
Red Garland/The Nearnes of You
(JAZZLAND/OJC)
音楽を「生きている生身の人間が創造するもの」として考えたとき、それは単純に
「この曲がいい」
とか
「この音がどう」
とか、そういうものじゃなくて、ひとつの美しい人生ドラマを見ているような気分になるのです。
アタシがジャズが好きな理由もズバリ、そういった「人間臭さ」をとことんまで感じたいからなんだと思います。
ジャズという音楽には「アドリブ」というものが必ずついてきますね。
文字通りミュージシャンが「その場のフィーリング」にピシャッと合わせる即興のフレーズを、演奏の中でどんどん繰り広げていくのがジャズの醍醐味なんですが、そのアドリブにはジャズマン達の個性や技量、だけじゃなくて”人生”が滲み出るもんだなぁ・・・と思っていつも聴いておるのです。
もちろんジャズマンは人間でありますから、好不調とか、閃きに溢れていた時期とそれ以外、とかはレコードにハッキリと記憶されておるんですね。
で、世間の人のほとんどは「そのジャズマンの全盛期」が聴きたい。
これ、当然のことですね。
誰だって「その人が一番イイ時の演奏」が聴きたいに決まってる。
でも、アタシ思うんです
「イイ時期」
って何ぞや?
と。
さっきも言いましたがジャズマンだって人間です。
人間が作り出すものを、単純に「イイ/悪い」で区切ることって出来るだろうか?いやできない。
そんなことを思いながら
「名盤選には載っていないアルバム」
を、あえてたくさん聴くようになったんです。
そしたらジャズが、単純に「カッコイイ音楽」だけじゃなく「美しい人間ドラマ」として聴けるようになった。
その好例が、1950年代以降のバド・パウエルであり、1960年代のレッド・ガーランドです。
レッド・ガーランドは、1950年代、マイルス・デイヴィスのバンドのピアニストに抜擢され、そのグルーヴィーなノリの良さと「宝石を転がすよう」といわれた美しいメロディ・センスを合わせ持つ人です。
特にスウィンギーな曲で、右手で軽快にコロコロコロ・・・とアドリブを転がしながら、左手で「バシ!バシ!」とコードを重ねる奏法は「典型的なハード・バップ」「モダン・ジャズのお手本」といわれるほど有名で、この時期のガーランドのアルバムは、名盤「グルーヴィー」を筆頭に、どれもモダン・ジャズ全盛の「華やかな50年代」の活気と躍動感にみなぎっております。
でも、ジャズという音楽は本当にめまぐるしく進化する音楽で、マイルスは次々と「新しい表現」を求めて、メンバーをどんどん入れ替えていったんですね。
その時にガーランドのスタイルは「新しくない」ということで切られ、その後加入したウィントン・ケリーやビル・エヴァンス、はたまたハービー・ハンコックとかいった「モダン・ジャズのさらに先を行く人たち」に
活躍の場を譲ることになり、やがて”激動の”と呼ばれる60年代に入ると、ガーランドの活動は徐々に緩やかなものになっていきます。
でも、この時期のガーランドのピアノは、イケイケだった50年代のそれと比べて、実に繊細で、えもいえぬ独特の”憂い”を帯びるようになってきて、これがまたいいんです。
【パーソネル】
レッド・ガーランド(p)
ラリー・リドレイ(b)
フランク・ガント(ds)
【収録曲】
1.Why Was I Born?
2.Nearness of You
3.Where or When
4.Long Ago (And Far Away)
5.I Got It Bad (And That Ain't Good)
6.Don't Worry About Me
7.Lush Life
8.All Alone
本日ご紹介する「ザ・ニアネス・オブ・ユー」は、1961年に録音された、ガーランドのバラード・アルバム。
本当に「何てことないジャズ・ピアノの作品」なんですけど、一音一音、いとおしむように繊細にメロディーを紡ぐガーランドの演奏は本当に美しいです。
どんどん先鋭的なものになってゆく”ジャズ”を横目に見ながら「あくまで一人のバッパー」であり続けようとした、いや、そういう生き方しか出来なかったガーランドの人生が滲んでる。とでも言いますか。
派手なアルバムでもないし「必殺の1曲!」が入ってるわけでもない。でも、聴く人の心を豊かにする”何か”がこのアルバムには確実にあって、アタシはいつもしんみり泣かされてます。
これ、イイよ。
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