
ジョン・コルトレーン バラード
(Impluse!/ユニバーサル)
今日は終戦記念日です。
私は父方の祖父を戦争で亡くしました。
また、奄美も連合国軍の空襲に連日晒され、祖母は乳飲み子だった父を抱えて防空壕を飛び出し(赤ん坊の泣き声が、敵のレーダーに探知されるからと追い出されたとか)、戦闘機の機銃掃射を受けて九死に一生を得ました。
母方の祖父は日中戦争の頃からずっと北支で戦っておりました。
輜重兵と言っても、ピンと来ない人も多いでしょうが、つまり補給部隊の管理職みたいな立場だったんですね。
ある日突然部隊長から
「我が部隊はこれより沖縄へ行く!だがお前だけは現地に残って内地から来る補充兵の指導をしろ!」
との命令を受け、結局はそれが運命の分かれ道となって戦死することなく帰ってきました(沖縄へ行った祖父の部隊は玉砕しています)。
いずれにしても、祖父母が「ちょっとした運命の分かれ道」で違う方向へ行っていたら、今の私はこの世にありません。
平和はそれほどに貴重で尊いものです。
あの戦争で亡くなられた全ての方々の冥福を祈ると共に、自分が生かされていることへの感謝を捧げずにはおれません。
さて、只今は奄美サウンズパル恒例の「大コルトレーン祭」の期間であります。
「音楽は平和のための祈りそのもの」という思想を強く持っていたコルトレーン。
(その思想的な部分については、7月17日の個人ブログに書きましたのでぜひともご覧ください)
http://ameblo.jp/soundspal/entry-12051312539.html
なので毎年「終戦の日」と「大コルトレーン祭」が重なる8月15日は、コルトレーンのバラード演奏を、じっくりと、私も共に祈るような気持ちで聴いております。
今年の「8月15日」は、その名もズバリの「バラード」これ聴いてます。
バラード
【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
【収録曲】
1.セイ・イット
2.ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
3.トゥー・ヤング・トゥ・ゴー・ステディ
4.オール・オア・ナッシング・アット・オール
5.アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
6.ホワッツ・ニュー
7.イッツ・イージー・トゥ・リメンバー
(録音:1961年12月21日、1962年9月12日、1962年11月13日)
ジャケットと内容に関しては、もはや説明も要らないぐらいの名盤でしょう。
それこそジャズはよくわかんないけど「コルトレーンのバラードなら知ってる」という人も多いと思います。
余りにもポピュラー過ぎて、私はうっかり「何年も聴き逃してたアルバム」でもあるんですが、コレはただの「売らんがためのコマーシャリズム」で作られたアルバムじゃあないんですね。
色んな人が「アレはいい」という理由はちゃんとありますよ。
ひとつはやはり「聴き易く、親しみ易い」ということ。
ノン・ビブラートで「スーッ」と吹くコルトレーンのスタイルは、この時代のジャズ・テナーでは本当に珍しいものでしたが、それは彼が最初に手にしたサックスがテナーではなくアルト・サックスであったことが大きく影響を与えたからだと思うんです。
楽器を始めたばかりのコルトレーンが夢中で聴いていたのが、デューク・エリントン・オーケストラの花形アルト奏者ジョニー・ホッジッス。
この人の音色は、特にバラードを吹かせたら「花々の呼吸」とでも言いたくなるような、それはそれ芳醇な香気を放つものでありましたが、このアルバムでのコルトレーンの無駄のない清楚なアドリブライン、メロディのひとつひとつを慈しむように吹いて唄い上げているのを聴けば
「あぁ、やっぱりコルトレーンの原点はバラードなんだなぁ・・・・」
と、しみじみ思います。
気になる人はジョニー・ホッジスもぜひチェックして頂きたいんですが、話をコルトレーンに戻しましょう。
ここで演奏されている曲は全部おなじみのスタンダード。
コルトレーンは、特に1960年代以降(このアルバムが録音されたのは1961年から62年)はオリジナル曲を多く演奏して、それを何度も何度も過激に塗り替えるようなアツい演奏を繰り広げていたんですが、ここでは原曲持つ美しい骨組みに一切手を加えてません。
美しい音です、本当に美しい音で、聴き終わった後も、ほのかな余韻がいつまでも消えない、そんなアルバムです。
いつもはアツくなるコルトレーンを恐ろしい手数のドラミングで煽るエルヴィンも、「ガン!ゴン!」とキョーレツなアクセントで応戦するマッコイも、ここではひたすら情感豊かに、各々の楽器で静かに”唄って”おります。
もう何百回も聴きましたが、このアルバムでのマッコイのピアノ、凄く澄んでいて美しいです。
私はへたっぴぃながら音楽を演奏もしていて、これもへたっぴぃながら短歌も詠んでおります。
技術的な面でいえばもうひたすら「己を磨く」これしかないんだと思うんですけど、音楽にしても文章にしても、心が表れますよね。
コルトレーンの心は、さっきも言ったように、真剣に「世界が平和であるために、自分は何をすべきだろう」と考え悩む程ピュアだった人です。
その心の美しさが、どの演奏にも出ているから、こういったバラード演奏は、いつまでも飽きない、本当に深い味わいを感じさせてくれるし、逆にどんなに激烈な演奏であっても、聴く人の心を荒ませるような暴力性を一切感じさせないんだと思います。
今「バラード」3回目のループで「セイ・イット」のマッコイのイントロから清流のようなコルトレーンのソロが私の耳と心を浄めております。
あぁそうか、私が「大コルトレーン祭」をやっているのも、コルトレーンの音楽を聴いて欲しい!という気持ちより、もしかしたらその奥底にあるピースフルな魂の何とかを、読者さんに感じてもらいたいなぁという気持ちがあるからなのかも知れません。
まぁそれはそうと、やはり「バラード」いいですよ。ジャズのこと、別に詳しくならなくてもいいから、雰囲気で楽しみたいとかそういう軽い気持ちで手にとっても全然応えてくれる、本当に美しくクオリティの高い名盤だと思います。
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サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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