2016年01月12日

アルヴォ・ペルト Alina

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Arvo part/Alina

(ECM)

「沈黙する詩人」と呼ばれる北欧エストニア出身の現代音楽の作曲家、アルヴォ・ペルト。

そのペルトが1995年にレコーディングしたアルバム「アリーナ」は、アタシが今まで聴いてきたクラシック音楽の中で最も静かな衝撃を与えた作品です。

この作品とアルヴォ・ペルトを知ったきっかけというのは、何と言っても「ECMからリリースされているクラシックのしかも新作」というのと「現代音楽の知らないけど何か良さそうなやつっぽい」という、実に単純なミーハーな心の動き方をしたからなんです。

ECMは、ドイツのレーベルであります。

ジャズファンにはキース・ジャレットやチック・コリア、はたまたダラー・ブラントといった、独特の”クセ”と”透明感”を持つピアニスト達の奏でる「ピアノ」の本質を、物凄く繊細な録音で、鍵盤の糸の震えまで再現している、その徹底してクリアな、いかにもヨーロッパといった感じの”キリッ”とした音でおなじみです。

オーナーでありプロデューサーであるマンフレートアィヒヤーが「音の質感」というものにとことんこだわって、徹底して生身の”美しさ”を求めたそのサウンドカラーは「ECMサウンド」と呼ばれ、例えばアメリカのBLUENOTEなどとは好対照としてよく語られますが「美しい音」に目覚めたら、まぁ一度はこのレーベルのお世話になるもんですね。

アタシもキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」と、立て続けに聴いたヨーロピアン・カルテットの諸作品の美しさにヤラれたのを皮切りに、このECMからリリースされている作品を、とりあえずレーベル買いしていた時期があったんです。

「レーベル買い」の肝というのは、これは何と言っても「名前の知らないアーティストの盤を掘るべし!」なんですが、まー流石にECMは非英語圏のレーベルだけあって、名前も知らない、どころか何て読むのか全く判らない人達のアルバムがゴロゴロありました。

俄然燃える訳です。

そんな時に「知らんけど買っちゃえ!」と勢い買いしたのが、ケティル・ビヨルンスタの「海U」と、ヤン・ガルバレクとヒリヤード・アンサンブルの「オフィチウム」でした。

その静謐で、どこか心に重たいものを残して余韻がいつまでもエンドレスでリピートする音世界にアタシは「何!?何何これ!?ジャズじゃない・・・どっちかっつうとクラシックみたいなんだけど、くはぁ参った!!」と、思わぬ方向からドハマり致しました。

丁度その頃勤め先にはプログレとかユーロロックに詳しい先輩がいたので

「ECMのクラシックっぽいアルバム買ったんですけど、あぁれヤバいっすねぇ」

と言ったら、その先輩いわく

「ECMはクラシックのヤツこそヤバいんだぞ!つーか現代音楽にこんなに真面目に取り組んでいるレーベルなんてそんなにねぇぞ」

ということをアツく教えてもらい

「現代音楽」

という、当時フリー・ジャズ中心にジャズを斜め聴きしているアタシの心をキュンとくすぐるワードに程よく打ち抜かれて

「ほれじゃあ自分ECMのクラシックのやつ買い集めますわー」

と、宣言して意識しました。

それなりに意識をして都内のクラシックフロアのある大きなCDショップへ足を運んでみると、結構どの店にも良い感じにECMのアルバムは揃えてあって助かりました。

んで、アルヴォ・ペルトの「アリーナ」です。

編成を見れば、ピアノとヴァイオリンかチェロという、非常にシンプルなものでしたので、割と軽い気持ちで購入。

で、帰宅する途中の電車の中でウォークマンに突っ込んで聴いてみたのですが・・・


「これは・・・・いい!!!!」

あのですね「現代音楽」という言葉から単純にイメージしていたのは無調の、意味なんてないかあっても分からなくても良い系の、聴き手を冷たく突き放すような音楽でしたが、これに収録されている「アリーナのために」は、ピアノが穏やかな長調の和音のアルペジオ(たっぷりと空白に余韻を沁み込ませた)を、ゆっくりとしたテンポで弾く上を、ヴァイオリン(またはチェロ)が、動いても3音ぐらいの全音符を「スーーッ」と弾き続けて、これがとても美しいんです。

ペルト自身はとてもストイックな作曲家として知られ「音楽には余計は音が多すぎる。私は一切の無駄な音を譜面の中から消し去った音楽をしたい」という姿勢を貫いている人ですが、そう「現代音楽」と言いながらもペルトのそれは、ピアノとヴァイオリンの奏でる旋律から余計な装飾音の一切を削ぎ落として、バッハ以前のクラシック音楽の”美の根源”みたいなものに直接コミットしているかのように私は感じました。

ピアノ曲の「鏡の中の鏡」はもっと”響き”の美しさへの探求への一途さが感じられて、アタシは勝手にエリック・サティやビル・エヴァンス、または当時好きで聴いていたブラッド・メルドーといった、詩形を感じさせるピアニスト達の音と比較して、そのどこまでも骨格的な美しさを醸す「間」にうっとりしていました。

これはもう「クラシック」とか「現代音楽」とか、そういったカテゴリすら要らないような気がします。

何というか、今も例えば短歌を書く時とか、文学作品を読む時や、集中して何かを仕上げたい時に好んでペルトを聴いて、意識をその幽玄の中に泳がせているのですが、全ての美しい音楽から無駄を省いていったら、多分どんな音楽も、ここに収録されている「アリーナのために」か「鏡の中の鏡」のような形になるんじゃないかと思います。




【作曲】
アルヴォ・ペルト

【演奏】
ウラディミール・ピヴァコフ(ヴァイオリン,@D)
セルゲイ・ベズロードヌイ(ピアノ,@D)
ディートマル・シュヴァルク(チェロ,B)
アレクサンダー・モルター(ピアノ,ABC)

【収録曲】
1.Spiegel Im Spiegel(「鏡の中の鏡」ヴァイオリンとピアノによる)
2.Pärt: Für Alina(「アリーナのために」)
3.Spiegel Im Spiegel(「鏡の中の鏡」チェロとピアノによる)
4.Pärt: Für Alina(「アリーナのために」)
5.Spiegel Im Spiegel(「鏡の中の鏡」ヴァイオリンとピアノによる)



『私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう。プリズムのみが、その光を分光し、多彩な色を現出させることができる。聴き手の精神が、このプリズムになれるかもしれない』

−アルヴォ・ペルト





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

posted by サウンズパル at 19:16| Comment(0) | クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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