2016年04月15日

ロコ高柳とロスポブレス エル・プルソ

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ロコ高柳とロスポブレス/エル・プルソ
(JINYA DISC)

高柳昌行といえば、戦後日本のジャズ黎明期から活躍し、60年代から70年代の過渡期に即興演奏の可能性を厳しく追究すべく、フリー・インプロヴィゼーションの世界へと飛び込み、晩年には一人で多数のギターを駆使した”アクション・ダイレクト”によって、我が国におけるフリー・ジャズやノイズ・・ミュージックの第一人者として、または彼を尊敬して止まないサーストン・ムーア(ソニック・ユース)、ジム・オルークといった海外のアーティスト達からのアツい再評価によって、先鋭ロックを好む若いリスナーにも知られておるところであります。

長いキャリアの中で、例えば阿部薫との壮絶な一騎打ち盤である「解体的交感」や「集団投射」「暫時投射」、はたまたグループで緊張感溢れるスリリングな演奏を記録した「フリー・フォーム組曲」「ラ・グリマ〜涙」(三里塚幻夜祭での素晴らしいライヴ)「ライヴ・アット・メールス」とか、アクション・ダイレクトの「カダフィのテーマ」とか、理屈じゃなくて感覚そのものを壮大に刺激して、意識をかっさらうような名盤はたくさんあります(いわゆるフリー・フォームのね)。


はい、はい。アタシもいいかげんミーハーなもんで、高柳師に興味持ったのはサーストン・ムーアの発言がきっかけだったと思うんですが、丁度タイミングよくフリー・ジャズ”から”ジャズまっしぐらになって、んで、モダンでもスウィングでも何でも聴いてやろうと思った時にですね、高柳昌行という人の本当の凄さを、いわゆる”フリーじゃない方の演奏”で思い知って

「これはトンデモナい人だ」

と衝撃を受けて、んで、好きになると本でも雑誌の記事でも何でもかき集めて、インタビューだとか音楽に対する姿勢とかそういうものを知りたくなるでしょう。

スウィングジャーナルとかのバックナンバーとかを、もう読み漁って高柳昌行の発言も、それこそ夢中で読んでたんですが、まーこの人の発言がことごとく「パンク」でした。

今、絶版になってないかな?このブログの読者の皆さんには、彼の発言やレビューをまとめた「汎音楽論集」という痛快な本がどこかで売ってると思いますので、これはぜひ読んでください。ぶっちゃけ高柳昌行知らん人が読んでも全然楽しめる内容であります。


(いちおアマゾンのリンク貼っておきますね)

高柳師の基本姿勢は「メッタ斬り」です。

生ぬるい批評、シャバダバな評論家、妥協したミュージシャンなど、とにかくロックオンしては容赦なく紙面で粉砕しているんですが、読んでいて全然不快じゃない。いちゃもんでも屁理屈でもないし、どの発言にもキッチリと筋が通ってるんです。

ほうほうと思いましたね。

というのも、アタシは最初で高柳昌行という人の音楽を知ってから文章を読んでるんです。

だから、彼の音楽というものが、自分自身を演奏家としても表現者としてもとことん追い詰めて追い込んだ末に出来上がってゆく類のものであることを、まぁその、アタマ悪いながらも何となく感じられたし、何より他を厳しく批評するにしても、その発言の倍ぐらい、この人の厳しい思想の槍というのは自分に向けている訳です。

フリー・フォームにしてもただデタラメのイッちゃってるテンションでやるんでなしに、キチンとした理論的なものを踏まえた上で「ここでこう外す、それはどういうことか?」ということを、激烈な演奏の渦中にあればあるほど、この人は冷静に、そしてとても厳しく精査しながら音を繰り出している訳なんです。

そんな高柳師が、フリー・フォーム、クール・ジャズ(レニー・トリスターノ楽派)と共にライフワークとして心血を注いでいたのがアルゼンチン・タンゴでありました。

今でこそ、タンゴといえばある種のトレンドで、クラシックやジャズの人たちがピアソラの「リベルタンゴ」なんかを。オシャレでカッコいいアレンジで聴かせてくれたりするんですが、それらは(たとえどんなにクオリティが高くても)あくまで”余技”であります。演奏内容が凄ければ凄いほど、どうしても”その演奏家のもの”として聴いてしまう。

