2020年11月23日

セシル・テイラー ソロ

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セシル・テイラー/ソロ
(トリオ・レコード/DEEP JAZZ REALITY)


ジャズって音楽は、そもそもが1900年代初頭のニューオーリンズで産声を上げたその時から

「音楽の理論から外れた、何だか調子の狂った騒がしい音楽」

と、思われておりました。

ここで言う”音楽理論”ってぇのは、西洋のいわゆるクラシック音楽です。

クラシックには長調(メジャー)と短調(マイナー)の2つの概念しかない。リズムのシンコペーションというのも「正しいテンポから外れておるもの」とされておったんですね。だから黒人やクレオール(フランス系白人とアフリカ系黒人の混血)の連中が、めいめい勝手なシンコペーションを持つリズムを「コレがイカす!」とやって、展開の節々に長調でも短調でもない濁った音(いわゆるセブンスです)を混ぜながら弾いたり吹いたり叩いたりしておるのを聞いて

「これはいかん、音楽ではない!」

と、衝撃を受けたというところから始まっておるんですね。

その辺はルイ・アームストロングやビリー・ホリディが出ている『ニューオリンズ』っていう素晴らしい映画があるので、ぜひご覧になってください。




んで、そんなジャズの誕生から大体20年ぐらい経って、「え、いや、これはこれでイカした音楽だよ」ということで、ジャズは多くの人に認められ、クラブや劇場、そしてレコードなどのショウビジネスには欠かせない音楽として愛好されるうちに、今度はそのシンコペーションや”濁った音”を使った楽曲や演奏というものでもって、独自の音楽理論を作れるようになっていった。

つまり洗練とか進化とか、そういうものを独自に行うようになったんですね。

ほんで、第二次世界大戦が終わる頃には、その理論というのもなかなか込み入ったものになってきて、それまでホールのお客さんを踊らせたり笑わせたりするような事が主だったジャズという音楽は、ライヴハウスで「じっくり聴く」という鑑賞芸術として徐々に完成されて行ったんです。

じゃあそういう風に洗練を極めたジャズは、じっと静かに聴くような大人しい音楽になって行ったかというとこれは違います。

今度はその出来上がったジャズの理論から、如何に飛躍するか?どうやって音楽的な自由度を高めて行くか?というミュージシャンそれぞれの挑戦が始まりました。


ほとんどのミュージシャンは、音楽として気持ちよく聴けるギリギリの所でリズムやコード進行などを変えたりアドリブの中で”かっこいいハズし方”などに工夫を凝らしてそれを個性やスタイルとして確立していったのですが、時に「音楽そのものとして根本的にアウトしている、ジャズとしてもこれはかなり大胆にセオリーをぶっ壊している」という手法に踏み込む人が現れました。

それは1950年代も半ばから後半に差し掛かろうとしていた頃、ジャズの世界に現れたセシル・テイラーとオーネット・コールマンのスタイルというのが、正にそういった「それまでのジャズのお約束ごと」のようなものを根底からブチ壊すような、過激で自由な演奏でありました。

後にこの2人のスタイル、そしてこの2人に刺激されて、コードやスケール、そしてリズムの調制を大胆に逸脱する実験的な演奏は”フリージャズ”と呼ばれるようになりました。

ほほぉ〜、ってことはセシル・テイラーとオーネット・コールマンってのは、フリージャズの元祖って事だからやっぱり似たようなスタイルなのか〜。

と、思ってたんですが、実はこの2人のスタイルってのは全然似ていない、というか真逆な印象を受けるように思えます。

もちろんセシル・テイラーはピアニストで、オーネット・コールマンはアルト・サックス奏者って事で、使う楽器がまず決定的に違うってのはあるんですがそれだけじゃない。共に音楽理論のしきたりを大きく逸脱した音楽をやりながらも、何というかテイラーの音楽には無秩序というキッチリとした秩序があり、オーネットの音楽は「秩序とかいーんだよ」っていうような、あっけらかんとした楽しさがある。そんな風にずっと感じておりましたし、今も何となーくそう思っております。

