2016年09月24日

リル・サン・ジャクスン Lil' Son Jackson

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リル・サン・ジャクスン/Lil' Son Jackson
(Arhoolie/Pヴァイン)

ブルースは中学の頃から好きだったのですが、18の時戦前ブルースに完全に目覚めてからは、とにかく知らないブルースマンの、まだ聴いたことない音源を探しに必死でした。

1990年代半ば、今みたいにネットもYoutubeもない時代でしたから、何で探したかというと、オムニバス盤です。

おっきいCD屋さんのブルースのコーナーに行くと、大概オムニバスのコーナーがあって、そこには信頼の置けるレーベルのものから、どこの国のかわからんよーなアヤシイものまで、いろいろとありました。

ジャケットの裏のクレジットを見ては、知らない名前を見付け、知らない名前を見付けてはソッコーでレジに持ってったものです。

Arhoolie原盤、当時Pヴァインが出していた「テキサス・ブルース」を見付けたのはそんな時。

これが戦後テキサスのダウンホーム・ブルース(派手なバンド形式じゃない、弾き語り系中心のやつ)の有名どころから無名どころまでを集めた、ヒジョーに秀逸な一枚だったんです。

その中で1曲目から3曲目までに収録されていたのが、リル・サン・ジャクソン。

テキサスの、このテのダウンホーマーといえば、ライトニン・ホプキンスぐらいしか知らなかったアタシです。

ドロドロデロデロ、ブルースのどうしようもない”コア”の部分が煮立っているようなブルースを、きっとライトニンみたいにこのリル・サン・ジャクソンなる人もするんだろーか、とか思っていましたが、これがすっごい淡々とした、ブルースの荒涼とした大平原が広がっているような枯れた味わいで、衝撃を受け、以来リル・サン・ジャクソンは「ライトニンの次に好きになったテキサス・ダウンホーマー」になりました。

で、アタシの場合は「好きになったらとことん」ですから、このリル・サン・ジャクソンなるオッサンが、どういう人だったのか、調べたくなったんですよ。

そしたら面白いですよコノ人。ソングスターである父親と、教会でギターを弾いていた母親との間に1919年に生まれ、テキサス州内の農場を転々としていましたが、16歳の時に家を出て大都会ダラスへ。

ここまではブルースマンの前半生でよく聴く話なんですが、で、16歳のジャクソン少年がダラスで何をやってたかと言うと、これがブルースマンじゃなくて車の整備工(!)。

や、もちろん仲間らとバンドを組んで、最初は教会で演奏をするグループをやっていたんですが、段々と酒場でブルースを唄う夜の仕事が多くなってきたようで、ダラス近辺ではなかなかの評判だったようですが、彼はそこから全てを投げ打っての一攫千金ミュージシャンへの道へは行かず、やっぱり昼間は整備工をしながら、夜だけ唄っておったと。

やがて第二次世界大戦が始まると、徴兵されて兵役に就きます。もちろん腕利きの整備兵としてです。

そして復員後もやっぱりダラスへ帰ってきて、真面目に黙々と車の修理をしておりました。

えっと、1919年生まれですから、この頃は既にリル・サン・ジャクソン30代の半ばです。

整備の腕は評判で、正業でそこそこ稼げるようになっておるのと、まぁ家族も養っておったんでしょう。近所の人達は「メルヴィン(リル・サン・ジャクソンの本名)がブルース唄う」なんて、知りもしなかったと思います。

ところがその頃、友人の薦めで彼は一本のデモテープを、当時テキサスでは一番かそんぐらい有名なライトニン・ホプキンスが所属しているゴールドスター・レーベルに送り、何と1948年にはシングル盤を吹き込んでのレコード・デビュー。

単純に”体がちっちゃいから”という理由で”リル・サン”の芸名を貰っておりますが、まぁ、こんなテキトーな芸名貰ってもあんま嬉しくない。大体俺はカタギの車屋だ、ダチの野郎の口車に乗っちまったが、レコーディングが終わったらさっさとブルースなんてヤクザな世界から身を引いて静かに暮らすべ。とは思ってはおりましたが、何とリル・サンのレコードはそこそこのヒットとなってしまって、他のレコード会社からも次々声が掛かるようになってくるのでした。

そんなこんなで「あんまりやりたくないんだがブルースマン人生」を、40年代末から50年代半ば頃まで過ごしたリル・サンでしたが、元々ヤル気がないのに加え、ツアー中に交通事故に遭ったりしたことを契機に足を洗います。