それにはタンゴという音楽の難しさというのがあると思うんです。

それは、タンゴをタンゴたらしめているあの強烈なリズムにあります。

以前ギタリストの笹子重治さんという人が奄美を訪れてライヴした時、一瞬お話をする機会があって、タンゴの話になったんですが、その笹子さんが言うには

「いや。タンゴだけはどうしても難しい。アレは一旦出来上がったものを全部グシャってしてリズムとメロディを完璧に再構築しなきゃいけない。それも一曲の中でやらないといけないから、他の音楽とは勝手が違うんです」

と。

えぇえ!?笹子重治さんといえば、ブラジル音楽を極めて、我が国では中南米ギターの神様みたいな人なのに!と衝撃ではありましたが、なるほどタンゴを聴けば聴くほど、そしてタンゴという音楽を知れば知るほど、その言は重みを増して響いてきます。

もし、ミュージシャンが”タンゴ風”じゃないモノホンのタンゴを演奏したいと思うなら、それまで培ってきた演奏ノウハウや理論的なことを一旦全部クリアにして、リズムを血肉としなければ演奏出来ないでしょう。

おっと、話が大分横道に逸れましたが、高柳師は「本気」です。

タンゴとくれば大量のレコードを集めて聴き込み、楽譜も可能な限り取り寄せて多方面から解析しつつ、ギターでもってとことん弾き込む。特にジャズとは全く違うアクセントの箇所は何度も何度もプレイを繰り返して、文字通り”血肉化”しています。

と、アタシが断言出来るのも”ジャズ・ギタリスト高柳昌行”ではない、完璧にタンゴのギタリスト/マエストロとしての”ロコ高柳”で、素晴らしくホンモノなアルバムをちゃんと出しているからなんです。






【ロコ高柳とロスポブレス】
高柳昌行(g)
藤敏夫(g)
池田正治郎(7string-g)
松岡昭(g)
丹羽英俊(g)
坂本堪亮(g)
宮崎伸一(g)
井野信義(Contrabass)

【収録曲】
1.LEGUISAMO SOLO
2.MURMULLOS-tango
3.SILENCIO
4.MILONGA DEL 900
5.ATANICHE
6.AY,AURORA
7.INTIMAS
8.MI BUENOS AIRES QUERIDO
9.DOS AMIGOS
10.MARGARITAS
11.VOLVER
12.SOL TROPICAL
13.AMEMONOS
14.AUSENCIA
15.CAPRICHOSA
16.MEDALLITA DE LA SUERTE
17.EL TANGO ES AZUL


「ギター7人にコントラバス」という編成がまず本気なら、選曲も本気です。

採り上げられている曲はいずれも、我が国ではよほどじゃないと知らないであろうタンゴの古典的名曲ばかり。たとえばカルロス・ガルデルのBCG、ピアソラのHぐらいはかろうじて分かる。

しかしエルネスト・ポンシオが1900年頃(!)に作曲したDとか、もう本当にアルバム一枚が、そのまま古典タンゴの名演集であり、当然「ジャズ」な感じは一切ありません。ガットギターの音色から(ピアソラのHだけあえてエレキ)、ちょっとしたフレーズの隅々に至るまで、どこをどう聴いても完全に血肉化された、熱情と狂おしさと、切なさに溢れたホンモノのアルゼンチン・タンゴの空気が恐ろしいほどにみなぎっておるのです。

恐らくは今の日本、いや、本場アルゼンチンでも、これほどまでに伝統的なタンゴをガッツリやっているアルバムはないんじゃなかろうかと思います。

「ちょっと本気でタンゴ聴いてみたい」

という人には、アストル・ピアソラの代表的なアルバムと一緒に聴いていただきたい。少なくともピアソラと並べてもタンゴ・ミュージシャンとしての高柳は全然劣らないと思います。


最後に、このアルバムの演奏は、渋谷ジァンジァンと新宿ピット・インでのライヴ録音です。

凄まじい緊張感と音の鮮明さ&迫力に「これはきっとスタジオで相当に根を詰めて録音されたアルバムに違いない」と思っていたら曲の後に観客の拍手が・・・。いや、こんな完璧で精密な演奏でライヴって・・・。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

posted by サウンズパル at 20:38| Comment(0) | ラテン/ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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