で、本日ご紹介するのはセシル・テイラーであります。

セシル・テイラーは1929年にニューヨークで生まれました。年代的にはジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズらとほぼ同年代、つまりモダン・ジャズが隆盛を極めた1950年代に、20代の若手としてシーンに出てきてその後のシーンを牽引した主な世代であります。

比較的裕福な中産階級の家庭で育ったテイラーは、6歳からピアノを弾き始め、21歳の頃にはプロのジャズ・ミュージシャンとして活動を開始します。

同時に彼は学校に通い、クラシックの技法や理論も学んでおり、プロデビュー後の1952年にニューイングランド音楽院に入学し、そこで作編曲の理論を本格的に勉強しながら、バルトークやシュトックハウゼンら、いわゆる現代音楽と呼ばれる前衛的な手法で楽曲を作っていた作曲家達の作曲スタイルの研究にのめり込みます。

少年時代から夢中で聴いて憧れていたデューク・エリントンのピアノ・スタイルと現代音楽。この2つの巨大な影響を融合させたテイラーは、過激な中にどこかピンと秩序の糸が張っているかのようなスタイルを早くから完成させます。それはそれまでのジャズや音楽の理論的なものから見ればかなり常識を逸脱した捉えどころのないようなスタイルで、1956年に最初のレコードをリリースするも、耳にしたほとんどの人からは「あんなものはデタラメだ」「全然スイングしていない」との酷評され、遂に50年代は正当な評価を得られないまま、不遇の時を過ごす事になります。


テイラーがようやく世に認められ始めたのは、1960年代半ばを過ぎてから。つまり彼やオーネット・コールマンらの「音楽理論の常識に囚われないスタイル」に影響や感銘を受けた様々なミュージシャン達が、次々と実験的なコンセプトの演奏を世に出すようになってから。

特に晩年のジョン・コルトレーンがフリーフォームな表現も取り入れ、それが大きく話題になると、その「前衛」「アヴァンギャルド」と形容されるスタイルのパイオニア的存在として、セシル・テイラーにも注目が集まるようにもなったのです。



ソロ(日本独自企画、最新リマスター、新規解説付)


【パーソネル】
セシル・テイラー(p)

【収録曲】
1.コーラル・オブ・ヴォイス(エリージョン)
2.ロノ
3.アサック・イン・アメ
4.インデント

(録音:1973年5月29日)


前置きが大分長くなりました(汗)。そんなテイラー独自のピアノって、一体どんな感じなんだろうとお思いの方には、まずソロ・ピアノで彼の個性をどっぷりと浴びてみる事をオススメします。

いきなりメロディも何もぶっ飛ばしたような「ガラガラガラ!」「ゴガッ!!」「ドゴゴゴ!!」という鍵盤の乱打に、まずほとんどの方が「え?何これ!?全然わかんない・・・」と困惑すると思います。いや、それでいいんです。アタシも最初はそうでした。

いかにフリージャズといえども、例えば晩年のコルトレーン、アルバート・アイラー、阿部薫、オーネット・コールマンなんかがアドリブで繰り出すメロディーからは、どこか切なさだったり郷愁を感じたり、そういう”意外な歌心”みたいなものにグッときたりウルッとなったりして、それにたまらなく惹かれてしまう。でも、セシル・テイラーは、いや、セシル・テイラーだけはそういうセンチメンタリズムみたいなのが一切なかった。

たとえれば冷たい金属の巨大な構造物が、キラキラと輝く破片を散らしながら永遠にぶっ壊れているのを、ただ茫然と見つめているしかないという感じでありましたが、いや、そこなんですよ。テイラーのピアノの、他の追随を許さない孤高のカッコ良さは、その徹底して”美”のみを追究した、容赦ない音楽の解体にこそあるんだなと思うんです。