元の”メルヴィン・ジョンソン”に戻り、ダラスの「街の修理工場のおっちゃん」として、黙々働いていたリル・サン。どうやら世の中もブルース人気は落ち着いて、ロックンロールとかいう新しい音楽が流行ってるようだし、やれやれ、これで静かに暮らせる。と思ったであろうリル・サンですが、話はここで終わりません。

ロックンロールの熱狂も一夜の夢となった1960年、今度は若い白人のリスナーがブルースを求めるようになりました。

彼らの情熱は凄まじく、まるでCIAばりの情報収集能力で、全国各地の”伝説”となって今は一線を退いているブルースマン達を発見し、色々と上手いこと言ってライヴやレコーディングの最前線に送り込んでおりました。

そんな中「ライトニン・ホプキンスのレコードを出すために」レコード会社アーフーリーを立ち上げた青年、クリス・ストラックウィッツにリル・サンは発見され(古い電話帳に載っていた本名から足が付いたそうですがおそろしい・・・)、「レコーディングしてはくれんですか」と熱心な説得を受けます。

「あの〜・・・すいません」

「おぅ、いらっしゃい。修理かい?メンテかい?」

「あの・・・ミスター・ジャクソン。あなたはリル・サン・ジャクソンさんですよね」

「・・・何だ、そんなヤツぁ知らねぇ。車の用じゃなきゃ帰ってくれ。ウチは整備屋だ」

「ちょっとだけ話いいですか?」

「よくねぇ、帰れ。オゥ、誰か塩まいてやれ!」

と、クリス・ストラックウィッツは何度も追い払われた、なんて話を聞いてますが(塩は流石にまかんでしょうが)無視されても怒鳴られてもめげずにリル・サンの工場に通いつづけ、カネ儲けしたいとかでなしに、とにかくブルースが好きで録音したいという話や、リル・サンのかつてのヒット曲を、曲名も出して丁寧に感動したことを伝え、結局はその情熱に押し切られる形で、リル・サンはレコーディングを一応承諾。

はい、その「発見後」初のLPであり、リル・サンにとっては生涯最初にして最後のアルバム、そして、戦後のテキサス・ダウンホーム・ブルースを語るには絶対に欠かせない名盤が、コチラ



【収録曲】
1.Blues Come To Texas
2.Cairo Blues
3.Ticket Agent
4.Louise Blues
5.Sugar Mama
6.The Girl I Love
7.Santa Fe Blues
8.Turn Your Lamp Down Low
9.Groundhog Blues
10.Gambler Blues
11.Charley Cherry (take 1)
12.Charley Cherry (take 2)
13.West Dallas Blues
14.Rollin’ Mill Went Down
15.Red River Blues
16.Roberta Blues
17.Buck Dance
18.I Walked From Dallas
19.Rock Me
20.Johnnie Mae

タイトルはシンプルに「リル・サン・ジャクソン」、ジャケットも特別に撮影された写真じゃなくて、自分とこの自動車整備工場の前で、普段の仕事着の写真を使っている、というのがまた何ともイイじゃありませんか。

事実、このアルバムに収録されているのは、基本弾き語りのシンプル極まりない編成で、独特の淡々とした語り口で繰り広げられる、ありのままのブルース。

決して張り上げない、感情の高ぶりに流されない声も、モノトニック・ベース奏法といって、親指で「ボン・ボン」と、コード・チェンジに関係なく同じルート音を使うギターも、派手さは一切ないんだけど、どういう訳か一度聴いたら耳の底にじわーっと残って離れない不思議な魅力があります。

コレはファンの勝手な妄想です。彼が表舞台に出るのを嫌がったのは、もちろん海千山千の自堕落な生活が嫌だったってのもあるんでしょうが、彼にとって”ブルース”っていうのは、誰に聴かせる訳でもない、純粋な自己との対話だったんじゃなかろうかと。そんなことを思わせるぐらい、ここで聴かれるリル・サンのブルースは、孤高の深みに溢れていて、静かで絶対的な説得力を持っておるのです。


リル・サンは、このレコーディングを最後に、音楽とはきっぱり決別して、1976年静かに生涯を閉じました。とかく破天荒、型破り、荒削り、常識破りなブルースマンの中にあって、その個性と唯一無二の内省的なブルースは、やはり出色のものです。音楽の歴史の片隅で、いつまでも鈍く深い輝きを放つものでありましょう。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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