ストロングの代わりにマディのバンドに参加した」と書かれているものと「リトル・ウォルターの後釜としてジョージ・スミスがマディのバンドに入った」と書かれているものとがあり、なかなかに複雑な事情があった事が想像出来ます。

で、更に複雑なのがレコーディング事情。

マディのバンドを抜けたとはいえ、リトル・ウォルターはチェス・レーベルの契約アーティストであり、かつ50年代半ばにはR&Bチャートでたくさんのヒットを飛ばし、正直マディより売れっ子だったんですね。だからマディを売るためにレコーディングには名の売れたリトル・ウォルターがそのまま参加し続ける事になり、ジョージ・スミスの出番はスタジオではなかったんです。

当然マディ・ウォーターズ・バンドのメンバーとしての参加作はリリースされておらず、マディのバンドに参加して1年も経っていないある日、ジョージはツアーで訪れたカンサス・シティのクラブでオーナーに「どうだい、ウチでやらないか?」とスカウトされ、迷う事無くツアー終了後にすっぱり荷物をまとめて今度はシカゴを離れてカンサスに移住する事になるんですね。

その理由が

「シカゴ・スタイルに収まるつもりはなかったから」

う〜ん、男らしい。

ここだけ読めば彼自身は相当な野心家で、しかも自信家であったからだろうなと思うでしょうし、実際彼は歌もハーモニカも素晴らしくかつ一言では語れない幅の広さを持っておりますが、親分のマディにはしっかりと筋道を通して円満にバンドを脱退しており、その証拠に60年代70年代に再びマディと和やかに共演もしておりますし、先輩格であるリトル・ウォルターのトリビュート・アルバム作成のために奔走したりもしています。

うん、実に男らしい。







ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


【収録曲】
1.Telephone Blues
2.Have Myself A Ball
3.I Found My Baby
4.Ooopin Doopin Doopin
5.Blues Stay Away
6.Rockin
7.Blues In The Dark
8.Hey Mr. Porter
9.Love Life
10.Cross Eyed Suzie Lee
11.California Blues
12.Early One Monday Morning (take 2)
13.Blues Stay Away
14.You Don't Love Me
15.I Found My Baby (alt.take)
16.Het Mr. Porter(alt.take)
17.Rockin' (alt.take)
18.Early One Monday Morning (take 1)
19.Oopin Doopin Doopin (alt.take)
20.California Blues (alt.take)
21.Cross Eyed Suzie Lee 8alt.take)


さて、カンサスにやってきたジョージを待っていたのは、西海岸を根城に活躍するレーベル、モダン/RPMのオーナーであるバイハリ兄弟でありました。

ジョージの根底に泥臭いものを持ちつつも、エンターティメントとしての成熟した音楽性を買ったバイハリ兄弟は、早速2枚のシングルをレコーディング。

その1枚目が本アルバム『ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ』の1曲目であります『Telephone Blues』なんですが、まー確かにこれは

「シカゴのスタイルには収まらない」

と豪語した彼の面目躍如たる、素晴らしくアーバンな洗練がみなぎるサウンドであります。

そのまんまホーン・セクションが入ってもおかしくない程のジャジーな西海岸サウンドにピッタリとマッチした、10穴のスタンダードなブルースハープよりも更に複雑なクロマチック・ハープ(穴の数が多い)による、強烈なビブラートを効かせた繊細なニュアンスの吹きこなし、そして力強さだけじゃない味わいが深く長く伸びる歌の魅力にも格別なものがあります。

そう、最初にこの人がマディ・バンドの歴代ハーピスト達とそのハーモニカのプレイ・スタイルにおいて決定的な違いがあると書いたのは、サウンドのニュアンスを、トーンそのものを微妙に切り替えながら細かく変えてゆくその柔軟さ。

もちろんリトル・ウォルターもジェイムス・コットンも、ジュニア・ウェルズも、ニュアンスの表現に関しては一流のものがありましたし、聴いてすぐに「あ、これはこの人」とすぐに分かる確固たる個性がありましたが、その表現のベクトルはどれも強く”ある一点”を貫くものでありましたが、ジョージ・スミスという人のハーモニカ・プレイに関しては、何というかあらかじめ掲げている”的”がいっぱいあって、やり方を変えながらその全部に確実に当てに行く、そんな根本的な違いがあるように思えます。

故にこの初期アルバムでも、湿度高めのスローブルースからスカッとしたアップテンポの曲、或いはゴージャスなホーン・セクションがアレンジに加わった曲すらも、ありとあらゆるテクニックで華麗に吹き分け、かつズバ抜けたセンスで歌いこなす、その変幻自在な演奏が楽しめます。


西海岸に移住してからのジョージは、あらゆる場所で精力的にライヴを行い、時にお客さんが10人以下の場合でも全力でパフォーマンスを繰り広げ、シーンを盛り上げると共に後輩ブルースマン達を人種に囚われず熱心に指導して、多くのファンやミュージシャン達から尊敬を集めておりました。

長いキャリアの中でもたくさんのアルバムをリリースし、マディ・バンドでは最も無名だったかも知れませんが、ブルース全体に与えた良い影響は限りなくデカい人であったと言えるでしょう。














ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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