ソロで聴くテイラーのピアノは、とにかく音が寸分の濁りもなく澄み切っていて、一見めちゃくちゃに聞こえるフレーズにも、ハッキリとした秩序があるように、どうしても感じてしまいます。というか、ピアノという楽器はとても難しい楽器で、感情がこもり過ぎてしまうと、どうしても音がべちゃっと潰れてしまうんですね。特にジャズの場合は、むしろそれが味になるようなところがあったりするんですが、テイラーの音はどんなに激しく鍵盤を叩いても一切潰れないし歪まない。

これは凄い事なんですよ。どういう事かというと、88個ある鍵盤をフルにコントロールして鳴らす事が出来ている。しかもこういう既存のスケールから完全に逸脱しているスタイルでこれが出来るという事は、鍛錬に鍛錬を重ねて、理論的にも実践的にも常に最高のレベルでこの人はピアノという楽器に向かっているということ。

セシル・テイラーは自宅にいる時はずっとピアノの練習をしていたみたいです。

まず鍵盤の一番低い音を「ゴーン」と綺麗に鳴らす、そして次は隣の鍵盤、その隣・・・といった具合に全部の鍵盤を最低音から最高音までゆっくり鳴らす。それから8時間の練習を、毎日毎日していたという凄まじい話を雑誌で読んだ事があります。

このアルバム、というかテイラーの作品全部、メロディもリズムもどれひとつ定型に収まっていないのでありますが、その”収まっていない”というのがもうひとつの様式であるのかなとも感じさせます。ピアノの音の美しさに最初ハッとなり、最近は小間切れ不定形のリズムが生み出す不安定な(でも圧倒的な)グルーヴの”波”が心地良いです。

ずっと理解とかそういうものと無縁な、ただもう息苦しい程に圧倒的で美しいものとして、この人の音楽を楽しんで行きたい、そう思います。









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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/





(2020年12月、阿部薫の本が文遊社より発売されます。私も少しですが執筆に参加しております。)
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2020年11月21日

【緊急告知】阿部薫2020〜僕の前に誰もいなかった【書籍発売します】

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『阿部薫2020〜僕の前に誰もいなかった』
(文遊社)

1970年代を彗星のように駆け抜けたアルトサックス他奏者、阿部薫の本『阿部薫2020〜僕の前に誰もいなかった』が、2020年12月中旬に文遊社より出版されます。


阿部薫に関しては、そのフリージャズと一般的に形容されるようなアヴァンギャルドなスタイルでありながら、美しく詩情に溢れたトーンと即興によって繰り出されるフレーズに魅了される人が多く、特に夭折から20年以上も経った90年代以降、彼を知らない、或いはジャズという音楽にさほど馴染みのない若い世代を中心に、今も熱心に聴く人が増えております。

その音楽性は、スタイルや時代性を超えて、純粋に「音」として訴えるものであるのでしょうか。かく言うアタシも90年代の終わり頃に、まだジャズとかフリーとかほとんど分からないハタチそこらの時に、まず聴いていきなり刀で斬り付けられたような衝撃を受け、それからその音色とアルトサックスやバスクラリネット、ハーモニカなどから紡ぎだされるフレーズの、切なく狂おしく、何とも形容し難い美しさにのめり込み、聴きまくった「非リアルタイムの若者」の一人です。


このブログにも、アルバムレビューと共に、そこらへんの話を書いておりましたら、有難い事に「本の執筆に参加しませんか?」というお声がかかり、今回個人として1項目、CD屋(現在は店舗を持たず個人で注文をお受けしているだけですが)としてブログに掲載した3枚の作品レビューを掲載しております。

執筆陣にはペーター・ブロッツマン、大友良英、柳川芳命、不破大輔、吉田隆一、Tucci、沖縄電脳少女彩、イギー・コーエン(映画監督:2020年公開ドキュメンタリー『阿部薫がいた』)、奈良真理子(元札幌ジャズ喫茶『アイラー』)、沼田順(boubtmusic)、等、ミュージシャンからライヴ関係、レコード制作の分野から幅広く素晴らしい方々が名を連ねております。きっとっ貴重な証言や深い考察をたくさん読むことが出来るでしょう。


ぜひともお手に取ってお読み頂きたいと思っております。よろしくお願いします。




















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