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2017年02月10日

阿部薫 なしくずしの死

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阿部薫/なしくずしの死
(コジマ録音/ALM Record)

昨日今日と、ちょいと低血圧で頭がフラフラして体調がよろしくありません。

こんな時に聴く音楽は、あー、何かこうまったりしてて、じっくり聴くとかいうよりは、余り考えないで聴けるBGM的なやつがいいかもなぁ・・・などと頭は考えておったのですが、ボーッとする頭でフラフラと選んでいたのは、そういった「耳に心地良いだけの音楽」とは間逆の阿部薫。

そう、阿部薫。

知らない人は全然知らない、けど、彼の「壮絶な美」としか言いようのない演奏を一度聴いた人はきっと忘れることはできない”特別中の特別”を持つ表現者です。

阿部薫は”一応”ジャズの文脈で語られる人です。

確かに彼が生前に暴れまわった場所は主にジャズ喫茶のステージで、ビリー・ホリディ、エリック・ドルフィーに決定的な衝撃を受け、アルト・サックスを手にしております。

しかし、彼が楽器を通して内なるギリギリの世界から放つ音は、いわゆるカギカッコ付きの「ジャズ」というものを突き破って聴く人の心に直接突き刺さります。

でもって”一応”サックス奏者と言われております。

先も言ったように、阿部薫はアルト・サックスを武器に、ジャズの世界に単身斬り込みをかけましたが「闘争に手段は選ばない」とばかりに、アルト・サックス、バス・クラリネット、ソプラノ・サックス、ソプラニーノ・サックス、ハーモニカ、ピアノ、ギター、尺八など、様々な楽器を扱うマルチ・プレイヤーなのですが、彼の出す音は「色んな楽器を器用に使ってカラフルな音を時代に出す」とかいうのとは間逆で、様々な楽器を使っても、することはただひとつ「命を懸けてソイツから最も美しい音を出すこと」でありました。


阿部薫の演奏は、完全即興のものがほとんどで、いわゆる"フリージャズ"として語られることが多いです。

しかも、彼は「無伴奏ソロ」つまり他の楽器をバックに付けず、扱う楽器ひとつだけを手に、完全即興に挑むことがライヴやレコーディングでは多かった人でした。

故に阿部薫の演奏は、音が炸裂し、鳴り響いている時と、完全に無音になる時の、異常な緊迫感に満ち溢れています。

苦しいといえば大変に苦しい、そして聴き手にも、一切の妥協や甘えを許さない、非常に厳しい音楽だと言えるかも知れません。




【パーソネル】
阿部薫(as,ss)

(Disc-1)
1.Alto Improvisation No.1
2.Alto Improvisation No.2

(Disc-2)
1.Soprano Improvisation No.1
2.Alto Improvisation No.4 part 1
3.Alto Improvisation No.4 part 2
4.Soprano Improvisation No.2


アルバムを聴いてみましょう。

若くして亡くなったこともあり、生前に発売されたアルバムはとにかく少ない阿部薫ですが、その中でも特に壮絶なソロ・パフォーマンスを収めたライヴとして有名な「なしくずしの死」という作品があります。

このアルバムは1975年、「なしくずしの死コンサート」として、青山タワーホールで行われた演奏(2曲)と、入間市民会館で収録された音源(4曲)が2枚のCDにまとめられております。

「なしくずしの死」とは、阿部薫(そしてコンサート・プロデューサーの)が愛読していたルイ・フェルディナン・セリーヌの小説のタイトルです。

セリーヌもまた、人間の本質を鋭くえぐった稀代の作家ですが、これについて書き出すと止まらなくなりますのでここでは割愛。

演奏は、そのセリーヌの「なしくずしの死」の朗読(フランス語)のアナウンスから始まります。

朗読の声が激しくなってフェイドアウトする、その後に生じる一瞬の静寂を切り裂くアルトの咆哮。

高く細く、鋭い音が、キリキリと空間を軋ませながら、場の空気をあっという間に塗り替えます。

1曲目はそれから20分以上、アルト・サックスが絶妙と嗚咽を激しく繰り返します。

や、阿部薫はどの曲もどの演奏も、大体このパターンなのですが、そうとは分かっていても、どの曲どの演奏の、どの瞬間も聴き逃すまいと、必然的に没入してしまいます。

いや、阿部薫の演奏というのは、知らず知らず聴き手をそのような心境にさせてしまう。それだけ強い磁場を持つ演奏なのです。

いきなり喉元にギラギラした刃を突き立てられているかのような、それは厳しい表現行為です。しかしその刃の透き通る妖しい美しさを、脳裏に同時に刻み付ける。

そう、阿部薫の即興演奏は、フリーキーでアナーキーで、場合によってはジャズという音楽にも背を向けているようにも思えます。フリージャズでそこまで思わせてくれる人って、実はあんまりいません。

でも、じゃあ音楽としてはどうか?と問えば、阿部薫が、グチャグチャに破壊して、氷の瓦礫を山と築くこの音楽は、純粋に美しい。

何というか、ジャズというひとつのジャンルには背を向けているかも知れないけれど、その裁断されたメロディの中には、あらゆる「うた」が生きております。

ジャズ、シャンソン、そしてよく言われる歌謡曲やジンタ、童謡などの、日本人の心の奥底に刻まれている、哀しく懐かしい「うた」の感触が、彼のフリーフォームなはずの演奏からは、ヘタなポップスなんかより全然リアルに感じます。

そこは彼がソプラノで吹いているDisc-2の1曲目を聴いてみてください。

これ、聴いてる人の内側の原風景を、外側から切り込み入れて映し出す大変ヤバイ曲(演奏)です。

今日は一日中阿部薫を聴いていましたが(実はメインで聴いていたのはこのアルバムではなかったのですが、そんなことはこの際関係ない)、ええ、阿部薫、常にギリギリのところで身を削ってギリギリの音を出していた人です。

彼の音楽は、そんな「ギリギリ」だから切実に心に響くし、フリーフォームだから余計に、定型化されている音楽より、そのコアにある「うた」の部分が美しく輝いているのです。


とか何とか言っても、世の中には「阿部薫?なにそれ」な人の方がほとんどだと思います。

願わくば一人でも多くの人が、この残酷なまでの「うた」の美しさに満ち溢れた表現に出会い、そして撃ち抜かれますように。



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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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